2000/11 No.276

京都教区時報11月号

・聖年の第三のしるし「殉教」

・京都教区巡礼指定地紹介〈その10〉

・大聖年指定行事

・聖書講座シリーズ「旅する神の民」6/28、29 巡礼 ―歴史を旅する―  

・京都教区における共同宣教司牧の現状

・二十一世紀の福音宣教にむかって〜京都教区の取り組みの評価(4)

・日本・フィリピノ青年指導者養成

・第四回カトリックスカウト京都教区支部 合同キャンポリー

・大聖年「聖体大会リレー」の取り組み

・お知らせ

・良書紹介

・大塚司教の11月のスケジュール

・信仰のラボラトリー


聖年の第三のしるし「殉教」 

 幸いですね、貧しい人。幸いですね、義のために迫害を忍ぶ人。でも、どうして?真福八端の詩は、迫害の最中に、信仰を証する(殉教者のマルテイル・証人)キリスト者の信仰を励まし、奮い立たせるメッセージでした。実に、真福八端の教えは主に愛されていることを知ったキリスト者が主の御心を証する「幸せの八ヶ条」なのです。殉教者とは真福八端を生きる信徒のことなのてす。「殉教のしるし」は、福音の中心的メッセージである真福八端に生きる人々の中に輝いています。「マリアの讃歌」(マニフィカト)は主の受難と死と復活(主の過越)を我が身に生きる人々の口にこそふさわしく歌われるのです。 主の福音に殉じて生きる人は、この歌の意味を真に悟り、心から歌うことを知っている人々なのです。義のため迫害を忍ぶ殉教者と共に、真福八端に生き、心から聖母の讃歌を共に歌いたい。

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京都教区巡礼指定地紹介<その10>

一 巡礼教会としての意義

四日市教会が大聖年の巡礼指定地になったことは、第二バチカン公会議「教会憲章」の巡礼についての定義「教会目らが神の民としてキリストの満ち溢れる豊かさを目指して巡礼するものであり、個人的にも巡礼に譬えられる人生の旅路で、人間存在のか弱さとそれを支える神の力と憐れみを学び、ふだん忘れられている神への謙虚な信頼心を取り戻し回心の機会とするもの」に照らしても、まことに意義深く光栄なことでありました。

それがどんな旅であるにせよ、旅には身体や心を休ませる駅や宿が必要であり、象徴的な意味で教会もそのーつであるとすれば、旅人にとってはその駅や宿までの交通の便がよく、また、そこを利用する旅人の種類を問わぬのが理想の姿でしょう。 確かに四日市は江戸時代から文字通り宿場町として、また徳川家康の天領地として陣屋が設けられ栄えてきました。 とりわけ明治初期に稲葉三右衛門により進められた港湾整備が、現在の県下一の工業都市としての発展の基礎となったと言われています。 人口二九万人の町の中心部を貫く旧東海道に沿って国道一号線が走りますが、それを挟んで対面する形で近鉄とJRの四日市駅があります。 教会はそのどちらの駅からも共に徒歩で約十五分という、都心から少しそれた比較的閑静で便利な市街地に位置しています。

また、戦後には石油化学工業や周辺都市での自動車産業関連の事業所などが、新たな雇用を生み出してそこに働く外国人も多く、特に九〇年に改定された「入管法」以来、教会は主日のミサに出席する、それらの人々でとても賑わうようになりました。 ブラジル人のためのポルトガル語のミサには毎回約百名、フィリピン人のための英語によるミサに約三〇名、そしてペルー人のためのスペイン語によるミサには約十五名の参加者があります。 この教会がこのように多言語、特に南米系の言語に対応できる最大の要因は、ここがローマに本部を置くエスコラピオス修道会による司牧教会であり、それらの言語に堪能な司祭が専任で置かれていることでしょう。

これら外国籍の信徒は今や、我が国信徒数のニ分のーを占めると言われています。 そして四日市教会もその比率に近づきつつありますから、その意味でここは正に現代の日本の教会の縮図ともいえ、近い将来日本人とは異なる文化や信仰形態をもつ、これらの人々との新たな共同体造りが、小教区・教区を越えて真剣に図られることになるのでしょう。それこそが間違いなく現代の教会に要請されている課題であるのでしょうし、私どもはこれに積極的に応えなければならないと考えています。教会がイエスのメッセージを全世界の人々に伝えるという使命から見ても、巡礼する人々が民族の違いを越えて明日への力を得、回心の機会とする恵みが与えられていることに、私どもも同じ「旅する人」として深い意義と喜びを見出しているからです。

二 四日市教会の歴史と沿革

四日市教会は今から三年前の、一九九七年(平成九年)四月に創立五〇周年を祝いました。五三年前のこの街は終戦から二年を経て、戦災で壊滅した町並みのあちこちで、漸く復興の槌音が響き始めたばかりでした。度重なる大空襲を奇蹟的に免れた民家の応接間を聖堂として、メリノール宣教会のライアン神父により記念すべきミサが捧げられました。一九四七年(昭和二二年)二月二日のことで、この日が四日市教会の誕生日となったのです。その一年半後に現近鉄四日市駅近くの諏訪公園裏手に、木造の司祭館と伝道館が建てられ本格的な布教活動が始まりました。 戦後の動乱が少しずつ収まって人々のエネルギッシュな生活意欲の高まりと軌を一にして、布教活動も実を結び始めこの頃にはもう五〇名程の信徒と多くの求道者で活発な雰囲気に満ちていました。 主任もニュージェント神父に代わっていましたが、周辺が開発されてくるに従ってここもいつしかネオン瞬く歓楽街と化して、教会として相応しい環境ではなくなってしまったので、一九五五年(昭和三〇年)に現在地に移転する事になったのです。

最初の聖堂は現在のような鉄筋コンクリートではなく、木造片屋根造りの温かみあふれるものでした。 ところが献堂して四年後の一九五九年(昭和三四年)九月二六日に、先ず、かの伊勢湾台風の直撃を受けて全館が水没するという大変な被害を受けました。 その傷が漸く癒えた一九六三年(昭和三八年)四月五日未明、今度は香部屋から出た火が瞬く間に聖堂を紙め尽くしてしまいました。 当時の主任司祭はムニ神父でしたが、この度重なる苦難を信徒共々引き受けて、その翌年の復活祭はこの鉄筋コンクリート造りの聖堂で祝ったのでした。 神父はまた同年、メリノール女子修道会が経営に当たる「メリノール女子学院」を発足させ、その翌年には教会の敷地内に「海の星力トリック幼稚園」を開設しました。 それから三年後の一九六七年(昭和四二年)六月には、知的障害児・者厚生施設「聖母の家」を立ち上げて、ムニ神父は十二年間にわたる四日市での司牧を終えたのです。今にして思えばこの頃が教会として最も急激に成長した、疾風怒濤の青春期だったと言えるのではないでしょうか。

その後の五年間の主任司祭西村神父を以て、メリノール宣教会は二五年にわたる四日市教会の司牧から離れました。一九七二年(昭和四七年)、古屋司教はそれを受けて直ちにエスコラピオス修道会にそれを委託しました。 エスコラピオス修道会は、世界各地で教育事業を展開している男子教育修道会です。 日本ではかねて四日市市追分町で開校された南山第二高校を一九五六年(昭和三十一年)に継承し、以来「海星学園」と改称してその経営に当たっていました。

メリノール宣教会による司牧を含めて、第五代目の主任司祭はモンレアル神父でした。教会内外の活動にも壮年期の落ち着きが出てきたような、一九七七年(昭和五二年)に四日市教会は創立三〇周年を迎えました。 その前年に任命された田中教区長と古屋司教が揃って来四され、説話の中で特にこの教会のニ度にわたる大災害に触れて、司祭と信徒がー体となったそれからの早い復興は、奇蹟的でさえあったと話されたのが印象的でした。一九八八年(昭和六三年)に、私どもは修道院と信徒会館を兼ねた「聖マリア館」を建築して、これで建物に関わる計画はー段落したことになりました。 それから早や十二年が経過して今年二〇〇〇年を迎えるまでに教会は、ラカラ、リベロ、ペレア、イラオラ、ヘルマンそして現在のモンレアル各神父と5名の主任司祭を迎えました。 それぞれの神父は海星学園に於いてある時は校長として、ある時はー教師として働いた後就任したもので、個性豊かなスタイルで司牧に邁進して四日市教会を今日あらしめました。 歴代司祭の中でライアン、ムニ、イラオラ、リベロ各神父は既にこの世に於ける旅路を終え、安らかに永遠の国へ旅立たれています。 いずれの神父もきっとかの国から、私どもの旅路を見守っていて下さることでしょう。

この大聖年に於ける当教会在籍信徒数は日本人のみで七七六名、外国籍信徒を含めた主日のミサ出席者は平均二九〇名です。 年間受洗者は外国籍信徒を含めて約五十名、その内の約二〇%が成人という比率で、これまでの当教会での総受洗者数は一、六一五名にのぼります。 しかし、多分どの小教区もそうであるように、五三歳という壮年後期に入った四日市教会も信徒の高齢化が進み、司祭は信徒と心を一つにしてかつて教会の支え手であったこれらの人々の為に、ベストの司牧を果たすよう決心しています。 改めて全ての人の旅路に、神ともにいまさんことを祈りつつご紹介を終えます。

カトリック四日市教会
四日市市十七軒町二の四
電話 0593-52-2012
FAX 0593-55-4143
主日ミサ  土曜日 午後七時
      日曜日 午前七時
          午前十時
同外国語ミサ
 ポルトガル語第一、二主日
         午後四時
 英語    第三主日午後一時
 スペイン語 第四主日午後〇時


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大聖年指定行事

京都南部地区東ブロック
子どもとともにささげるミサ

 九月二十四日(日)に、大塚司教様司式で「子どもとともにささげるミサ」を行いました。
 このミサは、東ブロック会議での決定を受けて東ブロック四教会(河原町・北白川・高野・山科)の教会学校担当者が中心になって一年がかりで企画し、準備しました。「準備していくプロセスを大事に進めよう」との最初の方針どおり、時間をかけて真剣に取り組み、教会学校の子供たちにも準備してもらいました。
 子供達にはまず教会学校の授業や錬成会でミサについて勉強してもらいました。また、この行事のPRのためのポスターの絵を描いてもらい、その中から選ばれた絵は、ポスターに仕上げて教区内の百五十ヶ所に配りました。さらに、集まった絵を刺繍の図案にしてたくさんのアップリケを作り、これを縫いつけたミトラを司教様にプレゼントしました。

 当日のミサでは、入祭のリコーダー・タンバリン演奏、福音劇(ヨハネ六章一節〜十五節「パンを増やす」を朗読ではなく劇で子供達が表しました。イエス様役は大塚司教様が演じて下さいました。)共同祈願で子供達に活躍してもらい、奉納では各教会学校が趣向をこらした霊的花束をおささげしました。

 ミサの後、懇親会を行い、「司教様と子供達のコーナー」のあと、四教会持ち寄りの手作り菓子でパーティーを楽しみました。
 子供達が主役になり、教会学校が企画し、信徒会がバックアップするという形で行われたこの行事は、テーマ「手をとりあってイエスさまとひとつになろう」を実現したあたたかいミサになり、約五百名の参加者が、二十一世紀を担う子供達とともに、大聖年の喜びをわかち合うことが出来ました。
(河原町教会 奧埜)

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聖書講座シリーズ「旅する神の民」6/28、29 巡礼 ―歴史を旅する―北村善朗      

 

私が今日お話するに当たって一つの言葉が思い出されます。それは「約束の地に入るために砂漠を通って行かなければならない」と言う言葉です。このことを一つのテーマとしてこれからお話します。
 大聖年を迎えるにあたって教皇さまは「受肉の秘儀」という本を出されました。この本の中で巡礼ということについて書かれています(「受肉の秘儀」No7)。ここでは、私たちの人生が旅であるということが言われています。そして、私たち人間が旅に出るとか、巡礼に出るということは、それによって私たち人間が本来旅人であり、人間はみんな大きな目的に向かって歩んでいるということを思いださせてくれるといいます。文中では「御父の家」、「三位一体のふところ」への旅という言葉が使われています。
 まず、旅人である私たち人間がいったい何かということですが、その意味の一つは、応答的存在、もう一つは自己超越的存在であるということです。応答的存在については、聖書の中で2箇所、知恵の書11章、24〜26、エフェソ書1章、3〜5を読んでみて下さい。私たちが命を受けたということは神から絶対的な愛をもって、愛されているという印で、私たちの内に刻まれています。それに応えることそれが応答的存在としての人間ということです。ですから「呼ばれれば答える」これが人間の根本的な在り方です。ではもう一つの自己超越的存在ということですが、自分ということを意識すると「私」ということが出てきて、これを守るために争いなどが生じます。しかし、人間は自分ということに止まるだけでなく、自分を越えていくことが人間の完成であるといえます。応答的存在、自己超越的存在という点から応える、越えていくという動きがあることに注目してください。この動きが「旅」ということです。私たちも古いものを捨て新しいものへ向かっていこうとする動きを本来的に持っています。しかし、実はこの出ていこうとする動きは神ご自身の中にある動きで、このことについてもお話ししたいと思います。結論から言いますと神ご自身の中にある出ていこうとする動きが三位一体であるということです。

 三位一体について語るということは実は、神がなんであるかということ、人間が何になっていかなければならないかということを語ることです。三位一体ということは私たちキリスト者の根本的なことです。では、ヨハネの手紙4章9〜10をみて下さい。ここで、神ご自身の本性が「愛」であるといわれています。全てを譲渡し、失い、貧しく、全てを与えつくしてしまう故の神の貧しさが愛ということだと思います。そして、その愛の動きが三位一体という言葉でいわれているのです。そして、神の愛の動きが自分の中だけで止まることなく出ていき、あふれていくわけです。つまり神ご自身が巡礼者として私たち人間の所に巡礼して来るということです。さらに、ヘブライ人への手紙5章7〜8をみて下さい。ここからわかることは、イエスご自身がこの地上においては信仰の生活だったということです。つまりイエスもすべてをわかっていたわけではない。私たちと同様に困難、苦しみの後になにがくるかわからない、という状況の中で生きたということです。私たちと同じように砂漠を生き、信仰を生きた。まさに巡礼の生活、脱出の生活、過ぎ越しの生活でありけっして一つの状態に止まっているのではなく、それを過ぎ越していかなければならない。ヘブライ人への手紙10章5〜7をみて下さい。ここではイエスの地上での生活がどんなであったかが書かれています。イエスは地上に来て、御父からの呼びかけに答え「神のみ旨を行う」こと、そして応答性、自己超越ということにイエスは徹底的に生きる、それが御父のみ旨を行うことであり、これによって私たち人間に神が何であるか、神が愛であるということを示され、真の意味で完成された人間がなんであるかを示された。キリスト・イエスは人間に人間を示したといえるでしょう。最も人間らしい人間がイエスだったということです。

 最後に、私たちが神に向かって巡礼していくことは、神にむかって生きているということです。この意味は利己愛から清められ、解放されていかなければならないということです。

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京都教区における共同宣教司牧の現状


「なぜ共同宣教司牧なのか」 森田直樹                      

 京都教区(京都府・滋賀県・奈良県・三重県)では、今春の司祭人事異動に伴い、新たに三重県北勢ブロック(桑名・四日市・鈴鹿・亀山)と中勢ブロック(津・久居・上野・名張)の諸教会が共同宣教司牧地区となりました。これにより、教区内五十七小教区(三つの巡回教会を含む)のうち、五十二の小教区が共同宣教司牧地区になったことになります。
 京都教区の今までの歩みを振り返りながら、共同宣教司牧の現状と今後の展望について皆様にご紹介しつつ、これからの教会のあり方を共に考えてみたいと思います。(共同宣教司牧は「信徒・奉献生活者・司祭」の共同の歩みを指しますが、本稿は、司祭の観点からの報告であることを初めにお断りしておきます。)

 これまでの京都教区の歩み

 一九三七年設立、一九五一年に司教区となった京都教区は、戦後、特にメリノール宣教会の多くの神父様方によって福音宣教活動が行なわれました。戦後の援助・布教活動を通して、多くの信徒が宣教師と共に熱心な活動を行なっていたことは、信徒使徒職、共同宣教司牧を語る際に忘れてはならない原点だと思います。
 その後の歩みについて『京都教区時報』復刊(一九七七年六月復刊第一号)当時の数年間の記事を拾ってみると、諸教会合同行事の記事や信徒養成機関の設立関連記事、小教区を超えて協力していく活動の記事がすでに見られます。
 また、一九七七年のメリノール宣教会日本管区総会についての報告記事には、今後の目標として、各小教区が自分で考え、自分で生活を支え、自分で発展していくことや、地域のリーダーの育成、基礎共同体作りへの努力、貧しい人々、疎外されている人々への重点的な関わり、非キリスト者、特に若い人達への全人間的成長に重点をおいた関わりが挙げられています。
 さらに、一九七八年に常駐司祭不在となった三重県の尾鷲教会に、試みとして聖体奉仕者が任命され、集会祭儀を行なっているとの記事も見られます。その後、一九七九年春頃から「教区ビジョン」を作ろう、という呼びかけが教区邦人司祭から沸きあがります。信徒・修道者・司祭が共に集まり二年半を費やして入念に準備した後、一九八一年十一月二十三日に「京都教区ビジョン」が文章化され、発表されました。

 「社会と共に歩む教会」を大テーマとして掲げたビジョン宣言文は、"社会のそれぞれの場で働いておられるキリストを見出していこう"と訴えています。そして、「神のお望みのままに、お望みの通りに、お望みに従って世界を刷新し、聖化する大きな務めが、私たちにあたえられております。社会の中にすでに生き、働いておられる主に従って、社会に真の平和と、真の幸福を伝えていく使命が、私たちに与えられているのです」と結んでいます。
 少々乱暴な表現がゆるされるならば、この教区ビジョンを作り上げる作業は、私たちの信仰及び教会のあり方の見直しのための作業であり、教区ビジョン宣言文を一言でまとめると、「社会と共に歩む教会の自己確認」と言い得るのではないかと思います。そのためには、教会自身の自己刷新(神と人々との対話、共同体作りへの努力、典礼の工夫などを通して)と信徒自身の自己刷新(信徒各自が一層真のキリスト者になるように励む)が必要だと「京都教区ビジョン」は述べています。
 京都教区の共同宣教司牧の歩みの中で、この「京都教区ビジョン」が重要な一つの出発点であり、また、基本的な方向性である、と言うことができるでしょう。
 すでにこの頃から将来の司祭の高齢化,司祭の数の減少は指摘されていました。 「京都教区ビジョン」の具体化の一つとして一九八五年に発足した「京都教区宣教司牧評議会」が、一九九一年に行なったアンケート(総数二千三百二十三名、当時の信徒総数の一一・五パーセント)では五四・二パーセントの方が小教区の配置について「社会の情勢の変化に応じて、編成し直してみる方がよい」と答え、八五・一パーセントの人が「小教区運営の役割をできるだけ信徒に任せるか、役割を分担した方がよい」と答えています。
 このアンケートの解説書(一九九三年六月)では、司祭や信徒の高齢化などの将来を考えて、共同宣教司牧の推進や集会司式者・聖体奉仕者の養成、小教区を越えた合同の取組み(教会学校・青少年司牧・滞日外国人との関わりなど)、司祭と信徒の役割分担の明確化、小教区の壁を取り除いて教区全体の視点から考えること、小教区の「適性配置」などが提言されています。

 共同宣教司牧の導入にあたって
 
一九九一年には初めて京都教区で「共同司牧」が始まりました。京都市内の西院と桂の小教区が初の「共同司牧」となり、小教区の壁を越えた新しい教会の姿を模索し始めました。続いて一九九二年には京都市内の伏見・桃山・八幡の三教会が、一九九四年には滋賀県の大津・唐崎・安曇川の三教会が共同司牧地区になりました。
 当初、共同司牧は「司祭の減少」に対応する方法とだけ考えられていましたが、後に「小教区が共同」「司祭が共同」だけでなく「司祭と信徒・修道者が共同」でなければならないことに気付いていきました。つまり、共同宣教司牧は単に司祭不足を解消する手段ではなく、各小教区共同体が教会の本質である福音宣教の使命を深く自覚し、「よりよき福音宣教共同体」になっていくために司祭・信徒・修道者が共に関わり、責任を担いあう新しい「宣教型」の教会共同体を目指した動きと理解されました。それゆえ、「共同司牧」ではなく、「共同宣教司牧」という用語が京都教区では使われています。
 一九九五年の司祭・修道者研修会においては,今後の教会のあり方として共同宣教司牧の必要性を共に認識し、今後、京都教区は共同宣教司牧を推進していくことが確認されました。
 以前から小教区同士の交流や地区全体での合同堅信式などが行われていたこともあり、共同宣教司牧の推進の方法としては、一つのサンプルを教区が提示したり、関心のある司祭たちから始めるというのではなく、各教会はすでに共同宣教司牧の歩みを始めているのだ、という意識を共にしながら、教区全体を共同宣教司牧に移行していく方法が取られました。この点が関心のある司祭のグループから始まった大阪教区の共同宣教司牧推進の方法と大きく異なるところだと思います。

 戸惑いと困難

 実際に始まってみると、司祭にも信徒にも戸惑いがありました。共同宣教司牧には決まった形、完成した形がまだないので教区としても具体例の提示ができず、現在でも説明に苦心しています。「共同宣教司牧と言われても、具体的にどうすればよいのかわからない」という反応が大半でした。

 具体的な問題をいくつか挙げますと、司祭が一つの教会の司祭館にいつもいることがなく、場合によっては毎週司式司祭が変わるので「だれに相談したらよいのかわからない」とか、「司祭と信徒のコミュニケーションが少なくなった」という声も聞かれます。「今、共同宣教司牧をやらなくても、実際に困った時に信徒は何とかやります」という意見もありました。「私たちは教区の実験の被害者だ」とか「共同宣教司牧は単なる対症療法にすぎない」との批判もありました。

 信徒の側からは、司祭が小教区教会に常駐しない、「うちの神父」が特定できないなどの不安、他の教会に出かけて行くことへの抵抗、急に奉仕や責任を押し付けられるような受け止め方などがあり、司祭の側からは、なかなか信徒の名前が覚えられない、従来の「主任司祭」制度と理解されないように、週のうち何回か寝床を移動することの煩雑さ、今までよりも信徒と十分なコミュニケーションがとりにくい現状、「共に責任を担う」ということがなかなか理解してもらえない困難、打ち合わせや会議の増加、といった問題が出てきました。

このような困難の解決に対しては、小教区の一人ひとりが「うちの教会、よその教会」ではなく「私たちの教会」という考え方に発想を転換すること、また、司祭に全てを依存する教会運営の体制ではなく、「交わりの教会」「一人ひとりの信徒の役割を果たす」体制へと生まれ変わることが前提となるでしょう。(来月号に続く)
(福音宣教十月号に掲載された内容を、発行元の了解を得て、十一月号、十二月号の二回に分けて転載します。)

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二十一世紀の福音宣教にむかって〜京都教区の取り組みの評価(4)

●宣教司牧評議会の歩みと教区協議会
○「宣教司牧評議会の歩み」[195号(1994年2月)1頁]
○「NICE2長崎全国会議に参加して」[195号(2月)4〜5頁、196号(3月)4〜5頁]]
○「家庭は召命の苗床・神学校です」[196号(3月)1頁]
○「家庭における宣教」[197号(4月)2頁]
○「NICE2・報告とこれから」[200号(7月)4頁]
○「2000年の京都教区」[201号(8月)5頁]
○「ニ〇XX年の京都教区」[202号(9月)4頁、204号(11月)4〜5頁]
○「宣教司牧評議会報告」[202号(9月)6頁]
○「京都教区アンケート解説書」[207号(1995年2月)2〜3頁、208号(3月)4〜5頁]
○「解説書の活用について」[207号(2月)4頁]
○「共同宣教司牧での一年」[211号(6月)2〜3頁]
○「小教区制度とその共同体のあり方の見直しについて」[211号(6月)4〜5頁]
○「紀元ニ千年の到来を迎えるにあたって」[212号(7月)2〜3頁]
○「開かれた教会づくりの流れのなかで」[212号(7月)3頁、213号(8月)4〜5頁、217号(12月)3頁、219号(1996年2月)5頁]]
○「宣教司牧評議会報告」[213号(8月)3頁]
○「信徒使徒職養成コース」[214号(9月)3頁]
○「京都教区司祭・修道士総会の報告」[215号(10月)3頁]
○「共同宣教司牧へのプロセス」[215号(10月)4〜5頁]
○「福音センター養成コースに改名」[217号(12月)5頁]
○「京都教区内の地区組織の名称統一のお願い」[219号(1996年2月)2頁]
○「司教の小教区訪問と人材バンク」[219号(2月)4頁]
○「日本ニ十六聖人殉教四百年祭in京都開催趣意書」[220号(3月)3頁]
○「日本ニ十六聖人殉教四百年祭in京都のプログラム。紀元ニ千年をめざして五ヵ年計画を作りましょう」[223号(6月)3頁]
○「聖体奉仕者学習会の報告」[223号(6月)4頁]
○「司教の小教区訪問趣意書」[225号(8月)4頁]
○「紀元ニ千年をめざしての五ヵ年計画」[226号(9月)4頁、226号(9月)4頁、227号(10月)4頁]
○「LOOK AT ME」[227号(10月)7頁]
○「日本の教会の現状と課題」[227号(10月)4〜5頁]
○「特集・二十一世紀の福音宣教に向かって」[号外(11月23日)、229号(12月)5頁、231号(1997年2月)3頁、232号(3月)4頁、234号(5月)7頁、243号(1998年2月)7頁]]
○「カトリックの若者もすてたものじゃない」[229号(1996年12月)7頁]
○「大塚喜直被選司教が次期教区長に」[234号(1997年5月)1頁]
○「京都司教区カトリック協議会発足準備に向けて」[234号(5月)4頁]
○「パウロ大塚喜直司教叙階式」[237号(8月)2〜3頁]
○「二十一世紀の福音宣教に向かって・奈良教会のとり組み」[238号(9月)3頁]
○「アジアの中の日本の役目は」[240号(11月)4〜5頁]
○「宣教司牧評議会の歩み」[243号(1998年2月)2〜3頁]
○「国籍を超えた共同体に」[244号(3月)4〜5頁]
○「教区カトリック協議会規約」[247号(6月)2頁]
○「共同宣教司牧をめざして」[247号(6月)3頁]
○「教区カトリック協議会発足」[249号(8月)2頁]
○「文化史の中の宣教」[252号(11月)2〜3頁]
○「奈良県の共同司牧」[255号(1999年2月)3頁]
○「出前コースに参加して」[258号(5月)6頁]
○「神のみことばと聖体奉仕」[259号(6月)4〜5頁]
○「何かを忘れてきた、何かが足りない」[259号(6月)5頁]
○「聖体奉仕偶感」[260号(7月)4頁]
○「共同宣教司牧を考える四教会(桂・九条・長岡・西院)の取り組み」[261号(8月)4〜5頁]
[完]

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日本・フィリピノ青年指導者養成

去る八月二十六・二十七日、京都教区フィリピノ・パガサ共同体の主催で一泊二日の日程で、フィリピン系日本人の若者が指導者養成のために集まった。それは若いフィリピン人母親にも初めてであった。九才〜十九才で女子十二人、男子九人が集まった。彼らは多く準備された歌を日本語、英語、フィリピン語でうたい、ゲーム、ダンスなど特に夜のグループワークを楽しんだ。母親たちは食べ物やお金を寄せ合って支え協力した。心理学を学んだエリ・芭蕉、レミ・山本はファシリテーターとして手伝った。(マリアン熊谷)

日本人を父にフィリピン人を母にもつ若者が西院カトリックセンターに集まりそれは非常によかった。はじめ私は子供たちは誰も来ないか退屈するのではと考えていたが、実際は期待した以上のものだった。驚いたことに通常の日曜ミサよりはるかに多くの子供たちが来たのである。はじめはみんな恥ずかしそうだったがゲーム、ダンス、うたを歌う中に互いに話し始めた。自己紹介によって相手を知り、特に一泊という時間のゆとりは互いをよりよく理解するチャンスとなった。この集まりは非常に国際的なものとなり、私はもう一人ではないこと、子供たちも同じ様に感じたことは確かだと思う。この若者たちが神の子供として集い、主に仕えることを学ぶ新しい出発になるだろう。私たちはもっと多くの若者達と出会うこと、気持ちや体験を分かち合うことが出来ることを望んでいる。また、どこかで彼らが所属感を感じることが出来るところを見出すように、私たちの教会が家庭と呼べ、感じるようにしよう。

ルカ神父様によって非常に創造的に意味深く捧げられた典礼は祭壇のまわりに子供たちが座り、ミサの終わる頃すべての信者は主の食卓のまわりに座るよう招かれた。福音の中の主がご聖体を増やされた場面は子供たちによって演じられた。その聖体祭儀を通して私たちはイエスと共にお互いを非常に近く感じ互いにパンを割き分かち合った。

フィリピン系日本人の若者の組織の目的は彼らの持つ日本人でありフィリピン人であるという二つの主体性に対して、子供たちが誇りを持つサポートグループを形成するためであるが、それはこれらの子供たちは深く理解することが出来ない、と同様に他の子供たちを活性化するために日本人とフィリピン人の中でよいリーダーになるよう若者を訓練するということを目指しているということも、子供たちはまだ理解出来ない。これらの活動が彼らの中の自己発見、友情、兄妹愛、能力を分かち合う、文化を豊かにする価値形成の機会を提供することを望んでいる。このグループは一、二ケ月に一回彼らのスケジュールに合わせて集まる。最初の集まりは九月二十三日(フィリピンゲームを含むタレントショウ)、十一月三日(シアター・アートワークショップ)。これらの次の活動に期待をかける若者たちに非常に大きな影響を与えた。これは子供たちが自分たちの中にあるバイカルチャーの豊かさにある美しさを開示することを望み探していたことである。(シスターマルー・ラザン)

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第四回カトリックスカウト京都教区支部 合同キャンポリー

 第四回CBS京都教区支部合同野営大会が、2000年8月10日から13日まで奈良県立青少年野外活動センターで開催されました。
 京都・滋賀・奈良のボーイスカウト・ガールスカウトと指導者、290名が集い[感謝と讃美]をテーマに大自然の中で、神様のお恵みに感謝しつつ友情を深め合うことができました。
 ファイア・パレスで行われた野外ミサに、高田教会ウイックス神父様もお越し下さり、大塚司教様司式のもと、参加12ヶ団の代表が与えられたそれぞれの意向で共同祈願をしました。聖変化のとき、一陣の風がパレスの周囲の木々を揺らせ神秘的な雰囲気が漂いました。真夏の夕日が差し込む頃「大きな愛」の歌声が、吐山(はやま)の森に響き素晴らしいミサに与ることができた喜びに胸がいっぱいになりまりした。

 …「ありがとう」という言葉は「神様を信じて神様が望まれる人になります」という言葉の現れであって、単なるエチケットとしての「ありがとう」ではなく、もっと心の奥深いところからでたものでなければなりません…と仰った司教様のお説教に、CBSの大安息年活動テーマでもある[感謝と讃美]をあらためて心に深く刻むことができました。

 最終日のスカウッ・オウンでは参加者全員が「ありがとう」のメッセージを書き込んだ三角チーフを交換しあい、21世紀を生きるカトリック・スカウトとして平和のために奉仕する決意を新たにして、ミレニアム・キャンポリーを終わりました。    (松本敏子)

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大聖年「聖体大会リレー」の取り組み

 京都北部の11教会では大聖年の取り組みとしてシンボル(丹後ちりめんで作った「主の祈り」の掛け軸)のリレー(巡礼)を行っています。2月に宮津教会をスタート。丹後半島を巡り、大江山を越え、10月は綾部教会に引き継がれました。毎月の第1日曜、引き継ぎを受ける教会でのミサはどこも聖堂に入りきれないほどの盛り上がりをみせています。

八回の平均で一六〇名くらいでしょうか。引き継ぎの方法については教会間で相談して行っていますが、体力に応じての徒歩、車、電車とそれぞれの方法で各教会から巡礼に参加します。このリレーの全行程を徒歩で挑戦しておられる方が数人おられます。そして十二月三日(日)、大塚司教様をお迎えして西舞鶴の日星高等学校での「聖体大会」で締めくくります。このリレーを通じ、「北部11教会が一つになった」と実感出来る大会になるよう準備を進めております。教区の皆様もどうぞご参加下さいますようご案内申し上げます。(京都北部協議会 細野乃武夫)

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お知らせ

今月の大聖年指定行事

◆三重地区
「国際ファミリーデーin Mie」
日 時 19日(日)10時〜15時
場 所 セントヨゼフ女子学園
テーマ これからの21世紀の福 
    音宣教の方向性を探る
    ―滞日外国人との連帯―
内 容 一部 記念ミサ 各国語 
    による聖歌、朗読、子供
    達の証言 二部 アトラ
    クション 各国の人たち
    による歌や踊り

今月の教区大聖年行事
◆教区大聖年記念ミサ
日時 23日(祝)11時
場所 河原町教会

福音センターから
◆養成コース 祈りのコース 17日(金)16時〜19日(日) 場所 唐崎ノートルダム祈りの家 テーマ「イエスの祈り(心の祈り)に学ぶ」
◆みことばをかこう「書道展・絵画展」11日(土)〜23日(木)場所 西院カトリック会館1階ホール

青年センターから
◆「東ティモールに水牛をおくる会」2001年度水牛絵葉書カレンダー完成 一部800円 最寄りの教会か、おくる会TEL/FAX077―592―2141まで。
会員を募集しています。東ティモールの惨状を知り、水牛と友に希望を送ろうと1990年から活動を続けています。一口1000円

教区委員会から
◆典礼委員会 教会の祈りと聖体賛美式 第一日曜日17時30分河原町教会、第三土曜日16時30分衣笠カルメル修道会
◆正義と平和京都協議会 講演会「内線の後を生きる人々」―『グアテマラ・虐殺の記憶』出版を記念して― 7日(火)19時 講師 フーリオ・カブレラ司教(キチェ県教区司教) シスターマルーカ・シプリアノ 場所「キャンパスプラザ京都」2階第1会議室(京都駅ビル北西・中央郵便局西側) 参加費 五百円、共催「中南米と交流する京都の会」 36年間にわたって続いた内戦で傷つけあった人々がこの後どのように「真の和解」をめざすのか、その証言は、戦後55年を過ごしてきた私たち日本人にとって遠い国のものがたりではありません。問合  せ075―223―2291
◆正義と平和協議会全国集会(名古屋)23日〜25日

奈良地区から
◆奈良カトリック協議会 19日(日)14時〜16時 奈良教会・信徒会館2階
◆正義と平和奈良協議会 一日研修会 3日(祝)10時〜16時
◆大和郡山教会 3日(祝) 長崎流配者記念祭

滋賀地区から
◆聖母幼稚園 創立三十五周年記念式

京都南部地区から
◆ウオーカソン 3日(祝)九時半開会式 10時 出発 河原町教会スタート・ゴール 北山橋往復 南部協議会ウオーカソン実行委員会主催
◆衣笠墓苑委員会 合同墓参5日(日)14時
◆西陣教会 ▼5日(日)秋季合同慰霊祭、▼信睦二金会 第二金曜日 10時 西陣教会
◆親交会秋の例会 12日(日)13時半 場所 河原町会館6階和室
◆京都カトリック混声合唱団 練習日12日(日)14時、25日(土)19時、河原町会館6階 グレゴリオ聖歌、ミサ曲、モテット、日本語聖歌など唱っています。どうぞお越し下さい。
◆京都キリシタン研究会 定例会 26日(日)14時〜16時 カトリック会館6階ホール
◆カナの会 結婚相談室開設・例会 5日(日)13時受付、13時半〜15時 河原町会館6階ホール
◆在世フランシスコ会 京都兄弟会 19日(日)13時半 フランシスコの家
◆フランシスカンズ・インターナショナル・ジャパン 関西総会 26日(日) 14時〜16時 フランシスコの家
◆聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ会▼河原町協議会12日(日)▼京都中央理事会26日(日)いずれも13時30分、河原町教会
◆糠みその会 30日(木)19時45分、九条教会
◆コーロチェレステ 練習日 第2、第4、第5木曜日10時〜12時河原町教会地下ホール
◆レジオ・マリエコミチウム 19日(日)13時30分 河原町会館 
◆聖母教育文化センター 聖書講座 第3期 10日、24日及び12月8日、15日、22日 9時半〜10時半 場所 聖母女学院藤の森学舎本館2階会議室 申込み電話075(641)0507
◆『諸聖人の祭日のミサ』グレゴリア聖歌とルネサンス・ポリフォニーによるミサ形式の演奏会 6日(月)19時 河原町教会 ヴォーカル・アンサンブル カペラ 前売り3000円、当日 3500円、学生・シニア1000円引き、問合せ カルメル会宇治修道院 電話0774―32―7456 
◆ヴァツラフ・フデチェク&中北順子 ミレニアム コンサート 23日(木)14時 場所 北白川教会聖堂 入場料2000円 学生/70歳以上1500円 収益はアフリカ(ブルキナ・ファソ)での教育活動と「せきずい基金」等に送られる。問合せ北白川教会075―724―6623
◆「インドへ友愛の手を!」チャリティーコンサートZ 12月3日14時 場所 京都府立府民ホール「アルティ」 ブラームス歌曲、ベートーベン ヴァイオリンソナタ他 出演者 東朝子、橋本寿子、犬伏純子 入場料3000円 問合せTEL/FAX075―781―2049あずままで 
◆「一万匹の蟻運動」基金報告 累計26、662、012円 加入者860名(9月18日現在)

◆祝助祭叙階




マリスト会 一場修(いちばおさむ)

9月10日大和高田教会において助祭に叙階されました。





◆お詫びと訂正 275号(10月号)の記事に誤りがありました。▼3ページ奈良教会の活動において8行目「結婚寿日セミナー」は「結婚準備セミナー」、19行目「これ以上」は、「これ以外」の間違いでした。
▼10ページ大塚司教スケジュール
26日「社会福祉施設協会全国大会」は、「日本カトリック老人施設協会全国大会」の間違いでした。
 お詫びして訂正いたします。

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良書紹介


 私たちの信仰生活に、潤いと希望を与える、分かりやすい良書を紹介します。福音について、キリスト教について、信仰を生きることについて、それぞれ一冊づつ選びました(編集者)。

★福音に親しむために
堀田雄康著
『聖書 楽読楽語』
聖母文庫 1990

 長年聖書の翻訳を続けられた聖書学者である堀田神父様が、研究の水準から降りることなく、だれにでも分かるように説いた聖書の解説書で、主要な福音の「なぜ」に分かりやすく答え、福音が身近になる一冊です。税込み八百円。

★生き方を振り返ってみませんか
岩島忠彦著
『キリスト教についての21章』
女子パウロ会 1996

 キリスト教は生き方です。山を登る人が携帯する磁石は、どのような場所にあっても同じ方向を指すように、キリスト教は、ある明確な方向性を指し示しながら、人間の生のあらゆる事柄にかかわってくるものです。(「あとがき」より)税込み千二百円。

★司祭の素顔にせまる
小林敬三著
『セーヌ川のだるま船』
女子パウロ会 1995

 心にしみる笑いや涙がぎっしりつまった本です。著者の体験に裏付けされた内容で、本物の信仰とはどのようなものかが見えてくるはずです。私たちの身近にある出来事にも、神の働きがあるということが理解出来てきます。
 一気に読めて、また読み返したくなってくる本です。税込み千四百円。

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大塚司教の11月のスケジュール


1日(水)機構改革委員会 15時〜17時
1日 (水) 臨時司教総会 18時
2日(木)司教常任委員会 10時
2日(木)正平協事務局 16時
2日(木)日韓関係史勉強会 18時
5日(日)丹波教会(園部聖堂)堅信式 10時
7日(火)〜9日(木)日韓司教交流会
11日 (土) 東京教区大聖年シンポジウム(東京カテドラル)13時半〜16時半
12日(日)希望の家バザー
13日(月)カトリック学校校長会 14時
14日(火)大阪京都合同顧問会 15時
15日 (水) 聖ドミニコ学院京都幼稚園訪問
16日(木)司教顧問会 10時
16日(木)教区司祭追悼ミサ 16時30分
17日(金)聖母女学院大聖年記念ミサ
18日(土)聖母幼稚園(大津)創立三十五周年記念式
18日 (土) 教区会計説明会(河原町教会)15時〜17時
19日(日)三重地区大聖年行事「国際ファミリーデー」
20日 (月) 小さき花幼稚園司教訪問 10時
21日 (火) ショファイユの幼きイエズス修道会管区長面談
23日(木)京都教区創立記念日
23日(木)教区大聖年記念ミサ(河原町)11時
23日(木)〜25日(土)正平協全国集会(名古屋)
27日(月)〜28日(火)青少年委員会研修会
29日 (水) 聖愛幼稚園司教訪問
30日(木)司祭全体集会・司祭評議会

◆編集部からお知らせ
 一月号に2001年の年間予定を掲載します。締切11月20日(月)までに、「教区時報」宛と明記して、FAX075(211)3041にお知らせ下さい。なお問合せのため連絡先も明記下さい。
(年間予定は個別にはご依頼いたしません)。
 二月号に載せたい情報は、12月
18日までにお願いします。

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信仰のラボラトリー


 
 
今年の夏、World Youth Day(世界青年大会、以下WYDと略す)に参加する為、ローマに行ってきました。WYD期間中は、様々なプログラムがありましたが、そのプログラム中でも私が一番記憶に残っている教皇様の言葉は、「信仰のラボラトリー」という言葉でした。
「信仰のラボラトリー」!?
直訳すると、「ラボラトリー」とは、「研究室」という訳になるのですが、ずばり、「信仰の研究室」です。では、「信仰の研究室」って何なのか?
WYD期間中、さっぱりこの意味がわかりませんでした。でも、帰って来てから、WYDでの出来事を整理していく中で、難しく考えないで、そのまま理解しようと思い、今ここに書くことにしました。
「信仰の研究室」ですから、私自身の信仰について研究をするトコロなのでしょう。自分の信仰について研究する!? 今まで、はっきり言って、自分の信仰について研究するなんてしたこともありませんでした。やはり、幼児洗礼でしたし、幾度かその疑問についてぶつかり、考えたことはあっても、研究するというところまでは、至っておりませんでした。残念ながら、そのことにローマから帰って来てから、気づかされました。
 このことを課題して、つまり「自分の信仰」を課題として、これから研究してみようと思っています。なぜなら、その研究をしていく中で、そう、「信仰のラボラトリー」のなかで、神が私に語りかけ、答を導いて下さる。神が私に語ってくださる。教皇様がWYDで私たちに向かって語りかけてくださいました。だから私も単純に信じて、研究しつづけていこうと、そう、心から思うんです。
いつか、みなさんと、研究結果について分かち合いができるとよいなぁと思っています。
あなたの「ラボラトリー」では、今何について研究していますか? 
私は、まだ研究室に入ったばかりです。
(青年センター 佐藤紀子)

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