2015/9 No.454
<京都教区時報 2015年9月号目次>

・1 2015年司教年頭書簡 神の「貧しさ」を生きる パートU

     受けるより与える(7)

・2  「2015日本教会史講座 @
      「日本の教会を支えた女性たち」講師 阿部 仲麻呂 師 (サレジオ修道会


・3 
社会と共に歩む教会
  「元路上生活者とのかかわりを通して」 ヌヴェール愛徳修道会



・4 
京都済州姉妹教区交流委員会


・5 青年センターあんてな 聖書の集い

・6  大塚司教 9月のスケジュール

・7 9 月のお知らせ



2015年 司教年頭書簡
神の「貧しさ」を生きる パート U


受けるより与える(7)

   
 人間は、富を持ち始めると、つい多くの物を持ちたくなる、不正な手段を使ってでも、獲得したくなる。だからその富への執着心を常に反省し闘わねばならないと(6)で述べたあと、獲得することに終始しないようにと勧めています。そして、「受けるより与える」とは自由な愛の行いと奉仕であって、その極みが十字架上の愛だと言っているのだと思います。
 ただ素直に申しますと、ここに司教の高鳴る思いみたいなものがあって、それが、かえって難しい表現になっているようにも思えます。今年のテーマは、精神的霊的な貧しさ(神の貧しさ)とは一体何であり、どう生きたらよいのか、という事にあるのでしょうから、その思いを大切にして私なりに解釈してみます。
 キリストと金持ち青年  
    まず、金持ちの青年がイエスのもとに来て、永遠の命を得るために何をすべきかと尋ねます。すると主は「持っている物を売って私に従いなさい」と言われます。「それを聞いて彼は悲しみながら去って行った」とあります(マルコ10・17〜22)その時主は、あなたに「欠けているものがある」と言われるのですが、その「欠け」とは何なのでしょう。主が「欠け」と思われたのは、「青年が永遠の命は、掟を忠実に守ることにあると知っていたとはいえ、富の執着まで捨てなければならないということを、受け入れることが出来なかったこと」に、あるのではないでしょうか。でも、問題は物への執着を断つということでは、福音を「生きる」ことには、ならないというのです。ここで「永遠のいのち」と比較されているのは何かといえば、神の国であり、「持ち物を売る」ことではなく「従う」ことにあると思うのです。一切を捨て富の執着を断つということは、その「従い」の結果なのではないでしょうか。そうでないとこの呼びかけは、道徳的なメッセージに終わり、「すべきか、すべきでないか」「したいか、したくないか」のレベルで終わってしまう。それでは超自然的な愛の領域、十字架上の奉仕に開花する、イエスが約束する永遠の命(神の救い)を得るまでには、至らないということに、なるのではないでしょうか。
 高山右近  
 
 さて、ここでに「高山右近の霊性とイグナチオの霊操」という言葉が飛び込んで来ます。高山右近の殉教の精神は、あのイグナチオの霊操に培われたものだと、知っている者には少し分かりますが……また、イグナチオの霊操ということも、よく理解できない人もいます。キリストの心を悟るには、祈りと黙想と観想によることは確かです。ともあれ司教が引用なさっている霊操の98を見てみますと「……御身へのより大いなる奉仕と讃美となることのみ願い、あらゆる罵詈雑言と全き清貧と心の貧しさと実際上の貧しさを堪え忍び、御身に倣い奉る決意です」とあり。146で霊的清貧には、三つの階があると述べられています。
 第一は、富に対する清貧の段階
 第二は、世俗的名誉に関する辱めと蔑みの段階
 第三は、傲慢に対する謙遜の段階
 この段階から、他の全ての善徳に導き入れるのであると言います。
 
 
   聖イグナチオ
147、我々の貴婦人との対話。つまり、マリアがその清貧の模範であると言おうとしているのでしょう。こういうことを言って年頭書簡は、幼子のように神と国を受け継ぐようになることに高山右近は魅力を感じており、この精神から「殉教者は生まれた」とも言っています。最後に「受けるより与える方が幸い(使徒言行録20・35)とのパウロの言葉を引用して終わります。このパウロの言葉は次のように解釈する事も出来ます。「私はエフェソの教会からたくさんの物質的精神的援助を受けたことを、本当に感謝している。しかし、私にはもっと大きな喜びがある、それは神の救いと恵み、神の福音を与えることができる喜びを感じていることである。」この読み方は、読み込み過ぎていると言われるかもしれません。しかし、この読み方には、私が多く与えることが出来るとしたら、それは全て神から、そして、あなた方から、教会から受けた恵みによるのです。私の豊かさは、神と人々の愛の豊かさによるのだという、謙遜な感謝と讃美の言葉となります。これが、自分の命までもささげて行く愛の奉献となり、また、そこにこそ、神の貧しさに生きることの神秘が、隠されていることに、なるのと思うのです。
 何度も言うようですが、本当の奉献、自分を無にするまでの奉献を可能にするのは、人間の側の犠牲的精神や愛の奉献心からではなくて、神の栄光、偉大さ、愛、恵みやその魅力にとらわれて、はじめて可能になるということです。それは、神の無条件の「理由(わけ)なしの無償の愛」によるということを憶えておきたいと思います。
 なお、年頭書簡の各テーマの最後に述べられている、司教の呼びかけを大切にしたいと思います。
(村上透磨)








  2015日本教会史講座 @
  日本の教会を支えた女性たち
 
第1回 
 激動の時代戦国を生きた女性たち

  『妙貞問答』女性たちの対話の背景にあるもの
    講師 阿部 仲麻呂 師 (サレジオ修道会)

■女性たちによる「生活のあかし」としての信仰の伝達

 今年は「奉献生活者の年」ですが、大事なものを人に渡すことによって、人と連帯してゆくという姿は、奉献生活の中心にあると思います。それは、今に始まったことではなく、自分を捧げて、善いものを人に与えて、一緒に喜んで連帯する、相手に奉仕する動きが活発だったのが京都のキリシタンの特徴でした。当時、女性信徒たちは、現場の人々に寄り添い、自分の一番善いものを与え、一緒に生き、支え合いました。とりわけ、子供や弱い人を助けるという信徒の活発な動きが、発展したのが16世紀から17世紀です。この時代の女性信徒の活躍に注目してみると、わたしたちの先輩たち、つまり女性信徒たちが大きな役割を担っており、社会に大きな影響を及ぼしていたことが見えてきます。その流れを再確認したいと思います。
女性たちによる福音宣教、という視点でキリスト教の歴史を振り返ると、古代ローマ帝国においても、同様の動きがありました。女性たちは、赤子のおもり、病気の家族の世話、子供に読み書きを教えることなど、日常生活の歩みを通して信仰をあかししました。いのちを守る教育を施すのが女性の役割であり、ローマの社会を支えました。この女性たちの、地道な生活のあかしを通した信仰の伝達が、4世紀のローマ帝国におけるキリスト教の広がりのきっかけとなりました。女性たちの働きによって、キリスト教が発展しました。
 当時のローマ帝国の貴族たちが、キリスト教を学んだきっかけが、貴族に仕えていた女性信徒たちの働きでした。キリスト教、はこのように「生活によるあかし」として、草の根のように貴族の間に広がってゆきました。このように見てゆくと、地域や時代や民族性が異なっていても、キリスト教の発展の流れには、共通した動きが繰り返し登場しています。
 また、新約聖書を読めば明らかなように、イエス・キリストの活動は女性たちによって支えられていたことが、うかがえます。実に、十二使徒が活躍できたのは、多くの女性信徒の支えや働きがあったからです。こうして、生活を通したあかしを深めつつ、人々を回心に導く働きをしたのは、女性たちであったということがわかります。この女性たちの働きから学ぶことで、わたしたちがこれから何をしていけるかを、問う必要があります。
 日本では、16世紀から17世紀にかけてキリスト教が発展し、根を降ろし始めましたが、同時に禁教令から鎖国政策に至る政治外交の方針によって、異国からの異質なものを排除する流れが、加速しました。このため、日本国内のキリシタンも異質なものとみなされ、徳川幕府によって執拗な弾圧が繰り返されました。
 それにしても、16世紀から17世紀にかけての、女性信徒たちのめざましい活躍は、記録としてはほとんど残されていません。特に女性の作者による女性の記録がないのです。残っているのは、男性の作者によるものです。そのため、日々の生活のなかでどのようにいのちを守り、信仰をあかししていったか、という記録が乏しいことから、研究が停滞しています。それでキリシタン研究は、たいていの場合、政治外交もしくは体系的な教理テキストの思想的な研究に留まっています。女性が表舞台に立てない時代ということと、女性の視点での研究がこれまで未遂のままだったわけです。
 しかし、これまで注目されなかった視点で考察を深めてみましょう。表舞台に立つことのできなかった女性の視点を、掘り起こす手段として、今回は『妙貞問答』を取り上げることにしました。ここには、16世紀から17世紀にかけての、キリシタン女性の活躍が描かれているからです。その際に、この講座を通してわたしたちは、男性優位的な状況のなかで、流されがちであったとも言えそうな「制度としての教会での信仰の伝達」を扱うのではなく、むしろ日本教会史のなかで「生活のあかしによって、人々を支えつつ回心へと導いたキリシタン女性たちの姿」に焦点を当てたいと思います。


■『妙貞問答』について

 『妙貞問答』は1605年に刊行されました。関ヶ原の戦いが終わって5年後、石田三成が敗退し、豊臣家が滅びへと向かい、徳川政権になっていく時代が設定として出てきます。冒頭部は「石田三成様が敗れて時代が変わった」という書き出しで始まります。石田三成の味方をした武将たちの奥方たちが、未亡人となり、細々と、亡くなった人たちの弔いをするという、まさに17世紀の激動の時代が描写されています。
『妙貞問答』は、民衆向けに読みやすいものとなるように配慮されました。この物語には「妙秀」(キリシタンの立場に興味を持つ未亡人であり、戦死した夫の菩提を弔う尼)と「幽貞」(キリシタンの立場の尼)という、二人の若い未亡人の女性が登場します。この二人に対話をさせながら、キリスト者の生き方を肯定してゆくという手法をとっています。幽貞は山にこもり、黙想の生活を送っています。そこに妙秀が訪ねて行って、幽貞に質問を投げかけます。幽貞は、仏教と神道と儒教や道教の欠点を論じ、キリスト教の良さを浮き彫りにします。先輩(幽貞)のところに出向いた若い女性が、洗礼を受けようかどうか、迷いながらも、話を聞いているうちに、決断するという流れになっています。これを読みながら、人が洗礼を受ける気持ちに、なるようにストーリーが組み立てられています。なお、これらの登場人物は架空の人物で、実在しません。
『妙貞問答』の作者は、イエズス会の修道士であった、不干斎ハビアン(1565頃〜1621年)という人です。彼はもともと大徳寺の禅僧で、日本語や漢文の専門家でした。『妙貞問答』では、天草のイエズス会のコレジオ(神学校)における日本語教育のために『平家物語』の校訂本を作成した、ハビアンの才能が遺憾なく発揮されています。ハビアンは物語を通して、日本の女性たちにキリスト教のポイントをわかりやすく伝えました。彼は、日本の女性たちが物語を、読むのを好むのをよく知っていました。ハビアンは相手に応じて、相手の好む方法で、キリスト教を伝えようとしたのです。このため、二人の女性たちを主人公にし、対話させ、そこにキリスト教のポイントを盛り込んだのです。『妙貞問答』における問答形式では、女性がどのようにして、キリスト教を理解して生きているかをまとめているので、ゆっくり読み続けることで、キリスト教の信仰者の立場が納得できるように、おのずと回心できるように取り計らう、という仕組みになっています。
 対話形式の本というのは、以前から存在していましたが、17世紀という時代に女性の対話を通して、女性主体でものを考えるという物語のかたちは、ハビアンのオリジナルの手法といえます。『妙貞問答』における、キリスト教解説そのものは決して新しいものではなく、神学的根拠もほとんど説明されていませんが、女性を大切にしていこうという意図を読みとることができ、「女性主体」という発想において、歴史的には意味のある書物です。それゆえ、『妙貞問答』の手法は、世界的にも先駆的で、日本の時代の流れの中でも冒険的でありました。『妙貞問答』は男性作者によるものですが、この作品を通じて、当時(17世紀)の女性の言葉づかいや口癖が浮かび上がります。そして、どのように女性が思索し、表現していたかということを垣間見ることができます。従って、この本を読んでいくと、17世紀の女性のふるまいを発見することができるのです。つまり、このことをヒントに、女性の活躍を再発見できるわけです。


■『妙貞問答』はどのような人に読まれたか

 17世紀のキリシタン女性たちの多くは、農民出身で、高貴な身分の女性たちに仕えていました。そして、天皇家の御所に仕えていたキリシタン女性たちもいました。おそらく、『妙貞問答』の読み手は、御所内で天皇家に仕えていた女性たちです。すなわち、教養のある人たちでした。当時、宮中の女性たちは、天皇の補佐をする貴族たちの妻として活動しており、御所の内側の人間であり、外に出ることができず、男性と接触することもできないという鉄則がありました。このような女性たちは、自分の身のまわりの世話をしてくれる農民出身の女性たちを雇っていました。その農民出身の女性たちのなかに、キリシタン女性が数多くいたのです。高貴な身分の女性たちは、農民出身の女性たちの姿から学ぶことで、次第にキリスト教の教えの尊さに気づいていきました。すなわち、キリシタン女性たちの「生活のあかし」を通して、真実が浸透していったのです。
 この家政婦役のキリシタン女性たちは、お使いなどで、自由に外に出ることができたため、彼女たちが外出先で、司祭からキリスト教の話を聴き、宮中に持ち帰って伝達する、という役割を果たしました。従って宮中の女性たちは使用人のキリシタン女性たちを通して、キリシタンの活動などの情報を得ていたようですが、キリスト教の教えを学ぶ機会には恵まれませんでした。そこで、宮中から外に出られない女性たちが、体系的にキリスト教の優れた点を学べるように、ハビアンが気をきかせて『妙貞問答』を執筆したのです。
 ハビアンは、当時、神と人々に仕えて自分の全てを捧げた独身女性たち(ラテン語でベアータ、在俗的奉献生活女性)にキリスト教の教えを解説していました。ハビアンが『妙貞問答』において女性を主人公にして、そのふるまいや表現の仕方を描くことができた背景には、彼がキリスト教を宣教する生活の日々において、真摯に生きる女性たちに囲まれていたということがあります。


■まとめ

 結局、ハビアンの宣教活動から学べるのは、彼がいかなるときであっても、キリスト教の真実を明らかにし、伝えていこうとしたことです。ハビアンは、たとえ直接的ではなくても、間接的に文章を通して、つまり出版活動によって、外に出ることのできない女性たちにもキリスト教のメッセージを伝え、彼女たちの信仰生活を支援しようとしたのです。男性優位の戦国社会のまっただなかで、女性の活躍の可能性を真剣に考えていた宣教者がハビアンでした。相手に応じて手段を変え、なんとかキリスト教を伝えようとしたハビアンの伝道師としての姿は、現代社会における、福音宣教のあり方を考える上で大事なヒントとなるでしょう。
福音宣教企画室




 
社会と共に歩む教会
 元路上生活者とのかかわりを通して
            
ヌヴェール愛徳修道会
 
  命のネットワークゆいは2008年に立ちあげられました。
 この事業は、元路上生活者や、地域に暮らす独居高齢者、心身しょうがいの人々、など、地域社会で孤立しがちな人々に人間関係を回復し、他者との関りを通して心を開き、その人らしく生き生きと生活できる、毎日を作り出すことを、目的として立ち上げられた事業です。元路上生活者が、アパートでの独り暮らしを始めてから孤立し、生活がすさむというケースが多々見受けられます。それは「路上生活」と「居宅生活」では彼らの生活環境が一変してしまうからです。路上生活では、仲間の助け合いもありましたが、見知らぬ地域でのアパート暮らしは、生活形態も違う上に、仲間も話し相手もいない。そこで、元路上生活者が気軽に立ち寄り、仲間と出会える事務所が立ち上げられました。
 事務所は、夜回り、仕事と地域交流、司法専門の3つの関連団体が協力し、居宅訪問、医療、介護保険や生活保護などの関連機関との連絡、交渉、衣食住全般の支援、相談事業など、行政サービスの手の届かない部分を補っています。わたしたちの共同体も、訪問活動に参加させてもらっています。

「昼回り」は、常に見守りと声かけなどの関りを主としています。路上生活者は、様々な理由から野宿を強いられています。生活に困窮しながらも、なるべくお世話にならないようにと、ギリギリのところで「ゆい」の責任者に声をかけてもらい、命を救われたという方も何人かおられます。
 
 ゆいの玄関

その中で

・河川敷でおもに生活していたMさん(70歳代)は、何時もノートと何冊か本を持ち、短歌を書いておられました。難聴だったので筆談でお話をしました。一度事務所にお招きし、短歌を教えて頂きました。「なんでも思ったことを書いていれば上手くなる」と、私たちにアドバイスや励ましをいただきました。しかし寒さの厳しかった年末の頃に、静かに亡くなられていた、と後日、残念な報告がありました。「居宅訪問」では、個々人のメンタル面、身体的状況によって柔軟に対応出来るように話し合いながら、2人で訪問しています。

・生活のほとんどが建設現場の仕事であったUさんは、体調不良になり、やっと決心して居宅生活に入られましたが、すでに悪性腫瘍が進行しており、治療を受け、辛くても何も言わずに寡黙に病気と闘っておられました。病状も進んだ最後の頃、訪問から帰ろうとすると珍しく「ちょっと待ってくれ、一緒に煙草を吸ってくれ、あんた達やから頼んでいるんや」といい、一緒に煙草を吸い、ゆっくりと煙を燻らして、心から満足そうな表情を浮かべておられました。その数日後、症状が急激に悪化し61歳で帰天されました。


・居宅訪問しているかたの何人かは、半身麻痺と言語障害があり、話がし辛いので、会話もおのずと限られますが、月に一度の訪問で、お喋りができるのを楽しみに待っていると話される方もあります。Aさんは半身麻痺なので、天候によって買物が困ること、お店でレシートとお釣のコインを一緒に渡されるとバラバラと落として困る等、私たちの気が付かないことを教えてもらうことが多いです。TVも冷蔵庫も買わないで、自分で床やバス、トイレの拭き掃除、洗濯は足でする、その作業も、「暇つぶしのうち、他人にしてもらうと甘えてしまうので、自分がだめになる。出来る限り人に頼らない。」と不自由な手で包丁を持ち、簡単な料理を作って生活しておられます。 同じ症状のBさんは演歌が大好き、カラオケで一緒に歌いましょう、と誘っても「言葉が不自由なので歌いたくても人前ではだめなんですよ。」と独りで音楽を聴いて楽しんでおられます。        
 
 事務所
 
・90歳代のKさんは、1畳ほどの板の間の台所と、4畳半の和室と、ベランダの老朽の進んだアパート住まいで、小さな座机と座布団を用意しておられる。相棒はなるべく大学生と一緒に行く。
 こちらが挨拶をすると直ぐに話し始められ、その内容はほとんどが御自分の戦争体験であり、現代の社会情勢を鋭く批判する見識を持っておられる。「戦争絶対反対!」「憲法改悪反対!」と若者に伝えたいと願っておられる。Kさんは、長い間、釜ヶ崎で日雇い労働をしておられたが、76歳ぐらいになって働けなくなり、生活に困って、死ぬつもりで京都に来られたらしい。人の世話にはなりたくないとの思いから、このまま餓死しようと歩いていた時に、Tさんに出会った。生活保護の受給は「申し訳ない」との思いが強く、抵抗があったようだ。今のアパートに移って十数年になるが、質素なライフスタイルは変わることなく、アパートの住民一人一人に心を尽くして付き合って来られたらしい。数年前の11月にKさんのもとに新聞記者が取材に訪れた時、部屋で倒れているのを発見して救急車で搬送された。退院後、Tさんが様子を見に行くと、アパートの人たちが毎日交代でおかゆを作って枕元に、運んであげていたという事実に、Tさんは改めてKさんの近所付き合いの様子がよくわかったと感動していました。それ以来皆に迷惑をかけたら申し訳ないと、健康には注意しておられます。
        
 
 スタッフルーム

 路上生活、そして居宅に至るまでは、一人一人の歴史があり、事情も、時代の変化、社会的背景の影響などを受け、千差万別ですが、その人なりに一生懸命生きておられます。その方たちと挨拶すること、お喋りをすること、関り、交わり、繋がっていることの大切さを教えられ、心から感謝しています。   
 神の慈しみは永遠 
          ヌヴェール愛徳修道会九条共同体













 
 京都済州姉妹教区交流委員会
 
今回は、2015年3月以降に行われました交流についてご報告します。

 2015年
3月 菅原友明 司祭叙階式


 京都・済州教区のそれぞれの叙階式には、姉妹交流の一環として、教区を代表して神父が参列される他、信徒の有志の方々が参加して来ました。
 3月7日の菅原友明司祭叙階式には、済州教区より、イ(李)神父、信徒会長、婦人会長の方々が、参列して下さいました。


5月 「 聖母への祈りの夜」行事への参加と聖地巡礼

 姉妹教区交流10周年を記念して、「 聖母への祈りの夜」行事への参加と聖地巡礼が、5月20日から23日にかけて、行われました。


6月 京都・済州姉妹教区交流月間

 6月は、京都・済州姉妹教区交流月間です。ミサの共同祈願の意向に「京都・済州姉妹教区の祈り」を加え、交流が更に深まるように、また、交流を通じて「アジアと世界の友好と平和に奉仕」することが出来るように祈りました。
 今年から6月の第1日曜日を「京都・済州姉妹教区交流の日」と定められ、従来の「アジア交流の日の献金」に加えて、済州教区との交流のための「済州交流の日の献金」をお願いすることになりました。
 今後とも、両教区の交流と発展のために、お祈りと献金をお願いいたします。


7月 京都・済州姉妹教区交流10周年記念ミサ

 7月5日(日)河原町教会の10時30分のミサが、カン・ウイル司教(済州教区)、大塚喜直司教、一場修師の共同司式により、京都・済州姉妹教区交流10周年記念ミサとして行われました。
 また、その前日の7月4日(土)には、河原町教会で開催された、日本カトリック司教協議会主催の社会司教委員会シンポジウムにおいて、カン・ウイル司教に基調講演をして頂き、シンポジストとしてもお話しをして頂きました。
(司会 大塚喜直司教、シンポジスト カン・ウイル司教、幸田和生司教)
    


 済州教区助祭の日本での研修
 7月20日〜8月10日、済州教区から、チェ(崔)助祭とヤン(梁)助祭2名が来られ、京都コリアンカトリックセンターでのサランバン参加や、山科教会の夏季合宿参加、丹波教会と桑名教会の信徒宅でのホームステイ、京都教区中学生広島平和巡礼に参加されるなど、京都教区での研修をされました。

 大塚乾隆神学生の済州教区での研修
 7月19日から26日まで、大塚神学生が、済州教区を訪問、済州教区の神学生との交流、小教区の活動の体験、信者宅でのホームステイ、社会福祉施設訪問、済州教区で3年に一度行われる青少年信仰大会に参加、などの研修をしました。

 京都教区高校生会が
     済州教区青年信仰大会に参加

 7月24日から28日まで京都教区高校生会が済州教区を訪問、青年信仰大会に参加、ホームステイ体験などの交流を行いました。


8月 京都・済州姉妹教区交流10周年記念
      東日本大震災復興支援
          チャリティーコンサート



 7月31日〜8月3日の日程で、済州教区の小学生から編成される「カトリック済州教区子供合唱団」46名が来訪され、8月2日(日)午後4時から、河原町教会において、東日本大震災復興支援のためのチャリティーコンサートが、京都聖母学院小学校合唱団とノートルダム学院小学校合唱クラブとのジョイントで開催されました。
 コンサートの最後には、参加者全員で、一日も早い復興を願って「花は咲く」を合唱しました。
 また、当日の午前10時30分の河原町教会のミサで、聖歌奉仕をしてくださいました。



 京都教区中学生広島平和巡礼への参加

 8月3日〜10日、済州教区の中学生、男子9名、女子8名が、京都教区の中学生と共に、広島平和巡礼へ参加するために来られました。
 この巡礼への参加は2011年から始まり、毎年、平和学習の一環として位置づけられています。



   聖書の集い
西舞鶴教会 小林真衣
   
 青年センターでは、毎月第4土曜日の夕方に聖書の集いを行っています。その月の担当となった青年が、みんなで分かち合いたい箇所を決めます。そして、その日、集った青年と担当の神父様と一緒に聖書について分かち合います。
 前回は、聖霊についてみんなで分かち合いをしました。「聖霊ってどんなものかな?」「聖霊の働きって何かな?」という話を通して、自分なりに聖霊について考えていくことができました。

 私は普段、自分一人では、なかなか聖書を読むことが難しいと感じます。しかし、聖書の集いでは同世代の青年や解釈をして下さる神父様がいるので、分からないことを分かち合えたり、その疑問を解消できたりします。また、担当者がその当日に分かち合う箇所を発表するため、自分が知らなかった一節に出会えることもあります。自分一人では、なかなか聖書を読みづらいと思っている青年、聖書を読んでいてもっと交流したいと思っている青年、聖書について疑問や質問がある青年は、ぜひ、毎月第4土曜日18時から行われる聖書の集いに参加してみて下さい。お待ちしています。


   

    大塚司教 9 月
のスケジュール



1日(火) 14:00 青少年委員会
3日(木) 10:00 中央協 常任司教委員会
4日(金)    中央協 列聖推進委員会

6日(日) 9:00 三重南部ブロック司教訪問 (伊勢)

20日(日) 14:00 鈴鹿教会 新聖堂 献堂式ミサ
21日(月)−23日(水) 正義と平和協議会全国集会 東京大会
25日(金) 13:30 メリノール女子学院 理事会

27日(日)    舞鶴ブロック司教訪問 (東舞鶴)
28日(月) 14:00 司教顧問会

29日(火) 14:00 福音宣教企画室 会議










  9 月のお知らせ    



 
《 教 区 》
 

福音宣教企画室/Tel. 075-229-6800
 特別講座
「現代世界憲章」から学ぶ「婚姻と家庭の尊さ」
第1回「キリスト者における家庭 −愛の共同体としての家庭−」
 講 師:稲葉景氏(白百合大学専任講師)
 日 時:19日(土) 14:00
 会 場:河原町教会 ヴィリオンホール
 受講費:300円
聖書委員会/Tel.075(211)3484 (月)(水)(木)
聖書講座「聖霊に導かれて」
日 時:9日(水) 19:00 10日(木) 10:30
テーマ:初代教会の典礼
講 師:白浜 満師(サン・スルピス会)
日 時:30日(水) 19:00 10月1日(木) 10:30
テーマ:聖霊の働き
講 師:一場 修師(マリスト会)
会 場:河原町教会 ヴィリオンホール
よく分かる聖書の学び(ヨハネ福音書を読む)
日 時:16日(水) 10:30
講 師:北村 善朗師/参加費:300円
会 場: 河原町教会ヴィリオンホール
《ブロック》
奈良ブロック
聖書講座− 詩編を歌って 神を讃えよう −
日時場所:11日(金) 19:00 大和郡山教会
12日(土) 10:00 奈良教会
テーマ:人とは一体何者というのでしょう
人間であることとは
講  師:鈴木 信一師(聖パウロ修道会)
日時場所:25日(金) 19:00 大和八木教会
26日(土) 10:00 奈良教会
テーマ:主は私が叫べば、
祈りを聞き入れて下さる
講  師:(八木)石原 博子氏
      (奈良)柳原 昭美氏


修道会》
聖ドミニコ女子修道会(京都修道院)

  Tel.075(231)2017 Fax.(222)2573
 ロザリオを共に祈る集い
  日 時:18日(金) 10:30〜12:00

男子カルメル修道会(宇治修道院)

   Tel.0774(32)7016 Fax.(32)7457
 社会人のための霊的同伴(松田 浩一師)
  日 時:4日(金)20:00〜5日(土)15:00
  参加費:6,500円

 一般のための黙想(中川 博道師)
  日 時:5日(土)17:00〜6日(日)16:00
  テーマ:イエスと友情を生きる
  聖テレジアに学びながら」
  参加費:7,500円

 聖書深読(渡辺 幹夫師)
  日 時:12日(土) 10:00〜16:00
  参加費:2,500円
  水曜黙想(松田 浩一師)
  日 時:16日(水) 10:00〜16:00
  テーマ:キリスト教の霊性
  参加費:3,500円


《諸団体》

京都カトリック混声合唱団
 練習
13日(日) 14:00 /26日(土) 18:00ミサ奉仕後
  カトリック会館6階

コーロ・チェレステ(女声コーラス)
 練習
10日(木)10:00 /24日(木)10:00
 カトリック会館6階

聴覚障がい者の会
 黙想会
(手話ミサ)
  日 時:8日(火) 11:00〜14:00
  場 所:北白川教会/参加費:700円
  申込要:Tel. Fax.077(573)6036 亀岡信子

心のともしび 番組案内 
 テレビ
(衛星.CATV)スカイAスポーツプラス
  毎週土曜日 朝7:45
  シリーズ「人生を導く聖書のことば」
  出演は 松浦 謙師(大阪教区)

 ラジオ(KBS京都) (月)〜(金)朝5:55 (土)朝5:15
  9月のテーマ「老いるにも意味が…」


京都教区サポートセンター
  Tel.075(211)3025 Fax.(211)3041
  cksc@kyoto.catholic.jp

 ボランティア募集中 
  詳細は京都教区ホームページをクリック

※ 11月号の原稿締切り日は9月23日(水)です。




京都教区サポートセンター
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※ 2015年12月号の原稿締切り日は 9月23日(水)です。


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