1995/10 No.215

京都教区時報10月号

・大阪教区の体験より学ぶ

・サバティカル・イヤー(安息年)の恵み

・京都教区司祭・修道士総会の報告

・具体的に何をすればいいの?

・1994年京都南ウォーカソン募金結果報告

・「コイノニア」とは?

・あんてな


大阪教区の体験より学ぶ

大阪教区では、阪神淡路大震災の起こる以前の、1993年春より共同宣教司牧の実施に向けて準備が行われてきました。

 今年1月の大震災のために、実施の延期も考えられましたが、新生計画と合わせて今年の春より共同宣教司牧が実施されました。

 今年の京都教区司祭・修道士の研修会のテーマは「小教区制度とその共同体のあり方の見直し」と決まり、大阪教区の「共同司牧を考える回」の座長をされていた中川師より「共同司牧についての大阪教区の準備と現状」について、講話を聞き、体験を学ぶことができました。


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サバティカル・イヤー(安息年)の恵み

西院・桂教会共同宣教司牧担当司祭 松本秀友

 昨年5月下旬より今年6月始めまでの一年間、サバティカル・イヤー(安息年)をいただき、アメリカで過ごした。今年丁度叙階二十周年を迎えた私にとって大きな恵みの年となった。はじめの二ヶ月はサンフランシスコのメリノールハウスでお世話になり、会話の実践、英文の読書をしながらも比較的のんびり過ごした。サンフランシスコから南へ列車で一時間くらいのロスアルトスのメリノールハウスを訪ねた時には、31年前宇治教会で私に洗礼を授けて下さったキシマン師をはじめ、日本で宣教されたブラザー・ゴードン、ヴィンスコ師、キーン師、ハベニック師、スミス師、フェルセッカ師、ケラハ師等にお会いすることができた。

 8月にはニューヨークのメリノール本部に10日間くらい泊めて頂き、昨年秋に帰天されたスタインバック師やギルマーティン師を何回かお見舞いすることができた。初対面だったが西院教会の初代主任司祭のマケシー師にお会いし、お話しできたのも嬉しかった。また高橋師をはじめ日本で宣教され、今は帰天された神父様たちのお墓参りもできた。ニューヨークの隣りのニュージャージー州の聖クララ病院で現在チャプレンとして働いておられるライリー師の所にも2・3日泊めて頂き、友情を暖めることができた。

 八月下旬からはセント・ルイスでいよいよ本命の9ヶ月のコースが始まった。参加者は司祭・ブラザーが9人、シスターが14人で合わせて23人だった。国籍は16ヶ国、一つの建物で共同生活をしながら国際的な交わりを体験することができた。日本からは私とレデンプトール会の赤野師と聖霊会のシスター三根だった。コースのテーマは「霊性」で歴史をはじめ、養成、霊的指導、祈り、聖書、現代世界における人間の課題、心理学等幅広く学んだ。月一度霊的指導を受けることができた。授業の他に、一緒にビデオを見て分かち合うグループ、日本人3人と日本で20年以上宣教したことのあるアメリカ人のシスター・ローズメリーの4人で毎週授業を復習するグループ等に属していた。またこの4人で日本の教会についての発表もした。11月にはインターナショナルデーがあり、5ヶ国の踊りを取り入れたり、各国の文化を生かしたミサ、展示物、歌屋踊り等を準備し、百五十名くらいの人に来て頂き楽しんでもらった。私は和服姿で書道の実演もした。このような小グループでの分かち合いや行事の準備、また二・三人で担当した毎週火曜日夜のミサとその後の懇親会を通して一層お互いの交わりを深めることができた。週末には一緒に出かけたり、テニス、卓球、水泳なども楽しんだ。

 コース最後の一ヶ月はオハイオ州の田舎に移動し、イグナチオの霊操による黙想会だった。この黙想会は私にとってこれまでの勉強や体験を統合してくれる機会になった。
 多くのよい望みのうち、ニ・三分かち合いたい。

 一つは、日本を離れてみて司祭として教会にかける気持ちを新たにし、深めることができた。イエスは弟子たちを最後まで愛し抜かれたが、私もイエスから委ねられた人々への愛を最後まで貫きたい。
 また黙想会中、「柔和なイエス」に倣いたい望みをいただいた。「柔和」には「やさしさ」と「堅固」の意味があるそうである。

 それから旧約聖書に出てくる「アナウィム」(弱い立場に置かれた人々)と大切にかかわる望みをいただいた。イエスのまわりに集まって来た多くの人々、またイエスが自分からかかわっていかれた多くの人々はアナウィムだった。
 このサバティカル・イヤーの人々との出会い、学びを心から感謝している。聖霊の導きによってこれらの恵みの体験が、これからの生き方の中で豊かな実を結ぶようにと念じている今日この頃である。

*編集者注
「サバティカル・イヤー」について1991年の司教総会に提案された内容によると。
 「サバティカルイヤー」とは、司祭が教区司教の指導と承認ものとに、一時、現場の宣教司牧の任務から離れ、心身の休養と活力の回復をはかり、また有益な研修を受け、司祭としてよりよく奉仕することができるための一定の休養・研修のための休暇を指す。
 京都教区は1993年4月からの実施を1992年9月の顧問会で決定し、松本師は最初の取得者である。

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京都教区司祭・修道士総会の報告

8月23日、京都教区司祭・修道士総会が名古屋研修センターで開かれました。

 総会で確認されたことは以下の通りです。
一、6月29日の田中司教のメッセージ「紀元2000年の到来を迎えるにあたって」の中の、共同宣教司牧へのご協力をという呼び掛けに答える。
一、各地区で、定期的に司祭の集りを開く。
一、懇親会、聖香油、研修会以外に、5月と11月に司教のもとに教区全体の司祭が集まれる機会を作る。
一、「京都教区共同宣教司牧推進準備委員会」を設置するよう司教に上申する。
         以上

 尚、京都南部は、南地区(伏見、桃山、八幡、宇治、青谷、田辺、精華の小教区)、東地区(河原町、山科、高野、北白川の小教区)、西地区(西院、桂、小山、西陣、衣笠、宇津、山国、長岡、九条、亀岡、園部の小教区)に分かれて集まることになります。この区分は暫定的なものです。

 京都教区の司祭総会は、司祭評議会の設立の前に開かれて以来ということです。今回、田中司教と司祭39名、修道士1名が参加し、他に司祭19名、修道士4名から委任状を頂きました。
 総会に先だって21日〜23日に研修会を行い、田中司教と司祭33名修道士1名が参加しました。
 研修会では、イエズス会の岩島師より「小教区制度の歴史について」、大阪教区の中川師より「共同司牧についての大阪教区の準備と現状」の講話を聞き、分かち合いを行いました。

 分かち合いに対しての、岩島師の助言は以下の通りです。
一、長期的展望(20年、30年先を考えて)で、今から共同宣教司牧に向けてゆっくりすすめていく。
一、どのようなな段階でやっていくのか整理する。
 今までにもすでに取り組んできたことがあるので、どの段階で協力できるのか整理していく。例えば、説教台の交換、市民クリスマス、入門講座、聖書研究会、結婚講座、集会司式者・聖体奉仕者の養成など。
一、基本的な最少単位の共同体は自立できるようにする。
 信仰共同体としての、地域共同体が必要であり、自立できるようにする。小教区とは限らない。
一、信徒の養成が大切である。
 この場合、責任を持つことが最大の養成となる。小教区の委員会も、司祭と一緒に企画の段階から話し合い、決定できるようにする。
一、京都教区に具体的に取り組む委員会を作る。
 第一段階は、信徒、修道者、司祭が、企画の段階から一緒にすすめていける教区の委員会を作る。
 第ニ段階は、地域ごとの違いを考慮して、信徒、修道者、司祭が共に歩めるようにする。
一、司教の役割が大切である。
 司教メッセージや、教区時報を通して方針を出す必要がある。

 最後に、田中司教司式のもとにミサを捧げて、総会と研修会を締めくくりました。

 尚、共同宣教司牧にはいろんな形が考えられますので、参考資料として、「共同宣教司牧へのプロセス」を掲載します。

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具体的に何をすればいいの?

*「うちの教会」だけでなく、「となりの教会」にも目を向け、交流をすすめましょう。
[例えば]
・合同の役員会を開催する。
・合同のバザーを企画する。
・合同の教会学校キャンプを企画する。
・お互いの教会報を交換して、情報を集める。
・教区で今、何が取り組まれているか関心をもって情報を集める。

*司祭同志は協力体制を強化します。
[例えば]
・説教壇の交換。
・入門クラスや聖書講座など司祭の専門を生かして互いに分担する。
・司祭同志のコミュニケーションの促進。チームとして働ける司祭団へ。
・司祭の専門を生かした役割の分担。
・タテの分担(各小教区の担当)からヨコの分担(小数区を越えた担当)
へ。

*信徒と司祭団とのコミュニケーションを促進しましょう。
[例えば]
・共同宣教司牧について、信徒も司祭も共に学ぶ学習会を企画する。
・役員会で建設的な討議が十分できるような雰囲気作りをする。
・教会内での会議のやり方を工夫する。(会議の時間やすすめ方など)
・信徒と司祭団との分かち合いの場を設ける。

*信徒同志で信仰の分かち合いができる小教区になりましょう。
[例えば]
・教会の行事の準備だけでなく、壮年会、婦人会、青年会などの場で、分かち合いができるグループ作りを目指す。
・一人一人の話すことばに耳を傾け、安心して分かち合える雰囲気を作る。
・「うわさ話」が一人歩きするのではなく、本人の言葉が伝わる共同体を作る。
・「神父が言った」「みんな言っている」ではなく、「私はこう思う」と、自分の意見をはっきり言える共同体を作る。

*一人一人が持つ神様からのタレントを見つけましょう。
[例えば]
・お互いにタレントや、その人のよい面を見つけ合い、教えてあげる。
・何かの役割を頼まれたとき、尻込みせずに、引き受けるよう努力する。
・自分のタレントを見つけられるように、祈り、分かち合う。
・自分のタレントと回りの人のタレントを比較しない。
・自分のできることを、できる範囲で奉仕に生かしていく。
(洗礼を受けた人々すべてがタレントを受け、「奉仕」へと招かれている!)

*信徒の役割、司祭の役割を見直しましょう。
[例えば]
・教会にはどんな役割、奉仕があるかをあげてみる。
・司祭しかできない役割、信徒も分担できる役割を見分ける。
・一人一人のタレントに応じて、役割と責任を分担する。
・必要に応じて、勉強会、研修会を企画する。
(共同宣教司牧の目標は、洗礼を受けたすべてのキリスト信者の諸々の賜物を承認し、解放し、活用し、統合する方法を見つけることである。)

*共同宣教司牧は一つの形だけではありません。
[例えば]
・共同宣教司牧にはまだ決定的な形がない。
・共同宣教司牧は、それぞれの小教区の状況に合わせた形を、信徒、修道者、司祭で考えて行く必要がある。
・現在ある状態から、少しづっできることを始める。
・まず、近くの教会同志で集まり、信徒間、司祭間の交流を促進する。
・典礼奉仕や病床訪問などのグループを作り、修道者、司祭と共に活動する。
・将来的には、司祭の共同生活や「ヨコの分担」ができることを目指す。

*共同宣教司牧には多くの困難があります。でもその困難を、信仰と対話によって、乗り越えていきましょう。
引用・参考文献『共同司牧〜技能と指針』

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1994年京都南ウォーカソン募金結果報告


大変遅くなりましたが、昨年開催致しました第16回ウォーカソンの募金結果について、報告申し上げます。

   記
収入総額  3,170,181円
[内訳]
繰越金     266,572円
京都南部募金 2,578,965円
滋賀募金    317,644円
寄付       7,000円

送金総額  2,499,939円
[内訳]
・バングラデッシュ(アジア交流委員会からチッタゴン司教区を通して地元の人々のために)
        250,000円
・東チモール(現地の教会が行っている人々の生活支援プロジェクトのために)
999,939円
・ジンバブエ(ナミュール・ノートルダム修道女会を通して、教育支援のために)
     1,000,000円
・ルワンダ(内戦による難民援助のために)
  250,000円

支出総額    338,903円
[内訳]
送金手数料    7,210円
印刷、備品、通信費等(のぼり制作、事務用品等の充実で増加)
        331,693円

繰越金     331,119円

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「コイノニア」とは?

 9月(第214)号6頁の記事で、「コイノニア」という言葉の意味がわからないという投書がありました。
 「コイノニア」はギリシャ語で一般に「交わり」と訳されています。使徒言行録2・42参照。
 ラテン語では「コムニオン」です。ミサの交わりの儀はこの言葉を使います。
 記事の中のわかりにくい言葉には、今後注をつけるように努力しますので、御了承下さい。

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バーベキューin琵琶湖


   草津教会 K・T

 そろそろ秋の訪れを肌に感じる今日この頃ですが、夏真っ盛りの8月13日、私達(柳本師と京滋の青年達総勢10名)は、琵琶湖岸でバーベキュー大会を行いました。
 夏と言えば、バーベキューですね?私達のバーベキューの目的は、一つの食事を分かち合うことで親睦を深めることや、今後の青年会の在り方について話し合うこと、又琵琶湖の環境をつぶさに見て、自分達がいかに琵琶湖を汚しているのかを肌で感じること、そして近江牛を食べることでした。
 いやむしろ、唯単に近江牛が食べたかったと言って過言ではないでしょう。牛さんごめんね。
 さて、青空の下、琵琶湖から吹きつけてくるさわやかな風にあたり、正面に比良や比叡の山並をのぞみ、波間を行きかう真鴨達を観ながら、炭火で焼いた近江牛を味わうというこの歓びは筆舌に尽くし難く(ちょっと大袈裟かな)、こんなバーベキューなら毎週やるぞと内心思いつつ私達は肉をつつき合ったのです。神に感謝。
 今回の参加者全員が知り合いだったわけではなく、そんなに多くの言葉を交わし合ったわけではないのですが、一つの釜の飯をみんなで分かち合うというささやかなことで、互いに仲間意識というか非常に親しく感じたから不思議なものです。
 家族揃っての食事、共同生活の中で共にとる食事、他種々の仲間内で一緒に食事をとるという行為は、仲間意識や絆を強めるという意味で、案外とても重要な役割をしているのかもしれません。
 阪神大震災で家や財産、愛する人を失った人々は、それぞれの仲間や同じ被災者の人々と共に食事をすることによって、単に空腹をいやすだけでなく、心の傷もいやしていたのではないでしょうか。
 後日談ですが、バーベキューの翌日朝から私は腹痛に苦しみました。
 焼けるまで待てず生肉のまま食べていた貪欲さに原因があったようです。

 

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