2011/1 No.398
<京都教区時報 2011年1月号の目次>

・1  2011年 司教年頭書簡   
 〜 キリストのいのちに生かされていますか 〜  京都司教 パウロ大塚喜直





・2 大塚司教の1月のスケジュール

・3 1月のお知らせ 

  



2011年 司教年頭書簡

信 仰  パート1

〜 キリストのいのちに生かされていますか 〜

京都司教 十 パウロ大塚喜直



1.本物の信仰を持って召命に応える

 京都教区は2009年を「召命促進元年」とし、2年にわたって「召命」について考え、合わせて京都教区に与えられる召命のために祈りました。私はこの間、召命というものが現在の私たちキリスト者にとって生きるための土台であり、人間は神の呼びかけに、まさに「信仰」によって応えなければならないことをあらためて認識しました。この信仰は、「本物の信仰」でなければなりません。この「本物の信仰」によって受けとめられた召命を生きるとき、私たちは「本物の信者」になることができるのです。

 そこで今年は、この「信仰」をテーマにします。キリスト者が真に「信者」と呼ばれるためには、考えと行いとがしっかりと「信仰」に基づいていなければなりません。自らの信仰を見直すことは、信仰者自身の福音化の原点です。自分は一体どんな信仰を持っているのかをじっくりと反省して、私たちの回心と信仰の成熟を目指したいと思います。


2.あなたは神の「何」を信じているのですか?

 神の啓示に対する人間の応答が信仰というものですが、この信仰とは、神との人格的な愛の交わりです。したがって、キリスト者が神を信じるというとき、神の存在を信じていると信仰告白するだけでなく、神の愛とあわれみを信じ、それに自分を託すという能動的な応答が要求されます。キリスト教信仰とは、神の存在を認め、聖書の中で神が語られることを認め、その内容に賛同するだけでなく、キリストとの出会いを通して、聖霊のうちに「アッバ」(お父さん)と呼びかけることのできる神に自分の存在を託すのです。キリスト者は何かの主義や説を信じるのではなく、「あなた」と心から呼びかけることのできる神を信じるのです。このような信仰は、すべてを永遠に超えておられるお方が自分を呼んでいることを体感することから生まれます。


3.あなたはいつも神からの招きを感じていますか?


 求道者の人にも自分で気が付いていない、神の帰依する信仰があるかもしれませんし、信仰者のつもりでいる私たちの信仰の灯が点滅して、消えかかっていたりしているかもしれません。信仰は人間の意志や努力で生み出すものではなく、ある時、私の内に働く「霊的な感覚」によって発見されます。これは、神が人間に、聖霊から来る信仰を感じる能力を与えてくださるからです。神は、私たちに「知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いて」くださいます(エフェソ1・17−18)。

 神は、人間の外からと内からという二つの方法をつかって働きかけられます。聖書は、神が歴史に介入して救いの歴史を始め、イスラエルを招き、御子キリストを派遣して啓示を完成したことを語ります。私たちは、キリストの証しを信じ継承する教会を仲介として、この神への信仰に導かれました。つまり神は、歴史の中で、人間の仲介と出来事を通して、救いの意志を顕わにされます。神はこの導きのほかに、人間のこころに聞こえる声を通して働きかけ、ご自身との対話に招かれます。私たちはこのような神の招きをいつも注意深く、真剣に受け止めようとしているでしょうか。


4.あなたは見えない神に近づいていますか?


 信仰における人間が取るべき態度は、二つあります。一つは先に述べたように、神の愛とあわれみを信じ、それに自分を託すことであり、他は言葉やしるしを手がかりにして、現実の中で目に見えるしるし(象徴)を通して、目に見えない神に近づいていくことです。神に帰依する信仰者が頼りにするのは、自分の知恵、力、富などのようなものではなく、永遠の神です。その保証は、神の誠実さです。この神はご自分に帰依するもの一人ひとりに、ご自身を知らせてくださいます。パウロは「わたしは、自分が信頼している方を知っている」(Uテモテ1・12)と言いますが、信じるとは、1回限りの一つの行為であるよりも、過程(プロセス)を踏むものであると言えます。神は生きておられる方ですから、神を求め飢え渇く人間の心に、ご自分の愛と慈しみを注ぐお方として現存されます。「あなた」と呼べる神との愛に満ちた人格的なつながりを基にして、私たちは見えない神の働きを信仰において「心の目」で「見る」努力をしているでしょうか。


5.あなたの信仰にキリストが「いますか」?

 キリスト教信仰は、キリストをぬきに有り得ません。この当たり前のことが、果たして私たちの信仰生活のなかで、どれほど意識されているでしょうか。ミサで唱えられる奉献文の結びの栄唱の「キリストによって、キリストとともに、キリストのうちに」の三つの点で考えましょう。

キリストに「よって」
 キリスト教信仰は、キリストに「よって」父である神を認めるものです。ヨハネがいうように、「いまだかつて、神を見たものはいない。父のふところにいる独り子である神、この方(イエス・キリスト)が神を示されたのです」(ヨハネ1・18)。イエスと同時代の人々がイエスのことばとわざのしるしを通して「神が愛である」ことを信じたように、私たちもキリストに「よって」告げられた福音を信じ、父と子と聖霊の神を知るようになりました。

キリストと「ともに」
 私たちはキリスト「を」信じるとともに、キリストと「ともに」父なる神を信じるのです。キリストは信仰の対象であるだけでなく、「人となられた」みことばとして、御父への「道」・「仲介者」であり、私たちの信仰の「模範」なのです。その意味で、キリストは「信仰の創始者であり完成者」です(ヘブライ12・2)。御子イエスは愛をもって、愛である御父に応えて、御父に自己を委ねました。私たちはキリストの兄弟として、キリストのものの考え方、価値観、その人格の秘義にあずかり、私たちの弱さを背負うキリストと「ともに」、御父を仰ぎ見るのです。


キリストの「うちに」
 私たちの信仰行為は、まぎれもなく私個人の主体的な行為であるとともに、それでいて個人を無限に超えて、神である聖霊によって実行可能な超自然的なものです。「聖霊によらなければ、だれも『イエス・キリストは主である』とは言えないのです」(Tコリント12・3)。信じる私は、有限な存在であってもキリストに結ばれ、「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしのうちに生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身をささげられた神の子に対する信仰によるものです」(ガラテヤ2・20)。


6.あなたの信仰はミサが中心になっていますか?

 秘跡は信仰を前提としますが、秘跡は信仰を養い、強め、現わすもので「信仰の秘跡」と言われます(『典礼憲章』59)。特に「聖体の秘跡」を祝う感謝の祭儀であるミサは、信仰生活の源泉であり頂点です。秘跡は、神の恵みが自動的に分配されるようなものではなく、秘跡はそれ自体キリストの行為であり、司式者と参加者が共に執り行う、キリストとの出会いの出来事です。したがって、特に主日のミサが共同体によってふさわしく準備され、すべての人がこころを込めて参加する生きた典礼を目指さなければなりません。人の目に見えないキリストとの出会いをミサにおいて体験しているからこそ、私たちは目に見えない恵みの「見えるしるし」になることができるのです。ミサの大切さをどれほど強調してもしすぎることはありませんが、私たちの信仰生活がミサを中心に正しく、また熱意をもって営まれているかどうか常に反省してください。


7.あなたの信仰は生活に反映されていますか?


 信仰と生活の遊離は、私たちの信仰生活でも特に気をつけなければならない課題です。人が神を知るということは、信仰を生活に当てはめる実践的知恵が与えられているということであり、その知恵を日常の行動で活かさなければなりません。こうして信仰はただ私たちの内に秘められた確信にとどまらず、自己を他者に開き利己主義と闘い、すべての隣人を兄弟として愛する実践を生み出し継続させる力となります。ただし、信仰を生活に活かすと言っても、おきてを守ることによってご利益を受けることができるかのように考えることではありませんし、また、悪いことをしなければよい、人に迷惑をかけなければよいといった消極的な道徳主義として、愛のおきてを実践することでもありません。

 今、日本の教会は外国籍の信徒の方と教会共同体を築く努力を続けています。特にフィリピンやラテン・アメリカの国々のように、カトリック信仰が歴史的に根付いた国から来ている信徒と接することによって、私たち日本の信徒は彼らから多くのことを学ぶことができます。家庭で祈り、こどもたちに信仰を伝え、家族を大切にし、日常生活のあらゆる場面で神の保護を祈り感謝するといった「身についた信仰」を私たちはもっと習うべきです。


8.あなたの信仰は神からの平安を生きていますか?

 「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」(マルコ4・40)。人生に不安を感じない人はいないでしょうが、不安を一掃することもまた不可能です。キリスト教信仰は不安を取り除くのではなく、そのまま受け入れて生きようとする姿勢を生みます。神を信じる私たちも、もちろん全知ではありません。多くの謎が残っています。しかし、神の愛を知り、それを信じている人は、はっきりした座標軸のようなものを与えられ、人生のすべてのできごとを正しく位置付けることができます。人間の最大の不安は、進むべき方向が分からないことです。

 イエスは癒された人々に「あなたの信仰があなたを救った」と繰り返し言われました(マタイ9・22;マルコ5・34;ルカ7・50など)。信仰における救いの体験は、キリストが与える「平安」(シャローム)の意味を教えてくれます。私たちの信仰は、自分の周囲がどのように変化しても、自己の非力を悟り、神の計らいを信じ、自分の思うとおりにならない現実の中で「信仰の試練」の前に立たされてもあきらめず、誠実である神に希望をおく生き方となっているでしょうか。


9.あなたの信仰は人生の物語となっていますか?


 私たちキリスト者は「岩(キリストという土台)の上に自分の家(人生)を建てる」ものです(マタイ7・24)。だからこそ、キリストによって自己の生きがいを見出すことができるのです。私たちは信仰によって、自分の生活に意味を、人生に目的を、世界の歴史に方向付けを見出します。また信仰は、私が何者であるかの問いに光を当て、神に愛され生かされているという、私のアイデンティティーに基礎を与えてくれます。キリスト者は単に、カトリック教会に所属し、その教えや価値観にただぶらさがって足を地につけずに歩むのではありません。キリスト教信仰は、各自が1回限りの人生において、キリストのうちに見出す「解放と自由」という救いの体験を通して過去の私と現在を紡ぎ、人生を意味のある物語に統合してくれるのです。言い換えれば、神は、私の人生という物語において、ご自身を顕してくださるのです。

 しかも、キリスト教信仰は、人にこの世で他者のために生き、社会を福音化する努力を続けるように促しながらも、生きることの希望の根拠がこの世界を超えたものにあることを教えてくれます。したがって、どんな困難に出遭っても現実を受け入れ、最終的には悪からも、死からも解放されるという「約束」を信じ、そこから生きる力をくみ取るのです。果たして、今の私たちの信仰は、死を迎える時でさえ落胆することなく、愛といのちの源である父に、自分を穏やかに委ねる覚悟を備えているでしょうか。



10.あなたの信仰は独りよがりではありませんか?


 私たちの信仰は、実を結ばない信仰、つまり自分中心の自己満足と独りよがりの慰めを求めるために、神により頼むような信仰になっていないでしょうか。あるべき信仰生活と、個々人の信仰の表現方法との間には、どうしてもズレが生じます。キリスト教信仰は唯一ですが、その信仰の表現方法は時代や文化によっても、また人間の個性によっても多様になります。しかし、個々の信仰表現は絶対ではないので、常に検証されることが必要で、またそのことによって、信仰は浄化され、深められていきます。

 信仰の確信は、ときに誤った形をとります。善意からとは言え、ある信心業が迷信に走ったり、狂信にかられたりした事例が教会の歴史には見られます。そのため信仰者は、「教会の教導職」と「信者の総体の信仰のセンス」とに対して自己を開き、これらの見解を受け入れることが必要です(『教会憲章』12項)。2009年の年頭書簡で言いましたが、召命において「神に従う忠実さ」が不可欠です。私たちは神に従うと言いながら、いつの間にか「自分に」従っているのです。これが人間の弱さ、罪です。キリストという明白な基準によって、私たちの信仰表現はこれでいいのかと常に福音的識別を受ける必要があります。


11.あなたは信仰を仲間と生きていますか?

 キリスト者は、ただ一人で信じるのではありません。「私は信じます」というとき、私たちはこの一つの教会の信仰に声を合わせているのです。キリスト者はみな一緒に信じ、互いに愛し合い、永遠のいのちを希望します。私たちは一人だけ信仰を持つことができません。信仰というものは本質的に「ともに信仰する」ことによってのみ可能です。

 父と子と聖霊の一致と交わり(コイノニア)が信仰共同体の原型であり、源泉です。私たち一人ひとりと神とのつながりが、同時に信仰共同体の交わりを生み出すのであり、この共同体を通じて信仰がさらに強められ、深められます。自分の信仰の中身と態度を確かめるために、他のキリスト者の信仰体験が必要です。そのために信仰の分かち合いをします。ミサに与るためにだけ行くのが教会ではありません。教会共同体は、すでに「ある」ものではなく、神に呼ばれた人々が意欲的に「形成する」ものです。私たちは信仰を仲間とともに生きようとしているでしょうか。


12.あなたの信仰はキリストの霊に仕えるものですか?


 「わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです」(エフェソ4・13)。私たち京都教区という部分教会も、共同宣教司牧ブロックの組織も活動も、キリストのからだである教会の成長のためのものであり、「教会を生かすキリストの霊に仕える」ものです(『教会憲章』8)。小教区評議会や部会活動などは、共同体育成のために有効な場ですが、一人ひとりの信者が、みことばといのちのパンを分かち合える共同体でなければ空しいものです。信徒のみなさんを教会の維持管理に縛り付けることは、けっして司教としての私の本意ではありません。キリストの霊に仕える共同体が、常に組織に優先します。間違っても、共同体の信仰育成を新しい組織づくりと混同してはいけません。



13.信仰を生きる勇気を祈りましょう
 「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(ルカ1・45)。私たちもマリアのような信仰によって、神のみ旨と計らいを信じる幸せな人となることができます。信仰に生きることは、いつの時代にも勇気がいることでしたが、今日はなおさらです。現代人は、まず生きること自体に勇気がいるのに、目に見えないものを希望する信仰を持って生きるキリスト者にはもっと勇気がいります。しかし、私たちは人間の自力で信仰を生きるのではなく、神から与えられた勇気という恵みで信仰を生きるのです。

 キリストが私たちに与えようとされる信仰は計り知れないほど豊かなもので、私はここで、信仰のもつ多くの側面や意味をすべて数えあげることはできません。今年の書簡では、各自の信仰を内面から問い直すことを主眼としました。来年のパート2では、信仰を証しする使命について考えてみたいと思います。

     2011年1月1日  神の母聖マリアの祝日











      大塚司教 2011年1月のスケジュール    



1日(土) 10:00 河原町教会・新年ミサ

2日(日) 12:00 河原町教会・英語ミサ
5日(水) 11:00 司祭・修道者・新年ミサ(河原町)
7日(金) 13:00 中央協 予算審議会

9日(日) 9:00 女子カルメル修道会 ミサ(衣笠)
13日(木) 10:00 中央協 常任司教委員会
15日(土) 14:00 済州京都交流部 会議

16日(日) 14:00 大和八木教会・英語ミサ
17日(月)‐26日(水) 函館トラピスチン修道院 黙想会
27日(木) 10:00 司教顧問会

30日(日) 15:00 日本二十六聖人殉教者顕彰・ユスト高山右近列福祈願ミサ (河原町)















       1月のお知らせ                 


《 教 区 》

聖書委員会
 聖書講座
 よく分かる聖書の学び
   日 時:19日(水) 10:30 講 師:北村 善朗師
   会 場:カトリック会館6階 参加費300円
   問合せ/Tel.075(211)3484 (水)(木)

《修道会》
 聖ドミニコ女子修道会(京都修道院)
   ロザリオを共に祈る会
    日 時:21日(金) 10:30〜12:00

  みことばを聴こう!
    日 時:2月5日(土) 9:30〜16:00
    指 導:米田彰男師(ドミニコ会)
    テーマ:イエスとは誰か?
    対 象:青年男女/会費:500円(昼食代)

 男子カルメル修道会(宇治修道院)
  入門講座 日(土)14:00(九里彰師)

  一般黙想 8日(土)17:00‐9日(日)16:00(渡辺幹夫師)
   テーマ:新しい人/参加費:6,300円(宿泊食事代含)

  カルメルの霊性に学ぶ 22日(土)14:00(九里彰師)

  水曜黙想 26日(水)10:00(新井延和師)
   テーマ:バビロン捕囚/参加費:2,700円(昼食代含)

 ノートルダム教育修道女会(唐崎修道院)
  召命黙想会 <神の恵みを生きる>
   日 時:22日(土)15:00〜23日(日)15:30
   テーマ:イエスの霊に強められる者
   指 導:山内 十束師(御受難会)
   対 象:独身女性信徒/費用 2,000円
   締切り:1月15日(土)
   申込み:Tel.077(579)2884 Fax.(579)3804
 

《諸団体》

京都カトリック混声合唱団
 練習:9日(日)14:00/22日(土)18:15/30日(日)14:00
         (22日はミサ奉仕後) カトリック会館6階

コーロ・チェレステ(女声コーラス)
 練習:13日(木)/27日(木) 10:00 カトリック会館6階

聴覚障がい者の会
 手話表現の学習会:11日(火) 13:00
     (聖書と典礼 他)カトリック会館6階

糠みその会 27日(木) 19:00 九条教会

心のともしび 番組案内 
 テレビ(衛星.CATV)スカイAスポーツプラス

   毎週土曜日 朝8:45 福田 勤師 「キリストの言葉」
 ラジオ(KBS京都) (月)〜(土)朝5:15
   1月のテーマ「意気込み」

「一万匹の蟻運動」基金報告

   累計 57,007,692円(11月15日現在)





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