2014/10 No.443 
<京都教区時報 2014年10月号目次>

・1 2014年 司教年頭書簡 神の「貧しさ」を生きる 
       9.貧しさを自由に生きる

・2
シリーズ小教区 魅力ある教会って?? (宇治教会)

・3 
施設紹介  社会福祉法人真愛の家
   特別養護老人ホーム 真愛の家 寿荘


・4 中学生広島平和巡礼 感想文

・5 高校生 夏合宿 金沢 高山右近の巡礼 感想文



・4 アジアン・ユース・デー 感想文

・4 2014年 教会学校研修会

・4 田中健一司教様の霊名の祝日

・4 YES 2014

・5  大塚司教 10月のスケジュール

・6  10 月のお知らせ

  



2014年 司教年頭書簡
神の「貧しさ」を生きる


9.貧しさを自由に生きる        

 私達が貧しさを自由に生きることによって、現代の富にとらわれた世界に批判的反省を促す力を持っているのでしょうかと問いかけます。貧しさを自由に生きる模範(モデル)として、奉献生活者の例があげられていますが、奉献生活者の証は、拝物的な生き方に汚染(?)されている現代への、一つの批判なのでしょうか、それとも、最上の宝である神への、純粋な愛の奉献のしるしなのでしょうか。
 今回のテーマ「貧しさを自由に生きる」という意味は、キリストの貧しさの意味を知って、本当の貧しさが分かった人は本当に自由になれるんだよ、という意味なのでしょう。
そういえば前回の「喜んで貧しくなる」も同じこと、つまりキリストの貧しさを本当に知ったら心からの喜びに生きることが出来るのだよ、これが福音なんだよと言って下さっている。今回も同じようにその喜びと自由を証しして生きている人々がいる、それが奉献生活者の証、即ち「福音的勧告に生きる」姿なのでしょう。彼らは清貧・従順・貞潔の誓願を立て、それを実践していますが、それは全く自由に全てを献げて生きる愛の奉献の証なのです。貧しさに徹するということは地上に生きる人間にとって不可能に近い、でも「それも出来るんだよ」と証しし、勇気と励ましを与えてくださっているのです。
 もう一つは、「終末論的動機」を持つ使徒的、預言的な「貧しさ」を目指すと言っていることです。これはおそらくこういうことを言っているのだと思います。私たちが天国と呼ぶ完成された至福の状態を先取りするもの、つまり、「その時、人はめとることも、とつぐこともなく天の使いのようになる」(マタイ22・30)と言う。天使とは、ミカエル(神こそ主)のように完全に主に仕えて讃美し、礼拝し生きる存在を指すのです。天使たちのその生き方は天国を象徴する。また人間は天国の至福の状態を十分に言い当てることは出来ない。だから、それを象徴的に語る(黙示録19〜21参照)。その中で「魂は清く汚れない白い衣を着せられた花嫁(乙女)」として描かれている。実に奉献生活者はこの天国における至福の先取りなのです。最後にそれは畑に隠された高価な真珠だと言えます。これは先月のテーマで語られたこと…。
(村上 透磨)






   シリーズ小教区

魅力ある教会って??  (宇治教会)


     

― 御言葉を大事に、交流を大事に、
     皆が集える、開かれた教会 ―


 私達のカトリック宇治教会は、宇治という豊かな文化と自然の中、「日本二十六聖人殉教者」を保護の聖人とし、神様の恵みにつつまれて、祈り・学び・分かち合いにより、来年創立60周年を迎えるまでに成長してまいりました。
 現在、信徒が減り、社会と同じように高齢化となっています。しかし、教会も共同宣教司牧となり、山城ブロックの五つの教会で協力し合い、信徒がそれぞれ、いろいろな所で活躍しています。一昨年、山城ブロックに国際協力部ができ、1年を通して外国人信徒と日本人信徒の交流を持っています。特に8月10日前後の宇治川の花火大会には宇治教会に、100人くらいが集まり一緒にバーベキューをし、花火を見、楽しい一時を過ごします。
 残念ながら、今年は台風のため花火は中止となりましたが、103人が集まり、予定通り一緒にバーベキューをし、交流することができました。(写真)
 また、開かれた教会を目指し、この3月から、留守番当番を信徒が交代で行い1日2時間ですが教会を開けています。
 観光地なので、外国の方や他府県の方も聖体訪問してくださることもあります。誰も来られないときがほとんどですが、教皇フランシスコの「小教区の門は開けて置くように」との呼びかけに従って、今後も続けていこうと思っています。
 主日のミサには70人くらいの方が来られます。子供は少数ですが、外国人の方が来られるようになりました。交通の便が悪い方や高齢者の方には、乗り合いでの送迎をして、一緒にミサに与れるように協力しています。
 入院や施設に入っておられる方など教会に来られない方もおられますが、聖体授与の臨時の奉仕者に任命された10名の方が、病床訪問奉仕者グループとして、御聖体をお届けしています。病床訪問奉仕者は、月に1度は集まり、祈り、分かち合い、そして病者訪問の状況などの話し合いを持っています。高齢化が進んでいる中にあって病床訪問奉仕者の役割がますます必要だと感じています。幸い今年は若い方が入ってこられ活気が出てきています。
 また、車椅子に対応するために、聖堂入口にスロープを設置、トイレの改修も行いました。
「わたしの名によって、二人三人が集まるところにわたしは居る」というキリストの御言葉のように、病気の方も、体の不自由な方も、子供も大人も、日本人も外国人も、信者も未信者も集まり、キリストの御言葉を聞くことを大事にし、キリストのいつくしみを体験し、その喜びを宣べ伝えることによって、宇治教会の魅力が生まれてくると感じています。
カトリック宇治小教区評議会


   施設紹介
社会福祉法人真愛の家
   特別養護老人ホーム 真愛の家 寿荘

「観想修道会といえども地域の福祉に役立つ活動を」という第二バチカン公会議直後の思いがけない通達を受けて、観想修道会であるレデンプトリスチン修道会のシスター達は、教会や行政からの助言と要請を受けながら、祈りのうちに検討を重ねられました。その結果、当時この地域に最も必要とされた特別養護老人ホームの建設を決められ、1968年(昭和43年)、舞鶴市の現在地に京都府下で第1号の特別養護老人ホーム、「寿荘」を設立されました。
 ところが開設から1年半後、レデンプトリスチンのシスターは、北海道からも特養建設の要請を受けて拠を移されることになったため、同じ舞鶴市で教育事業に携わっておられた聖母訪問会のシスター達に寿荘の運営を依頼され、引き継がれることになりました。  それから20年余、「特別養護老人ホーム寿荘」は、聖母訪問会のシスター達によって舞鶴市にとってなくてはならない高齢者福祉施設に育て上げられましたが、聖母訪問会のシスター方は、会そのものの在り方を見直される中で、『事業経営』は修道会の本来の任務ではないと考えられるに至り、それまで経営してこられたすべての事業所について、理念を同じくする他法人に移譲することを決定され、それぞれ移管作業に入られました。

 しかし、特養寿荘については既設の法人に受け手がなかったため、舞鶴の教会関係者や福祉関係者の協力を得て新法人を作ることとなり、1991年7月、京都府の認可を受けて新しい「社会福祉法人真愛の家」が設立され、特別養護老人ホーム寿荘が移管されたのです。真愛の家は、このようにして「寿荘」の経営を受け継ぐためにできた、まだ歴史の浅い社会福祉法人です。

 その後、時代の要請を受けて各種の在宅福祉サービスを加えて行くとともに、特別養護老人ホームも2002年に全面増改築し、舞鶴市の要望を受け入所定員110名、短期入所15名とそれまでの2倍の施設になりました。
 現在は、他に、認知症グループホーム、デイサービス、ホームヘルプサービス、居宅介護支援事業所、小規模多機能事業所を運営し、地域包括支援センターを舞鶴市から受託しています。
「神の賜物であるいのちの尊さに仕えること」を法人の基本理念とし、最も困っている人、最も苦しんでいる人に率先して手を差し伸べていこうと、代々のシスター達の思いを受け継ぎながら、カトリック施設としての在り方を模索しています。
真愛の家 寿荘 正面
毎週火曜日は、施設内でミサ 5月と10月には、聖母行列の後ルルドの前でミサ
毎年8月第1金曜日に夏祭りを開催し、利用者・家族・ボランティア・地域の方・職員で大いに盛り上がります
 












  中学生広島平和巡礼 感想文
   
3年 唐崎教会 永井絵美梨


 今年は3度目の合宿になりました。一昨年から広島に来ていますが、何回ここに来ても、戦争の事についてや、平和とは何なのかといろいろ考えさせられます。私はまだ中学三年生で、世界中におきている問題ははっきりと分かっていませんが、一つだけわかっているのは、今の世の中のままでは、「平和」には遠い所にいるということです。

 私はこの合宿で3回目の平和記念資料館へ行き、ゆっくりと広島の原爆についての資料を読みました。今回が初めて行くわけでもないのにまた新たな発見をして、疑問に思ったことを解決できました。今までに二回同じ場所を見に行ったことがあったのに、また新たなことを発見することが出来たので驚きました。今回、平和記念資料館に行き、思ったことは、アメリカが日本に原爆を落としたのは、日本があまりに太平洋戦争で暴れすぎたため、早く戦争を終わらせたかったからなのではないかということです。日本に原爆を落とそうとアメリカに思わせたのは、日本自身ではないかと思いましたが、原爆で戦争を終わらせようとしたアメリカもやりすぎだと思いました。戦争を終わらせる方法は、他に話し合うなどがあったのではないかと思います。もう二度と長崎や広島に起きた悲劇が起こらないように祈りたいです。

 今回の合宿の分かち合いで「平和」とはなにかと考えました。ほとんどの人は「平和」=「戦争が無い」と結びつくようです。私も、今日の分かち合いまでそう思っていましたが、それがすべてではないと分かりました。一人一人が安全に暮らせる世界やみんなが笑顔で暮らせる世界、という意見があり、なるほど、と思いました。
 私はこの夏、合宿を過ごしてみんなの意見や「平和」に関して前より分かったのがうれしかったです。これからも「平和」や「戦争」について考え、今から私に出来ることをしたいと思いました。


3年 唐崎教会 田中拓実

 3年続けて来て思ったこと。それは、来る回を増すごとに原爆への恐怖が増すことだ。1年目に来たときは、衝撃を受けた。こんなにもむごいことが、何故出来るのか。2年目には、1年目のような衝撃はあまり感じず、むしろ原爆についてより知ろうとしていた。今回の3回目、原爆についてよく知った今、そのむごさ、無常さがより感じられた。直視出来ずに目をそらさなければいけない程だった。
 気のせいかもしれないが、最近世界全体が戦争の方向に向いていると思う。イスラエルによるガザ侵攻、集団的自衛権など、一歩間違えれば全面戦争に発展しかねないことばかりだ。国連も、結局は武力で終わらせようとしている。「平和」という言葉が、土足で踏みにじられているような気がする。
 この広島で伝えたいことが、世界に全く伝わっていない。まぁ、広島がある日本でさえ武力に頼ろうとしているのだ。当然のことだろう。そもそも、自衛隊こそ、GHQの方針で出来たものだ。日本がつくった訳ではない。今すぐにでもなくなっていいのではないだろうか。
 平和は、抑止力がなくては実現しないという。だが平和とは何なのか。押さえつけてこそあるものなのか。僕は、それは憎しみを生むだけだと思う。そんな「平和」は偽物である。武力に頼らない「平和」こそ、真の「平和」だと僕は思う。


1年 河原町教会 平野有理

今回、私は初めて広島に行きました。平和について学ぶために。
初めて身近で済州(韓国)の中学生と交流して、すごく仲良くなれたと思っています。今回のテーマは平和への道ですが、私はそれと済州の方との交流も同じくらい大切にしたいと思いました。
戦争では、日本人はもちろん、韓国の方もたくさん亡くなったということが分かりました。共に過ごしている友達と同じ国の人がたくさん亡くなっているのは、すごく悲しいです。(もちろん世界中だれでも悲しいことです。)でも同じ国民としての悲しみは、はかりしれません。その過去を知っていても仲良く過ごせるのはいいことだと思うし、私もすごく嬉しいです。こうしてわかりあえる仲間が一人でも増えることを願っています。いずれ世界中がそうなるといいな!「来年も絶対いくぞ。」と思える合宿になって良かったです。


大塚乾隆 神学生

 数年前から、被爆者証言をする語り部の高齢化が報じられています。次の世代に戦争のおそろしさをどうやって伝えていくかが問題となる中で、語り手を育成することや本や物証を使って伝えることがなされています。しかし、来年で戦後70年を迎える今、戦争を体験したり、その悲惨さを直接聞いたりした人が少なくなりました。私が小さい頃は考えられませんでしたが、残念ながら今では被爆者証言をする人へのヘイトスピーチが生じています。まずは戦争や原爆の危険性そのものを説明することが求められているのでしょう。
 8月6日の朝と夕方に原爆ドーム周辺に行き、そこで私は多くの人の平和を伝えようとする熱い思いを感じ、自分が原爆について何を知っているのか、どれぐらいそのことを伝えようとしているのかを考えました。このことを考えていると、イエスの死と復活について初代教会が歩んだ道のりと重なるところがあるように思いました。
イエスと時間を共に過ごした弟子たちが生きているころは彼らが中心になってイエスの教えを広めますが、徐々に弟子たちは使徒たちを養成し、より多くの人にイエスの教えを伝えます。しかし、イエスの死と復活を共有した人たちが少なくなることで、本当にイエスの復活があったのかと疑いが生じたのでしょう。パウロはTコリント書15章で、「最も大切なこと」としてパウロ自身も受けた「キリストの復活」を著します。彼らはイエスの教えを何よりも大切にし、それを伝えることを第一の使命だと考えました。私は神学院での生活を通して、イエスについての知識を深める道を歩んでいます。しかし、広島で平和を訴える人たちほど、私はイエスの教えを宣べ伝えていないことを反省しました。
8月6日の8時15分に広島の相生橋に立った私たちが、リアリティを持って原爆の恐ろしさを感じ、その悲惨さを伝えようとしたように、イエスとの生きた交わりを深めることで、私たちはイエスの教えを人々に伝えていけるのだと思います。原爆による被害は、多くの場合その悲惨さを目で見ることができ、だからこそ伝えなければならないという強い思いを生みます。私たちが受けた洗礼の恵み、御聖体によるイエスとの人格的交わり、個々人の救いの体験は目で見えにくいものではありますが、私たちは確かにこれらのことを経験しています。今年の平和巡礼を通して、イエスについて知ることと、自分の体験したことを伝えるためにイエスとの関わりを強くすることが大切であるということを学びました。




  高校生 夏合宿   
金沢 高山右近の巡礼 感想文

高山右近の巡礼を通して感じたこと

 2年 東舞鶴教会 平沼 麟

今回、高山右近についての合宿で思ったことは、ガイドの方がお話ししておられたことで、“戦国時代に生きた右近と現代に生きた私達は似た状況にある”ことについて、本当にそうなんだろうか、という疑問が浮かんできたことです。
この合宿でたくさん高山右近の事を学びました。しかし、戦国時代で起きていた事、現代起きている事と言う程、似ているとは思いませんでした。右近や右近の家族達は禁教令で追放されたけど、最後までキリスト教を信じていました。他にも、その時代に生きた人々で、秀吉や家康の命令から逃れる為に、色々な工夫をして生きてきた隠れキリシタンのことを思うと、当時のキリスト信者はすごく信仰が厚かったんだと感じられました。それと比較すると、今の人々はミサに行ける世の中になっているのに行かない人が増えている気がします。この話だけでも似ていないと思います。今回右近の巡礼を通して、このようなことを強く思いました。
 私達が今大切にしなければならないのは、戦国時代に生きて、隠してまで守り続けたキリスト教、そして一番大事な信仰だと思います。


 2年 大和高田教会 橋本 真優
 
 今回の高山右近の巡礼で改めて高山右近は私たち信者にとって関わりが深く、とてもすばらしい方だと思いました。
 私は今年の秋に奈良地区で行われる「義の人ユスト高山右近」の劇で右近の妹を演じます。なので、知ってる事が多く今回の巡礼では色んな方々のお話を興味深く聞くことができ、また劇の背景を少し想像することにもつながりました。
 そして、今回の巡礼の中で「本行寺」を訪ねた時のことが印象に残っています。隠れキリシタンの寺とされる本行寺で様々な資料を見た時、私は昔のキリシタンの方々がキリスト教を守っていなければ、今私がキリスト教を信仰することもなかったのかなと思いました。また、キリスト教を信仰していてよかったなと思いました。この信仰を次につたえていくことが私たち一人一人に与えられた課題だと感じました。
 最後に、一緒に参加したメンバー、現地でお世話になった方々、今回の巡礼を通して出会ったすべての人々に感謝の意を表し、終わりとします。


 2年 河原町教会 守口 航平
 
 今回の高山右近の巡礼をしたことによって自分の中で変わった事が2つある。
 1つ目は、自分の生き方や価値観が変化したことである。今よりも自由に自分が信じたいことを信じることが難しかった時代に、右近は自分の信念を貫いた。今の自分はどうだろうか。自分の信念というものは持っているけれども、それを貫いているかと聞かれたら貫けているとはっきり言えない。だから、自分の確固たるものを貫くということをしていきたいと思った。
 2つ目は、自分の存在というものについてである。人間というものはいずれは死んでしまう生き物である。死んだら自分の存在はどんどん忘れ去られてしまう。しかし、高山さんの家にお邪魔させていただいて家を拝見させていただくと16代に渡って周りから色々言われたりして苦労をしながら受け継いでいっていたということが分かった。自分の存在が代々受け継がれて欲しいなどそのような欲求があるのではない。しかし、生きていく上で自分の存在が後世の人にも認められるような存在になりたいと思った。



 3年 唐崎教会 新田 理紗子

 今回私は、この合宿、いつも行っているからその流れで行ってみよう、というとても軽い気持ちで参加を決めました。正直、準備合宿として行った春合宿でも、それほど真剣に話を聞いていた訳ではないし、その時いただいた、高山右近について書かれた本も、ずっと放置したままでした。しかし、行くという直前になってその本を読んでみると高山右近の生き方というものに、とても興味が持てるようになりました。
 これまで、列福や列聖などがどういうものなのかもよくわからないまま、高槻教会での事前学習へ参加し、大塚司教様や高槻教会の方から多くの事を教わりました。さらにこの合宿で高山右近の63年の人生のうち半分近くの26年間を過ごした金沢へ実際に訪ねて、高山右近について研究もされているガイドの方に高山右近のゆかりの地を案内していただきました。
 この巡礼合宿を通して特に感じたのは、高山右近は、心の底から神に仕えていたのだなということでした。もし私が同じ立場だったら、自らの地位や家を捨ててまで、キリストのことを信じることができたかどうか自信がありません。というか無理だったと思います。
 ただ信じるだけでなく、心の底から神に仕えることができるように、日々生活していきたいです。


 3年宮津教会  矢野 有希子
  
 今年の夏合宿で高山右近の巡礼で金沢に行くと言われるまで、私は高山右近について何も知らなかった。ただ、京都教区の合宿にはほぼ参加しているので、今回も行こうと思い、申し込んだ。
 高槻での事前学習や現地での見学を通して一番強く感じたのは、右近や隠れキリシタンとなった人々の信仰心の深さである。禁教下において、上からの命令で、見つかったら命が危険にさらされるにも関わらず、彼らは信仰をとった。正直時分だったらそうできないと思うが、彼らの偉大さを感じたし、今まで特に考えたことのない信仰というものについて考える機会になったと思う。
 この巡礼の中で隠れキリシタンの寺として知られる本行寺を訪問した。お寺の中にキリスト教の資料がたくさんあって変な感じだったが、住職さんが「代々キリスト教を寛大に守ってきて、今でもたくさんの資料が残っている」といっておられて、排他的にならずにお互いを受け入れて共存している姿がとても印象に残った。クリスチャンの人が少なくて、日常生活で疎外感を感じることが少なからずある中、「信仰する宗教は違っても信じる心は同じ」という住職さんの言葉がとても心に響いた。高山右近やその他のことに関しても宗教という枠にとらわれず、たくさんの人と分かち合っていけるようになれればいいなと思う。




 3年 西院教会 粟井 睦
 
 今年の夏の高校生会はキリシタン大名である高山右近が長い間過ごした金沢への巡礼でした。金沢教会の、右近に詳しい方に石川県の各地を案内してもらいました。
 右近が信仰したマリア像や、右近の像などを多数保存している本行寺というお寺に行きました。住職さんは仏教の人にもかかわらずキリスト教や右近に詳しく、私たちは、右近が苦労してキリスト教を守って来たことを聞きました。私は幼児洗礼なので、今まで常に近くには教会の存在があり、無意識のうちに教会が私の人生の支えになっていて、自分がキリスト者で良かったと思っていますが、日本にキリスト教が仏教に負けずに存在しているのも右近達キリシタンが守ってきたからだと思うと、彼らの偉大さに驚くと同時に、彼らは日本のキリスト教においてなくてはならない存在だったのだと強く感じました。右近の信仰の強さは驚きですが、逆に混乱した世の中であったからこそキリスト教が社会を生き抜く支えになっていたと思います。だから私たちの生きる現代も不安定になりつつあるので、右近のように強い信仰をもっていきたいです。



高山右近の小指が埋葬されていると言われている墓



 アジアン・ユース・デー  感想文

殉教者のアジア(AYDに参加して)
    菅原 友明 神学生

 8月9日から18日まで、韓国で開催された第6回アジアン・ユース・デー(AYD)の行事に、京都教区の青年たちと共に参加させていただきました。はじめの4日間は、済州島でホームステイをし、済州教区の神学生や青年の方々のお世話になりながら、島内を巡り、歴史や文化や自然を学び、各教会でミサを祝い、祈りの時を持ち、あたたかな交流の時を持つことができました。13日に済州島を発ち、ソルメ聖地に入り、アジア各国からの青年数千人と合流し、AYDの開幕ミサを祝いました。
 今回のテーマは「目覚めよ、アジアの若者。殉教者たちの栄光があなたに輝く。」というものでした。期間中、ソウルでは、韓国の124人の殉教者の列福式も行われましたが、アジアの国々は歴史の中で、数えきれないほどの殉教者を出しています。まさに「殉教者のアジア」であり、その栄光を礎として、今の私たちの教会があるのだということをあらためて実感しました。
 AYDは、歌や踊りや演劇など、華やかなパフォーマンスにあふれていて、アジアの教会の若者たちのパワーに圧倒させられましたが、一見派手にみえるプログラムの土台にあったのは、「殉教者たちの信仰」というしっかりとしたテーマでした。深夜にも及ぶ強行スケジュールをこなしてゆくうちに、私たちは自らの信仰を見つめ、そこに殉教者の心の光が間違いなく輝いていることへの気づきへと招かれてゆきました。

 殉教とは過去の語り草ではなく、神様のため、他者のために死ねば、永遠の命、本当の私を生きるという、時代も国境も超えたキリスト教の本質です。韓国で初めての司祭となったキム・デゴン神父は、「私は主のために死にます。でも、これは、永遠の命が私にはじまることです」という言葉を遺し、25歳の若さで殉教しました。15日の夕方、私たちはソルメ聖地にフランシスコ教皇様をお迎えしたのですが、キム・デゴン神父の生家の前で、教皇様が目を閉じて、静かに祈っていた姿が印象的でした。キリストの命を生きるとはどういうことなのか、心の中にしみ込んでくるような気がしました。16日のミサで「キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると私たちは信じます」(ローマ6・8)というパウロの言葉が朗読されましたが、この言葉を、今回AYDに参加した多くのアジアの若者たちが、理屈を越えて味わい、共有することができたのではないでしょうか。次回のAYDは2017年にインドネシアで開催されます。






 
   2014年 教会学校研修会
   
 8月30日(土)河原町教会ヴィリオンホールにおいて、京都教区教会学校研修会が行われました。教会学校リーダー、および教会学校の活動に関心のある53名が、21小教区から参加しました。テーマは「なぜ、教会学校?」で、大塚司教様が、講師としてご指導くださいました。
司教様は、まず「子どもにどんなキリスト者になってほしいのか」というビジョンを持つこと、信仰とは人が神からの愛の呼びかけに応えることだと語られました。そして、子どもの信仰教育について「選び」と「信仰のセンス」の2つに分けてお話しくださいました。
人間は、その人生の中で、常に何かを選び取って生きているが、その「選び」は神のみ旨、信仰、福音を基準に神から与えられた自由な意志で、選び取っていくもの、その「愛の生き方」を選び続けていくことを手助けすることが、信仰教育であると述べられました。そして、この「選び」について、聖書から引用して具体的に説明されました。司教様の講話の後、小グループに分かれて、子どもにとっての「選び」について分かち合いをしました。
また、「信仰のセンス」の12の特徴と要点を丁寧に説明してくださり、この12の特徴と「信仰教育」の要点を、教会学校の活動と照らし合わせながらまとめる作業を、小グループに分かれて行いました。
 この研修会をとおして、『神さまにつくられ、愛されているから生きている』ということを子どもたちに伝えることの大切さ、そして、その大切な使命と恵みを教会学校リーダーはいただいていることに、あらためて気づかされました。
会場は終始、和やかで、楽しい雰囲気に包まれ、 司教様は最後に、教会学校リーダーに労いと励ましの言葉をくださり、参加者はそれぞれの小教区で、希望をもって奉仕する力をいただきました。
                
 教区信仰教育委員会 奥埜さと子




   

田中健一司教様の霊名の祝日
高野教会 嶋 雅子

 カトリック高野教会での8月31日の主日ミサは、田中健一司教様の司式で行われました。この日は、田中司教様の霊名の聖人、ライムンドの任意の記念日で、今年は主日と重なりました。また、司教様の87回目のお誕生日でもありました。久し振りにお姿を拝見できることを楽しみにしていました。入祭の時、杖を持ちながら堂々としたお姿で、行列して来られたのには驚きました。そして、お説教は「自分が頂いている洗礼名の聖人を、よく調べて取り次ぎを願ってください」という分かりやすく日常生活に直ぐ取り入れられる内容で、私の心の中に強く留める事が出来ました。

 司教様と私の父は同い年です。父は10年前に他界しているからでしょうか、司教様と父の面影が重なり、とても親近感があります。高野教会へ向かう時は、いつも司教ハウスの前を通ります。これからも、お元気でおられますようにと祈りながら車を走らせています。












 
YES 2014
田辺教会 小野佳織
 

 今年もYES2014が11月8日(土)〜9日(日)に行われます。去年のテーマは「Hon ne Cafe 2」。くじ引きで分かち合いするペアをつくり、たくさんのテーマを書いた紙をまたランダムに引いてしました。

 ペアで分かち合いなので時間は20分程度。教会に関することから日常の中にあるようなことなどを分かち合いました。1対1で話をするので、仲の良い人もいれば初対面で話を進めることもあります。最初は緊張してなかなか話が進まない時もありますが、少しずつお題について話していくうちに話もはずみ、気づけば時間がすぎていたり…。

 今年のYES2014はどんなことをするのでしょうか?みなさんに会えるのを楽しみにしています。

 YESとは、
   Y : Youth(若者)
   E : Encounter(出会い)
    Enjoy(楽しむ)
    Exchange(交流)
  S : Space(場所)
 の頭文字をとって名付けられ、京都教区の青年の交流の場として、毎年1回開催されています。



 



    大塚司教 10 月
のスケジュール




1日(水) 10:00 中央協 常任司教委員会
2日(木)    特別 臨時 司教総会
4日(土) 10:00 ノートルダム学院小学校 竣工式

5日(日) 11:00 長浜教会・ポルトガル語 ミサ
6日(月)−10日(金) 教区司祭 年の黙想 (軽井沢 宣教クララ修道会 黙想の家)

12日(日) 11:00「アパレシーダの聖母」上野教会・ポルトガル語 ミサ
15日(水)−16日(木) 大阪教会管区 司教会議

19日(日) 10:00 京都コリアンセンター ミサ
20日(月)−29日(水) ユスト高山右近 列福祈願 司教団公式巡礼






 





  10 月のお知らせ        


フィリピン台風被害者義援金のお礼
      総額 3,291,683円
 
 昨年末より皆様にお願いしておりました上記の募金を締め切り8月26日、同国パロ大司教区あてに送金いたしました。パロ大司教区より丁重な、お礼状を頂きました。 ここに皆様のご協力を感謝いたします。

     教区本部事務局長 北村 善朗
《 教 区 》

聖書委員会/Tel.075(211)3484 (水)(木)
 聖書講座
  「神に生かされて」-聖書にみる貧しさ-

  日 時:8日(水) 19:00 9日(木) 10:30
  テーマ:マリア
  講 師:柳田 敏洋 師(イエズス会)

  日 時:22日(水) 19:00 23日(木) 10:30
  テーマ:異邦人の使徒パウロ
  講 師:鈴木 信一 師(聖パウロ会)

 会 場:河原町教会 ヴィリオンホール

  よく分かる聖書の学び
  日 時:15日(水) 10:30
  講 師:北村 善朗師/参加費:300円
  会 場: 河原町教会ヴィリオンホール

《ブロック》
奈良ブロック協議会
 聖書講座
  「キリスト者の信仰を支える旧約のことば」

   日時会場:10日(金) 19:00 大和郡山教会
          11日(土) 10:00 奈良教会
   テーマ:語りかける神
   講  師:ザビエル・スサイ師(神言会)

   日時会場:24日(金) 19:00 大和八木教会
         25日(土) 10:00 奈良教会
   テーマ:主と民の愛の関係
    講 師:一場 修 師(マリスト会)

《修道会》
男子カルメル修道会(宇治修道院)

     Tel.0774(32)7016 Fax.(32)7457
  社会人のための霊的同伴(松田 浩一師)
  日 時:3日(金) 20:00〜4日(土) 15:00
  参加費:6,500円

  水曜黙想(松田 浩一 師)
   日 時:8日(水) 10:00〜16:00
   テーマ:キリストの教え(神と共に歩む)
   参加費:3,000円(昼食代他)

  一般のためのカルメル霊性入門(松田 浩一師)
   日 時:14日(火) 17:00〜15日(水)16:00
   テーマ:イエスの聖テレサ生誕500周年開始
   参加費:7,000円(宿泊・食事込)

聖ドミニコ女子修道会(京都修道院)
     Tel.075(231)2017 Fax.(222)2573
   ロザリオを共に祈る集い
   日 時:17日(金) 10:30〜12:00

ノートルダム教育修道女会(唐崎修道院)
  召命黙想会
   日 時:11月8日(土)15:00〜9日(日)15:30
   テーマ:主よ、お話しください。僕は聞いております。
      愛しあうこと、ゆるしあうこと
   指 導:山内 十束師(御受難会)
   対 象:独身女性信徒/費用 2,000円
   締切り:11月2日(日)(事前申込要)
   申込み:Tel.077(579)2884 Fax.(579)3804
《諸団体》

京都カトリック混声合唱団
 練習
 12日(日) 14:00/25日(土) 18:00ミサ奉仕後
     カトリック会館6階

コーロ・チェレステ(女声コーラス)
 練習 9日(木)/23日(木)/30日(木) 10:00
   カトリック会館6階

聴覚障がい者の会
 手話表現学習会
(聖書と典礼)
 日 時:21日(火)13:00
 会 場:カトリック会館6階

心のともしび 番組案内 
 テレビ(衛星
.CATV)スカイAスポーツプラス
  毎週土曜日 朝7:45
  シリーズ「イエスとともだち」
  出演は森田直樹師(仙台教区へ派遣)

 ラジオ(KBS京都) (月)〜(金)朝5:45 (土)朝5:15
  10月のテーマ「健康の秘訣」

京都南部ウオーカソン
  日 時:11月3日(月) 10:00〜14:30
  受 付:8:45〜9:30 河原町教会
  コース:河原町教会から鴨川沿い往復
  寄付先:東日本大震災被災地、ムリンディジャパン・ワンラブ・プロジェクト支援 他




京都教区サポートセンター

  東日本大震災「大船渡支援」献金報告

京都教区サポートセンター
東日本大震災「大船渡支援」献金報告
   8月分 1,571,540円 / 累計 44,346,970円

ボランティア募集中 
詳細は京都教区ホームページをクリック



  「大船渡支援」献金 郵便振替口座
   口座番号「01000−2−0024724」
   加入者名「カトリック京都司教区本部事務局」
   摘要欄に「大船渡支援」とご記入ください。


10月29日(水)です。。


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