| <京都教区時報 2012年1月号の目次> ・1 2021年 司教年頭書簡 〜信仰の恵みを生きよう〜 京都司教 パウロ大塚喜直 |
・2 大塚司教の1月のスケジュール ・3 1月のお知らせ |
2012年 司教年頭書簡 信 仰 パート2
〜 信仰の恵みを生きよう 〜 |
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◆ 『ロザリオの祈り』 京都教区は昨年2011年「信仰」をテーマにして、キリスト者が神からの呼びかけに対して「本物の信仰」によって応える「本物の信者」になることを目指し、各自の信仰を内面から問い直しました。今年は、信仰をあかしする生活を深めるために、その一つの方法として、『ロザリオの祈り』を参考にしたいと思います。 『ロザリオの祈り』は、福音のメッセージ全体の深みを含んでいます。ちなみに今年は、ヨハネ・パウロ二世が2002年10月16日に発布した使徒的書簡『おとめマリアのロザリオ』の10周年にあたります。教皇はこの中で、洗礼と受難の間のキリストの公生活の秘義を黙想する「光の神秘」を加えることを提唱されました。現行の『ロザリオの祈り』は、「喜びの神秘」(受肉の神秘)を月曜日・土曜日に、「光の神秘」を木曜日に、「苦しみの神秘」(キリストの受難)を火曜日・金曜日に、「栄えの神秘」(復活の栄光)を日曜日・水曜日の順序で唱えます。 ![]() 昨年の年頭書簡で11の質問の形で提示したのは、「信仰のセンス」の11の働きでした。今年は、この信仰のセンスと『ロザリオの祈り』の四つの神秘の各五つの黙想を関連させてみました。『ロザリオの祈り』を唱え、一つひとつの「聖母の取り次ぎの願い」を黙想しながら、信仰をよりいっそう具体的に生きることをイメージできたらと思います。 『ロザリオの祈り』は個人の観想の祈りであるだけでなく、家族、社会、国、教会、そして全人類に起こるすべての出来事の中で祈りを必要とする隣人を、マリアとともに心に収めることができます。だからこそ、『ロザリオの祈り』はマリアとともに、苦しむ人々との連帯の祈りともなります。今年の『ロザリオの祈り』は特に、東日本大震災と福島原子力発電所事故の被災者と連帯し、その復興と支援のために捧げましょう。 「わたしは信じた。 それで、わたしは語った」(Uコリント4・13) 1. 信仰の体験・キリストとの出会いを告げましょう 〔信仰の人格的センス〕 「喜びの神秘」は、キリストの受肉の出来事から発する「喜び」のうちに、イエスの隠れた生活を黙想します。私たちは福音書の中で、この人となられたキリストに出会います。これは、私たちが周囲の人との出会いの中で、キリストとの出会いを再現するためです。
◆「マリア、神のお告げを受ける」 喜びの神秘 第1の黙想 マリアは信仰によって、「わたしは、主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」と天使に答え、お告げを信じました。私たちも、口で信仰を告白する公のあかしをして、神の望みを生きようとする決意を表明しましょう。これが信仰者自身の福音化の原点です。
◆「イエス、天に上げられる」 栄えの神秘 第2の黙想 「栄えの神秘」は、キリストの受難の闇を通り抜けて、復活と昇天におけるキリストの栄光に心をむけます。私たちは主の復活の証人です。キリストについての観念的な言葉ではなく、復活されたキリストが今も私の中で、人々の中で、あるいはいろいろな出来事の中で、現に生きておられるという実感を味わい、感動をもって伝えましょう。復活信仰のあかしは、それ自体が信仰の行為です。 2. 祈り・みことば・新しい熱意 〔信仰の発見的センス〕
◆「マリア、イエスを生む」 喜びの神秘 第3の黙想 信仰のセンスは、神のみ旨を発見する感覚です。私たちが心の準備をして、イエスを真剣に迎える時、主はその思いを打ち明けてくださいます。祈りの中で、あるいはみことばを深く味わい、キリストの現存にじかに触れ、そこから湧いてくる感動こそ本物です。本物なら、人にも伝わっていくはずです。各自、実際にキリストに出会った体験に基づいて信仰をあかしすることを心がけましょう。
◆「マリア、イエスを見いだす」 喜びの神秘 第5の黙想 ヨセフとマリアは十二歳のイエスを神殿で見出した時、イエスのことばの意味が解りませんでした(ルカ2・50)。信仰のセンスは、「見えないものを見るとき」に使う想像力です。この想像力によって、しるし(象徴)は認識されて、媒介となります。この霊的な感覚は使わないと鈍くなり、信仰生活がマンネリ化します。「新しい福音宣教」で言われる「新しい熱意(パッション)」でもって、日常生活の中で主を探し求め、神の呼びかけに挑戦していきましょう。 3. 出来事の中で、主への信頼を深める 〔信仰の認識的センス〕 人間が、愛に満ちた人格的なつながりに基づいて、神秘である神を「知る」ことができるのは、信仰のセンスのおかげです。神について抱く私の思いは、往々にして概念的で明瞭な表現が可能な知識というよりも、直観的・非言語的な内容です。したがって、他人に信仰を語る場合、自らの生活を語ることによって最もよく伝わります。
◆「イエス、カナの婚礼で最初のしるしを行う」 光の神秘 第2の黙想 「ぶどう酒が足りない」とマリアは気づきました。周囲の出来事を信仰と愛の精神によって見つめる時、神のみ旨を明かすキリストに出会うことができます。マリアは御子を信頼し、従順の模範を示しました。私たちも、この世のすべての物事、出来事に意味があると信じるとき、私たちの生活自体が救いをもたらすキリストの出来事の一部になります。イエスに信頼し、日常の場で救いの道具になりましょう。 4. キリストによって、キリストとともに、キリストのうちに 〔信仰のキリスト論的センス〕 信仰のセンスの究極の対象は、三位一体の神です。信仰のセンスの第一の規範(物差し)はイエス・キリストです。『ロザリオの祈り』は、核心においてはキリストを中心とした祈りです。
◆「イエス、神の国の到来を告げ、人々を回心に招く」 光の神秘 第3の黙想 イエスは福音を告げましたが、私たちにとって福音を信じるとは、イエス・キリストを受け入れることです。心から悔い改めるとは、考え方を改め、頭を切り換えること、心を入れ替え、生きる方向を転換することです。私たちが心とからだ全体でキリストの福音を受け入れることが、あかしの第一歩です。 ![]()
◆「イエス、復活する」 栄えの神秘 第1の黙想 「わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです」(フィリピ3・10−11)。パウロは復活の恵みに与るため、古い自己を捨て、新しい自己を生きることを目指しました。「キリストに倣う(Imitatio Christi)」とは、新しい自己をキリストに見立て、生活の中で具体的実践的にキリストを模倣することです。 5. 受ける秘跡より、生きる秘跡へ 〔信仰の秘跡的センス〕 7つの秘跡(洗礼・堅信・聖体・ゆるしの秘跡・婚姻・叙階・病者の油の秘跡)においては、それぞれ神の救いの恵みが現在化しています。秘跡を受けて終わるのではなく、その恵みを生きなければなりません。信仰のセンスは、秘跡の恵みを無駄にさせません。
◆「イエス、ヨルダン川で洗礼を受ける」 光の神秘 第1の黙想
◆「イエス、むち打たれる」 苦しみの神秘 第2の黙想 イエスは神の国の到来を告げ、回心を呼びかけ、へりくだりと信頼をもって自分に近づいてきたすべての人の罪をゆるしました。これこそ、教会が世の終わりまで託されたキリストのあわれみの業です。イエスを裏切ったペトロは、この世で罪をゆるす権能を授かりました。キリスト者はゆるしの秘跡を受け、何度も罪から立ちあがる生き方を続けて、教会のゆるしの使命を世にあかしするのです。 6. 信仰と生活の一致・奉仕と愛の実践 〔信仰の実践的センス〕 信仰の実践的センスとは、信仰のセンスの認識面と密接に関係し、「知識」と「行動」の深いつながりを意識させます。信仰と生活の遊離に常に気をつける人は、個々の状況(難題)に信仰を愛の心で当てはめるからこそ、日常生活の場で「信仰が意味するもの」を知ることになります。それこそが「愛の実践を伴う信仰」(ガラテヤ5・6)です。愛こそが、愛の実践の義務を理解させるのです。
◆「イエス、十字架を担う」 苦しみの神秘 第4の黙想 キリストは、愛ゆえに「死に至るまで、それも十字架の死に至るまで」(フィリピ2・8)へりくだられた神です。キリストの十字架は、愛が動機による、愛のための犠牲のシンボルです。現代は、人間のいのちや人権・平和・環境など普遍的な価値を守り、福音的な生き方を貫くために、多くの努力と犠牲が求められます。愛と正義と平和のために、自分の十字架を担う生き方こそ、現代人から信用される信仰のあかしです。
◆「イエス、最後の晩餐で聖体の秘跡を制定する」 光の神秘 第5の黙想 イエスはパンとぶどう酒を弟子たちに分け与えて、それらを神と人々に対する徹底的な愛と奉献のしるしとなるご自分の「御体と御血」となさいました。私たちはミサに与る度に、御父の愛を受け、全ての人々が救われるという教会の確信を深め、かつ更新し、常に新たにされます。日々犠牲と奉仕の業に励み、神の愛こそいのちの支えであり、生きる勇気と力のみなもとであることを黙々とあかしするのです。 7. 救いの恵み・喜び・平和 〔信仰の救済的センス〕 信仰のセンスには、「救済的次元」があります。人生における救いの体験から来る信仰のセンスです。救いに関する知識は、苦しみや不安からの解放という救いの経験によって意味を与えられ、再生の力となります。
◆「イエス、息を引き取る」 苦しみの神秘 第5の黙想 イエスの死は、神の愛をあかしするための奉献でした。神の愛の啓示は、私の救いのためだけでなく、すべての人が幸せになるためのものです。私たちはできるだけ多くの人、特に苦しんでいる人、悲しみの中にある人、貧しい人たちがキリストに出会うように働くのです。
◆「マリア、 天の栄光に上げられる」 栄えの神秘 第4の黙想 マリアとともに、キリストの復活を観想するキリスト者は、自分たちが何のために信仰を与えられ、何を信じているのかを知り、その喜びを体験します。この世で他者のために生き、社会を福音化する努力を続けるのは、生きることの希望の根拠がこの世界を超えたものにあるからです。永遠のいのちに希望をかける愛の生き方が私の喜びとなるように祈りましょう。 8. 希望・人生のリズム 〔信仰の統合的センス〕 「あなたの信仰は人生の物語となっていますか?」この質問には、各自が信仰によって自分の人生を振り返り、神への感謝と希望を確かなものとする意図があります。信仰の「統合的」センスは、過去と現在、信仰と個人のアイデンティティー、教義と生活、信仰と実践をつなぎます。罪と救いの人生の糸は、一つの物語で全体に織り込まれます。ヨハネ・パウロ二世は、「ロザリオの祈りの単純な祈りは人生のリズムを刻む」と言われました。(1978年10月29日のお告げの祈り)
◆「マリア、イエスを捧げる」 喜びの神秘 第4の黙想 「喜びの神秘」の最後の二つの神秘は、喜びの雰囲気の中にも、すでにこれから起こる悲劇的な出来事を前もって示します。神殿で聖別される幼子は「反対をうけるしるし」となり、母の心が剣で刺し貫かれるという預言も述べられます。マリアは、犠牲と困難の中でも愛に生きる日々の生活に「アーメン」と応える信仰者の模範を示しました。私たちも毎日の生活を信仰によって捧げることで、神の救いの計画に参加することができるのです。
◆「イエス、いばらの冠をかぶせられる」 苦しみの神秘 第3の黙想 イエスはあらゆる誘惑と辱めにさらされながら、人間のあらゆる罪と戦います。それは、御父にこう言うためでした。「わたしの願いではなく、み心のままに行ってください」(ルカ22・42)。神不在の現代社会で、見えない神に希望を置く福音的価値観が無視されても、私たちはこれを選択していくのです。 9. 預言者のまなざし 〔信仰の批判的センス〕 キリスト者は、信仰による救済的知識のおかげで、明敏な判断能力が身に付き、神の愛に反するものを識別する直観的な感覚が養われていきます。これが、信仰のセンスの批判的次元で、預言者のまなざしに似ています。
◆「イエス、タボル山で栄光の姿を現す」 光の神秘 第4の黙想 御父は弟子たちに「これに聞け」と命じ、御子の受難に立ち会う準備をさせます。私たちは、困難な時にこそ、栄光のキリストを通して働きかける聖霊の力を経験するのです。神の愛が拒まれる現代の迫害の状況で、イエスに従う道にしっかりと踏みとどまりましょう。
◆「イエス、苦しみもだえる」 苦しみの神秘 第1の黙想 キリストは御父のみ心の前で、大きな苦悩を体験します。キリスト者に対する現代の誘惑は、教会の外部からよりも信者の内側を通してやってきて、いつの間にかキリスト者自身が求める救いそのものが世俗化されはじめています。この世俗の誘惑に打ち勝つために、イエスとともに目覚めて祈りましょう。 10. 福音の芽生えを育む連帯・奉仕 〔信仰の共同体的センス〕 私たちは自分の信仰のセンスを確認するために、他のキリスト者の信仰のセンスの尺度に目を向けます。信仰の批判的センスは拡大され、教会共同体的センスとなります。
◆「マリア、エリサベトを訪問する」 喜びの神秘 第2の黙想 マリアの声と、その胎内のキリストがおられることによって、ヨハネは「喜びおどりました」(ルカ1・44)。キリスト信仰はその仲間と生きます。それは、他の多くの人々に救いの喜びを伝え、共に分かち合うためです。身の回りの福音の芽生えを信仰の仲間と探し、さらに大きくなるように協力しましょう。
◆「マリア、すべての人の母となる」 栄えの神秘 第5の黙想 神がくださる信仰の恵みから、あかしの使命を除くことはできません。信仰共同体はけっして個々人の単なるグループや集まりではなく、あくまでも宣教に派遣されるために、神からの恵みの場として育てられていくものです。私の信仰のセンスが共同体の信仰のセンスに貢献できるのです。 11. 新しい福音宣教のための勇気 〔信仰の聖霊論的センス〕 キリストの霊による信仰のセンスは、私たちに神の国の完成のために働くより大きな自由への勇気と、より大きな責任を甘受させます。
◆「聖霊、使徒たちにくだる」 栄えの神秘 第3の黙想 聖霊は使徒たちに、主イエス・キリストの教えを実行する意思と、それに伴う困難を耐える勇気を与えました。キリストの霊に仕えるものとして、神の愛のあかしの使命をうけた私たちも、救いの奉仕のために自分たちに与えられたカリスマ・賜物を発見しなければなりません。そして、それらを教会共同体として開発し、現代社会で効果的に役立つように、「新しい福音宣教」の「新しい表現と方法」を創り出していきましょう。 ◆ 信仰と希望と愛 「信仰・希望・愛」という順序でいう対神徳がありますが、その通り信仰があってはじめて真の希望がわき、完全な愛の実行に努めることができます。しかし、この逆もまたある程度まで真実です。希望と愛のあるところに信仰の種が芽生え、愛の勝利を待望しつつ、まことの愛を実践しようと積み重ねる人は、信仰へと導かれるのです。それは信仰の希望を土台に、日々愛の行いを実践することです。 ベネディクト十六世教皇は、今年の10月から特別年「信仰年」を開催されます。「信仰年」は、第二バチカン公会議開幕50周年の2012年10月11日に始まり、2013年11月24日の王であるキリストの祭日に終わります。(教皇ベネディクト十六世自発教令『ポルタ・フィデイ ―「信仰年」開催の告示』2011年10月11日) 今年、京都教区の私たちは、信仰のあかしをテーマに歩みながら、この信仰年の準備を始めましょう。 2012年1月1日 神の母聖マリアの祝日 |
大塚司教 2012年1月のスケジュール |
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![]() 1日(日) 10:00 河原町教会・新年ミサ 5日(木) 11:00 司祭・修道者・新年ミサ(河原町) 8日(日) 9:00 女子カルメル修道会 ミサ(衣笠) 11日(水) 15:00 中央協 予算審議会 12日(木) 10:00 中央協 常任司教委員会 15日(日) 15:00 桃山教会・スペイン語ミサ 16日(月) 9:30 修道会宣教フォーラム(大阪梅田教会) 19日(木) 14:00 (社福)カトリック京都司教区 カリタス会 理事会 20日(金) 11:00 列聖列福特別委員会(大阪大司教館) 22日(日) 14:00 草津教会・英語ミサ 23日(月) 14:00 司教顧問会 26日(木) 13:30 第5回「求道者に同伴する信徒」の養成講座 27日(金) 11:00 大阪教会管区 司教会議(大阪大司教館) 29日(日) 15:00 日本二十六聖人殉教顕彰ミサ(河原町) |
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