1998/2 No.243

京都教区時報2月号

・新年にあたり、神様の祝福をお祈り申し上げます

・宣教司牧評議会の歩み

・インマヌエル

・奈良カトリック大会

・死刑のない社会を求めて

・あんてな

・二十一世紀の福音宣教に向かって


新年にあたり、神様の祝福をお祈り申し上げます


京都司教 パウロ大塚喜直

 昨年の私の司教任命・叙階に際しまして、皆様からたくさんのお祈りと励ましのおことばいただき、あらためて御礼申し上げます。
 21世紀に向かって教会は大きな転換期にあたります。2000年の大聖年準備として、今年は「聖霊の年」です。「教会は聖霊の導きに身を委ねること以外の方法で新しい千年期を迎えることはできない」と教皇様は言われています。
 私の司教のモットーである「みながひとつになるように」のとおり、今年は教会共同体に働く聖霊の現存を確認し、その促しに素直に聴き従い、神のみ業を称え、そのみ旨を生きることにおいてキリストと共に歩み続ける一致した共同体作りを致しましょう。


    1998年元旦 神の母マリアの祭日     

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宣教司牧評議会の歩み

印象に残る青年たちの活躍
一期〜三期事務局員 Y・H

 田中司教様の諮問機関として、宣教司牧評議会が発足したのが1985年。そして、昨年4月1日、教区長交替のため解散になるまでの12年間余り、多くの評議員が司教様からの諮問について検討し、答申しました。
 今回の節目に当って、昨年12月7日、今までの歩みの振り返りもかねて、感謝の集いが開かれました。関わった評議員、事務局員は120名ですが、当日の出席者は57名でした。
 最初に、ミサで歩みを導いてくださった神に感謝を捧げ、帰天された6名の評議員の方々のためにお祈りしました。
 続いて、今までの歩みについて振り返りが行われ、一期から五期までの課題、取り組み、答申などが各期の代表から順を追って説明がありました。私もこの機会に事
務局員として関わった当時を振り返ってみたいと思います。
 特に印象深いのは、NICE1での青年たちの活躍です。青年たちは全会議に書記団として生き生きと参加し、青年たちによる地下ホールのミサが行われ、希望と若い力を感じて大変力強く思いました。当時の青年たちは、具体的な目標があったので、それに向かって燃えたということもあったと思いますが、あれから10年経った現在はどうでしょうか?50周年記念事業からの提案を受けて、青年センター、アジア交流委員会が設立されましたが、折角燃え上がった青年のエネルギーを持続してもらうことができなかったのは残念です。
 事務局を担当していて感じたことの一つに、評議員の途中交替があります。任期2年(後に、3年に変更)として任命されているにもかかわらず、任期中に交替されるケースです。選出母体で役員交替があってのことですが、宣教司牧議会評の性格上、評議員は組織へ持ち返ってという責任はないので、続けてくださるようにお願いしても、交替してしまわれました。継続審議の議案などは途中交替があると、今までの検討経過について申し送りなどの問題がでてきます。そのため、特別な事情のない限り、任期中交替しないのが望ましいと思います。
 また、1回の評議会で答申できない諮問については継続審議になります。定例会は年2回(臨時会が入ると年3回)ですから、次回の評議会は6ヶ月後です。当然のことながら、内容を忘れたり、ぼやけたりしがちです。そのため次の会議に繋ぐための方策を、評議会か常任委員会で講じていくようにすればよかったのではないかと思いました。(例えば、考え、提案などを簡単なレポートにするなどして準備する)。
 以上のようなことは、四期〜五期には改められているかもしれませんが、一期〜三期の間に感じたこととして書きました。
 集いの最後に、大塚司教様から、ご挨拶と、教区カトリック協議会、宣教司牧評議会の位置づけについてお話がありました。お話の中で、「現在の日本も終戦前の古い体質が残っていて、今頃膿として出てきている。教会も第二バチカン公会議後、すべて新しい教会にはなっていなくて、古いものと新しいものの中で私たちは生きている。その中で、よいことをすることはよいことですが、よいことの中で何が一番よいことか、その優先順位を考えてよいことをするようにしなければなりません」とおっしゃったことが心に残りました。
 聖霊の導きに従い、みんなが一つになって、イエスのまなざし(視点の変換)で、一番よいことから実行していく努力をしなければならないと思います。宣教司牧評議会を通して、多くのことを学ばせてくださったことに心から感謝いたします。

アンケート解説書の活用を願う
四期〜五期事務局員 K・U

 田中健一司教様の諮問機関である、宣教司牧評議会の1992年〜1997年まで事務局員として約6年お手伝いさせて頂きました。
 この度、教区長交替のために宣教司牧評議会は解散となりました。私は評議員としてではなく事務局員としていろいろお仕事をさせて頂きました。その間を振り返って見ますと、特に印象に残ったこととしては、前任者のご努力により、「よりよき宣教共同体となるために(適正配置)」について、大がかりなアンケート調査が実施され、その集計によって作成されたデーター表の発行、また、より解りやすくするための解説書の発行のお手伝いをさせて頂いたことです。毎年、定例又は臨時の常任委員会及び評議会、準備のための事務局会議等、神父様方はじめ多くの評議委員のかたがたのご努力が結集されて、最終的にアンケートデーター表と解説書が発行されました。そこでは教区における信徒の種々の意識についての調査がグラフを交えて細かく掲載されております。当初はアンケートデーター表のみの発刊でありましたが、それのみでは数字的な要約にすぎないとのご指摘があり、更に一歩踏み込んでそのデーターがどういうことを意味しているのか「設問」に対して「規状をみれば」という形式で詳しく解説し、今後の教区の指針の一助となるように、検討、分析が加えられ、「京都教区アンケート解説書」として刊行されました。京都教区におけるこの様な解説書は画期的なことだったと思います。編集に携わったかたがたの並々ならぬご尽力を目の当たりにして、今後このデーター表及び解説書が単なるデーターだけに終ることなく教区の発展のためにお役に立つことを願わずにはおられません。
 宣教司牧評議会が解散となり、今後どのような形になるか解りませんが、司教様の諮問機関として、教会の各層から選ばれた人々が意見を述べ合うことは必要だと思います。同じ教区内においても、それぞれ異なった状況のもとにある教会や、修道会等を代表して来られた評議委員が、一堂に会して一つの共同体として、わかちあいをすることは、単に親睦を深めるだけでなく、お互いの立場や、自分たちの置かれている状況を理解する上で非常に役立ったと思います。今後、カトリック協議会等新しい組織が誕生することと思いますが、今まで経験してきたもののうち、良いものは今後も続け、適していないものはどんどんと改め、懸案に対して迅速かつ適格な対応ができ、謙遜と愛に満ち溢れた雰囲気のなかで物事が話し合われるような組織となってほしいと思います。私自身もこの経験を通していろいろなことを学びました。ワープロを覚えたり、会議の進行や話し方等々、又それにも増して一つの目標に対するひたむきな情熱など多くの教訓を得ました。

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インマヌエル

 中川博道神父

 聖書講座シリーズ「イエスとは誰?」の講演要旨です。

 マタイ1・18〜25ここから「インマヌエル」という名の由来をみていきたいと思います。神の名ということでここでインマヌエルと言う名前が告げられます。同時に「イエス」という名でもあります。新約の時代に生きる私たちにとってインマヌエルという呼び方、これは新約聖書の中でイエスをさして言う時にとても大切にされてきた言葉です。このインマヌエルと呼びかけられた神、このイエスの意味は私たちにとってどういう存在としての意味をもっているのでしょうか。また、私たちが究極のところイエスをどのように呼んで生きていこうとしているのか、聖書はどんなことをインマヌエルという呼び名の中から伝えようとしているのか、みていきたいと思います。

●神の名の啓示


 神の名の啓示というか、神の名を著わされた箇所が出エジプト記3・7〜にでてきます。それは、「私はあるというものだ」というところです。これが元々の神の名です。これはイスラエルの歴史の中で初めて神ご自身が自分の名を証された箇所です。神が自分の名を証すということは、その本質を示す、ありのままの存在を示す、ご自身を私たちにみせるということで、それを民に告げ始めたことが聖書の中での神の名の元々の意味です。ヤーウェとはそういう背景を持った言葉です。いずれにしてもモーセに語られた言葉「私はあなたと共にいる」というこの名に集約されていくように神が民にご自分の名前を啓示した根本的な意味は「私はあなたと共にいる」ということです。旧約聖書には「共にいる」という言葉が、インマヌエルに続く表現が百回以上使われています。

●共にいる者


 神が私たちと共におられる。この実現としてマタイがイエスの名を伝えようとした時、「神はいよいよ私たちの苦しみをつぶさにみ、叫びを聞き、その痛みを知って降って来てくれた」そのお方がインマヌエルとも呼ばれるイエス、このイエスによって神は真実の意味で私たちと共におられる者になってくださったのです。マタイのイエス体験というのは、この方をとおして神が最初から最後まで共にいる者になってくださったという体験だったと思います。ヨハネも同じだと思います。ヨハネ福音書のキーワードは「とどまる」という言葉です。ヨハネ14・18をみてください。イエスが私たちの中にとどまるというイメージがヨハネのイエス体験だったと思います。聖書を丁寧にみていくとイエスがどれほど深く私たちと共にいるということを望む方として示されているか読みとっていけると思います。

●神の思いはご聖体となって


 では、イエスはどのようにして具体的に私たちの人生にとってインマヌエル、すなわち、神は私たちと共にいてくださる方なのかみていきましょう。
 イエスが生きた30数年間は人の目から全く隠れて生活したというのが実際だと思います。このことを私たちは忘れてはいけないことだと思います。このイエスの隠れた日常性ということを思いめぐらす時、私たちの人生もほとんど人の目につかない、他の人となんの変わらない、ごく内輪の人々が認めてくれて、この人々に見守られながら死んでいく、そのような生涯だと思います。そういう私たちの隠れた生涯にイエスもご自身の隠れた生涯をもって共感してくださっていることを私たちは見落としてはならないと思います。すなわち、私たちの日常生活の中になにが隠されているのか、イエスは言葉で、教えで、生き方で示そうとされたのが宣教の意味だと思います。このように私たちの日常を生きる命に共にいる者としてインマヌエルを実現していった人だと思います。イエスのインマヌエルという名「神は私たちと共におられる」という名、神はそういう名で私たちから呼ばれることを望まれた方です。私たちの人生の隅々まで、私たちの人生の断片まで共にいる者として関わってくださる、そのことを読みとっていく光なのだろうと思います。この私たちと共にいたい神の思いは、ご聖体となって私たちと共にいることを望んでくださった結晶だと思います。私たちはご聖体をいただく時、そのような方をそっくり自分の生活の中にもう一度受けとめ直しましょう。



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奈良カトリック大会

  

奈良カトリック大会 11月9日

 奈良県では、毎年テーマを決めて、信徒、修道者、司祭が共に集い、カトリック大会の名の下で、わたしたち共通の課題について話し合っている。
 今年は、大塚司教と田中司教を迎え、「ひとつになろう」という司教モットーをテーマに、大塚司教の司式ミサで新しい京都教区の方針を知り、わたしたちのこれからの福音宣教のあり方を確認した。
 ミサ後には、大塚司教の叙階のお祝いとともに、田中司教への感謝のために、ささやかではあるが、心をこめたパーティを行った。

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死刑のない社会を求めて

 映画「デッドマン・ウォーキング」の原作者のシスター・ヘレン・プレジャンが、死刑のない社会を求めるために、昨年秋来日されました。
 この作品には、シスター自身の目を通して、死刑囚と犯罪による被害者の家族という非常にデリケートな立場にいる人々の姿が描かれています。シスターは、この一見相反する立場にある両者の支えになりたいと、長年死刑廃止のための活動と、犯罪被害者の支援のための活動をしています。

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京都教区中学生会の思い出

学校生活より楽しい中学生会
大津教会 K・M

 僕は3年間で中学生会に5回参加しました。それはこの合宿が楽しかったからです。いつもは会えない友達と会って話したり、遊んだりできるからです。特に、みんなでとまってゆっくり話ができるから、学校生活より楽しいと感じたのかもしれません。遊んだりするだけでなく、広島へ行って、亡くなった人や被爆した人達のためにお祈りをしたり、被爆者の体験談を聞き、これからどうしていけばいいかを考えたりしたから、非常に自分のためになったと思いました。
 中学生会に、京都・滋賀・奈良・三重だけでなく、神奈川からもくる人がいるので驚きました。さらに、今回の冬の合宿には、今が一番忙しい時なのに、3年生が15名参加していたので、それほどこの会は人気があるのです。
 中学生会は今回の冬の合宿で卒業したけれど、この3年間で作った友達といっしょに高校生会でもがんばっていこうと思っています。

仲間との思い出を大切に
リーダー N・K

 今回の京都教区中学生会の冬の合宿で、3年生の卒業式がありました。リーダーとして参加してから、3年生が卒業していくのを3回送り出しました。私も中学生会を卒業してからもう7年もたちますが、卒業式に参加すると、毎回中学生の時の感動を思い出します。卒業していく3年生たちも、何年たっても中学生会で知り合えた仲間との思い出を大切にしていてほしいです。

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二十一世紀の福音宣教に向かって

カロンドレットの聖ヨゼフ修道会


◆2001年の次期総会に向けて、私たち聖ヨゼフ修道会の会員は、1997年夏の総会決定事項で示された次の四つの方向性を大切にしながら生きる。


▼(1)地球希望の問題と構造的変革に対する意識を高める。
(2)多重文化的現実を受け入れ、そこから学ぶ。
(3)私たちの聖ヨゼフ修道会会員としての存在の在り方について問い直す。
(4)福音的価値をよりよく伝える方向を探り、現代を生きる霊性を深めていくように努力する。
 日本準管区としては、重点的に取り組んでいくこととして「差別と偏見」を選び、日常生活の中での差別的な物の見方や、偏見をなくしていくように努力し、自分自身とまわりの人々への意識改革をはかっていく。

四日市教会(三重地区)


◆1998年のテーマ


聖霊の働きを理解し、教会内の組織のありかたを見直す


▼(1)典礼、施設、宣教・渉外、育成の各部会の活動
(2)頂いた聖霊の賜物の勉強会と反省によって、御恵みを深める
(3)洗礼・堅信の秘跡の意味を深める
(4)教会に来なくなった人への呼びかけ、新しく信者になった人等をあたたかく迎える
(5)黙想会のテーマを「聖霊」とする
(6)講師を招いて講演会をひらき、話し合いをする

上野教会(三重地区)


◆1998年の年間プラン


▼(1)聖霊の年に当たり、新約聖書、特に、使徒言行録を元にして、聖霊の働きと教会の福音宣教のあり方を学ぶ。出来れば聖霊降臨祭を信じる者にとって最初の聖霊降臨と同じ新しい愛と賜物をもたらすものにしていただくために祈る。
(2)御聖堂で各自週一回一時間の執り成しの祈り。
(3)細胞グループのリーダーの週に一回の集会(二つのグループに分かれて)。彼らによる週一回の各家庭集会。
(4)主日のミサ後の新約聖書の研修・分かち合いの集会(月二回)。
(5)小さい子供を持つ親の集会。新婚家庭の人々の集会。(月に一回づつ)次の世代を担っていく人々に信仰を伝えるために。
(6)眠っている信者の掘り起こし。教会に来ていない人々を訪ねる。

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