1996/11 No.228

京都教区時報11月号

・私達の信仰の原点

・韓国におけるハンセン病の移動診療

・マサヤカバ?(幸せですか?)

・大聖年を迎える準備に際して

・日本二十六聖人の横顔

・あんてな

・みことばをかこう書道・絵画展


私達の信仰の原点

   マカオに出かけて小さなフランシスコ会教会を訪れる人は少ない。ここにはフランシスコの上腕の骨の一部や、日本の殉教者の遺骨が安置されている。この教会は迫害に追われた切支丹達の努力で建ったのだと言う。静かに声もなく、忘れられた様に立っているこの教会に、私達の信仰の原点を祈りの中に見出す。

 フランシスコ・ザビエルは、全世界の魂に主のいのちの喜びを伝えようとこのマカオに現われた。それは450年前のこと。ザビエルの宣教精神を理解出来ない人は、この熱意を世界侵略の熱意と誤解する。でも私達にはわかる。彼の心に燃えていたのは東洋の征服ではなく、魂の救いであったと。

 彼の日本での宣教はむしろ失敗。そこで彼は上州島から中国本土の人々に福音を伝えようとする。そこで熱病におかされ帰天する。だが、彼の蒔いた一粒の種は大きな実を結ぶ。その一つが日本二十六聖人の殉教のあかし。

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韓国におけるハンセン病の移動診療

 聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会

 1960年代、韓国は近くて遠い国という意識が日本のなかにありましたが、近年はスポーツ、芸術を通し、喜びを共にすることから近親感が出てきました。

 移動診療を始めた1978年当初、韓国全体で推定6〜8万人の(登録している人は少ないです)ハンセン病者がいるといわれていました。現在では、特効薬の開発などで早期治療を受けて治癒する人も多くなり、また高齢で死亡する人もあり、2万人足らずと言われています。

 私たちとハンセン病者の関わりは、1978年に県より、6カ所の定着村と11カ所の保健所を委託され、対象のハンセン病者は540名でした。最初は週2回、医師・レントゲン技師を伴っての医療チームによる巡回は、午前6時30分頃、京畿道(キョンギド)を出かけ、ソウル市内を通り抜けて北に2時間進みます。人々は山の麓とか不便なところに住んでいます。何故なら、政府から与えられた土地は未開の土地でした。

 その人々は、不自由な手足で土地を開拓していきました。病気で感覚麻痺があるために、手足は傷つきやすく腐っていても気がつかず開墾しつづけ、その結果、発熱し手足の切断となった方もいます。視力障害も加わってきます。上・下水道の設備もなく不自由で、劣悪な生活環境の中で、やっとの思いで子どもたちを育てていました。

●今も差別を受けている


 子どもたちも大きくなると、都会へと出て行き、自分の出生、故郷を隠し、親を捨てることも多く、ほとんど両親の元に帰ってきませんし、姿を見せることも少なくなります。ですから、その人々の住んでいる所は、ますます閉ざされた地域になってしまいます。
 行政では、このハンセン病者は老齢化により自然死するから特に力を入れる必要はないと公的援助が少なく、他の福祉に力を注いでいるという傾向があります。彼、彼女らが、交通事故に遭っても、交通事故による傷は治療しますが、他の傷は放っておくのです。彼、彼女らは、いつも沈黙のうちに差別を受け排斥されるのです。

●神様がその人のなかにいる


 私たちは、この診療以外にもう一日、看護婦の治療チームをつくり、少しでも、その人々に人間の大切さ、生きていることの必要性、大切な方であるという意識と生きがいを持っていただくために始めました。傷の治療と予防のために、バケツ、タライ、やかん、タオルなどをワゴン車に積み込み、彼、彼女らの所に向かいます。そこは設備がありませんので、私たちは一人一人の傷をタライで素手で洗い、そして膝の上に置いて治療をはじめていきます。

 こうした様子に人々は驚き、「親、兄弟にさえしてもらったことがない」と恐縮がり、日本の土生妾のようになったボコボコの手を広げて「シスターありがとう」といわれます。自分たちの変形した体と傷を人前にさらし触れさすことだけでも恥ずかしく、大きな勇気と努力がいるのです。私たちは、この人々の努力と謙虚さに、頭がさがります。そこに、神様がその人のなかにいることを身にしみて感じます。

 傷の手当にも、一枚一枚のガーゼはきっちりと正確におられています。外出において、大きな傷を小さく目立たないように手当を工夫するのもひとつのコツです。

 これらの移動診療がうまくゆくために、陰で支えているボランティアグループがあります。日本から長期ビザで、全て自己負担で来ているボランティアもあり、愛を分かち合ってくださる方々、韓国在住の日本大使夫人を会長に、ボランティア組織「霜月会」があります。軟膏剤の材料費の援助、ある一日は、お弁当持ちで、ガーゼ折りなどの衛生材料作りなど奉仕してくださっています。こうした隠れた愛の輝きが、一人一人のハンセン病の方々の心にともしびの油となっていけたら幸です。

 私たちの国に文化を伝えてくださった韓国(朝鮮)は、関西空港からソウルまで一時間半。往復渡航費は6万3千8百円(9月4日調べ)と、近くて親しい国です。

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マサヤカバ?(幸せですか?)

 M・T(大和高田教会)

 8月12日〜23日までフィリピンで行なわれた、京都教区青少年委員会主催の青年アジア体験学習の感想文です。


●貧しさって何だろう


 今、フィリピンで過ごしたあの15日間を思うとき真っ先に思い出されるのは、楽しく平和で幸せだったホームステイでの日々だ。私が滞在した村アビアウィンの豊かな自然、ゆっくり流れる時間。そして何より他人を受け入れる素朴な温かい心。誰でも家へお入り。家にテレビがないのなら私の家でいっしょに見ようよ。そういう心が自然と満ちている彼らの生活に、受け入れてもらっていると実感した日々は忘れることができない。

 その一方で、フィリピンにいるときから感じていた「わからない」という感情が、日がたつにつれふくらんでいる。確かに十五日間、私達はマニラの豪邸に泊まり、スラムへ行き、田舎の村に滞在し、貧富の差の大きさを身をもって感じた。加えてスラムと田舎の村の貧困すら大きく異なっている現実を知った。

 しかし、やっぱりわからない。貧しさって何だろう。水道もガスもない小さな家での決して豊かとは言えない生活の中で、一度も満たされていないとは思わなかった。でも日本での生活に比べると「貧しい」のだろうか。私は日本にいるときの方が「あれも欲しいこれも欲しい」と満たされない気持ちになる。

 また、田舎の村での幸せな時間の中で「日本人はお金持ちだね」「子供の学費を出してくれないか」「私ジャパゆきさんになりたいの」といった現実的な言葉に、大きなショックを受けた。だが誰も彼女らの言葉を否定することはできない。素朴でのどかな彼らの生活よもお金は支配している。お金を求めてあくせく働く私達日本人に何が言えるだろうか。


●幸せとは何なのだろう


 また、政府が彼らの住むインファンタに道路をつけ、港を開き、産業化をすすめる計画をしていると聞いたとき、正直言ってやめてほしいと思った。あの森を倒し海を汚し、さらには人々の心までも変えてしまうに違いない。だがその一方で、彼らが職を得て少しでも豊かになるであろうことも間違いない。だから「やめて」と私が思うのは外の人間だからだろうか。彼らにとって幸せとは何なのだろう。
 本当に今回わかったことよりも、わからない、と気付いたことの方が多かった。多くの幸せな思い出と共に、自分に対する問いかけはこれからも続いていくのだろうかと思う。

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大聖年を迎える準備に際して

大阪管区司教団

 紀元2000年がもう目の前に近づいています。教皇ヨハネ・パウロ2世は、「時が満ちると、神は、その御子を女からお遣わしになりました」(ガラテヤ4・4)というパウロの言葉を引用し、「世を救う受肉の秘義」の恵みとして、紀元2000年に特別の意味を持たせ、「大聖年」と宣言されました。そして、過去を振り返り、心を入れかえ、祈り、学びながら、この大聖年を迎えるよう、全世界の教会にお勧めになりました。

 日本の教会は、この準備の時期に、来年1997年には「日本ニ十六聖人殉教400年」をお祝いし、1999年には「ザベリオ渡来450年」を迎えます。この期間には、特に日本の私たちが過去を振り返り、現在を見直し、未来を準備する、恵まれたよい機会です。
 大阪教会管区の5教区、名古屋、京都、大阪、高松、広島の司教たちは、これからの時代、一つ一つの教区が個別に自分の力で課題に取り組むだけでは、教会の使命を十分に果すことができないと考え、大聖年を迎えるに際しても、管区内の五教区が協力し合って準備したいと思いました。そして、各教区の準備の状況や、これからの計画などについて分かち合いました。

●各教区の取組み


 各教区の準備の状況については、名古屋教区は、教区の基本方針と優先課題を宣教司牧評議会で定め、それに沿った年間テーマを掲げ具体的に取り組んでいます。京都教区は、この秋に各小教区の5ケ年計画の決定を目指しています。大阪教区は、大震災を契機に新生計画を打ち出しています。高松教区は、日本殉教者に学ぶ道を歩んでいます。広島教区は、司教協議会の設置した大聖年準備特別委員会の指針に呼応した準備を進めようとしています。

 このように各教区は独自の計画をもち、その実現に努力しています。ですから、そこに管区として新たな課題を重ねて負担をかけるようなことがあってはならないと考えました。そこで、私たちは、「各教区はそれぞれの計画に取り組もう、しかし、その中で次の二つの観点をいつも頭にいれ、ともに大切にしていこう」と申し合せました。

●開かれた教会になる


 一つは、「ザベリオ以来の福音宣教を第二バチカン公会議から振り返りながら」という観点です。
 ザベリオおよびキリシタンの時代の宣教は400年以上前の出来事であり、それ以来、日本の教会はそこから多くのものを学びつづけました。しかしながら、現代カトリック教会の福音宣教の理解からすれば、どうしても改めなければならないことも少なくありません。特に今から30年前に開かれた第二バチカン公会議は、世界レベルでそれまでの教会の歩みを振り返り、「開かれた教会になる」ことを決断しました。この決断を私たちも大聖年を準備する中で大切にし、二十一世紀の教会を育て、福音宣教を推進することを目指すべきだと考えます。その意味で、過去から現在に至る教会の歴史的な変化、発展を振り返りながら、キリストからいただいた福音をいっそう深く洞察するよう努めたいと思います。

●生き方による具体的なあかし


 もう一つは、「日本の殉教者を大切にしながら」という観点です。
 日本の教会の歴史に残る数多くの殉教者たちは、無名の方々を含めて、私たちの誇りであり、信仰をふるい立たせる模範です。しかし、かれらを過去の偉人として称賛するだけでは足りません。もともと「殉教」という言葉は、福音を「あかしする」という意味を持っています。現代人は、言葉による説明以上に、生き方による具体的なあかしを求めています。現代日本の社会において、私たちが命までもかけるべき、福音に基づく決断とは何なのか、祈りのうちに学び、生き方を振り返り、あかしにふさわしい生き方に変えていかねばなりません。

 暦の上で新しい世紀が来ても、その日から物事が一度に変るわけではありません。新しい世界の到来は、まず、救いの源である御父と救い主キリストと聖霊とのお働きの恵みによるものです。同時に、この恵みに支えられ、この恵みに感謝を込めて喜んでこたえ、回心の道を歩み、現実を変えていかねばならないのは私たちです。

 私たちは、同じ教会管区の兄弟姉妹として、以上述べた二つの観点を共に大切にし、二十一世紀をほんとうに新しい世紀とできるように力をつくしましょう。


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日本二十六聖人の横顔

1 聖フランシスコ吉
 京都。大工。逮捕されてはいないが、殉教者と行を共にしたいと願い、長崎への途中で捕らえられ、殉教者に加えられる。年齢不祥。

2 聖コスメ竹屋
 尾張。刀剣師。受洗後、伝道士として大阪のマルティン神父を助ける。愛をもって病人の世話をする。38歳?。

3 聖ペトロ助四郎
 京都。殉教者の世話をするようにと、京都のオルガンティノ神父から派遣されたが、途中、自分も縄を受け、受刑者の一人に。年齢不祥。

4 聖ミカエル小埼
 伊勢。弓矢師。宣教師の説教を聞き、信仰の道へ。フランシスコ会第三会に入会。息子トマスと共に殉教。46歳。

5 聖ディエゴ喜斉
 備前。修道者。体をヤリで貫かれる時、小声でイエスとマリアの名を唱えた。64歳。

6 聖パウロ三木
 摂津。修道者。わたしは何の罪も犯したわけではござらぬ。キリシタンの教えを広めただけで処刑されますると群集に。33歳。

7 聖パウロ茨木
 尾張。弟レオン烏丸と共に貧者、病人の世話をし、布教に力を尽くす。死を前に「神よ、あなたに命をささげます」と祈る。54歳。

8 聖ヨハネ五島
 五島。修道者。父上も神の教えのまことを信じ、神にお仕えくだきるようと言って自分のロザリオを父に渡す。19歳。

9 聖ルドビコ茨木
 尾張。京都のフランシスコ会修道院で侍者として仕える。司祭が逮捕の時、披は除外されたが、捕らえるよう願い出た。「自分の十字架はどこ」と刑場で尋ねた話は今も語り継がれる。最年少者。12歳。

10 聖アントニオ
 長崎。父親は中国人、母は日本人。マルチノ神父に京都に連れて来られ、他の少年たちと共に教育を受ける。刑場こ来て嘆く両親に、慰めと励ましの言葉をかける。13歳。

11 聖ペトロ・バブチスタ
 スペイン。司祭。キリストにならって両手を釘づけにされることを願った。イエズスとマリアの名を呼び息絶える。48歳。

12 聖マルチノ・デ・ラ・アセンシオン
 スペイン。司祭。ヤリで体を突かれる時、大声で「主よ、わが魂を御手に委ねます」と叫んだ。30歳。

13 聖フィリッポ・デ・ヘスス
 メキシコ。修道士。喜びの涙を流し、賛歌を歌って息を引き取る。24歳。

14 聖ゴンザロ・ガルシア
 インド。修道士。ヤリで突かれる前、刑吏に悔俊と改宗をすすめたという。40歳。

15 聖フランシスコ・ブランコ
 スペイン。司祭。十字架にはりつけられた時の顔は、微笑が死後も消えなかったという。28歳。

16 聖フランシスコ・デ・サン・ミゲル
 スペイン。修道士。若くしてフランシスコ会に入会。貧しい人や病人の友となり、愛徳の実践者。53歳。

17 聖マチアス
 京都。家がフランシスコ会修道院のすぐ近くにあった。洗礼後、間もなく迫害が始まり捕ちえられた。年齢不祥。

18 聖レオン烏丸
 尾張。パウロ茨木の弟。フランシスコ会士のもとで伝道士。京都市中の人たちに尽力し、「神の聖役者」と呼ばれる。48歳。

19 聖ボナべントゥラ
 京都。出生後受洗。両親の死で仏教徒として育ち、子供のとき僧侶になるため寺に入った。ある日、洗礼を受けたことがわかり、フランシスコ会の同宿として教理の勉強に励み、布教に尽力。年齢不祥。

20 聖トマス小崎
 伊勢。ミカエル小崎の息子。マルチノ神父を手伝う。信仰深い少年で、司祭になる希望を持ち、母親にあてた手紙は感動的。14歳。

21 聖ヨアキム榊原
 大阪。最初は医学を学んだ。ある日、宣教師の説教にひかれ受洗。貧しい病人たちのために働く。40歳。

22 聖フランシスコ医師
 京都。豊後の大名、大友宗麟の侍医を務める。京都で洗礼を受け、聖ヨゼフ病院で活躍。46歳。

23 聖トマス談義者
 伊勢。キリシタンの教えを聞き改宗。その後、フランシスコ会の伝道土として働く。強い正義感の持ち主。36歳。

24 聖ヨハネ絹屋
 京都。織物師。修道院近くに住み、外国人宣教師と接触の機会が多くその教えを聞いて洗礼を受ける。28歳。

25 聖ガブリエル
 伊勢。京都奉行に仕えていたが、改宗してフランシスコ会に入り、司祭、修道士の仕事を手伝う。両親も信徒に。19歳。

26 聖パウロ鈴木
 尾張。若くして洗礼を受け、フランシスコ会の伝道士。通訳として外国人司祭の布教を助け、自らも説教師として活躍した。49歳。

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これであなたもジョバニ通!

 みなさん、こんにちは。こちらはジョバニ編集部です。ジョバニは、イタリア語で「若者たち」を意味する、京都カトリック青年センターだよりの名称です。現在は2ヵ月に一度発行し、みなさまの教会へ、セッセと愛情をこめてお届けしています。
 今年で創刊7周年、47号を迎えており、幾度かはみなさんの目に留まったことがあるかと思いますが、内容までは目が行き届いていないという方が多いのではないでしょうか。

 私共は青年はもちろん、中高生をはじめ青春を駆け抜けて行かれた方にも、是非ジョバニを読んでいただきたいと思っております。なぜかと申しますと、青年センターに集まる人間というのは限られたものであり、各小教区にいる他の青年との意思疎通や交流はどうしても十分なものとは言い難いからです。

 そこでそれを少しでも補うためにも、青年による青年のための企画を提案したり、貴重な体験をされた方にはそのことを報告してもらい、それを特集することによって分かち合う手がかりとなるようにと努めております。他にも読み物あり、4コマ漫画ありと充実した紙面づくりを心がけております。

 それもひとえに記事を通じて私達が何を考えているのかということを様々な人に広く知っていただきたいと願っているからです。
 これからもより多くの方に愛されるジョバニでありたいと思います。みなさまからのご感想をお待ちしております。


ジョバニ編集長 M・Y

 

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みことばをかこう書道・絵画展

 今年も、聖書週間行事としての「みことばをかこう書道・絵画展」が、11月12日〜24日まで、西院カトリック会館ホールで開催されます。又、昨年同様三重県カトリック研宗館でも開催を予定しています。

 昨年の出品参加者は、成人が110点、児童が178点、計288点。この他、聖母カテキスタ会員の上本白水先生の書画7点が、特別出品として会場を飾って下さいました。

 毎年協力して下さる聖家族女子高校生、ノートルダム小学校生、沖縄海星小学校生、亀岡、唐崎、大和八木、高野の諸教会からの素晴らしい作品に加えて、昨年は大阪教区の大東教会、門真教会から作品が寄せられ、この行事が教区を越えたものになって来つつあることに喜びを感じています。

 「神の園」「のぞみの園」「希望の家」からは、94歳を最高に、90代、80代のお年寄りの方々が50程、「いのち」の輝きを披露して下さいました。
 展示終了後、チェーンにかけられる作品の50点程を津に送り、三重県の方々にも観ていただきました。
 神のみことばを表現した作品は、素材そのものが素晴らしいために、展示会も独特のよさをもっています。みことばを味わい伝えるために、今年もどうぞ参加下さい。

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