文集1
「あるがままの私からの出発」


 私は不登校だったことを誇りだと思っています。人は私が不登校だったことを、まるで隠さなければならないことのように、また人生の汚点ととらえ、とても申し訳なさそうに私と話をされることがあります。私はそんな風に思われるのが嫌だと思うこともありますが、人の価値観は千差万別なのでそれはそれでいいと思うのです。しかし私にとっての「不登校体験」は私の人生においてなくてはならない、かけがえのない時間なのです。

 私が不登校をしだしたのは中学一年生の頃でした。学校へ行かないのではなく、行けない。なぜなんだろうと自問自答をくり返しても分からないのです。ただただ苦しくて情けなくて悲しくて、学校に行けない自分を最低だと思い、私の心は劣等感という鎖でがんじがらめにされているようでした。何が正しくて正しくないのか、この世にあるもの全てが信じられなくなったこともありました。自分を殺してしまおうかと思うくらい、「私」という人間が大嫌いで、学校に行けない自分なんか、生きている意味がないと思っていました。あの頃は真っすぐ前を向いて歩けないくらい、私は私の存在全てを否定したような生き方しかできませんでした。

 しかし私は聖母の小さな学校に出逢い、そして秀明先生、良子先生のもとで学んでいくうち、少しずつ私の中で、「不登校」に対しての思いが変わりつつありました。しかし聖母に行き始めた頃、私が一番辛かったことがあります。それは自分の思いや意見を話すこと。もともと人前で意見を言うことが得意ではなかったのですが、不登校をしていた私はとにかく「人の目」が怖くて、人にどう思われているかが気になって、他人の前で話すのが本当に苦痛だったのです。また、先生と一対一の面談も苦しかったです。なぜなら大嫌いな自分について話さなければいけないのです。あの頃は「不登校」と口にするだけで涙が出そうになったくらいでした。私自身自分の心に鍵をかけ、自分ですら自分が分からない状態でした。鍵をかけ、心を閉じさしていたのはきっと不登校である自分を決して認めたくなかったからでしょう。認めてしまえば全てを失うような気がして怖かったのです。しかし先生との面談、また聖母での日々の生活をかさねていくうち、ようやく私は中学三年生の秋頃に不登校である自分を心から受け入れることができたのです。「あるがままの私、不登校の私、この私でいいんだ。」と思えた瞬間、劣等感で渦巻いていた私の心はまるで晴れわたった青空のような気持になりました。高校へも行きたいと思うようになりました。しかし私自身、やはり三年間のブランクが不安で仕方ありませんでした。先生にいくら大丈夫だと言われても納得できず、全てに対して常に大きな不安がありました。このまま、できることならばずっと聖母で学んでいけたらとも思いました。そんな不安と戦いながらN高校を受験し合格したのですが、不安な気持ちに変わりありませんでした。

 そんな不安の中スタートした高校生活はとまどうことも多く、何かあるたびに秀明先生、良子先生に相談しに行っていたのを覚えています。最初の一年間は必死に通っていたように思います。一度休んでしまったら、また不登校をしだした自分に戻ってしまうのではないだろうか…そんな自分自身に対する恐怖もありました。その恐怖もまじえた中で私はすでに一年の一学期の初めには三年間皆勤で通うことを心に誓っていたのです。これは、色々なことに対する私の意地だったのかもしれません。しかしだんだん高校に通うことが私にとって意地でなくなっていきました。高校生活に余裕がでてきたこと、また心からわかりあえる親友に出逢えたこと、毎日が楽しいと思えるようになったこと、このようなことが私を変えていったのかもしれません。今まで自分のみにむけられていた目がだんだん周りを見渡せる余裕を持つようになりました。部活動や生徒会本部役員をはじめとする、様々なことに私は積極的に取り組んでいけるようになったのです。全て私からチャレンジしていったことで、その仕事が大変ながらも大きな充実感を味わえることがとても嬉しくて、学校が好きで好きで仕方なくなりました。そしてまた、学校の行事ごとにみんなの中心となって物事を進めていく中で学んだことも数知れません。先日卒業式を終え、自分自身を振り返ってみると、本当にあるがままの私で充実した最高の高校生活を送れたと思います。そしてこの中に無欠席、無遅刻、無早退、無欠課の皆勤でがんばった私がいます。高校の先生は、私が皆勤で高校に通ったことを「奇跡」だとおっしゃいましたが、私は奇跡ではないと思います。これは私の不登校の体験で学んだ成果なのです。本当に何よりも嬉しいことです。皆勤の賞状をいただいた時は涙が止まりませんでした。

 私にとって高校の思い出が多すぎて、いまだに卒業した実感が湧かないくらいです。聖母の思い出がかけがえのないものであるように、高校での思い出の一つひとつも私にとってかけがえのないものなのです。親友たちや先生たち、数々の思い出は私の大切な大切な宝物です。様々な人に支えられ、私は成長することができました。私ひとりの力では決してありません。

 今年の四月からは大学生としての新生活がスタートするのですが、人生は終わったと絶望していた頃の私を思うと夢のようです。不登校は本当に苦しくて辛い体験でしたけれども、この苦しみの中で悩んでいたことこそが人生の土台となって今の私の中に存在します。私にとって不登校はなくてはならない、かけがえのない時間なのです。秀明先生、良子先生にめぐり逢えたことが私の人生を変えました。私をはじめ、生徒のことをこんなにも思ってくださり、考えてくださる先生方に逢えたことを心から幸せに思っています。聖母にいた頃はこんなことをしていて何か役に立つのかなと思っていることでも、それは後々の人生に大いに役立つすばらしいことなのです。それらは目に見えないものかもしれませんが、人生においてなくてはならないもののように思います。18年間しか生きていない私が人生を語るなど早すぎますが、私は本当に聖母で学んだことが私の中で大きく生かされていると実感するのです。困難にぶつかっても逃げないで、自分自身で立ち向かっていく力、悩み方、本当に様々なことを学びとることができました。不登校をし始めた頃、何度人生がゲームのようにリセットできたらいいかと願ったことはありません。しかしそれは本当にまちがったことなのです。どんなことでも、その困難の上を踏みしめ、自分の足で歩んでいくことが大切なのです。苦しみの中にいる時こそ、人は成長できるのではないでしょうか。そしていつか振り返った時に、この苦しみがかけがえのない、人生の糧になるのだと思うのです。

 これから大人になっていくのにつれて、もっと苦しいことにも遭遇すると思いますが、どんな時も私らしく生きていきたいと思っています。秀明先生、良子先生に出逢えたことも私の誇りであり、最高に幸せなことです。

 本当に本当にありがとうございました。こうして、いつでも帰ってこられる母校があることは、この上なく嬉しいことです。またこれからもどうぞよろしくお願いいたします。

 私を教育して下さり、本当にありがとうございました。


(2000.3.24聖母の小さな学校 卒業生文集 「自分らしさを求め続けて」から)

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