2010/2/28


京都教区中学生広島平和巡礼感想文 2009年度 
                        2年生   3年生   リーダー

1年生

1

衣笠教会 1年 Y・N「中学生会に参加して」

 ぼくは広島は初めてだったけど、中学生会は二回目だったので知ってるリーダーや友達がいたので、わくわくしてました。そして、中学生会に参加して思った事がいっぱいありました。

 一日目は自己紹介などをしてから、被爆者証言を聞きました。そこで思ったのが『命』についてです。戦争は多くの人の命をうばい平和をとりこわしたものだと改めて感じました。次に、平和記念公園へ行き、平和行進をしました。最初は、「暑いなぁ」と思いながら歩いていました。しかし、みんなの顔つきや声を見ると、暑いけど楽しくなりました。そして教会に着きミサが始まりました。ミサが始まって十分で疲れて眠たくなりました。しかし、ご説教の時に大塚司教と聞こえて「ピクッ」としました。その後からは集中してミサを受ける事が出来ました。翠町教会に戻って、夕食を食べる時は班で笑いながら食べる事が出来ました。そして、銭湯で体を休めて一日目を終えた。

 二日目、平和記念公園へ行って815分に黙祷を捧げました。この時間の六十四年前は・・・と考えました。その後、平和記念資料館を見学しました。中で見たろう人形やピカドンのビデオなどは口にはできないものでした。本当にこんな事が起きたのかと何回も思いました。そして、翠町教会にもどって分かち合いをしました。分かち合いでは「黙祷の時何を考えたか」などをはなしました。その後、ミサがあり、終わって、平和記念公園へ行って碑・とうろう流しを見ました。とうろう流しでは赤・黄・青のカラフルな色が川を流れたけど八月六日は人が流れたんだと思い、とうろう流しには色んな願い、思いがあると思いました。

 三日目、あっという間に三日もすぎました。バスの中で、冬も絶対に参加しようと思いました。

九条教会 1年 RM「原子爆弾」

私がこの合宿で心に残っていたことは、分かち合いで話されていた“原子爆弾は落とされて良かったのか、悪かったのか”という主旨のものだった。

原子爆弾は一瞬にして十四万人というたくさんの人の命をうばった。しかし、この時に原子爆弾が落とされていなければ戦争はもっと長くつづいたと考えられる。第二次世界大戦自体がなければ、ということを思ったが、よく考えてみると今よりももっと戦争が多発し、たくさんの国が原子爆弾などの危険な兵器を所持、使用していたことだろう。

原子爆弾が落とされたことは決して“良かった”ことではないが、悪かったことだけでもないと私は思う。

六十四年前に原子爆弾が広島・長崎に落とされ、そのおそろしさを全世界の人々が目の当たりにした。だから戦争で原子爆弾は使われなくなった。しかし、戦争から六十四年たった現在では、被爆者や原子爆弾に関わる人はとても少なくなった。そして原子爆弾のことを語る人が減った今、過去の悲劇を忘れた人々が同じ過ちを繰り返そうとしている。これを止めなければ六十四年前以上の犠牲者を出す大惨事が起こるかもしれない。こんな時こそみんなで団結して、もっとたくさんの人に六十四年前の出来事を知らせるべきではないのだろうか。

伊勢教会 1年 TK「広島平和巡礼」

 広島のがっしゅく3日間の短い間やったけど、たのしかったです。もくとうの1分間で願ったことが現実になったらいいなと思います。わかち合いの時いろんなことを言い合って気持ちがよかったしふだん言えないような事も、進んでいいみんなとしんけんに話をして楽しかった。資料館では苦しい思いをしてなくなっていった人や一しゅんにしてきえた人、友人や家ぞくの人がなくなって悲しんでいる人たちがどんな思をしていたかわかったような気がします。夜はせんとうであびた湯がすごくきもちよく感じました。ねる時も夜おそくまで話をしていました。夜のミサの時いろんな神父様がいてちょっとおどろいてしまいました。とうろう流しを見にいったときもどんなんやろかとワクワクしていました。いくつもいくつも流れていって流した人の思いがとどいてほしいな、思いました。平和のこうしんではのどがかれるまで歌いました。もう一回みんなといっしょに歌いたいな(あの場所で)と思いました。しらない人ともなかよくなれたしまえからしっとった人とももっと仲良くなれた気がします。最後の1日、もっと皆とわかちあいやひろでんのっていっぱいいきたかった。バスの中でも最後まで楽しかったです。


彦根教会 1年 MM「広島平和巡礼に行って」

 私は、この広島巡礼に行こうと思った理由は2つあります。1つ目は、小学校の時、昭和時代の194586日午前815分に広島に投下した、原子爆弾のことを教えてもらって、行ってみたい、と思ったからです。それに、中学3年の修学旅行には、長崎に行くので、少しでも、原子爆弾の事を知っておきたいと思ったからです。

 二つ目は、中学生だけが、集まって、平和の学習をするのが楽しそうだったからです。

 広島平和巡礼に行くため、京都駅の集合場所について、リーダーや一緒に広島に行く人を見て、緊張しました。でも、新幹線で隣に同じ班の人とちがう班の人が座っていて、色々話しているうちに仲良くなりました。そして、広島について、班に並んで、歩いていた時に、もう一人2年の班の人と仲良くなりました。翠町教会に移動していた時に、翠町教会はどういう教会かなって思っていたら、ついたのは、幼稚園で、教会はとなりにあって、彦根の教会と似ていました。オリエンテーションで、一人一人、自己紹介するのは、緊張しました。歌の練習は、今まで全部スペイン語で、歌っていたから、日本語では、初めてで、あまり歌えませんでした。そのあとの幟町教会に移動して、被爆証言を聞きました。話してもらったのは、山本さんという人で山本さんは、19歳の時に原子爆弾が投下しました。山本さんは、原子爆弾が投下した時の状況をくわしく、それに、上手に説明をしてくれました。山本さんの話を聞きながら、その時の事を考えてみたけれど、それよりひどいと思うと怖いです。山本さんの、原子爆弾の話を聞き終わると原子爆弾は怖くて、ひどいと思いました。でも、山本さんはそんなにひどかった、原子爆弾の話をするのは、つらくないのかなと思いました。そのあと、平和の行進をするために、平和記念公園に行きました。祈りの集いをしたあと、平和行進をしました。行進しながら、「アーメンハレルヤ」と「Walk in the Light」を歌いました。楽しかったです。そのあと、平和祈願のミサは、とても、人が多くて、幟町教会は、広くて、きれいでした。 2日目、朝早く、起きて、ねむかったけど、平和公園に移動して、815分、原子爆弾が投下した時間に、黙祷しました。なんだかとても、悲しくなりました。そして、平和記念資料館に行きました。平和記念資料館は、とても、ひどいと友達に聞いていたので、ちょっと心配していました。資料館に入ると、やっぱり、いろんな資料があって、原爆ドームの模型や、平和記念公園の被爆前や被爆後の模型がありました。とても、原子爆弾の被害は、すごくひどいと思いました。そして、2階に上がって、本館に歩いていくと、原爆被災者の人形があって、それは本物みたいで山本さんが、言っていた通り、皮膚が垂れ下がっていたり、服が焼け焦げていて、とてもひどかったです。そして、出口のところの近くに、禎子さんの折鶴というのがあって、禎子さんは、原爆後障害で白血病になって、その白血病の回復を祈って鶴を折ったと言うのがとてもすごいなと思いました。出口からでて、ロビーを通った時に、おじさんが、折鶴をのせた紙飛行機をくれました。紙飛行機には「千の風にのって愛する世界に」と書いていてなんだか、さみしいような温かい感じがしました。平和記念資料館は、原子爆弾で亡くなった、たくさんの人たちの思いがこめられていると思いました。本当に戦争は、人を傷つける物だけで、すごくひどいものだと改めて思いました。翠町教会にもどって、分かち合いをしました。それで、初めらへんに聞かれた「平和って何?」と言う質問に、私は、本当になんだろう?と思いました。でも、平和って、戦争がない事だと思います。それと、世界中の人達が幸せに暮らせることだと思います。でも、戦争は、2003年にあったので世界中の人は、幸せの人もいても、幸せじゃない人がいるから、世界はまだ平和じゃないなと思いました。そして、平和記念公園に移動して、とうろう流しを見ました。とうろう流しは、きれいだけど、さみしいなと、感じました。とうろう流しを見てから翠町教会にもどるために乗った広電は、これで乗るのが最後だと思うと、さみしくなりました。

3日目、今日は、もう帰る日で、家族に会うのが、楽しみな気持ちの反面、せっかく出来た友達と離れるのが寂しいなと思いました。私は、広島平和巡礼に来て、広島は、原子爆弾でとてもひどい被害を受けていて、今でも、それに苦しんでいる人がいて、それでも、みんなに原子爆弾の怖さを伝えるためにがんばっていて、とてもすごいと思いました。なので、これからは、戦争がない世界になるように願います。

亀山教会 1年 KM

 初めての広島、巡礼も初めてなので最初は緊張したが。教区の中学生と一緒なので直ぐに友達になれた。2日目はいろんなことを勉強し、体験したり、行進したりした。原爆は怖いものと思ってはいたが、映像や写真、絵、説明などを見て、さらに怖いもの、恐ろしいものとなった。平和行進は多くの人たちでにぎわい、アーメンハレルヤなどを歌いながら祈ったり、平和について考えたりしながら行進した。前のグループより、後ろのひとたちのほうがテンションが上がっていた。着いたときには、巡礼団はばらばらでリーダー2人と中学生2人が早く着いてしまった。夜の灯篭流しもきれいだった。穏やかな日で仲良く巡礼に参加できたが、64年前の原爆のことを思うと原爆の恐ろしさ怖さがこみ上がってきます。平和な社会が一番だと思った。

亀山教会 1年 RY「平和巡礼に行って」

 僕は初めて黙祷が出来てうれしかった。もちろん真面目にやった。

 黙祷が終わってから資料館に行った。中に入ったらいきなり原爆ドームが見えてびっくりした。よく見るとそれは本物の原爆ドームより二回り程小さかった。けれど外観はすごく似ていた。

 資料館の本館に行く前に、箱部屋に入って十分間程のビデオを見た。原爆が落ちた時を再現したアニメーションだった。それを見て人間は一体どこまで残酷になれるだろうかと思った。すごく悲しかった。

 本館ではリアルなろう人形があって怖かった。それ以外にも佐々木貞子さんの生涯をつづった表があった。その表を見て原爆病は怖いと思ったと同時に、貞子さんが可哀想だった。今、自分が生きているのがすごく幸せだと思った。人生を素直(すなお)に喜べた。

 灯籠流しがきれいだった。奥の方を見ると流れが止まっていて光が集まっていたから、すごくきれいで、この川で何百人もの人が死んだなんて嘘みたいだった。とてもきれいで感動した。

 灯籠流しを見る為の場所を探したが、人ごみがすごくて全く進めなかった。外国人もいっぱいいた。原爆ドームの垣根にも灯籠みたいな物が付いていてきれいだった。灯籠流しをずっと見ていた。

 帰りの広電はすごく暑かったので団扇で扇ぎっ放しだった。

 銭湯へ行ったのが楽しかった。

 この二泊三日の巡礼では色々考えさせられた。二度と原爆を使ってはならないと思った。

東舞鶴教会 1年 TY「広島平和巡礼」

 いろんな、教会の人と交流が出来てよかった。特に印象に残っているのは、被爆者証言を聞いて、原爆の恐ろしさを知りました。

 ぼくたちは、二度とこういうあやまちをくりかえすことのないように、なければいけないと思いました。

 

伊勢カトリック教会 1年 MY「広島平和巡礼」

 今年で初めて広島に行きました。一日目は平和行進、被爆証言、ミサがありました。平和行進では、皆で声を合わせて全ての被爆者のことを考え、大きな声で歌うことが出来ました。被爆証言では、戦争の恐ろしさや、被爆者の気持ちがとても伝わって来ました。ミサでは、たくさんの人が来ていて、気持ちを一つにしてお祈りしました。二日目は、黙祷、資料館見学、分かち合い、とうろう流しがありました。815、原爆が落ちた時間に一生懸命心をこめて黙祷をしました。資料館では、爆発前、爆発後の模型、ロウ人形、写真、映像などを見てきました。ロウ人形は人形だけど、とても痛そうでした。分かち合いでは、テーマは戦争で、皆思った事を言って、そのことについて話し合いました。とうろう流しでは、赤、青、黄、緑、オレンジのとうろうが流れ、それが川にぼやぼや映り、とてもきれいでした。三日目は、お世話になった保育園の先生へお礼に掃除をしました。三日間の広島平和巡礼はとても良い経験となりました。また来年も行きたいです。

 

西院教会 1年 MA「広島巡礼」

 一日目に被爆者証言を聞いた。被爆した人がまだ生きていていると思うと戦争が近く感じた。原爆は後でも病気が残るしキツイなと思った。

 平和行進はみんなが声を出して楽しかった。この行列を見た人が平和の大切さを共感してほしい。

 二日目、朝に黙祷をした。原爆ドームに向かってその時間に黙祷するのは初めてだった。

 平和記念資料館見学では、実物や映像を見ることで被爆した人の思いが伝わってきた。

 分かち合いは難しかったけど、自分が考えた事を全部言えたと思う。

 三日間を通していろいろ大切なことがわかった。命の尊さや平和の大切さを世界の人がみんな分かってほしいと思った。

 ハードで自由な時間は少なかったけど、楽しかった。いってよかったなと思った。

 

東舞鶴教会 1年 YT 「広島巡礼の感想」

 昔、たった一つの爆弾で広島の人間が数えきれないほどなくなったことを、今ぼくたちが知って感じて、とてもその当時の人たちが苦しんだり、痛みにもだえたりしていたんだなと想像しただけでもゾッとします。

 被爆者証言の方は、つらかったのに思い出してくださって、同じことをしてはいけないという強い想いを感じました。

 資料館では、その人の遺体や遺骨がなく、とけたちゃわんやびん、八時十五分にしっかりとまってある懐中時計をその人の形見としてなるなんて、原爆の威力を十分に物語っていて、怖くなるほどでした。

 また、生き残っても全身が火傷になったり、皮膚がとけて、たれたり、気持ちが悪くなる写真もありました。

 しかし、これが実際におきたことだから、もう二度と同じ過ちをくりかえしてもいけないと思いました。

 

伊勢教会 1年 MH「広島平和巡礼」

 初めに広島に行くために色々準備をしてくれた人達に感謝します。ありがとうございました。

 今年、私は初めて広島に行きました。

 1日目は被爆者証言を聞いたり、平和行進をしたり、平和祈願ミサにあずかったりしました。

 被爆者証言では、こわくて、悲しくて涙が出るような話をたくさん聞きました。話を聞いて、戦争は二度としてほしくないと思う気持ちがとても大きくなりました。

 平和行進は被爆者証言のときに聞いた話を心に留めて大きな声で一生懸命うたを歌いながら歩きました。

 平和行進が終わったら幟町教会でとても大きな平和祈願ミサにあずかりました。いろんな教会から神父様が集まっていてミサにあずかる人達もとても多かったです。奉納の時は、平和行進の時に持った、プラカードを各教区の代表の人たちがもっていっていて、すごく豪華なミサでした。

2日目は、815分に平和公園にある川の前で黙祷をしました。ちょうど64年前の今に原爆が落とされたことを考えて1分間、平和公園で鳴る鐘と共に一生懸命お祈りをしました。

その後平和記念資料館に行って、写真や映像、模型などを見てきました。見ると、被爆者証言の時の話を思い出してとても悲しくなりました。

翠町教会に帰ると班の人達で平和学習(分かち合い)をしました。これまでを通して自分が思ったことをみんなが語り合ったりしました。

 分かち合いが終わったら、再び平和記念公園に行って次は碑めぐりと、とうろう流しを見てきました。

碑めぐりでは、色々な所でお祈りしたり黙祷したりして、平和記念資料館とはちょっとちがう、資料館に行き、また、模型や映像、写真をみてきました。とうろう流しは見るだけでしたが、とてもキレイでした。

2日目はこれで終わり、3日目はもう平和学習をすることはなかったけどとても勉強になりました。

広島に行って戦争や原爆のことをたくさん学びました。とてもいい経験になりました。また来年も広島巡礼に行きたいです。

 

東舞鶴教会 1年 MY「広島へ行って」

 わたしは広島に行っていろいろな体験をしました。

 初めは被爆証言を聞いて原爆のこわさが分かりました。実さいに原爆を体験した人が話してくれたから何倍もリアルに感じました。

 平和行進では、のどがカラカラになるほど歌いました。少しでも多くの人に原爆のことが伝わったらいいなぁと思いながら一生けん命歌いました。

 平和祈願ミサでは、たくさんの人たちが聞いていて場所がなくなるくらいでした。大きな教会だったのにいろいろな人たちがたくさんきて席がうまるくらいなのでびっくりしました。少しねむたかったけどしっかり聞きました。

 一日目はいろいろあってたいへんだったけどがんばれました。

 次の日は、平和記念公園資料館へ行きました。すごくリアルな所や少しこわい所など原爆に関係するものがたくさんあっていろいろなことが学べました。

 ほかにも、原爆投下の時間に黙祷をしました。これから原爆がつかわれないよういのりながらしました。碑めぐりや灯篭流しなどもありました。この2日目で広島のことや原爆のことなどがしっかり分かりましたよかったです。

 

宮津教会 1年 YY

 私は最初、行きたくありませんでした。理由は教会の中では一人だったし、それに丹後でも行くのは一人だったからです。

 でも実際行ってみると、、とても楽しい巡礼でした。リーダーは面白い人ばっかりだったし、友達も沢山できました。

 一日目は集合してから新幹線に乗って広島に行きました。それから翠町教会に行って自己紹介をしました。この時ぐらいにはぼちぼち友達も出来ていました。

 次に被爆証言を聞きに行きました。一番印象に残ったのが、話してくれた人の三人の子供の内、二人は障害を持って生まれてきたことです。そして、それは誰にも話さなかったそうです。でも、原爆の恐ろしさを伝えるために話してくれたそうです。私は、悲しい思い出でも、次の世代に伝えるために話してくれることがすごいとおもうし、感動しました。

 それから、平和行進をしました。みんな一生懸命に歌えたし、他の教区とも盛り上がっていて良かったです。

 二日目は、まず平和公園に行って黙祷しました。もう戦争が起こらないようにお祈りしました、

 それから平和資料館に行きました。遺品や写真は生々しくてあまり見たくなかったけど頑張ってみました。

 次に、翠町教会に帰って分かち合いをしました。みんな被爆証言と平和行進が印象に残っていたみたいだけど、考え方は違ったので勉強になりました。

 それから碑めぐりをしました。峠三吉の碑が印象に残りました。碑だけじゃなく、資料館みたいな所にもいけて良かったです。

 次に、とうろう流しをしました。きれいでした。亡くなった人の生まれ変わりみたいに思えました。核兵器がなくなるようにお祈りしました。

 三日目は掃除したりバスに乗って帰ったりするだけでした。でも、その間に友達と話してもっと仲良くなれたので、良かったです。お土産は友達とおそろいの物を買いました。嬉しかったし、

「来年も行こうで。」

と約束しました。

 京都駅に着いて、みんなが帰っていって、最終的にはリーダーと私になりました。電車の時間がまだだったので、のんちゃんと赤い服の人と私で、マクドに行って、マックフルーリーを買ってもらいました。みんなと話しながら食べました。おいしかったです。

 ホームまで送ってもらって電車に乗りました。福知山に着いてお母さんの顔を見た時はほっとしました。それからお母さんの車に乗って宮津まで帰りました。

 私はこの巡礼に行ってよかったと思います。平和のありがたさがよく分かりました。銭湯にも行けたし、何より友達が沢山できて、良かったです。来年が楽しみです。

 


2

東舞鶴教会 2年 YN「三日間の巡礼の感想」

 私は、今回初めて広島の巡礼に参加して、今まで自分が思っていた以上に、原爆が恐ろしかったことが分かりました。この三日間の間で、平和記念資料館や被爆者証言など、いろいろな体験をして、たくさんの人々が苦しんだり悲しんだりしたんだと思いました。記念資料館では、当時の残された物や再現された物など、とてもリアルに展示されてあり、とても痛々しく思えました。被爆者証言では、つらい思いをされたことを聞き、これからの日本にまた同じようなことが起きないことを願う気持ちが伝わって来ました。六日の日には、原爆投下の時間に黙祷をして、今こうしている時にたくさんの人が亡くなられたり、ケガをしたりあまり頭では想像しきれないけど、もし私がこの場に居たとしたらどうなっていたのだろうと考えると、とてもおそろしく思いました。

 今は、多くの人が平和であるのが当たり前だと思っていると思うけど、そうじゃ無いと思ったし、もっともっと周りの人に平和行進などをして伝えていき、また戦争などが起こらなければ良いなと思いました。

 

田辺教会 2年 HM「広島平和巡礼の感想」

ぼくは、広島巡礼をして原爆のことをくわしく知りました。ぼくのおじいちゃんが被爆者だから原爆の事を知っているつもりでした。

でも、被爆者証言や平和記念資料館などに見学をして、原爆を落とすとたくさんの人が一瞬で焼けたりして死ぬことがわかりました。

平和祈願ミサはたくさんの人がいてとても暑かったです。神父様もたくさんいてすごかったです。

平和行進はがんばって歌を歌ったので、次の日の朝にのどが痛かったです。

碑めぐりは、原爆で行方不明の人の名前がのっていたのでぼくはそういう人達のお墓なのかな、と思いました。

とうろう流しはきれいだったけれど64年前はとうろうじゃなくて川に死体がとうろうよりたくさん流れていたような気持ちになって気持ちが悪かったです。

ぼく達は戦争の時代に生まれて来なかったので今生きています。もし戦争の時代に生まれていたら死んでいたかもしれません。なので戦争で死んだたくさんの人の変わりに一日一日を大切にして生きていこうと思いました。

 

河原町教会 2年 AK「広島巡礼に参加して」

僕が広島平和巡礼に参加するのは昨年に続けて二度目であるが、今回始めて気付いた事が少しあった。

被爆体験の話は、昨年は無かったので聞くのも初めてだった。聞いて感じたことは、まずは恐ろしいということだった。何故なら、「人が黒焦げになっていた」とか、「皮膚がむけていた。」などと、聞いたことがあっても見た人から聞くことで、より本物らしく感じたからだ。また、遺体を焼く臭いがひどかったと聞き、少し想像してみようとしたが、想像もできなかった。

二日目の平和記念式典を見て感じたことは、八月九日にテレビで見た長崎のものより、暗いことだ。また、「ひどい」や「けしからん」という感情が強く、平和への「祈り」というものが少し欠けているように感じた。

また、資料館を見学して感じたことは、二度目なのに、前より印象が強かったことだ。資料館にあった数多くの遺品も何故か、「それが残っただけましなのではないか。」と感じた。それは、被爆体験を聞いたことによるような気がする。ジオラマも、体験を聞いた後だったので、恐ろしいが、はっきり見られた。

二日目の夜にした碑めぐりは、どれほど多くの人が原爆で犠牲になったかを改めて感じさせたれた。だが、数々の碑では、被爆した人の悲しみということが強かった気がする。

最後に、全体を通して感じた事はまず、往路が「巡礼」にしては楽すぎた事である。新幹線の指定席はぜいたくに思う。また長崎のものは、祈りというものをしっかり感じられた。また、長崎では、「赦し」が出て来るように思う。だから、今度は長崎へも行きたいと思った。

 

桃山教会 2年 MS「広島平和巡礼について」

 8681564年前の広島は一瞬の内に焼け野原となり莫大な被害者を出しました。

 全身大火傷になってしまった人々、生きたい生きたいと思いながら亡くなっていった人々、外傷を受けていない人でも放射線を受けて原爆症になってしまい、亡くなっていった人々、そしてその遺族の方々、計り知れない悲しみがあったことと思います。

 平和資料館にあった被爆してなくなった生徒さんのお弁当や着衣は原爆の激しさを物語っていました。お弁当は黒こげ、着衣は元がどんな着衣だったのかがわからないほどになっていました。

 そして、もっと恐ろしかったのはアメリカの考えです。火事を恐れ、川に飛び込んだ人々は折悪しく引き潮にまき込まれ、下流へと流れてしまうことを全部、分かっていて81517秒という時間に落としたのではないかと思い、すごく恐ろしく感じました。

 ですからもうこのような恐ろしい出来事は起こってほしくありません。

 世界から、戦争、紛争、地雷、核兵器、がなくなることを心から祈っています。

 そして、世界中の人々が平和に暮らすことができる日が、来ますように願ってます。

 

北白川教会 2年 YM

 85日から8日まで広島へ巡礼に行った。今回が2回目となる。

 2回目となる広島巡礼に行くにあたって、被爆した人がどのように思い、今を生きているのかということを考えられたらと思った。去年の広島では、状況などを知ることは出来たが、被爆者がどのような思いでいるかという事について考える事はできなかったように思えるからだ。

 1日目に被爆者の加藤文子さんの証言を聞いた。その話の中で原爆はその人一代で終わるものではないとおっしゃっていた。実際に、加藤さんの息子さんは1人目は内臓の奇形でお亡くなりになり、2人目は先天性で目がほとんど見えないと加藤さんが涙ぐみながらおっしゃっていた。核兵器はその人のみならず、子孫の命をも奪ってしまう威力があることを改めて知った。

 2日目の午後、班で碑巡りをした。印象に残ったのは「峠三吉詩碑」である。この詩の中にある「ちちをかえせ・・・」の「かえせ」というのは誰に向かってなのかを考えるようにリーダーがおっしゃっていた。僕は彼は世界全体に向かって訴えているのではないかと思う。

 今回の広島合宿で、原子爆弾の脅威を改めて知ることができた。しかし、被爆者の思いを知る事はまだ不十分なように思う。来年、そのようなことを含めて、最後の巡礼に参加できればと思う。

 

河原町教会 2年 KS

 この3日間の平和巡礼は、とても平和について考えさせられました。そして今は平和なのかと思いました。日本はだいぶ平和だけど日本の外は平和なの?と思いました。日本の外は平和じゃないと思いました。色々な所で内戦や、虐殺、犯罪これがある限り平和は無いと思いました。本当にこの世を平和にするなら人間を消すしかないと思いました。しかしこんな世界でも小さな幸せはいっぱいある、あとこんな世界だからこそわかるものがあると思いました。ただ少なくとも平和を愛する人たちがいると少しくらいは平和になるかもしれないと思いました。

 

河原町教会 2年 YH「二度目の広島巡礼」

今年で広島巡礼は二度目。楽しいけれどやはりハードでしんどいものでした。初日から被爆者証言聞いたり平和行進をしたりといろんなスケジュールで一日がうまっていました。その中でも一番印象が強かったのは平和行進です。去年は声を最大まで出してその後のミサでは声が出なくなっていたのをおぼえています。ただその去年にいたメンバーはほとんどいなくて最初は声が小さいて大丈夫かなぁと心配したけど最後の方は去年にまけないぐらいの声が出せていました。

二日目も平和記念資料館見学やわかち合いなどの行事がたくさんありました。それでも僕はとうろう流しのあの光景は忘れられません。黄、緑、青などの色のとうろうが色あざやかでとてもキレイでした。けれどそのすごい数のとうろうと同じ数もしくはそれ以上の数の人がたった一発の原爆で命をうばわれたんだと思うととても悲しくなります。けれどだからこそ後世にちゃんと伝えていかないといけないんだなぁと実感しました。

そしてあっという間に広島での三日間は終わりました。でも、決してこの三日間のことは忘れないだろうと思います。

 

亀山教会 2年 MY

 一番うれしかったことは、原爆ドームの向かいで黙祷が出来たことでした。というのは、今までテレビの前でしか黙祷をしたことがなかったので、実際に広島の地で黙祷が出来たからです。

 被爆者証言では、聞いているのもとてもつらかったです。被爆した人達はすごく苦しかったろうし、痛かったろうし、かゆかったろうなとおもいました。その三つはとてもつらかったろうなと思いました。

 被爆証言をしてくれた人は、三人の子供を産んだそうです。でもその内の三人が亡くなったそうです。一人は内臓が悪く、もう一人は片目が失明していて、そのまま亡くなったといっていました。その人は原爆に対して憎しみがあると言っていました。その子供達には悪いことをしたとも言っていました。

 私は被爆証言をしてくれた人には、自分を責めないでほしいと思いました。なぜなら被爆証言をしてくれた方が悪いのではなく、本当に悪いのは戦争と原爆だからです。

 私は、誰が原爆を発明したんだろうと思います。たとえ戦争をしても結果は無惨なことになるということは誰でも分かるはずです。それなのに何故そんなことをするのか、私にはわかりません。人が死ぬということは、周りの人の心が傷つき、そして悲しむのです。

 命は大事にされなければいけません。

 戦争は二度と起きてはいけないと思いました。

 


3

北白川教会 3年 NY「広島平和巡礼の感想文」

今年の広島平和巡礼は私にとって二回目でした。初めて参加した一年生の夏に比べて、よりたくさんのことを感じたし、新たな考え方で活動することができたと思います。

特に、五日に行った平和行進は印象強く心に残っています。行進の前の祈りの式で集まった時、まずその人数の多さに改めて驚きました。広島の人も含め、他のいろいろな地域から集まっていました。こんなにも多くの人が、平和を願っているのだと思うととても心強かったです。また、平和を願う多くの人が心を一つにできるのだから、歌うことは大きな力を持っていると感じました。「アーメンハレルヤ」など、小さな頃から何度も教会で歌っていてなじみのある歌ですが、改めて歌詞の意味を考えることができました。私が小さかったころ、日曜学校か何かで“歌は祈り”と教わりました。たくさんの人と声を合わせて歌って、やはり歌でお祈りをするのは素敵だと感じました。一人で祈るよりも、多くの人と同じ気持ちで心を一つにして祈る方が、平和を実現するのに近づけると思いました。

また被爆された方のお話を聞いたり、原爆資料館に行ったりもしました。六十四年前に原爆が落とされた八月六日の八時十五分には、原爆ドームのそばで黙祷をしました。これらの一つ一つの活動の度に戦争はおう二度と起こって欲しくないと願うばかりでした。資料館にある数々の遺品や写真からは核兵器のもたらす恐ろしさや悲しみが生々と伝わってきました。これらは六十四年前に本当に起こったことで、しかもほんの一部なのだと思うとついつい目をそらしてしまいました。

核兵器を本当になくすには、世界中すべての国が平和について考えて行動しなければなりません。世界には、核兵器を使って周りの国を脅している国もありますし、まだ戦争が続いている国もあります。日本でも、原爆は全てアメリカの責任だ、と一方的に原爆ではなくてアメリカを非難する人もいます。どんな人も、同じ神様の子どもです。全ての人がお互いの平和を大切にするには、戦争は悲しみしか残さないのを知るべきです。唯一の被爆国である日本は、率先して核兵器の排絶と戦争をなくすことに向かって行動していくべきだと思います。

 

高野教会 3年 AH「広島平和巡礼に行って」

私は今回の巡礼で二回目の広島でした。一年生に行った時は、恐かったとか楽しかったとか淡白な思い出しかありませんでしたが、今回はいろいろと平和について考えることが出来ました。

三日間の中で一番印象に残っているのは平和記念公園で原爆ドームを臨みながらした黙祷です。八時十五分というのは六十四年前に広島に原子爆弾が投下された時間です。その瞬間だけはあたりが静かになって、特別な雰囲気が漂っていました。そこにいる人々の平和を思う気持ちが一つになったのだったら、嬉しいと思いました。

私は平和を伝えるということを今まで少し難しく考えていました。でも平和行進をしてそんな考えはなくなりました。楽しく歌を歌いながら、みんな笑顔で平和を伝えられることは、なんて素晴らしいことでしょうか。これからは、こんな楽しい形で平和を伝えていくことが出来ればいいなと思いました。

広島巡礼に参加して帰って来て、本当に行ってよかったと思いました。そして改めて平和を求める広島を感じました。広島に原子爆弾が投下されたことを、過去の悲しい出来事にするのではなく、これから世界が平和になるためのキーワードとして考えていけたらいいと思いました。

 

河原町教会 3年 MO「広島平和巡礼」

 今回、私は中一の夏に行って以来の平和巡礼でした。中一の時とは感じることが全然違いました。

 一日目の平和行進は中一の時もすごく楽しかった思い出があります。友達と一緒に大きい声で歌を歌うのはやっぱり気持ちよかったです。そしてこの日にみんなと一緒に平和を願うことが出来るというのは幸せなことだと本当に思いました。

 二日目、黙祷の後に資料館に行きました。中一の時も行ったけどその時はただ怖いとしか思えませんでした。資料館で写真や被爆した人が着ていた服を見ると改めて本当にあったことなんだと思いました。地下に展示してあった被爆した人が描いた絵も気持ちがすごく伝わってきました。原爆の怖さ、被爆者の想い、知ることが出来て本当によかったです。分かち合いも人数が少ない分、自分が思う平和をしっかり言えたと思うし、みんなの意見も知ることができたし、今までの分かち合いで一番、自分の思いを言えたと想います。とうろう流しを見てこの一つ一つにたくさんの人の想いが込められているんだなと考えながら眺めていました。中一の時はこんなにゆっくり考えていなかったように思います。

 この三日間とても大変だったけど自分の中ではゆっくり考えることが出来たと思います。平和について真剣に考えることが出来たし、新しい友達もできたし本当に楽しい三日間でした。ありがとうございました。

 

東舞鶴教会 3年 MT「感想」

 私が一番印象に残ったのは。被爆者証言できいた話です。一度広島に家族で来て、原爆ドームや資料館の見学をしたけれど、実際に体験した方の話は、とてもリアルで戦争の恐ろしさが今まで以上に伝わりました。今までは原爆でたくさん人がなくなった、としか思っていなかったけど、話をきいて、原爆は、人の命をうばう他、人の人生や幸せなくらしもすべて狂わせてしまうものだと思いました。

 また、碑めぐりでは、思っていた以上にたくさん碑があって驚きました。それだけ失った人の命がたくさんあって、悲しみも大きいのだと思いました。

 わかち合いは、とても良い時間だったと思います。戦争に対する様々な意見や考えをきけて、よかったです。

 私はこの中学生会で学んだ事を、家族や友達に伝えて、原爆のことを世の中が決して忘れないようにしたいです。

 3日間すごく楽しかったです。

 

宇治教会 3年 NM「広島巡礼」

私は今まで平和について真剣に考えたことがありませんでした。でも、この広島巡礼でたくさん考えることができました。知らないことばっかりだったけど、被爆者証言や資料館等でたくさんの事を学ぶことができました。行く前は少し面倒だと思っていましたが、平和行進や八月六日の八時十五分に原爆ドームが見える場所で黙祷すること等、良い経験が出来ました。それに、あの日に広島へ行くことができて、平和を願っている人、過去にあったことを知ろうとしている人、平和のために少しでも何かやってみようと思う人がたくさんいることが分かって少し感動しました。

私は三年生だからもう行けないけど、もう一度行きたいです。活動した時間は短かったけど、すごく濃い三日間でした。疲れたけど、今までやったことがない貴重な体験ができて嬉しかったです。広島巡礼に参加できてよかったです。

 

河原町教会 3年 KF

 私は、広島に行って広島に対する気持ちが変わりました。中一の時に一度広島に行ったけど、中三にもう一度行った時の方が、久しぶりに行った。ていうのもあるけど、気持ちが大きく変わった気がします。

 原爆は広島に落ちたけど、もし京都に落ちていたら、今の京都はどうなっていたのかなと考えたこともあったけど、考えない方がいいなと思いました。

 これからも広島で学んだたくさんのことを将来にいかせたらいいなと思います。

 


●リーダー

山国教会 MK「この日この時…」

 今回はリーダーとして参加する2度目の広島巡礼でした。

 中学生と京都駅で集合した時から広島平和巡礼は始まりました。中学生のキラキラした目とリーダーの少なさにびっくりし、また自分がこの3日間どう過ごそうか悩みました。

 1日目は被爆者証言を聞き、平和行進をし、平和祈願ミサを受けるというとてもハードなスケジュールでした。被爆者証言を必死に聞く中学生にびっくりしました。今の中学生の祖父母さんは戦争を体験されていない方が少なからずおられると気づきました。ですので中学生は被爆された方の話を聞くことが初めてで衝撃が大きかったのかもしれません。ですが中学生にとって貴重な経験になったと思います。平和行進やミサもそれぞれ違った想いがあったと思います。85日その時いろんな想いが広島で感じられたと思います。

6日は朝早くから幼稚園をでて、原爆ドーム前まで行き、祈りました。そして、平和資料館に行き、それぞれ自分たちの目で194586日広島でおこった出来事やこれからの平和に関してなどたくさんの展示物を見ていきました。中学生はいろいろな感想を聞かせてくれました。86815(17)の瞬間広島の人は普段通りの生活をしていたのに一発の原爆によって一変して暗い生活をしなければならなくなってしまいました。私たちが立っていた広島平和記念公園も、その時は原爆の被害にあわれた人々で埋め尽くされていたという事実を考えるとその場に立っていられないという気持ちでいっぱいになりました。

今回自分は中学生に何かをしてあげられたわけでもなく、逆に教えてもらうことが多く、自分の勉強の無さに後悔しています。けれども中学生と共にいろいろなことを学習できて本当にうれしく思います。来年はもっとヒロシマの知識を増やしてから行きたいと思いました。来年も中学生のキラキラした目と積極的な行動が見られることを楽しみにし、これからもっともっとヒロシマについて勉強していきたいと思います。

今回参加してくださった中学生、リーダー、神父様、神学生の方々、関わってくださった保護者の方々、青年センターをはじめ、京都教区の皆様、そして広島で出会った方々本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

 

奈良教会 SI

八月六日午前八時十五分平和の鐘が響き、ざわめいていた平和記念公園が黙祷のため静寂に包まれた。

 

僕が初めて原爆投下の日に広島に行った感想は「雰囲気が恐い」でした。

ひとつの公園内にそれぞれ違った考えを持つ人・団体が集まり平和に対する意見を言い合い、その間には各団体の接触を防ぐため警察官が並んでいて、ここって本当に"平和"記念公園?と言いたくなるようなピリピリした雰囲気を出していました。

この公園にいる人たちはみんな黙祷の時、祈りを捧げていたのだから平和を願う気持ちは一致しているはず。考え方が違うというだけで反発しあわずに相手の考えを理解しようと心がけることが大切なことじゃないかと思いました。

 

僕も普段、意見の違う友達をすぐに批判してしまっているので直していきたいと思います。

 

登美が丘教会 DI

今年の夏もまた、リーダーとして広島平和巡礼に参加することができました。リーダーの人数が少なかったものの、それぞれが役割を果たし協力し合うことのできたいい巡礼になりました。平和巡礼には3回目の参加となるのですが、毎回新たに気づかされることや考えさせられることがあります。今回感じたことは、子供はいい加減なようでいい加減じゃないということです。僕達はすぐに「ちゃんと〜しろ」と子供に対して抑圧的に言ってしまいがちですが、子供は子供なりに人から言われなくても色んなことを見ていたり、感じていたりするのだなと思います。他にも1日目と3日目の中学生の表情が全く違っていたことや、3年生になった、1年生の時から知っている子の成長ぶりに本気で感動しました。

中学生が今回感じたこと、考えたことは夏休みが終わって学校が始まればすぐに頭の隅のほうに追いやられるかもしれません。しかし、頭の外までは追い出さず、時々思い出して欲しいと思います。そして、自分も含めてですが、平和巡礼に参加したことをきっかけに、何事にも無関心でいるのではなく、当事者になったつもりで考える習慣を持つことができればいいなと思います。

個人的なことを言えば、平和巡礼のリーダーをできるのは今年で最後かもしれません。初めて参加して3年目、バスでの移動が意外と楽しいものだと初めて知りました。(笑)

自分の中で当たり前になっていたことが無くなるのはとても寂しい思いですが、この先も平和巡礼が意義のあるものであり続けることを願っています。そして、いつか今の中学生とともに携わることができれば幸せだと思います。

今回も宿泊させていただいた幼稚園・教会の方々、巡礼を支えてくださった神父様・神学生、教区の方々本当にありがとうございました。

そして、リーダーの皆様、お疲れ様でした!

 

八幡教会 KN「広島平和巡礼を終えて」

広島平和巡礼。「中学生会」には参加していたものの、この行事に参加するのは、リーダーとしてはもちろん、一人の参加者としても、初めてだった。そんな私がいきなりリーダーをやって、一体何ができるんだろう、と最初は不安に感じていたと思う。準備開始早々、「真面目にやってね?」という訓示も受けたり、とにかく何から何まで初めてづくしで、正直、自分はここにいて皆の迷惑になっているんじゃないだろうか、と感じていた。

 それでも、皆と集まってのミーティングは楽しかった。周りの人たちは、中学生に何かを伝えようとして真剣だった。合宿のメインテーマをどう設定するか?分かち合いはどうやって進めるか?中学生に何を感じてほしいか?私のような新参者の意見でも、馬鹿にせずに考えてくれる。それが嬉しくなかったと言えば嘘になるだろう。ミーティングを繰り返すうちに、最初に感じていた不安はどこへやら、自分は広島平和巡礼にしっかり参加しているんだ、という、悪く言えば軽い自惚れのような感情が芽生えていたような気がする。

 そういう気持ちがいい結果を生むことはあまりないもので、果たして当日、中学生達を迎えてから、私は自分の情けなさを思い知らされた。中学生達とどうやってコミュニケーションを取ったらいいのだろう?これまでの中学生会からも薄々感じていたことだが、どうも私は他人と気持ちを共有するのが苦手らしい。これから3日間一緒に過ごすのに、どうやって仲良くなったらいいのか。一人でそんな風に悩んでいた。

 けど、中学生達は違った。一人で勝手に悩む新人リーダーにお構いなく、全身でぶつかってきてくれる。何で私は壁なんか感じてるんだろうなぁと馬鹿らしくなるほど、みんなは自然体だった。

 広島に着き、プログラムが始まってからもそう。今までのミーティングを通して自分の考えていたことが、いかに上から目線だったか、それが良くわかった。こちらから中学生に〜してあげよう、ミーティングの時に考えていたのはそればかりだったが、いざ巡礼が始まってみれば、皆はそれぞれ、自分なりに考え、消化していく。巡礼の主体となるのは中学生達だ。自分の中で、それがいかに抜け落ちていたか。

 結局今になって振り返ってみれば、思い出すのは自分の情けなさと中学生達のすごさばかり。自分で平和についてじっくり考えられるのは、もう少しばかり後になりそうだ。

 

河原町教会 NO「広島平和巡礼に参加して」

中学生とヒロシマに行き、私が驚いた事は“被爆者の方がまだ生きておられる”ということを中学生が驚いていたことです。被爆者の方の話をお聞きした後の分かち合いで、班のほとんどの中学生が、被爆者の方が生きておられることにびっくりしていたのでした。それだけ、ヒロシマが風化してしまっているということなのでしょうか。碑めぐりをしたとき、中学生は碑の説明を熱心に読み、自ら碑の前で一つ一つ祈りを捧げていました。中学生にとって、ヒロシマや戦争がどうでもいい事になっているわけではないようで、むしろ戦争という事実を、重く受け止めているようでした。戦後60年以上経った現在、子ども達が戦争について考えたり学んだりする機会が減ってきているのでしょうか。普段の学校でも平和教育はなされているとは思いますが、主体的に戦争のことを考え、とりわけカトリック信者として自ら祈りを捧げるこのような機会は、とても大切な時間なのだと思い、この合宿の重要性と責任を感じました。今回、リーダーをさせていただきありがとうございました。

 

山科教会 KT「広島巡礼を終えて」

 

一 はじめに

二 被爆者証言と平和行進

三 碑めぐり

四 おわりに

 

はじめに

 「この日、この時、この想いを」。

 広島に原子爆弾が投下されたあの日だけでなく、巡礼として参加するこの時、また将来巡礼に参加したことを思い出し平和を願う時など、2009年の巡礼に参加した子供たちがさまざまな「想い」を共有し、それを大切にしてもらうことをテーマとして今年の巡礼は行われました。この「テーマ」に沿って以下広島巡礼を振り返りたいと思います。

二 被爆者証言と平和行進

 1日目の振り返りのとき、みんなの「想い」を読ませていただきました。その時、みんなが印象に残った「時」が被爆者証言と平和行進だったので私もそれについて振り返りたいと思います。被爆者証言は最後のうたが一番印象に残っているのですが、私は外にいたため正直なところあまり話が聞き取れませんでした。ですが、ひとつひとつ言葉を選び、慎重に「あの日」を振り返っておられる姿がとても印象に残っています。みんなも言ってくれていましたが、被爆者の方々にとって当時のことを話すことはとても辛く悲しいことだと思います。しかし、それ以上に、戦争を知らない世代に自分たちのような辛い「想い」をさせたくないという気持ちが強いのだとおっしゃっていたことに心を打たれました。

 そして、なにより子供たちみんなが被爆者の方の話を真剣に受け止め、自分なりに振り返ってくれたことが感動しました。それは、被爆者証言の後に行われた平和行進でみんなが一体となって行進できたことでもはっきりわかることでした。

 平和行進では真夏の暑さにも負けず、みんなは声を振り絞って賛歌をうたっていました。

自分でも本当に不思議でした。普段なら恥ずかしいと思う気持ちが優先して大通りで賛歌なんで歌えなかったはずなのに。それはみんなが「平和」というものを想い、それぞれがその「想い」を一生懸命賛歌にこめていたからだと思います。

 京都教区という枠を超えて、カトリック教徒として一体化して平和を願った平和行進は、平和を願う気持ちをさらに高めたものだと思います。

 

三 碑めぐりについて

 もうひとつ、私が巡礼のなかで印象に残っている「時」があります。それは子供たちの自主性の高さを感じられた2日目の「碑めぐり」です。班長と副班長をはじめ、みんなが率先して碑を選び、その碑の背景を知ろうとする姿がとても印象的でした。中でも、班長はみんなに碑の説明をするとともに、それぞれの碑の前で祈ることを提案してくれました。

 そして、みんなもそれに賛同して「主の祈り」や「聖母マリアへの祈り」を一緒に唱えられたことには本当に感動しました。

 碑の前で祈りをささげられたことはもちろんですが、子供たちが真剣に「平和」について考えてくれていること、そしてそれぞれの「想い」を込めてみんなで祈れたということは今後とも私のエネルギーとして心のなかに残り続けるでしょう。

四 おわりに

 以上のように、私は広島巡礼を通じて、たくさんの「想い」に触れることができました。

それは子供たちも同じだと思います。子供たちにはみんなが今後辛いことや苦しいことがあったとき、巡礼に参加したことやその中で感じた「想い」を思い出して道を切り開くことができればと思っています。そして、カトリック教徒として常に「平和」を願いつづけられる存在に私も含めてなれたらいいなと考えています。

 最後になりましたが、この広島巡礼は教区をはじめとする多くの方の支援やご協力があったからこそ、成功したのだと思います。本当にありがとうございました。

 



神学生

フィリピン宣教会 DN

The Hiroshima Experience

I felt a bit of luck when I was called to attend the annual commemoration of the atomic bombing of Hiroshima. Last August 4 to 6, together with the selected catholic junior high school students of the Diocese of Kyoto, we went to Hiroshima as official delegates of the said diocese. The celebration centered on the commemoration of the atomic bombing of Hiroshima towards the end of the World War II 64 years ago. There were two atomic bombs dropped in Japan; specifically, Hiroshima and Nagasaki. These marked the surrender of the Japanese Army and put an end to the war.

The celebration was full of life as people, ranging from kids to olds, participated in the events lined up by the host. I joined the parade and while walking, we sang lively catholic songs. Other groups carried placards and posters abhorring war. Also, we visited different monuments and we entered a World War II museum. The commemoration was highlighted with a mass celebrated with the Papal Nuncio and many bishops offering prayers for war casualties and expressing solidarity of the Catholic Church of Japan to this meaningful event.

Basically, I do not have any personal experience of war. Even facts about World War II are thought in schools in the Philippines; it had not substantially  gave me a realistic picture of a war scenario. Also, my grandmother, who had experienced war when she was still alive, had not shared to me personal accounts of war in my native land. Thus, my image of war was simply reflected from what I had seen in movies.

            When I went to Hiroshima, I was surprised by what I had seen. It had not come to my imagination the grave effects of the bombing and of war. My eyes were teary upon hearing the testimony of an old woman who survived the bombing. As she related the incident, I cannot help my self but get affected to what I had heard. Different monuments reflected how many people had died in an instant in just one atomic bomb. In the museum, pictures taken during the bombing showcased the horrible effects of just one atomic bomb. I saw burned bodies lying lifeless in streets, burnt and fallen buildings, people wailing in pain, and many more. My ears seemed to hear the wailings of those who survived the bomb; crying in excruciating pain inflicted to them. Hiroshima, once an epitome of progress at that moment, was a “dead” city, a mere collection of sprawling debris.

            This scenario was not only true to Hiroshima but also to other places as well. There will never be good results of war. It leaves nothing but pain, suffering, destruction, and death. Moreover, it leaves painful memories to those who are bit fortunate to survive. There were lots of families broken; kids orphaned; people decapacitated; etc. The sufferings of affected individuals lead them to hopelessness.

When viewed closely, war exemplifies what humans creates, humans destructs; what humans establish, humans spoil. There is a sense of irrationality; and rationality is gravely affected because of the overpowering “want”. War is the best example that depicts the insatiable wants of human. Sometimes, humans are so blinded by its own self-interest that inflicting injury to other people is not a matter of accident but a matter of choice. This human nature makes man brutal to other similar beings.

Humans want to become invincible in the universe, and being hooked to this goal; humans unknowingly invented a potent weapon that could also destroy himself. Atomic bomb is a stupid example of this longing for invincibility. The world would stop to exist if all of the people, all the countries, would use this weapon in wars. It would be a complete annihilation of all living things in the world. It is but irrational that humans invent weapons that would destroy himself.

This commemorative celebration, reminded me of our transcendent goal. The experience had stirred me and awakened in me the call to transcend such brutal human acts. It is a call for everyone to collectively act for peaceful co-existence in this world. As Christians, it is our duty to lead the way to achieve peace and harmony everywhere in this world. It is Christ`s teaching, as we always hear it in the mass, that we should give peace to each and everyone. Though the wounds of war is still gaping, it is now our challenge to heal all this wounds and let the scar be a memorial of peace in the world.

(訳)広島の経験

 

私は八月四日から六日まで広島へ京都教区の中学生会の広島平和巡礼に参加しに行きました。六十四年前、大戦争の時、原子爆弾は広島と長崎に落とされました。その後、大戦争は終わりました。

 

広島へ行く前、戦争の影響により、どんな悪い事態が起こるか、私は全く分かっていませんでした。私は生れてから戦争を経験したことがなく、大戦争の結果どんなことが起こるか、イメージがありません。高校生だった時、大戦争のことを教わりましたが、本当のイメージを想像することはできませんでした。また、フィリピンの歴史では昔戦争がありましたが、戦争について、祖父母は話をしようとはしませんでした。

 

広島へ行った時、私はびっくりしました。私は、戦争の影響がどれくらい恐ろしかったかについて見てショックを受けていました。私は、たった一つの原子爆弾がどんな恐ろしい影響をもたらしたか、至る所に展示されている、生命のない体の写真でわかりました。私の耳は、最初の爆発を生き延びた人々が負った、耐え難い痛みによる泣き声を聞くようでした。たった一つの爆発によって、かつて非常に繁栄していた都市は、単なる破片に破壊されました。

 

このようなシナリオは、広島にのみ起こることではありません。戦争は、良い結果を決して残しません。それは、痛み、苦しみ、破壊と死だけを残します。戦争は、人間のせいで起こりました。戦争は、人間の飽くなき欲望を表す最高の例です。時々、人間は、自分自身の利己心により他の人々に危害を負わせることを、自分の選択の結果ではなく、まるで事故でも起こったかのようにしか見ないことがあります。この性質は、人を他の存在に対して残忍にします。

 

戦争の恐ろしい影響を見たとき、私は自分の使命を思い出しました。そのような残忍な人間の行為を越えるためです。誰でもこの世では平和な共存のために集団で行動するよう、呼ばれています。キリスト教徒として、私たちにはこの世界で平和と調和を成し遂げることを先導する義務があります。我々の仲間と共に、常にキリストの教えを聞き、それに基づいて、我々が各々と誰にでも平和を与えなければなりません。戦争の傷はまだ大口をあけています。このような傷を癒やして、その傷跡が世界の平和のための記念になるようにすることが、今の我々の挑戦なのです。

 

●神父

グァダルペ宣教会HG「広島平和巡礼」

中学生広島平和巡礼を参加するのははじめてです。中学生は歴史を学ぶによって平和をもっと大事にして、そして平和のために働く人になるように望んでいます。

広島は全世界の中で特別な街だと思います。ここに起こったことは全世界のためのメッセージがあると思います。一つはここに起こったことは絶対また起こらないよう。もう一つは平和が全世界の課題であること、です。

歴史は大事です。次の世代はこの出来事を忘れないよう望んでいます。そのためにこの巡礼を続けるのは大事だと思います。これは日本の教会の平和のための協力だと思います。

 

フィリピン宣教会AE

先日の広島巡礼は私にとって前年に参加したいくつかの巡礼プログラムを思い起こす素晴らしい機会でした。全体として、これらの時間は色々な人々との旅であり、同時に神と二人だけで共に旅する時間でもありました。当然、道中でどのようなことが起きても対応できるだけの十分な準備をして、目的を明確にしなければなりませんでした。一日の終わりに、そしてそれぞれの巡礼の終わりの時間に、神の恵みを介して皆で、そして、個人として受けた恵みを明確にすることができる必要がありました。

実際に「巡礼に身を殉ずる」時に考えるべきことがたくさんあります。広島巡礼については、二つのことを強調したいと思います。一つは「不本意」ということ、そしてもう一つは「聖霊の働き」ということです。

「不本意」は巡礼に参加するにあたり、さらに言えば巡礼中に確実に障害となるものです。「ためらい」は目的に対する知識の欠如によりもたらされます。また、これから起こることに対する恐れからももたらされます。そして、何事にも増して悪いのは、巡礼全体の最初の時点に関わることが出来ない、つまり、巡礼に対する意義を感じることが出来ないという違和感です。これらのことが正しく明確にされなければ、巡礼は単に普通の旅行や冒険、そして、単なる仕事の予定、になってしまうでしょう。

  しかし、既に巡礼に参加しているそれぞれの人は、その人が実のある巡礼にしたいと望めばどのような形であれ巡礼の参加者として神に選ばれたという事実を理解しようと求め続けるでしょう。このような場合、その人は本物の巡礼がゆっくりと始まっていることに気づくでしょう。

 気持ちと心が従順になっていき、聖霊の導きを感じ始めるでしょう。私は巡礼を通して自分自身と周囲の人々に優しく、そして、より寛大になることを学びます。

 

京都教区 ST

神学生の頃は毎年、広島巡礼に参加しておりましたが、今年は担当司祭として初めて参加しました。この戦争と平和について学び・考える巡礼に参加するにあたり、私は基本となる2つの経験についてお話したいと思います。

1つ目は私自身の育った環境です。私は長崎市生まれです。子供の頃から学校で、そして身近な人から「原爆で家族を失った」、「(戦争のことは)思い出したくない」、「戦争は本当に嫌だ」・・・このようなことを繰り返し聞いてきました。ですから、戦争や原爆がいかに惨くて、平和がいかに大切な事か周囲から自然に教えてもらえる環境にありました。2つ目は、毎年京都教区で行われるアジア体験学習での経験です。私は2007年にこの学習に参加しました。いつもフィリピン・インファンタの町に訪問するのですが、この街は第二次大戦中、日本軍による虐殺が行われた地域です。ホームステイ先でも、「日本軍が銃を構えてきたんだ!」、そのようなお話を伺い、ドキッとしたものです。ホームステイが終わって、この体験学習の現地での準備をしてくださった団体のスタッフの方に、このことを話すと、「確かにインファンタの人たちのなかで第二次大戦中のことを怒っている人たちもいる。しかし数年前におこった洪水(台風?)の時にたくさんの日本人がインファンタの町に入って復旧活動を手伝ってくれた。だから日本人に対してインファンタの多くの人たちは怒っていません」。

ですから参加する中学生の皆さんに、@原爆や戦争の悲惨さを知ってほしい。そして痛みを共感してほしい。A平和を作る人になってほしい。特に第二次大戦中、日本はアジアにおいて残虐行為を行い、多くの人々を傷つけ、そしてその傷は今もなお残っている。将来、平和と和解を築く人になってほしい。B身近な生活から平和とそうでない状況について考えてほしい、そう願って今回の平和巡礼を準備しました。

今回、印象に残った光景を2つ紹介したいと思います。

2日目、平和記念公園内の碑めぐりの時間、私も中学生に混じって参加したのですが、中学生自ら、碑の説明をしおりに説明が載っているものはしおりを読み、載っていないものも碑の近くにある説明を読み、そして黙祷や主の祈りを唱えるなど祈る姿が見られました。参加している中学生の、真剣に学び・祈る姿を見て嬉しく思いました。

3日目の朝食の時間にこんな様子を見ることができました。 各グループの机にパンとパックのジュースが置いてあったのですが、ある生徒さんが野菜ジュースじゃなくて、リンゴジュースが飲みたい、といってリンゴジュースが回ってくるのを待っていました。そしてその生徒さんの直前になってリンゴジュースがなくなりそうになった。じゃあ仕方がないと言ってその生徒さんはあきらめかけたのですが、その時パックをもっていた別の生徒さんがリーダーに言われることもなく自らパックのリンゴジュースを自分と待っていた生徒さんと分け合っていました。広島平和巡礼にふさわしい行動だったと思います。そしてその自分のものを分ける気持ちを大切にしてほしいと思いました。

参加した中学生の皆さん、どうか戦争の悲惨さと平和の貴さについて、今回たくさんのことを学んだはずです。何かに機会に振り返ってください。そして毎日の生活から平和について考え行動してください。

 

●総括(リーダーのうちの一人です)

総括 奈良教会 KS「広島平和巡礼を終えて」

広島での巡礼中、一日の終わりに振り返りの時間をとって、その日の想いを一枚の紙の上に表現してもらいました。被爆者証言に始まり、平和行進、世界平和祈念聖堂での平和祈願ミサ、平和資料館見学、班ごとの分かち合い、平和公園内の碑めぐり、灯籠流し・・・。2日間にわたって盛りだくさんのプログラムでした。中学生のみんなの心には何が映っていたんだろう?誰のどんな言葉を聴き、ヒロシマの街の何を見ていたんだろう?「暑い・・・疲れた〜」と言いながらもついてきてくれたみんなの想いにとても興味がありました。夜遅く、日付も変わろうとしている時刻でした。「一日歩き回って疲れきっているだろうし、早く寝たいだろうな。でもみんなの中にある想いを今のうちに書き留めておいてほしい・・・!」振り返りの時間はそんな私たちリーダーの強い要望を反映したものでした。

 みんなびっくりするくらい丁寧に、自分なりの表現でたくさん書いてくれました。ありがとう。リーダーもへとへとだったけど、本当に嬉しかった。ヒロシマで感じた、あの日、あの時の想いを大切にしてもらいたくて、その紙はしおりに貼って持ち帰ってもらいました。

 

私たち一人ひとりの人生に、たとえば中学1年生の夏が一度しかないように、64年前、広島で被爆したたくさんの人々にもそれぞれただ一度きりの人生の一コマがありました。いくら怒っても、悔やんでも、悲しんでも、あの夏の悲惨な出来事をなかったことにしたり、取り戻したりすることはできません。

時は過ぎていくだけで、過去は変えられなくて、ただ目の前の時があるだけ。思い出したくもない、葬り去ってしまいたい過去をヒロシマはたくさん抱えています。でも、だからこそ時って、命って貴重なんだ、と心から思います。今、自分の目の前にある時をどうやって生きたらいいか。ヒロシマもひたすらに平和を求めて声を上げています。

20098月。中学生と神父様と神学生とリーダーと、42人のあのメンバーで過ごしたあの時間は、もう誰にも奪えない私たちだけの思い出です。こんな言い方は大げさに聞こえるかもしれません。至極当たり前のことだから。でも当たり前だと思っていることの中には、すごく尊くてかけがえのないものがある。そう思います。

 

過去は変えられないけれど、これからやってくる未来に理想を描いたら、「今」を生きることで「過去」にしていける!これが今、巡礼を終えて私が一番強く感じていることです。

スケジュール表を握って班を引率しながら、リーダーたちと声を掛け合いながら、ずっと準備してきた今年の巡礼が、確実に「今」この瞬間に現実の「過去」になっていくのを感じていました。紙の上と頭の中にしかなかった巡礼が、無事に実現していく安堵であり、つかみとる平和への勝利のようでもありました。

「過去」という言葉にはどこか後ろ向きでネガティブなイメージが、一方で「未来」には前向きで明るくポジティブなイメージがあります。「過去」は変えようがなく、「未来」はこれからどのようにでもできるという可能性や期待、希望があるからでしょう。しかし、多くの人の「未来」があの一瞬を境に忌まわしい「過去」にされました。

 「未来」はどうなるか分かりません。不確実で可能性に満ちています。不安と期待、と希望が入り混じる中、ではどんな「過去」にしていこうかと考え、「今」を精一杯に生きることが私たちにできることだと思います。

 

様方とリーダーたちの支えは大きな力になりました。常に不安を抱え、ぶつかり合い、無我夢中で疾走したような感がありますが、一つの使命に向けて協力し合うことができたと思います。総括として至らない点も多々ありましたが、それぞれの成長の裡に無事、この度の巡礼が成功したのではないでしょうか。

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