2015/12 No.457
<京都教区時報 2015年12月号目次>

・1 2015年 司教年頭書簡 神の「貧しさ」を生きる 
       他者と貧しさの中で一致する(10)

・2
 2015年 教区行事あれこれ

・3  社会と共に歩む教会
      京都刑務所・京都拘置所での教誨奉仕


・4  信徒養成講座
    『現代世界憲章』から学ぶ「婚姻と家庭の尊さ


・5 青年のための黙想会

・6  青年センター
  「ネットワークミーティングin東京報告


・7  大塚司教 12 月のスケジュール

・8 12月のお知らせ

  
 
 
2015年 司教年頭書簡
神の「貧しさ」を生きる
 Ⅱ
他者と貧しさの中で一致する(10)
        
 「貧しい人のために生きる」ということは、人道的な立場からも、宗教的な立場からも、心ある人なら誰でも、そう言いますし、そう言わなければ、かえって非難されるようになって来た感さえあるこの頃です。でも少し気になることもあります。それは「のために」(英語ではfor)という言葉です。「のために」ではなく、「と共に」あるいは「の中で」あるいはまた「側によりそって」と訳すべきではないかと、思われるからです。「そんなことを配慮」してでしょうか、今月取り上げる「他者と貧しさの中で一致する(10)」というテーマが語られています。それを留意してこのテーマを読んでみます。

 初めの言葉は少し解りにくい言葉です。たぶん人間の「人となり」は「何を持っているか」ではなく、「その人がどんな姿(生き方)をしているか」によります、という意味なのでしょう。




さらに「その人が与えるものがその人自身を表す」というのも、その与えるものが、たんに「物」であったら「与える者と与えられる者」との間に優劣が生まれ、持っている者(力ある者)と持たない者(低い者、弱い者)との差別が生まれ、平等や一致は生まれて来ない、と言います。では、どうすれば良いのか。ここで、ちょっとびっくりする言葉が飛び込んできます。
 年頭書簡は、初代教会の信者たちのこの模範を通して呼びかけています。
 『物質的貧しさを一人ではなく、兄弟姉妹の共同体において、各自が自発的に選び取るとき、その生き方の実りとして、霊的な貧しさが共同体で共有されることになります。反対に、霊的な貧しさがともなわない物質的な貧しさも、個人にとっても、共同体にとっても、意味がありません。貧しい人のための教会になるために、修道者の共同体も、小教区の共同体も、自発的な貧しさという福音的貧しさを、それぞれの意思で選び続けていきましょう。』

  炊き出しの列にならぶイエス


   長崎五島のマリア像
   さて、「中で一つになる」ということは、教会が神秘的であることを表しています。ところで共同体を語るとき、人道的な共同体では「貧しい人を中心に一つになる」ということでしょうか。キリスト者として語るとき「キリストを中心にして」という視点を忘れてはならないでしょう。そこで、体の一致について語る「エフェソ4章・1節~16節」を黙想してはいかがでしょう。「ギリシャ語本文での1節~6節」では「中で」が5回もくり返され、キリスト者がその中で生きるべき場を描き、後半「ギリシャ語本文での7節~16節」は「その中へ」が7回、向かうべき目標が書かれています。こうして、この「中で」と「中へ」を結ぶ所に、真の一致があるのです。この中心は勿論、キリストご自身です。これは「キリストに、キリストによって、キリストの中に、キリストと共に、聖霊の交わりの中で、全能の神に」という栄唱の中に告白されます。こうして「貧しい人の中で、貧しい人の中へ」ということは「キリストの中で、キリストの中へ」ということになります。この告白をみごとに表したのが、キリスト賛歌(フィリッピ2・5~11)やロゴス賛歌(ヨハネ1・1~18)といわれるものです。

 「貧しい人々の優先」というとき、時々この原点が欠けることがあります。神の愛や隣人愛について語るときも、この視点が欠けます。驚くなかれ、祈りや信仰について語るときもそうなのです。
 最後に、マリアについて。教皇も司教も、その教書が終わるときは、いつもマリアに言及します。イエスの母、私たちの母、マリアはいつも私たちの模範です。マリアの心を知りたければ、あの「マニフィカト(マリアの賛歌)」を黙想することです。


 今年の年頭書簡の解説を終わります。でも、この「マニフィカト」の本当の意味を黙想し、自分のものにしない限り、今年のテーマは完結しません。
(村上 透磨
 
 
   




  2015年教区行事あれこれ
 
   
 2月11日 アロイジオ 花井拓夫師 司祭叙階50周年 金祝記念ミサ 時報4月号 掲載 3月7日 アンノ 菅原友明師 司祭叙階式
   時報5月号 掲載
3月15日ガブリエル大塚乾隆神学生
 祭壇奉仕者選任式 時報月5号掲載 
     
 3月20 日本司教団 アド・リミナ
 聖座訪問 教皇謁見
3月30日~4月1日 小学生侍者合宿
時報6月号 掲載
 
4月1日 聖香油ミサ
 
     
4月19日 ヨゼフ・マリア 村上眞理雄師 司祭叙階60周年感謝ミサ  時報6号 掲載  4月19日 教区 新信者のミサと集い  5月10 聖家族 カトリック福知山教会 新聖堂 時報7号掲載 
     
 6月21日ブルーノ・ロハス師 司祭叙階25周
銀祝記念ミサ
 7月4日 社会司教委員会 シンポジウム
時報9月号 掲載
  7月5日 京都・済州姉妹教区交流10周年記念ミサ時報9月号 掲載 
     
7月24日~28日 高校生会
夏体験学習(チェジュ) 時報10月号 掲載
 
8月2日 京都・済州姉妹教区交流10周年記念
東日本大震災復興支援 チャリティーコンサート
時報月9号 掲載
 
8月5日 比叡山サミット
「世界平和祈りの集い
 
     
8月5日~7日 中学生広島平和巡礼
時報10月号 掲載
 
8月17日~28日 カトリック青年
アジア体験学習 時報11月号 掲載
8月29日 教会学校研修会
時報11月号 掲載
 
     
  8月31日 祝 米寿 ライムンド田中健一司教
時報10月号 掲載
9月8日 ヨゼフ・マリア 村上眞理雄師
葬儀ミサ・告別式
 
9月20日 ルルドの聖母 カトリック鈴鹿教会 新聖堂  時報11月号 掲載
     
    12月8日 「いつくしみの特別聖年」開幕 時報11月号 掲載






    社会と共に歩む教会
京都刑務所・京都拘置所での教誨奉仕 
    
   シスター 小川 英子(ヌヴェール愛徳修道会)
   
教皇フランシスコに学ぶ

 教皇フランシスコが、就任後最初の聖週間に、ローマの少年院を訪れ、聖木曜日の聖式の一つである洗足式を行われたこと。12人の少年たち一人一人の前にひざまずき、少年たちの足を洗い、腰に巻いた布で拭き、その足にくちづけしておられたことを、ニュースで聞いたり、写真を見たりして感動したのは私だけではなかったでしょう。
 
 宇治市に国立の少年院があった頃、20年以上にわたり、篤志面接委員として少年たちと毎月、何回か関わっていたわたしとして、また、現在は京都刑務所・京都拘置所で、教誨師として毎月、被収容者たちと関わっているわたしとして、カトリック教会の最高位にある教皇の行為はとても大きな励ましであり、模範でもあります。あの、マタイ福音書にある「裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢にいた時に訪ねてくれた。(マタイ25・36)」というキリストのみことばを、少しでも生きるチャンスをいただいていることを感謝しています。
 
 教皇は、イタリアばかりでなく外国を訪問されるときにはいつも、より恵まれない、いろんな意味で貧しい生活をしている人々の所を訪れ、神の「いつくしみ」をご自分の生き方で、全世界の人々に見せてくださっています。


教誨師とは

 わたしはこれまで、教誨師とは、刑務所において死刑の場に立ち会ったり、宗教儀式を行い秘跡を授けることを主とする聖職者として認識していました。しかし、現在は被収容者の宗教の自由を尊重し、宗教に接する機会を与え、また、宗教的情操を育てる為に設けられている制度とされています。ですから、現在のわたしは、シスターである教誨師として、カトリックの教えに基づいた、教誨を希望する受刑者のみが参加する、小グループの「集合教誨」と、個人の信仰に関することや、精神的煩悶等に対して個別に指導を行う「個人教誨」を行っています。京都刑務所では、集合教誨で1度のグループの人数を少なくし、より身近に話が聞けるように、時には質問したり、対話もできるようにしています。ですから、わたしは毎月出かけていっても対象者は3か月に1回しか教誨を受けることができません。もっと頻繁に出会えるといいと思っています。その点、多少歯がゆいところですが、刑務所の方針もあり、希少な機会を有効に使うようにしています。

 京都刑務所は山科区にあり、東山連峰を背景に、明るい雰囲気の近代的構造物が広大な敷地の中に建っています。ここに、現在は約1200名の被収容者が日々自分の犯した過ちを償い、また、社会復帰のための更生を目指して、日課に従って生活しています。

 刑務所では矯正指導、作業(生産作業・職業訓練・社会貢献作業・その他)などのほか、民間協力・余暇活動の時間もあり、教誨師活動は民間協力の一環として行われています。

 わたしの関わるグループの中に外国籍の人が数人おります。いろんな国籍ですが、日本語を理解できる人たちが、山科の刑務所に来るとのことです。外国籍の方は全体で約10パーセントくらいいるようです。その他、最近は高齢化が刑務所の中でも問題になっているようです。
 京都刑務所庁舎
  刑務所のクリスマス会
  (白い服がSr.小川)







エキュメニカルな活動の一端として


 キリスト教教誨師は5名(京都は圧倒的に仏教の教誨師が多い)です。カトリック以外には、日本聖公会、日本基督教団の牧師さんです。それぞれ通常の教誨活動のほかにクリスマスには毎年、エキュメニカルな雰囲気のうちに5名が協力してクリスマスの集いを準備します。クリスマス会には、希望する被受刑者が参加します。当日は大講堂で、ハンドベルなどの演奏を伴う祈りの儀式(聖歌・聖書朗読・みことばの解説・祈り)をします。
わたしにとっては感動的な「時」ですが、参加している被収容者たちはどうでしょうか?
少しでも心の平和、未来への希望の時、救いを希求する思いを持つ時でありますようにと願っています。

教誨師研修会

 教誨師になってびっくりしたことの一つは、教誨師連盟等所属団体の研修会の多いことです。組織的にも大阪矯正管区教誨師連盟・公益財団法人全国教誨師連盟・京都府教誨師会があり、それぞれ毎年研修会があります。初年度には大阪矯正管区の初任者研修会もありました。基礎的なことを学ぶためにこれはとても大切だと感じました。
 カトリック日本教誨師連盟にも当然属するのですが、そこでも毎年しっかりと総会・研修会があります。ということは、それだけ、人の命・救いに関わることを伝えていかなければならない重要な使命なのだと考えます。人間何歳になっても学ぶことは沢山あることを実感しています。
 研修会では、これまであまり関心がなかった刑法や少年法の改正などの知識をより深めるばかりでなく、多彩な講師による講演会等により視野を広げる機会になります。
 従来、刑務所は刑期が確定した人を罰し、罪を償う場として存在するように考えられていたと思うのですが、現在は、矯正する施設という視点も強調されてきているようです。私たちも、その観点からも教誨活動ができるように求められているのだと感じています。

京都拘置所

 わたしは、京都拘置所の教誨師も兼ねています。拘置所は刑の確定する前の収容者が拘置されているところですが、刑務所よりは規模が小さいです。しかし、そこでの集団教誨は少ない人数で、毎月出会うことができるので継続的な関わりができます。収容期間も刑務所よりは短期だと思います。

今回は、京都刑務所を中心にお伝えしました。

 今、感じていることは、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言ったファリサイ派の人々に対してイエスが「医者を必要とするのは丈夫な人ではなく病人である。・・・わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである(マタイ9章参照)」と言われたこと、聖女ベルナデッタが「罪人とはわたしのことです」と言っていたことを思い起こし、社会の中で忘れられがちな、むしろ、直接出会うことを避けられている方たちのことを思い起こし、その方たちが私たちの社会共同体に復帰できるように、もし、身近にそのような方がおられたら暖かく、隣人として迎えることができるように、せめて、今は、真剣に祈ってくださる方が増えることを願っています。
 
 
 京都拘置所玄関




いつくしみの特別聖年を前にしてこの記事を書くことができたことを感謝します。








信徒養成講座
『現代世界憲章』から学ぶ「婚姻と家庭の尊さ」

  

 昨年の臨時シノドスに続き、「家庭」をテーマにした通常シノドスが10月に開催されました。この流れに伴って、わたしたちも教会と現代世界における家庭の召命と使命について改めて、考える契機になればと思い、「キリスト教における家庭」というテーマで、全2回の講座を企画しました。今回は、その第1回「家庭における愛の共同体」について、第二ヴァチカン公会議とそれ以降、カトリック教会の中で、家庭がどのように捉えられているか、また日本の教会において、どのように捉えられているかについてお話しいただきました。
           福音宣教企画室



  稲葉 景 (白百合女子大学講師)


キリスト者における家庭
  ― 家庭における愛の共同体 ―



 昨年に引き続き、「家庭」というテーマでシノドスが開催されました。なぜ「家庭」かというと、フランシスコ教皇が述べているように、共同体はまさに「家庭」からはじまるからです。人間が生まれて初めてかかわる、もっとも身近な共同体は家庭です。そのため、現在では家庭が最初の人格教育の場として、もっとも重要な役割を担うと考えられています。しかしながら今の社会を見てみると、シングル化や少子化、離婚率の増加など家族のかたちは変容し、またカトリック教会でも同性婚や再婚など、様々な現代的な問題が生じています。今回の講演では、第二ヴァチカン公会議からこの50年のあいだに示された文書を手掛かりにして、カトリック教会が家、庭についてどのように考えているのかを、見ていこうと思います。そして、特に現代の日本の教会に属しているわたしたちにとっての、信仰と家庭の問題を、具体的にみなさんと一緒に考えていきたいと思います。


1.カトリックにおける家庭-教会における「家庭」の歴史的変遷-

 第二ヴァチカン公会議が、カトリックの長い歴史のなかでも特別だと言われ続ける理由は、この会議が教会の内部だけではなく、外の世界、現実の世界に目を向けたためでした。これは私たちが、現実の世界に向けてどのように福音を発信できるか、なにができるか、ということについて考えた初めての会議でした。
 第二ヴァチカン公会議(1962~65年)は、教皇ヨハネ二十三世~パウロ六世によって開催されました。カトリック教会の「現代化(アジョルナメント)」というテーマのもとで行われたこの会議で、教会はカトリック信徒だけではなくすべての人びとに「開かれた教会」となること、またすべてのキリスト者が「神の民」であることを確認するという司牧の方向性への「改革」が行われました。つまり、すべてのキリスト者は、洗礼によって同じように「聖性」に招かれており、聖職者も信徒も平等に、キリスト者として多様性のなかにおいて一致していると、宣言されたのです(「教会憲章」39)。そして、教会は信徒としての生きかた、家庭における聖性について、信徒と同じまなざしで考えるようになってきました。

 第二ヴァチカン公会議の中では「交わりと一致の教会」であるということが強調されました。それは、キリストの体であるわたしたちのそれぞれに役割があることを示しています。つまり、この公会議によってはじめて、司教、司祭、助祭、信者(キリスト信者の夫婦、未婚者、労働者など)、小さき者(貧しさ、弱さ、病気の人々など)のすべてのキリスト者が、聖性に招かれているということが確認されたのです。どのような身分であっても、イエス・キリストの生き方に倣うことに招かれている、ということが明らかにされました。このような意味で、第二ヴァチカン公会議は、革新的な動きであったということができるでしょう。
 教会における家庭の歴史を考えてみると、教会は、もともと初代教会における「家庭教会(Ecclesia Domestica)」(イエスを信じた人々の家での集まり)に由来します。しかし、その後、中世においては、修道院などの影響により教会における貞潔や独身性が優位となり、文字の読める聖職者や修道者中心の教会となっていきます。この中で「霊的家族」としての教会・修道会という考え方が強くなっていたようです。第二ヴァチカン公会議において、家庭が信仰の拠点であることが強調されたのは、近世におけるプロテスタントの影響があるでしょう。プロテスタントにおいては、聖書を重要視するのと共に、信徒のそれぞれが神によばれているという万人司祭説が強調され、家庭の信仰に焦点があてられていました。また、プロテスタントでは妻帯が認められているため、司牧者が家庭を持っている点から、家庭における信仰が考えられるようになりました。この影響は、カトリック教会にも少なからず影響を与えたと思われます。


第二ヴァチカン公会議における家庭

 第二ヴァチカン公会議の「現代世界憲章」において第二部に「若干の緊急課題」という項目があります。その一番目に書かれているのが「結婚と家庭」の問題です。公会議が開催された1960年代は個人主義が広がって、人びとの家庭観が大きく変化し、教会においても共同体において信仰を育むという考えかたが薄れてきました。このような時代の流れのなかで、カトリック教会は、結婚と家庭は人間のいのちを考える上での重要な基盤であるということを強調し、緊急課題の一つ目に取り上げたのです。そして、結婚の目的においてこの出生と育成だけでなく、夫婦の「聖なるきずな」、神のもとで夫と妻が結ばれているということに、結婚の目的があることを浮き彫りにしました。

第二ヴァチカン公会議後の家庭観と家庭の普遍的使命

 第二ヴァチカン公会議後、家庭の聖性について宣言がなされた後、のちの教皇は、現代において家庭がどのような状況にあるのか、その状況に対して教会は何が出来るのか、ということについて具体的に思案されました。
例えば、ヨハネ・パウロ二世は使徒的勧告『家庭』の中で次のように述べています。「家庭よ、本来の姿に戻りなさい。〔中略〕本来の姿になろうとするならば、家庭の本質と役割は愛です。」(使徒的勧告『家庭(FC)』17)教会にとっての出発点は「交わり(koinonia)」であること、そして共同体の交わりの「内的なダイナミズム」の源泉は愛であること(FC18)、なによりも夫婦の「交わり」から家庭という共同体が、はじまるという考えかたを、ヨハネ・パウロ二世は現代社会に対して改めて具体的に示したのです。


家庭の普遍的使命

 ヨハネ・パウロ二世によれば、家庭には4四つの使命があります。家庭(共同体)の第一の使命とは、人間共同体を作ることです。共同体を作るのは、父親、母親と、そして生まれてくるいのちです。「交わりの源泉であり力である愛が家庭の礎であり魂」(FC18)であるからこそ、家庭を原点にして人間共同体を考え、そこから人間の権利を考えることが、大切であるということが、確認されるようになりました。 
 
 家庭の第二の使命は、いのちに仕えることです。家庭とは、神からいただいたいのちに真摯に向き合うこと、命を育むことを学ぶ場です。このような観点から、今回の「家庭」をテーマにしたシノドスでも、避妊や人工中絶の問題で苦しんでいる人たちと、教会がどのように向き合うかということが大きな議題の一つとして取り上げられています。そして、家庭が外の世界に対してどのような使命をもっているのか、ということについても語られています。

 そのため、家庭の第三の使命は、社会の発展に参加すること、そして、第四は教会の生命と使命を分かち合うこと、神の国の建設だと書かれています。イエス・キリストの愛をどのように伝えていくかという使命は、家庭と教会の相互の関係において果たされなければいけない、つまり、キリスト者は教会と家庭双方の奉仕へと招かれているということが、言えます。 
 
聖家族 

 ところで「家庭の使命」と言うと、なんとなく完璧な「聖家族」像を思い浮かべる人が多いかもしれません。しかしフランシスコ教皇は家庭についてこのようなことを述べています。「完璧な家庭などありません。完璧な夫も、完璧な妻も。言うまでもなく、完璧な姑も!罪深い私たちがいるだけです。」(婚約した男女への言葉、2014年02月14日)家族は不完全であっても、そこに神へのまなざしがあるならば、「聖家族」としての素晴らしさがあるのです。


今後のカトリック教会の動き

 昨年、世界代表司教会議(シノドス)第3回臨時総会(2014年10月5日~19日)が開催され、そのテーマは「福音宣教の観点から見た家庭の司牧的課題(The Pastoral Challenges of the Family in the Context of Evangelization)」でした。この中で強調されたのは、様々な家庭を巡る問題やパートナーシップを巡る問題で苦しんでいる人々を、教会がどのように受け入れるのか、という点でした。
 また、世界家庭会議(2015年9月22日~27日)において「愛こそが私たちの使命 ―家庭は生きている(Love is our mission –the family alive)」というテーマで話し合いが行われます。
そして、第14回シノドス(2015年10月4日~25日)では「教会と現代世界における家庭の召命と使命」(2015年)というテーマのもとに、もっとも身近な日常である家庭の観点からもう一回失われた共同体を考えてみようということです。そして、戦争や紛争の絶えない現代世界において、家庭という小さな共同体から「人類家族」のヴィジョンで考えてみようという試みが、昨年から行われています。


2 日本における教会と家庭

日本の教会における「家庭」への指針

 それでは日本ではどうでしょうか。1980年代後半~90年代前半に、全国で家庭に関する集会があちらこちらで行われていました。例えば1993年には「家庭から福音を考えよう」というテーマで「第2回福音宣教推進全国会議」(NICEⅡ)が開催されました。ところが、世界においては1981年、ヨハネ・パウロ二世の使徒的勧告、シノドスなど盛り上がりが見られる一方、日本では1998年、家庭委員会を廃止するなど、日本の教会全体で、家庭の問題を取り上げるのは、なかなか難しいという現状があります。


カトリック教会における結婚と家庭の現状と課題

 その一因かもしれませんが、日本の「教勢調査」の結果を見てみると、信者同士の結婚が少ないのに対して異宗婚(カトリック信者とキリスト教以外の人びととの婚姻のこと)の多さや特定の宗教を持たないという、日本特有の宗教観が、浮き彫りになってきます。ここに、日本における信仰理解の難しさがあります。そして、そのことが家庭での信仰教育の難しさにもつながっています。ではこの異宗婚の多い日本の現状の中で、わたしたちはどのように家庭の聖性を生きていったらよいのでしょうか。
異宗婚の聖性について、聖書のなかでは次のように言われています。
「同じように、妻たちよ、自分の夫に従いなさい。夫がみことばを信じない人であっても、妻の無言の行いによって信仰に導かれるようになるためです。神を畏れるあなたがたの純真な生活を見るからです。」(一ぺト3・1~2)
 このみことばからわかるように、私たちは相手が信徒であるかどうかに関わらず、家庭のなかでイエス・キリストの生き方を全うするという使命がある、これは聖書ですでに述べられていることなのです。
 しかし、このような日本の教会で問題となるのが、やはり若い信徒を中心とした教会離れです。夫婦の片方が信者でない場合、片方が教会生活を行うのが難しくなることがあります。毎週主日のミサに行くことや、教会活動に携わることについて、パートナーや家族の理解を得られないことがあります。また、一度教会を離れてしまうと、子どもを授かっても子育ての問題や家庭の様々なことに追われ、さらなる教会離れを引き起こしてしまい、子どもを受洗させることすらできないということも起こってきます。また、子どもが受洗をしていても、なかなか教会に行けずに、教会から離れてしまうというケースも多いようです。


今後の課題
 
 今後の課題を考えるとき、もっとも重要なのは、家庭の聖性について考えることだと思います。家庭は、いのりの場であり 交わりの場です。たとえ家族が信者ではなくてもパートナーや子供に、祈りを共にすることや、自分の生きかた、祈る姿を家族が見ること、これも大切なことなのではないかと思います。
 二つ目は、教会における信仰伝達の要となる教会学校担当者、 結婚講座担当者などの養成です。司祭が減少しているなか、信仰伝達に携わる信徒の養成が緊急課題となっていると思います。また、教区内での養成担当者同士の情報共有の場を設けることなども必要ではないでしょうか。
 そして最後に、家庭問題への教会でのケアリングです。離婚・再婚(結婚の無効性)など様々な家庭の問題で苦しんでいるひとたちの目線でイエス・キリストだったらそのような人々にどのように接しただろうか、ということを考え、教会としての対応を考えていくことも、今後の大きな課題だと思います。
 
マリアとヨゼフの結婚



おわりに

 第二ヴァチカン公会議後、「信徒の聖性」という言葉は、わたしたちの日常に根付いたものとしてより具体的に、現実生活に即したかたちで、理解されるようになりました。聖性は、聖職者だけではなく、すべてのキリスト者にとって招かれているキリスト者としての生きかたです。
「信徒の聖性」という言葉は、第二ヴァチカン公会議以降、その後の教皇によって、より具体的に「家庭」という共同体を通した、聖性としても発信されるようになりました。 しかしながら、公会議の精神の実践は、カトリック教会において、未だ途上にあると言えると思います。この2年間のシノドスの中で、家庭についてのテーマが取り上げられているのは、もっとも日常的な生活のなかでの共同体から、カトリック教会のコミュニティの源泉を問うているということではないでしょうか。
               文責 福音宣教企画室





青年のための黙想会


 教区の信仰教育委員会主催、「青年のための黙想会」が、10月17日~18日、講師の北村善朗神父の指導で、望洋庵において行われ、京都教区内外から、15名の青年たちが参加しました。テーマは「主よ、きてください」で、参加者それぞれが、“自分とイエスさまとの出会い”について黙想し、祈り、分かち合いました。この黙想会は、講師が一方的に話されるのではなく、参加者の中から選ばれた3名の青年が事前に講師の指導で準備し、自分の体験や日常と重ね合わせて、みことばを黙想し、それに基づいて問題提起をしました。3名の青年は、イエスと誰かとの出会いの場面を聖書から任意で選び、その場面について話をしました。1回目は「復活されたイエスとトマスとの出会い」2回目は「イエスとキレネのシモンとの出会い」3回目は「イエスとザアカイとの出会い」でした。各問題提起のあとに、講話があり、聖体礼拝と祈り、テゼの歌、黙想によって、イエスと対話すること、自分をみつめることを体験しました。さらに、小グループに分かれての分かち合いによって、深め合いました。

 参加者は、慌しい日常からはなれ、静かな、心あたたまるひとときをいただいた恵みに感謝して、また日常に帰っていきました。            
信仰教育委員会











青年センター あんてな

ネットワークミーティングin東京報告
-
河原町教会 栗山 透



 突然ですが、ネットワークミーティング(以降NWM)をご存知でしょうか?NWMは年に2回、各教区(地区)持ちまわりで開催される日本全国の青年たちや彼らを支えている司祭、修道者が集まるイベントです。主な目的は、各教区の青年活動の情報交換と青年同士の交流です。また各々が持っている信仰や青年活動に対する意気込みや悩みなどを分かち合う場としての重要な役割を持っています。本稿では9月19日から21日にかけて東京教区で催されたNWM in東京について簡単に報告します。

 今回のNWMのテーマは「Joyする?Joyする!~つなごう!“喜びの今を”~」でした。参加者をロザリオの珠に見立てたロザリオの祈りや十字架の道行きなどのプログラムを通して信仰をつなぐ喜び、イエスが私たちを愛して下さっている喜びに気づくことができました。また東京教区の2人の司教によるテーマに沿った講話もあり“喜び”について深く考える貴重な時間を得られました。そして最終日にはNWMで得た喜びをミサで捧げ、喜びのうちにNWMを終えることができました。

 NWMに参加すると全国で同じ信仰を持った自分と同年代の青年が頑張っているのを知ることができ、これを契機に教区に帰ってからも青年活動に積極的に関わろうとする意志が芽生えます。次のNWMは2016年2月27、28日に高松教区で開催されます。青年の方は是非一度参加されてはいかがでしょうか?








    大塚司教 12
月のスケジュール




3日(木) 10:00 中央協 常任司教委員会
     18:00 日本カトリック神学院 任司教委員会(福岡キャンパス)
4日(金) 9:00 日本カトリック神学院 常任司教委員会(福岡キャンパス)
5日(土) 13:30 第16回 教区宣教司牧評議会

9日(水)-10日(木) 社会問題研修会(中央協議会)
14日(月) 14:00 司教顧問会
18日(金) 13:30 メリノール女学院 理事会
24日(木) 21:00 主の降誕深夜ミサ(河原町)
25日(金) 10:30 主の降誕ミサ(河原町)
26日(土) 17:00 青年のためのミサ(西陣)


  主のご降誕、およろこび申し上げます
    







  12月のお知らせ        


《 教 区 》
青少年委員会
 第1回 京都教区「青年のためのミサ」

  日 時:26日(土) 17:00 ミサ・ミサ後パーティー
  司 式:大塚 喜直司教、担当司祭団 共同司式
  対 象:高校生~35歳(既婚者含む)
  場 所:西陣教会/参加費:1,000円
   申 込:鶴山 進栄師 (宇治教会)
      Tel.0774(21)2891 Fax.(24)4329
   締 切:15日(火)

《修道会》
聖ドミニコ女子修道会
(京都修道院)
   Tel.075(231)2017 Fax.(222)2573
 ロザリオを共に祈る集い
  日 時:18日(金) 10:30~12:00

男子カルメル修道会(宇治修道院)
  Tel.0774(32)7016 Fax.(32)7457
 社会人のための霊的同伴(松田 浩一師)
  日 時:4日(金)20:00~5日(土)15:00
  参加費:6,500円

 聖書深読(渡辺 幹夫師)
  日 時:12日(土) 10:00~16:00
  参加費;2,500円

 十字架の聖ヨハネの祭日のミサと講話
             (松田 浩一師)
  日 時:14日(月) 9:30~11:45
  テーマ:十字架の聖ヨハネの神への愛の奉仕
  場 所:当修道院聖堂/参加費:献金

 水曜黙想(中川 博道師)
  日 時:16日(水) 10:00~16:00
  テーマ:人となられた神にともなわれて
  参加費:3,000円



《諸団体》

京都カトリック混声合唱団
  練習:6日(日) 14:00 /13日(日) 14:00
           カトリック会館6階

コーロ・チェレステ
(女声コーラス)
 練習 10日(木)10:00 カトリック会館6階

聴覚障がい者の会
 手話とクリスマス会

   日 時:15日(火) 11:00~14:00
   場 所:カトリック会館6階
   参加費:1,000円(昼食代、クリスマス会費)
   申込要:Tel. Fax.077(573)6036 亀岡信子

心のともしび 番組案内 
 テレビ(衛星.CATV)スカイAスポーツプラス
  毎週土曜日 朝7:45

ラジオ(KBS京都) (月)~(金)朝5:55 (土)朝5:15
  12月のテーマ「クリスマスを学ぶ 」






 ※ 2014年4月号の原稿締切り日は 12月16日(水)です。


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