2016/7 No.464
<京都教区時報 2016年7月号目次>

・1 2016年 司教年頭書簡  御父のように、いつくしみ深く-
      3.イエスのように「あわれに思う」


・2 こんにちは神父さん

・3 社会の痛みと共に歩む教育
    ―弱い立場におかれた者と共に生きる―




・4 安土セミナリヨ公園記念ミサ

・5 2016年 中学生広島平和巡礼

・5 大塚司教 6月のスケジュール

・7 6月のお知らせ

  


2016年 司教年頭書簡
御父のように、いつくしみ深く
   3.イエスのように「あわれに思う」
    
    村上 透磨   

 
 特別聖年「いつくしみの扉」
   カトリック鈴鹿教会
 
 今回は、このテーマについて考えてみたいと思います。これは今年の教書(年頭書簡)の中心的テーマと思われます。
 イエスは「御父の心を届ける方」ですが、その御父の心とは「あわれみ」であり、それは苦しみの共感に表れるとしています。

 それは、イエスの宣教の開始の宣言であり要約でもあるルカ4・18~19の貧しい人への福音の引用で始まり「苦しみの共感」という言葉で結ばれていることからも分かります。
 つまりここでの「イエスのように憐れむ」とは、苦しむ人、罪人とされた人々へのキリスト・イエスへの共感を言っているのではないかと思います。
   さてそういう人々に出会った時のイエスの心は、たんなる同情ではなく「深い憐みの感情からあふれる心から生まれる行動にある」と語ります。この「あわれみに思う」のギリシャ語はスプランクニゾマイ(この語は「はらわた」腹を表す「スプランクナ」の派生語)つまり「腹がちぎれる思い、あるいは「肝ふるわせる」ほどの深い愛を指し、この愛をキリストは貧しい人、小さくされた人、罪人とされた人々に示されたというのです。
もともとヘブライ語には、おもに「ラハミム」と「ヘセド」という二つの言葉が使われ、それをギリシャ語に訳した時「スプラングナ」と「エレオー」に訳されたというのです。尚、詳しいことは、2月号で紹介した、司教の「用語説明」のパンフレット及び、教皇聖ヨハネ・パウロ二世の回勅「いつくしみ深い神」の注52などに説明してあります。ただこの二つの語を神の母性愛、父性愛に分けて考えるのは、よくないとだけは言っておきたいと思います。
 ところで問題はここにもあります。それはヘブライ語からギリシャ語、ラテン語、各国語へと翻訳されていく中で、それぞれの言葉の使い方、ニュアンス、理解の仕方に少しずつずれが出て来るということです。でもここで、私は懐疑や落胆にとらわれはしません。聖霊の働きを信じるからです。かえって「あわれみ」や「いつくしみ」には、日本人の宗教的センスが大いに豊かさを与えることになるかも知れません。
 
イエスの憐れみ
   パンを増やす奇跡(マタイ15.32)
 
 

 新約聖書では、先の二つの言葉がどのように使われているかと調べてみますと「スプランクニゾマイ」の用例は意外に少ないということです。この語は「憐みのたとえ話」とよばれるルカ15章、他にマタイ14・14、15・32などに出てきます。その主語はいつも神がキリストを指すというのです。また憐みから生み出される奇跡もすべてキリストの心をつき動かした、憐みによるものです(例えば、マルコ1・41、マタイ20・34、ルカ7・13、マタイ14・14、15・32等々)
「エレオー」は旧約聖書の「ヘセド」の影響を受けながら、新約聖書では「人間の命に無関心ではいられない神の恵み深い創造の力」を指すというのです。例えば、盲人バルティマイの叫び(マルコ10・47)他にマタイ17・16、18・33、そして語句辞典を調べると「エレオー」は度々使われます。
 そこには、自分の弱さを知り、自分の憐れな状態を変える神の力、救いの力を持つ方への嘆願の叫びがあります。
 人間は人間同士、どんなに同情し合っても事態を変えることは出来ない。そこで、そんな力を持って神やキリストに憐れんでください「キリエ・エレイソン」と叫ぶ。マルコを読んでいると、盲人の「エレイソン」に続いて群衆の「ホザンナ」が続きます。それはまるで、ミサの中で「キリエ」が「グローリア」(栄光の賛歌)に変わっていくのを思わせます。

 教書を読んでいて、はっとさせられたことがあります。使徒言行録1・18に「スプラングナ」が使われている。これは「ユダの腹わた(スプラングナ)が二つに裂けた」と書いてある所です。この箇所は、ユダの裏切りへの恐ろしい末路を描いているものだと思っていました。しかし、この時ペトロは「腹わた」が裂けたことを罰としてでははく、主キリストの御心が裂けたことを示す。あの荘厳な愛の死のシンボルとしてみていたのではないか、だとすればペトロはこの友の行為をたんに裏切りとしてではなく、愛する師の荘厳な愛の死のシンボルとして見ていたとしたなら…… ペトロは、ユダを弁護しようとしたのかも…… だとすれば、ペトロが理解した「主の憐み」は何と深いものか…… そんな憐みの神秘を司教は語りたかったのかも……。
(村上 透磨) 





こんにちは神父さん 



菅原 友明神父

所属 京都教区
生年 1969年
叙階 2015年

 昨春に司祭に叙階され、三重地区南部ブロック担当司祭として、松阪教会におりましたが、今年の復活祭後からは、滋賀ブロック担当司祭の任命を受けて、現在はおもに彦根教会と長浜教会を担当しております。これまでの1年間の司祭としての日々をふり返ってみて、皆様に支えられたこと、お祈りいただいたこと、感謝にたえません。司祭とは、自分の知識、経験、能力、意欲に頼るのではなく、ひとえに神様と皆様に支えられてのものなのだということ、深く感じさせていただきました。出会う人々を通して語りかけてくださる神様に信頼を置いていこうと、思いを新たにしております。自分自身の弱点もいっそうよく認識できるようになりましたが、そのことを通してこそ働かれる神様のはかりしれないいつくしみも、皆様との出会いのおかげで体験させていただきました。祈りの力を強く感じた1年を過ごさせていただき、これからも皆様と共に祈っていければと思っております。


バティオノ ウィリアム・セルジュ神父
所属 聖ヴィアトール修道会
生年 1974年
叙階 2015年

 私は、バティオノ ウィリアム・セルジュと申します。
 西アフリカのブルキナファソで生まれました。小学1年生の時に洗礼を受けました。小学校を卒業した後、ブルキナファソのカトリック小神学院に入りました。その時はあまり、司祭になることを考えていませんでした。司祭に憧れていましたが、決心がつかずにいました。でも、高校を卒業する頃から、学生時代を通して進路を考えていく間に、ごく自然に、司祭職という可能性が自分の目の前に現れ、それを選んだのです。もっとも、実際にはそう簡単なことではありませんでした。決心するまでに4年ほどかかっています。他にも憧れる仕事はあったし、幼い頃から身近に見て来た司祭達と比べれば、自分は性格などの点で司祭には向いていないとも思えました。
 大学時代、哲学の勉強をしていた時に聖ヴィアトール修道会員に出会いました。彼らが貧しい子供の教育のために、自分の生涯をささげているということに励まされ、自分も同じ目的のために働きたいと思って、2000年に修道会に入会しました。そして1年後、初誓願を立てました。2004年、自分の夢を果たそうと、貧しい子供の教育のために一生懸命頑張りました。あるとき、日本の修道院で手伝いが必要だと聞き、「私に出来る手伝いがあるでしょうか?」と地区長に話しました。そして2008年、日本の宣教師として任命されました。来日して、一生懸命日本語を勉強しています。神様のみ旨で、若者のために働きたいという夢を持ち続けながら、今生きています。







社会の痛みと共に歩む教育
―弱い立場におかれた者と共に生きる―
不登校児童生徒のための教育施設
   京都府教育委員会認定フリースクール
 
    聖母の小さな学校

西舞鶴教会 梅澤秀明・良子
 不登校の子供たちの教育を始めて28年が経ちます。全国に12万人いるとされる不登校の小・中学校の子供たち、また、5万人を超える不登校の高校生。文部科学省は、平成4年に「不登校の問題は子供個人の問題とか、親の育て方から来る問題ではなく、社会のひずみから出てくる問題だ」と明言しています。
 子供たちは、学校に行けなくなった時の気持ちを次のように書いております。
「これから先どうなるのだろうと考えると、自分の将来は、もう無いに等しいと思え、自分の事がものすごく嫌で、何もかも自分が悪く思えて、自分が生きていることが自分で許せませんでした。お母さんが泣いているのを何回か見たことがあったし、自分が全て悪いと思ったし、私なんか消えてなくなればいいと思っていました。うそでも大げさでもなく、本当に死んでしまいたいと思っていました」。多くの不登校の子供たちがそんなことばかり考えて、前にも後ろにも動けない、また、人が信じられなくなって、自分自身も分からなくなって、「今までどうやって生きてきたのだろう?明日からどうやって生きていけばいいのだろう?」と「死にたくなる日々」を過ごしています。
 本校では、週1回登校の生徒もあれば、3日に1度の生徒もあります。登校時間もまちまちです。その生徒たちを教育しています。生徒の全体を受け止め、向き合い、育て、導いていますと、生徒たちは「どんな人間でも受け止めてもらえる」という安心感を持つようです。そして、そこから私たちとの心の通い合いが生まれます。自分が人間として「受け止めてもらっている」という実感は、人への信頼を生みます。自分や世界に絶望していたある生徒は、「人間が信じられるようになると、自分の可能性が見える。可能性が見えると、希望が出てくる」と言いました。
 このように、不登校という困難に出会って本気で生きることを学び、人間の本質に出会うという宗教的な解決をしていきます。そうすると子供たちの中に「よい人になりたい」「よく生きたい」という、心の奥の方からの願望が出て来るようです。
   
 紹介する絵はこの学校に通う生徒たちが描いた
「心の絵)
 
   
     小学校1年から不登校だったある生徒が、中学2年から本校で学び、中学3年になった時の人権学習の時間に、「弱い立場にある人は、自分から声をあげることはできないと思う。だから僕がその人の代りに声をあげる」と発言しました。このことは、心の奥からの願望に突き動かされ、自分のためだけではなく「人のために生きたい」という生き方、新しい豊かな価値観を生き始めたのだと思います。そして、一人の子供の新しい豊かな生き方は、保護者や教師や既存の学校を変えます。教師はこの生徒と向き合うことで教育の本質に出会い、従来の教育観を見直し、新たな教育観を自分の中に形成します。保護者は、マイナスとしかとらえることができなかった子供の現実をとことん受け入れることを通して、家族の在り方を見直し、「この子がいてくれたお蔭で、家族がひとつになれた」と、人間を大切にする生き方へと変えられます。

 不登校という絶望的なほど厳しい現実は、決して一人で立ち向かえるものではありません。「共に生きる」時にこそ、「新しい豊かさ」へと変えられるのではないかと考えます。不登校の子供たちは、「私は学校には行っていないけれど、私を否定しないで受け止めて!生き方を教えて!」と叫んでいます。子供たちや保護者の困難な現実を無視して、私たち大人や教師の考える「よい価値観、大きな力」で整えていくのではなく、子供や保護者の困難に、添って、共にあって教育する時に、この叫びに応えられるのではないかと思います。
 日本の司教団が30年前に出した「日本の教会の基本方針」の中に、「このような『小さな人々』とともに、キリストの力でこの(福音的な)芽生えを育て、すべての人を大切にする社会と文化に変革する福音の担い手になる」(日本カトリック司教団「日本の教会の基本方針と優先課題」1984)とあります。また、教皇フランシスコに導かれる教会は、現代社会の「痛み」を常に私たちに示します。それをよくとらえ、弱者の側に立つセンスを持って、教育活動を続けたいと願っております。

 本校の様子は、京都教区ホームページでもご覧いただけます。また、本校の運営は、「聖母の小さな学校を支える会」の募金で成り立っております。どうぞご協力くださいますよう、お願いいたします。
お振込先:郵便振替
口座番号:00980‐1‐162920
加入者名:聖母の小さな学校を支える会

 
 




 
 安土セミナリヨ公園記念ミサ

         安土セミナリヨは、1580年、織田信長が、布教の拠点づくりに深い理解を示し、提供した用地に、イエズス会の宣教師オルガンチノが建てた、日本初のキリシタン神学校である。また、高山右近が全面的に建築に協力しており、日本二十六聖人の三木パウロは第1回の入学生であった。しかし、1582年の本能寺の変後、安土城とともに焼失してしまった。

1975年に、カトリック滋賀連合会が旧安土町と連携して堆定地を特定し、公園として整備した。
今年、近江八幡市によりセミナリヨ公園の改修も行われ、敷石やベンチも整備された。近江八幡市の観光の拠点の一つとなっている。

 4月29日に「カトリック滋賀ブロック」主催にて、安土セミナリヨ公園記念ミサが行われた。また、整備された公園を大塚司教に祝福していただいた。
 11時30分から、それぞれ持ち寄りの昼食をいただき、引き続いて交流会が開催された。草津教会の合唱団やフィリピンの青年による歌、また、フィリピンの女性による踊りを取り入れた歌などが、披露された。

 記念ミサは、大塚司教と滋賀ブロック担当司祭団の司式で13時から行われ、ミサ後、司教の講演が行われた。記念ミサと講演の参加者の中には、安土セミナリヨ公園について興味を持たれている近隣の方もおられた。

   
三木パウロの記念碑                   三木パウロの記念碑の前で公園の祝福
 整備されたセミナリヨ公園  
   
 隣接の公民館で記念ミサ  




 
 2016年 中学生広島平和巡礼


伏見教会 田中一光

 京都教区の夏の風物詩ともいいましょうか、今年もこの中学生広島平和巡礼の時期がやってまいりました。今年はここ数年の平和巡礼とは異なり、済州教区の中学生がおりません。久しぶりに京都教区の中学生だけを連れて広島へと向かいます。いつもであれば、言語の壁を越えて済州教区の中学生たちと共に平和について分かち合ってきましたが、今回はそうもいきません。何年か前の平和巡礼を思い出し原点に戻って、京都教区の子たちしかいない分、我々の身近なトコロから平和について考え分かち合いたいと思っております。
 青年たちは4月からこの平和巡礼の準備を進めております。引率をするリーダーとしては、初めて広島を訪れる青年もおり、今年のリーダーは例年以上に初々しいメンバーとなっており、広島についての足りない知識を補うべく猛勉強しております。中学生、そして神父様やリーダー達にとっても平和巡礼が実りのある、有意義なものになるよう皆様お祈りください。

      

 

    大塚司教 7 月
のスケジュール




2日(土) 10:00 長岡カトリック幼稚園創立50周年感謝の集い 聖体賛美式
3日(日) 10:00 山城ブロック司教訪問(青谷)
       18:00「望洋庵」青年の集い

7日(木) 10:00 中央協 常任司教委員会
      15:00  〃 社会司教委員会
8日(金) 9:00 日本カトリック神学院 常任司教委員会(福岡キャンパス)

10日(日) 10:00 草津教会(水口)・ポルトガル語ミサ
       14:00 草津教会・スペイン語ミサ

11日(月) 15:00 ユスト高山右近列福準備委員会(大阪大司教館)
15日(金) 11:00 中央協 列聖推進委員会

24日(日) 9:00 滋賀ブロック司教訪問(大津)
25日(月) 14:00 司教顧問会
30日(土)    聖母の小さな学校 訪問

31日(日) 9:30 教区青年の集い(鈴鹿教会)

8
 




   7 月のお知らせ    


《 教 区 》

典礼委員会/Tel.075(211)3025 (月)(水)(木)
 典礼研修会
  日 時:16日(土) 14:00~15:30
  テーマ:典礼の場を豊かにするために
   (聖堂・祭壇の装飾、
   香部屋、祭服、花など)
  講 師:北村 善朗師
  対 象:典礼部、典礼奉仕者
  会 場:カトリック西陣教会聖堂
  (申込み不要、参加費不要)

聖書委員会/Tel.075(211)3484 (月)(水)(木)
 聖書講座「神の正義と神のいつくしみ」
  テーマ:ヨブ記
  講 師:一場 修師
  日 時:20日(水) 19:00 21日(木) 10:30
  テーマ:詩編
  講 師:阿部 仲麻呂師(サレジオ会)
  会 場:河原町教会 ヴィリオンホール

 よく分かる聖書の学び(ヨハネ福音書を読む)  
  日 時:13日(水) 10:30
  講 師:北村 善朗師/参加費:300円
  会 場: 河原町教会ヴィリオンホール

青少年委員会
 京都カトリック青年センター
  聖書の集い

   日 時:16日(土)18:00
   場 所:青年センター(西陣教会内)

福音宣教企画室/Tel. 075-229-6800
 病者・高齢者訪問講座
  第2回「苦しむものとともに苦しむ神」

   『サルヴィフィチ・ドローリス』より
    苦しみのキリスト教的意味を探る
   日 時:14日(木) 14:00
   講 師:中川博道師(カルメル修道会)
   会 場:河原町教会ヴィリオンホール 
   受講費:300円


《ブロック》
奈良ブロック
 聖書講座 - クレド 今 わたしは信じます -

  日時場所:8日(金) 19:00 大和郡山教会
         9日(土) 10:00 奈良教会
  テーマ:罪のゆるし
  講  師:柳田 敏洋師(イエズス会)

  日時場所:22日(金) 19:00 大和八木教会
        23日(土) 10:00 奈良教会
  テーマ:わたしの復活、永遠のいのちを信じます
  講  師:松田 浩一師(カルメル修道会)

 平和旬間行事 講演会
  「教育は希望を、希望は平和を」
   ~カンボジアでの学校づくりを通して~
   日 時:8月7日(日) 13:00 受付
        13:30講演 15:00 ミサ 16:00茶話会
   講 師:後藤 雄師神言修道会)
   場 所:カトリック奈良教会

京丹ブロック
 平和旬間行事 講演会

  「平和を作り出すキリストと市民の集い」
沖縄県辺野古埋め立て工事と米軍新基地建設阻止活動について。戦後の沖縄における米軍基地。キリスト者としてのこの活動に取り組むことの意味。
 日 時:8月7日(日) 16:00~18:00
 講 師:金井 創牧師
  (日本キリスト教沖縄教区佐敷教会)
 会 場:日本キリスト教団西が丘教会
     (京都府乙訓郡大山崎町円明寺脇山1-184)
     問合せ:Tel.075(954)1131
 参加費:無料

《修道会》
男子カルメル修道会
(宇治修道院)
   Tel.0774(32)7016 Fax.(32)7457
 聖書深読(中川 博道師)
  日 時:2日(土)10:00~16:00
  参加費:2,500円

 キリスト教霊的同伴(松田 浩一師)
  日 時:8日(金) 20:00~9日(土) 15:00
  参加費:6,500円

 カルメル山聖母ミサ
  日 時:16日(土) 10:00
      ミサ後、スカプラリオ授与式

 水曜黙想(松田 浩一師)
  日 時20日(水) 10:00~16:00
  テーマ:神のいつくしみと十字架の聖ヨハネ
  参加費:3,000円


《諸団体》

望洋庵/Tel. 075-366-8337
    Eメール bouyouan.seinen@gmail.com
 青年のための月一回の小黙想
  日 時:23日(土) 14:00~17:00
  参加費:200円(申込不要)

京都カトリック混声合唱団
  練習 10日(日)14:00/23日(土)18:00ミサ奉仕後
      31日(日)14:00 カトリック会館6階

コーロ・チェレステ(女声コーラス)
  練習 7日(木)10:00 /14日(木)10:00 /28日(木)10:00
  カトリック会館6階

聴覚障がい者の会
  手話表現学習会(聖書と典礼)

   14日(木)13:00~15:00 カトリック会館6階

心のともしび 番組案内 
 テレビ
(衛星.CATV)スカイAスポーツプラス
  毎週土曜日 朝7:45
  シリーズ「小さな気づきを大切に」
   出演は 阿南孝也氏(洛星中学高等学校 校長)

 ラジオ(KBS京都) (月)~(金)朝5:55 (土)朝5:15
  7月のテーマ「おおらかに」


教区広報委員会からのお知らせ

※ お知らせに載せたい情報は、原稿締切り日までに教区広報委員会宛に
   Fax.075(211)4345 かkouhou@kyoto.catholic.jp に発信者のお名前を明記してお寄せください。

    

※ 2016年9月号の原稿締切り日は 7月20日(水)です。


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