1994/10 No.203

京都教区時報10月号

・もし、この食事がなければ

・原発予定地南島町の苦悩

・「5円ランチキャンペーン」

・病人訪問の実際(2)

・国際交流のミサ

・家庭と福音宣教


もし、この食事がなければ

もし、この食事がなければ、この子供達の命はどうなるのでしょう。でも月一回の体重測定で標準に達した子には、もうランチはあたりません。順番を待っている次ぎの弱い子供と交代しなけらばならないのです。また、六才以上になれば、同じように給食は打ち切られます。その理由は運営資金が乏しいからです。給食を打ち切られた子供達は、給食センターの窓の外から中の食事風景をながめているだけです。この子供達とその親の辛さはどんなでしょう。

 子供達は、体が弱っていても、お腹をペコペコにすかせていても、それでも一家の貴重な稼ぎ手として、毎日ゴミの山に登っては、生活の糧を探し続けるのです。女の子も男の子も、小さい子も大きい子も。(N・T)

 戻る


原発予定地南島町の苦悩

Y・T(伊勢教会)

*原発予定地・芦浜

 「わしらはもう、われながら人間とは思えんもんになってしもた。人の死ぬのを喜ぶようになったらもう人間とは言えんやろ」。古和浦の漁師さんは言う。
 三重県度会郡南島町にある芦浜が原発予定地に決まったのはちょうど30年前。当初から一貫して反対してきた古和浦漁協は近年金の力で切り崩され、原発推進派に寝返る者が増えた。ついに今年の漁協総会では30年間守り続けてきた「芦原原発反対決議」は撤回された。漁協組合員の一票をめぐって、反対派が死ねば推進派が喜び、推進派が死ねば反対派が喜ぶ。「こんな中で暮らすのは地獄や。人が死んだて聞いたら知らん人でも、ああ気の毒やなあと思うんが人間や。ここでは濃い薄いはあってもみんな親類どうしやのに」。
*二分された村

 南島町古和浦は伊勢市から車で1時間半、熊野灘に面した戸数約500軒の漁村である。原発予定地の芦浜は隣りの紀勢町との境界にある。芦浜に漁業権を持つのは古和浦と紀勢町錦の両漁協である。錦は当初から原発推進だったので切り崩しの的は古和浦に絞られ、集中的に金がばらまかれた。連日ただ酒を飲ませる、結婚式、葬式があると金を持ってくる。「原発視察」という名目の招待旅行。漁協総会での票の売買(最近では1票10万といわれている)。
 こうして中部電力は徐々に推進派を増やしていった。飛躍的に増えたのは養殖ハマチの値が暴落した後である。経済的苦境に立たされた漁師が保証金をめあてに次々と推進勢力に呑み込まれていった。推進派と反対派が拮抗するようになると村は二分され、争い憎みあい、兄弟、親せき、友人関係はズタズタに断ち切られてしまった。

*原発とは共存できない

 原発計画が来る前は村は平和だったと皆が言う。漁村というものは一つの生活共同体であり、その結束力は非常に強い。狭い土地に家が密集している。誰でも顔を合わせたら声をかけ冗談をいう。そんな仲のよい元気な村であった。
 しかし、今では人々の心は荒廃してしまった。推進派は原発が来ればなんとかなると思っているから真面目に働かなくなり、昼間から酒を飲んでいる者が増えた。祭りも結婚式も葬式も心を一つにできなくて白けたものになってしまった。
 原発は人間ばかりか生物全体と共存できないものであることを反対派の漁師達は見抜いている。
 「わしらは昔からこの海で生きてきた。でも海はわしらのもんやない。先祖から受け継いで子孫に残すもんや。わしらに海を売る権利はない。子孫に災いを残してはいかん」。
*反対の声を

 チェルノブイリ以後、原発が危険なものであることは誰もが感じている。しかし「日本は資源に乏しいから未来のエネルギーのためには原発が必要です」といわれると反論できない人がいるかもしれない。
 原発は被爆しながら働く人がいなくては動かない。定期点検のたびに原発内部に入って放射能を浴びながら点検、清掃する人達、その中の一定数はガンや白血病になり、そのうちの一定数は死ぬ。どんなに本人が気をつけていても一定数が死ぬということがあらかじめ分かっているのは戦争と原発だけである。このような小数の犠牲の上に成り立つ日本の繁栄を肯定していいものだろうか。
 最近、津教会で本田哲郎神父様のお話を聴く機会に恵まれた。福音書の精神に基づく本物の隣人愛とはどういうものかという箇所で、それは中立を捨てること。中立とは黙って加害者に加担することである。「隣人愛とは、現実に権利を奪われ、苦しんでいる人達と痛みを共有するところから判断して行動を起こすことである」と言われた。良きサマリア人のように。
 なお、中電は今年中に古和浦漁協に環境調査の申し入れをすると予想される。環境調査を行って原発の建たなかった所はない。「できてしもてから、わしらも反対やったんやと言うてもろても何にもならん。どうか今のうちに反対の声をあげて欲しい」。その漁師さんは最後にこう言った。

 戻る


「5円ランチキャンペーン」

N・T(西大和カトリックセンター)

 皆様、スモーキーマウンテン(煙る山)という名を御存じでしょうか。フィリピンのマニラ市から排出されるゴミの集積場で、大きな山になっており、生ゴミから出たメタンガスが燃えて、いつも煙に包まれているので付けられた名前だと聞いております。
 この山の周囲に約3500世帯2万人がバラックの家に住み、圧倒的な貧困と劣悪な環境の中で生活をしています。
 この山の周辺のトンドやパヤタスのスラムで苦しい生活を余儀なくされている子供達は、育ち盛りというのに栄養状態も悪く、殆ど標準に達していないため、結核やマラリアを患っている子供も多いのです。まして、幼稚園や学校に通うことなど、僅かな奨学生を除いては諦めざるを得ないのです。
 この子供達のために、現地のシスター達は小さな給食センターを作り、そこで一日一回の給食を提供しています。交代で母親達も食事作りに協力しています。12時前になると、それぞれお皿やスプーンを持って、一つのセンターに5才以下の子供達が六十人位集まって来ます。子供達は僅かな野菜と肉きれの入ったスープを御飯にかけてもらって、こぼさぬよう大切に食べています。この食事は一回分が日本円で一人5円〜7円ということです。これが「5円ランチ」です。この食事がなんとか子供達の栄養状態を守り支えているのです。キラキラした目で、大きなスプーンでおいしそうに食べている子供達の明るい表情がいつまでも失われないことを願わずにはおれません。
 この貧しさの中で懸命に生きる全ての子供達に、毎日あたたかい御飯をお腹一杯食べさせてあげたい。小さな子も大きい子も、みんなが同じように食べられるように。子供達が、空腹と貧困に追われてストリートチルドレンとなって、歓楽街をさまよわぬよう、大人達からひどい目に遭わされぬよう、せめてお腹だけでも満たしてあげたい。いつも安心して御飯が食べられるようにしてあげたい。
 皆様の御協力をお願いいたします。力を合わせて、神様のお恵みを分かち合い、この子供達と共に神様の栄光の内に生きようではありませんか。
 『わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』(マタイによる福音書25・40)と聖書に示されています。
 皆様、子供達の悲痛な「たすけて!」の声にどうぞ耳を傾けて下さい。神様は、「愛と平和の救いのみ業」を私達一人ひとりに手伝うよう求めておられると思います。一人の力は小さい点でも、皆が集まれば小さな面に、そしてやがて広い愛の世界へと拡がっていきます。子供達は、今もお腹をペコペコにすかせて、じっと神様の救いを待っています。
 どうか皆様、子供達の命をつなぐ「5円ランチ」を、一日一回から二回、三回へと。5才以下の幼児だけから全ての子供達へと、「5円ランチ」を豊かな愛情一杯のランチにしてあげられるよう、御協力を是非よろしくお願いいたします。
 私は、カリタス大阪が、《すべての子供達にせめて一日一回の食事を》の願いをこめて今年の4月から開始し、長期的に取り組んでいく、この「5円ランチ」キャンペーンに、私の所属する西大和カトリックセンターの皆様と力を合わせて、小教区として参加させて頂いております。
 皆様の小教区におかれましても、「5円ランチ」キャンペーン担当を選出して頂きまして、小教区として御参加下さるよう、切にお願いいたします。カリタス大阪にて、ポスターや貯金箱などに貼って頂くためのステッカーも用意しております。カリタス大阪へのお問い合わせは左記の通りです。

〒540大阪市中央区玉造2丁目24番22号 06ー942ー1784 郵便振替00920ー2ー22413 加入者名「カリタス大阪」。通信欄に5円ランチと記載

 皆様の御家庭で、教会で、幼稚園、学校でも是非この運動に継続的に参加して下さるようお願いいたします。

 戻る


病人訪問の実際(2)

ターミナルケアー
       沼野尚美

*パストラルケアーの原点

 淀川キリスト教病院では、新入職員研修会で、ルカ福音書10章25節〜37節「善きサマリア人」を読んで分かち合います。一人の方の分かち合われた言葉が今も私の心の中に印象深く残っています。「旅人を助けたサマリア人は宿屋に帰って来るまで旅人の事を心にとめていたと思う。旅人に心を使った人がサマリア人と思う」。病んでいる人を心にとめる事、それはパストラルケアー(臨床司牧)の原点です。

*ホスピスでの出会い

 私が生まれる時、私をとりあげて下さった助産婦の方に、ホスピスの病室で出会いました。その方は死ぬ一ヶ月前に次のようにおっしゃいました。「貴女が生れる時私が助けました。こんどは私が死ぬのを貴女に助けて頂きたい」と。私は、最後までご一緒に歩ませて頂きたい。その方がその人らしく死ねる事をお助けしたいと思いました。
 教皇さまの次の言葉を嬉しく聴きました。「病気の人、特に臨終の人には親族の愛情、医者の看護、友人の応援が大切です」。第三者の介入が大切であると言っておられます。この第三者の介入がパストラルケアーなのです。

*思い出づくり

 一人暮しの透析の患者さんが他の病院で一週間滞在して治療する事になり、救急車に乗って出かける事になりました。その時、私に「一緒に行って」とおっしゃいました。急な事でとまどいがありましたが、手早く回りの事をかたずけて、救急車に乗りました。途中雪が降って来て一緒に雪を眺めていました。すると次のように話して下さいました。「救急車に乗るのはこれが三度目です。一度は母が倒れた時。二度目は母が再度倒れて亡くなった時。三度目が今。雪がきれいね」。亡くなられる前に「あの時一緒に雪を見たね」と静かにおっしゃいました。一緒に何かをした事は思い出に残ります。末期患者さんは特にそうです。思い出づくりは、急にやって来ます。準備をしたり計画する事はありません。明日に延ばすとその人はもうこの世にいないかもしれません。

*感性を磨く

 患者さんの感性は鋭く磨かれています。磨かれている患者さんにお仕えするのに私達も感性を磨く事が大切です。日常生活の中で絶えず訓練が必要です。私はどうしているかと申しますと、人から与えられた刺激を意味ある体験にする事につとめています。例えば、
◎人に言われて嬉しかった事を心に溜めて使って見る。
◎嬉しかった気持ちを早く表現して見る。
◎感情の動きを自分で把握して表現する。
◎自然を通して感情を磨く。
◎病める人、子供、障害を持っている人、こうした人々に関わり感性を磨く。
 事例をお話しします。
 彼女は17歳で骨肉種です。後2ヶ月の命と言われています。自分が癌である事を知っている。
 訪問した時、「貴方が今一番望んでいる事は何かな」と尋ねました。彼女は「17歳の誕生日を迎えたい」と言いました。医学的には無理です。医療チームはミーティングを開き最善を尽くす事に話しがまとまりました。学校に知らせ、先生、友人にお祝に来て頂く事にしました。誕生日の朝が来ました。彼女は「礼拝堂に行きたい」と言いました。スタッフは行く事は出来ないので、部屋で祈る事を進めましたが、彼女の強い望みがあり、ドクターは万全を尽くして礼拝堂におつれしました。礼拝の途中で様態が悪くなり部屋に帰り誕生日のお祝を待たずに亡くなりました。
 彼女の行為が私達に何かを教えてくれます。教えようとしないで分かち合って下さいます。私は彼女の最後の命の使い方、エネルギーの使い方に沢山の学びを得ました。彼女は自分の意志で神のみ前に出る事を選び、17年間の命をありがとうと言いたかったのではないでしょうか。崇高な視点より学ぶ事ができ感性を磨かせて頂けます。

(文責 S)

 戻る


国際交流のミサ


7月31日、津・久居教会合同の国際交流ミサが、セント・ヨゼフ女子学園でありました。ご存知と思うがこの行事を発起したのは、南米の信者の方々だった。「自分達だけのためにスペイン語でミサをたててもらってとても嬉しいが、何とかしてもっと日本人の信者の共同体に交わりたい」という願望で、この行事を合同会議に提案した。そして、合同会議のメンバーと一緒に相談して、計画をたてた。
 その行事が開かれた一週間後、発起者の一人であったヒガ・ギエルモさんとその奥さんセシリアさんにご感想を聞いたところ、こう答えてくださった。
 「まず私たちがびっくりしたのは、そんなに大勢の方が集ると思わなかった。そしてホスチアが足りるだろうかとばっかり心配しはじめた。私達にとって、とても面白い一時だった。一番大きな成果は、私たちは神様のみ前で言葉が違っても、壁がないということを示すことができた。みな楽しそうに参加した。
 私にとって、ことに説教がよかった。もし私の聞き取り方が正しかったのなら、その教訓は私たち皆心の中に神様の炎を持っているとのことだった。そして言葉でコミュニケーションできなくても、私たちは皆一緒に食べることによって、同じ神様の炎に与っていたことを示すことができた。
 とくに驚いたのは、セント・ヨゼフ女子学園が駅から遠いし、大抵外国労働者は車を持っていないので、ちょっと場所的に行きにくいじゃないかと心配していた。そして多分、多くの人は学校がどこにあるか分からないじゃないかとも心配していた。
 日本人、ブラジル人、フィリピン人、ペルー人、そして他に色々な国から来た人々が参加しているのを見て、本当に美しい感じに打たれた。近い内に又、これと同じような集いに参加できるといいなと希望している。この行事は大成功だったのではないかと思っている」。

 戻る


家庭と福音宣教

 宮津教会婦人部(文責 T)

 主日のミサの説教で、「信仰は概念ではなく『今日、信じます』という具体的な日々の歩みです」と話されました。本当に、そうだと心におちました。「主は私達と共にいつもいて下さる」と頭でわかっていても、日々の生活の中で、本当に実感し共に生きているでしょうか。新聞を開き、テレビのスイッチをつけると、おびただしい量の情報や宣伝が、目にとびこみ耳に入ってきます。しかも、それは繰返し、流れてきます。それに、比べ、神さまからの情報、「私達と共にいて、愛しているよ」というメッセージが、私達の家庭に入っているでしょうか。神さまとの会話が祈りであるとするなら、日常生活の中に神さまを思い出させる場、かかわれる場をつくり、そのパイプをしっかりつなぐことは大切と思います。家庭の中に小さくとも、神さまがいて下さると感じとれる場所をつくること。正直に悩みを語り、又、みことばを通して、神さまの愛を味わえる祈りの時をつくることが大切だと思います。
 毎日、同じ生活の繰り返し、又現在、日本の土壌の中で、子育てや子供の教育の問題、隣近所や親戚のつきあいなど、大変忙しく、必ずしも、教会優先に考えられないことも、多々あります。何をしているのかと徒労を感じることが多い日々です。でも、もしこの行為のひとつ、ひとつを一日のはじめ、神さまに捧げるなら、それは私達の福音宣教の場であり、毎日できる大きな愛のわざと思います。NICE2の柱である人の痛みを共感し、共有するということも、正直言って大変難しいことです。
 しかし、人の痛みに無関心になるのではなく、かかわろうとすることは大切と思います。その為に、相手をゆっくり受け入れること、それは聴くことから始まると思います。子供のことばもお年寄りのことばも、働き盛りの人々のため息も、誰一人例外なく、それぞれの重荷を背負って歩んでいると思えるとき、思いやりの心をもって、人の行為を受けとめられるようになると思うのです。「愛しているよ」という神様のメッセージを深く心にとめて、小さな私達が、共に聴きあい、味わいあい祈りあい、具体的に助けあうことその歩みを、あせらず、信頼のうちに進みたいと思います。

 戻る


Back to Home    前号  次号