1997/12 No.241

京都教区時報12月号

・聖霊の年を迎える

・いやし主イエス

・親交会の思い出

・奈良ウォーカソン

・第18回カトリックスカウトの日

・地球温暖化防止京都会議開催

・あんてな


聖霊の年を迎える  

●大聖年に向かって


 私たちは二千年の大聖年に向けて段階をおって準備しています。聖霊の年は教会の暦で、今年の待降節から始まります。では、この聖霊の年をどのように準備すればよいのでしょうか。そのために、まず聖霊について考えてみましょう。
 神の子であるキリストが私たちを救うために人間となってこの世にこられたのは、聖霊の力によって成しとげられました。聖霊は父と子と一体であり、神の子が人となられたこの出来事は、三位一体の神ご自身の交わりを現しています。

●聖霊の働き


 聖霊は、目の見えないところでキリストと出会えるように常に働いています。私たちは聖霊によって、キリストのメッセージに触れ、生活を生き生きとおくることができるのです。
 第二バチカン公会議で言われているとおり私たち一人一人は神の民の一員です。その責任を心新たにするために聖霊の働きを味わう必要があります。そして、神によって生かされていることを、いつも意識することが大切です。そのために第二バチカン公会議の「教会憲章」を学ぶことは大きな助けとなります。

●教会の魂である聖霊


 聖霊は教会の魂です。聖霊の助けによって、教会は成長します。キリストの教えとキリストの神秘の深い意味を私たちに教えてくれるのです。
 聖霊はどの時代、どの地域の教会においても、キリストが人類にもたらした救いの神秘を現し、それを生き生きとさせ、各自の魂のなかで活動させます。
 聖霊は教会のうちにあって、いろいろな秘跡、とくに堅信を通して働いています。また、様々なたまものや、役割を通して教会のためになるよう導いています。
 私たちは今日、教会において聖霊が特別に働く時期に生きています。聖霊は教会の福音化の使命においてもっとも生き生きと働きます。人々を促して福音をのべさせ、良心の深いところで救いの言葉を受け入れ、理解させるよう働くのです。
 聖霊は人々の心をかきたて、歴史の流れのなかで神の国を建設し、イエス・キリストにおける神の国の完成を準備するのです。

●毎日の生活のなかで


 私たちは聖霊の働きを毎日の生活のなかで意識して生かすよう、神に招かれています。特に毎日の生活の体験のなかでの聖霊の働きを知り、そして感じていくことで、より生き生きと人生を歩むことができるのです。
 聖霊は希望です。私たちの世界を、そして私たち自身をいつも新しく励ましてくれる命の霊です。私たちはこの聖霊の働きにどのようにこたえていけるでしょうか。そして、こたえはじめた時私たちに何かが起こりはじめるのでしょうか。
(ここに紹介した文章は、聖霊の年を迎えるためのビデオ「みながひとつになるために〜二千年に向かって聖霊の年を準備する〜」からの引用です。このビデオは、各小教区、各施設に送られていますので、皆さんでごらん下さい。)

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いやし主イエス

 聖書講座シリーズ「イエスとは誰?」の講演要旨です。

 この弱い私たち、痛みを心にも身体にも折りにふれて常に悩み、苦しみ感じ続けるこういった人間に人になられた神は、どのように接していらっしゃったか。そして、かつて、神の御子としてイエスが現われこの地上で過ごされた後、今は目に見えない形で私たちの中に生きて「いやし」続けていて下さる神がどのような形で私たちの生活の中で働いていらっしゃるかを共に考えていきたいと思います。

●いやされるイエス


 聖書の中で何カ所も「いやされるイエス」の場面がでてきます。その中で、いやされた人たちが何を体験したかというと、身体がいやされて痛みが消えて治った。それで終わったのではないのです。病の治った人は、神を賛美したと書いてあります。聖書のいやしの結びは全て「神を賛美」したところにおちついています。
 私たちは目の前にある必要なことを手にし、満たしながら最終的に人間がいつでも求めていることは幸せになることです。あなたも幸せで自分も幸せになることです。喜びのうちに生きることです。人間は喜んでこの世を生きるために、この生命をつくられ、この世で生かされています。そして、この生命をどのように与えられているかというと「神はご自分の生命を分かち合って、共に喜びあう相手として人間を造られた」とあります。ですから、私たちはうれしいことは自分に留めておくことができません。誰かに言わずにはいられません。神はご自信が、喜び、愛にあふれた方であって、その本性に基づいた存在として人間を造られ、共に喜び分かち合う存在として私たちは造られているのです。
 しかし、現実には共に喜びを分かち合うようになっていません。分裂がおきています。分裂の中で自分を叱りつけたり、喧嘩したり、悪口を言ったり、攻めたりします。そういう傾向はどの人も死ぬまでに体験します。ですがこの分裂の状態を、自分の限界を受けいれ自分と調和していくこと、そして回りと調和していくこと、平和と喜びの方向に一致していくことをその時その時選びとっていく、それが人間の尊厳であるわけです。

●私とともにいるイエス


 しかし、現実の中では非常に難しい。それが苦しみです。心の病です。身体の病です。それこそ、それは私たちとって何の印しでしょうか。それは、心の病や身体の病をいやされる体験をとうして大きな目に見えない力に守られているという喜びに目覚めるためでした。イエスは今も生きて私たちの中で働いていて下さいます。苦しんでいる時、つらい時、なにかの時にふっとした人の親切によってご自信を示されます。或いは、ちょっとしたことで私たちの心を変えて下さいます。そして、私たちは苦しみがあっても乗り越えていける力を信仰によっていただいているんだと気づくことがあります。辛くても生きていることの喜びを感じることができます。いつでも貴方たちの間に共にいる、三人いればそこに私はいると言われたようになんでもないすれ違う人、家族の中、職場の人、今日の出来事そういったものを通しながら心をもっと幸せにしなさいという刺激を送ってくださっています。

●本当のいやし


 「いやす」ということは、自分の中にいやだとか、憎らしいとか、自分だけがなぜこんな苦しみを負うのかなど、悪いことを人のせいにする自分の心を、先にも言いましたように、あなたも幸せで自分も幸せになるようにと回心していくことです。現実は苦しいことがあると思います。ですが、神が共にいて、苦しみを共に担い、この苦しみを乗り越えて愛に大きくなるように愛の力を育てるようにと招いていてくださるのだという深い信仰それが根底にある時に苦しみを乗り越えて、いやされていきます。イエスのいやしとはそういうものです。ですから、本当のいやしというのは、現実がどうであっても幸せに生きる方向に心を変える力それがイエスが示された「いやし」でした。
 現代に生きる私たちにイエスはもっと心の回心のために、目に見えない所から、出来事を通して、人々を通してあなた自身の深い心を通して常に「いやし」を送って下さっています。「いやすイエス」に私たちは触れ続け、そして他の人々の中に「いやすイエス」を共に見ていくことそれが聖書のこの「いやすイエス」に触れ続けることなのです。

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親交会の思い出

教区司祭・岡淑人

 京都教区で親交会が始められたのは1965年11月であった。これは東京教区の下山神父のお薦めによるものだ。彼は生前聖職者の召出しに尽された事でよく知られている。戦後の困難な時期で、青年達は将来に希望を求め齷齪(あくせく)していた頃、多くの青年達が教会を尋ねて来たものである。その中から何人かが召命を受けて聖職者になった。

 あるとき彼が修道院に送り込んだ一人の娘さんの父親が、同神父を尋ねて来て、娘を返して欲しいと申し込んで来た。「娘が修道院に入るまでは、教会にいっても必ず帰って来ましたが、今では全く帰ってきません。そのため家のものは皆寂しがっています。ですから何とかしてください。」下山神父は「他の家庭においても同じ事ではないか」と考え、親御さんたちを集め、皆で話し合うことにした。その結果、会の名前を親交会と決め、会員は教区内のすべての聖職者である子供達の為に年に何回か集まり、皆で一緒に祈り、また同じ立場でいろいろと話し合うことにした。

 親御さん達がいちばん問題としていることは、聖職者となった子供が将来どうなるかということである。修道会に入会を認められたものは会が世話をしてくれ、教区付き司祭は教区長たる司教が一切の世話をしてくれるので、一生涯何も心配する必要はない。

 とろで、聖職者のご両親は皆が信者とは限らない。ある時、一人のシスターが訪ねて来て、彼女の父親に洗礼を授けて欲しいと頼みに来た事があった。又、二人の母親がその娘たちが同じ修道会に入会しているということですっかり仲良くなったという例もあった。その他、親交会をとおしていろいろと教会に貢献することがあった。

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奈良ウォーカソン

今年のウォーカソン委員会は、フィリピンの子どもたちのための施設・プレダセンター(代表・シェイ・カレン紳父)、カリタスジャパン、そして、ユニセフのために募金を集め、送金することを決めた。各教会では委員を中心にポスター、チラシ、参加証を配布し参加者とスポンサー集めに努めた。
 9月23日(火)、昨夜からの風雨の中、集合場所の奈良教会中庭で、スタッフにより受付用のテント張り、参加者が集まる9時30分までにすべての準備を終えた。ミサが終わる叫には心正していた参加者の数も280名を越えた。
 11時に奈良教会を出発、参加者が9キロ先の最終地点のカトリック野外礼拝センターに着く頃には、青空が見えるようになり、ゴールのスタンプをもらつた後、それぞれセンターの芝生などでお弁当をひろげた。
みなさん、お疲れさまでした。

 

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第18回カトリックスカウトの日

 カトリックスカウト(CBS)京都教区支部では日本カトリックボーイスカウト指導者協議会の呼び掛けによる全国統一カトリックスカウトの日(スカウトサンデー)を、9月21日に開催しました。
 これは教区内小教区(10小教区)を育成母体にしているガールスカウト9ケ団、ならびにボーイスカウト6ケ団のスカウト及び指導者が一同に会し、神様に感謝の祈りと参加者の友情を深めることを目的としているものです。今年は滋賀地区を開催地として、午前中は琵琶湖畔のハイキング、また、午後2時より大津教会に於いて田中司教様をはじめ支部指導司祭森田、バルデス(ガールスカウト京都第59団指導司祭・山科教会)の各神父様と彦根教会より参加くださった斎木神父様の共同司式で、支部合同スカウトミサが行なわれました。
 支部全団のスカウト、指導者とゲスト団としてガールスカウト大阪第159団のスカウト、指導者の参加も有り、約五百名が集いました。
 ミサでは全国CBS担当司教・三末篤實司教様のスカウトサンデーにあたってのメッセージ「今の社会情勢の中で、自分のこと、他人のこと、自然の活動を通して神のことを考えるCBSの活動は現代社会にこそ必要ですし、青少年の育成にとっても大切なことだと思います。」をもとに田中司教様の説教が有りました。
 ミサの中で参加者一同で大塚新司教様への祈りを全員で捧げ、また、田中司教様には教区長ご就任以来永きにわたりご指導と、支部発展のために御尽力を頂きましたお礼の気持ちとしてスカウトの代表より花束をお贈りし、日本カトリックボーイスカウト指導者協議会より感謝の心をもって、CBSのシンボルのネッカチーフが贈呈されました。
 カトリックスカウトの目的は、スカウト運動を通して神の存在を知ることであり、その理念から愛を持って行動することに有ります。具体的には、親切、奉仕、感謝の心で行動することであり、その行動するところは、家庭で、学校(職場)で、地域で、それぞれの年令に相応して行動することです。カトリックスカウトのプログラムは神の存在を知ることで無ければ意味は有りません。
 ボーイスカウト運動の創立者ベーデンパウエル卿は、神を知って幸せな人生を歩むためにこのボーイスカウト運動を創立されました。ボーイスカウト運動の世界憲章の一番最初に「神へのつとめ」があります。これはスカウトが神を信じ、明確な信仰を持つことです。このスカウトサンデーで、これからの教会団が「神へのつとめ」をはたすことができるように全スカウトと祈り、決意を新たにする一日とすることができました。
 今後共、大塚新司教様にご支援を御願いするところです。


(CBS京都教区支部長 M・T)

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地球温暖化防止京都会議開催

《百数十カ国の代表を前に日本人議長が「カツン」とテーブルをたたく。「気候変動枠組み条約(温暖化防止条約)にもとづく議定書が採択されました」。地球温暖化を防ぐため、二酸化炭素の排出量の削減目標を決めた「京都議定書」の誕生だ。大きな拍手が会場を包んだ──。予定では今年12月12日。こんな場面が実現するだろうか。‥‥‥》
 これは、実は今年の元日の朝日新聞、新年増頁「地球環境」特集の真ん中に掲げられた文章です。この時報が出る頃、その国際会議(COP・3)は始まっているでしょう。ひと月前の今、この文章を書いていますが、正直なところ、展望が見えて来ません。新聞記事の、「こんな場面が実現するだろうか」の問いにも、肯定的な答が言えないのです。会場を包む拍手は起こらず、代りに重苦しい沈黙が支配するのではないか、京都会議は失敗! リーダーシップをとれなかった議長国日本の責任は重大! 面目などどうでもいいのですが、地球温暖化に歯止めをかけれらなかった結末は?‥‥

●削減数値に疑問


 地球温暖化防止のための、国際的な経過は省略しますが、今年の京都会議は、温室効果ガス排出に関して、国際的な拘束力を持った削減数値を定めた議定書を採択できるかどうかの瀬戸際として世界が注目してきた。しかし、開会直前の今、各国の提案数値のあまりの違いに、合意、議定書の成立が危ぶまれています。EU諸国、途上国、日本、アメリカ(最大の二酸化炭素排出国)の提案数値のずれ。日本の中でも通産省、環境庁、NGOで大きく違います。同じ「地球船」に乗りながら、何故なのでしょうか? 実は、私は、どの数値も信用できないのです。ここひと月ほど、新聞紙上に現われる毎日違うそれぞれの削減数値とその根拠として示される算出方法に疑問を感じずにおれません。「通産省が8%削減提案」という見出しに飛びついたところ「原発55%増設と抱き合わせ」とあり愕然としたこともあります。(原発は発電そのものによってはCOは出さないが、代りに放射能をまき散らすし、製造過程・核燃料の採掘や廃棄物処理などの過程で膨大なCOを出すので、代替エネルギーにはなり得ない)
 削減数値の算出に、発展とか開発とか経済などが顔を出すことに疑問を感じますし、そもそも1992年のブラジルサミットで「地球環境保全と、持続可能な開発が人類共通の課題」とされたことも正直なところ釈然としません。

●発展開発とは?


 人類が「開発」の実りとして進歩・発展と呼んだものの実体のほとんどが「便利」「安逸」「物質・金銭的利益」の享受でした。そのための大量生産・大量消費・大量廃棄の結果が地球温暖化です。開発と称して「南」の国々から奪ってきた資源(伐採された森林はCOを出す)で大量生産(生産=エネルギー消費=COなどを出す)し、文明と称してそれを大量消費した「北」。過剰生産を反省することもなく、経済活性と称して煽られるままに浪費し、快適と安逸を追い求めた揚げ句のごみの山はメタンガス(温室効果ガスのひとつ)を発し、ごみの処理は多量のCOを生むとしたら、発展開発とは何なのでしょうか?さらに、これから「発展」していこうとする国々が、先進国がすでに排出した量まで温室効果ガスを排出して「発展」したいと言ったり、その言い分が通って「途上国」の排出枠が先進国のそれより大きく認められたらそれを売り買いしようとか。正気の沙汰とも思えません。そんな思惑で提示される「数値」を信用できますか?すでに始まった交渉は、地球環境保全への正面からの取り組みではなく、得手勝手な思惑のせめぎあいでしかありません。

●NGOの活動


 COP・3を成功させようと、一年前に立ちあげたNGO「気候フォーラム」は、議長国として実効性のある議定書の採択にリーダーシップを取るようにという橋本首相あての署名運動、途上国のNGO招聘のための募金活動などとともに、こまめに政府交渉や海外NGOとの連携を深めて来ました。よく働いたと自賛しています。
 あとは、期間中の日曜日(12月7日)に予定されている諸宗教合同の「祈りの夕べ」に心を合わせ、人類が狭量な私利私欲から解放されるよう祈ろうではありませんか。


(気候フォーラム運営委員 I・M)

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ソフトボール大会の報告

 10月26日、草津ふれあい運動公園で、ソフトボール大会が盛大に行なわれました。
 秋晴れの中、若い人、気分はまだまだ若い人達約二十名が参加し、大ハッスル大会になりました。少し風がきつい中、一試合目が始まりました。日ごろ体を使ってない人が大半なので、珍プレーもところどころでだしながらも、白熱した試合で、結局、勝負のつかないまま仲良く引き分けで終了しました。
 二試合目にいこうという時に、雨の時の為にとってある体育館で、バスケットをしようということになり、突然ソフトボール大会がバスケットボール大会にかわりました。
 バスケットをやりだしたころは、ころんで遊ぶていどでしたが、いざ試合、それもオールコートでの試合になると、高校を卒業して以来運動らしいものは何もしていないボクにとっては、ハッキリ言ってしんどかった。大半の人達が、日ごろあまり運動をしていないので、現役の中学生の子にはとてもじゃないけどかなわなかった。なんやかんやで時間はすぐにすぎてしまい、みんなそれぞれいい汗をかき、次の日の筋肉痛をかんがえながらも、今年のソフトボール大会は終了しました。 毎年、今回のソフトボール大会の様なスポーツ大会をしています。もっとたくさんの人が来てくれることを楽しみにしています。秋晴れの中、体を動かすとめっちゃ気持ちいいです。
 みんなの参加を楽しみにしています。(Y・S)

 

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