2004/11月号追加  2004.11.5


京都教区中学生広島平和巡礼感想文 2004年度 
2003年度  2002年度  2001年度

★ 2004年 広島平和巡礼 感想文 目次

 去る8月5日から8月7日まで京都教区中学生広島平和巡礼が行われました。参加者は教区内の中学生30名、そして大塚司教様はじめ、司祭2名、神学生2名、リーダー5名の総勢40名でした。広島の原子爆弾投下で犠牲になった人々の叫びを聞き、キリストがわたしちたちに示された「平和」を模索するという目的で、巡礼のシンボルに平和記念資料館の最後に大きくある「焦土に咲いたカンナの花」を掲げました。
 巡礼の内容としては、被爆証言を聞き、平和行進、平和祈願ミサの参加、相生橋での黙祷、平和公園内の碑巡り、平和記念資料館の見学、グループ別での分かち合い、灯篭流し見学でした。参加した全ての中学生が書いた感想文を紹介します。

▼ 中学一年生(12名)

01. 河岸 将樹 「広島平和巡礼」
02. 平竹 真奈 「広島平和巡礼に参加して」
03. 栗山 透 「広島平和巡礼に参加して」
04. 山西 葉月 「『平和』について」
05. 日高 菜月 「広島平和巡礼」
06. 山本 哉子 「広島平和巡礼に参加して」
07. 家  友樹 「広島平和巡礼」
08. 廣谷 凪紗 「広島平和巡礼で思ったこと」
09. 河添 翼 「−ヒロシマの想いー」
10. 稲庭 悠季 「戦争と平和」
11. 岩岡 咲帆 「世界が平和になりますように」
12. 村木 大祐 「中学生広島平和巡礼に参加して」


▼ 中学二年生(11名)

13. 山添 裕子 「広島を訪れて」
14. 清富 千鶴 「広島平和巡礼行って」
15. 吉村 允宏 「中学生会広島平和巡礼」
16. 山本 優理 「平和・勇気・希望」
17. 信正 愛子 「平和巡礼に参加して」
18. 小林 真衣 「広島巡礼に参加して」
19. 藤村 聖奈 「中学生広島平和巡礼に参加して」
20. 松本 晴馬 「京都教区中学生広島平和巡礼」
21. 平野 慶直 「「平和」をさがす広島巡り」
22. 谷口 都 「カンナの生みだした希望」
23. 道田 晴加 「広島に来て〜」
▼ 中学三年生(7人)

24. 奥埜 のぞみ 「焦土に咲いたカンナ」
25. 神谷 麻梨 「中学生広島平和巡礼に参加して」
26. 平竹 穣 「3度目の広島平和巡礼」
27. 岡山 仁美 「広島平和巡礼に参加して」
28. 奥本 暢 「広島で感じたこと」
29. 白濱 なつき 「これから一生考えていきたいこと」
30. 小野 崇 「広島平和巡礼」


▼ リーダー(7名)

31. 鶴山 進栄 「広島平和巡礼」
32. 小立花 忠
33. 新井 由郁
34. 森  愛歩
35. 藤田 智子 「広島平和巡礼に参加して」
36. 山田 将太郎 「広島平和巡礼に参加させて頂いて」
37. 瀬野 暁子 「大切な3日間」



▼ 担当司祭

 大塚喜直
 瀬戸高志
 一場 修




▼ 中学一年生の部

01.「広島平和巡礼」 河岸 将樹

 1日目、感じた事、広電の乗る方とは反対の駅には電車がくるのに、こっちの方はなかなかこないからまだかぁーまだかぁーと思った。その後、観音町教会で被爆証言を聞いてそんな状態だったんだと思いながら聞いていた。
 次に平和公園に行くために歩いた。いろんなお店からすずしい風が出てきててすずしいなと思いながら歩いた。
 平和行進をしたとき以外に、とある人の声が大きくてびっくりしました。
 2日目、前の日がおそかったからめちゃくちゃねむかった。相生橋で黙とうしたあとに平和記念資料館に行きました。鳥はだが立つほど、こわかった。その後、教会にもどって、平和学習しておやつのゼリーを食べた。おいしかった。夕ごはんのお好み焼きはおいしかったからソースをもって帰ることにした。
 その後、また広電に乗って灯篭流しを見た。思った事は、本当にたくさんの人々が亡くなったんだなと思ったしまだ、戦争してる国は早くやめてほしいと思った。でもきれいだった。
 教会に帰ってすぐにおフロに入りに行った。長いなぁと思った。帰りにおフロのおばちゃんがゼリーをくれた。つめたかった。帰ってねる用意をして12時くらいまで毛布のとりあいをしてあそんだ。楽しかった。
 世界が平和になるように願いたいと思いました。

02.「広島平和巡礼に参加して」 平竹 真奈

 今まで原爆ドームは写真などでしか見たことがありませんでした。だから、それを見たときとても不思議な感じがしました。私は、原爆ドームがとても強く見えました。この原爆ドームは世界の人々や私たちに原子爆弾のおそろしさを伝え世界を平和にしていくためのとても大切なものだと思った。
 幟町教会のマリアホールで聞いた被爆なさった方のお話で、これ以上、原爆で傷ついた人々を描いていたら悲しくなってしまうと言っておられたのがとても心に残っています。リーダーが、「思い出したくない気持ちがあるのに、伝えるために、絵を描いたり、話をしたりしてらっしゃる」と言っておられて、本当にそうだなと私も思いました。原爆は本当にひどかったのだと思った。
 平和記念資料館で、よく覚えているのは、1945年8月6日『生死の境をさまよう』というところです。原爆が落とされたときに、人々が逃げているところが人形などで表されていました。とてもこわいと思いました。熱線などで皮ふがとけていました。それで私と同じような年の人々もたくさん亡くなっていてとても悲しかったです。今、私は平和にくらしているけど、今でもまだ世界では、こんなことがくり返されています。はやくこんなことがなくなってほしいです。だから私はカンナの花のように人々に希望を与えられるようになりたいです。


03.「広島平和巡礼に参加して」 栗山 透

 ぼくは、今年、初めて広島を巡礼した。地下鉄に乗り京都駅まで行き、集合場所へ行った。楽しみだった。そして、リーダーからきっぷを渡され駅のホームに入った。このときに乗る新幹線は「500系のぞみ」だった。ぼくは、あらかじめ時刻表で何に乗るかを調べておいたので、この新幹線が来ることを知っていた。
 新幹線に乗った。ぼくは、久しぶりに乗ったのでその速さに圧倒された。しばらくリーダーと話し、その後昼食をとった。おいしかった。
 やがて、広島駅についた。広島は初めてだったのでわくわくしていたが、その反面原子爆弾が落とされた町なので少し恐怖感もあった。
 市電に乗った。初めは市電はあまり興味がなかったが、何回も乗るうちにしだいに興味を持ち始めた。
 そして、観音町で市電を降りた。それから観音町教会まで歩いた。一分足らずで着いた。ぼくはもっと遠い所にあると思っていたが、すごく近かったので驚いた。教会についた後、オリエンテーションをした。
 その後に幟町教会の被爆者証言を聞きに言った。聖堂がとても大きかった。
 次に、平和公園に行き、碑めぐりをした。原子爆弾のこわさがさらに増した。
 その次に、平和行進をし、幟町教会でミサを受かった。聖歌隊が金管楽器や弦楽器で演奏しているのに驚いた。
 そして観音町教会にもどり、銭湯に行ってから就寝した。
 二日目は6時前に起きた。布団をたたんだ。しばらくして朝食を食べた。パン2つだけだったので何か物足りなかった。
 しばらくして、相生橋に向けて出発した。市電で行った。相生橋について少し時間がたって8時15分になったので黙とうをした。沈黙の中で核がなくなってほしいと思った。
 次に、また碑めぐりをした。昨日と同じことを思って祈った。
 その次に、資料館へ行った。一番印象に残ったのは、とても小さい折り鶴だった。白血病だったにもかかわらず、鶴を折り続けた精神に感動した。
 ぼくは、この巡礼で平和の大切さを学んだ。これからも、もっと平和の大切さを学ぶためにこの巡礼に進んで参加したいです。


04.「『平和』について」 山西 葉月

 今年初めての広島平和巡礼に参加して、たった一発の原子爆弾で犠牲になった人たちのこととか、平和のことについて深く考えることができたなと思います。
 広島に来たのは2回目で平和記念資料館にいったのも2回目でした。平和記念資料館に行って今回思うのは、人間がはじめた争いであれだけの犠牲者をだしているのに、まだその争いが世界のどこかではおこっていることです。この資料館にできるだけ多くの人が来てこういうことについて考えていったら、小さなことから平和に近づけると思いました。
 とくに印象にのこったのは、8月6日の8時15分に相生橋で黙とうをしたことです。今まで広島に来て59年前におきたことなんて考えたこともなかったけど、このときの黙とうでは被爆した人々のことを考えながら黙とうできたのでいい経験になりました。
 この3日間を通して、分かち合いとかで平和について考えてきて、やっぱり平和は一人ひとりが考えていかないといけないことだと思います。それに、争いをはじめたのは同じ人間がしていることなのでいつか自分達のしていたことに気づけると思います。
 今回、こういうような行事に参加できてよかったなと思います。日頃、考えないことについて考えられたので。


05.「広島平和巡礼」 日高 菜月

 広島に平和巡礼に行く時は、半分軽い気持ちだった。だけど、参加して、原爆のおそろしさについて学んでいくちに、どうしてそんな軽い気持ちでいたんだろうと、心から思った。
 そして、いろいろ巡って行ったところの中でも一番心に残ったのは、2日目に行った平和記念資料館だった。平和記念資料館に展示されていたパネルや、模型、全てが現実にあったことなんて、信じられないくらいだ。それだけ、戦争はおそろしい物だと実感させられ、今の平和な日本のありがたさを感じた。
 資料館の一番最後のパネル、カンナの花。それは、小さな花だけど、希望の人々に与えた、平和の花ということで、大きく飾られていた。確かに、建物も壊れ、自分たちから大切な物をうばわれたそんな時に、目の前に一つの花が咲いていたら、私も希望を分けてもらえると思う。カンナのように、小さな命でも、そうやって人を勇気づけることができるんだから、私たちも、そうやって小さなことでもいいから、人々を勇気づけたり、はげましたりして、少しずつ『平和』をつくりあげていきたいなと思った。
 今回の広島平和巡礼で覚えたことや考えたことを、帰ってから、少しずつ役に立てていけばいいなと思った。


06.「広島平和巡礼に参加して」 山本 哉子

 一日目の平和祈願ミサでは、一人の女性が原爆の被害から生きのび、原爆のおそろしさを感じて平和を求めるために大聖堂の建設を計画したことで私が今、大きな教会で平和を願うミサに参加できたのだと思います。
 二日目に、平和記念資料館で原爆が辺りを焼け野原にした様子を写真や映像、絵で見てたった一つの爆弾で何キロメートルも先までが跡形も無くされてしまったのが驚いたし、悲しくもなりました。
 放射能の人体に対する被害を訴えるコーナーがあり、すぐ後に変化が現れる場合でも五年くらいでやっと症状の出た人がほとんど治り、後から症状の出た人は今、五十九年たった今もまだ完治していない人がたくさんいると聞きます。そんなに昔では無いとは言うけれど五十九年もたって、今も苦しんでいる人がいると思うと、どれだけ原爆がひどいもの
だったかと思い直します。
 灯篭流しを見に元安川まで行って、とてもきれいだと思ったんだけど、これが被爆者の霊を慰めたり、あの日の被害を思い直したりといろいろな意味のある物だと教えて頂き、この川も被爆経験があるんだなと思いました。   
 資料館に佐々木禎子さんの作られた折り鶴があり、千羽鶴に自分の病気が治るようにと願いをこめて一匹一匹を作ったと書き記されていたので原爆の後遺症で死んでいった事がとても悲しかったです。
 柱二本にびっしりと抗議電文が書いてあるのを見てこれ以上増やす事は無い世界にしたいです。私一人の力ではどうすることもできないけれど世界中の人の力でかなえることはできると思います。
 あの日の事はとても悲しい事だけれど、そのおかげで世界の人々が『平和』の二文字に目を向けてもらえたのでこれ以上、核兵器に対する抗議電文を送らなくても良い、世界になればいいな、と思います。


07.「広島平和巡礼」 家 友樹

 ぼくは、中学生の広島平和巡礼でいろいろなことをまなびました。
 広島では、原爆ドームや原爆の子の像などいろいろな物を見て原爆ってすごくこわいことがよくわかりました。そして平和のことをみんなに知ってもらうために、平和行進をしました。平和行進をしていると歩いていた人見ていてすこしはずかしかったです。けどこれで平和になるならぼくは、とてもいいことをしていると思います。
 そして灯篭流をみてとてもきれいだと思いました。元安川で死んだ人たちは、原爆の熱さで川にとびこんで死んだり川に入れないのに死んでとてもかわいそうだと思いました。
 ぼくは、この人たちのためにもこれからは、戦争のない平和でよい世界にしていきたいと思います。平和記念資料館では、広島でおこった戦争のことがいろいろのっていてすごくひさんなことがあって広島の人は、戦争ですごいこわい思いをしていたんだと思いました。
 平和記念資料館の絵はすごくその時のことを表していたとぼくは思います。絵には、説明があってびっくりするぐらいこわいものがいろいろありました。
 ぼくは広島に行って平和の大切さをよくわかってこれから二度と戦争がないようにできるかぎりがんばって行きたいと思います。


08.「広島平和巡礼で思ったこと」 広谷 凪紗

 広島平和巡礼の1日目、被爆証言を聞きました。その中の話で、みんなが暑さにたえられずに川へととびこんでいったら、川の水が、どんどん赤茶っぽい色になったと聞いて、私は、川が、赤茶っぽい色になっていくほど、たくさんの人が飛び込んで、川に血が流れていったんだろうなと思ったし、今では、そんなことは、考えられないと思いました。たくさんの人でうまっている川というのは、とても、いやな光景だろうなと思いました。
 2日目、広島平和記念資料館へ行きました。資料館では、いろんなものが展示してあって、その中でも、私は、人の座ったところのあとがついているかべが心に残りました。爆弾でこんなあとがつくほどすごい力で、座っていた人は、もう意味がわからないまま亡くなっていったのかなと思って、それが私なら、なんかいやだなと思いました。やっぱり、原爆は、とてもこわいと思いました。
 被爆した人が着ていた服を見て、半分以上がなくなっていたり、やぶけていたりしていて、すごく、熱や爆風がものすごかったんだなと思いました。
 原爆で、ぐちゃぐちゃになってしまって、広島の人も希望をなくしていたと思います。でもその中にカンナの花が咲いて、人達は、とてもうれしかっただろうなと思います。カンナの花がさいて、希望をもらったから、今の広島があるんじゃないのかなと思いました。もう、戦争はおこってほしくないし原爆もぜったいにおとさないでほしいです。そのためにできることは、戦争になるもとの、ケンカや差別をなくしていくことです。私はそんな身近なところからなくしていきたいです。

09.「−ヒロシマの想いー」 河添 翼

 “75年は草木も生えぬ”と言われたのはいつだっただろうか。
 59年前、ヒロシマの人の心には何があったのだろう。おそらく絶望が包み込んでいたと思う。そんな絶望の中でヒロシマの人は、カンナの花に助けてもらった。そんなヒロシマの人がうらやましい。
 8時15分、黙とうの時。私は平和を考えながら、又、別の事も考えていた。原爆を落とした方は何を考えていたんだろう。ヒロシマを応援している人は、ヒロシマに原爆を落としたアメリカ軍人をうらむ。でも本当に軍人は真の悪者だったのか・・・。
 日本人は、戦争に嫌でも行かされた。日本がそうなのに、アメリカ軍人は有志の集まりだけ、というのは違う気がする。アメリカ軍人だって戦争がきらいな人はいたんじゃないか?原爆をおとした人は日本が大嫌いだったのか?もしかしたら、おとした人は戦争が嫌いだったかもしれないではないか。
 原爆を日本におとすことをかんがえついた人は戦争がいいことだと思っていたかもしれない。でもおとした人は・・・・? それは本人にしか分からないことだが。
 話はヒロシマの人に戻る。原爆で亡くなった人は命の果てに何を思ったか。また、亡くなってはいないが体験した人は、59
年たった今、何を思うのか。
 核実験を行った国に対し、抗議伝文を送っているその想いの中には何が?これだけはヒロシマの人にしか分からないものがありそうだ。最近では2004年5月26日に送っている。「近っ!」これは私の本音。その最近さには、おどろくしかなかった。その伝文を見ていると核が、より身近に見えてきてあせった。本気でこわかった。
 公園内で、『アメリカに謝罪を求める』という署名があった。ん?謝罪?私とは考えが異なり、首をかしげている自分。私の考えとしては、謝罪よりも前進なのだ。でも、平和を願う気持ちは同じ。考えを行動にうつせるのは素晴らしいことだと思う。
 75年の廃墟の地に強く生きるカンナ、ヒロシマの人、町。より平和になるように。原爆後にも強く生きる人々はなぜそんなに強いのか・・・。それはイエス様が、原爆という悲しみとひきかえに、ヒロシマに聖霊をおつかわしになったから・・・・。
 結局言いたいことは平和には国境も宗教も関係ないと言うこと。
“強い想い、強い願いがこんなにもまぶしい光をはなつなら・・・この世界は輝く御国になれる!”


10.「戦争と平和」 稲庭 悠季

 8時15分、一瞬で多くの人がなくなった。
 火から逃げようとして川に飛びこむ人や、水を求めて井戸に行く人達の絵を見てどんなにひどい状態なのかがすぐに分かった。もし原子爆弾が今おとされたらと考えて、少し遠かった原爆のことが近くに感じられて,恐くなった。そんな中生えたカンナの花は、絶望の中に大きな希望と喜びを抱いたと思いました。
 平和記念資料館にある三輪車。遊んでいたときに被爆し、子供は死んでしまい、三輪車は黒こげになった。また遊べるようにと家の庭に遺骨とその三輪車を埋めたお母さんの気持ちはなんとなく分かった。
 禎子さんの作った折り鶴は針でていねいに時間をかけて折った希望だと思う。病気が良くなるようにと願いをこめた鶴は禎子さんの希望だったのではないかと思った。
 平和というのは、一部の人だけでなく、みんなが助け合い、信頼できる状態のことをいうのではないかと思った。カンナの花は希望を持たせてくれる平和だと思った。
 家に帰って平和になるためにしてみたいと思う事は、老人ホームなどに行っていろいろな人と交流することです。あいさつや感謝などをちゃんと言えるようにしたいと思います。

11.「世界が平和になりますように」 岩岡 咲帆

「広島って どんなところ?」って聞かれたら、私は、「世界で、初めて原爆が落ちた所。」って答えます。
 でも、原爆がどうして広島に落ちたか、被爆した人々は、どのようにして逃げたのかなど、全く知りませんでした。ただ一つ『原爆の子の像』だけ、どのようにしてできたかは知っています。こんな状態の中、私はこの広島平和巡礼に参加しました。生まれて初めての広島にLet's go!
 初めて『原爆ドーム』を見た時は、広電の中だったからあんまり見えなかったけど、見たときは、
「本当に、原爆が広島におちたんだなぁ。」
って、実感しました。広電で、まち中走ってた時も、
「59年前は、一面の焼け野原の中で、たくさんの人が苦しんでいたんだなぁ。」
って思っていました。
 あと、『原爆の子の像』は、絶対見たいと佐々木禎子さんの話をきいてから、ずーっと思ってた像です。
 見たときは、想像以上にすごく悲しい感じがしました。
 1945年8月6日午前8時15分。この時間に何がおこるか誰も想像できなかったと思います。この、瞬間に、たくさんの人が熱風で亡くなり、何が起こったのか分からないまま逃げ、やけどなどで亡くなったり、原爆の後遺症や急性症で亡くなった人など、たった一つの原爆で、数十万人の人がぎせいになりました。
 広島だけではなく、長崎や沖縄。その他、いろいろな国が、戦争や紛争などにあってきてます。今でも、戦争や紛争が続いてる所もあります。そういう国から、一刻も早く争いがなくなり、一刻も早く世界に平和がおとずれてほしいです。


12.「中学生広島平和巡礼に参加して」 村木 大祐

 僕は、中学校1年生で初めて広島に行きました。1日目に観音町教会まで広電に乗って向かっている途中に原爆ドームを見ました。すごい迫力を感じました。いままで本などでみた事はあったけれど本では大きさなどがはっきりとわからないので原爆ドームをみたときには、おどろきました。平和行進にも参加しました。平和行進では、ぼくたちと同じ思いを持っている人が集まっていました。全然ちがう場所に住んでいても、みんなの心が1つになっていることにすごく感動しました。
 2日目、8月6日8時15分に原爆を投下する時の目標になった相生橋で黙とうをしました。原爆投下の時と同じ晴れわたった青い空でした。59年前もこの日のような晴れわたった青い空でした。こんなによい天気なのに、たくさんの人々の命がうばわれたのがうそのようでした。その後も原爆資料館に行って原爆の恐ろしさを学びました。資料館の中には、被害にあった人々ぼ写真や学生服などが展示してありました。どの展示物も原爆の痛々しさを物語っていました。ビデオコーナーで『はだしのゲン』をみました。これはビデオでしたが、現実とかわらないぐらいの物でした。灯篭流しは赤・青・黄の灯篭が川を流れているのがとても幻想的できれいでした。これからぼくたちが大人になるときに戦争がおこらないように、今から平和を訴えていきたいと思います。



▼ 中学二年生の部

13.「広島を訪れて」 山添 裕子

 「平和って何ですか?」
 今、このことについてはすぐに答えられる人は少ないだろう。私は、平和についてよく理解をして分かっているつもりだった。でもみんなと話し合い司教様の話を聞いていると私が思っている「平和」は、本当に平和といえるのかよくわからなくなってきた。私達はよくミサの中でも「平和」という言葉をつかっている。もしかすると私達は、平和をよくしらずにつかっているのかもしれない。私は「平和とは、何か」を考えているとしおりの表紙のカンナの写真に目が止まった。そのカンナは、75年間草や木が生えないと言われている被爆をした所で美しく咲いていたと言います。これを見た広島の人は、再び生きる勇気や希望を抱たそうです。「平和」って言うのは、これなのでは、ないでしょうか?いいえ、これを「平和」と言います。花は、何もしません。争うこともしません。たださいているだけで私達をいやしてくれたり、笑顔にしてくれます。花は何日も何日もかかってきれいな花をさかせます。でもそれをつぶしたりするのは、とっても簡単です。でも花をさかせることは、大変です。戦争はこういうことなのです。何年もかかってつくた町を爆弾ひとつできれいに無くなります。私達は人だから爆弾にも花にもなることができると思います。もしこの世界で花になれない人がいたらただ祈りましょう。もう広島、長崎のような悲劇をくり返さないためにも、私達の心の中に平和の花をさかせましょう。これが「平和」につながることだから…。


14.「広島平和巡礼行って」 清冨 千鶴

 今回初めて広島巡礼に参加して、知らん子がいっぱいおったのにビックリした。「みんなの名前おぼえられるかなあー?」と思った。今回は平和巡礼というコトで、どんなコトすんのかなあーと思った。
そんでカラ「ここにはみんなの想いや願いがいっぱいつまってんねんやろなあ。」と思った。去年、千羽鶴が燃やされたって聞いて本間びっくりした!!それやのにこんないっぱい・・・!!正直ありえへんと思った。でも、平和を願ってるケドそれ以上に世界中の人らが平和になるコトを想ってるんやなあと想った。朗読を読んでグループのみんなで話し合っていろんな意見とか出て、みんな、なんでそんな深―く考えれんねんや?って思った。ふだん“平和”って言葉よく聞くケド実際にここまで深く考えたコトってあんまないカラめっちゃイイ経験した☆って思う。灯ろう流しを橋の上から見て、バリ感動した♪なんでこんな綺麗なんやろって思った。人が多くて混雑しまくりやったケドそんなん気にならんかったぐらい綺麗やった☆★そんだけみんなの気持ちがこもってんねんなあーってしみじみした。
あたしの中で最終的に“平和”ってなんやろう?って考えたらひとこと出てきたんが『笑顔』やった。これなくなったら人は生きてけへんと思うし、笑っている時ぐらい幸せな時はない!!って思う。
       おわり

15.「中学生会広島平和巡礼」 吉村 允宏

 僕は、小学六年生の時に、修学旅行で広島には行った事があるので、今回が二回目だ。宿泊場所は観音町教会だった。移動は主に、広島電鉄(以下、『広電』に省略)だった。
 一日目、広電に乗って『原爆ドーム前駅』まで行った。そこで二年ぶりに『原爆ドーム』を見た。一度見たが、何度見ても迫力があり、それ以上に悲惨だと思った。その後、碑めぐりでたくさんの碑があった。その碑の一つ一つにたくさんの思いが込められているのだと思った。平和行進は苦手な歌を歌いながら街を歩いたので、かなり恥かしかった。
 二日目、広電に乗って相生橋まで行き、黙とうをした。その後、『平和記念資料館』に二回目だが行った。一度見た事があるので、絵以外は一度見た物ばかりだった。しばらく進むと、被爆者を真似た人形があった。皮膚や衣服が溶けていた。目がおかしかった人形もあった。二年前に見たが、『原爆ドーム』と同じで、悲惨な光景だった。さらに進んで行くと、佐々木禎子さんの作った折り鶴が展示されていた。「病気なのによくやったな〜」と感動した。一度、観音町教会に戻って『みことばの分かち合い』や『協同祈願作成』等をした。夕食を食べた後、広電に乗って、『灯篭流し』を見に行った。その時、僕はカメラを持っていなかったので、あの光景を手中に納めることができなかった。
 平和についてはいろいろと学んだと思うので、いい巡礼だったと思う。

16.「平和・勇気・希望」 山本 優理

 広島平和巡礼に参加して、1番印象に残ったのは、被爆後の広島に勇気と希望をあたえたカンナの花です。「75年間は草木も生えぬ」と言われた焦土で約2ヶ月ほどで、生えたカンナの花は本当に人々を絶望から救い出したと思います。私は、カンナの花のような人たちが世界中にいたら平和が戻ってくると思います。けれども、「カンナの花のように?」と呼びかけて世界が平和になれば、こんなに悲しい出来事はおこらなかったはずです。戦争は人間がおこすものであり、平和は人間が築くものであり、憎しみを抱くのも、絶望感にひたるのも、希望にあふれるのも、愛を深く知るのも、みんな、みんな、おんなじ人間だから、小さな行いから憎しみを忘れ、つねに希望にあふれ、理解しあうことが、平和への近道だと思います。原爆、戦争で体や心をキズつけられた人たちも平和を望んでいると思います。キズつけられた人たちは憎しみをこらえ、希望に向かってつき進んでいるんだと思います。だから、世界中の人々が何かをグッ!とこらえて希望につき進めば、カンナの花でいっぱいの平和な世界が築けると感じます。


17.「平和巡礼に参加して」 信正 愛子

 私が、「2004年京都教区中学生広島平和巡礼」に参加させていただいたのは、今年が初めてでした。広島には過去に一度行った事があったのですが、その時は平和記念日ではなく、その違いは私の想像を過えるものでした。
 被爆証言を聞いたのは、初めてではなかったのですが、いつ何回聞いてもそれは無残で今の私達の生活上では考えられないことでした。私は、その被爆された方々の苦しみを、多分一万分の一もわかってあげられていないと思っています。想像すらできないような内容だったからです。
 平和行進には、本当に沢山の様々な地方の人がいて、少し驚きました。関東から来ている人もいました。そして、自分が体験して初めて平和行進というものを知ることができました。
 私が今回の巡礼で、最も感動したのは、平和祈願ミサです。今まで見たことも行ったこともない大きな聖堂でそれは行われました。めったに会う事の出来ない司教様が十数人居て、大司教様にも初めて会うことができました。本当に言葉では表せないほどの素晴らしいミサで、何から何まで全てのものことに感動しました。
 平和記念日、平和公園には大勢の人々が来ていました。天候は見事に晴天で、8時15分私達は沈黙しました。色々な事を考えました。原爆当時の事を想像してみたり、今後の事を考えてみたりしました。灯篭流しは、テレビや新聞でみるものとは全然違い、すごく綺麗でした。生きている実感を味わいさせてくれました。
 今回の巡礼で、私は普段考えないようなことを真剣に考えることができました。今後の生活上に心情を活かしていきたいと思います。
 来年も参加させて頂きたいです。


18.「広島巡礼に参加して」 小林 真衣

 今年初めて参加した平和巡礼で、よく知っている人や、知らない人と京都駅で出会い、3日間すごしました。
 一日目の一番印象に残っているものは、平和祈願ミサです。一番最初にビックリした事は、教会の広さです。とても大きくて、スライドがあったり、して後ろの人にもよく分かるようにしてあるのがすごいと思いました。司教様の人数や、教区の多さにビックリしました。
 二日目では、原爆の落ちた8:15に黙とうをしたり、平和記念館に行ったりしました。記念館では、全て見なくてはいけないのに、人体模型がおいてある所や、写真がこわくて全て見れませんでした。広島の人には、昔を知る、いい所やし、他の所の人もそうなんやけど、改めて原爆はこわくて、あぶないものだという事を思いました。夜の灯篭流しでは、かぎりなく、灯篭が流れてくるので、本当に多くの人が戦争や核兵器などでの争いを嫌がっている事がよく分かりました。みんなの心が一つになっているような気がしました。
 三日目は、分かち合いなどで、もっといろいろな平和の事を考えました。いろんな意見が出て、よかったと思うし、他の人が、どう思っているのかが分かってよかったです。
 この広島巡礼で、広島の事をすごく身近に考えられました。原爆の事、平和の事、いろいろな事を考えられて、よかったです。
 これから少しずつ、原爆の被害を受けた人やその人の親せき、家族の傷が癒える事を祈っています。この巡礼で、たくさんの事を、学べてよかったです。



19.「中学生広島平和巡礼に参加して」 藤村 聖奈

 今年の平和巡礼で感じたことは、昨年とはぜんぜんちがいました。原爆について、平和について、今まで知らなかったことや、自分では思いつかないような考えを聞いたり見たりして、私自身も考え方が変わったと思います。
 1日目の最初、幟町教会で被爆証言をききました。絵を使って説明していて、その時のことで、今まできいた事なかったことやにげる時の想いとかがすごく伝わってきました。この被爆証言をきいた人はあんまりいないと思うから、大切にずっと忘れずにいたいです。
 平和祈願ミサでは、五十周年で大きかったし、いろんなところから集まった人といっしょに平和祈願ミサをして、こうしていたらほんとに世界中の戦争とかいつかなくなるんじゃないかなぁと思いました。
 2日目、平和記念公園に行きました。8:15に相生橋で黙とうしたとき、今、原爆が落とされたんだと思ったら、すごくふしぎな感じがしてきたし、もうこの時には広島には何もなくなってたと思ったら、今にも飛行機がとんできて原爆を落とされる気がして、こわかったです。
 碑めぐりの時は、人が多くてびっくりしました。その中に外国人の人がたくさんいて、『平和記念日』は、日本だけじゃなくて、世界中がかかわっている日だということがよく分かりました。資料館に行ったら、もう見たくないなって思うような絵がいっぱいあったけど、その絵を見て、もう二度とこんなことはしてほしくないと思いました。
 広島平和巡礼に参加して、『平和』にするために今すぐできることも見つけられたし、みんなの平和を願う気持ちの大きさを感じることができました。この巡礼で学んだことを今からの生活にいかしていきたいです。


20.「京都教区中学生広島平和巡礼」 松本 晴馬

 今年もまた広島にやってきました。今年は幟町教会で、被爆証言を聞くことができました。そこの被爆証言の二人目の人の話によれば、作業中にたまたま家の柱(木製)のかげにいたので助かったと言います。その人がいたのは、爆心地からたった800mで、爆心地に近い所では人が一瞬にして消えてしまったというくらいで、これは奇跡的なことだといいます。それでも周りは壊滅していたよう(当然、柱はブッとんでいるし)ですし、多くの人が大やけどを負っていたといいます。平和記念資料館に行けば、これらのことに加え放射能の被害も分かります。
このように原水爆の恐しさは十分に分かっているはずなのに、世界各国ではまだ核実験が続けられています。特にアメリカは、去年・今年と二年連続で実験をしています。広島市は核実験がおこるたびにその国に抗議の電報(抗議電文)を送っています。それを無視するかのように核実験が続けられています。アフガニスタンとアメリカの戦争では実際にトマホーク(核ミ)が使われました。核を使わないようにすれば、かなり戦争が減ると思うのですが、何を思っているのか核を手ばなそうとしません。放射能の問題もあるので、すぐにポイすることはできませんが、せめて実験くらいやめられないものかと思います。
核実験に全然罪悪感を感じないのか、あるけど反省する気がないのか、それともただのバカか・・(そう言っている自分も反省しなかったりバカだったりなので、先に自分を直さないといけないのですが・・)。


21.「平和」をさがす広島巡り」 平野 慶直

 僕が広島巡礼に参加させてもらったのはこれで2度目です。去年は広島にいけるという事にしか興味がなく、あまり、「平和」について考えた覚えがないけれど今年2度目ということで「平和」についてよくよく考えてみると「平和」という事の意味は計りしれない事だという事がよくわかった。僕が思う平和な時というのは「平和」について考えている時だと思います。みんなが「平和」を願っているからこそ「平和」について考えられると思うからです。
 1日目は「だれか知っとるやつはおるかなー」とか能天気な気分で家を出た。知っている人だけじゃなく知らない人にも声をかけられてすごくうれしかった。1日目で一番印象に残った被爆証言でした。実際に被爆した人を目の前に話を聞いていると本当に見たような感じになった。すごくつらくて悲しい話だった。
 2日目は朝から黙とうなどいろいろな事があり、ハードスケジュールだった。平和記念資料館を回っている時、とりはだがたったりさぶけがしたり涙がでそうになったりした。2回目だったけど何回いっても悲しい気持ちは変わらなかった。とうろう流しはきれいだった。数え切れない数のとうろうを見ると、こんなにたくさんの人が平和を願っているんだなと思いすごくうれしくなった。2日目で一番印象に残った事はたぶんアメリカ人だと思われる外国人がみんなと一緒に悲しんでいた事です。それを見た時すごく感動しました。人間は悲しんだり喜んだりできるからこそ人間なのだと思う。
 3日目は最後の日であり、まとめをする日でもあった。
 僕がこの巡礼をとおして感じた事は人間はだれかたよる物がないと落込んだり、とどまったりしてしまうから何かたよりがないと困ってしまうのだと思う。広島も絶望に落ちこんだ時、闇に咲いた光、カンナの花を見て希望がわき今の広島を取り戻せたのだと思う。

22.「カンナの生みだした希望」 谷口 都

 広島巡礼に参加して、一番印象にのこっていることは、「七十五年は草木も生えぬ」と言われた場所に、がんばって涼しい秋を迎える頃に美しい花を咲かせたカンナの花の写真が、「平和記念資料館」の一番最後に展示されていて、カンナの花のほかに展示されていた、丸こげの弁当や、人のひふ、つめ、服などの、ムゴイものを見たり感じたりしたあとに、カンナの花の写真を見ると、知らず知らずのあいだに、被害を受けた人が、勇気と希望を抱くのはあたりまえのことだと思いました。そのほかにも神父様が、「このカンナの花は私達一人一人です。」という言葉も印象に残っています。
 私もまだ子供だからたいして力はないかもしれないけれど、カンナの花みたいに、無力ながらも、人に勇気や希望を与えられるような生き方ができたらいいなと思いました。
 ほかにも、「平和行進」などみんなで、歌をうたいながらしたりするのも思い出にのこっているけど、カンナの話が、私にとって一番心にのこっています。
 この広島巡礼に来るのは初めてで、最後に、「広島巡礼に来てよかったな。」と思えたのでよかったです。

23.「広島に来て〜」 道田 晴香

 私は,この京都教区学生広島平和巡礼に参加して戦争のおそろしさを実感しました。平和記念資料館に展覧している原爆への怒りを訴える人々が描いた絵は見たダケで残酷で当時の状況を表した品も置いてありました。
 何十万人もの人を犠牲にした核兵器は,この世界に不必要だと思います!!まだ世界のあちこちで戦争をしている国がたくさんあります。早く核のナイめちゃめちゃ平和な世界で,毎日が楽しい日が1日でも早く来てほしいデス☆☆


▼ 中学三年生の部

24.「焦土に咲いたカンナ」 奥埜 のぞみ

 私は、中1の頃から毎年、広島平和巡礼に参加してきました。そして、今回は、わたしにとって最後の参加となりました。
 「平和とは何か?」私は、今まで参加してきた中で、平和について学んできました。けれども「平和」とは何か、いまいち理解することができませんでした。私が今まで思っていた平和とは、とにかくこの地球上から戦争がなくなるという漠然としたものでした。確かに地球上から戦争がなくなったら、平和がくると思います。けれども、始まってしまっている戦争などはいくら私が何かをしたって終わる筈はない、私にできる事なんてきっと無いんだろうなという思いが実はありました。
 今回の合宿のしおりの表紙は「焦土に咲いたカンナ」でした。「75年間は草木も生えぬ」といわれた焦土の間かで再び芽を出したカンナは,人々に再び生きる勇気と希望を与えたのだそうです。今回の合宿を通して、こういうことが平和だと学びなした。原爆によって全てがなくなってしまい落胆している人々に生きる勇気と希望を与える。こんな小さな事だけれど、それが平和につながるのです!!        「75年間は草木も生えぬ」といわれた土地にカンナが咲いたのは、自然,神様の業、私達には決して出来ない事です。けれども、私が何かがんばれば少なからず平和に繋がるかもしれないのです。これは、言われてみれば簡単かもしれませんが、私はこの答えに辿り着くまで3年もかかってしまいました。
 また他に、その平和を実現するためには、相手の立場になって物事を考えなければならないという自分なりの答えを導き出すことができました。これも当たり前のことかもしれないけれど、なかなか実行に移しにくい事です。
 今回私は最後の参加となりましたが、大切な事を沢山学ぶ事が出来ました。私に出きる事ほとんどないかもしれないけれど、カンナの花のように平和を少しでも実現していけたらいいと思います。

25.「中学生広島平和巡礼に参加して」 神谷 麻梨

 今回、広島巡礼旅行に参加するのは3度目でした。
 被爆から2ヶ月もたたないうちに、75年間は草木も生えぬ」と言われていた広島に咲いたカンナの花は、平和の象徴であり、皆の喜び、希望となりました。どんなにひどい戦争も、恐しい核兵器も、この花を咲かせないことはできなかったし、憎しみや恐怖の中に、平和の花は咲きました。私はこの事にすごく感動したし、嬉しかったです。武力において平和を負かすことは出来ないし、戦争によって平和は実現しません。
 今回の合宿で被爆者の方のお話をききました。実際に被爆された方は、原爆のひどさ、戦争の悲惨さ、平和の大切さをすごく感じておられるし、私もお話をきいて、それを感じました。しかし、これから年月がたつにつれて、証言者の方に直接お話を聞ける機会もなくなってくるし、戦争の悲惨さをよく知る人が減ってしまうかもしれません。今、たくさんの人が平和を求めているのに、いろいろな国が核兵器をもち、それだけでなく、開発し、つくりつづけている国や戦争をしている国もあります。皆が本当に戦争の無益さ、悲惨さを知り、平和の大切さを強く感じることが、戦争や核をなくし、これ以上犠牲者をださないように平和を実現する第一歩になると思いました。そのためにも、私達がカンナの花、平和の道具となって、このヒロシマで学んだ事を活かして、平和をつくっていかなければならないと思いました。


26.「3度目の広島平和巡礼」 平竹 穣

 1945年8月6日、午前8時15分ころ、広島に原爆が投下された。
 1日目、広島に着いた。私はこの広島平和巡礼に参加するのは3回目だったが、毎回新しい発見があったように思う。
 被爆証言を聴いてみると、証言をしていた人達は、二人とも上手いぐあいに影に入っていたようだった。特に、後に証言してくれた人は、絵がついていたのでわかりやすかった。語ることによって、原爆のおそろしさを後世に伝える、祈念館よりも重要な立場だと思う。
 原爆の子の像では、去年、鶴が燃やされてしまうという事件がおきてしまったが、去年8月6日に見たときにも、そうとは思えないぐらいたくさんの鶴がおかれていた。しかし。今年はさらにたくさんおかれていて、ブースからあふれ出していた。
 平和行進では、歌がものすごく大変なことになっていて、かなり歌いにくかった。
 平和祈念ミサでは、建堂50周年も兼ねているので、いつもとは、少し違った雰囲気だった。広島世界平和祈念聖堂に込められたラサール神父様や、たくさんの人々の想いが少しだけわかった気がする。
 二日目、朝早く起きて、相生橋で黙祷をした。沈黙の時間を何百人何千人という人で共有できたので、とても嬉しいと思った。
 道のそばに、新聞のようなものがいくつかあった。これを見て、彼らは精神的にも傷を受けていたということがわかった。
 平和祈念資料館で、たくさんのものを見た。特に、急性障害と後障害について、興味深く見ていた。どれも、すごく危険な病気だということらしい。
 私は、この巡礼を通して、『平和とは何か、平和のためにできることは何か。』ということが少し理解できたと思う。私の意見としては、平和というのは、争いなく、世界中の人々が協調てきる世界のことだと思う。
 3日間という短い間だったけど、とても心に深くのこったと思う。本当に有意義だった。


27.「広島平和巡礼に参加して」 岡山 仁美

 私は初めて広島に来ました。今回は『焦土に咲いたカンナ』について考えました。「75年は草木も生えぬ」と言われた焦土に被爆後わずか1ヶ月半後に美しい花を咲かせたカンナは、人々に希望を与える光だったと思います。小さい花だけど、私には大きな希望の光りだと思いました。
 一場神父様は「このカンナの花は私たち一人一人です。」とおっしゃいました。こんな私でもカンナのように希望を与えるものになれるだろうか、と思いました。でも、今のままの私ではだめだと思います。例えば、自分勝手な行動をしてしまったり、何気ない言葉が人を傷付けてしまったりと、相手のことを思いやれない行動をしてしまうことがよくあります。これからは、相手のことを考えて、思いやれる人になるようにしたいと思います。そのために、ケンカをしないようにしたり、周りに目をむけたり、笑顔でいられたりできる人になるように努力したいと思います。
 『愛する』という気持ちは誰もがもっているものです。それなのに争いが耐えないのはなぜなのでしょう。それは、人間の心が弱いからだと思います。相手を理解することができるなら争いはなくなると思います。人を思いやれる強い心を持ち、私が平和の一部になれるようにしたいと思います。 


28.「広島で感じたこと」 奥本 暢

 中学生広島平和巡礼に参加し、広島に行った。そこで僕が一番感動したのは灯篭流しでした。灯篭流しでどんなことを感じたかというと、とても多くの灯篭が流れていてそれでもまだ足りないと言うかのように、と切れずに次々と流されていてその1つ1つに各個人の平和のへの願いが書いてあると思うと「やっぱり皆平和を願っているんだなぁ」と思った。灯篭を流したのは限られた数の人でしかないけど灯篭を流さなくても全国また世界中には数え切れないほどの人が平和を望み、願っていると思うと、なんで争いや戦争が絶えないのだろうかと思った。
 もう1つ感動したのは、平和資料館で中に展示してある絵でした。その絵は「自分は絵かきではないし絵はたいして上手でもない、けれど原子爆弾のひどさをいろいろな人に知ってもらいたい」という気持ちで市民がかいたもの絵で当時の状況をとてもリアルに描かれていた。それを見てかいた人は思い出したくない記憶を思いだして絵にし、すべての人に原子爆弾について考えてほしいという考えがすごいと思った。だから僕もこのような考えをみならって、ほんの少しずつでもいいから平和にかかわるようなことをしていきたいと思った。


29.「これから一生考えていきたいこと」 白浜 なつき

 今回私は2回目ということで、
「まあ、今回は楽にやろうか」
などと、かなり巡礼をなめていました。でも、分かち合いや碑めぐりをしてるうちに、自分でもわかるくらいに真剣になっていきました。
 その中でも1番心に残ったのは、6日の碑めぐりの時に立ちよったパネル展示を読んだ事です。かなり文字数が多かったですが、ほとんど読んでしまいました。でも、ほとんど読んだ文字よりも衝撃的だったのは載っていた写真を見た時でした。今まで原爆についての資料といえば「マシ」というか比較的「直視することができる」写真ばかりでしたが、今回見たパネルでは、やけどなどを負った人々を「ありのまま」写していたので、目をおおいたくなる写真も多数あったけど、
「これが本当の姿なんだ。でも、本当はこれよりもひどかったんだ。」
と思うと、少しでも本当の事を見ることができて本当によかったです。
 あともう一つ二つ心に残った事があって、一つ目が平和資料館に「外人」が多くいた事です。これは、かなりの偏見が入ってるけど、外人は興味がないと勝手に決めつけていました。でも、たくさんの外人がいて世界中の人が「ヒロシマ」に目を向けているということを知って1人で感動していました。よく見ていると、平和記念資料館のガイドなども見て、英語やフランス語やドイツ語、スペイン語などのヨーロッパの他、ヒンドゥー語らしきものや知らない国の表示などがあり、人の数が多いのもあるけど、いろいろな国から来ているという事になぜか自分が喜んでいました。
 二つ目が幟町教会の平和祈願ミサが心に残りました。ミサの内容もなのですが、司教様が多かった事と、ブラスバンドがいた事と、聖歌隊の歌のうまさと、教会の大きさに圧倒されっぱなしでした。あんな大きな(と言えば少し違うけど)ミサを受けられて幸せでした。
 今回の巡礼は自分でも満足するくらい、分かち合いでものごとを深く考えられたし、いろいろな碑や被爆者体験を聞けてよかったです。私は中3なので来年から中学生会では参加できないけど、個人的にや、次はリーダーとして広島に来れたらと思います。
 これからも、「真の平和」について一生考えていきたいと思います。


30.「広島平和巡礼」 小野 崇

 ぼくは、この広島平和巡礼は、今年で2回だけど、途中から参加した。なぜ、この広島平和巡礼に参加したかというと、去年も参加したけど、あんまし印象に残らなかったし、それともっと広島のことについて調べたかったからだ。
 5日の日は平和祈願ミサからみんなと合流した。平和祈願ミサには、日本のいろんなところからたくさん来ていた。あと韓国から来ている人もいたのでびっくりした。神父様の話を聞いていても、やっぱり原爆は恐しいものだということがよくわかった。やっぱりちょっとずつでいいから、いつになるかわからなくてもいいから、何百年先になってもいいから、この地球に平和を、この世から「戦争」というものや言葉がなくなればいいと思う。戦争はとっても怖くて恐しいものだから、もうこの先、一切戦争はしないで欲しい。この広島平和巡礼をきっかけに世界の平和についていろいろなお手伝いができればいいと思う。この3日間、いろいろ忙しかったけど楽しい3日間だった。また機会があれば広島にきて広島について調べたいと思う。


▼ リーダー

31.「広島平和巡礼」 鶴山 進栄

 印象に残ったことを思い出すままに綴って参りたいと思います。
 @被爆証言を聞いたわけですが、2人目の方は被爆後の様子を絵にしたわけですが、《水を求め、たくさんの人が川に飛び込み、水を飲んで亡くなった。絵の川面には人と人の間に幾分かの間があるが、本当はいっぱいだった。でも描いているうちに悲しくなって、その時の様子をそのまま描くことができなかった》と言っていました。地獄図を目の当たりにしたのだということ、しかし我々の世代のために敢えて、その忘れたい光景を思い出し絵にし、また語っておられることを感じ取ることができました。「2度とこのような過ちを繰り返さないでください」と無言のうちに語っておられました。
 Aカンナの花。これは一場師が、ぜひ子どもたちに見てほしいと願っていたもので、私も今回じっくりと見学しました。一場師はカンナの花にインスピレーションを受け、今回の巡礼の象徴としました。私も自分なりに感じたことをまとめたいと思います。写真はカメラマンの気持ちを語るものです。背景をみればぼんやりとしてはいますが廃墟だらけの町があります。しかし、カメラマンはこの小さな花を中心にして敢えてカメラに収めました。私は命や希望を感じました。目に映りやすい目前にある絶望ではなく、しっかり見つめないと捉えることのできない命・希望。今回の巡礼で大切にしたい、とリーダー同士で語っていたことを私自身感じとることができました。
 B最後に中学生の皆さんが、しっかりと感じとっていたことも印象に残りました。「平和は一人一人が考え、みんなで作っていくもの」。そのようなことを感じながら皆さんの話すのを聞いていました。


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35.「広島平和巡礼に参加して」 藤田 智子

 中学生たちと一緒に訪れる広島では、今年も新しく、平和な世界を願う経験になりました。今年のテーマの焦土に咲いたカンナの花は、75年間は草木も生えないといわれていた広島の焼野原に咲いて、人々に生きる希望を与えたそうです。神父さまから、カンナの花はキリストだときいて本当にそうだなと思いました。平和をこわしたのは人間だけど、神さまはちゃんと生きるための希望を与えて下さることが、カンナの花を通してわかりました。今、世界は強い国が自分たちの国を守るために力を注いでいて、世界を支配しているように思います。平和記念資料館には、原爆のあとに広島市長が出し続けている抗議電文が、柱一面にはられていました。核実験を何度も繰り返す国の権力者たちは力で自分の国を守ろうとしていて、自分の国さえ守られればいいと思っているようでした。でも私は、力では平和は実現できないと思います。中学生たちの分かち合いの中でも、平和になるためには、自分のことばかりでなく、周りの人々の気持ちを考えないといけないことや、ゆるせないことをゆるしていくことが平和になる一歩になるのではないか考える時となりました。そして、それは主の祈りや、巡礼中何度も祈った平和になるための祈りにも重なっていきました。神さまは平和になるための祈りを教えて下さっていると本当に思いました。今年は、はじめて被爆証言をきいて、過去に起こった出来事と思っていた広島でのことが今も生きているその人の人生の一部になっているんだと改めて思いました。私は、分かち合いの時の司会とかうまくできなくて自分の力の足りなさが苦しいけど、カンナの花や、イエスさまのように人々に希望を与える人になりたいです。中学生とつくった共同祈願、私たちの心も神さまのみこころに少しでも近づけますように…を最後に捧げます。

36.「広島平和巡礼に参加させて頂いて」 山田 将太郎

 広島の戦地に咲いたカンナの花、それは私達のエゴや、憎しみそのものである焦土の中でたった一人で立ったイエス様そのものであると神父様は言いました。
 平和とはカンナの花のように小さなものです。潰そうと思えば簡単に潰せてしまいます。けれどその小さな平和に私達が目を向け大切にしていこうとする心を神様は愛されたから私達がいるのだと思います。
 原爆資料館の地下に聖母マリア様とイエス様をモチーフにした絵がありました。
色はとても薄く鮮やかで、原爆ドームを背景に描かれている女性はとても綺麗でした。
 しかし左の部屋の絵を見ました。焼けただれた人々の顔が浮かび上がっていて、背景は真っ黒でした。真ん中にいるイエス様の体は腐っていて、そのどろどろした色のイエス様を取り囲んでいるマリア様とシスター達は泣いていました。
 イエス様はいつも私達の代わりに傷ついて下さいます。原子爆弾が落とされた日、イエス様の体は被爆した人々と同じように傷ついたのかもしれないと思いました。


37.「大切な3日間」 瀬野 暁子 

 「広島」という場所に来たのは今回2回目で、私が中学生の時に来たこの“広島平和巡礼”以来でした。私が中学生だった頃は、神父様やリーダーの話を「へぇ〜、ほぉ〜」と聞いて、ただただ納得しているだけでした。しかし、今回は「リーダー」としての参加ということもあり色んな意味で気を引き締めて参加させてもらいました。
中学生としての参加、リーダーとしての参加…どちらにしても変わらないのは「平和」への思いでした。何年か経った今もなお私たちを含め「平和」を願っている人たちは増え続けていて、戦争が残していったモノは今もなお、姿・形を変えることなく残っているんだなぁ…という思いが率直な感想でした。こんなにも多くの人が平和を願っているのに、なぜ“平和”にならないのだろう。と3日間を通して何度も思い続けました。
子ども達と3日間同じ時を過ごして、子ども達そして私達一人一人が「平和」について改めて考え直すことができたと思います。みんなが平和について考えている…それだけでも少しずつ平和に近づいてるんじゃないかな、って感じました。みんなの願いが込められた折り鶴☆★この一人一人の願いが届いたらイイなぁ〜って思います。でも、思うだけじゃダメってことに気づいたんで、今回の広島平和巡礼で感じたこと、願った祈りは、これから先もずーっと心に留めておきたいです。今回の3日間は、私にとって特別な3日間になったと思います。本当にありがとうございました。


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2003年 中学生広島巡礼


 今年の教区中学生広島巡礼は、昨年に比べて倍以上の中学生三十五名、引率者七名が参加しました。
 全員に心を動かされたところを感想文にしてもらいましたので紹介します。


 広島の平和学習について
 1年 西垣 洋希

 ぼくは中学一年です。八月五日に広島へ来て、平和学習とは、どんなことを勉強するか少し楽しみにしていたのだが、思ったよりも眠たくなるような学習でした。そんな眠たくなるような学習でも、すごく大切な話をたくさんしていました。広島では、原子爆弾という、おそろしい爆弾が1945年8月6日、8時15分に原爆ドームの北東に落とされました。なんと落とされた時、約3000〜7000度の温度が3秒間も続いたそうです。広島の住民たちが約20万人もの人たちが死んで、もがき苦しんで死んだ人もいるし、皮膚がただれて、骨が見えて、全身にひどい火傷をして苦しむ人もいた。そんな人たちを見て、こんな、残酷なことをする権利がアメリカにあるのかと、心の中ですごく腹がたちました。禎子さんという人は血液のガンにおかされていました。毎日、毎日、自分の病気は治ると信じ続けて、一生懸命、紙で鶴を折っていました。そんな禎子さんは、病気にまけず、がんばって生きていっているのがすごいなーと思いました。    


 広島に来て思ったこと 1年 松本 晴馬

 ぼくが広島へむかっていた時、原爆とか戦争とかいうことは上の空だった。どちらかというと新幹線と市電に乗ってみたいという気持ちの方が強かった。だが、ついてから原爆ドームを目のあたりにしてその気持ちはふきとんだ。むかって右側の前カベが全部破壊されていた。立ちつくすばかりである。熱風と爆風で鉄骨も曲がっていた。平和記念資料館に行くと、さらに原爆のすさまじさがわかった。
 このように原爆の威力や被害、それに後世に平和を訴えかけている施設に、最近イタズラ等をする事件がおこっている。
 つい先日は、原爆の子の像のところに供えてある千羽鶴に火が放たれるという事件が起きた。“ただでさえ原爆で熱い思いをした人々に余計に熱い思いをさせる気が!”と思った。これは像になっている禎子さんだけでなく犠牲者へひどい思いをさせたと思う。
また、その前には原爆ドームに落書きをするという事件まで起こっている。
ぼくは、このように人のことを考えず、ムシャクシャしたという理由でやってしまうというような人が集まって戦争に鳴っているのではないかと思う。自分勝手なせいで他人との関係がおかしくなり、ケンカ、それが大きくなって戦争に発展するのだろう。お互いに思いやれる人が増えればいいと思うが、実際世間はそう簡単にには変わらないようだ。


 ヒロシマで学習したこと 1年 村田 真登

 ぼくは、ヒロシマの原爆ドームや平和公園、平和記念資料館に1度だけですが来たことがあります。その時は、いとこの家に泊まりに来て、いとこたちと、その両親といっしょにおとずれました。その時は原子爆弾のおとされた日でも、休日でもなかったので、ほとんど人がいませんでした。しかし、ほとんど人がいませんでした。しかし、ほとんど人がいないのが妙に気味が悪かったです。その時はいとこと遊んだことが面白かったのか、帰る時にはほとんど忘れていました。
 けれど、昨日と今日もう一度広島におとずれて、平和記念公園、原爆ドーム、平和記念資料館におとずれたことから思い出しました。
 平和記念資料館で昔は「怖い」とか「ひどい」とかしか感情になかったけど、今回改めて見たので、また昔とは違い、原爆のことだけでなく、アメリカのやり方への疑問や、理解の不充分さにおどろきました。アメリカは、原子爆弾を初めて、人間に向かって使い、その威力と放射能のきょういを知っていたはずです。それなのに、劣化ウランの爆弾を使って、放射能をばらまいています。それなのに日本は、核の恐怖を身をもって、知っているはずなのに弱ごしで、何も言えない。よっぽど、ハッキリ「いけない」と言っている国民の方がよっぽど偉いと思いました。イラクでは、人体に悪いと知っているのにわざわざ放射能を使うなんて悪魔だと思う。
 イラクに空しゅうをするにしても誤爆が多すぎる。実はわざとねらっているのではないかと思うほどだ。そのことにも日本は批判をしない、しかも協力する、とまで言っている。ぼくから見ると、アメリカは戦争をハンティングとでも思っているのではないのか、と思うほどである。アメリカも非人間的だが、それをあと押しする日本も非人間的だと思った。


 広島平和巡礼に行って学習した事 1年 平野 慶直

 平和巡礼で広島に行ったのは初めてだった。最初は行く気はなかったが、楽しそうだったので来ました。平和記念公園は今から58年前に本当に広島で起こった残酷な出来事を知らない人に知ってもらい、知っている人でも何度も思い起こし、いっしょうあの悲しい出来事を忘れず平和になるように立てられた物です。原爆ドームは残ったのが奇跡だと思うくらい不思議な物だった。被爆者たちの声が聞こえてきそうでこわかった。でも、罪もない人々が死んでいったのは本当にかわいそうだと思った。いろんな碑や像などもいろいろあった。その中でも原爆の子の像にはすごくいろんな人の感情や思い、怒りなどがこめてあるんだなあと思った。まだ世界中では戦争が続いている。平和の学習もして平和というのは自分は相手の心の中にいて相手も自分の心の中にいるという、その関係を作ると平和が生まれるのだと思う。


  広島に来て学んだこと 1年 草間一穂

 原子爆弾のおそろしさと悲しさを知りました。原子爆弾でたくさんの人や、たくさんの建物が、破壊されて、とても残酷でした。記念館の中でもいろいろな家具や道具が壊れてあり、普通壊れたりしない物も壊れてて、戦争や爆弾、核兵器(核爆弾)を減らしていかないとだめだと思いました。
 平和記念公園では、原爆ドームの本物は絵と比べてすごくちがうけど爆心地に近い方上から風があたり建物は壊れにくいとわかりました。原爆の子の像の所には、いっぱいの千羽鶴がありました。ぼく達も鶴を折りました。
韓国の人もいっぱい亡くなられて、日本に(原爆が)落とされたのに何で韓国の人も亡くなられるのかと思いました。
 灯籠流しでは、いろいろな思いをこめて流した灯籠はとてもきれいでした。暗くなってからはあまり見えなくてとても残念でした。


 広島で学んだことについて 1年 吉中 慎一

 ぼくは、広島にくるのは、初めてなので楽しみでした。平和記念公園では、まず、原爆ドームをみてびっくりしました。人を20万人亡くした原爆でこわれなかったことがすごいと思いました。でもさすがに鉄かレンガなどがとけていました。そして2階や3階も床はくずれていました。しかし形はしっかりしていました。千羽鶴がかざってありました。その大きさはいろいろありました。禎子さんが病気を早くなおしたいから鶴を折り続けていたという話から千羽鶴をそなえるということがはじまりました。ぼくは禎子さんは本当に病気と闘っていたのだと思いました。
 平和記念資料館では、いろいろ学びました。まず、その時の状況を表したものがありました。こんな状態だったのだとあらためてしりました。ほかは皮膚がただれた人の人形がありました。それを見て残酷で鳥肌がたちました。いろんなことを広島で学べてよかったです。


 広島メグリ 1年 吉沢 健

 ぼくは中学1年生です。この合宿は初めてなのでドキドキしていました。ぼくたちは広島で仲間といっしょにメグりました。広島についてまず平和行進をしました。そのときは「なんか革命してるみたい」と思いながら商店街をあるいていました。ちょっとはずかしかったです。そして教会に行きミサを行いました。司教さんがいっぱいいてびっくりしました。そして次の日、朝から原ばくドームへ行きました。ぼくは原ばくドームをみてとてもむごいと思いました。そして一つの原爆で街一つがはかいされるなんて人間とてつもないものをつくったな〜と思いました。一人の人間がボタン一つで10万人以上の人が死ぬなんてバカみたいと思いました。しかしそれだけではなく死んだ人々の遺族の方の悲しみ、それに子供、親が死んで泣いて泣くけどだれも助けてくれない。考えるだけでもかなしかったです。
 次に原爆の子の像を見にいきました。その近くにはたくさんのつるがありました。こんなに平和を求める人がたくさんいるんだな〜と思いました。しりょうかんでは主に原爆nざんがいがかざられていました。こころがいたみました。とても残酷だったです。ぼくはこれはアメリカが落とした爆弾は日本のせいだとおもいました。広島で平和の意味が深くわかりました。

 初めて原爆が落とされた広島 1年 尾崎 誠

 広島、ここ広島は世界で初めて原子爆弾(原爆)が落とされた所だ。ぼく達は、キリストがわたし達に示された「平和」を模索する、という目的で合宿している。日本人としては、原爆が日本に二つも落とされたという事は忘れられない事実。実際、今も忘れてしまわないように語り続けられている。一日目に見に行った原爆ドームは鉄が見えていてれんがや石はぼろぼろだった。平和祈願ミサに出席する前、原爆や戦争でもうこれ以上死人を出さないために広島市民の人に呼びかけてのぼり町教会に行った。とても広く特別な時とあって合奏隊がきていました。そしてぼくたちはもう二度よと戦争が起きないようにミサをしました。でも世界にはまだ戦争や空襲が絶えません。一刻も早く世界がわかり合い形だけの平和ではなく本当の平和が来ることを祈っています。二日目に平和記念資料館へ行き原爆が広島に落ちた当時の様子を見に行きびっくりしました。なぜなら人の体が黒くなりさけめがあり、はんてんがあってとても人間とは思えません。原爆被害者の方々の歴史もでておりみんなとても苦しそうでとても見ていられません。こんな人を増やさないためにも戦争はやめたほうがいいと思います。


 原爆で学んだこと 1年 加藤 直人

 ぼくは、原爆のことはよく知らなかったけど、広島に来て原爆のいろいろなことを知った。まず、びっくりしたのが、原爆が、爆発したときの温度と、太陽の表面だと、原爆のほうが、熱いということだ。本当にひどいなと思った。次に平和記念資料館に行って物を見たときで、ぐにゃぐにゃに曲ったラムネびんや、とけた瓦などとけた物などがたくさんあった。あと、原爆が爆発したときの映像を見たときだ。あの破壊力には、本当びっくりした。家が一瞬でぶっこわれていたんだからビビった。最後に灯籠流しのことだ。原爆の熱さで川に飛びこんだ人も多いみたいだ。その川に流したロウソクは、なぜか、悲しく見えた。こんな熱い思いをして本当にかわいそうだと思う。広島で原爆のおそろしさがよく分かった。もうこんなひどいことはもう絶対おこってほしくないと、ぼくは思います。


 平和学習をして 1年 太田 友美

 私は、記念碑をたくさん見て、碑の建立した人の訴えや碑文に込められた意味をしみじみと感じました。平和を願うものであったり、当時の人々の思いを表してある物で、平和について勉強できました。
 平和資料館へ行き、当時の事を勉強しました。被害にあった人々の写真では、やけどのあとなどが生々しく写っていて、思わず目を伏せてしまいました。当時の食器や手紙・服などたくさんの悲惨な姿になった物を見て、当時の風景が頭に浮かんできました。
 記念碑と平和資料館などから、私は、当時の被害の状況などを知ると共に、平和への強い思いを勉強しました。この五八年前起こった悲惨な出来事は、私たちが語り続けて、核の恐しさと平和への思いを人々に忘れてもらわない事、それで世界の人々の、平和への思いも強まって行くと思います。


 「広島平和巡礼」 1年 金子 聖歩

 「夏の広島」といえば、戦争という大きなまちがいを象徴する物だと思う。今の広島は五十八年の長い時をこえて、戦争があったというのはほとんどわからない状態だった。しかし、「戦争があった。」としっかり思わせる物が広島の大切な物になっている。それは、
「原爆ドーム」だ。世界史上初の原子爆弾で飛ばされそうでも、あつい温度の中でたえぬいたというのがそのまま残っていた。初めてまぢかで見ていてとてもおどろいた。これは見ないとわからないし、中を見ると息づまるかんじだ。
 広島平和記念資料館に小さな小さ折りづるがおいてあった。これは、千羽づるを強く思わせるような物でこんなつるをどんな思いで折ったのか?なんともいえないこう景だった。資料館にはつるの他にも人々を苦しませた戦争を思いうかばす展示物がおいてあった。亡くなられた家族の人が世界に戦争のおそろしさを知らすために遺品を寄贈されていた。テレビや人の見たことを聞くより自分自身が目で見て経験した方が何倍も衝撃的だった。
 私はこの広島の平和巡礼に参加し自分には足りなかったものが少なくなった気がする。戦争はまだ完全には終わっていない。しかし、世界的にも広島は平和の象徴だ。この広島のある限り戦争をしてはいけない。世界がおかした大きな犯罪だ。戦争が起った事を見直し、二度とこんな事を起こさないためにも戦争を反対しないといけない。


 広島平和巡礼に行って 1年 松尾 彩未

 私は今まで、広島の事はただ「原爆が落とされた所」としか思っていなかった。でも、それは、実はすごい事だという事が分かった。五十八年前に世界で初めて落とされた爆弾は一瞬にして二十万人もの人の命をうばってしまう、今の私たちには想像もできないような残酷なものだった。でも、一つだけその残酷さを私たちに想像させる建物があった。それが「原爆ドーム」。テレビでは、よく見る原爆ドームだけど、実際に見てみるとテレビでは感じられず言葉ではあらわせられない気持ちになった。また、広島平和記念資料館では、たった一つの原爆でどれだけの人達がどれだけ苦しんだのかという事を、すごく感じさせられた。例えば、八月六日に被爆者の身につけていたものが展示されていたり、また、有名な八時十五分でぴったりと、とまっている時計も展示されていた。私は、その時計を見たとき、何か、不思議な気持ちになった。
 私は、この広島巡礼に来て本当にいろいろな事を学んだ。そして、一番感じたことは、やっぱり絶対戦争はしたらいけないという事だ。この三日間はいろんな事を考えた三日間だった。        


 学習し、得たこと 中学1年生 山本 優理

 私が広島平和巡礼で学習し、得たことは、『争う事しか考えない人には、悪い結果しかおとずれない。が、平和を求める人には、必ず良い結果がおとずれる』という事です。被爆者の中にも平和を求め、生きたいと願う人がいたと思います。
 私は、資料館や平和記念公園におとずれる人達などをとおして、〔自分では、何ができるか?〕と、考えてみたりしてみました。(リーダーからの指示でもあったけれど・・)そして考えついたのは、
“身近な所から平和にしていく”
“人にきびしくするだけでなく自分にもきびしくする”
です。(でた意見をまとめた意見)
今は子供が罪をおかしたり自殺をしたり殺されたりという事件が多いので、そういうところから平和にしていかないと世界を平和にするなんてぜったいに無理だし、第一に私たち一人一人がおえらい様に声を上げたって耳をかたむけてもくれないにきまっているので・・。
それでも、がんばって声をあげる事はぜったいソンにならないと思います。だから、もう二度と無差別に人を殺したりむごい事がおこらにように私たちが世界を支えていかなければならないと思います。


 平和資料館に行って 1年 瀬戸 真理子

今日は、八月六日、五十八年前に広島に、原爆が落とされた日。私はその広島に来て、平和資料館へ行きました。前日の夜、みんなでたくさんの鶴を折って、原爆の子の像へ飾りに行きました。この鶴を折ったことでみんな、平和になったらいいなと思いました。平和資料館では、第二次世界大戦後の街の様子や、けがをした、たくさんの人の写真、当時使っていた物など、たくさん展示されていました。私が見ていて、すごく印象にのこったのは、焼けてとけた人を表す人形や、当時の人が使っていた物や服、あと、皮ふと一緒にとれた爪などが、私にとって、本当に印象にのこりました。皮ふがめくれて焼けていた人の写真は、怖くて見る勇気がなかったです。でも本当に痛そうで、苦しそうで、もう何とも言えないほど悲惨でした。そんな、人々の写真などを見ると、こんなに、たくさんの人々が苦しむようなことがあるなら、絶対に二度とないようにしたいです。戦争なんてしても、私は何の意味もないように思います。ただ、戦争をして、たくさんの人が苦しみ、家族とはなれてかなしい思いをしたりして、戦争後のみんなの心のきずは一生のこるだろうと思うからです。また、世界で戦争が起こるようなことがあるなら、私は絶対に、反対します。みんなが平和であることは、一生の生きがいでもあるからだと思います。今日、新たに願いが増えました。人々が平和であってほしい、一生を大切に生きてほしいと思いました。


 広島平和巡礼に参加して 一年 藤村 聖奈

私は、初めて広島へ来ました。親に勧められて来たので、最初は「平和」とか「原爆」について深く考えていませんでした。でも平和行進をしたり、たくさんの碑や公園に来たたくさんの平和を願っている人を見て、こんなにたくさんの人が原爆で亡くなった事について考えたり、祈ったり、戦争・核兵器に反対しているのに、もっと強い兵器を作ろうとしている句にや核兵器を持っている国があるのはなぜだろうと思いました。広島に原爆が落とされてどんなふうになったか知っているならその人はどんな気持ちでやっているのかなあと思いました。
平和記念資料館に行くと、原爆のおそろしさが実感できました。被爆した物・人を見た時は最初にこわいと思いました。次になぜ人間が人間にこんなひどいことができるのかな、と思いました。それに二度としてほしくないです。私はこれに参加してたくさん学んだけれど世界中の人に「平和」について考えてほしいです。


 「平和」と「命の大切さ」 1年 佐藤 エミリ

“広島”といえば、何を思いつきますか?
 たいていの人は、「原爆」というと思います。今回、私は、世界で初めて原爆が落とされた八月六日の広島に行き、「平和」と「命の大切さ」について学んできました。
 今までは「平和」というと、自分には、あまり結びつきませんでした。
 しかし、今回、広島巡礼に参加して、「平和」は私達一人ひとりに、すごく関係していると知りました。
 シラク大統領が言った言葉で「戦争は一人でもできるが、平和は一人ではできない」というのがあります。
 私はこの言葉を聞いて、どれだけ平和が大切なのか、改めて実感しました。
たった一個の爆弾によって、あっという間に何万人もの尊い命をうばった、おそろしい原爆が広島に落とされたと知って、その時私が広島にいなくてよかったと、思ったのと同時に、その時、広島にいて被爆した罪の無い子供達やお年寄りが、かわいそうに思いました。
もう二度と原爆は、使用されず、世界中が一日も早く平和になったらいいなと思いました。


 広島平和巡礼 鶴山 進栄

去年に続き、今年も参加しました。原爆について知ってほしい。また原子力について、特に原発について知り、考えてほしいという思いを持ちながら参加していました。
二日目の記念碑や資料館での様子を見ると、顔を伏せる人がいたり、去年も参加した人に尋ねてみると「うん、やっぱりここはすごい」と言う答えが返ってきました。確かに展示している物は、場合によってはショックに感じる物もあるでしょうが、参加した皆さんは何かを感じ取っているように思いました。私自身五八年前の原爆の悲惨さという現実を再度確認することができました。午後の分かち合いでは、一年生の班のリーダーとして分かち合いに参加しました。一人一人指名して意見を言ってもらったわけですが、具体的な戦争反対に向けた行動を上げる人、あるいは身近なことをあげる人、様々でしたが一人一人が平和について考えて意見を出しているな、という印象を受けました。かく言う私もまずは身近なことから実践するようにしないと、そんな思いにさせられた平和学習でした。


 「広島」 二年 関谷麻未

まずこの広島に来た理由は、一回行ってみたかったからでした。
 私が一番印象に残ったのは、初めて(?)ミサに参加したことでした。
 平和記念館は、戦争のおそろしさ平和の大切さを学びました。
 原爆ドームでは、広島であった戦争のこわさ、ものものしさが表されているようでとても心に残りました。
 広島はもみじまんじゅうと広島焼きという印象しかなかったケド、広島に来て初めて思ったことは、広島は、戦争のおそろしさ、世界が平和でありますように、という思いがつまったところだと思いました。
 今も戦争が続いているところがあるケド、未来は平和でしあわせであればいいなあと思いました。
 あと、きれいだったのは、とうろう流しでした。
 きれいだったケド、すこし胸にしみる気持ちでした。
 とうろう流しで思ったコトは、あのとうろうの一つ一つに人々の思い(平和への)や気持ちがこもっているんだなあと思いました。
 戦争を目の前で見たことはないケド、きっときっとすごくこわくておそろしくて、あつくて苦しいものだと思いました。
 広島の人々は標的にされてつらかったと思いました。
 これからの未来派あやまちもなくしあわせであってほしいと思う三日間でした。


 「平和」 二年 間辺亜紗乃

 私は、この広島平和巡礼に参加して、思った事、感心した事がいくつかあります。
 八月六日。広島に原爆が落ちた日、平和記念資料館に行きました。
 焼けた服。黒いつめ。こげて炭化したお弁当箱。ガラスの破片がささったままの壁。
 中でも一番印象的だったのが、当時三歳だった男の子が乗っていたと言う三輪車です。
 サドルの部分は何もなく、“これは三輪車です”と言われなければ、多分分からなかったと思います。外で遊んでいる時、急に音がしたかと思ったら次の瞬間熱いものが来て、焼かれてしまう。ことばで言ったら、これだけのものだけど、本当はもっと、恐ろしくて苦しかったと思います。「生きたい」だれもが思う言葉が、心の中で聞こえた気がしました。
 灯篭流し。あの光でいっぱいの川を見た時、きれいで、幻想的で、すごいなあと思いました。でもその反面、あまりの数の多さに驚いたのも事実です。そして、見た限りで軽く百を越す灯篭の何倍、何十倍もの命が失われたのもまた事実。
 悲しむのも、後悔するのも大切で、必要なことだと思います。
 だけど、何よりも大切にし、必要としないといけないのは、“平和を求め、同じ過ちを繰り返さない”と思う心だと私は感じます。
 八月六日・広島と、八月九日・長崎の原子爆弾使用での結果を、一人一人が思いながら世界平和への道を一歩でも進む事ができればいい。私は、そう思いました。


 「広島平和巡礼」 二年 小野 崇

 ぼくがこの広島平和巡礼に参加した理由は、広島に行ったことがなかったし、原爆ドームも実際には見たことがなかったからだ。
 はじめ、広島に着いたときは「ああ、もう疲れたぁ」なんていっていた。けれども、いざ原爆ドームに着くと、どんどん興味がわいてきて、やる気も出てきた。それで、歌の練習を少しして、幟町教会まで行進していった。
 幟町教会について、平和祈願ミサを行った。そこで、原爆で亡くなった人々のためにお祈りをした。
 二日目、平和記念資料館に行き、今から約六十年前に着ていた服や当時の様子のビデオなどを見に行った。そこで、昔の人の苦しさとかがよくわかった。夜に見た灯篭流しは、いろんな光があってきれいだった。あの光の色は、被爆して死んでいった人たちの光の色みたいだった。
 ぼくは、広島を訪れて、もう二度と戦争をしてほしくないと思った。そうするには、お互いの国同士が信頼しあうことが大切だと思った。


 「広島巡礼旅行」 二年 神谷麻梨

 私は、この巡礼旅行に参加するのは二回目だったけれど、前より今回はヒロシマの原爆がとても身近に感じられて、すごく怖くなった。
 平和記念資料館の中で、私は、自分と同年代の人やとても幼い子供達が被爆している絵(写真)を見て、なんとも言えないような怖さを感じ、戦争、核の恐ろしさ、そしてそんなひどい事が出来るという人間の自由にも考えさせられた。人間はとても自由だからこそ、限りなく悪いことが出来るのだ。自由だという事は、一人一人がちゃんと善悪を考えて行動しないといけないという事。だから、一人一人が本当に心からヒロシマについて、戦争について考え、繰り返してはならない、繰り返さないと思うことが戦争をなくし、これ以上の犠牲者を出さないことにつながっていくと思った。
 私はこの合宿の中で、平和行進をしたことが一番楽しかった。みんなで声と心を合わせて歌うのは、気持ちもよかったし、嬉しかった。教会で御ミサに与った時も、いろいろな所からやって来た人たちと一緒に参加でき、みんなでヒロシマの事を考えた事は、とても心に残った。聖歌がさまざまな国の言葉で歌われていたり、御ミサが手話で表されていて、すごいと思った。
 この合宿ではたくさんの友達と御ミサや黙祷ができて、とても貴重な三日間になった。来年もまた八月六日に巡礼旅行に参加し、広島に来たいと持った。


 「広島平和巡礼」 二年 奥本 暢

 初めは、ほとんど遊ぶような気分で広島に来たけど色々な石碑を見ていてちょっとずつ気が変わった。その中でも平和記念資料館で原子爆弾のものすごく広い範囲のすべてを焼き払ったことやその後の世にもおよんだ後遺症からも原子爆弾も落とすべきではないというか落とすべきではなかったということが分かると思う。それに平和記念資料館は建ててすごく役に立つと思う。それは、平和記念館を訪れた人々が「原子爆弾は落とすべきではなかった」「もう作っても、使ってもだめなものだ」と思えるようになるからです。灯篭流しのときに流しているところの横をボートが行き来するべきじゃないと思った。それは灯篭は灯篭だけで流すものだと思うし、灯篭を流してお祈りをしている人々もいるし雰囲気が崩れるからです。だからどんな理由でボートを出しているかしらないけど、あまり乗り回さないほうがいいと思った。やっぱり戦争はいけないし、他国が戦争をしているときにとめられない首脳は日本には要らないと思った。だからこれからは戦争に反対できる日本をほんの少しでもいいから自分の力でできる限りのことをやっていきたい。


 「広島平和巡礼」 二年 太田 有紀

 僕はこの巡礼に参加するのは、二回目です。一回目行ったときは遊び半分なき持ちで行ったが、今年は、イラク戦争などいろいろな戦争があったので本気で戦争と平和について勉強したいと思ってきました。
 そして今年もまた平和行進をして幟町教会まで行きました。ミサ中僕は、世界が平和になってほしいと祈っていました、
 翌日、八月六日は、アメリカが日本の広島に原爆を落とした日でした。その日は朝八時十五分から一分間だけ黙祷をしました。その後は、平和公園を通り平和記念資料館の中を見ました。その中でも原爆で体にやけどを負っている姿や、人の体がケロイドになっている非常に悲惨でした。これを見てもう世界で今おこなっている戦争や空爆をやめてほしいと思いました。
 ぼくは、このような戦争で日本のような非核三原則みたいな法律をアメリカや北朝、中国、欧州などの国にある核や重兵器などをなくしてほしいと思った。そしたら世界は平和になれると思いました。


 「広島の原子爆弾について勉強して」 二年 岩崎太郎

 僕が広島平和巡礼に参加した理由は、去年なんとなく参加してなんとなく終わったからもっともっと広島に落とされた原子爆弾のことや、被爆した人々、建物などのことを知りたかったかことです。けれど一番したかったことは、他の教会の中学生の人達と仲良くなりたいことと、広島平和公園から幟町教会まで歩く平和行進などを通してアメリカ、ヨーロッパなどの多くの人々に広島の悲惨さを伝えたかったからです。
 そして八月五日の祈りの集い、平和行進などをした時に、商店街を通る人達から毎年のように少し何かキツい目線で見られたりして少し複雑な気分になったが、平和のためにという気持ちで歩いていました。
 八月六日、八時十五分に黙祷したり、平和記念資料館で見学、平和学習をしたときに、中二になって分かることが増えたのか、かなりの悲惨さがよく分かりました。
 来年は行くか分からないけどもっと興味を持って参加したいと思います。


 「広島平和巡礼」 二年 嶋田 基

「この行事に参加した理由」を聞かれて、僕はとっさに「なりゆきの上で」と答えましたが、結局のところは、原爆ドームや広島平和記念資料館にある物を実際にこの目で見てみたかったからです。
 まず、原爆ドームを見て最初に考えたことは、「何か思ったより小さいな」って事でした。こんな得に意味のないことはおいといて、次に思ったことは、「戦争の悲惨さ」を考えました。原爆で壊れたとは分かっていても、いったい何をしたらこんな状態になるのかと聞いてみたいです。見ただけでこんなことを思わせる原爆ドームは、ある意味ですごい存在だと思う。まるで知らないうちに神様が語りかけてくるような気になりました。
 次に資料館を見て回りました。ことばでは言い表しがたい。気分に幾度もなりましたが、そこは頑張って言い表すことにします。まず初めに、原爆の温度を見ると、太陽の表面温度より高い。今日の気温は三十度を超えるくらいでしたが、ここまでくると想像もつきません。特に温度よりも被害者の苦しみを考えると、胸が痛む重いです。今なおその被爆者がいるというのも悲しい実態です。
 原爆を落とした奴や、今なお戦争を続けいている奴に呼びかけたい。何を考えているのか。心が痛まないのか。そして神の声が聞こえなかったのか。九州弁で言うなら「なんばしよっとね。やめんしゃい」僕は戦争をしている奴に直接そんなことは言えないけれど、これからも平和運動など、自分のできることを少しでもやっていきたい。


 「ヒロシマに来て」 二年 山本彩子

 八月六日、平和記念資料館で、なくなった人々の遺留品を見ていて、私よりも、うんと幼い子供の遺留品がありました。まだ、三歳という小ささで、原爆の犠牲者となりました。生まれてきて三年。たった三年しか、生きられなかった命。他にも、十二歳の人たちもいました。火傷を負った体でも自分の家まで、行った人たちが多くて、傷を負っても両親に会いに行こうと思ったのかなぁと思いました。
 資料館の中には、被爆者の絵なども、置いてありました。その中で、心に残っているのが、親が自分の子供を燃やしている絵でした。親は「後で、お父さんも行くから・・・」と書いてありました。でも、さいごに「〜自分は、行けなかった(勇気がなかった・・・)。」と書いてあり、死ぬことを自分からしてはいけない。子供の分まで、生きることのほうがいいと思うし、死ぬための勇気を使うのではなく、生きるため、生きている時に勇気を使うことのほうが大切だと思った。
 ヒロシマに来て、戦争とは、本当に悲惨なことであり、二度と繰り返してはいけないことだということがとてもわかった。


 「原爆の意味」 二年 奥埜 のぞみ

「ミーンミーン」
 八月六日、ちょうど暑くなってきた朝の八時頃。原爆投下の時刻に相生橋で黙祷を捧げた。
 私が、この合宿に参加したのは二度目です。広島では、去年とはまた違う、いろんなことを、考えたり、学んだりできました。その中でも、一番印象に残ったのは、相生橋での黙祷です。
 目をつむって黙祷を捧げていると、一九四五年のその時にいるような、なんともいえないとても不思議な、そして複雑な気持ちになりました。
 原爆の落ちてきたその時、この場所にいた人達は何を思っていたのでしょうか。それとも何も思う間も無くこの世を去ってしまったのでしょうか。
 戦争は、人を殺すだけでなく、その遺族、またたくさんの人を傷つけて苦しませています。特にこの原爆は、一発でとてもたくさんの人を殺し、重い病気を与え、今でも多くの人が苦しんでいます。
 このことをきっかけに、反戦運動が強く行われているにもかかわらず、世界では、いまだに戦争は絶えません。
 私達は、いま一度、原爆によって死んでいき、苦しんでいる人の意味を考え、平和について考え直すべきだと思います。
 かといって、私は、自分で何ができるかと聞かれたら、答えられないと思います。けれども、この合宿に参加したことを少しでも生かし、これからも平和について考え、少しでも平和に貢献していけたらと思います。
   ?戦争反対?


 「訪れて知った本当の恐ろしさ」 二年 川本友美

「広島は、世界で初めて核兵器で空襲された所なんだよ。」そんなことを学校で習ったけれど、そのときは実感など全く無く、ただ先生が言われることを聞き流して、授業の後の感想文とかでも「許せないと思った。」とか、そんな当たり前のことしか書いていなかった。でも今回の巡礼で実際に見て、聞いて、触って感じました。とてもではないけれど「許せない」の一言では片付けられない出来事だったことを。原爆ドーム・慰霊碑・資料館などの前に立ったときなんとも言えない気持ちになりました。今、私が立っているこの場所でいったい何人の人が苦しみ、死んでいったのか。そう考えると今私が生きていることが最高の幸せだと気づきました。絶対、原爆の犠牲者になりたくて被爆した人なんていません。みんな苦しいけれど一生懸命に明日に向かって生きていたのだと思います。でも、その何万人という人の『明日』を奪った原子爆弾の使用を許してはいけません。許せるものではありません。
 資料館には目を向けるのも恐ろしい展示物がたくさんありました。みなさんにもぜひ見てほしいと思いました。やっぱり今までの私のように恐ろしさを知らずに過ごすよりも、一人でも多くの人に見てもらって、核反対の声を上げてほしいです。
 私達の平和は私たちで作るしか方法はありません。
 一日でも早く戦争が終わり、平和な暮らしができますように・・・。


 「ヒロシマと平和」 二年 平竹 穣

『ちちをかえせ、ははをかえせ』
 これは、峠三吉詩碑の碑文の一部です。ぼくは、この詩の、原子爆弾によって奪われた、家族や、元気だったころの自分、そして平和を返せという気持ちにひかれました。効用に思った人は実際、たくさんいたと思います。当時はプレスコードやラジオコードによって原爆の惨状を知らせたり、原爆投下の非人道性を訴えることを禁止されていたにもかかわらず、「原爆詩集」が発行禁止にならなかったのは、平和を願う人々の力が支えになったからです。
 原爆の子の像も皆の願いで建てられました。広島の子供たちから、全国、さらに海外の人々からも支援の手が差し伸べられた結果、二年後の「こどもの日」に像が完成しました。
 平和を願うことは、人間的なことをするきっかけになり非人間的な考えを抑えることができると思います。


 「ヒロシマ」 三年 山本 啓

 広島は世界で初めて原爆の被害を受けた街です。私達は原爆の恐ろしさを資料館で勉強しました。広島に落とされた原爆「リトル・ボーイ」は爆心地から半径二キロメートルの市街を一瞬で廃墟とする力があったといいます。日本も世界も核の恐怖をまざまざと見せつけられました。
 しかし今日、更に強力な爆弾が開発されています。このままでは世界は確実に滅亡してしまうでしょう。再び戦争が起き、多くの命が失われています。
 何故戦争をするのか。下らない大義名分を掲げてイラクを侵略するアメリカは狂った人殺しと変わりないと思います。しかし平和にはそういうことが必要なのかもしれません。人が黒焦げになり、血を吐き、体のいたる箇所が千切れて苦しんでいる風景。これがアメリカにとっての平和なのでしょうか。
 私達が見に行った灯篭流し。平和を願って灯のともった灯篭を流す行事です。しかし私は、この火が核を、アメリカを、自分の死を呪っている火に見えて仕方ありません。この思いは、この世から核兵器も戦争もなくなるまで続くでしょう。
 平和は笑顔です。元気の源です。今の人々が求めている平和は核兵器にも、正義の名の下の戦いにもありません。愛の心が真の正義、神の御心なのです。戦いに作られた平和は平和という皮を被った地獄です。和解の心により作られた平和がいつか来ると私は信じています。

 火に飲まれ屍漂う元安川
  七色灯篭今流れけり


 「ヒロシマの平和について」 四年 高橋歳文

 広島と言えば、戦争というイメージがあります。今まで僕は、平和についてあまりピンとこないものがありました。原子爆弾は、おそろしい、とか、多くの人が亡くなったとかしか思っていませんでした。しかし、ヒロシマの原爆ドーム、原爆の子の像など、いろいろなことが分かりました。戦争は、あらゆる所で起こっています。人間の心が平和に少しでも向かえば、戦争は止められると思います。平和祈願ミサでは、世界平和について祈りました。たとえ日本だけが平和でも、同じ地球上の生物として、他国も平和になってほしいです。たとえ何千年かかろうとも。原子爆弾の本当の恐ろしさが少しでも分かってよかったです。この合宿は、地球平和のためにはとても必要だと思います。まだまだ世界には多くの核兵器があります。人間の罪は重く、支えきれません。いかに早くみんなの心が合体して少しでも早く人間の過ちに気づき、平和になってほしいです。広島は平和についてとても考えさせられる所です。広島に落ちた原爆で、どれだけ多くの罪もない人たちが死んだかをよく考え、二度と戦争の道を歩むことのないよう、神様と力を合わせて、平和への歩みを一歩一歩少しずつでもいいから作り上げていきたいと思いました。


 「広島へ来て」 三年 伊藤大樹

 広島と言われると原子爆弾を世界最初に投下され、多くの犠牲者が出た都市として強く印象に残っています。初めてヒロシマに来て、原爆ドームを見た時に、原爆の破壊力を知りました。写真で見たものとは違う雰囲気を漂わせており、何かを訴えているようでした。あれを見ると、平和という文字がいっそう大切で追求しなければならないと思います。平和と一言でよく言うけど、平和という文字は、たくさんの意味を含んでいると思います。この広島平和巡礼でその言葉が持ってる意味が少しながら分かってきました。今までは「戦争をしない」というのが平和だと思っていましたが、それ以外の意味もあるということを知りました。世界中の核兵器をなくすことだけでなく、もっと人間一人一人が安心して暮らせる社会にしていかないといけないと思います。一人では平和を追求することはできません。みんな一人一人が平和ということをしっかり理解して、平和を求める意志が大切だと思います。やはり一番大切だと思うことが一人一人が力を合わせることだと思います。一人では、何もできないので力をあわせることにより、大きなことでも成し遂げられると思います。広島平和巡礼をして、平和についての考え方が少しずつ変わってきていると思います。平和になることを願い、僕も力を合わせていきたいと思います。


 「広島平和巡礼に来て」 四年 藤村知恵

 私は、今回の広島平和巡礼に参加して、改めて戦争の恐ろしさ、原子爆弾の恐ろしさが分かりました。私は二年前にも参加し、その時の作文でもこの二つのことを最初に書いたと思います。それでもやっぱりこの広島に来てみると、このことがすごく頭に残りました。
 私は、戦争で物事を解決する、ということは無理だと思います。なぜかというとたくさんの人々が死んだりするだけだからです。今、イラクとアメリカとかが戦争をしているけれどその国の兵士じゃない人もたくさん死んでいるらしいし、家がなくなったり食べ物がなく苦しんでいる人、そういう人を出すために戦争をしているわけではないはずなのに、そういう人も何千人、何万人もいるから物事のを解決には、戦争でなくて、話しで決めてほしいと思いました。
 原爆の恐ろしさは、ある程度は知っていたけれど平和記念資料館での展示などを見ると、そんな簡単に「原爆は恐ろしい、こわい」と言えるレベルじゃないと思いました。広島に落ちた一発の被害がどれだけのものだったか他の国も知っているはずだと思うけど、まだ、ロシア・アメリカ・をトップにして、たくさんの国が核兵器を持っています。私は早く核兵器などのない世界になってほしいです。そして戦争などのない世界になってほしいです。そのためにも、まず、みんなが一つにまとまることが大切だと思いました。そして、日本はもう二度と戦争をしない、ということを守り続けて、それを世界に広げていってほしいと感じました。


 「広島平和巡礼をして」 三年 青井輝希

 今回、八月六日を初めて広島で過ごした。毎年この日には朝からテレビで記念式典の中継をしたり、原爆についての特集をしたりするのを見ていたが、現地広島でこの日を過ごすのとはぜんぜん違った。こんなにも沢山の人々が集まるとは思っていなかったし、いろいろな考え方を持った団体が数多く主張しており、色々と平和について考えることができた。外国人の人もたくさん来ており、一緒に世界の平和を願えるのはとてもいいことだと思う。今回、この行事に参加して、改めて平和の大切さ、そして戦争の悲惨さを知ることができてとても良かったと思っている。
 さて、自分は「平和記念資料館」にも行ったのだが、ここでも原爆という兵器の恐ろしさについて色々と知ることができた。たった一個の爆弾で約二十万人もの人命が失われたのは本当に恐ろしいことだと思う。どろどろに溶けてしまった河原やビール瓶を見ることによっても原爆の怖さを知ることができる。
 このような悲劇を繰り返さず、平和な世の中を作っていくのはとても大事なことだと思う。今回、このような体験ができて、本当に良かったと思う。


 「広島平和巡礼に参加して」 四年 森田貴和

 今回は三回目の参加となりました。私が毎年参加している理由は特になく、当たり前のように今年も来ました。
 一日目は、平和行進に参加しました。今年は去年ほど暑くなかったので、とても歩きやすかったせいか、自然に声が出て大きな声で歌うことができてうれしかったです。平和記念聖堂に着いたときは達成感がわいてきてうれしかったです。その後のミサで私は、本当に世界から“戦争”の二文字が消えてしまえばいいなあと思いました。
 二日目、相生橋の上で原爆が落とされた八時十五分に黙祷したとき、被害にあった人はどんなに苦しく、辛かっただろう、苦しむ間もなく一瞬にして死んでいった人達はもっと辛かっただろうと思いました。
 碑めぐりの後に行った原爆資料館では、今までなら適当にしか見ていなかったり、時間が足りなくてあまりゆっくり見ることができなかったところも中学最後の年にゆっくり見ることができてよかった。たった一つの原爆でたくさん何の罪もない人々が死んでいったのはすごく辛く、悲しいことだと思いました。
 原爆を落とされた日本は犠牲者です。でも、一番最初にこの大きな戦争を始める原因を作ったのは日本です。だから、自分たちが被害者だというのもよいけれで、自分たちが戦争を起こしたことを反省しなければいけないと私は思います。
 私はこの合宿に参加して今回で三回目となりましたが、一番良く平和・戦争について考えたのが今回の合宿だったと思います。今度はいつ広島を訪れるかわからないし、もう二度と来ることがないかもしれないけれど、今回の合宿を通して感じたことを忘れないようにしたいと思います。
 一日でも早く世界に平和が来ますように。


 「広島平和記念公園で」 三年 川本瑞穂

 私が広島に来た理由はただ行ったことがなくって興味半分の気持ちで来ていた。私は今回が初めてでどこに行くにも楽しみだった。
 一日目には、平和行進がありました。五十八年前に初めて原爆が落とされたところは見てないけれど近くの原爆ドームを見るととても迫力があり、当時のことが分かりそうな気分でした。行進は、歌いながらの行進でみんなが心を一つにして、歩けたと思います。その後のミサも五つの灯がつけられ平和を祈るミサができたと思います。
 二日目は丁度、原爆が落ちた八時十五分に黙祷をしました。一分間だったけど被害にあった人達にお祈りした。原爆の子の像のところに行くといろんな人が千羽かどうか分からないけどたくさんの鶴を折ってかざっていました。先日、約四分の一の折鶴が誰かによって焼かれていました。けれど、今日行ってみると、焼かれた上からまたたくさんの折鶴や折り紙が置かれていました。
 平和記念資料館の展示品は本当に見るのがつらかったです。残っているものでもほとんどの物は焼け焦げたりしていてほんの一部分の所が展示してたりしていました。病気やひどいけがの子の写真を見ると涙が止まらなくなってしまいました。当時の人達の写真は背中全体がやけどでおおわれていたり、病気で口の中や指が傷でいっぱいでつらかったです。私はこの資料館に来て平和というものは一人ではできないし、一人でも平和を望んでいなかったら平和は手に入らないと分かりました。戦争のこともいろいろ分かりました。本当に見るのはつらかったけど、当時にいて原爆の被害にあった人の方がつらいと思った。
 私はこれからもっと戦争のことや原爆のことを知らなければならないと思いました。もっと知って完璧に分かったところでもう一度広島に来たいと思います。



          草津教会 新井由郁
 私が八月六日を迎えるのは三度目である。その度に「平和」について考え、戦争についても考えてきた。今回六年ぶりに広島に来て今まで以上に感じることが多かった。
 二〇〇三年の平和宣言に以下の文があった。「報復」という闇に対して、「他の誰にもこんな思いをさせてはならない」という、被爆者たちの決意から生まれた「和解」の精神は、人類の行く手を明るく照らす光です。私はこの文から「闇」をつくるのも「光」をつくるのも人間から起こりうるものだということを再確認した。そしてやはり平和になるためには全ての人がお互いを愛し、互いが手を取り合い、協力が必要なのだということに気づかされた。
 今回、中学生を引率するという立場から平和を考えていくことは難しいものであった。平和を理解しているように思っていてもやはり、未熟な点も多く、学んだことがあった。そして様々な人々の協力、支え、励ましがあったからこそこうして「平和」について「戦争」について考えることができた。中学生が平和資料館を見ている真剣な目、そして素直な想いをきいて私はヒロシマに来て良かったと思えた。来年も再来年も中学生に「平和」を考えて言って欲しい。何よりこの巡礼が無事に終われることを神に感謝したい。


 「平和をつくるために」 河原町教会  藤田智子

 今年は、アメリカのブッシュ大統領がイラクを空爆するように指示したり、日本もアメリカを支持する立場をとって、平和が危ぶまれる時代になって悲しかったです。戦争は人間の仕業という言葉が耳に残りました。中学生たちと分かち合いの中では、人間が神様に愛されているということを知っていたなら、戦争は起こらないだろうという意見が出ました。そして自分だけが良かったらいいという考えが、戦争につながっていく怖さに気づきました。みんなで考えてとてもよい共同祈願を神様にお捧げすることができました。今年はみんなで千羽鶴もつくりました。目に見える一つのものができたことと、放火された原爆の子の像の千羽鶴が人々の善意でいっぱいになっていたことがうれしかったです。資料館では被爆者がこの目で見た体験がそのまま絵と文章で描かれていて生き地獄の様子が伝わり、
涙をグッとこらえました。娘を自分の手で焼かなければいけなかったお父さんや、建物の下敷きになったわが子を助けられないまま逃げるしかなかった母親の悲しみと自責の念が伝わり、胸を痛くしました。
 人間は戦争を起こすこともできるし平和を作り出すこともできます。本当に神様を信じる人は戦争しないと思います。私たちキリストを信じる者たちはイエス様の残した遺言をいつも心に留めて、生き方を通してこの世に平和の証をしていきたいです。


 「広島平和巡礼に参加して」 大津教会 藤森めぐみ

 一人一人がそれぞれの動機を抱いて広島平和巡礼に参加したわけですが、参加者四十二名が八月五日からの三日間、一つの目的―広島の原子爆弾投下で犠牲になった人々の叫びを聞き、キリストがわたしたちに示された「平和」を模索する―に向かって実りある日々を過ごすことができたように思います。
 一日目の祈りの集いや平和行進、カテドラルでの平和祈願ミサでは私たちがカトリック信者であることの自覚とともに、兄弟同士の一致による愛、平和を大切にしておられたキリストのことを思い直すきっかけになった。全国の仲間と出会ったことは深い喜びになった。
 二日目においては、平和公園内に数多くの碑があることに改めて驚いた。平和公園は爆心地のすぐ近くの場所として、その悲しい事実と、平和の大切さを私たちに叫び続けている気がしてならない。
 今日は広島という地で何の罪もなく尊い命を失われた人々の叫びがあることとともに広島という地自体が叫びを持っていて、これからも持ち続けるということを思わずにはいられなくなりました。
 戦争と平和についてゆっくりと考えることができた三日間でした。戦争の恐ろしさと戦争がもたらす悲しさを感じた人間の一人として、力強く平和を望んでいきたいと思います。


 「みんなのヒロシマを読んで」 奥村豊

 参加者の力作に一通り目を通してみて、印象に残ったことをひとつだけ書かせていただく。これらの作文は二日目の晩、疲れも最高潮に達したころ、短い時間で書かれた。その悪条件の中、真剣に取り組んでいた中学生の諸君の姿はとても輝いていた。そして出来上がったのがそれぞれのヒロシマである。
 中にはグッと来る名作もあるし、静かに淡々と語りかけるようないかす作文もあった。どの文章にも共通しているなあと感じたのは、一見拙さのある言葉使いの中に、「これを表現したいんだ」という苦悩の跡が見受けられることだ。本当に言いたいことはそんなにたやすく書き表すことはできない。自分の持っている言葉を総動員し、つないでは切り、切ってはつなぎしてようやく言いたいことのほんのわずかの部分が見えてくるのだと思っている。しかし、みんなの作文から見えてきたのは決してわずかの部分ではなかった。今回見出した新しい発見や決意を、どうかさらに深めていっていただきたいと思う。



2002年 教区中学生広島巡礼




広島平和巡礼旅行   河原町教会 一年 神谷 麻梨

 私は広島の原爆の被害については、資料などでみたり聞いたりしていましたが実際に広島に行くのは初めてでした。
 私がこの旅行で一番心に残ったのは、平和記念資料館にあった被爆したお母さんと子供がおたがいに心配しあっている絵でした。相手のことを思いやる心はすばらしいと思います。

平和行進では、みんなで聖歌を歌いながら歩きました。私は、4人の人と一しょに横断幕をもたせてもらいました。大勢の人と心を一つにして歌って歩くのは、とても楽しかったです。教会につくと、いろいろな国の方々と一しょにごミサにあずかりました。と中で歌の手話もしました。手話でもごミサが行われていました。体の不自由な方や他の国の方と一しょにミサにあずかることができて、とてもうれしかったです。

 わかち合いでは、戦争が起こる原因や今、平和のために自分ができる事を考えました。みんなが平和について考え、自分にできることからはじめていくことが世界平和への第一歩だと思います。自分の都合で物をみるのではなく、それが世界にとって良い事なのか、悪いことなのかしっかりとみきわめる力が必要なのだと思いました。自分の思い通りにならないことを無理に通したり、力で思い通りにしようとすることは戦争につながるから、自己中心的な考え方ではなく、一人一人が協力しなければいけないとも思いました。

 私が、この合宿で感じたことは、やはり、戦争はしてはいけない、核兵器を使ってはいけない、ということです。国の中の代表の人が他の国とけんかをしてしまうことで、関係のないたくさんの人をまきこむ戦争になってしまうのです。すぐ戦争をもちこもうとせずできるだけ平和になるように努力してほしいです。



広島平和巡礼   河原町教会 中学一年 奥埜 のぞみ

 一番心に残ったのは「平和行進&平和祈願ミサ」と「新しい友達ができたコト」です。
京都の平和行進は何度か参加したことがありますが、こんなに大勢で歩くのは初めてでした。何よりもたくさんの教区で歩いたという事が、とてもうれしかったです。いろんな教区の人とふれあうことなんて、めったにないと思います。

 行進は夕方からでしたが、とても暑く、汗が吹き出してきました。私と神谷さん、白濱さんは、「カトリック平和行進」と書かれた横断幕を持って行進することになりました。
歩きながら、みんなで聖歌を合唱しました。長い距離でしたが、みんなで歩いたのであまりつかれず、元気に広島のカテドラル「のぼりまち教会」に着きました。

 教会は、河原町教会よりも広く、私の行ったことのある教会の中では一番大きかったです。中は、正面に大きなイエス様の御絵がありました。ミサは、たくさんの神父がおられ、五人の司教様がミサを行われました。あんなにたくさんの司教様のおられるミサにあずかったのは初めてで、うれしかったです。

 平和のあいさつのときは、神父様方、司教様方が祭壇から降りてこられみんなと平和のあいさつをかわされました。
 ミサには、スリランカや、韓国の方など、いろんな国の方も来ておられました。
ミサが終わった後、私は、とても新鮮な気持ちになりました。戦争なんて、本当にこの世にあったのだろうか?今、みんなとても仲良くしているんじゃない?とても不思議な気持ちになりました。

この世に戦争なんていらない。はやく戦争がきえてほしい?この世に核兵器なんていらない。はやく核兵器が消えてほしい。心からそう思いました。
私は、この合宿に、来年も参加したいと思います。そして、これからも、平和のために祈り続けたいと思います。



広島平和巡礼の感想   青谷教会 三年 木原 徹也

 広島に、くるのは、今回はじめてだった。ちょっと不安もあったけど、たぶんだいじょうぶだと思った。
 当日、電車で京都駅に、一五分ぐらい前に集合場所っぽいところにきたけど、京都教区の団体っぽいところは、見つからなかった。十時を二十分ぐらいすぎたところで、神父さまがきたので、きっぷをもらいいそいで新幹線のホームにいきなんとかまにあった。

 二時間ぐらいして広島についた。一時ぐらいに観音町教会につき昼食を食べた。自己紹介などをして五時くらいに教会を出た。

 原爆供養塔あたりにつき、六時から祈りの集いをしてそのあとに平和の行進をし、大きな教会に着いた。行進中後ろの団体が大きな声を出して歌っているのですごいと思った。教会で平和祈願のミサをし、風呂に入り、一日目が終わった。

 二日目は、朝六時とたいへん早かった。七時ぐらいに教会を出て八時十五分に相生橋の近くで黙とうをした。そのあと公園の中の慰霊碑をまわり、原爆資料館の中に入った。そこには、やけどのあとの写真や、がれきなどがあり、かなりひどいと思った。二度とこんなことをしてはいけないと思った。

 資料館から帰り、教会で平和の学習をした。その後共同祈願の作成をした。考えるのはむずかしかったので、少しみじかくなってしまった。みことばの祭儀のとき、少し短くていいづらかった。

 六時半ごろに、相生橋のところで、灯籠流しを見た。明るかったのでひかっているのがちょっとわからなかった。
 作文はちょっと苦手だったけどこんなにかけてよかったと思う。



世界へのアピール   草津教会 中学二年 奥澤 良尚

 僕はこの広島の平和学習は、二回目です。僕がなぜ、もう一度広島へ行こうと思ったのかは、それはやはり平和学習をもっともっとふかく考え、忘れかけていた原爆投下をもう一度心に思い浮かべることが目的でした。やはり一年もたつと忘れかけていました。広島で起こったことは、本当に忘れてはいけないことだと思いました。それと、後もう一つの目的は、ぜんぜん知らない教会の人と友達になることでした。この前来た時も、沢山の人と親しくしゃべり友達になることができました。だから、今年も友達になれたらいいなと思い、広島へ行くことにしました。

 広島に着くとまず、平和公園に集まり沢山の人たちと、平和行進をしました。広島の町の中を広島の人たちに向かってアピールしながら、歩いていきました。町の人たちは僕たちのことを見て、写真を撮ったり手をふったりしてくれました。しかし時々、「何バカなことしてんだよ」ひどいことをいう人もいました。すごくいやな気持ちになりました。人間には、いろいろな人たちがいるんだなと思いました。そして、教会に着き沢山の神父様、司教様がミサをあげました。そのミサで一番よかった所は、やはりみんなであく手をしたことです。知らない人とも笑顔で手をにぎり合いました。本当に感動しました。あく手だけで胸がいっぱいになったのは、初めてです。本当にこのミサでは、ふだんあじわえない感動や気持ちが味わうことが出来ました。ほんとうによかったです。

 二日目は、平和公園に行き沢山の原爆でおこったことが慰霊碑になっているのでそれを見ました。本当にどれも原爆のむごさが表れている、ざんこくなものばかりで戦争の様子がくわしく分かりました。どうしてこの人たちが亡くならなくてはいけないのか、どいしてこんな目に遭わなくてはいけないのかと強く思い、本当にかわいそうになりました。急に原爆が落とされ、家族も自分も友達もみんな亡くなってしまう本当に信じられないことです。その人たちは、本当にくみきれないほどの苦しみと悲しみを味わったと思います。こんなことは、ぜったいあってはいけないことです。僕は本当に心にそのことを確信しました。この広島の平和学習では、原子爆弾がどんなけ恐しいか、どんなけ人を苦しめ悲しませるのか本当にそのことがよく分かりました。このことをもっともっと世界にアピールし、広め、世界中の人たちが核兵器のある世界がどんだけ危険かということが一人一人理解できるようにしていかなくてはいけないと思いました。一日でも早く平和な世界がきてくれるように祈っていきたいです。



中学生広島平和巡礼  草津教会 2年 三村 峻介

 僕は、この広島平和巡礼に去年、今年と来ました。今年は、去年より真剣に説明を聞いたり、展示品を見ることができ、戦争というものがどういうものかより良くわかりました。ただ、指示にすぐ従ったりはできませんでした。
 今年一番心に残ったことは、核爆弾の恐ろしさです。建築物や、橋を爆風で吹き飛ばし、熱で金属や人間の体を溶かし、爆心地から数キロ離れた所でも多くの被害を出した爆弾を今も様々な国が持っています。しかも広島や長崎より強い爆弾を今も多くの国が持っているのには驚きました。

 また、マルセル・ジュノー博士にも驚きました。連合軍捕虜の動静を調査するため日本に来て、その惨状を知り、戦争が終わってから医薬品を持って、被害調査に当たるとともに自らも治療をしました。自分の国が戦っている国の人を助けるのは勇気がいることだと思います。それでも、人のために治療に携わり、多くの人を助けたマルセル・ジュノー博士は、本当にすごい人だと思います。
 戦争には、様々な原因があると思うけど僕らでもその原因を少しでも知っていかないといけないと思うし、できれば、その原因を少しでも取り除かないといけないとも思います。
また、僕らでもできるようなことも色々あると思います。お互いの考え方を知っていったり、差別などをしないようにすること、人を大切にすることや許すことが大切だということがわかって良かったです。
 この広島平和巡礼で、さらに色々なことが分かりました。このことをこれから生かしていきたいです。



中学生広島平和巡礼    伏見教会 中学一年 太田 有己

 僕は、この広島平和巡礼で初めの友達は岩崎君しかいませんでしたが、京都駅で班に分かれ新幹線にのった時のとなりは田附君でした。その子は観音町教会での五目並べの友達になるとは思いもしなかったが、現実そうなりました。そして広島駅に着くまでは寝ていました。広島駅からは西広島までJRで行きました。こうして観音町教会まで行きました。行ってしばらくたつと、オリエンテーションが始まりました。初めから早々、自己紹介でしたがそういうのはなれているので緊張はしませんでいた。次は平和学習でした。一斑のたんとうは奥村神父さんで、戦争について考えた。そうして考えているうちに平和行進の時間になりました。行進しているときは、すこしはずかしかったが世界平和のために歩き続けたら教会が見えてきました。この教会は伏見教会の3倍近くに見えたが、中に入って見ると3倍以上もあるように見えた。ミサが始まりすぐに腹が減りましたががまんした。ちなみに、その日の夕食は11時になりました。
 ミサ中はずっと広島で原爆にあった人のことを考えながら司教様の話を聞いていました。そして、けん金の時は110円をけん金した。それからご聖体をいただき帰りました。それからせんとうへ行きそれで夕飯を食べ寝ました。
 よく朝、6時には起きたが眠かった。そして8時15分、相生橋で黙とうをささげそれから「原爆の子の像」「原爆供養塔」「韓国人原爆犠牲者いれいひ」「被爆した墓石」「原爆犠牲」「マルセル・ジュノー博士記念ひ」「峠三吉詩ひ」などにもくとうした。それから、平和記念資料館は広島の人々の苦しみが心に深く感じられた。夜からは、灯籠流しでした。
 僕はこの平和巡礼で一番心に残ったのは、第一に人々の苦しさ、第二に灯籠流しが心に残った。



広島平和巡礼に参加して 伏見教会 1年 岩崎 太郎

 僕はこの平和巡礼に初めて参加した。最初は「友達ができるかなあ」や「友達ができても仲よくできるかなあ」といろいろ心配していました。けど2日間で友達とはいえなくても、しゃべれる人はたくさんいます。しかもみんな優しくしてくれてよかったです。
 そして1日目、広島について少しなつかしかった。というのも、小学6年生の春に修学旅行で来たからです。しかもスケジュールは全く同学年の田附君と同じです。
 そして平和のことを勉強して思ったのだが広島や長崎に原爆が落ちてかぞえきれないぐらいの人が犠牲になったけど、こんなに大きなことがおきたから今の日本は平和なんだと思います。そうでなければもっと長いこと日本は攻撃されて“大阪大空襲”などのように
“広島大空襲”や“京都大空襲”とかがあって原爆よりもっとたくさんの人が死んでいて
僕達がいなかったかもしれないし、いたとしてもまだ戦争中だったり、こんなに文明も発達していないかもしれないと思いした。
 1日目に平和行進をしたけど最初は少しはずかしかったけど、広島の人や被爆した人などの人には笑われても一番気持ちが伝わったと思います。
 2日目、資料館に行って思ったことは、少しむごいというか「うわぁ:」と思うところもあったけどそういうのをさけるのは嫌だけど死んでしまった人にしつれいなのでしんでしまった人のその時の気持ちを考えながら見ていました。
 これからもこんな力や金や土地のこととかだけで人の殺し合いにならないように平和に世界がなってほしいです。
 けっこう楽しい巡礼なので来年も行きたいです。



広島のおもいで 河原町教会 一年 田附 志郎

 中学生広島平和巡礼の月曜日、京都駅で集合しました。ぼくは、最初友達はあまりいませんでしたけど、カトリック観音町教会の一日目の夜、友達がいっぱいできました。やっぱり友達がいっぱいできるのはとってもよいものだなあーと思いました。友達ができた訳は囲碁でした。ぼくは、あまり囲碁のやり方がわかりませんでしたけど、みんなが急に教えてくれて囲碁がやっとわかりました。まず、最初に「五もく並べ」でした。五もくならべはなんとなくしっていたのでやってみました。しかし、一回目、二回目、三回、すべて負けてしまいました。でも、とっても楽しかったです。そして、囲碁が終わった後、僕はすぐに寝てしまいました。しかし、なかなか眠れませんでした。はじめて、教会でとまるなんて思わなかった。二時まで起きていました。そして、二日目、朝から原爆ドームや原爆の子の像なおいっぱい見ました。でもいろいろみていると、とてもかわいそうに見えてきました。だから、ぼくはこう祈りました。原爆さえなければ、いっぱいの人々が生きていたのに:。ぼくがこの時代の天皇なら、すぐに戦争をやめていたのに:。今度は、し料館に行きました。し料館の中にはかわいそうな死に方とかをした人や、原爆のせいで母親や父親が死んだりして、自分一人ぼっちになって誰もいないなんて最悪だ。し料館のあるわけは、もう戦争なんてやらないでと言ってるにちがいない。広島はなんか、多くの人々が死んでかわいそうだ。だから、僕は教会でいっぱい祈った。たぶんみんなは多くの人々が死んでこの死をむだにしないとちかったと思う。
 広島へ行って一番、大切なのは、みんなをやさしく、みんなと協力して戦争をなくすことだ。



広島巡礼 唐崎教会 2年 山本 啓

 今年、初めて広島巡礼に参加しましたが、いつもと違ったミサや行進もあり、とても楽しく活動できました。
 最初は、少し暗めの中学生軍団の気分になじめませんでしたが、段々活動していくうちにとけこんでいけるようになりました。しまいには、五目並べや、ダジャレを極めるようになりました。
 行進とミサの連続など、結構ハードなスケジュールでしたが、これもなれていきました。しかし、ミサをあそこまで大きな教会で行うのは初めてだったので、いい経験になりました。一日目の事です。
 2日目は、原爆資料館へ行きましたが、結構恐いです。泣きそうです。「こんなん一生見たくないな。」と思いました。改めて原爆の恐ろしさを実感しました。
 広島を巡りながら、「なんで戦争なんかするんやろう」。そんな事を始終考えていました。「国のため」とか「報復」とか言い訳なら何千もあります。昔の演説の中に、「人一人を殺すのは重罪なのに、どうして大勢の人を殺す戦争は許されるのか。」という一文がありますが、正にこの通りだと自分は思います。いくらどんな理由があろうと、人を何人も殺して平和と富を手に入れる事は間違っていると思います。
 血にまみれた「正義」は言い訳です。弱い人達を下にしいて作る「平和」は自己中の固まりです。この世界を真の「正義」と「平和」で満たすには、人を赦し、思いやる事が重要だと思いました。
 最後に、今回お世話になった人達へ。どうもありがとうございました。また来年も来たいです。



広島平和巡礼に参加して 八幡教会 2年 辻本 佳恵

 私は、今年初めて参加してちょっぴりきんちょうしてて、でも少し友達ができるかなぁと思ってたけど、すぐに友達ができて安心しました。一日目に友達といっぱい話ができてとてもうれしかったです。友達とごはん食べたり、できて楽しかったです。今日は、歩いてばかりで少しつかれたけど、友達といる時間がいっぱいできてうれしかったです。今日は、戦争に遭った人たちのためのおいのりができてよかったです。資料館では戦争についてくわしいことが書いてあって、私はなんでこんなひどいことをするんだろうと思いました。資料館の中を歩いてたら、おばさんの話が聞けてよかったです。そして、やどに帰って自由時間に友達と3回もオセロをしました。とても楽しかったけど、一回目は勝ったけど、後の二回は負けてしまいました。ちょっぴりくやしかったです。そして、お昼ごはんを食べました。食べる時にリーダーと友達といろいろ話ができてよかったです。ごはんを食べてから部屋へもどって友達とたくさん話ができてとても楽しかったです。そして、みことばの祭儀をして、少しきゅうけいしてから、夕食を食べました。夕食の時も、友達やリーダーと話ができて楽しかったです。夕食を食べて自由時間になってとてもつかれたから横になってたら、集合時間になったから集合場所にいって灯籠流しへ行きました。まだ、ろうそくがついていなかったけど、だんだん時間がたつにつれて、ろうそくがどんどんついてきました。とてもきれいでした。私はみんなの思いが神様に届けばいいのになぁと思いました。とうとう明日はみんなとおわかれしないといけないけど、また、来年会えるといいなぁと思いました。



広島の風景 奥村豊

 広島を訪れるのは何回目だろう。修学旅行や個人的な旅を含めると十回は来ているかもしれない。その中でこの中学生との広島巡礼では、平和や戦争という方向性が定まっているので私自身いろいろと勉強ができる。そして、中学生の諸君にもこちらの意図したことを学んで帰ってもらおうとそれなりに工夫するのである。ところが彼らはこちらの意図したこと以上に(こちらの意図とは関係なく)多くのものを持って帰るようだ。
 多くの諸君が戦争と平和について、人間の尊厳について真剣に考えてくれた。また、ミサに与る喜びを感じてくれていたし、短い旅でありながら、新たな友をつくることもちゃっかりと忘れない。様々なことを見聞きするだけでなく、他人への気遣いや優しさの表現を通して未知なる者との遭遇を恐れずに受け入れることのできるたくましさをわたしは彼らの中に発見した。見知らぬ者との接近遭遇、そこで物怖じせず対話していける力こそが実のところ平和への第一歩なのかもしれない。むしろそこのところが欠如しているのが大人の方ではないのかと思うとき、世界の指導者たちの人見知り加減は甚だしい。うまくコミュニケーションができない故に「ボカン」とやってしまう。なんとも情けない次第である。あの国とあの国とあの国の指導者を無理やり広島巡礼に連れて行きたいものだ。
 ともに旅をしなければ通じ合えないものもある。

2001年中学生広島巡礼



1.はじめに
 今年の中学生広島平和巡礼は、8月4日(土)〜8月6日(月)の3日間行われ、19人の中学生と大塚司教以下10名のリーダーが参加しました。この巡礼は、毎年8月6日、原子爆弾犠牲者の追悼を行う広島市民の「平和を願う心」に触れ、「ともに手を取り合って、友情と団結のある未来をつくる」ことの大切さを学ぶために行われています。今年の巡礼は、青少年委員会中学生広島巡礼担当の三宅神父、北村神父の企画のもとに行われました。

2.巡礼のスケジュール   巡礼の主要な日程は次のとおりでした。 
 ◎8月4日(土)  ◎8月5日(日)  ◎8月6日(月)
9:47 京都駅出発
11:54 広島駅着
12:30 観音町教会到着、
     オリエンテーション
14:00 平和学習
     (学年別 分かちあい)
16:00 観音町教会出発
17:45 原爆供養塔前集合
18:00 祈りの集い・平和行進
19:30 平和祈願ミサ(カテドラル)
21:00 観音町教会帰着
8:15 平和学習
     (学年別 分かちあい)
11:00 観音町教会出発
12:00 司教団平和ミサ(カテドラル)
14:00 @ 平和公園慰霊碑巡り
     A ピースウォーク
     B 被爆証言と映画
16:00 平和記念資料館見学
17:30 観音町教会帰着
7:45 祈りのつどい
8:15 黙祷・観音町教会出発
9:00 原爆死没者慰霊碑参拝
10:26 広島駅出発
16:27 京都駅着

3.参加中学生とリーダーの感想文
 この巡礼に参加した中学生とリーダーの感想文の全文を紹介します。

<目次>
<中学1年生の部>

・ この合宿を通して学んだこと ・・・ 森田貴和
・ この合宿によって学んだこと ・・・ 小野田桂子
・ 早くなくしてほしい  ・・・ 大原晴貴
・ 二日間をふり返って ・・・ 山野 信
・ はじめての広島で  ・・・ 藤村知恵
・ 二日間をふりかえって ・・・ 三村俊介
・ 広島にきて…     ・・・光岡麻里
・ 広島体験学習(二日間を終えて)・・・ 奥澤良尚
<中学3年生の部>

・ 京都教区中学生広島平和巡礼 ・・・ 神谷ゆり
・ 「空」     ・・・ 杉野希都
・ 『ヒロシマ』 ・・・ 森 愛灯
・ 「広島平和巡礼の二日間を通して思ったこと」 ・・・ 山川 智
・ 「広島平和巡礼」に参加して ・・・ 奥埜 豪
<中学2年生の部>

・ 広島平和巡礼に参加して ・・・ 平野有紀
・ 広島で学んだこと  ・・・森 愛鐘
・ 広島体験学習にて  ・・・岡本真美
・ 感想          ・・・金子将也
・ 私達にできること   ・・・川本佳恵
・ 広島の合宿で思ったこと・・・小池彩子
 

<リーダーの部>

・ 夏の広島  田口公平
・ 第十八回京都教区中学生広島平和巡礼・・・ 片山十悟
・ 広島平和学習に参加して  ・・・ 藤田智子
・ 京都教区中学生広島平和巡礼に参加して・・・ 柳原真澄
・ 「広島平和巡礼を振り返って」  ・・・ 奥村 豊
・ 平和ではなく剣        ・・・ 一場 修


中学1年生の部

 この合宿を通して学んだこと  森田貴和

 私は、今回初めて広島に来ました。広島に着いて思ったことはまず、路面電車がまだ走っていることでした。
 今回の合宿の中で一番印象に残った話は、『佐々木禎子さん』の話でした。禎子さんは二才の時に被爆したにもかかわらず、十年も経ったころに障害がでてきて、十二才の若さで亡くなられました。自分とあまり年のかわらない人がなぜ、大人の勝手で死ななければならなかったのかなと思います。
 多くの犠牲を出した原爆が二度と使われないでほしいと思いました。それから、世界にたくさんある核兵器がこの世からすべてなくなればいいなあと思いました。


 この合宿を通して学んだこと   小野田桂子

 私は、前に一度修学旅行で広島に来たことがある。その時にも同じような話をたくさん聞いた。その話の中で、前回も今回も聞いた話はやはり『佐々木禎子さんの話』だった。
 禎子さんのクラスメートが禎子さんのために建てた『原爆の子の像』には、今も絶えず原爆で亡くなった子供達のために千羽鶴が置かれていた。私は、昔は戦争が良いことだと思われていたのが今では多くの人が戦争が悪いことだと分かっているので、戦争のない未来を予想した。
 戦争によってたくさん亡くなった人々の命をむだにせず、世の終わりまで平和な世界でいたいと思った。幸せというのは一人の人が幸せなのではなく、世界のすべての人が幸せなことを本当の幸せというのだと思った。だから小さな町と町が争っているだけでも本当の平和とは言えないと思った。


 早くなくしてほしい  大原晴貴

 ぼくは、この二日間をふり返って思うのは、もうこれいじょう戦争をせずに平和な世の中にしたいということです。
 まずなくしたほうがぜったにいいのは『核兵器』です。
 そのわけは、核兵器を使うと一度に何万人も死者がでるからです。この何万人もの人々がなんのつみもない人たちなのに死んでしまうのはすごくひさんだと思います。
 日本はたしかにわるいことをしてきました。中華人民共和国や朝鮮半島をおそったことなどがあったけどアメリカはアメリカでわるいとこがあるとぼくは思います。それは広島だけであれだけのひがいがあったのに長崎まで核兵器をつかったことです。
 そんなことが起きているので早く戦争をなくし平和な世界にしてほしいです。


 二日間をふり返って  山野 信

 僕はこの二日間をふり返り、戦争と核兵器のおそろしさを改めて思いました。
平和記念資料館で多くの遺品類を見ることで、核兵器のこわさをとても強く、思いました。(例えば、とけたビンや、絵、もけいなどが)今もなお後いしょうにくるしむ人々がいることにはとてもおどろきました。
 日本はアメリカやロシアなどの核をもっている国に2回の悲しき経験をいかして、核のおそろしさを伝え、核兵器をなくそうと呼びかけるべきでしょう。
 2日とも暑く、足のいたい日々でしたが、核兵器(原爆)や、戦争についてのとても多くのいろいろなことはしっかりと伝わってきました。
 ささきさだこさんや広島市立第一高等女学校他数多くの子供たちが死んだことのように戦争をしてはいけないと思います。


 はじめての広島で  藤村知恵

 私は、今回はじめて広島に来ました。私は本とかで、広島・長崎に原爆が落ちた時の話とか読んでまえから平和公園や資料館に行って、原爆の子の像とか見たかったのが見れてよかったです。
 さだ子さんの話しでは、ふつうに元気で目立っていた子が急に、重い病気にかかってしかも、長くてあと一年の命だなんて言われたら本人も家族も友達とかみんな信じられなかったんだろうなと思いました。私の祖父母の家の前の家の人が、中学か高校の時白血病で亡くなりました。まだその時は私は小さくて知らなかったけど今思えば、とても大変だったんだなと思います。
 私は今、健康に暮らせている事は、とてもうれしい事なんだなと思います。


 二日間をふりかえって  三村俊介

 一日目に、草津駅から、ヨゼフ館まで来るのに、電車と新幹線で三時間くらいかかって、けっこうつかれた。
 平和学習では、教皇ヨハネ・パウロ二世の平和アピールと、高等女学校の人の話と、佐々木禎子さんの話を聞いた。佐々木禎子さんの話を聞いて、感動した。ちょっとでも長く生きたいから、千羽づるを折ったりするのはすごいと思う。
 平和祈願ミサでは、眠たかったし、少し、眠りかけたのが失敗した所です。
2日目は、B24に乗っていた人の話と、アルペ神父様の話を聞いた。アルペ神父様の話を聞いて、けがをした人を助けたりした人がいるのにそれがぬけ落ちているのはおかしいと思った。
 平和公園に行って、原爆ドームや、原爆の子の像、いろいろな慰霊碑を見たりした。平和記念資料館では、佐々木さんのことがいろいろと、展示してあった。上では、核兵器のこわさがよくわかった。
 まだ、戦争をしたり、核兵器を持っている国があるけど、早くやめてほしいです。


 広島にきて…   光岡麻里

 私は、今回の合宿で初めて広島にきました。そして、原爆ドームをこの目ではっきりと見ました。その時から、一つ気になることがあります。それは、原爆が落ちた時にでた、放射能が、まだ残っていないのかと言うことです。でももし残っていたとしたら、今ごろ広島の人は、みんな大変なことになってしまっていると思います。
 私は広島に来たら、ゼッタイ見たいと思っていた物は、原爆ドームと、平和記念資料館だったので、二つとも見れることができたので、かなりうれしかったです。
 資料館に入って、ちょっとスゴイと思ったのは、禎子さんの写真を見ていて、禎子さんの、死んで箱に入っている写真を見た時です。見た時はこんな写真をかざってイイのかなとか思っていたけど、やっぱりスゴイかわいそうになってきました。その写真を見て泣いている人もいたぐらいだから、ちょっとビックリしました。
 そして、人が焼けている写真などを見ていたら、やっぱり戦争は、すごくこわくて、あぶなくて、ゼッタイにやってはいけないと思います。だから、これからはゼッタイに戦争をしないようにしてほしいです。


 広島体験学習(二日間を終えて)  奥澤良尚

 ぼくはこの広島体験学習で、戦争の恐ろしさと、むごさをすごく感じました。
 特に、「原爆資料館」では、戦争の様子が写真や、言葉で語られていました。
 原爆にあった人は、全身におお火傷をおい、皮ふが「ドロドロ」にとけていました。
 すごくざんこくな気持ちになりました。
 原爆のこわさは、それだけではありません。
 「放しゃのう」と言う物が十`bぐらいに広がり、それに当たるとかみの毛がぬけたり、白血病にかかったり、と言う恐ろしいことがおこります。ひどかったら、「死」につながります。ぼくは、どうして戦争がおこるのかが分かりません。せっかく、いっしょの時代に生まれてきた仲間なのだから、争いごとなどはせず、楽しく過ごしたらいいと思います。
 本当に早く世界中の人々が、仲良く協力しながら、くらせる日が来ますように。


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中学2年生の部

 広島平和巡礼に参加して  平野有紀

 私は去年もこの平和巡礼に参加したけれど、今年は去年とは、ちがう事が体験できて良かったと思います。
 一日目の一回目の平和学習で勉強した、教皇ヨハネ・パウロ2世の「平和アピール」は、とても強い思いがこめられていて、心に残りました。
 そして、一日目の終わりに参加した平和行進は、とてもつかれました。その後のミサは、いつもは体験できない貴重な体験でした。
 二日目に参加した、司教団平和ミサはいつもの約二倍ほどあり、少し大変でした。
 去年と一番ちがったのは、映画を見たことです。中でも一番こわかったのは、放射線の事です。目に見えないので、知らないうちに取り返しがつかなくなるなんて、当時の人が可哀想です。
 佐々木禎子さんのことも、そこそこは知っていたけど、今回勉強したら知らないことだらけだったんだと思いました。平和記念資料館で見た、禎子さんの作った折鶴が、見えにくいような場所まできちんと折ってあるのを見て、とてもおどろきました。現在まで残っているのは、とても大切に保存してあったんだと思いました。
 今だって、原子力発電所がまだ存在しているのだし、放射能をあびた被曝者が増えるかも、と思うとこわいです。これからは、こういうことがおこらない世界にしたいです。


 広島で学んだこと  森 愛鐘

 資料館の展示品を見ているうちに、だんだん、戦争に対する怒りがふくらんでいた。犠牲者をたくさんだし、反対の声も高まっているのに、いまだに戦争をしている国があるなんて、信じられない。この世から戦争がなくなり、みんなが安心して暮らせる日がきてほしい。でも、そんな日がきても、また同じことをくり返すと、意味がない。同じことをくり返さないためには、戦争の恐ろしさを、ちゃんと学ぶ必要があると思う。なので、この広島平和巡礼は、すごく大事だし、実際、すごく勉強になった。特に、原爆については、すごくくわしく知ることができた。一番印象に残っていることは、映画で、アメリカが、広島の被爆者たちを、実験台にし、ビデオも、今後の核兵器開発の参考にしたということだ。人間をあれだけ苦しめておいて、平気でいるアメリカがムカついた。原爆は、もう、この世には存在してはいけないと思う。作ってしまったのなら、どこかに封印をしておけばいい。とにかく、ばくはつさせてはいけないと思う。もちろん核実験も。私は今まで、核実験は、二、三回しか行われていないと思っていた。しかし、実際は、たしか約二千回も行われていたなんて、びっくりした。核実験のせいで、地球のじゅみょうが、何年ちぢんだんだろう。そういうこともくわえて、未来を生きる私たちは、真剣に考えなければいけない。


 広島体験学習にて  岡本真美

 広島に来たのは二回目だけど、やっぱり、戦争にかんして自分が思うことは、本当に、残こくな事がおこっていたということいつも感じます。
 戦争がおこっている時は、人間を人間だと思っていないような気がします。
 そんな恐ろしいことが起きないように、しっかりと戦争の事を一人一人の心の中にきざんでおき、また、そのことをいろんな人に教えていかないといけないと思いました。
 これからは、世界全体で戦争をなくし、人の手で人の命をうばうことがないように、もっともっとみんながそういう戦争のことを考え、やめていかなければならないです。
 とくに、かくへいきをなくさなければいけません。かくへいきは、人間をこわします。人間だけじゃなく、生き物みんなです。その時いた人だけでもなくその時いた人から産まれてくる赤ちゃんも、みんな……。だからこそかくへいきをなくさなければなりません。口では簡単に言うけれど、本当にそれを実行して行くことがとてつもなく大切だと思います。
 みんなで、できる事から少しずつ戦争をなくすことに協力していきたいです。


 感想  金子将也

 この二日間の巡礼を通して、いろいろな事を知ることができました。広島は今まで来たこともなかったし、原爆ドームや原爆資料館も多少興味はあったけれども行く機会が無かったので今回の巡礼は特にいいものになりました。今まで原爆という名前を知っていてもくわしいことは、まったくと言っていいほど知らなかったしこのことを通して、きちんと平和を考えたこともなかったのでこの二日間は、特に興味深いものになりました。今回の巡礼はこの戦争というものだけを考えるだけではなく、平和アピールにもある通り「過去を振り返ることは将来に対する責任を担うことです。」戦争というものがあったというでき事が、何につながるかというのを考えることだったと思います。二日目の映画にもあったようにアメリカやソ連は原爆で終わってしまった戦争から学ぶべき事を学ばなかったために核実験をくり返しています。けれどもアメリカなどが核実験をくり返し日本が平和を訴えてもこの巡礼の最初に話し合った、日本は平和かという質問に平和だという声がでなかった以上、日本が世界に平和を訴えても、だめだと思う。原爆資料館で悲しい事を知った。日本と外国で禎子さんの物語を知っている人のグラフだった。日本のほうが少なかった。やはり、日本は、原爆という悲劇があったという事実を知り日本にも、しっかりとした平和を、もたらした上で世界にも平和というものを訴えるべきだと感じた。
 ついでに広島市民球場にも行きたかった。


 私達にできること 川本佳恵

 今回初めて広島に来ました。今まで戦争のことについては、テレビや本でしか知ることができませんでした。テレビや本で戦争のことを聞くと、
「ああ、恐いしかわいそう…。」
としか思っていませんでした。でも、今回実際に広島に来て戦争のことなどを深く詳しく学びました。知らないことばかりで、言葉では言い表せないくらいの怒りと恐怖を覚えました。それと同時に、いくつもの疑問が私の頭に浮かびました。
「何のために戦争をしているの?戦争って、人間に必要?どうしたら戦争はなくなるの?」
 答えは…。正直言うとあまりわかりません。答えがわかる人はいないと思います。もしかすると“人間への永遠の問いかけ”なのかもしれません。しかし、その問いかけを作ったのは……人間です。すごく情けないと思います。自分達が作ってしまった問いかけの答えがわからないなんて……。だから、私もみんなもこの疑問の答えを考え、行動に移すことが大切です。そのために、慰霊碑が作られたのだと思うし、口で言うだけなら誰だってできることだと思います。
 今の日本は平和すぎるので、「戦争」と聞いてもパッと想像できないと思います。でも今この瞬間もどこかで戦争が起こり、人が傷つき、神様から頂いた尊い生命が消えているかもしれません。そんな人達のため、みんなで動き出してみよう!みんなで祈ろう!みんなで助け合おう!平和な世界に一歩でも近づくために。


 広島の合宿で思ったこと  小池彩子

 一回目に行ったときは、家族で行ったんだけど、私は広島に来るのは、二回目だった。でも、家族で行ったときとはまた違った、いろいろなことを、この三日間の合宿で、体験していろいろなことを学んだ。
 一日目の神父様の話で、原爆で被害にあった人の約四十五%が中学生か、高校生だと言うことを初めて知ったし、すごくびっくりした。このときの中学生や高校生は、大人の人と一緒に暑い中、がんばってたから、えらいなぁと思った。私だったら、そんなんいやだなぁと思った。
 二日目、原爆の映画を見たり、資料館に行った。映画でも、資料館でもあったけど、やけどをした人のひふがすごく痛そうで、かわいそうだった。原爆というのは、とてもざんこくなものだなと思う。資料館に行ったのも二回目だけど、何回言っても、ヒドイなぁと思うし、悲しくなる。
 戦争は、自分の国、自分がよかったらよくて、他の人は、どうでもいいっていう自己中な人が多かったから起こったんだと思う。だから、みんな一人一人が、みんなのことを考えて、行動したらいいと思います。
 そして、まだ今でも、世界には、戦争している国があるけど、一日でも早くおわって世界中が平和になって、みんなが幸せになれたらいいです。今回の合宿、いっぱい勉強になったし、たのしかったです。


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中学3年生の部

 京都教区中学生広島平和巡礼  神谷ゆり

 私は、この合宿に参加するまでは、広島の原爆投下について、けっこう分かっているつもりでした。でも今回この合宿で全然知らなかった事をたくさん知れて勉強になったと思います。
 例えば、佐々木禎子さんの事です。学校の授業や修学旅行の時に簡単に話を聞いて、かわいそうだなぁと思っていたけれど、実際は本当に、残虐で考えられないほどです。周りの友達が中学に進学していく中で一人病院の中で苦しい病気とたたかう事は、すごく辛くて孤独だったと思います。一緒に入院していた人などは、禎子さんはすごく明るくて元気だったと書き残しているけれど、人前でそういう風にしている分だけ陰では一人でたえていたんだと思います。それを、私たちよりも小さい子がしていたということに、とてもショックを受けました。
 それから平和記念資料館で、禎子さんが闘病生活の中、折りづるをずっと折っていた様子などが展示してあるのを見ました。それを見ていて私は、禎子さんが毎日たくさんの折りづるを折っていたのは、ヒマつぶしのためだけではないんじゃないかなと思いました。たぶん自分が治らない病気だということが、なんとなく分かっていて、そのやり場のない気持ちを折りづるにこめていたのだと思います。禎子さんが千羽でつるを折ることを止めなかったのは、そういう気持ちからなのでしょう。
 私たちは、こういう風に肉体的にだけでなく精神的にも苦しんで亡くなっていった人たちがいる事を決して忘れてはいけないと思います。その人たちの事を考えながら、二度とこのような悲しい事を起こさないようにするのが今の私たちがすべき事柄です。


 「空」 
  中3 杉野希都

 空からはいろいろな物が降ってくる。雨も降るし、雪やみぞれやひょうも降ってくる。人類は空からの恵みで生きてきた。世界に存在する物がみんなそうだ。山や海が嫌いと言う人はいても、空が嫌いと言う人はいない。人類はその空を悪用して、爆弾や原爆を降らした。人間が安心して空を見られない環境を作ってしまった。僕は空が好きだ。現代の疲れている人に言ってみよう。「あなたは最近、青空を見ましたか?」空は無限に広がっているから、人間に解放感を味あわせてくれる。でも、人間は爆撃機で、空に天井を作り、住んでいる人間を一つの箱に入れてしまった。空からの雨や雪のかわり、天井から爆弾や原爆を降らした。命ではなく死を降らしたのだ。平和が戻り、天井が崩れ、箱がなくなった時には、箱の中身は崩れている。広島は、崩れ方が一番激しかった。東京も激しかったけど、広島とは違っていた。広島の箱の中身は、箱がなくなっても中がくさっていた。箱の中身が、放射能でいっぱいで、手のつけられない状態になっていた。五十六年かけて、修復してきたけど、原爆が落ちた限り、永久に戻らない物がある。命だけじゃない。戻らない物は例をあげられない程いっぱい。被爆者の平均年れいは七十才を超えている。あの地獄の箱の中で生き残った人達が五十六年かけて行った事は、卑しむ事じゃなかった。あの地獄の箱を二度と作らない為に世界中で活動している。この人達は立派だ。この人達がいるから、今人間の脳の中で「平和」という言葉が強く存在している。僕は、人間の頭の中から「平和」という言葉がなくならないような、何かを伝える仕事をしたい。
 最後に、僕が空をテーマに書き出したのは、広島に来て、特別に空が美しく思えたから。空を美し
く見れるまで街を復興させた広島の人々に尊敬の意を表したいし、感謝したい。


 『ヒロシマ』  森 愛灯

「平和って、何?」
 急にそれを聞かれても、私は言葉では説明できません。でも、広島に来ると、平和について、心の奥深い所ですごく感じるものがあります。この合宿に参加するのは二回目だったけど、今回の合宿では、前回以上にたくさんの事を学んだり感じたりする事ができました。今回の合宿で一番心に残っているのは、映画を見た事です。見る前は、「つまらなくて、ねてしまうんじゃないかなァー?」と思っていたけど、実際見てみると、とてもそれどころではありませんでした。今まで私は、原爆に被害にあったのは、広島と長崎の人だけだと思っていたけれど、本当は世界中にいるんだと言う事を知りました。しかも、それは原・水爆実験や原子力発電のせいだということも知りました。広島や長崎であんなにたくさんの犠牲者や被害者が出て、核の悲惨さは世界中の人々が充分に分かっているはずなのに、なぜまだ実験をする必要があるのだろう。日本は、平和主義とか非核三原則があるのに、原子力発電があるというのは、核があるのと同じことなのではないのだろうか。今の日本では、まだまだ、禎子さんや他の人々の願いは叶っていないと思います。でも、帰り道、商店街を歩きながら、「この場所が五十六年前は焼け野原だったなんて……」と、信じられない思いでいっぱいでした。そのころに比べると、日本はとても平和になっていると思います。だから、これからももっと平和になってほしいです。
 最後に、この合宿に参加して、みんなと知り合うことができて、とても短い間だったけど、たくさん話すことができて、本当に良かったです。また、広島のことを絶対忘れないために、これからも広島に来て、平和について考えたいです。


 「広島平和巡礼の二日間を通して思ったこと」  山川 智

 二十世紀の人間の歴史=戦争。確かにその考え方は間違っていないが、初めて世界の国々が手を取り合った時代でもある、と考えたい。国際連盟を先がけとして世界の国々が相談し合った時代でもある。今、僕達が平和にくらせるのは、今まで戦争で犠牲になった人達のお陰でもあると思う。そうでなければ世界は戦争をする事の過ちに気付かずに再び大きな戦争が起こっていただろう。だが、まだ世界のあちこちで戦争が起こっている。人間はある事を成功させると再び同じ事を起こしてしまう習性がある。だから、戦争のおそろしさを理解できずに戦争に勝ってしまった人はまた、戦争を起こしてしまうのだと思う。僕たちは戦争の中でも特に原子爆弾のおそろしさ通して戦争のおそろしさを理解することができた。被爆者は日本人だけではない事をこの平和学習を通して初めて知った。世界のあちこちに被曝者がいるのだ。当たり前の事だが、原・水爆があることで世界には何の利益をももたらさない。核実験をすることによって自分の国が世界で優位に立てると思い、喜ぶ人々も少なくない。なぜこういう事になってしまったのだろう。うーん。それを考えると延々と時間を費やしてしまうが……でも、僕らは何らかのでき事によっていつか世界がまとまれると信じたい。でも、人間である以上無理なのかもしれないなぁとも思う。人はそれぞれ考え方が違う。でも、それを戦争で解決するのではなく、話し合いで解決する事が大切である。どういう理由にしろ、人間同士が殺し合う戦争は良くない。人間の持つ話し合うという特長を生かせるかどうかが世界の未来を左右するんだと思った。


 「広島平和巡礼」に参加して 奥埜 豪

 私は、この平和巡礼に参加して、本当によかったと思っている。なぜなら、この悲劇の地でこの平和を守るための忘れては絶対にいけないことを学んだから……。
 私は、この巡礼に、毎年必ず参加していた。原爆ドーム、原爆の子の像、平和記念資料館などなど、考えていたのよりもずっとなまなましい記憶を残していた。こんな大きな都市が、過去に恐ろしい運命にあっていたのかと思うと、とても信じることができなかった。
 私は今も思う。「なぜこんなことになってしまったのだろう。もし戦争をしなければ、こんな無残なことにはならなかったのに。神様はこんなことをするために人をつくったのではなかったはずだ」と。」でも神様はこうなることをわかっていたのかも知れない。だから平和のことに関して考えることもできるのだ。「戦争は人間の仕業です」ローマ教皇の言っていたことはまちがいないと思う。戦争は人間の考えから生まれるものだ。我々はもう二度と、将来を担う子供達に同じ思いや苦しみをさせてはならない。戦争は、人を滅ぼすどころか、ヘタをすれば世界を破滅に追い込むことにもなる。平和な社会にするためには、一人ひとりが、平和な地球にしたいというような心がまえが必要なのだ。そのような心が一つになってこそ、本当の平和はおとずれてくるのだと。
 私にとってこの行事は、思い出から消そうと思っても消すことのない貴重なものとして、これからもずっと、ずっと自分の心の中に深くきざみつけて、これからも残っていくと思う。


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リーダーの部

 夏の広島  田口公平

 僕が広島を訪れるのは今回が初めてです。いくら原爆の悲劇を伝え聞いたところで、やはり本物には敵わないものでした。目の当たりにした原爆ドームは想像していたものより小ぶりで、原爆投下から五十六年の歳月を経た広島の街並みには、一見したところではその傷跡を見受けられませんでした。しかし、この町の雰囲気からは何か訴えかけるようなものを感じました。文章には表現しにくいのですが、悲しげな空気が漂うようでした。実際に映画を見たときは、体が震えました。映像で次から次へと想像していた以上のリアルなものを見せつけられ、辛くはなかったですが、なんだか痛かった。その後、平和記念館で沢山の資料を見て、やるせなさは募りました。自分一人でも何か出来ることを探さなくては。まだ二日目ですが、とても疲れました。今日はぐっすり眠れそうです。


 第十八回京都教区中学生広島平和巡礼  片山十悟

 今回、この中学生広島平和巡礼にリーダーとして、初めて参加させていただき、あらためて平和について考えさせられたとともに、中学生との分かちあいを通して様々な考えに触れあうことができ大変感謝しています。
 この平和巡礼の二回の分かちあいで学んだ四つの事例については全て、初めて聞いたことばかりでした。広島市立第一高等女学校の事例では、戦争の現実も知らされずただひたすらに国のため、家族のために働いた女学生達の気持ちを考えてみると、ただひたすらに盲目的に国のために働くことで、必至に戦争によって奪われた彼女らの「生」や「人生」というものを取り戻そうとしていたのではないかと考えました。そういった「生」に対する必死な思いこそが平和につながる第一歩であると思いました。これからの我々はこういったことを忘れないように生きていこうと考えました。


 広島平和学習に参加して 藤田智子

 いつも戦争の事は気にしない毎日を送っています。空襲におびえる事もなくて一日一日を一生懸命生きるということはありません。
この広島に来て命の大切さ、与えられている一回きりの人生の大切さを思いました。戦争で地獄絵さながらの体験をした人の記憶は何十年たったとしても忘れられないと思います。今はニュースで人が一人殺されたと聞くだけで大変な事件だと思うのですが、戦争は何万人、何十万人というたくさんの罪もない人が殺されてしまうのです。だからどんなに正統な理由でも少しの攻撃もしてはいけないのです。神さまは、私たちの戦争をどのような気持ちで見ておられるのか。神さまのことを信じている私たちは神さまの思いを、神さまと一緒になって祈らなければいけません。神さまの思いはすべてのものが一つになるように、分かれているところが一つになるように、人間が助け合って生きるようにと願っておられるように思います。日本は唯一、原子爆弾を落とされた国として世界に向かってこれからも広島や長崎の悲惨さを伝えていかなければいけません。核戦争だけでなくてすべての戦争をなくさなければいけません。
 禎子さんの特別展も感銘を受けました。どんなに生きていたかったかと思います。一生懸命生きようとする人間の姿はとても美しいと思いました。各宗教ごとにお祈りする供養塔に眠る人々のことを知って、宗教や宗派の枠を越えて平和のために力を合わせていこうと思いました。


 京都教区中学生広島平和巡礼に参加して  柳原真澄

 西広島の駅を降りると、青い空に明るい陽差し、路面電車と夾竹桃の花に広島まで来たことを実感しました。小学校の修学旅行で訪れて以来の広島でした。中学生たちと一緒に、平和学習や平和公園の碑めぐりをする中で、炎天下の八月、原子爆弾の熱さにもがき苦しみ、水を求めて歩いた人々の言い知れぬ痛みを思いました。碑めぐりを案内して下さった幟町教会の御婦人が、「平和公園一帯は、公園ではなく、墓です。どうぞそっと歩いて下さい。」とおっしゃった言葉が心に残りました。
 あまりにも美しく整備され、数々の祈りのモニュメントが配置された公園の地表の下に、爆風と熱風に焼かれた土が今も横たわっていることを忘れてはならないと心に刻みました。
 この日々、広島に響いた宗教を超えた平和の祈りの中に中学生たちの真心からの祈りもお捧げすることができたことを感謝致します。


 「広島平和巡礼を振り返って」 奥村 豊

 三年ぶりの広島巡礼。少し緊張気味で京都駅の集合場所に着いた。一番乗りでドキドキしてみんなを待った。私としてはいつもいつもこのドキドキがたまらない。
 緊張で始まったこの巡礼だったが、集まった中学生たちの顔を見ていると、何かが起こりそうな予感がはしった。その予感通り、小さい、笑い出しそうな事件がいくつか発生した。どんなことが起こったかは、関係した中学生の名誉のために書かないでおく。
 こういった、非日常の中に身を置く体験を彼らにはたくさんしてほしい。今回の広島という非日常は地理的なものだけではなく、時間的な非日常でもある。直接的な戦争体験はなくとも、人の話を聞き、祈念碑をめぐり、何より、この広島という町の土をふみ、空気を吸うことが、平和学習の第一歩だと思う。若い人々の真剣な目なざしに希望を見出した。

 平和ではなく剣  一場 修

 四日の平和祈願ミサでの深堀司教の説教は、平和について、それも、キリストの平和について、改めて考えさせるものであった。
本当の平和とは、自分の幸福だけを考えている限り実現しない。自分の心を、身を、自分のすべてを剣で切りきざむことを辞さない覚悟をしない限り、決して実現しない。そして、自分のすべてを切りきざみ、それを他者のために献げるとき実現する。それは、口先だけですまされない。あらゆる困難、苦痛を受け入れることである。今まで友人だったものに背を向けられることである。自分が今まで大切にしていたものを失うことである。このように考える時、平和とは、今の生き方を根本的に変える事、回心であるといえる。自分だけが平和に生きたいという願いを捨て、他者のために、他者とともに平和を実現したいと望むことである。そして、自分の限界をすなおに受け入れ、キリストの平和が与えられていることをすなおに信じることである。深堀司教の説教から、このようなことを学び、そして考えさせられた。


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