2005/10 No.335
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<京都教区時報 2005年10月号目次>

・1  キリストのからだである教会

・2 多国籍共同体に向かう事例:  大和郡山教会

・3  聖書講座シリーズ「マタイ福音書を読む」6/29・30
     宣教への派遣  江川 憲神父(神言会)神父


・4 生涯養成の一環として第一回基礎講座(キリストとの旅)

・5 福音センターニュース;案内.:祈りU案内 内なる沈黙を聴く
    ・私の福音宣響 シリーズ(13)

・6   教区中学生広島平和巡礼(8月4日〜6日)
     感 想 文


・7 良書紹介 :『しらんぷり』

・8  青年センター:2005年高校生会夏合宿in三重
   
・9  大塚司教の10月のスケジュール

・10 お知らせ


キリストのからだである教会


 聖体拝領は、キリストのからだである教会が一致するよう力づけます。聖パウロは、聖体の会食にあずかることによって得られるこの一致をもたらす力について、コリントの信徒に向けてこう語っています。「私たちが裂くパンは、キリストのからだにあずかることではないか。パンは一つだから、私たちは、大勢でも一つのからだです。皆が一つのパンを分けて食べるからです」(1コリント10・16〜17)。

 聖ヨハネ・クリゾストモのこの個所についての注解は、深く洞察に富んでいます。「パンとは何でしょうか。キリストのからだです。そして、それを受ける人は何になるのでしょうか。キリストのからだになるのです。それも多くのからだではなく、一つのからだになるのです。多くの小麦の粒からつくられていても、パンはまったく一つですし、また、たとえ目に見えなくても、これらの小麦の粒は残っています」。
(教皇ヨハネ・パウロ二世回勅「教会にいのちを与える聖体」より引用)


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多国籍共同体に向かう事例
 大和郡山教会 
 坂口 公子


 ちょうど十五、六年程前ぐらいから郡山教会に滞日外国人の方達の姿が見られるようになりました。その当時、不法滞在、不法就労、という話題がメディアを賑わしていたことはまだ記憶に新しいことです。郡山教会もそういう方々の為に援助協力と支援をしました。
 しかし、その時はただ教会の一員として支援したのは少なくとも私だけではなかったとおもいます。

 8年前、国際協力の窓口が各教会に設置されることになり人手不足のおりから名前だけの窓口を引き受ける結果となりました。何の知識や見解も無く人ごとのように思っていた私の前に、当時幼い子供を伴って就労しに来ているブラジル人の家族たちが訪れました。言葉は勿論のこと異文化の生活習慣の中での彼らの心情は、計り知れないほどの苦労がありました。しかし彼らの教会に寄せる深い信頼と思いに私は心打たれ、目を開かされる思いをしたことが今でも忘れられない事のひとつです。そんな折、フィリピンから2人のシスターが滞日フィリピン人の支援の為に派遣され、郡山教会に滞在されることになりました。それに、インドネシアやベトナムの留学生たちも加わり新たな外国人も訪れるようになりました。ミサに与るだけでは教会でのコミュニケーションが出来ない、彼らと私たちが少しでも郡山共同体として融合できるように…、と願っていたある日「聖書はどんな言葉で書かれてあっても世界共通だものね」という声が聞こえました。早速神父様と典礼担当の方にお願いした結果、次の週からミサのみ言葉は各国の言葉で朗読することになりました。もちろん郡山共同体の皆は彼らを知り、み言葉を聴き、暖かく受け入れてくださった事は言うまでもありません。これは一つの出来事です、8年間の流れの中で神様が導いてくださった沢山のお恵みを、私は筆では書き記せないもどかしさを感じます。どんな国のどんな人でも同じ神様を信じていることの信頼感が愛することに繋がりました。皆様どうぞ、私たちの郡山共同体を訪ねてきてください。

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聖書講座シリーズ「マタイ福音書を読む」6/29・30
宣教への派遣
  江川 憲神父(神言会)


 今日のマタイ福音書の最初9章35節に、「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。」とあるが、この言葉は4章23節の「イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。」とほとんど同じであり、この2つの言葉は、5章〜7章の山上の説教とそれを行動で示す8章〜9章のいやしの、初めと終わりに置かれていて、終わりの言葉であると同時に、今日の物語の始めでもある。マタイの目的は、イエスの教えと行動を示すことだけではなく、それらを模範として弟子たちを宣教派遣することであり、前段の9章35節から10章5節aまでで宣教の背景が、5節bから派遣に当たっての説教が述べられている。

 5節aまでの宣教の背景の中で、宣教の目的は、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見てイエスが(断腸の思いで)深く憐れまれて、弟子たちに権能を与えて遣わすためだとはっきり述べられている。今の日本では親が子を殺し、子が親を殺すという悲惨な事件が相次ぎ、まさに飼い主のいない羊のような状況である。私たちは信仰をいただいているお恵みを感謝するだけではなく、福音宣教共同体としてイエスが弟子たちに与えられた使命を私たち自身も持っているのである。

 十二使徒の名前が上げられ、「まずペトロと呼ばれるシモン」とある。ここで「まず」という言葉が使われているが、単に順番の最初という意味ではない。原文では「第一」という言葉が使われている。ペトロは度々信仰告白し、イエスから「岩」と呼ばれ、「天の国の鍵を授ける」とも言われ、初代教皇である。しかし、ペトロは決して強くて立派だから選ばれたのではない。第一の受難の予告の場面では、「サタン退け」と言われており、またイエスを3回知らないと言ってもいる。それにもかかわらず第一に選ばれたのは、彼の弱さ故である。このことによって、私たちも自分が強くて立派だからではなく、弱さ、限界の中で恵みを受け取るなら、宣教に使わされた弟子としてしっかり歩んでゆけるのである。

 5節bからの宣教派遣の説教は、
  1.派遣された者の使命
  2.宣教派遣と迫害
  3.宣教派遣に伴う出来事
と大きく3つに分けられる。

 派遣された者の使命では、「イスラエルだけに行きなさい」と言われている。イエスは最終的に、28章19節で全世界に行って「すべての民をわたしの弟子にしなさい。」と言っておられるが、ここでは救いの歴史の観点からまずイスラエルに向かうようにと命じておられる。派遣されて行うこととしては、「天の国は近づいた」と宣べ伝え、病人をいやし、無償の恵みを他の人に与えることが命じられる。

 宣教派遣と迫害については、ユダヤ人、総督、王、兄弟、家族、主人などが迫害するものとなるが、「恐れるな」と3回言われる。現代の日本でもよく起こることであるが、私たちは「自分がカトリック者である」ということをはっきり言えるかどうか。はっきり信仰告白することは勇気がいる場合が多い。もし、だまっていたり知らないと言ったら、天の父の前で知らないと言われる。

 宣教派遣に伴う出来事として、「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだと思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。」と言われる。この個所はあたかも戦争を肯定しているような表現として言葉通り受け取ることは間違いであり、終末的な世界でイエスへ徹底的に従うことを教えている。自分が何を選び取っていくかを問われている。イエスご自身は当然暴力の行使に反対である。十字架を担って従うことが大切である。「わたしを受け入れ、小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける」と言われている。
 11章1節は物語の結びであると同時に新たな始まりでもある。




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生涯養成の一環として
第一回基礎講座(キリストとの旅)
京都カトリック福音センター



 福音センターが、生涯養成担当委員と司祭、信徒の協力をへて実施した「福音センター基礎講座」の第一回目が去る6月11日に終了しました。教区時報の紙面をお借りしてその概要をご報告いたします。

目 的
 2003年10月に始まった最初の企画会議では、「京都教区の信徒の信仰生活に必要な基本的知識を提供し、共同宣教司牧を推進する一助となるような講座」をつくりたいということが合意されています。その後も話し合いを重ね、最終的に「わたしたちが直面する人生の様々な現実に、わたしたちはどのようにかかわっているだろうか。それに対しイエスはどのようにかかわられたか。その両者を確認するなかからイエス・キリストのまなざしで出来事をながめることを学び、イス・キリストはわたしにとって誰か、その救いとは何かをさぐる」ことを講座の目的としました。
その後上記の「人生の様々な現実」は、「病・死・孤独と疎外」となり、そこからの解放としての「救い」を「破綻した関わりの回復」としてとらえることに決まりました。さらに企画メンバーが望んだのは、講座そのものが「共同宣教司牧」の学びやとなる、つまり講師と参加者、そして参加者同士が同じ課題を共に深めあう場を提供するということでした。こうして企画のメンバー5名を講師に、5回のシリーズで「キリストとの旅」(シリーズの名称)が始まりました。

振り返って
 講座の終わりに、参加者のアンケートと座談会、そしてそれらをもとにした企画メンバーによるミーティングがもたれました。詳細をご報告することはできませんが、概略はつぎのようなものでした。「講座全体に一貫した流れがありよく準備されている。しかしテーマの取り方が広範すぎること、参加者と講師が共に課題を深めあう方法にも一考の余地がある。」
今後の参考にさせていただきます。

今後に向けて
 来年度の講座を具体的にどのようにするかは現在検討中ですが、貴重な経験からいくつかの柱が浮かび上がってきたと思われます。まず内容は、「スリムに深く」が原則です。テーマを絞り込みながら、奥行きのある内容に。講師もまた「スリム」に。つまり人数をしぼり、講師間の連絡を容易にする。さらに講師と参加者、加えて参加者同士が共に歩む方法を再検討し、講座全体のコーディネーターをおくといった課題があります。

終わりに
 複数の人が共に何かを創造していくことの難しさは共同宣教司牧にはつきものです。その試行錯誤の中から全体像が少しずつでも浮かび上がってくることを祈りながら、次の段階に進みたいと願います。
 最後に、この講座は講師から参加者への一方通行の講座ではありません。その目的を達成するために信徒の方々の積極的な参加とかかわりをお待ちしています
第一回基礎講座の内容

場 所 河原町会館8階
日 時 毎回土曜日 午後2時〜4時半

4月9日 神・人・もの―かかわりの神秘  伊従信子氏
4月日 病からの解放へ           P・ウイックス師
5月日 死からの解放―復活へ       北村善朗師
5月日 孤独・疎外からの解放へ      外崎豊師
6月% 救い                   村上透磨師

すすめ方 前半に講師の話を聴き、後半、それをもとに分かち合いをしました
参加者  約趨シ


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カトリック福音センター ニュース

祈りU案内 

― 『祈りU案内 内なる沈黙を聴く』 ― 
― 本当の自分と神に出会う ―

 「あなた方は自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」(Tコリ 3:16)

「私たちの内には、神の霊が宿っていてその霊は私たちを神に向かって成長させようと働きかけています」(エフェソ 3:16)とパウロは語っています。


 一人ひとりの内奥には隠れた部分があって、そこに最も深い自己(本当の自分)が潜んでいます。心の中は、様々な思いや感情でおおわれていて、その陰に本当の自分が隠れているのです。神はともにいて霊において働きかけ御自分に引きよせて下さるのです。
そのため私が神の霊を意識し、自分の心の内に何が起こっているかを知り自分に気づくことが大切です。 

 今回の祈りコースUでは、本当の自分に気づけるよう、静けさの中でとどまり耳を傾け、味わうこと、分かちあうことの学びをします。この祈りの体験を通して「知る力と見抜く力を身につけ、愛がますます豊かになり本当に重要なことが見分けられ」(フィリピ 1)本当の自分への成長の道へと導かれますよう願っています。琵琶湖畔での二泊三日が深い静けさの中で自分をたて直す時となりますように。参加をお待ちしています。

日 時:2005年11月18日(金)午後4時 〜 20日(日) 午後3時半
指 導:松本秀友師(京都教区)
福音センター(Sr.安井昌子 ・ Sr.中山真里)
会 場:唐崎ノートルダム修道院(大津市唐崎1-3-1)
JR湖西線唐崎駅(京都駅から15分)下車 徒歩10分

申込み 11月10日(木) までに
振替用紙に、郵便番号・住所・氏名・参加コース・電話/ファックス・教会名をご記入の上、
参加費 20,000円を下記へお振込み下さい。
郵便振替口座 (00920-4-161844 カトリック福音センター養成コース)
〒604-8006 京都市中京区河原町三条上ル 京都カトリツク福音センター
Tel 075-229-6800 Fax 075-256-0090 E-mail fukuin@kyoto.catholic.jp


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私の福音宣  シリーズ(13)

  キリストを知らない人たちとの「よきおとずれ」の響きあいを求める「聖母の小さな学校」。今回はそこからの寄稿をいただいた。筆者は「私の福音宣教」ではなく「私たちの福音宣教」だと語られる。


 聖母の小さな学校 梅澤良子(西舞鶴教会)

 社会学でソーシャル・インクルージョンという言葉が使われ始めて随分時間が経ちました。社会問題への対応と対策における新たな形として出てきた考えです。 

 現代社会の困難さを生きている現場ではまさに、インクルージョン(包み込む)的発想に基づいて様々な事が動き始めているようにおもいます。例えば8月号当時報の表紙絵もまさにこのことの表れです。社会的弱者を包み込み育ち合う社会を、教会も求めているのではないでしょうか。共同宣教司牧もそのひとつでしょう。個人的にも(負)を自分の内に在るものとして包み込んで生きていくのが当たり前の生き方です。にもかかわらず、逆に現代社会は厳しく負を排除しようとします。だから個人も自身の負を排除しなければ存在できないような状況に追いやられていきます。こういう社会や私たちの在り方が子供たちにも強く影響を与え、子供たちは、人や社会と、いや物事の全てと関係付けることを不安に感じるようになり、同時に過剰な自己防衛的態度を身につけるようになりました。
 
 その一つの現れが不登校の子供たちといえます。社会や学校がこの子供たちをインクルージョンしそれぞれの個人の負の部分もしっかり抱え込ませながら生きていくことが可能になることを願って聖母の小さな学校は始まりました(負は成長と共に変化します)。

 負は「当然あるべきもの」ですから社会も個人も包み込みます。そしてその負が社会参画の主体として存在し、すでにある社会と互いに考え方をかえて新しい社会や個人を作っていくことになるのだと思います。
 その負と共に在るあり方は祈りや生活や教育や様々な形があるのでしょう。聖母の小さな学校も教会関係者はじめ多くの方々に支えられています。教育に関して申しますと公立の学校の先生方との協働があります。先生方は何らかの関心を持って不登校の子供たちに、即ち聖母の小さな学校に損をすることを覚悟で近づいてくださいます(心と体を無償で提供し、時にはむなしさや自分の力の限界を味わわねばなりません)。それを覚悟で全てを捧げた時に『99人の為の教育ではなく1人の為の教育』が可能になります。

 ある時、4年間不登校だった生徒と柔道をおしえてもらう為に中学校にいきました。先生は柔道着を着て待っていてくださいました。ところが、道場に入ったらそこに座ったまま一言もしゃべれずひとつの行動もとれずじっとしたままでした。何もしようとしない生徒を前に先生は、何も言わず何もさせようとせず、動かない生徒をそのまま心に留めて他の生徒に淡々と教えてくださいました。1時間の後私たちはいっぱい教わった気持ちで帰りました。先生は私の問いにこう言われました。「道場の真中にじっと座ったままだったけれど邪魔には感じなかった。あの場所があの生徒のおり場なんでしょうね。あれでよい。一番自然だった。あのおりかたが目標だった。このことにプラスして次のことがうまれる。次も見ているだけでよい。一瞬、教師としてはちょっと残念やなあと思ったけど、それは私の思いでこの生徒に向けてよいものではない。そのままでよい。次回も見るだけでいい。」先生は『それがあなたなのだよ。私はそのあなたに希望をおいている』とその生徒の(負)を包み込んでくださった。この生徒と共に高い穴の底に共にいてくださった。深い穴の底にいる生徒に向かって「私の投げた綱をつかみなさい。引き上げてあげる」とは言われなかった。この生徒はいくら立派な強い綱であってもそれをつかむ力さえ今はないのですから。

 自分が困難な状況にある時そこに共にいてもらえる……綱をつかむ力もない生徒が自分から力を出したいと思うようになる瞬間がここにあります。

 私はいつもこういう眼差しにはっと気づかさせられます。限りなく一人の人間に希望をおく姿はイエスの姿です。改めて互いに新しい価値観に気づかされます。この新しい価値観は人を喜びで満たします。そして勇気がわいてきます。「これでいいのだ。ここからはじめよう」と。

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良書紹介
『しらんぷり』 



『しらんぷり』  梅田俊作・佳子(ポプラ社

 また絵本の紹介を。これは、いじめについて描いていると言えるかも知れない。この作者達にとってめずらしい、白黒の荒けずりとも見えるタッチは、物語の深刻さと心の葛藤を迫力あるものとしているように思える。
 物語は「ヤラガセ」を頭とする四人組が、ドンチャンを巧妙にいじめる様子を、僕が心の中で怒ったり、どなったりしている形で転回していく。しかしこの僕もドンチャンに盗ませたシャーペンの一つを押しつけられることにより、口封じをさせられる。そのために僕の心の葛藤が続く。

 卒業前の劇中で、ドンチャンは大復讐を試みるのだが、誰も助けるものがなく、絶望したのか、あと一学期を残して転校していく。僕がしらんぷりをしたのは、ヤラガセたちの猛烈ないじめを恐れてのことなのだ。しかしこれが僕の心を苦しめて、このままではどうしても卒業できない自分に気付く。

 ついに僕は、大決心をし、勇気をふるって「ともだちがいじめられているのに、しらんぷりをするのはよくないことだ」と、壇上の椅子の上に立って叫んだのだ。
 でもズボンのチャックは開くは、椅子から落ちるわで、大失態を演じる。外にとび出した僕を雪が包んでくれる。そこにヤラガセが立っていた。ヤラガセは「おれもよ」と言うだけで「じゃ中学でな」と言って去っていく。

 僕は深呼吸をする・・・。
 最後は「おわり(ぼくにとってのはじまり)」で結ばれる。雪がやさしく包んでいる。
ここにいろんな人が登場する。お父さん、お母さん、先生。忠告はしてくれるが、本当に僕の心を理解してくれない、つまりしらんぷり。

 ただ一人真剣に答えてくれるのが屋台のおじさんだけ(そういえば、顔の表情をはっきり描いているのはこのおじさんだけ)。
 彼は、自分の仕事を手伝わせたり、ボランティア活動を手伝わせたりして彼を静かに助けている。
 一つ見落としそうなことに気付いた。ヤラガセも僕もこのおじさんも皆、いじめを体験しているということ。ところでこの重苦しい物語の中にピカピカと輝く希望的な光も見落とさないようにしたいものだ。





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教区中学生広島平和巡礼(8月4日〜6日)
感 想 文       


 8月4日から6日にかけて、教区中学生会は新たな気持ちと目的を持って、広島巡礼を行いました。資料館見学と被爆証言を聞いて学習し、広島教区平和関連行事に参加することによって共に祈りました。
 また今年は青年リーダー各自が中学生の分かち合いの導入を話して、それを受けて中学生たちが平和について身近なセンスを持って話し合いました。平和について知識を得るだけでなく、それを心で受け止めることが出来たと思います。(広島巡礼担当 福岡 一穂)

●一年生の感想● 
                                             
正岡 望世
 二日目、被爆者証言を聞いた時、被爆して皮膚がたれさがったと聞き体がぞっとしました。平和公園では折鶴を捧げました。原爆ドームを見て泣いている人もいました。

田口 憲太
 僕は現実ではありえないとずっと思っていました。むずかしい話だったからよく分かっていません。僕は来年もまた広島に行くはずだから、その時は今は理解していない事を頑張って理解していきたいと思います。

諸 ハニノル
 日本は戦争は無いけど決して平和だとは言いきれない事に気づけました。殺人、暴力などまだ心配・不安があります。私は戦争だけでなく『憎しみ』が、今までの平和を奪ったと思います。

寺田 瑛
 原爆の恐ろしさや原爆で被爆したときのひどさとかが一気に伝わってきました。他には黒い雨や爆風の大きさ、煙がきつかったとかいろんなことが思い浮かんできて伝わってきました。

松浦 歌織
 二日目の史跡めぐりで見た「原爆犠牲国民学校教師と子供の碑」の像の裏側に刻んであった碑文が忘れられません。「大き骨は先生ならむ。その周りに小さき頭の骨集まれり」と言う文です。

森崎 樹生
もう、こういうことを二度としては、いけない。これから一回も起こさないように、小さなことでも止められるようにしょう。そう思いました。

小林 まなつ
 友達とわかれるときに、「また明日」とか言ってわかれていくけど、戦争のとき、そんなことは言えなかったと思います、今これがふつうと思っている人もいると思います。そういう人に原爆のことをしってほしいと思いました。


●二年生の感想●

橋本 仁子
 私にとってこの世で一番大切なのは、お金や権力や土地や地位なんかではなく、命だと思います。お金や権力に目がくらみこの大切なものを見失ってしまっている人がいると言うことが広島に来てわかりました。

家 友樹
 ぼくたちはすごくいいときに生まれたと思います。ぼくたちはこの平和な世界を大切にしていきたいです。そして戦争のときになくなってしまった人を祈り、がんばって戦争がない世界にしたいです。

冨田 野絵
資料館を見たり、班の人らと原爆についてはなしたりしたので、8時15分になったときすごい鳥はだがたちました。一瞬にして十何万人の人が焼け死んだと思うとめっちゃ恐ろしいなぁと思いました。

稲庭 悠季
友達や家族に明日も会えると感じるのは幸せだし、戦争があればそんなことは考えられないんだろうなぁと思います。世界はまだ平和な状態ではないし、日本もこの平和がいつ壊れるか分からない状況のように感じます。

盛永 信一
火の海で焼けこがれた人々が全身の皮がはがれ落ち生身の血みどろになり苦しんで死んだ人々の様子や被害にあった人々が今でも苦しみを背負って頑張って生きているので大変だなと思いました。

栗山 透
 どのようにすれば、平和は訪れるのでしょうか。わかちあいでは、「お互いを認め合い、争いがなく、日常を心から幸せだと感じること」とまとまりました。これは現在ではなかなか難しいことだと思います。

吉竹 倫子
 平和行進の時は全国の人があつまって、すごい列になって、こんなに平和をねがってる人が本当にたくさんいるんやなあ、と思った。

山西葉月
 戦争が終わっただけで平和になるんじゃなくて、世界中で差別で悲しんでいる人や食物がなくて困っている人とか、苦しんでいる人たちみんなが笑うことができるようになることが私の思う平和です。


●三年生の感想●
平野 慶直
もし原爆が広島や日本以外のところに落ちていたとしたら日本は戦争をまだしていたのかもしれないし、こんなに平和について考えることもなかったのかもしれません。今の日本は平和だと思います。でも世界には平和じゃない国もいっぱいあります。

岡山 珠実
 遺品には一つ一つ名前と年齢が書いてありました。その中には自分より年下の人もいたし、ほとんどが同じぐらいの年の人たちでした。服はボロボロで血がついていて、真っ黒のお弁当箱や、皮膚やつめなども置いてありました。

木村 明
 けんか、暴力、言い争い・・・これらもある意味で戦争です。僕は今まで戦争は関係ないと思っていましたが、身近なところに戦争があることに気づきました。まず自分から我慢する心を育みたいと思います。

小林 真衣
 去年よりも多くの事をわかっていけたと思います。現実ではありえないような事なので、受け入れるのに時間がかかり、整理するのもむずかしいです。これから時間をかけて自分のものにしていきたいです。

山本 優理
 一昨年や去年は『気持ち悪い、うちはこの時代に生まれなくてよかったな。』としか思っていなかった気持ちが今年は『被爆者の方々はたった一個の爆弾によって一生をうばわれて、本当にかわいそうだな。』とつぎから次へと疑問が出てきてとまりませんでした。

河岸 徹哉
 十数万人の命が一瞬にして奪われました。それの詳細を聞いたり見たりして、もう、こういうことを二度としては、いけない。これから一回も起こさないように、小さなことでも止められるようにしょう。そう思いました。

吉村 允宏
今まで自分の考えていた想像をはるかに超越する破壊力だという事だと思った。そればかりでなく爆風で人も建物も、紙のように吹き飛び、原爆から出た放射能は、今も被爆者達を苦しめているのはあまりにも残酷だと思った。

松本 晴馬
 日常生活を見ていると、兵器こそないもののイジメがあるだとか、すぐに暴力をふるう人が多いだとか、平和とは言えないのじゃないかと思われることがけっこうあると思います。こうした人が増え、国同士とかになると戦争になると思われます。

清冨 千鶴
 私はだんだん戦争の存在がうすくなっていきそうに思います。だけど私たち一人ひとりが戦争の恐ろしさを認識して、これから先ずっと戦争をしないように伝えていかないといけないと思いました。

道田 晴加
 今では、物の考え方が変わり、真剣に考えるコトができるようになりました。「戦争なんて終ったコトやからどうでもイイ」と想っていた私をこの巡礼が変えてくれ、友達がいるコトの幸せを実感させてくれ、碑めぐりや分かち合いなどができて良かったです。

(中学生全員の一言ずつを掲載しました。全文はホームページに掲載します)


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2005年高校生会夏合宿in三重   担当司祭 奥村 豊       


 この夏の高校生会合宿は、三重県の「ふれあいの森」でキャンプ形式で行われました。これまでは、どちらかというと設備の整った建物の中での開催が多かったようですが、今回は狭くて不便なキャンプ場という設定、それも連日、日中の猛暑ということもあり、便利さや、快適さとは程遠い三日間でした。それでも買い出しや食事の準備もとどこおりなくこなし、川で涼んだり晴れた夜には満天の星空を眺めたりして自然を満喫する時間を過ごせました。
 今年は例年と違い、高校生だけではなくて三重県の青年が参加してくれました。また、浜崎神父の参加もありました。このようなメンバー構成で行われた合宿の中で圧巻だったのは、二夜にわたって行われた花火大会であろうと思われます。大会といってもお店で売っていた花火をみんなで楽しんだだけなのですが、ある地味な花火に火をつけたときに、どういうわけかみんなの心に火がついて、妙な一体感が沸き起こりました。詳しくは参加した高校生に尋ねてみて下さい。何はともあれ、無事に合宿を終えることができてほっとしています。
 京都カトリック青年センター  電話 075(414)6239  FAX075(414)6239
    〒602―0934 京都市上京区新町通り一条上ル カトリック西陣教会内
 E-mail  seinen@kyoto.catholic.jp
 ホームページ 京都カトリック青年センター http://www.kyoto.catholic.jp/seinen/

    モバイル版ができました。携帯電話からもご覧になれます。
       http://www.kyoto.catholic.jp/seinen/m/



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大塚司教の 10月スケジュール  


1日(土)のぞみの園ボランティア講座(10周年感謝ミサ)13時半

2日()九条教会創立50周年記念ミサ10時
3日(月)那須トラピスチン訪問
4日(火)「東京カトリック神学院那須ガリラヤの家」訪問
5日(水)中央協部長会
6日(木)中央協常任司教委員会
8日(土)聖母の小さな学校運動会9時

10日(月)東舞鶴教会創立50周年記念ミサ11時
11日(火)女子カルメル会訪問14時
12日(水)共同宣教司牧推進チーム事務局会議15時
13日(木)司教顧問会・責任役員会10時

16日()滋賀・湖東ブロック司教訪問(彦根教会) 
18日(火)〜25日(火)教区司祭 年の黙想(函館トラピスト修道院)
26日(水)大阪教会管区婚姻法務事務局担当者会議(玉造)
27日(木)女子奉献生活者の会代表者会議14時

30日()宇治教会創立50周年記念ミサ14時
31日(月)教区評議会書記局会議18時

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2005年10月のお知らせ 教区内の行事・活動予定


ヨハネ・パウロ二世の最後の使徒的書簡
「急速な発展―広報活動に携わる人びとへ」

カトリック中央協議会ホームページで日本語訳が発表されました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/kyusoku.htm

青少年委員会から
◆青年の集い「YES2005」1日(土)〜2日(日) 
  場所 滋賀県近江高島「大阪市立琵琶湖青少年の家」

教区委員会から
◆聖書委員会
 ▼聖書深読15日(土)10時 奥村豊師 河原町会館6階 費用2500円(昼食代を含む)、
  持参品 聖書・筆記用具・ノート(お申し込みは3日前までに)
 ▼聖書講座シリーズ「マタイ福音書を読む」―神の国のメッセージ・インマヌエルである神―
    5・6日奥村豊師、12・13日西経一師、19・20日並木豊勝師、26・27日英隆一朗師

◆典礼委員会
 ▼教会の祈りと聖体賛美式・主日のミサ 第1日曜日17時半 河原町教会

◆衣笠墓苑委員会
 ▼永代納骨の方のごミサ11月5日(土)14時  場所 衣笠教会 司式 花井拓夫師

地区協議会から
◆奈良カトリック協議会
 ▼正義と平和奈良協議会 難民移住移動者と共に「交わりを深めるために」
   23日(日)10時半 御所教会 発題者 オヘール師

ブロック・小教区から
◆京都南部西ブロック九条教会
 ▼創立50周年記念司教ミサ2日(日)10時

◆京都南部北ブロック
 ▼合同ミサ・講演会「聖体とマリア様」30日(日)10時 
  場所 西院教会 司式・講師 本田哲郎師(フランシスコ会)

修道会から
◆聖ドミニコ女子修道院
 ▼E・スヒレベークス著「イエス」を学ぶ18日(火)19時半 指導 原田雅樹師(ドミニコ会)
 ▼「ロザリオを共に祈る会」21日(金)10時半
 ▼どちらも無料、当日どなたでもどうぞ。問合せ075(231)2017

教育関係施設から
◆ノートルダム女学院中学高等学校
 ▼文化祭オープンデイ2日(日)
 ▼体育祭7日(金)

聖母教育文化センター
 ▼講演会「インド少数先住民族“ワルリ”の世界」23日(日)11時半 
  場所 河原町教会 講師 マキシム・デ・メロ修道士(イエズス会士・インドマハラシュトラ州)
 ▼月曜聖書講座3日・17日19時 文化センター教室 講師 Sr.安藤敬子
 ▼金曜聖書講座7日・14日・21日・28日9時半 文化センター教室 講師 Sr.安藤敬子
 ▼いずれも無料、問合せ075(643)2320

諸施設・諸活動か
◆JOC
 ▼働いている青年の集い。集会場所 京都働く人の家(九条教会前)、滋賀働く人の家(大津教会裏)。連絡先090(8207)1831

◆おてんとうさんの会
 ▼例会第3金曜日13時 西院教会

◆カトリック聴覚障害者の会京都グループ
 ▼手話学習会13日(木)13時 河原町会館

◆京都カトリック混声合唱団
 ▼練習日第2日曜日14時、第4土曜日19時 河原町会館6階

◆京都カナの会
 ▼集い・例会2日(日)13時半 河原町会館6階

◆京都キリシタン研究会
 ▼都の聖ラザロ顕彰ミサ2日(日)河原町教会
 ▼定例会23日(日)14時 河原町会館6階

◆コーロチェレステ
 ▼練習日第2、4木曜日 河原町会館6階

◆在世フランシスコ会京都兄弟会
 ▼集会15日(土)13時半 フランシスコの家

◆聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ会
 ▼河原町協議会9日(日)河原町教会
 ▼中央理事会23日(日)河原町教会

◆二金会
 ▼14日(金)西陣教会

◆糠みその会
 ▼27日(木)19時半 九条教会ホール

◆レジオ・マリエ
 ▼16日(日)河原町会館6階

◆心のともしび 10月番組案内
 ▼テレビ KBS京都テレビ
   ∧9日の放送内容∨
『ふるさとのイエス』シリーズ 第7回「カナン女のまこと」 〜マタイ福音書15章〜より
 ▼ラジオ KBS京都ラジオ
   10月のテーマ「好きな言葉」
    問合せ075(211)9341

◆「一万匹の蟻」運動基金報告 累計44、948、149円(8月17日現在)




編集部から

 ◆お知らせに載せたい情報は、前月の1日までに、
   教区時報担当宛にFAX075(211)4345か、henshu◎kyoto.catholic.jp に、
   発信者のお名前を明記してお寄せください。
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