2001/01 No.278d

教区時報2001年1月号より転載

We're aiming at Collaborative Ministry for Mission

こ れからの京都教区の将来を考えて


〜 共同宣教司牧がめざしていること 〜 京都司教 バウロ 大塚喜直

(内容)
はじめに

1. 共同宣教司牧の目的
2. 共同宣教司牧と小教区統廃合とは違う

3. 共同宣教司牧は信仰改革
4. 共同宣教司牧とは何ですか

5. 共同宣教司牧の霊性
6. 従来の司牧型の教会と主任司祭制度の限界

7. 第二バチカン公会議以降の教会の歩みから
8. 共同宣教司牧と教会のアイデンティー

9. 日本教会の自立のチャンス
10. 京都教区のビジョンをさらに進めるために
    教区民としての意識を持って

はじめに

  京都教区は、「共同宣教司牧」という教会共同体作りを手がかりに、それぞれの小教区と教区全体が、これからの時代にふさわしい福音宣教する教会に変革していく努力をしています。 現在、京都教区の全小教区は五七教会ですが、今年の四月の新年度から、司祭の人事異動に合わせて、教区内のすべての小教区が「共同宣教司牧地区」として宣言されます。つまり、どの小教区も単独ではなく、共同宣教司牧地区の教会になります。 この全共同宣教司牧地区に、計三七人の共同宣教司牧「担当司祭」と、四人の共同宣教司牧「協力司祭」が任命されます。

 キリスト降誕二○○○年大聖年を感謝のうちに終えて、新しいミレニアムの最初の世紀に踏み出していくにあたりこれからの京都教区の将来を考えて、今年の司教年頭書簡で京都教区が取り組んでいる共同宣教司牧のことついて述べ、今一度信徒の皆さんに共同宣教司牧推進のための理解と協力を仰ぎたいと思います。 これまでにも共同宣教司牧については、教区として機会あるたびに信徒の皆さんに説明してきました。

京都教区では一九九一年から最初の共同宣教司牧が始まっていますから、もう九年、またはそれ以前の準備も含めると一0年近く「共同宣教司牧」ということについて見聞きしています。教区時報の記事でも、司祭や信徒の研修会でも、たびたびテーマとして取り上げられてきました。しかし、今年の四月からいよいよ京都教区のすべての小教区が共同宣教司牧になるわけで、その意味ではやっと本格的に共同宣教司牧について京都教区の全教会、全信徒が同じ立場、視点で考えられるようになったのです。 共同宣教司牧のすべてをこの一回の書簡で説明することはできませんが、私はこの書簡で、特に共同宣教司牧を教区全員で始めていく上で、基本となる大切ないくつかのポイントについてだけ、述べようと思います。


1. 【 共同宣教司牧の目的 】

 

 共同宣教司牧を行う最大の目的は、日本のカトリック教会を、以前にも増して、いや抜本的に「福音宣教する教会」へと変革していくことです。この大きな目的のために、それぞれの小教区が、教会共同体刷新運動としての共同宣教司牧の実践を通して、同様に「宣教型の教会共同体」に成っていくのです。ですから、単に共同宣教司牧は、司祭の人数が教会の数よりも少なくなってきたので、それを補うため少数の司祭で多くの小教区の司牧の世話を可能にするための「苦肉の策」という類のものではありません。

 確かに、共同宣教司牧の導入にいたる当初のきっかけは、司祭の減少という事情もあったことは否めません。しかし、この九年間京都教区で実際に徐々に共同宣教司牧を推進し、いろいろと試行錯誤してきた中で、司祭数の減少以外に、共同宣教司牧にチャレンジする、より積極的な目的やそれに託された課題が見えてきました。

 たとえば、共同宣教司牧と従来の「一小教区主任司祭制度」とを比較して、その限界を克服していくこと。公会議以降の信徒使徒職の実践と発展を一層根本的に推進すること。信徒の高齢化、青少年の不在、信徒数の減少傾向等、教会自体の元気のなさを何とか活気付けること。

 さらに、複雑で多様化した現代日本社会がもつ時代の福音的なニーズ、例えば滞日外国人の人道的援助や信徒の司牧サービスの要求などに応えていくために、単独の教会では対応しきれない挑戦を、カトリック教会が社会から受けているという認識にたった上で、あらためて「共同宣教司牧」が、現代日本の教会が抱えている多くの問題、課題に取り組み解決していくために、最も有効な手段であると思えるのです。少なくともそのような識別が、この9年間の共同宣教司牧の試みによって、司祭信徒のなかに徐々に広がってきているのです。

目次に戻る


2. 【 共同宣教司牧と小教区統廃合とは違う 】


 共同宣教司牧は、小教区の統廃合を準備するため行っているのではありません。もし信徒の間でこの心配が先立って、共同宣教司牧を正しく理解し受止め、協力しようとする姿勢になれないのであれば、まずその誤解を解いてください。

 共同宣教司牧は、第一に「宣教型の教会」になることが目的です から、共同宣教司牧によって、いくつかの教会を統合してより大きな小教区を作ること念頭においているのでありません。その意味で、共同宣教司牧になってもそれぞれの小教区の特色、歴史、伝統からくる個性を無くす必要はありません。

 しかし、教会内の活動(例えば典礼、信仰教育、滞日外国人の司牧やかれらの共同体参加など)や、教会の外への活動、つまり社会に向けての活動(福祉活動、正義と平和に関する活動、ボランテイア活動など)で、もし小教区間の壁が妨げになって効果的に活動できないのであれば、それの壁を無くして小教区固有のやり方を譲り合って、教会同士の共通の組織や合同の活動を作り出していく必要があるでしょう。 ただし、このような共同宣教司牧の推進のための別の理由および観点から、将来小教区の適正配置のために、その過程で小教区の統廃合もあり得るということも、包み隠さず指摘しておきたいと思います。


目次に戻る


3. 【 共同宣教司牧は信仰改革 】


 さて、宣教型の教会共同体になるために、なぜ従来の一小教区主任司祭制ではだめなのでしょうか。なぜいま、共同宣教司牧なのでしょうか。ここで共同宣教司牧を心から受止めるためには、共同宣教司牧が根本的に「信仰改革」である点に留意しなければなりません。
それは、私たち日本の教会の停滞や行き詰まりに関わる、実は今の私たち信徒の「信仰観」の変革を必要とするからです。 共同宣教司牧の目的は、宣教する教会になるためです。宣教しない教会は、厳しくいえば信仰の空洞化、形骸化と表裏一体なのです。信仰とは、信徒とはこういうものだというイメージが、深いところで、教会の停滞を招いているのです。

 教会観は信仰観の上に成り立っています。そして現在、京都教区全体が一つになって歩もうとする上で、一番根本的な行き詰まりの原因はお互いの信仰観の確認不足と信仰に対する無意識の不寛容さです。歴史を振り返ると、ある時代に「私の信仰」をいかに守るかという信仰教育がなされました。そして「教会外に救いなし」という精神で教会が運営されました。その結果、キリスト者の生活は理想的な信仰生活と罪深い社会生活というように二元論的に認識される時代が続きました。 そもそも信仰について「私の信仰を守る」とか、教会について「私の教会」と発想すること自体おかしな話です。信仰は私が生み出したものではなく、伝えられたものなのです。そして、信仰はまずカトリック教会が保持する信仰内容を指し、教会とは、信仰内容を伝えられ、神の無償の恵みを大前提とした上で、各自の自由な選びによって受け入れた人々の集まりであるのです。

 教会の信仰内容は弟子達がイエスに対して持った信仰内容と同質です。神の啓示という神のイニシアティブによる全被造物の救いという遠大なご計画は、イエスの生涯とその死と復活によって実現しました。弟子達はイエスが生涯を賭けて証した「神の国の福音」の中にある父なる神のご計画に気づき、イエスの人生で生起した「死と復活」という出来事を通して、その出来事が自分達の救いにとって決定的であると悟ったからこそ数々の困難を乗り越えて全世界にイエスを伝えたのです。

 従って弟子達が伝えた「イエスの死と復活」、そして父なる神の救いの内容そのものをメッセージとする「イエスによる神の国の福音」を信仰内容としている教会も、弟子達と同様に、その時代の社会や人間に信仰内容がより伝達しやすいように模索することは当然なことなのです。 そして信仰者の集まりである教会は、信仰を伝達させようという目的を持っている時にこそ、その存在理由を持つのです。つまり、教会は根本的に宣教的なのです。しかも、信仰者も教会も社会的存在です。従って信仰が一人一人に伝わり、それを社会に伝えようとする時、私の信仰は「共同体性」を持った「私達の信仰」に変わり、個人の信仰も「社会的な信仰」に変えられるのではないでしょうか。そして教会は、この社会に存在する「全ての人々のための教会」ではないでしょうか。このことは、信仰と教会の刷新という作業の中でお互いにいつも確認したい内容だと思います。


目次に戻る


4. 【共同宣教司牧とは何ですか】


 次に、実際に共同宣教司牧とは何ですか、という問いに答えてみましょう。名称に「共同」とありますから、ひろく教会の中で異なる構成員同士が共同で教会を運営します。この「共同性」は、教会活動のあらゆるレベルおいて実践されます。

 まず小教区の共同宣教司牧のために、司祭同士がチームワークを組んでやるというのが第一の出発点です。これまで一小教区に一人の主任司祭(時には複数の助任司祭が補助)が任命されていました。そこでは一人の司祭が教会活動のほとんどの決定をおこなっていました。共同宣教司牧では、複数の司祭がチームを作り、教会の活動をチームとして「司祭の立場」から指導するために、まず自分たちの役割と責任を分担します。教会共同体に対する司牧者としての奉仕を果たすため、司祭たちは個人プレーではなく、チームとして共同体に関わります。こうして司祭個人での指導の物理的および能力的限界を補うことができます。

 そうして司祭は共同宣教司牧地区の共同体の中で、信徒・修道者と共に、宣教司牧を行います。そこでは、共同体の核になるチーム等の会議で、共同宣教司牧での基本方針や具体的な司牧計画を立て、具体的な事柄についての企画立案をします。さらに、このチームが提案する事柄を小教区の共同体のより多くのメンバーと協議し、その教会共同体全体の決定を生み出します。そして、決めたことを皆で実行し、その活動を共同で評価します。このように、ぞれぞれの小教区の中の活動であろうと、それぞれの小教区同士が互いに交わり、合同での宣教司牧活動であろうと、常に複数での識別を介してのプロセスが、共同宣教司牧に欠かせない要素となります。


目次に戻る


5. 共同宣教司牧の霊性


 したがって、共同宣教司牧の理解のために基本となること、「共同性」の意味です。あらゆるレベルの教会共同体(司祭チーム、小教区のチーム、地区、教区全体)がその固有の使命を果たすために、共同の責任を持って、みずからの運営、活動を決定、実行、評価していくときに、常に構成員全体の「識別」をもって行われるという点です。

 これは、共同宣教司牧の「共同性」からくる、共同宣教司牧の基本精神、「共同宣教司牧の霊性」とも呼べるものです。 要するに、共同宣教司牧とは、「合同で何かをする」前に、共同でそのための識別をし、その後、共同でできることがあれば、それを実際に企画し、実行することであって、単に合同で何かをすることが、即、共同宣教司牧ということではないのです。 確かに、合同で何かをすることの動機と意義があります。例えば、合同で黙想会をする、合同で子供のキャンプをする、それは、小さな人数で同じ事をするときのロスを省き、合同でより大きな規模ですれば、無駄がなくなるだけでなく、より効果のある有意義な活動ができるということになります。それは共同宣教司牧だからこそ、容易に実行できるということですが、共同宣教司牧が最終的に目指していることではないのです。

 共同宣教司牧を具体的に推進するとき、司祭、信徒・修道者も共に小教区間の交わりを深め、合同の活動を通して司牧宣教を行いながら目指しているのは、従来の教会活動全般にみられる「司祭主導・信徒依存的意識」を変えていくこと、そして、そのような従前の体制での宣教方法の抜本的な見直しをして、本来教会が果たすべき宣教の使命を、現代社会の問題に応え、その地域の福音宣教のニーズに応えるかたちで果たすためです。


目次に戻る


6.【従来の司牧型の教会と主任司祭制度の限界 】


 この「共同性」を理解するために、ここで少し共同宣教司牧と従来の「主任司祭制度」の違いを考えてみましょう。 これまで、教会(小教区)といえば、「主任司祭」というタイトルで司教からひとつの小教区に任命された一人の司祭が、文字通り司教に代わってその教会を直接に監督指導するという風に考えられ、実際にその司祭個人が教会の活動すべてにわたって決定し、責任を負うという体制でした。確かに、このやり方で今日まで、教会運営を続けてきました。

 この場合、教会が一体何をするところかという観点からみると、一般的に「司牧型」と呼ばれる教会のイメージの時代には、この主任司祭制度で充分だったかも知れません。信徒は司祭から霊的な世話を受けるまったくの受身の信仰生活で、逆に司祭は主に秘跡(ミサ)を執行し、求道者の教理、聖書の研究会の指導、個人的に生活の悩みや相談に応じることで司祭の役割を果たし、信徒と司祭の関係は、それによってのみ決まってしまいました。財政や教会の諸活動や行事も、司祭個人でできなくとも、決定のおいては主任司祭の個人の決定が圧倒的で信徒はその決定に従って行動する受身の姿勢でした。

 また宣教という観点からは、求道者に洗礼を授けるという布教活動の域を超えず、現在で言うような「社会そのものを福音化する」という視点には、公会議後もしばらく立っていませんでした。 そこでは、困ったことも起こりえました。そのひとつは、主任司祭が転任すると、その教会の方針が(次の司祭のやり方によって)ガラッと変わる、ということが起こったのです。それでは信徒は戸惑うだけで、そこに居つづける信徒が主体的に責任をもった教会の継続した運営や宣教方針が持てずに、熱心ではあっても教会の活動は、結局はある司祭の下での単発的な試みにおわって、息の長い一貫した教会の活動ができませんでした。

目次に戻る


7. 【第二バチカン公会議以降の教会の歩みから 】


 第二バチカン公会議以降、従来の小教区制度の下でも確かに、「信徒の自立」と「聖職者(司祭)と信徒との協力」を両立させる共同体への志向が芽生えてきました。しかし、福音宣教する生き生きとした挑戦的な果敢な教会の姿勢がなかなか見えてきません。「現代世界に開かれた教会への刷新」とうたわれた公会議の教えは教会自身に、人間で言えば頭を切り替える道を示してくれました。 ところが、その頭で考えることを実際に行動に移していく体の部分がなかなか切り替わっていません。共同宣教司牧は、この旧態依然とした教会の体質を少しずつ変えていくのです。

   ここで肝心なのは、時代感覚です。人類も日本社会も激動の二十世紀を終えた今、政治・社会・文化とあらゆる分野で時代の転換期を迎えています。世界で、日本で、従来のシステムが破綻している状況が露呈し、先行き不透明な気分で生きている現代、カトリック教会も時代の変わり目であることを痛切に実感するからこそ、ヨハネ・パウロ二世教皇の呼びかけで、過去の誤りと不信仰を反省し、新しい千年期にふさわしい教会に生まれ変わろうとする契機として大聖年を捉え、その準備をして、大聖年を過ごしたのです。

目次に戻る


8. 【共同宣教司牧と教会のアイデンティティー 】


そしてこの反省は、教会が本来キリストから託された救いの使命の意味付けを、あらためて考えさせてくれました。今という時代の中で、教会は自らの存在理由を再確認するのです。それが、「選びと派遣の神学」に基づく「救済史的アイデンティティー」の発見なのです。神は人類の救いのわざを全体の中から選び出した代表者としての少数者に奉仕させながら遂行していくという様式を取られたのです。その根源的代表者はイエスであり、それにイスラエルの民が先行し、新約の教会が継承します。 ですから特に日本の教会は、社会の中で少数派であることを特殊な事情ととらえず、「選ばれた奉仕者」として神の民の本質に基づいた現実として自覚するのです。 これは、宣教環境として日本の教会に与えられた独自の召命と理解できるのです。その上で私たちは、現代世界・日本の非福音的な現実を前に、確信を持って現代に希望の福音をもたらす「特別の奉仕者」であることを証するのです。

 こうして、共同宣教司牧の試みは、「どうしてわたしは(この信徒の少ない日本で)カトリックの信者なんだろう、教会とは一体何なんだろうか、建物があって信徒が教会に集まること以上に、この日本で小さな共同体は何をすべきか」というシンプルな問いかけを、いたずらにあせったり、嘆くことなく、正しい位置から発する知恵と、それに答えようとする勇気を与えてくれるのです。

目次に戻る


9. 【 日本教会の自立のチャンス】


 共同宣教司牧の選択の根底には、日本の教会の「自立すべき時代」の到来という判断があります。現在多くの教会では信徒数の減少や信徒の高齢化によって、教会を維持する体制が揺らいでいます。特に戦後、外国からの修道会・宣教師の方々によって経済的にも人材的にも支えられてきた日本の教会は、あらゆる意味で自立するように求められています。 共同宣教司牧の目指すところをしっかりと掴んで歩んでいますので、司祭の数が仮りに増えても共同宣教司牧は止めませんし、それぞれの共同宣教司牧の試みでのいろいろな失敗にも恐れませんし、それに伴う痛みも産みの苦しみとして受け止めます。大切なのは、失敗や痛みを新たな気づきの糧とすることです。共同宣教司牧は、それがうまくいくことが目的ではないので、あせりませんが、これだと決め付ける危険にも注意します。

 確かに、共同宣教司牧を推進していくために、課題はまだまだたくさんあります。例えば、共同宣教司牧の神学的研究、信徒使徒職の新しい発展、信徒の自立、教会共同体における信徒と司祭の役割の構築、司祭の真のリーダーシップ、奉仕者と共同体の関係、人間集団のより質の高い識別の方法の開発などです。

目次に戻る


10.【京都教区のビジョンをさらに進めるために教区民としての意識を持って】


 京都教区は福音を生き生きと生き、伝えていくために、宣教型の教会共同体となって共同宣教司牧を推進するという方法を聖霊の導きによって、選び取って行きます。それは一九八一年十一月に発布された京都教区ビジョン「社会と共に歩む教会」を見直した上でさらに深めるために選んだことであり、現状の社会と教会と信仰者をよく認識したからこそ出てきた選択なのです。 そして今、試行錯誤の中で進んでいる共同宣教司牧を推進するために、信徒ひとり一人が教区民としての意識を持って、共同宣教司牧に取り組んでください。私達は自分の所属する小教区が、何処の団体かをよく認識する必要があります。全ての小教区の地域名の上にカトリックという言葉がついています。それは世界教会であるカトリック教会が保持する信仰内容と職制を地方教会である京都教区共同体も同じものを持ち、それを持ってこの地域に信仰を伝えるために存在しています、という「意思表示」であると思います。

 繰り返し言っているように教会の存在意義は信仰を伝達するところにあります。イエスが告知した神の国の福音が、今の時代に地方教会である京都教区の地域に、よりよく伝わるために、自己の小教区だけにのみ眼を向けるのではなく、従来の組織のあり方を必要に応じて変えていくのは極めて当たり前なことです。大切なことは従来の組織を固守することではなく、見直すべきところは見直すという勇気を信仰者としてもつことです。共同宣教司牧の取り組みは、教区民としての意識を持って将来の京都教区に責任をもって信仰を伝えていく福音宣教を止めない旅する教会の、次のミレニアムの第一歩にしか過ぎないのです。

 私の述べた点は本当に僅かですが、従来の枠組みと変わらないメンタリティーを少しずつ変えていきましょう。将来は待てば来るものではなく、従来からあるものをよく見極めた上で見直し続け、自分自身が一人の信仰者として、そして教区民として、どのようにイエスの福音に生きたらいいのだろうかと、回心による自己刷新を続けて、信仰による応答を続けていくことは、大聖年が終わっても、生涯続いていくキリスト者の生き方です。

 京都教区の最優先課題である共同宣教司牧に取り組みながら、第3番目のミレニアムで「みながひとつになるように」聖母マリアの取次ぎを願い、今年一年私たちの歩みの上に、父である神の豊かな恵みと聖霊の照らしがありますように。キリストの名において、司教の祝福を皆さんにおくります。行きましょう、主の平和のうちに。    二○○一年元旦

目次に戻る


十一月二三日(司教座聖堂記念日) 教区大聖年ミサにおける説教

教会が社会の隣人になるように   京都司教 パウロ大塚喜直


【京都教区の歩みの感謝】

大聖年の準備



一九九四年、教皇ヨハネ・パウロ二世は来るキリスト降誕二000年の聖年を、大聖年と定め、千年毎に教会の歩みを捉え、その時々の教会の姿勢を振り返り、反省と回心と祈りによって現代教会が、喜びと希望に満ちて新たな千年期を迎える準備をするようにと世界中の信徒に向けて呼びかけられました。教皇は一九七九年の教皇就任の時から、来る第三番目の千年紀を迎えるこの期間を「新しい待降節」と名付けられました。そしてはっきりと大聖年の準備は、摂理的に神が現代教会に与えられた第二バチカン公会議によって実際に始まっていると全教会に教えてくださいました。

 


一九八一年の教区ビジョン

 一九八一年十一月二三日、今から十九年前の京都教区司教座聖堂 献堂記念日に、京都教区のビジョン「社会と共に歩む教会」が発表されました。これは、京都教区がその自らの宣教のビジョンとして、第二バチカン公会議公会議の教えを実践していくために、特に「弱い立場に置かれた人々」への関わりを最優先に行う宣教の基本方針を定めたものでした。そして、まさにこのときから大聖年の京都教区の準備も、摂理的に始まっていたのでした。この京都教区のビジョンは、教区創立五十周年にあたる一九八七年、奇しくも京都で開催された第一回ナイス(全国福音宣教推進会議)において、第二バチカン公会議以後の日本の教会が歩むべき方向として、広く確立されました。

【 直前の準備 】


 大聖年直前の準備として京都教区は、日本の宣教史の原点である日本二十六聖人殉教の四百年祭を一九九六年十一月に「日本二六聖人殉教四百年 in 京都」として盛大に祝い、大聖年の本格的な備えをはじめました。そして、大聖年に向けて、小教区など多くの教区の各施設・諸活動が、「大聖年準備の五ケ年計画」を立てて、それぞれの具体的な取り組みを始めました。一九九七年「御子の年」は信仰と洗礼の秘跡の年、一九九八年「聖霊の年」は、希望と堅信の年、一九九九年「御父の年」は、愛とゆるしの秘跡、すなわち回心と和解の年として、個人と共同体の信仰を、三位一体の神秘を黙想しながら反省してきました。一九九九年は、ここカテドラルの保護の聖人でもある「フンラシスコ・ザビエル」の渡来四百五十年を迎え、日本での福音宣教の過去を振り返り、現在を見直し、未来を準備するためのよい機会に恵まれました。


みながひとつになるように

  
 一九九七年四月一日に私は、田中健一司教様の後任として、教皇より京都司教の任命を受け同年六月十五日に司教叙階を受けました。「みながひとつになるように」をモットーにして私は、司教の所信表明で、京都教区が推し進めている二000年大聖年の準備の活動を、司教として最初の教区の基本方針としました。

 よって、私たちは父なる神の呼びかけに従い、いただいた信仰を感謝の念を持って受けとめ、神の子としてふさわしく生きるように回心を重ね、聖霊の照らしに心を開いて、京都教区が次のミレニアム、二一世紀の福音宣教に向かって乗り出していくように、司教の紋章を、父である神への巡礼の船にしました。


【よきサマリア人のたとえ】ルカ10・25―37


 さて、ここで教区ビジョン「社会と共に歩む教会」を再確認する意味で、今日の福音の「よきサマリア人のたとえ」をもう一度思い起こしましょう。 イエスは、たとえを話し終えて律法の専門家に「さて、あなたは、この三人のうち、誰が、強盗に襲われた人に対して、隣人として振舞ったか」と尋ねられました。このイエスの質問は、まさに「社会と共に歩む教会」の精神を生きる私たちが問われる質問だと言えます。

 たとえの意味は、イエスの説く隣人愛の大切な視点を教えています。隣人愛とは、「私」の隣人を探すのではなく、自分の方から「隣人」になることによって実現する人間的なかかわりを指します。自分中心的発想の愛の切り売りではなく、他者、すなわち相手中心のかかわりを生み出す具体的な行動なのです。「私の隣人とはだれか」と自分中心に考える間は、隣人を愛するために、何の役にもたたないのです。
 確かに、「私の隣人」とは、私達の生活において出会う人、とくに私の助けを必要としている人のことでしょう。しかし、その人たちが「わたしの隣人」になるのではなく、私の方が、進んで「その人の隣人になる」のでなければならないのです。
 「社会と共に歩む教会」という教区ビジョンは、まさに、「宣教というものを、教会を中心に考えるのではなく、このたとえを借りるならば、「社会」を中心にして「教会が社会の隣人になる」という回心の上に成り立っているのです。カトリック教会が第二バチカン公会議によって「世界に開かれた教会」として、自らを捉え直したことは、現代の教会がよきサマリア人でのイエスの問いかけに応えた答えなのです。


四つの実行

 私は、大聖年の始まりに、教区の四つの目標を掲げました。その四番目は、隣人、特に最も貧しい人々と連帯することでした。わたしたちは信仰者として、過去においてキリスト教信仰とは反対の証言やつまずきとなった考え方を反省し、さらに教会共同体として、社会に対する福音宣教の怠りや負い目を反省した上で、社会の中で、特に最も貧しい人々、小さな人々と連帯するのです。

 現代日本では多くの人々が休むことなく働き続けて自分を失い、疲れ、人間らしさを失いかけています。若者たちは自分自身のプライドと自らの生きる目標を持てずにいらだっています。しかし、社会のシステのと崩壊と閉塞感の中にも、身近なところに福音的な小さな芽生えを見つけることもできます。そんな中で、カトリック教会は、多くの滞日外国人の隣人となり、同じキリスト者として、多国籍の教会共同体をつくるように、神から呼びかけられています。


希望を持って

 こうして、私たち京都教区の神の民は、救いの恵みを喜んで受け入れた先人たちの人生のうちに熟した実りを次世代に伝えていく責任があります。そのために洗礼の恵みを出発点にして、わたしたち一人一人が神から選ばれ、派遣されていることを今一度しっかりと自覚しましょう。イエスは律法の専門家に言われました「では、あなたも行って、同じようにしなさい」と。人類がその歩みを新しい千年期(ミレニアム)に踏み出そうとしている今こそ、このみ言葉に忠実に答える決意を、神様の助けによっていたしましょう。

 最後に、初代教区長パトリック バーン司教さまの帰天五十年を追悼します。司教様が教区の基礎を築くという重責を果たし、北朝鮮での殉教にも似た最後の死を遂げられたことを思い起こし、父である神が司教さまの取次ぎによって、京都教区に二一世紀の福音宣教を果たす力を豊かにお与え下さるよう、お祈りしたいと思います。

目次に戻る