キリシタン略年表
  
西暦 年号   出  来  事 政治・社会
1549 天文18 フランシスコ・ザビエルら鹿児島に到着
1551 天文20 ザビエル上京、天皇に会うことはできず平戸に戻る。
山口再訪。領主大内義隆から宣教の許可を得る。
ザビエル 離日
1552 天文21 ザビエル、中国の上川島で帰天
1559 永禄2 ヴィレラ京都に定住し、宣教を開始
1560 永禄3 ヴィレラ、将軍足利義輝に謁見、宣教の許可を得る 桶狭間の合戦
蛸薬師通室町西入るの地に土地と建物を購入。後日この場所にミヤコの南蛮寺が建てられた。
1563 永禄6 キリシタン大名の出現。近畿では結城山城守、高山飛騨守(右近の父)、清原枝賢らの受洗。九州では大村純忠受洗
宣教師ルイス・フロイス来日
1564 永禄7 高山右近受洗
1565 永禄8 2月フロイス入洛、7月天皇より宣教師追放の命令が出され、ヴィレラ、フロイスら堺に避難
1569 永禄12 フロイス、信長から保護状を得る
1576 天正4 京都で被昇天の聖母にささげられた教会(南蛮寺)の献堂式
有馬義貞、受洗
1578 天正6 大友宗麟、受洗
1579 天正7 巡察師ヴァリニァーノ、来日
1580 天正8 有馬・安土にセミナリオ創立
1582 天正10 天正少年遣欧使節、出発 本能寺の変、織田信長没
1585 天正13 高山右近明石に移封
1587 天正15 秀吉、伴天連追放令発布、高山右近改易
細川ガラシヤ受洗
1588 天正16 京都・大坂の南蛮寺破却
1590 天正18 天正の少年遣欧使節帰国 豊臣秀吉天下統一
1591 天正19 ヴァリニァーノ、少年遣欧使節とともに秀吉に謁見
1593 文禄2 ペドロ・バウティスタ、名護屋で秀吉に謁見
1594 文禄3 フランシスコ会士、京都四条堀川旧妙満寺跡地に諸天使の元后にささげられた教会、また翌年には聖アンナ病院、聖ヨゼフ病院を建設
1596 慶長1 サン・フェリッペ号事件。秀吉、フランシスコ会宣教師ら捕縛
1597 慶長2 長崎西坂で26名が殉教 (日本26聖人)
1598 慶長3
豊臣秀吉没
1600 慶長5 油小路通元誓願寺の地にイエズス会上京教会建立 関ヶ原の戦い
細川ガラシャ大坂の屋敷で没
1601 慶長6 邦人初の司祭、セバスチャン木村とルイス・ニアバラ叙階
1603 慶長8
徳川家康征夷大将軍
1605 慶長10
徳川秀忠征夷大将軍
1612 慶長17 岡本大八事件
家康、キリシタン禁教令を天領に発布、各地の教会を破壊
1613 慶長18 伊達政宗の遣欧使節、支倉常長ら出発
1614 慶長19 全国に禁教令、宣教師および高山右近らマカオに追放
1615 元和1
大阪夏の陣、豊臣氏滅亡
1616 元和2 秀忠、禁教を強化 徳川家康没
1619 元和5 京都の大殉教
1622 元和8 長崎の大殉教
1623 元和9 江戸の大殉教
1633〜
1637
寛永10〜14 トマス西、ミヤコのラザロと14人殉教 
(聖トマス西と15殉教者)

1637 寛永14 島原の乱発生

1638 寛永15 宗門改め強化
1639 寛永16
鎖国完成
1665 寛文5 幕府、一万石以上の藩領に宗門改役設置
1669 寛文9 幕府により唐銅版の踏み絵20枚製作される
1671 寛文11 幕府、宗旨人別帳を義務づける
1690 寛政2 浦上一番崩れ
1839 天保10 浦上二番崩れ
1856 安政3 浦上三番崩れ
1858 安政5 修好通商条約締結、鎖国終了
長崎奉行、踏み絵の中止を宣言
1862 文久2 日本26聖人列聖
1865 慶応1 大浦天主堂内で浦上信徒名乗り出る(旧信徒の発見)
1667 慶応3 浦上四番崩れ始まる
1868 明治1 明治政府、五榜の高札を立て、キリシタン禁制を徹底 明治に改元、廃仏毀釈
1870 明治3 浦上キリシタン3000余名が捕らえられ20藩に配流
1873 明治6 キリシタン禁制の高札撤去、配流されていた浦上のキリシタン信徒釈放
1987 昭和62 聖トマス西と15殉教者列聖
出来事は「キリスト教会の教え」(カトリック中央協議会)他による。
政治・社会は「世界史年表」(吉川弘文館)他による。