2002/11 No.300
時報:前号 次号 バックナンバー Back to Home

<教区時報 2002年11月号の目次>

・1  キリストと共に

・2  共同宣教司牧司教訪問 : 京都南部地区・南ブロック(伏見・桃山・八幡)

・3  神学生合宿の報告

・4   子育て中の母親の集い: 京都南部地区南ブロック
                     (宇治・青谷・田辺・精華)

・5 福音センター ニュース  <2003年結婚講座のご案内>
   ・ 〜主ご自身が建ててくださるのでなければ
      家を建てる人の労苦はむなしい〜(詩編 127・1)
   ・ 人はなぜ結婚するのか 人はなぜ結婚することが必要なのか
  
・6 聖書講座シリーズ「一〇〇匹の羊の群れ」 7/17・18
        旅人の宿なる教会 諏訪栄治郎神父

・7 こんにちはシスター: 聖母訪問会 京都修道院

・8 福祉の窓 : 特別養護老人ホーム/サンタマリア

・9 待降節 『典礼暦年と典礼暦に関する一般原則』

・10 良書紹介
     ◆ レイモンド・ブラウン 『キリストは近づいている 待降節の福音 マタイ、ルカ一章』 『降誕物語におけるキリスト 降誕節の福音 マタイ、ルカ二章』

・11 WYDに参加して 土岐仁美

・12 大塚司教の11月のスケジュール

・13 お知らせ
    ・福音センター・教区委員会 地区協議会 小教区から
     教育関係施設から  諸施設・諸活動 他

キリストと共に


 私たちは、自分の人生のことや、自分が必要と感じていることについて、それがどのように感じられているのか、何が自分に起こったのかなどについて、他人に語りたくなる多くのことがある。
 このようなことを聞いてもらうことで安心したり、話すことによって自分自身の心に気づいたりするものである。

 祈りについても同じ側面がある。
 時に、私たちは、愛する友のように神を待ち、耳を傾ける。時に、自分の話に耳を傾けてくれた友にするように、神に対してただ感謝の気持ちで一杯になる。時に、神の偉大さに接し、喜びや畏敬の念に圧倒される。

私たちは、自分のことや私たちのことを理解してくれる方として神と語り合う必要がある。このことは、キリストと共に生きるという意味でもある。
(写真は、ある会合での祈りの一コマです)

時報TOPに戻る




共同宣教司牧司教訪問 :
京都南部地区・南ブロック(伏見・桃山・八幡)


 九月十五日(日)、司教様が私達のブロックを公式訪問されました。
これに先立って、各小教区ではそれぞれアンケートを行って共同宣教司牧と小教区の現状について話し合い、さらに何回か合同役員会を開いて、その結果を検討、当日は司教様のミサののち、各小教区の代表が、それぞれの共同宣教司牧についての現状と姿勢を十分ずつ報告、司教様からそれについてのご意見をいただき、そのあと信徒からの質問を交えて司教様との話し合いの時間を持つことになりました。

 当日は天候にも恵まれ、普通の主日に三つの教会に来るほぼ全員、二百名余りが伏見に集まりました。    
司教様はミサ中の説教で、共同宣教司牧について話され、当日の聖書朗読の箇所にも触れて、洗礼という計り知れないお恵みを受けた信者たちが、これに答える責任を考え、実行する義務のあることを強調されました。

 各小教区の報告では、共同宣教司牧がまだよく分からない、また程度の差こそあれ、どこでもまだ、それぞれの共同体のなかのレベルでも、共同して信仰を生きるところまで行っていないことが指摘されました。各自の見方の多様性を共同性にまで高めていないのです。

 そのあとの司教様のご意見と質問へのお答では、宣教が、受洗者を増やすことよりも、杜会を福音化すること、言葉と行いで福音を社会にもたらす信仰の共同体を成長させること、また、共同宣教司牧が目指しているのは、合同してやることではなく、共同で、みんなをみんなで高め合うこと、こうして、教会を世にある神の愛の証として成長させることであると指摘されました。

 さらに、旧約の時代から、神の民として選ばれたということは、それで安心することではなく、選ばれるという恵みのあることを社会に証し、その恵みへと招くこと、それが、すべての人を救うために、歴史そのものを導いて下さる神のやり方であること、人間の目にはほかのやり方もあるように思えても、これが神のやり方であること、その意味でも信仰を共同して生き抜き、証しなければならないことも強調されました。

時報TOPに戻る


 神学生合宿の報告    


8月30日から9月1日にかけて神学生合宿が長野県のベネディクト会の黙想の家を中心に二泊三日で行われました。参加者は神学生1名、養成担当司祭2名、青年2名、計5名でした。

一日目の分かち合いはルカ5・1〜11(ペトロ達の召命)を行い、お互い心に響いた部分や自分が思ったこと、質問などを出し合いました。この一度の奇跡で弟子になることがなぜできたのか、など核心に触れる質問も出されていました。

2日目は午前中はドミニコ修道会(高森草庵)を訪問しました。「トトロ(に出てくる風景)のようだ」との声があがっていましたが、藁葺き屋根、薪ストーブといった昔ながらのたたずまいの建物が数軒並んでいました。ここでは宗教家同士、よいものをめざし真摯な交流が行われていることを象徴するようなものがありました。それは仏様がキリストの磔刑像を抱いている像です。ドイツから来られた訪問者が母国に帰り、この像を造り送ってくれたそうです。

午後は入笠山へ登山を行いました。約30分後、頂上へ皆たどり着くことができました。その日は天候に恵まれ諏訪地方一帯が一望できました。

夜はミサについて、「ミサとは」「ミサに参加することは、どんな意味があるのか」「どのような恵みを体験しているのか」というテーマに従って分かち合いを行いました。「一体感」「横のつながり」「癒しや力」など、どれもそうだ、という意見であり信仰の中心であるミサについて意見を交換することができました。
最後に3日間「訪問者を大切にもてなす」ということを旨とするベネディクト会の生き方を感じ取ることができました。
     鶴山進栄(京都教区神学生)


時報TOPに戻る



子育て中の母親の集い
 

京都南部南ブロック (宇治・青谷・田辺・精華)


 宇治・青谷・田辺・精華の共同宣教司牧地区の宇治教会で、「子育て中の母親の集い」が開かれています。ことの始まりは、日曜学校担当の若いお母さんたちが中心になって「子育てと子供の信仰教育」をテーマに講演会を企画したことからです。

そのときすでに「日曜学校担当者会」で司祭と共に教材研究がなされていました。そのような折に実際に子育てをする中で直面する困難、子供の信仰教育に関わる戸惑い、疑問などが出ました。そこで、長年学校教育に携わってこられたノートルダム・ド・ヴィのSr.伊従信子さんを招いて、「子育てと子供の信仰教育」と題して、子育て中の母親たちを対象に講演を開こうということになったのです。

その講演でシスターは、「子供の信仰教育は単に子供の問題だけではなく、親が自分の信仰を見直すことでもある」、「日々の生活の出来事(子供の問題をふくめて)を信仰のまなざしをもって生きる重要性」、「“もう遅い“ではなく、今から始めることの大切さ」などを強調され、多くの参加者の心を動かしたようです。集会後、自分たちの抱える困難・戸惑い・疑問を信仰のまなざしで捕らえ自分たちの信仰を育てていきたい、そのためにこのような会を定期的に持つことはできないだろうかという声が出てきました。次の教会を担う世代、若い母親の世代の信仰教育の必要性を感じながらも、ほとんど手付かずでしたので、このような参加者の希望は、若い世代からの率直な声として、教会の中でも積極的に評価され、早速教会役員会で取り上げられ、シスターにクラスの定期的開催を依頼することとなったのです。

 *毎月一回(土曜日午後1時より3時まで)
 *内容:具体的な問題を通してキリスト者の生き方の本質に迫る
    家庭内の平和・交わり、世界のすべての家庭のために共に祈る
    具体的問題と関連の聖書箇所、または日曜のミサ朗読箇所のわかち合い
 *集会中、子供たちはボランティアと一緒

回を重ねるごとに、参加者たちが気づいていったことは、自分たちが子供たちに信仰を伝達するには、方法論・知識以前に、自分たちが日々の生活で信仰の本質を学び、自らの信仰を見直していかなければならないということです。子育ては、まさに親育て(自分育て)であるということを、身にしみて感じるようになったというのが参加者の実感のようです。

現在この会は、共同宣教司牧の四つの教会にも開かれ、ガールスカウトの団員の母親の方も参加しておられます。また子育てを終えられた方々で、今度は孫の信仰教育に関わるものとして参加されている方もあります。クラスの間、ボランティアの方が子供たちを預かりますので、お母さんたちは安心して参加することができます。

宇治・青谷・田辺・精華の共同宣教司牧地区は、京都司教区の中で、最後に共同宣教司牧になった地区のひとつです。共同宣教司牧の目的は、わたしたちが福音宣教する共同体になることにあるといわれます。それならば、わたしたちにとって根本的に必要なことは、わたしたちがキリストの福音に触れ、それを日々の生活のなかで、つまり家庭生活のなかで、子育てのなかで、地域社会とのつながりのなかで、いかにダイナミックに、また地道に生きるということなしにはありえないのではないでしょうか。そのような中で、「子育て中の母親の集い」は、現代社会の必要に即した信徒の信仰養成のひとつの試みとして評価されるのではないでしょうか。

時報TOPに戻る



カトリック福音センター ニュース


〜主ご自身が建ててくださるのでなければ家を建てる人の労苦はむなしい〜(詩編 127・1)

新しく結ばれた人にとってマイホームは大きな夢ですが、残念ながらわが国で家をもつのはたやすくありません。今は金利が安いからという口車にのせられてマンションを購入しても、先行き不安なこの時代にローンはずっしりと重くサラリーマンの肩にのしかかります。

 ところでこれほど大変な思いをして建てた家で、家族はいったい何をめざすのでしょう。家族の健康と安らぎ、子供の教育そして昨今の家庭であれば夫婦の自己実現というのも入るかもしれません。しかしちょっと目を転じて旧約の世界を見ると、家の大きな役割のひとつに宗教教育というのがありました。神から受けた過去のめぐみを想起し、やがて来られるメシアを待ち望むことを人々は家庭のなかで綿々と伝えていったのです。

 今、日本で叫ばれている「心の教育」ではいったい何を伝えていくでしょう。もしもその根幹に、人間を超えた何ものかに向かって手を合わせる大人たちの姿が家庭にないならその「教育」は文字どおり空念仏になりかねません。

 やがて待降節が始まります。今年は「幼いイスエ様を待つ」ことを家族共通の出来事として挑戦してみてはいかがでしょう。

    〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜〜 〜 〜 〜 〜
 

2003年 結婚講座ご案内


   第20回 日程 1月25日、2月 8日、2月22日

   第21回 日程 7月12日、7月19日、7月26日

     〒604-8855 京都市中京区壬生淵田町26  カトリック福音センター
     

      Eメール : fukuin@kyoto.catholic.jp




   人はなぜ結婚するのか人はなぜ結婚することが必要なのか
     
……『生への冒険』(P.トゥルニエ)……

「結婚とは正直さの大きな冒険であり、このことが結婚にゆたかな人間的価値を与えてくれるのである。」結婚は、夫と妻がうそをつき合ったり、なにかをただ隠したりするだけで、もう冒険ではなくなってしまう。ときにそれは争いを避けようとする立派な意図から出ているのではある。だが彼らの結婚生活は、どんよりした薄明の中にぼけてしまうかもしれ知れず、二人ともの生活をただの惰性に、しまいには倦怠にしてしまう恐れがある。反対に二人がお互いにいかにつらくても、また透明になろうという勇気をもつと、その時から彼らの結婚はまた豊かな冒険となるのである。彼らは新たに成長し、かつて平和と引き換えに避けて通ろうとした相互に適応すべき諸問題に取組み、多くの偏見から解放され、二人とも自分自身を超えて行くことになるはずである。

神が『人はひとりでいるのはよろしくない』(創2:18)と言われたのもこのためである。人はひとりでいると、冒険精神を急激に失ってしまう。彼はこちこちになり、やがて自分自身について幻想を抱くようになり、自分に対してうそを言うようになる。彼が自分自身を知ることを学ぶのは他人との出会いや、真摯で深い対話の中でである。それは心理学者の書斎で起こるかもしれないし、夫婦の差し向かいの中で起こることかもしれない。心理的治療は一時的なものだが、結婚は一生続くのだ。そして、結婚は夫婦のおのおのが成熟することを促すと同時に彼らの結合を強めるような、絶えざる冒険の更新の貴重な手段であるのだ。

P.トゥルニエは、結婚生活を「人間に与えられた大きな冒険」の一つととらえ、しかもそれが「絶えざる自己発見や自己超越のまたとない」契機を含むものであると考え、そうした発展の条件を「お互いが自分のうちから、うそ、偽りを遠ざけて透明度を増す」ことに求めたことに私は驚いた。(「今を生きるキリスト者」工藤信夫著より)

人はみな本心、深いところで自分自身の透明度を増したいという願いをもっているのではないでしょうか。


    好きになると
  
  好きになると  すべてが美しく 陽の光にあふれる

   野に咲く花  小鳥のさえずり  ポプラ並木  小川のせせらぎ

    山の牛 子どもの絵 親しい友 解放したドア 客のもてなし

      病気の人への見舞いの花 ほほえみ 教会のなかの静けさ

 人生はお祭りになる  単純なありふれたことが  好きになると―

                         『こころのビタミン』(フィル・ボスマンス著より)


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 

時報TOPに戻る


聖書講座シリーズ 「一〇〇匹の羊の群れ」 7/17・18

旅人の宿なる教会 
諏訪栄治郎神父

 ジャパゆきさんといわれたフィリピン女性との出会い、ボートピープルとしてベトナムから来た難民神学生との出会い。この二つの出会いは、私によその国に来て不安定な状況の中で生きることの辛さをどのくらいわかっているのかという問題を提起しました。  

私も少しの間ですが、フィリピンに行き、言葉の通じない暮らしの中で、研究所の入学許可が下りるかどうかを待つという不安な日々を経験しました。ですから外国から来た青年達が、仕送りをし、生活していく、そうしているうちにオーバーステイになる。どんなに不安な生活でしょうか? このような方がたくさん日本におられます。

 国内でも色々な事情から家族と離れて生活している人、仕事を求めて都会に来たけど仕事が探せず、お金も使い果たしホームレスになった人という場合です。公園で、駅で生活しようとすれば役所から、地域の人々から追い出される。このような旅人はどこで安心すればいいのでしょうか。

 教会の中でもありますね。長崎の青年と結婚して三十年たって洗礼を受け、彼の家に行って洗礼を受けたことを報告した時、ニコッと笑い、初めて口を聞いてもらえたというご婦人がいました。教会の中にもそうした「よそ者」の考え、未洗者を家族として認められないという状況があるのです。

 社会活動神戸センターに、来日した、父親も亡くなった一人ぼっちのブラジル人の青年が来るのですが、彼が「やくざの世界のほうが親切や」と言います。一般の人々の目は冷たい、居場所がないと言います。こうした状況の中で教会は何を考えるのかということです。  

「旅人」に対して、お互い人間なのだからという心になっていない、反対に「ややこしい人がいる」という状況で見続けてしまいます。旅人という時、私達は本当に不安定な状況におかれている人々がたくさんいるということをまず知っておくべきです。そして現在、外国人住民基本法、これは外国から来た人々を日本人と同じように大事にしてほしいという法律案ですが、実際はまだ受け入れられていません。外国人が住みにくい国は、日本人にとっても住みにくい国になっているのかもしれません。  この人々が頼りたい場所の一つとして教会があります。その教会がどのように対応していくのかということを問題提起したいと思います。申命記、レビ記にゲール(寄留者)をどのように受け止めるかということがたくさん書かれています。この旧約の神学者達はゲール法という法律を作ります。基本的な考え方は「この大地は誰のものか?」という発想です。レビ記十九章九節には、難民(寄留者)を受け止め守ろうとすることが律法として出てきます。出エジプト記の二二章二十節には、あらゆる場面にゲール法がちりばめられています。しかし、アブラハムの体験、イザクの体験から難解な問題であったことがわかります。創世記二六章には、ゲールとしてのイザクが生活が豊かになったことを嫉まれ、移動させられ移り住もうとした場所で、井戸をめぐりことごとく争いが生じ、寄留者は生きていけないという状況が起こります。しかし「彼らは広い場所に出た」と書かれています(二二節)。それは場所としてではなく交わりとしての「広がり」ということだと思っています。

神の業というのは大きなことをして世の中が変わるのではなく、小さなことを始め、それを積み上げていくことで世の中が変わっていく、神の業は「小さな人」をとおして私達に「何かおかしい」と気づかせてくれると思うのです。ゲールに対しても助けてあげるという哀れみでもなく、彼らは、私達に「広い場所」に招きだしてくれるのです。  神の国というのは「広がり」であるということが、言えるかと思います。ゲールを通して、私達はみんな旅人である、広い場所に出る、という考え方が基本だと思います。

時報TOPに戻る


こんにちはシスター:
 
ヌヴェール愛徳修道会 深草修道院


Sr 中原和子(写真右)
Sr 安藤敬子(写真左)

 私達の修道院は一九九四年、京阪藤森駅に近い庶民的な地域で、次のような望みをもって発足しました。

1 社会の現実を肌で感じながら、地域の方々と共に生きることを学ぶ。
2 地域の方々の中に、主イエス・キリストの救いのよろこびが伝えられることを望む。
3 キリストのみ跡に従って生きるわたしたちの共同体が、特に貧しい人々、生きることの意味を探し求める人々に開かれた場となることを望む。

 現在二名の姉妹がここで共同生活をしています。ひとりは聖母学院幼稚園に勤務。幼い子どもたちが命の大切さを知り、その素直な心にまかれる神の愛の種が日毎に成長していくのを見守るとともに、保護者のさまざまな問題をしっかりと受け止めながら、その喜びと苦悩をともに生きるようつとめています。

 一人は、滞日外国人労働者を支援する京都YWCA APT(Asian People Together) のメンバーとして取り組んでいます。病院や行政機関への同伴・通訳、孤独に生きる彼らとの個人的なかかわり等々。また学校関係者や社会人と一緒に週に二度聖書を読む機会を持っています。

 こうしてそれぞれが使徒職の場で頂く宝を分かち合い、ともに祈りのうちに、人間を抑圧するものに心傷つき、命を回復させるために情熱を傾けてくださる御父のみ心の愛の観想から力を汲み取りながら、極みまでご自身を与え尽くされた主イエスに一致して歩み続ける毎日です。「愛以外のいかなることにも、決してかかわってはなりません。不幸な人々以外のことに、決して関心をもってはなりません」という創立者の思いを深く心に刻みながら。

時報TOPに戻る

福祉の窓 :  ディサービスセンター 真愛の家



 当センターの母体施設である「寿荘」は、一九六八年五月、当時のレデンプトリスチン女子修道会によって京都府最初の特別養護老人ホームとして舞鶴に設立され、社会福祉法人京都司教区カリタス会の一員として歩み始めました。

 七〇年、運営は聖母訪問会に引き継がれ、七五年には定員六〇人まで増床する等順調に発展しました。折からの高齢化問題に対応すべく、施設サービスだけではなく、いち早く在宅サービスのモデル事業を開始し、現在の在宅サービスの基礎となる事業を始めました。

 九一年、同じカトリック福祉の理念のもとに信徒で構成する新たな法人「真愛の家」を設立し、聖母訪問会より経営を引き継ぎました。

 少子・高齢化に向けて在宅サービス充実のため、九二年、日帰り通所サービスであるデイサービス、相談・援助のための在宅介護支援センター、ホームヘルプサービス事業が開始されました。現在では当センターを中心にデイサービスセンター三か所、ヘルパーステーション二か所、在宅介護支援センター二か所を運営しています。

加えて、本年三月、母体の老人ホームの建て替えが完了し、定員百十名短期入所十五名、痴呆性老人のためのグループホーム九名の新施設が竣工し、市民や教会の方々、運営移管後も暖かく見守って下さる聖母訪問会のご協力のもと、市内でも基幹的な施設となることができました。

 一人ひとりの人生の中に神さまが蒔かれた福音の種とその実りをお年寄りと共に確認しながらカトリック施設として恥じないようこれからも一歩ずつ進みたいと念じています。

時報TOPに戻る



待降節   『典礼暦年と典礼暦に関する一般原則』
 


待降節
 『典礼暦年と典礼暦に関する一般原則』(カトリック中央協議会)39には次のようにある。

 「待降節は二重の特質をもつ。それはまず、神の子の第一の来臨を追憶する降誕の祭典のための準備期間であり、また同時に、その追憶を通して、終末におけるキリストの第二の来臨の待望へと心を向ける期間でもある。この二つの理由から、待降節は愛と喜びに包まれた待望のときであることが明らかになってくる」

 降誕祭つまりクリスマスを待つことが待降節の意味合いだと理解されることが多いが、それだけでは十分ではないことが察せられる。そういえば四つの福音書のうちイエスの誕生に関する直接的な記事は、マタイとルカだけで、ヨハネにおいては「ことば」(ロゴス)の先在として描かれ、マルコではイエスの登場はその洗礼の場面からである。イエス誕生への関心は福音書においては半々だといえる。

 考えなければならないのは、イエス誕生がただ「めでたい」という感情に終わってはならないということである。むしろイエスの誕生によって表されている事柄は何かということ、そしてそれを待つことの重要性をうけとめることである。このことは、旧約の民が待ちわびていたことと「今」のわたしたちが待ちわびていることに関連している。     (典礼委員会)

時報TOPに戻る

良書紹介

  レイモンド・ブラウン 『キリストは近づいている 待降節の福音 マタイ、ルカ一章』
                 『降誕物語におけるキリスト 降誕節の福音 マタイ、ルカ二章』
      女子パウロ会

 待降節と降誕節に朗読される、マタイ、ルカ一章、二章の、優れた聖書解説の二書である。
 この二書は少し専門的すぎると思われるのかも知れないが、これを読むことにより、降誕物語がどの様にして生まれ、どの様に理解されて行ったか、そのメッセージがどこにあるかを知ることが出来るでしょう。

 クリスマスの出来事は、私たち信仰者だけでなく、多くの人々にとり、あたたかく優しい物語であるだけに、善意や優しさが数多くのクリスマス物語を造りだした。 

しかし、聖書には降誕の記事は、マタイ一章〜二章、ルカ一章〜二章、ヨハネの序言だけにしか書かれていない。そこで多くの「福音書外典」や伝説的な誕生物語、又、いろんなクリスマス物語が生み出されて来たのだが、それはどこまで史実であり、どの様に信仰の所産なのだろうか。

 又、福音書それ事態、イエス様の誕生は、たった一行マタイ1・23、ルカ2・7で書く。それに又マタイとルカの書き方が違うのは何故だろう。

 又、誰からこの情報を得たのだろうと考えると、ますます心細く、いろいろな憶測を立ててみなければなりません。
 一つ是非理解しておかねばならないことがあります。

 誕生物語の報せは、弟子たちの宣教の中には出て来ないし、イエスご自身ですら、ご自分の誕生物語語られなかった。
 弟子たちが告げ報せたのは、あの私たちのため十字架上で死に、復活されたキリストが今、私たちに生き、働き、生かしていて下さると言うことだったのです。

 そこで結論を申します。
イエスの誕生物語は、
復活されたイエス・キリストと言う視点から黙想し直された物語だと言うことです。それ故、私たちも、死・復活・昇天という視点から、クリスマスの出来事を観想するのです。

時報TOPに戻る

青WYDに参加して 土岐仁美


7月21日〜8月1日まで、ワールドユースデイ(WYD=世界青年の日)トロント大会に行ってきました。大会期間中は,170カ国から50万人以上が集まり、日本の巡礼団からは84人、教区からは11名の青年が参加しました。

大会期間中のプログラムは、3司教(溝部司教・大塚司教・松浦司教)のカテケージスとミサが3日間、アジアの青年との交わり、十字架の道行、教皇様の夕べの祈り、ミサとたくさんありました。また、日中の暑さと、世界の青年のパワーには驚きました。

 WYDのテーマは「あなたがたは地の塩 世の光」です。このテーマに沿って、2司教のカテケージスが行われました。私はこのテーマについて参加するまでは理解が出来ませんでした。でも、司教様たちの話を聞くうちに、徐々に理解することが出来ました。その中でいわれた言葉が私の中に強く残っています。それは「洗礼を通して、地の塩となって生きること、上からの恵み、私の力ではなく、上からの力で、水によって変えられる」・「キリスト共に世の光となって輝き歩こう」です。また、松浦司教のカテケージスでは、神との和解、赦しについて考えさせられました。私は、この時に自分自身の信仰について考え、また見つめ直すことが出来ました。

 私はこのWYDで、教区を越えて同じ信仰を持った人との出会いがとても嬉しかったです。今まで、大きな出会いがなかった私にこの出会いを与えて下さったのだと思います。洗礼を受けてもうすぐ8年になりますが、今この地にいなければWYDへ行くことがなかったかもしれません。私にとってこの体験は非常に大切なものです。そして、超教区の青年との交わりがいかに大切であるかが実感でき、今はとても感謝の気持ちで一杯です。

 ありがとう! 私をWYDへ送り出してくれたみなさん。

最後に教皇様の言葉をお送りします。

    「あなたがたは地の塩 世の光、神の愛の証人なのです」



青年センター電話075‐822‐6246  Fax075‐812‐6685
 E-mail  seinen@kyoto.catholic.jp
 京都カトリック青年センターHomePage http://www.kyoto.catholic.jp/seinen/

時報TOPに戻る

大塚司教の11月度スケジュール  


2日(土)伊勢・マリア保育園訪問
3日()衣笠墓地墓参
4日(月)大本教第2回世界宗教者祈りとフォーラム
5日(火)青少年委員会14時
6日(水)中央協機構改革委員会15時
7日(木)中央協常任司教委員会10時 新聞チーム会議14時
9日(土)精華聖マリア幼稚園創立50周年
10日()滋賀地区・湖西ブロック共同宣教司牧 司教訪問ミサと集会
12日(火)〜14日(木)日韓司教交流会(韓国)

17日()三重地区・中勢ブロック共同宣教司牧 司教訪問ミサと集会
19日(火)大阪合同顧問会15時
20日(水)教区国際協力委員会拡大担当者会議14時
21日(木)司教顧問会・責任役員会10時 司祭評議会常任委員会14時 教区司祭追悼ミサ16時半
23日(土)司教座聖堂35周年記念ミサ11時     祝賀会12時半

24日()ラテンアメリカ共同体堅信18時
25日(月)〜26日(火)青少年委員会研修会
26日(火)東京カトリック神学院
27日(水)神学校常任司教委員会9時
28日(木)司祭全体集会10時半 司祭評議会15時
30日(土)教区会計担当者説明会


時報TOPに戻る

教区内の活動予定、お知らせ

○河原町司教座聖堂献堂三十五周年・改修感謝ミサ23日(祝)11時

 福音センター 青年センター  .教区委員会 修道会 
 地区協議会 小教区から  教育関係施設から  諸施設・諸活動から 他



福音センターから

◆養成コース
 ▼祈りU―わたしのもとに来るが良い。囚われから自由になる― 15日(金)〜17日(日)
    場所 唐崎ノートルダム修道院 指導 松本秀友師、Sr安井 申込み5日(火)まで

教区委員会から

◆聖書委員会
 ▼聖書深読9日(土) 10時〜16時 奥村一郎師 
    場所 河原町会館6階 費用二千五百円(昼食代を含む)、持参品 聖書・筆記用具・ノート(お申込みは5日前までに)

◆典礼委員会
 ▼教会の祈りと聖体賛美式 第一日曜日17時半 河原町教会、第三土曜日16時半 衣笠カルメル修道会

◆信仰教育委員会
 ▼祈りの集い―青年のための聖書深読―23日(祝)〜24日(日)
    唐崎ノートルダム祈りの家 参加費四千五百円 申し込みSr安達 電話075(231)2017

◆カトリック正義と平和京都協議会
 ▼宗教と差別シンポジウム「生きるための人権」17日(日)14時 河原町教会聖堂 谷大二司教


修道会から

◆ノートルダム唐崎修道院
 ▼召命黙想会―道を求めて―2日(土)〜3日(日)対象 青年男女 会費三千円 問合わせ 電話077(579)2884 Sr安井

◆カルメル会修道院
 ▼講演とミサ「神はわたしの内に、わたしは神の内に」 17日(日)13時半 
    場所 京都女子カルメル会修道院(衣笠)講師 北村善朗師 問合せ電話075(462)6764



地区協議会から

◆京都南部カトリック協議会
 ▼ウオーカソン4日(振休)開会式 河原町教会9時半 
   支援先 @療育作業所向島ぐんぐんハウス A希望の家 Bルワンダ内戦による障害者 Cペルーのストリートチルドレン
 ▼東ブロック「歌と祈りの集い―平和―」(合同聖歌隊による聖歌)12月1日(日)15時 河原町教会聖堂 

◆滋賀カトリック協議会
 ▼例会17日(日)13時半 唐崎教会
 ▼びわこウオーカソン23日(祝)彦根教会10時集合 支援先 ひかり福祉会(長浜市)、止揚学園

◆奈良カトリック協議会
 ▼例会17日(日)14時 大和郡山教会
 ▼浦上切支丹流配者記念ミサ3日(日)9時 大和郡山教会
 ▼正義と平和奈良協議会一日研修会4日(振替休日)10時 大和八木教会


小教区から

◆京都コリアンカトリックセンター
 ▼韓国聖地巡礼の旅12日(火)〜15日(金)

◆大和郡山教会
 ▼バザー24日(日)10時


教育関係施設から

◆セントヨゼフ女子学園
 ▼ウオーカソン16日(土)

◆聖母教育文化センター
 ▼聖書講座 毎週金曜日(第5はお休み)9時半、月曜日(原則第2・4)19時 講師 安藤敬子(ヌヴェール愛徳会)
 ▼日曜巡礼の旅「伏見のキリシタン」10日(日)13時 京阪中書島駅改札口 三俣俊二先生
 ▼子育て講演会「子育てに大切なもの」19日(火)9時半 講師宮下正子(学研幼児教室マネージャー)


諸施設・諸活動から


◆衣笠墓地合同墓参 3日(日)14時

◆JOC
 ▼集会9日(土)17時 滋賀働く人の家(大津教会裏)
 ▼30代の集まり9日(土)19時半 京都働く人の家(九条教会前)問合せ090(8207)1831

◆希望の家
 ▼バザー「みんなスマイル〜平和の風を〜」10日(日)9時 即売、食堂、模擬店、文化祭、アトラクション、抽選会 
   問合せ075(691)5615

◆ヴォーカル・アンサンブル カペラ京都公演
   「15世紀フランス王室『死者の日』のためのミサ(8人の歌手によるアカペラ・アンサンブル、音楽監督 花井哲郎)
   5日(火)19時 河原町教会 前売三千円 問合せ 電話・FAX072(228)5288井上まで

◆京都カトリック混声合唱団
 ▼練習日10日(日)14時 河原町会館6階和室、23日(祝)19時 河原町会館六階

◆京都キリシタン研究会
 ▼定例会24日(日)河原町会館6階ホール

◆コーロチェレステ
 ▼練習第2、第4、第5木曜日10時〜12時 河原町会館6階ホール

◆在世フランシスコ会
 ▼京都兄弟会16日(土)13時半フランシスコの家

◆聖ビンセンシオ・ア・パウロ会
 ▼例会(河原町協議会)10日(日)13時半 河原町教会
 ▼京都中央理事会24日(日)13時半 河原町教会

◆糠みその会
 ▼例会28日(木)19時45分九条教会ホール

◆レジオ・マリエ
 ▼コミチウム10日(日)13時半 河原町会館6階

◆「一万匹の蟻運動」基金報告
     累計 三三、二三〇、八二〇円 (9月17日現在)



本部事務局から

 司教座聖堂35周年大改修工事友情献金は、9月30日現在三、四五二、六〇九円です。
ご協力ありがとうございます。引き続き、よろしくご協力お願い致します






編集部から

 来年度年間予定 一月号に2003年の年間予定を掲載します。
  締切11月20日(水)までに、「教区時報宛」と明記して、
FAX075(211)3041 または、henshu◎kyoto.catholic.jp に、発信者のお名前を明記してお寄せください。
(スパムメール防止のためこのようにしています。◎を@に変えてメールをお送りください)


時報TOPに戻る