2009/1 No.374
<京都教区時報 2009年1月号の目次>

・1  2008年 司教年頭書簡    召  命
      〜京都教区21世紀召命促進元年〜  京都司教 パウロ大塚喜直





・2 大塚司教の1月のスケジュール

・3 お知らせ 

  



2009年 司教年頭書簡

召  命

〜京都教区21世紀召命促進元年〜

京都司教 パウロ大塚喜直

1、京都の大殉教52名福者を仰いで
 新しい年を迎え、いのちみなもとである父なる神さまの祝福を受けて、今年も京都教区の信者に託された福音宣教の使命を、『みながひとつになって』(司教のモットー)果たしていきたいと思います。どうぞ、今年もよろしくお願い申し上げます。

 昨年11月24日、長崎で「ペトロ岐部と187殉教者」の列福式が行われ、「京都の大殉教」52名も福者の位に挙げられました。まず皆さまとともに京都教区にとって光栄あるこのお恵みを神様に感謝したいと思います。そして四半世紀におよぶ列福運動にご尽力くださった前京都司教・田中健一司教様と信徒関係各位、キリシタン研究会に心より感謝を申し上げます。また、京都教区列福記念事業のための特別献金にお寄せくださいました皆さまのお志しに感謝いたします。ありがとうございました。(注1)

 日本の教会は神が日本で始められた宣教の不思議なみわざを記念し、新福者の輝かしい信仰の証しを模範にして、この列福という大きなお恵みを現代の福音宣教に生かしていきます。

 「現代の殉教」を引き受ける決意をした私たちのこれからの宣教的生活には、当然確固たる信念と、犠牲を引き受ける勇気が必要です。京都教区は、共同宣教司牧を推進し、福音宣教する共同体づくりにはげんでいますが、京都の大殉教の福者を仰ぎ、丸血留(マルチル)の心で、あかしの使命を果たしていきたいと思います。

 そこで、私はこれからの京都教区の共同宣教司牧推進の努力目標の一つとして、召命促進を挙げたいと思います



2、京都教区21世紀召命促進元年
 召命は現代教会にとっての緊急な課題です。日本においては、司祭と修道者の召命が減少もしくは停滞の状態です。教区司祭も海外から派遣された宣教司祭や修道者も高齢化が進み、その数が年々減少しています。これは日本社会が抱える少子高齢化、多様な価値観、現世利益的な傾向、経済至上主義的傾向、家庭の崩壊などが原因なのでしょうか。

 ヨハネ・パウロ二世は、「司祭への召命の危機が文化的環境とキリスト者たちのものの見方と実際の行動に深く根ざしている」とし、したがって緊急に必要なことは「召命を促進する教会の司牧活動が信仰を基礎とし、それに支えられた『キリスト者のものの見方』を回復することにむけられること」だと言われました。(注2)つまり召命を促進するために、私たちの信仰の基礎をしっかり固める必要があるのです。もとより司祭や修道者への召命は教会の本性であり、教会に不可欠なものです。(注3)そのため、召命の誕生とその育成を配慮する「召命司牧」は教会全体で取り組むべき事柄であり、これを通して私たちは必ず教会の回心と成長そして教会活動のあり方に関して新しい考察を行うことになります。召命を促進することは教会の聖性を増す秘訣であり、必ず教会に活力を生み出します。このことを私たちが今実感し、必要な活動を教区レベルで始めるために、今年を『京都教区21世紀召命促進元年』とします。


3、召命促進運動
 「召命」とか「召し出し」という言葉は、司祭や修道者になるように呼ばれることと考えます。神がある人を自由に選んでおられるので、その人は自由に召し出しに応えて司祭や修道者になる道を選びます。しかし、これだけが召命ではありません。神はすべてのキリスト者にそれぞれの召命を与えておられます。そこで、司祭・修道者・信徒の皆さんと広く召命について考えて、召命促進のための具体的な活動をすすめていきたいと思います。召命促進には、次のような取り組みの要素があります。
 ● 召命について「知る」
 ● 各自の召命について「考え」「選ぶ」
 ● 召命のために「祈る」
 ● 召命促進のために「働く」
 これらについて、以下述べてみたいと思います。


4、いのちを召命として考える
 「召命」ということばは、私たちを創造した神とその愛を受けた人間との関係を表します。神は人をご自分にかたどり、ご自分に似たものとして造り(創1・26参照)、ご自分との深い愛の関係にお招きになりました。

 第二バチカン公会議はこう言います。「人間が神への交わりに召されているということが、人間の尊厳の最も崇高な面である。人間はその存在の初めから、神との対話に招かれている。事実、人間が存在するのは、愛によって神から造られ、愛によって神から常にささえられているからであり、神の愛を自由をもって認め、創造主に自分を託さなければ、人間は真理に基づいて充実して生きているとは言えない」(『現代世界憲章』19)。

 召命とは、神の啓示のいきいきとした働きを意味し、人間存在の真理を明らかにします。人は愛のうちに神から呼ばれている者なのです。


5、召命における対話
 召命は、呼びかける神の愛と、愛をもって神に応える個人の自由との対話です。

 つまり、神に呼ばれている私たちの人生は神との対話です。「私はどのように生きるのか」という自分の召命にかかわる問いかけは、いつでもどのような人に対しても神からのものです。召命とは人間にとって、この神との対話を受け入れることです。

 この対話は、私が先に語るのではなく、神が私に語られるものです。私は応えるのです。大切なことは、この対話を受け入れることです。神は私たちが母の胎内にいる時から(エレミヤ1・4〜5)、つまり生まれる前から一人ひとりに呼びかけておられますが、人はある時この「呼びかけ」を意識し、これに応えるように促されます。したがって私たちが生涯の完成に向かって歩みながら自分の個性に従って成長していくために、その基礎をいつも神との対話のうちに置かなければなりません。



6、司祭になりたい!
 私は今年3月20日で司祭叙階25年銀祝を迎えます。中学生の時に司祭になることを強く志した私は、高校1年から当時あった名古屋教区の聖ヨハネ小神学院で過ごしました。そして大学卒業後、東京カトリック神学院に入学し、本格的に司祭への道に進みました。この神学校6年間、そして司祭叙階から25年たった今、「自分は本当に司祭になって幸せか」と問われれば、「はい、そうです」と答えます。その理由は、神の愛に応える私の道をはっきりと知って、その道を歩んでいるからです。

 召命とは、突然神の呼びかけが聞こえてくるといったものではないでしょう。私の場合もそうでした。召命とは、人が真剣に自分の将来を考え、進路を見つめ、キリストの特別の弟子となることへの憧れを心に感じることから始まります。その憧れが自分の心の中で打ち消すことのできないものとなり、時間が経つにつれて大きくなってくるとすれば、それは召命に気付いたしるしです。


7、神のみ心に従う
 「あなたがたが私を選んだのではない。私があなたがたを選んだのである」(ヨハネ15・16)。召命とは、人間一人ひとりに対する神の特別のみ心であり、神からの選びです。ある人は司祭や修道者に、ある人は信徒として招かれています。自分に対する神のみ心が何であるかを見出すことはすべてのキリスト者の大切な務めであり、人生の具体的な選択を行うときには、この神のみ心をよく考え理解した上で選択すべきです。

 神の選びは外から押し付けられるようなものではありません。神は私の内の内におられます。神のみ心に従うとは、自分の最も深い本性に従うことになるのです。聖霊が私の心の奥底に注がれて、表面的な自分ではなく、神の目に映る自分の自我を発見し、受け入れるように導かれます。恵みと自由は対立しません。

 そのために、神は私たちの人生の途上で、私たちと共に歩み、私たちがただ自分一人で生涯を築いていくのではないことを明かされます。ですから自分史の中に働く神の現存に敏感であることが大切です。時に感じる孤独感を捨て、むしろイエスと同様に自分の全てを委ねることのできる御父がそばにいて下さることを知るのです。召命の原点は、「私たちとともにいる神」(エンマヌエル)です。


8、自分の召命を考える
 召命はすべての人にすでに豊かに与えられています。神は私たちがそれに気づき、自由に応えようとする人間の協力を待っておられます。京都教区のすべての信徒の皆さん、キリスト者として自分の召命を考えましょう。キリスト者としてどのように生きるにせよ、また生きてきたにせよ、自分の召命の道をいつも意識して生きることは、その人の生き方をより肯定的で積極的なものにします。家庭で、仕事で、社会で、教会で自分がどのような務めをはたすべきか、だれにとっても自分の召命を考えることは信仰を深め、喜んで生きる力があらたに授けられるよい機会です。そして、信徒自らが自分の召命を真剣に考えるときに、「司祭を育てるために私も招かれている」という自覚と責任をもつことができます。


9、青年の皆さんへ
 「生きているのは、もはやわたしではなく、キリストこそわたしのうちに生きておられるのです。今わたしがこの世に生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身をささげられた、神の子に対する信仰によって生きているのです」(ガラテヤ2・20)。昨年の6月29日聖ペトロ・聖パウロの祝日から始まった「パウロ年」は今年の同祝日まで、まだ半年あります。ベネディクト16世教皇は言われました。「もっとも深くパウロを動かしたものは、イエス・キリストによって愛されたこと、そして、この愛を他の人々に伝えたいという望みでした」と。(注4)宣教をめざした召命の原動力はキリストの愛です。

 若い人たちに特に呼びかけます。キリストの愛のまなざしを感じたら、聖霊の声に素直に耳を傾けてください。あなたがたの人生をかけて無条件に従いなさいと呼びかけられたら、イエスに熱心に応えるのです。キリストの弟子として働くことのすばらしさに目覚めたら、それは何にも代えられない喜びです。一度限りの人生で、すべてをおいて手にしたい宝です。また、この機会に、ラテン・アメリカやフィリピン、ベトナムなどのアジアから日本に来ている外国籍信徒の若者の皆さんにも言います。皆さんも是非日本で教区司祭や修道者になることを考えてください。


10、召命を受けとめる自由な心
 では、どうしたら召命を神からの愛として受けとることができるのでしょうか。まず、キリスト者は回心の歩みの中で起こる「信仰での恐れ」というものを絶えず乗り越えていかなければなりません。この恐れは自分の召命をどのように確認するかによって克服していくことができます。そこで、まず自分の中に神の招きを「理解していない」しるしを見つけます。自分や他人への不満が多いとき、生活への一般的な不満があるとき、悲観主義的な考えや見方に傾くとき、はたまたすぐにイライラしたり、怒りに囚われているときなどです。このようなときの心は固く、他人に閉ざされ、神の声に耳を傾ける余裕がありません。

 反対に神の招きを「幸せに思える」しるしがあります。困難なときにも平和な感情を持てるとき、孤独のときにでも自分を見失わないとき、小さなことにも喜びを見いだせるとき、犠牲する用意があるとき、失うことを恐れず断念する気持ちが持てるときなどです。いいかえれば、神が自分の内で働いておられることを素直に受けとる自由な心を感じるときです。神の呼びかけに応えられないと嘆く臆病な私たちを神は忍耐強く愛し、うぬぼれや傲慢な信仰を浄め、主への揺らぐことのない信頼と希望のうちに私たちを強くしてくださいます。


11、召命促進のために祈り、働く
 教会は祭司的、預言者的、王的な民として、祈りと秘跡的な生活、福音宣教、愛の奉仕をとおして、司祭への召命を促進し、そのために奉仕します。おのおののキリスト者は自己が属する教会共同体において自分固有の召命を見いだし、これに寛大に応え、教会の建設と使命のために共に働くよう招かれています。

 小教区や修道院の共同の祈りで、また個人の祈りで、司祭召命を願う祈りを定期的に唱えています。「収穫は多いが働き手が少ない。だから収穫の主に願いなさい」(マタイ9・37〜38)。召命のための祈りは、召命が神からのものであり、神によって完成されるものであることを教えてくれます。実に召命のための祈りは全教会のための切なる祈りであると同時に、各自の召命を歩む決心と熱意の恵みを願う祈りでもあります。

 司祭と奉献生活者は、召命とは何かを力強く現代的な形で明確に示す必要があります。そのために、皆さんはまず自分の召命を忠実に生きることが求められます。

 信徒の皆さんは、家庭と仕事を通して社会で福音を証し、「共通祭司職」に基づく教会での信徒固有の働きを強く意識しそれを具体的に生きることができるように、典礼と祈りに積極的に参加し、聖書に親しみ、信仰を分かち合い、さらに福音宣教者となる学びを続けてください。福音によって動機づけられたボランティア活動は、無償の奉仕の意義や犠牲と自己奉献の価値を学ぶよい機会です。きっと召命のきっかけを見出すことでしょう。


12、マリアと共に召命のために祈る
 司祭召命は神の恵みなしにはあり得ません。司祭召命のために祈りながら、教会には必要な召命が神から十分に与えているという信仰と、必要な助けが与え続けられているという希望をしっかりと保ちましょう。

 他のだれにもまして、召命のたまものを完全に生きた人間は聖母マリアです。「わたしは主のはしためです。おことばどおり、この身になりますように」(ルカ1・38)と答えたマリアの模範にならうために、私たちはあり余る恵みをいただいているのです。パウロが言うように、この恵みをけっして無駄にしてはいけません。

 私たちは自分がちっぽけな存在であることをわきまえています。にもかかわらず、神は私たちが限界をもつ罪深い存在であることを承知の上で、なお「あなたたちは世の光である」と呼びかけられます。それは、私たちが自分の力で光になるのではなく、キリストの光を反射し伝播することによって光となりうるからです。

 今年も京都教区の福音宣教の歩みを聖母マリアの取次ぎによって父である神様におささげし、平和の元后であるマリアさまを通して、世界の平和のための祈りを続けましょう。
                              2009年1月1日 神の母聖マリアの祝日



(注1)京都カテドラル・カトリック河原町教会の告解室に「殉教者の間」が完成し、聖フランシスコ・ザビエル像(神戸市博物館所蔵)の複製画、京都の大殉教図と京都の聖ラザロのエッチングガラスが設置されました。

(注2)ヨハネ・パウロ2世使徒的勧告、『現代の司祭召命』37。

(注3)現在の教会法では、従来修道者と称された身分は、「修道会」と「在俗会」を併せた「奉献生活の会」と、「使徒的生活者の会」に分類される。

(注4)2008年6月28日聖ペトロ・パウロ使徒の祭日の前晩の祈り





大塚司教  1月のスケジュール

 1日(木) 10時 河原町教会・新年ミサ
 4日() 12時 河原町教会・英語ミサ
 5日(月) 11時 司祭・修道者新年ミサ(河原町)
 7日(水) 13時 中央協 予算審査会
 8日(木) 10時 中央協 常任委員会

11日()  10時 教区一斉「召命促進元年」開始ミサ (河原町)
12日(月) 15時40分 聖母女学院 成人ミサ (河原町)
15日(木) 18時 青年センター20周年記念の集い

18日()  9時 女子カルメル修道会ミサ (衣笠)
22日(木) 10時 司教顧問会・責任役員会

25日() 10時 京都コリアンセンター ミサ
        16時 キリスト教祈祷一致週間 KCCの集い (河原町)
27日(火) 15時 共同宣教司牧推進チーム事務局会議
28日(水) 11時 中央協 諸宗教部門会議
29日(木) 10半 中央協 第6回開校準備司牧委員会 
31日(土) 14時 済州交流部会議




1月のお知らせ

京都女子カルメル会
 パウロの年のカルメル講演会 −その3−
  25日(日)14時 公演とミサ
   講演 パウロの回心とテレーズの回心
   講師 伊従信子氏(ノートルダム・ドゥ・ヴィ)
   問い合わせ Tel. 075(462)6764

聖ドミニコ女子修道会
 ロザリオを共に祈る会 16日(金)10時半
   対象 どなたもでも当日どうぞお出でください
 みことばを聴こう 2月11日(水)9時半
   指導 米田彰男師
   対象 青年男女    会費 500円

   場所 いずれも、聖ドミニコ女子修道会
   問い合わせ Tel. 075(231)2017

JOC
 働いている青年の集い
   集合場所:京都働く人の家(九条教会前)
   連絡先 Tel. 090(8207)1831

ノートルダム教育修道女会
 自分を生きる道(召命)を祈る
   24日(土 )14時〜25日(日)16時迄
   場所 ノートルダム唐崎修道院
   講師 ウォード師(御受難会)
   対象 独身女性信徒     費用 3000円
   申込み  Tel. 077(579)2884  Fax. 077(579)3804 (Sr.安井)

心のともしび <番組案内>
 ○テレビ(衛星・ケーブル)
  スカイAスポーツプラス  *毎週土曜日朝8時45分放送
    渡辺和子によるシリーズは3月まで続きます。4月からは野下千年師(長崎教区)のお話が始まります。
 ○ラジオ
  1月のテーマ
    月〜金 朝5時15分より5分間
 問い合わせ Tel. 075(211)9341

「一万匹運動」基金報告
  累計53,375,372円(11月17日現在)





編集部から

 お知らせに載せたい情報は、前月の1日までに、教区時報担当宛にFAX075(211)4345か henshu07◎kyoto.catholic.jp に、発信者のお名前を明記してお寄せください。
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