1994/12 No.205

京都教区時報12月号

・クリスマスと新年にあたり

・バングラディシュ印象記

・第20回正義と平和全国会議へのご協力のお礼

・三重カトリック信徒壮年大会に県下の壮年集う

・滋賀県青少年夏期練成会報告

・信徒使徒職養成コース

・あんてな


クリスマスと新年にあたり

 平和をつくる人は幸い


    ライムンド 田中健一

*平和を祈る

 間もなくクリスマスがめぐって来ます。クリスマスは「平和の君」の誕生だと降誕祭夜半のミサは語ります。「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。その名は、『平和の君』と唱えられる。平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって今もそしてとこしえに、立てられ支えられる」(イザヤ9・5〜6)。
 平和の実現は、私達キリスト者の夢であり、祈りです。平和を祈りましょう。



*戦後50年

 さて来年は、丁度大戦終了50年にあたります。あの悲惨な第二次世界大戦を終えて50年が発ちました。私達司教団では、この戦後50年という節目の年にあたって、胸を打ちながら真の平和を考え、祈り、その実現に向けて発言し、努力したいと思っています。

*政教の緊張の中で

 11月19日から3日間、社会司教委員会主催で、「社会問題研修会」が開かれました。内容は「諸宗教対話」を切り口に、政教分離を考え、又憲法20条から戦争を考える事でした。
 政教分離と言う時、政治と宗教は全く無関係であり、政治する側も教会の側も互いの事に触れてはならない、と言う不文律の様なものがある。それを押し進めた結果、「社会と教会」が遊離してしまうという事態が起ってしまいました。
 他方、余りにも融合しすぎると宗教が国家権力のかいらいとなってしまう危険もあるのです。そういう緊張の中で教会や宗教の歴史はゆらいできました。

*現代教会が求めるもの

 でも現代世界憲章が私達と共に確認した様に「世界の中のあらゆる人間的な事がらで、キリストの弟子たちの心に反響を起こさないものは一つもない」のですから。
 政治、経済、文化、家庭、国際共同体の全ての問題に関わり発言し、世界平和のために努力しなければならないのは言うまでもありません。京都教区ビジョン(社会と共に歩む教会)、第1回NICE(社会に開かれた教会)も、同じ福音の視点に立っています。私たちはもう一度改めて、現代世界憲章と諸文書、第1回NICE、教区ビジョンを見直してみる必要がある様に思えます。
 キリスト者として世界の中にあって、真に福音に従って生きるためには、世界の中におこる全ての事柄、特に平和の問題を避けて通る事は出来ないと思います。

*平和の作り手

 「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5・9)を深くかみしめ、平和の使者、平和の創始者である御子キリストと共に、私たちも平和の作り手、使者であるにはどうしたらよいか共に考え、祈り、実践する人となる決心を共に新たにしてみたいと思います。善意ある全ての人々に平和があります様に。

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バングラディシュ印象記

結針灸整骨院院長 S・F

 KYOSIAからの援助で、中国針研修生として派遣養成された、バングラディシュの青年、トーマス・バルマ君が目下チッタゴンを中心に医療活動を続けている事は、みな様の物心両面の御協力のお陰です。今年の8月、この派遣の当初から親身になり、お世話下さっている藤井先生が、現地の様子を視察し総括するため、わざわざチッタゴンまで時間をさいて行って下さいました。藤井先生は、中国での養成所紹介から始まり、トーマス君の研修中にはわざわざ中国まで様子を見に行って下さっています。こうした先生のゆきとどいた熱心な力添えを、私達一同心から感謝申し上げます。

 以下に藤井先生が当地の視察の模様を記された印象記の一部をここに掲載させて頂きます。

*小数民族出身のDrトーマス

 Drトーマスは週2回はバンダルバンという、チッタゴンから60〜70キロメートル離れた先住民・小数民族の居住する地域へ行き、あとはチッタゴンで治療活動をしている。都市部には比較的医者はいるが農村部にはほとんどいない。

 今回の私の訪問の目的は治療活動ではない。Drトーマスの治療活動のための技術的、精神的援助とDrトーマスの北京より帰国以降1年半の現状を調査し、針灸プロジェクトについての総括をすることにあった。Drトーマスのクリニックはチッタゴン初の針灸クリニック。首都ダッカにも針灸クリニックは二〜三ヶ所あるだけらしい。針灸という治療法がほとんど知られていない地域だが、まずまず患者さんも来ておりチッタゴンに針灸が定着しつつある感じがした。

 私が訪問したときは、日本から針医者が来たということで大挙して患者さんたちが来られ連日遅くまで治療が続いた。
 クリニックは司教館から歩いて一分という至近距離。以後、午前中は技術的、精神的援助のための文書作成、特に前日治療した患者をどう捉えるかについてのレポート作成。午後2時半頃からDrトーマスへのレッスン、二時から九時頃までは具体的に治療を通じての技術指導というプログラムでの五日間となった。
 午前中2回、YWCAなど社会的活動をやっている場所への見学に参加した。他のメンバーは連日、見学・交流につとめていた。

*え!みんな胃が痛いの?

 短い滞在中に診た患者に限って言えば、端息、胃潰瘍、及び胃痛、糖尿病、各種関節痛が多いという印象を受けた。すべて針で治療できる病気だ。脳血管障害(脳卒中)の後遺症の治療も多いが、これは日本の針灸で脳卒中を治療する機会が少ないだけの話だろう。
 脳卒中のリハビリに針灸は非常に有効だが日本では病院での治療にほとんどまかされ、針灸にはあまり患者が回ってこないのが現状である。端息はチッタゴンの大気汚染が原因だろう。湿度の高いことも中医学的には影響していると考える。
 とにかく自動車の排気ガスはすごい。自動車の整備が悪く一台で数台分の排気ガスをまき散らしている。
 胃潰瘍、胃痛はスパイシーなカレーの多食のせいか?いろいろな患者が様々な訴えとともにほぼ全員といっていいくらい胃痛を訴える。

 日本ではいろいろな患者が訴えとともにいわゆる肩こりをいうのに似ている。バングラディシュは肩こりの患者はほとんどいない。糖尿病について言えば、ダッカに行ったとき、国立糖尿病センターともいうべき名称のビルがあったのには驚いた。日本ならさしずめ国立ガンセンターといったところか。

 スパイシーなカレーの後は、甘い紅茶やお菓子、とにかく甘いものをよく食べるという感じがした。中医学的に言えば、糖尿病は、蘊熱、熱の病気である。甘いもの、油こいものの過食やストレスが熱と化しておこる病気と言われている。一年通じて暑い気候、高い湿度も化熱させやすい原因となっているような気がした。
 例えば高カロリーの食品の過食は中医学では湿熱の邪となり易いと言われている。湿と熱と比べた場合、日本では湿の比重が高く、熱の比重が低い場合が多いが、バングラディシュはその逆という気がした(日本では熱を伴わない湿、寒湿も多いが)。熱が多ければ、とりあえず、気はめぐりいわゆる肩こりは起きにくい。その代わり、頭痛、めまいがおきやすくなる。事実、バングラディシュでは、頭痛、めまいが多い。脈は熱をあらわす数脈が多く湿を表す厚い舌苔は、日本の患者よりは見ることが少なかった。化熱しているため苔がへっていると思われる。

 バングラディシュで好まれている嗜好品ビンロウは舌を赤く染色し、舌を見るのに著しい障害となる。Drトーマスは、ビンロウを飲み込むのも胃潰瘍の一因ではないかと言っていたが、ビンロウには消枳、降気、つまりは胃の調子をよくする薬効もある。ただし、これは煎じた場合であって、直接生をかんで飲み込むのがどういう作用となるのかはわからない。
 ビンロウは私もかんでみたが覚醒感がして口の中にミントに似た香りが広がりスッとする感じだ。人によってはめまいを起こすと言っていた。今はタバコをやめているが、昔タバコを吸ったときの感覚に似ていた。

 バングラディシュでは金持ち、ないしは比較的余裕のある人と、貧乏人は体型でわかる。クリニックに来ている中で、お金の払えない人はみんな痩せている。Drトーマスはお金の払えない人は無料でみている。下腹部のつき出たいわゆる肥満体の人はたいてい糖尿病を持ち、服装もいい。街で見かけたリキシャの運転手たちは、みんな中肉中背か痩せている。彼らはほとんどスラムから働きに来ているらしい。分かりやすい国だ。
 精神病、神経症、あるいは中医学でいう気うつ神経症的な症状は、ほとんど女性に見られた。イスラムの国での女性の抑圧された状況を表しているのかもしれない。ただし、気うつが女性に多いのは日本でも同じだけれど。

*クリニックにいた不思議な青年

 Drトーマスのクリニックに手伝いの青年がいた。最初は有給の助手かと思ったが、どうもそうではないらしい。では、彼は誰か。トーマスによると友人だと言う。
 日本人の感覚からすると、ただの友人がここまで手伝ってくれるのは想像がつかない。彼は私のいる間中、クリニックにいて手伝ってくれただけではなく、Drトーマスの家に呼ばれたときもいて食事の準備も手伝い、給仕までしてくれた。
 彼は英語ができず、私たち日本人はベンガル語ができない。直接話はできないが、よく手伝ってくれる。日本人の間ではどうも失業中ではないかという話に落ちついた。それでは職業を聞くのも失礼だ。
 治療の最終日になって、やっと謎が解けた。彼は休暇中の兵士だったのだ。明日は軍へ帰るという。私たちは固い握手をして別れた。

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第20回正義と平和全国会議へのご協力のお礼

 京都教区の皆様の、熱い祈りとご協力と、熱意と献金に支えられて、第20回正義と平和全国会議を、大きな実りと、新しい活力を得て終えることができました。第4回全国会議が京都で開かれてから16年ぶりのことです。全国から集った皆様からは、大変ご好評をいただいております。これもひとえに皆様方のご尽力、ご協力の賜物と感謝いたしております。

 また、「聖書と差別」のシンポジウムには、多くの地元の方の参加をいただき、ノートルダムのあの大ホールがいっぱいになりました。シンポジウムに参加してくださった方は、おそらく、聖書の読み方が今までとは少し違ってくるのではないかと思います。どんな視点で聖書を読むかによって、解釈が大きく変るのではないかと思います。どうぞこれを機会に、正義と平和の視点からもう一度聖書を読んでみられたらどうでしょうか。これを機会に正義と平和の活動が京都の地に根付くことを祈っています。


(第20回正義と平和実行委員会)

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三重カトリック信徒壮年大会に県下の壮年集う

◆希望の家ボランティア募集


1.【バザー】希望の家では、大バザーを11月に、またミニバザーを7月と2月に行っています。これらのバザーの主旨は、地域福祉事業のセンター的役割を担う希望の家の運営・活動資金捻出のためと、地域の人との交流のためです。これらのバザーに向けての準備は一年を通し行っており、特に古着の仕分けには多くの時間を費やさねばならず、常に人手不足に悩んでいます。水曜日か木曜日の午後1時から5時までの内で少しでもお時間の有る方、御連絡ください。


2.【憩いの部屋】地域のお年寄りを中心にした《憩いの部屋》を週に2回もっています。これは、地域の特に一人暮らしのお年寄りを中心に、月一回は折り紙を、そして日常的には世間話をしたり、いろいろな相談事を聞き、共に考え、悩み、喜び、できる限りニードに応えていくというものです。火・水・木曜日の午後1時から4時までの何れかにお時間のある方、御連絡ください。


3.【野外プログラム】月一回六十歳以上のお年寄りのために《やすらぎ学級》を開いています。ここでは、衛生・栄養・安全に関する教室や手工芸などの文化教室、会食会などを開催し文化に親しみ、教養を高め、時にはみんなで楽しく食事をします。
 そして、春と秋にはみんなで野外リクレーションにも出かけるのですが、例年介助者が足りないために希望者の全てをお連れできないのが現状です。新緑の春、紅葉の秋の一日を、お年寄りと一緒に過ごして下さる方をお待ちしております。御連絡ください。


4.【巡回・訪問】安否の確認はもとより、より快適に、その人らしく生き生きと生活できるように助けていくために、65歳以上の一人暮らしのお年寄りの家へ随時巡回訪問を行っています。ここでは、一人一人の話しによく耳を傾け、ニードを聴き取る作業が必要です。また、病院や老人ホームなどに入られた方の訪問も行っていますので曜日は問いません。訪問できる日をご連絡下さい。


5.【配食サービス】何らかの理由で調理が困難な六十五歳以上の一人暮らしのお年寄り、または身体に障害を持った方を対象に、週に一〜二回月曜日から金曜日まで配食サービスをおこなっています。長年に渡り教会ごとに持ち回りでお願いしておりますが、諸事情で緊急に人手が必要になった際に、個人的にお手伝いしていただける方を求めています。御連絡下さい。
【連絡先】075(691)5615希望の家

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滋賀県青少年夏期練成会報告

 大津教会 R・Y

 夏休み恒例となった滋賀県青少年夏期練成会も、今年で19回を数えました。参加人数も21人と非常に少なかったのですが、その分誰もがひとつの家族の様に考えたり、遊んだり、祈ったりすることができたと思います。

*「生きること、死ぬこと」

 さて今年の練成会のテーマは「生きること、死ぬこと」という、元気すぎて、どう見ても死とは関係無さそう子供達には、一見少し重いテーマでした。
 生きている皆さん、私達は皆・平等に必ずいつか死を迎えることになっております。ところが死は意識上になく、あたかも死ぬことのない者の様に暮らし、ましてや生きていること≠ウえ(本当は生かせれている)意識することがありません。それでいいのでしょうか?また、何故なのでしょうか?一度身の周りを思い起こしてみて下さい。いかに死がないか。

*「死」について学ぶ

 では死が教えてくれる大切な事、そして逆に本当の意味の生とは何なのでしょうか。私が思うに、死によって生は有限で一度しかない貴重なものであるということ、そして唯生きるのでなく塩味の効いた、輝ける地の塩、世の光≠ニして生きることではないでしょうか。
 私達の練成会は、講義や黙想会といった形態は取りません。リーダーが用意して来たいくつかの議題について子供達が自主的にディスカッションしお互い理解を深めようというもので、必ずしも答えは出ず、内容はリーダーの思わぬ方向に行く事もしばしばです。ですから今回のテーマ死を知り、死を考えることによって、「生」を意識して本当の意味でより良く生きる≠ニいうゴールに行き着くのは難しいのですが、それよりどんな道ででもいいからゴールに少しでも自分の足で近づいてくれればと考えていました。

*希望を持って生きること

 さて私の直接担当した高校生について少し御紹介しましょう。先ず死についてどう考えているのでしょうか。ほとんどの人が自分の死について考えた事がないようです。次にもし自分が間もなく死ぬとしたら、落ちついてゆっくりしたり、友達や家族と話がしたいという人がほとんどで、中でもおふろに入りたい≠ニいうのは新鮮な驚きでした。基本的な質問の後、自由に話し合ってもらうと、どうやら「自殺」について関心を持っている様だったので、架空の自殺事件を設定し、各々の意見に関係なく自殺者弁護チームと自殺者批判チームに分けて模擬裁判を企画し、各チーム長時間の闘議の末、いざ開廷、自殺の是非、自殺以外の解決法の有無、自殺しても救われるのか、自殺者の心について激論が交わされ、その結果彼等はこういう判決を下した。死ぬ事は何の解決でもない。今生きているのだから一番大切な希望を捨てずに生きるべきだ。ひとりしか存在しない大切な人間だから・・・気が付けば、勝手にゴールを見つけていたのです。

*気づくこと、発見すること

 練成会が終わって帰りの電車の中である子がこう言ってくれました。「練成会には先輩とか後輩とかそんなんがない思った事が言える場所なんだ」と、大切にしたいこの場所を、何でも言える空気を、それがゴールを見出した要因に違いないから。
 昨年より、はっきりした絞ったテーマで内容ある練成会を目標に、まじめに、ざっくばらんに考え、祈り、次の世代の教会を担う者として、教会の中で、社会の中で、自分の役割に気付き、自分の使徒職を見つけるきっかけを創っていこうと県教会学校教師会を中心に努力して来ましたが、県連合会、準備委員会等の多くの人の協力や祈りが、大きな助けとなりました。また今後も続くであろうこの活動に皆様お祈りいただければ幸いです。
 最後になりましたが、今回指導司祭を簡単に引き受けて下さった村上真理雄神父様、お陰様で終始あたたかい雰囲気で、かつけじめのある三日間になりました。感謝しております。

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信徒使徒職養成コース

*養成コースとは

 最近はこの紙面をかりて度々、信徒使徒職養成コースについて紹介して参りました。今回は各コースのねらいについて紹介させていただきます。
 先ず初めに信徒使徒職養成コースの第1回は1980年に実施されて以来、今年の最後のコミュニケーションコースで100回目を迎えました。14年間で100回のコースを実施出来たことは、司教様始め、司祭の皆様、信徒の皆様の宣教への熱意と、物心両面に亘る多大なご援助のお陰と感謝しています。
 洗礼によって与えられた宣教の使命は司祭と信徒の連携を保ちながら、それぞれの役割を把握し、与えられたカリスマを用いて、人々の救いのために奉仕して行くことだと思います。司祭の不足によって信徒の協力が必要となったのではなく、キリストご自身が多くの弟子達と共にその使命を生きて行かれたように、教会は誕生の始めから、司祭も信徒もそれぞれ固有の大切な役割をキリストからいただいていると思います。
 学習や、研修に与ることは、人を指導するためではなく、人々によりよく仕えるためでり、能力や、時間、健康に恵まれた人だけが宣教するのではなく、どんな状況下にあっても、その使命を生き果たして行くことを具体的に学ぶことが養成コースの大きな目的です。

*基礎コース

 共同体の基礎となるコミュニケーションの訓練・信徒が自分に与えられたカリスマを自覚し、宣教の責任を分担する熱意を育て、自信をつけること。信仰共同体の意味を理解し、自分のカリスマをその中に位置づけ、それを通して共同体や地域社会の福音化のために奉仕することを学ぶ。今後のコースの手がかりを学ぶ。

*典礼コース

 典礼の総合的な理解を深める中で、典礼と日常生活がより密着したものとなり、主体的に参加できるよう、ミサの構造、ミサの歴史、典礼の役割について学ぶ。生きた典礼とんるために聖歌の選び方、歌い方、朗読について学ぶ。教会の祈りの相応しい唱え方について学びと実習。

*病人司牧コース

 病人訪問、病人の精神的世話の心構えや、病人の心理について学ぶ。コミュニケーションと自分自身を知る訓練。病者も福音的位置づけ。

*祈りのコース

 種々の祈りの体験。自分に聴き、神に聴く体験をしながら、信仰に基づいた生活が出切るよう祈りの時を持つ。祈りに支えらる共同体作りのために信仰の分かち合いをする。

*コミュニケーションコース

 自己の成長と正しい人間関係についての学びと訓練。

 以上のコースは抗議と体験を組み入れた学習で、1日の終わりにはハッピーアワーを設け、自由な分かち合いによって1日の学習が更に深まり小教区を越えた信仰共同体の成長を促す有意義で楽しい一時をもって終ります。

<1994年度の報告>
コース名     会場         参加人数  時期
祈りのコース1  ノートルダム祈りの家  14名  4月
祈りのコース2  ウィチタ本部修道院    6名  5月
病人司牧コース  売布黙想の家      26名  5月
基礎コース    奈良野外礼拝センター  36名  7月
基礎コース    京都北部野田川町    13名  8月
典礼コース    三重研宗館       22名  9月
コミュニケーションコース   西院カトリック会館   12名 11月

 今年も教区内外(京都・名古屋・大阪・東京教区)から参加して下さり、特に京都教区からの参加が増えてきたことはうれしいことです。また参加された方から、小教区の中で特別聖体奉仕や、病人訪問などにお役に立ったお知らせを受けて大きな励みと支えを感じております。今後も皆様とともに、より豊かで多くの方々が参加しやすいコースに育てて行きたいと思いますので、ご指導とご協力をお願い致します。

<1995年度の予定>
コース名     会場   時期
基礎コース  津研宗館  4月21日(金)〜23日(日)
病人司牧コース 売布黙想の家 5月12日(金)〜14日(日)
基礎コース  奈良野外礼拝センター 6月〜7月予定
祈りのコース1 ノートルダム祈りの家 7月7日(金)〜9日(日)
典礼コース 京都北部 8月〜9月予定
祈りのコース2 ノートルダム祈りの家 11月10日(金)〜12日(日)

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奈良ウォーカソン
   西大和教会 MinMin                     

 奈良県では毎年9月23日にウォーカンを行います。9年前から参加してきた者として、思い出とともに感想を書かせていただきます。 
 参加しはじめたころは、私はまだ初々しい大学生で、コピーをとったり文具を買いにいったり、とても楽しいものでありました。そのころは、私の頭の中には、ただ「大きな楽しい青年の集いだ」とだけしかありませんでした。
 2回目、3回目になると、やっとこのウォーカンは、「お祭りではなくて、募金活動なんだ!!」ということに少し気付かされました。そして、私の心の中に、ちょっとずつ違う世界への目を向けさせることになりました。 4回目以降は私もかなり企画に頭をつっこむようになり、集められたお金の送り先を決めたりすることにも意見を出すようになっていました。
 そのころからです、私に一つの疑問が出てきたのは!!
 ーなぜ、毎年参加人数が減っているのか?ー
 理由はいっぱいあるでしょうが、何よりも企画を立てている私たちが、事務的にこなしてしまっていた、ということです。きっと心のどこかで、「ウォーカソンをやりたい」が、「しなければならない」に変わっていたのだと思います。2年ぐらい前からは、「来年はやめよう」と言う声がでるくらいになっていました。
 そんなおり、私よりもずっと若い世代が、今年もう一度青年だけでやろうじゃないかと言ってくれました。とてもうれしかったです。でも、これで僕はしばらくウォーカンからは遠ざかるべきだと思いました。特に企画には一切口出ししないように心がけました。
 だいぶん苦労したみたいでしたが、今までにない参加証の配り方や勉強会の仕方が出てきました。みんな本当に良く頑張ったと思います。だけど、今回もかなり個人の負担が大きかったみたいで結局は来年から青年以外の方の力を借りることになりました。来年は少しはウォーカソンに参加して燃えてみようと思っています。みなさんも参加しに来てください。
 

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