私の得たもの

 聖母に来て自分が変わったなと思うのは大まかにいうと、人とまともに向き合えるようになったことと、自分の駄目だと思うところを卑屈にならずにまじめに受け止められるようになったことです。中学校に行けなくなった頃から多分ずっとあった課題で、聖母に来てスポーツフェスタを機に「人間関係」というテーマが出たときは、自分がずっと悩んでいたことのおおもとはこれだったのかと思いました。
 前の私は、とにかくひたすら受け身で逃げ腰で自己完結型で、相手が見えていませんでした。学校に行けなくなってしばらく引きこもり見たいな生活をしていて、自分の周り3メートル以上の外界に興味がなくて、何か向こうから働きかけがあっても、迷惑だとしか思わず、放っておいといてくれればそれが一番嬉しいと思っていました。そしてひとりで勝手に自己嫌悪のどつぼにはまって、進路すべてが閉ざされたような気分になって、果てしなく沈んでいきました。それは糾弾するものが自分の至らなさや甘えだから逃げ場がなくて、ある部分ではすごく苦しいのだけど、袋小路に落ちついていれば外界と対応しなくて良いのだからある部分ではすごく楽でした。つまりは自分の中に何も入ってこないように遮断してひとり世界に閉じこもっていたいのです。

 聖母に行こうと思ったのも、最初は進路関連のいざこざが直撃するのを逃れたいが為と、外出するのが怖かったので、それらしい理由が欲しいという後ろ向きな動機からでした。実際それらはとりあえず叶って、でもその他に人と何かをして少し気分が変わったり、外に出てみると生活にめりはりがついたりと、だんだん外界にも気が向くようになって、それは結構新鮮で楽しかったです。
 そして面談してもらったり、Tさんと話せるようになったりして、悩みとか愚痴とか暇とかをひとりで抱えて発酵させているより、出してみると案外楽だというのがわかりました。話をするようになると、今度は自分の周りへの配慮のなさや融通のきかなさが現れてきました。でも人と関係をもつのは大切なことだと思うようになりました。スポーツフェスタのテーマを考えていくなかでそういう課題が形になっていって、自分をまっすぐ見て考えていく核になる要素が定まっていきました。
 「人間関係」というのはこれからも大きなテーマになると思うし、スポーツフェスタはそれがしっかりみえるようになった大きな転機でした。本当にふっ切れて何か心の奥の方で淀んでいたものがすっきりした気がしました。それ以来いつも意識するようになってそうするとまた違った発見が合ったりして、人と関わるのが怖くなくなってきました。

 そして今変わってきたと思うのは、自分から枠をひらいてたくさん話をして人と関係づけていくようになったこと、うまくいかないことをひとりでこもらせないでまじめに受け止め、相談したり愚痴ったりして外に出すようになったこと、それから相手の存在をちゃんとみるようになったことなどです。まだおぼつかないものの課題があるというのが自分でもわかるようになったし、それを悲観しなくもなりましたる避けたいことをただ避けるだけでなく、それを相手に伝えて和解するのも大切だと思えてきました。本当に色々なことがすっきりして楽になって、血肉になってきている感じがします。

 今、聖母に来て本当に良かったと思うし、卒業できるのを誇りに思っています。馴染むのには時間がかかったけれど、今は毎日の掃除やホームルームや突如勃発する中身の濃い話や授業などのパターンの繰り返しの日常がとても心地よくて好きです。ここで経験した色々なことが自分の財産になると思います。
 卒業するのは惜しいような気もするし不安もあるけれど、母校としてずっと繋がっていられて、後ろ盾があるようで心強いし、やっていけそうな気がします。それなりに力もついたと思うのでこれからもいろんな所に行ったり、人と会ったりして世界を広げていきたいです。
 聖母に来てたくさんの人に支えられているのが実感出来たし、自分が自分として生きてきたと思います。幸せでした。


(2002.3.23聖母の小さな学校 文集 「自分をみつめて」から)