1995/11 No.216

京都教区時報11月号

・キリストに賛美!

・ノモスカルこんにちは

・詩文集『花物語』に寄せて

・教区中学生広島体験学習感想文

・京都教区信徒連絡協議会からの報告

・自然のなかでのキャンプ

・あんてな


キリストに賛美!

 阪神大震災からはや7ヶ月が過ぎ、被災しなかった人々から次第に忘れ去られようとしている中で、いまだ苦しみの中にある方々のことを思い続けて下さるお心に、本当に頭が下がります。

 たくさんの皆様からいただいたご芳志は、緊急救援物資の購入と配布、被災地無料診療活動の支援、カトリックの学校・幼稚園・施設・修道院の二次災害防止に使わせていただいてきました。復旧を目指す中で日を追うごとに様々な問題が出てきますが、これからも活きた救援を続けていきたいと考えています。

 まずは、とりあえずお礼のことばにかえさせていただきます。

1995年9月13日
 大阪大司教区司教 安田久雄

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ノモスカルこんにちは

 ゴメス神父を迎えて
     KYOSIA(M・M)

 去る7月31日から8月23日までの約3週間、KYOSIA(京都教区アジア交流委員会)の交流先である、バングラデシュ・チッタゴン司教区から、ラザルス・ゴメス神父様を日本にお呼びし、京都司教区の各地を訪問していただいた。神父様が日本に滞在された感想を皆さんに紹介したいと思います。

《日本についての印象》
 たった20日間で、日本の何がわかったとは言えない。日本に40年間程住んでおられる丹後の神父様とお話した。彼なら実際に生活をしているわけだし、いろいろ日本についての知識と理解がある。自分はこの短い滞在での印象しか述べられない。バングラデシュへKYOSIAから派遣されて行った青年達のわかちあいを20日のミ−ティングで聴いた。皆バングラデシュでの短い滞在体験の感想であった。その中で、長い滞在体験を持つ佐藤君が感想を述べたとき、最後は言葉に詰まるように途中で終わった。それを見て思うに、滞在が長くなれば(丹後の神父様の40年というのは別にして)、2〜3週間程度の短い滞在ではなくて、もっとそこを知れば知るほど感想は述べにくくなるのだろう。いろいろな思いが混じるからだろう。自分は短い滞在だった。その印象を述べる。

 日本人は忙しい。いつも動いている。バングラデシュ人も忙しい。それは生活のためだ。毎日の糧を得るためにいつも動いている。彼らの忙しさは生命に密着している。日本人はどうしてそんなにいつも動いているのだろう。教会の神父様達も忙しそうだった。日本の教会の姿を少しだが見ることが出来て良かった。神父様達は一生懸命にいろいろ活動なさっている。日本人は忙しいそうであるが、忙しいことが悪いとは言っていない。日本人は何に向かって動いているのか。日本人皆がその動きを人々に向ければとても素晴らしい国になると思う。

 丹後の神父様もおっしゃっていたが、日本人の信仰は素晴らしい。長崎に行って、隠れキリシタンについて見学した。彼らの信仰を皆は受け継いでいる。私は、今バンダルバンと言う地域を担当している。前回KYOSIAより日本を訪れたフィリップ・ロザリオ神父が担当していた山岳地域である。日本の皆さんがバングラデシュのため、チッタゴン教区のため、そして特にこのバンダルバンのためを思ってくださっていることに感謝。バンダルバンのための援助を考えてくださっていることに感謝。トーマスのプロジェクト支援に感謝。たとえ担当司祭が変わったからと言って何も心配はない。KYOSIAとの関係はチッタゴン教区全体が受け入れている。そうである以上、どの神父が担当になろうとも関係なくKYOSIAのプロジェクトを受け入れる。私が今担当しているプロジェクトは学校の寮についてであるが、それを要請するために私は日本にきたのでは決してない。私が日本に来たのは交流するためである。

 日本人は忙しいという指摘はどこでもよくされていることである。たいていは皆自分のために忙しい。日本人も自分たちの忙しさは生活のためと考えているだろう。しかし、生活を楽しむためという感じはあまりしない。最近こそよく海外旅行に誰もが出かけるが、それでも本当に日々の生活を有意義に精神的余裕を持って過ごせている人は少ないように思う。本当に日本人は何のために忙しくしているのだろうか。神父様の指摘されるとおりだ。「人々に向かって皆が動く」というのは、単純に皆が社会奉仕活動をすればいいと言っているのではないように思う。ひとが皆となりのひとを気遣う、または話をする、ただ話をするということを大事に思うだけでもずいぶん違うような気がする。ラザルス神父様はたいへん霊的な方だと思った。

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詩文集『花物語』に寄せて


 病気の母の祈り


力をなくした 二本の足と
支えを失った 弱い背中
母として生きる 我に再び
涙で汚れた 顔をふり仰ぎ
ただひたすら わが主を求めん



力をなくした 二本の腕と
光を失った 二つの瞳
妻として生きる 我に再び
涙で汚れた 顔をふり仰ぎ
ただひたすら わが主を求めん
         アーメン


  この祈りは、マリア阿南慈子さんの「花物語」という詩文集の最初の方に出てくる祈りの詩である。パウロ阿南孝也さんと結婚、一男一女をもうけた幸せの日々も束の間、結婚四年目にして難病多発性硬化症(MS)を発病。
 だんだん病状は進み、今は首から下は四肢麻痺で全く動かすことが出来ず寝返りも出来ない。首から下は痛みも熱さも全く感じることができない。両目失明。肺活量は300cc(普通約2000cc)しかないので、気管切開をして呼吸している。そのため発声が困難で話しにくい。意欲フル回転続行中。(第ニ集「花かんむり」略歴より)

 この詩文集は、彼女自身の心の発露であり、祈りである。そして、それは同時にまわりの人々の温かい愛の交わりのオーケストラ。オーケストラというのは、少し大げさすぎる。むしろ花束。大げさに音をたてて動きまわるのでなく、実にあたたかく、やさしく、しみじみとしたハーモニーが聞えてくるのだから。
 それは彼女がうたう祈りの詩や、物語となっておさめられている。本当は苦しみや痛みや嘆きが、本人をはじめ、家族の方々の中ニあるのだろうが、本人の名前の通りか、慈しみとほほえみで、静かなあたたかい香りを放っている様に思える。私はその香りをかぐために、そっと彼女の所を訪れる機会をいただいている。

 この二冊の詩文集を通して、病気をどの様に受け入れ、また周囲の人々に及ぼしていく、その「わ」のひろがりを見出していただけると思う。
 この詩文集は多くの人々の手によって生れた。字が書けない彼女ほ聞き取りと代筆をする人々がいる。お母様をはじめ美しいカットを書く人々がいる。レイアウトしたり、コピーしたり、栞を作ったり・・。最後のページに、「手伝って下さった方々」という、感謝をこめた名前のリストがある。
 又、彼女の詩の中に、いろいろ助けをいただいた神父様やシスターや家族友人の事を歌っている詩もある。病気を奉献している一人の回りに、愛の「わ」が広がっていくのだ。
 この詩文集は、この試練?をうらんだり、憎んだりするより、むしろ感謝と讃美のいのりの様に思える。何故それが出来るのか。本人の心の持ち方が何よりも大きい。でもそれは彼女を包む、多くの人々のあたたかい心があるからだと思う。

七星ちゃんの祈り

神さま、もしよかったら、ママの病気をなおしてください。
でも神さまがそう思わないのならこのままでよいのです。
なぜかというとママがこの病気をちっともいやがっていないからです。
かなしんでいないからです。
こまったことがあれば七星たちがてつだってあげればすむことだからです。
ママはいいました。
おりょうりも、おそうじも、せんたくもしてあげられなくてごめんね。
でもそのぶん、時也と七星のためにたくさんいのっているからねと・・。
七星はおいのりがなによりたいせつだと思います。
だからママはすばらしいと思います。
こんなにこどもたちのためにいのってくれる人はめずらしいと思います。
このママの子どもにうまれうまれさせてくれてありがとうございました。
アーメン

*編集部注

多発性硬化症(MS)とは
 多発性硬化症は英語でマルティブ(多発性の)スクレローシス(硬くなる)といい、その頭文字をとってMSと呼ばれています。MSは中枢神経に脱髄斑と呼ばれる病変があちこちに多発する病気です。(「花物語」より)


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教区中学生広島体験学習感想文

平和公園を歩いて
    A・H(登美ヶ丘教会)

 今回初めて広島体験学習に来て広島の過去をいろいろ知った。
 平和公園を歩いて、いろんなものを見た。その中で、一番心に残ったのは、韓国人原爆犠牲者慰霊碑です。日本に無理矢理連れてこられて毎日働かされて、その上原爆にあったなんてすごいかわいそうだと思った。

 韓国人だからということで原爆手帳をもらえないていうのを聞いて、日本人も韓国人も同じ場所にいて、同じ様に原爆にあったのに、日本人じゃないからだめなんてひどいと思った。慰霊碑だって、平和公園の中に建てられてないけど、人種が違うだけで差別するのは、信じられなかった。

 体験談を聞いた時も、たくさんの差別があって、苦しい思いをたくさんしてきたということを知った。今も、まだまだたくさんの韓国の人が苦しい思いをしていると思う。このことを知った戦争を知らない韓国人の子は悲しく思うと思う。
 私は、今まで戦争について深く考えたことはなかったけど、今回でたくさんのことを知った。だから、今回たくさん戦争について学んだことを、もっと回りの知らない人に教えてあげられるようになりたいし、戦争の前から今でも続いている差別のことも、もっと知りたいと思う。

 今は、みんな戦争なんて関係ないと思うくらい平和で幸せだけど、世界のどこかで、たくさんの人が戦争で死んでいっていることを知って、平和をもっと大切にしないといけないと思う。

語りつがなければ
    Y・S(希望の家)

 この4日間は、私が本当の平和とはなにかとゆうことを真剣に考えた日だった。広島に来た人は皆、真の平和を願っている人ばかり。平和行進、平和祈願ミサと平和などの行事に私は初めて参加し、そこではじめてみんな本当に世界人類の平和を願っているんだなと思いました。今、この地のどこかで戦争というものが絶え間なく続いている。そこの人たちは、一日でも早く平和が来てほしいと願っている。
 私は、戦争を味わったことがない。ということは、平和なんだ。戦争を知らないということも、平和につながるけど、過去のことを知り、またあらためて平和がどんなに大事か知りました。あの広島と長崎に二度も落とされた原子爆弾。今もなお、仏の核実験がおこなわれている。みんなテレビで言っている。「核実験は正しくない。」と、そんなみんなの願いが、これからの世界人類にとても大きな役割になってくると思う。
 また、次々と生まれてくる子供たち。その子供たちがけっして戦争と言うものをまた繰り返さないように、私たちが戦争という残虐さを、代々語りつがなければならない。そして、いつか必ず真の平和がやってくるに違いありません。
 今ここにある小さな平和がおおきなつながりになるでしょう。二度と戦争がおこらない。核をいっさい使わない。みんな守れば必ず来る。本当の平和が。

原爆手帳
     Y・A(草津教会)

 私が学んだことの一つは原爆ということ。原爆は後に生まれて来る原爆二世、三世にも被害があり、稲までもが被害にあうことです。原爆が投下され、はや50年。投下当時こんなになるとは、だれが予想したでしょうか。今、広島は原爆投下都市におもえなほと発展しているのです。私達は知らないけれども、昔被害にあった人はさぞ驚くことでしょう。
 まだ今苦しんでいる人がいます。被爆なさった朝鮮人・韓国人は原爆手帳を取得できない人がいます。取得できたとしてもすぐ期限がきれ、何回も取得しなければならないそうです。今だに原爆手帳を取得してない方々もおられます。そして道ばたのカンバンに「原爆手帳」という字がかいてあってびっくりしました。


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京都教区信徒連絡協議会からの報告

9月9日(土)〜10日(日)網野教会で京都教区信徒連絡協議会が催されました。村上(真)師、滝野師、小池師と、各地区から信徒二十七名が参加しました。
 一日目に、村上(真)師と滝野師より話しがありました。

 8月21日〜23日の京都教区司祭修道士総会で、田中司教のメッセージに応えて、「共同宣教司牧」への取り組みのために、司祭達は各地区で定期的に集りを開いています。
 又、「京都教区共同宣教司牧推進チーム」を設置するように田中司教に上申しています。

 現在、京都教区では、西院〜桂、伏見〜桃山〜八幡、大津〜唐崎〜安曇川で共同宣教司牧が行われており、共同宣教司牧について司祭は大体理解して来たが、信徒には徹底せず混乱がありました。今後、更に充分な説明と学習が必要です。


 小教区の垣根は徐々に低くなって来ているように思いますが、当面の問題として、近隣小教区の協力関係を一層深めあう事から始めたいと思います。特に京都北部では以前から緊密な連携が採られているように思いますし、又、大津地区では共同宣教共同宣教司牧が向上したように思われます。
 その後、京都北部、滋賀、京都南部各地区より活動報告がありました。

 ニ日目は、ミサの後、分かち分かち合いをしました。
 「20XX年の京都教区」に対して信徒として応えて行くには?
 まず知ることが第一。京都南部信徒協議会壮年部主催で、四人の司祭を招いて勉強会を実施し、六十三名が参加しました。
 司祭減少、召命希望者が殆ど無く、信徒も増加しない状態から、教区の将来は、どのようになるのかと危機感が高まって来た、その一つの対応策として、対処療法としてでは無く、本来的な在り方を重視した上で、共同宣教司牧が浮上して来ました。実施する上で大切な事は、全信徒が認識を深める為に学習会を持ち、自己刷新を計る事ではなかろうか。
 信徒数の減少は、帰天者と入信者の数を見れば明らかです。
 入信希望者へのアピールは、信徒の生活そのものが鏡である事を考え、祈りと喜び及び愛の奉仕に努める事が大切です。
 学習会は役員だけでなく信徒全体ニ広げて実施したい。まず、各地区の役員が学習し、次いで各小教区、又は近隣小教区合同で、ミサ後や信心会後だどに少しずつでも学習出来ると思います。学習には既に教区時報一八八号以来掲載されている、田中司教やその他の方からの言葉を資料としたらどうでしょうか。
 単なる勉強会に終わる事無く、実際の活動に活かせたいものです。従来から、カトリックは受け身的な信徒が多いといわれて来たが、受け身から脱却して、自主的に考え、活動出来る信徒へと刷新していきたいものと思います。
 最後に綾部教会から、一年間の教会閉鎖が解かれ、これまで当り前と思っていたミサとご聖体の大きな喜びを感謝しています。

 二日間の分かち合いから次の合意がなされました。
 各地区で「2000年の京都教区」への認識を深める為に
一、勉強会を開くこと。
一、その為に指導者が必要なら、福音センターを通じてすること。
一、各地区での成果は福音センターに提出すること。
☆資料 共同司牧のすすめ、2000年の京都教区、20XX年の京都教区、京都教区アンケート解説書〜よりよき宣教共同体となるために〜、ともに喜びをもって生きよう、家庭と宣教、など。

 尚、昨年の京都南部での申し合わせに従い、来年は三重で世話になる事を確認しました。

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自然のなかでのキャンプ


 8月12日〜15日、カトリックスカウト(CBS)京都支部の第3回合同野営大会(キャンポリー)がマキノスキー場で行われ、四百八十名が参加しました。

 キャンプ場の朝は早く、午前6時旗揚げの合図で一日が始まります。テントの中で朝の祈りや、洗面、朝食づくりなど、各班毎の動きはまちまちですが、今日のプログラム、CBSキャンプの中心的行事である野外ミサと各団混成による全体プログラム、そして営火の準備と実行に向けて、スカウト、指導者、スタッフ全員の活動開始です。
 午前9時半、田中司教到着。キャンプサイトの中央に立てられたテントに祭壇が作られ、竹筒には野の花が挿入されています。それを囲むように全員が集合。バルデス神父、CBS山口会長も出席されて、野外ミサが行われました。
 時折吹き抜ける高原の涼風の中でキャンプのテーマ「野の花、空の鳥」(マタイ6章25節〜34節)野福音と田中司教野お説教が印象的でした。猛暑野かなかで美しい花々が咲き、鳥たちのさえずりが聞える自然野恩恵に浴し、日常生活とは違う「時」を過ごすことの幸せを神様に感謝しつつ大きな力がはたらいていることを実感いたしました。
 午後からは、ハイキング、ゲーム、クラフトなどの全体プログラムと夜にはいって営火で友情を深め合いました。(T・M)

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ソフトボール大会に参加してみませんか

 来る12月3日(日)、京都教区青年ソフトボール大会を実施します。
 上手でも下手でも結構、思いっきり汗をかき運動したいあなた、日頃運動不足野あなた、何か知らないけど、とにかくワイワイ騒ぐのが好きなあなた、参加してみてはいかがでしょうか。寒いからいやだなと思っている人、心配は全くいりません。動いてハッスルしているうちに、すぐに暖かくなります。皆様方がスポーツと通して交流を深め、心身共にHOTになるために計画しました。たくさんのご参加をお待ちしております。
 参加については、チーム・個人どちらでも構いません。申し込みは青年センターの方へご連絡下さい。

●申し込み先
 〒604 京都市中京区壬生淵田町26 西院カトリック会館内
 京都カトリック青年センター
電話 075(822)6246

 

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