2006年度卒業式

(2007年3月17日)

卒業メッセージ 
 ―不登校を体験して、こんなに成長しました―

卒業おめでとう
 梅澤秀明・良子

「聖母の小さな学校」の卒業生へ
 カトリック京都司教 パウロ大塚喜直

卒業式 茶道教室 陶芸の時間

卒業生メッセージ
 ―不登校を体験して、こんなに成長しました―

 聖母に来る前は、何か人のなかに出て行くことをする前にいつも、いつも考えすぎていました。
自分の頭の中だけで色々考えて、最後は行かない方を選びました。そして、その後罪悪感や、こんなこともできないで、この先どうなるんだろうと不安でした。
 聖母に通い始めて、最初の頃はとても行きにくくてよく行かない日がありました。1人だったらまた考えすぎて完全に行かなくなってしまったと思うけど、梅澤先生達と面談をしたりして、気持ちを聞いてくれたので、少しずつ考えすぎて煮詰まって疲れることもなくなってきました。
 今は、何かを行動することが楽になったと思います。聖母の小さな学校でいろんなことをしたり、場所に行ったりして体験しました。少しずつだけど、できるようになることが自信にもなってきたと思います。本当に色んなことを学びました。
     (T.S. 中2の頃より不登校。1年以上聖母で学びました。西舞鶴高校通信制継続。19歳)

 僕は中1の二学期から不登校で高1の時聖母に来ました。
 不登校の時、誰も僕を理解してくれなくて苦しかった。
 布団の中で1人泣いていた。
 だけど聖母に来て少し安心しました。
 聖母に来る前は前に出て発表することが苦手だった僕。
 なぜなら発表するということは自分を出すということだったからそれが嫌だった。
 だけど聖母に来てから少しだけだけど自分を出すことができるようになった。
 過去の自分を決別ではなく受け入れることができるようになった。
 最後に、聖母に来てかけがえのない先生、仲間に出会えたこと。
 それが僕にとって一生分以上の宝です。
     (O.Y. 中1の二学期より不登校。1年半、聖母で学びました。福知山高校三和分校2年進級。17歳)

 ぼくがせいぼの小さな学校でべんきょうした事はがまんするという事です。
 あさ早くおきる事ができません。しゅくだいをする事もながくつづけてできません。
 学校へはちくこしないでくる事もありましたが最後はちこくは多かったです。
 先生にむかえにきてもらった事もあります。
 先生はよくいろいろはなしをしてくれました。そしてぼくにいろいろちゅういをしました。ぼくがわるいことするとよくしかってくれました。
 4月からふくちやまのこうとうぎじゅつせんもんこうでがんばります。
     (O.J. 青葉中学校卒。1年聖母で学びました。京都府立福知山高等技術専門学校入学。16歳)

卒業おめでとう
 梅澤秀明・良子

 大地は春の息吹を感じさせております。その溢れんばかりの生命力の中にあって私たちも1人ひとりがその独自の成長の喜びや将来への希望を持ちましょう。
 人の生き方は、決して他と比較ができたりすることではありません。また、もっと良い形を想像して自分を卑下したりすることでもありません。何より大切なことは、今までの自分の歩みを大切にすることです。
 特に、不登校だったこと、そして、そこから発生する様々な困難を通して自分が成長する為に乗り越えた方が良いと思われる課題に気づいたことです。また、もっと大変だったのは、その不登校と向き合う本当に困った、いやな時を、親と子とひとつになって聖母の小さな学校と共にここまで持ちこたえることだったでしょう。そしてそのことにより、困ったことやいやな時も自分の大切な部分であり、無視したり避けたりするわけにはいかないことを実感したでしょう。そして勇気を持って立ち向かっていくと、自分の心の奥深くにある様々な思いに気づいて安心できることもわかったでしょう。このように困難を困難として正しく受け止めて生き抜いていくと、自分の人生のかけがえのない時として大切なものになります。
 自分の中にあるマイナスの部分もプラスの部分も共に大切な私自身であり、そのありのままを受け止めて、そこから出発することを学んでくれたことと思います。
 どうかこの不登校と向き合った聖母での学びの日々を誇りに思って、生きていってください。
 今日は本当に卒業おめでとうございます。

「聖母の小さな学校」の卒業生への司教メッセージ 
 カトリック京都司教 パウロ大塚喜直

 この春「聖母の小さな学校」から旅立つ皆さん、ご卒業おめでとうございます。この学校に入学以来、神様からいただいた恵みに心から感謝しましょう。また、梅澤秀明・良子先生をはじめ、授業でお世話になったすべての方々、そしてご家族のみなさんに心から感謝して下さい。
 イエス・キリストの山上の垂訓にある「地の塩・世の光」という教えのとおり、1人ひとりが「地の塩」「世の光」として、社会において、神の愛を輝かせる人になって下さい。「世の光」というと、ろうそくとその芯をイメージします。ろうそくは、蝋の油を灯された自分の炎の熱で気化させ、芯で燃やします。その時の炎が光を放ちます。
 人は、この世に一つしかない自分という「芯」に火をつけ、蝋という自分の存在を生かし燃やして輝くとき、神が望まれる「世の光」となることができるのです。大切なことは、本当の自分という芯に火をつける事です。見栄を張ったり、自己卑下した自分ではなく、あるがままの自分に火をつけるのです。
 もう一つは、「ろうそく」といえば、自分を何かに与え尽くす生き方を連想します。利己主義の生き方ではなく、すべてにおいて、愛を動機に、愛を目的にして行動する生き方です。愛は、自分を与えることです。私たちの周りの人は、自分だけが幸せになるための道具ではありません。自分の欲望を満たすことではなく、人との繋がりの中に喜びと価値を見出せる人になってください。
 人生は選択の連続です。自分の目標をしっかり掴んで、正しく真実なものを選びとってください。そして、自分の人生に自信と誇りをもって、希望と謙虚さの中で歩んでいってください。
 キリストはいつもそばにいて、助けて下さいます。これからの人生において、神の恵みと力づけが豊にありますように、私から祝福をおくります。