2000/12 No.277

京都教区時報12月号 (2000/12 No.277号)

・大聖年のしるし「一致」

・京都教区巡礼指定地紹介〈その11〉カテドラル河原町教会

・奈良県「キリスト降誕2000年記念大会」〜講演と賛美の集い〜福音宣教と一致を目指して

・聖書講座シリーズ「旅する神の民」9/13、14 ―メシアへ旅―  

・「今年20周年を迎えたカトリック青年アジア体験学習」

・京都教区における共同宣教司牧の現状 「なぜ共同宣教司牧なのか」(前月号の続き)

・お知らせ

・良書紹介

・大塚司教の12月のスケジュール

・LOOK AT ME in


聖年の第三のしるし「一致」
 ああ人知を超えた、キリストにおける愛の一致の神秘を悟らせて下さるように(エペ4:19)

 聖体祭儀に一致の極みがあると、教皇様は看破された。共に祈り、共にみ言葉を生き、共に聖体を分かち合い、愛の交わりに生きる一致の集約が聖体の秘儀と祭儀にあることを。

 聖書の中から一致についての教えを見出そうとすれば、その視点の豊かさに戸惑ってしまう。そこで、主の祈りを共に唱えよう。これこそ一致の祈り。「パパ(お父さん)」と呼ぶ。御子と共に聖霊によって御父に向かって。

 ああこれは三位一体的祈り。「私たちの」と加える。私たちみな一人の方をパパと呼ぶ兄弟的集い。そうこれは、人類共同体的祈り。「天におられる」。天よ地よ宇宙よ。われらみな共に神を賛美しよう。こうして宇宙的な祈りをする。心は広く大きく温かく親しくなって。私たちは一つだ。

     写真は巡礼指定地の河原町教会の聖堂内部です

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京都教区巡礼指定地紹介<その11> 河原町教会


●教会所在地
 当教会は、王朝千古の都、京都の中心地、その昔、東海道五十三次の起点として有名な三条大橋の辺り、中京区河原町通り三条上ルにあります。近くには、心の灯運動のYBU本部、京都市役所、京阪三条駅、地下鉄東西線の市役所前駅、地下街、有名ホテルが幾つかあるという交通至便の最高の地であります。


●教会の歴史
 当教会の歴史は京都に於ける最初の布教の歴史でもあります。一八七九(明治一二)年、ビリオン師が京都に来られたのは、聖フランシスコ・ザビエルが我が国に上陸してから丁度三三〇年目であった。師は早速、市内二条高倉にささやかな家を借り入れ、これを仮聖堂とされました。これが明治以降に京都にできた聖堂の最古のものである。京都での宣教はその当時すでに信教の自由は確立されていたとは言え、仏教の都、京都では人々の偏見は激しく、師はフランス語教師の免許はおりたが、宗教に関しては発言せず、司祭服を着用しての外出も禁じられた厳しい条件であった。しかし、時の経過と共に当局者の態度も徐々に好転しつつあった。最初の洗礼はその翌年一八八〇(明治一三)年二月五日、日本二六聖人殉教者の祝日に、その仮聖堂において密かに洗礼式が行われた。

●天主堂建築の経緯

 天主堂建築は、聖フランシスコ・ザビエルによる「京の都に聖母に捧げた教会を」との祈りが三五〇年を経てビリオン師によって進められた。師の熱意と神の恩恵により、次々と資金を提供して下さる篤志家も出て、資金は必要額に達してきた。「中部日本代牧区」の初代司教、ミドン司教もビリオン師に協力され、将来に備えてさらに広い土地を希望された。幸いにも一八八八年、広大な敷地の大名屋敷(対馬宗屋敷)を買い取ることが出来た。これが現在の河原町三条上ルの敷地である。待望の献堂式は一八九〇年五月一日、クーザン大司教の司式で、日本の三教区長、大勢の司祭の共同司式により捧げられた。東京より仏大使、京都府知事をはじめ、政財界の多くの名士が参列して盛大に行われたと、翌日の「日の出新聞」(現京都新聞)には写真入りで大きく掲載されたようです。こうしてザビエルの夢がかない、当教会はザビエルに捧げる教会として今日に至っている。

●司教区に昇格・新聖堂の竣工・宣教一二〇年

 一九三七年、大阪教区より独立し、京都知牧区が誕生し、バーン師が初代教区長に就任された。一九六一(昭和二六)年、当時主任司祭と教区長を兼務されていた古屋善之師が司教に叙階され、京都知牧区は京都司教区に昇格し、当教会には司教座が備えられ、司教座教会(カテドラル)となった。長年慣れ親しんだ由緒ある旧聖堂の老朽化が激しく、新聖堂建設の機運が盛り上がり、ロイヤルホテルとの契約も成立し、一九六七(昭和四二)年六月、現在の新聖堂が竣工されるや、正面に司教紋章も掲げられ、旧聖堂は犬山の明治村に寄贈された。
 一九八〇年二月三日、当教会は宣教百年を迎え、明治村の旧聖堂において記念ミサ、記念誌「宣教百年の歩み」の発行など記念行事を行う。本年二〇〇〇年の大聖年は、当教会においては、最初の洗礼より一二〇年、宣教一二〇年の記念すべき年である。

●教会活動

 当教会は「京都南部地区共同宣教司牧東ブロック」に所属しています。東ブロックとは、北白川教会、高野教会・山科教会・河原町教会の四教会です。四教会では、二ヶ月に一度、連絡協議会を持ち協力体制の確立を目指しております。去る九月二十四日(日)には、東ブロックの大聖年行事として「子どもと共に捧げるミサ」が、四教会の大勢の子ども達、お母さん方、その他、お手伝いの方々の参加で超満員の聖堂に於いて、大塚司教司式による共同ミサが捧げられました。ミサ中、子ども達に良く分かるようにとの配慮から、福音朗読の箇所は司教自らがイエス様役となり、子ども達は会衆となって、五つのパンと二匹の魚を増やされる場面をミサ中劇として演出され、子ども達も迫真の演技をし、意義あるミサが捧げられました。その後の子ども達の交流パーティーも盛り上がり、有意義な大聖年行事となりました。当教会担当司祭は昨年四月、西陣教会より着任して下さった浅田年生師で、師は特に東ブロック共同司牧の推進には力を注いで下さっております。

●聖親会(信徒会)活動

 信徒会は一九五一(昭和二六)年、主任司祭、古屋義之師の司教叙階に伴い、丸山吉高師が主任に就任されると、早速信徒の動きを結集され、信徒会を結成し、聖親会と命名される。 聖親会には「ヨゼフ会」と「マリア会」「青年会」「中高生会」「土曜学校」「侍者会」等の部会があり、他に諸活動として「教会財務委員会」「聖歌隊」「レジオマリエ」「ヴィンセンシオ・ア・パウロ会」「キリシタン研究会」「ガールスカウト」「イクトゥス(月刊機関誌)編集委員会」「結婚互助会」等があり、毎月一回その代表者による役員会が開かれ、教会行事、運営等につき種々話し合われ、それぞれに活発な動きがなされております。
 特に、ヨゼフ会、マリア会は教会の諸行事には常に中心的立場で活躍され、教会の柱的存在でもあります。本年の三回に至る、バスを連ねての大聖年巡礼行事も、両会の役員委員の方々の綿密なる企画・立案・準備により無事挙行されました。当教会の聖歌隊の歴史は古く、戦後、古屋義之司教は特に聖歌隊に近らを入れられ、自らご指導、司教直属の部会として発足し、洛星高校からの良き指導者に恵まれて、カテドラルに相応しい、素晴らしい歌唱力の聖歌隊として、京都南部では古くから定評があります。また、機関誌「イクトゥス」は、一九五一年の創刊に始まり、毎月欠かさず発行し、ここに五十年、あと数ヶ月で六百号に達することとなりました。これも、当教会が誇りとする一つであります。その他、各部会の活動を紹介したいのですが、紙面の都合上省略させていただきます。
 大聖年も残り僅かとなりました。皆様の当教会への巡礼を心よりお待ち致しております。

カトリック河原町教会
京都市中京区河原町三条上ル
電話 075(231)4785 FAX075(211)8021
主日ミサ 午前七時・九時・十時半
     午後六時半
土曜   午後六時半
平日   午前六時半
火・水・金午後六時半

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奈良県「キリスト降誕二〇〇〇年記念大会」

〜講演と賛美の集い〜 福音宣教と一致を目指して

 九月三十日(土)、「なら一〇〇年会館」で開催された『キリスト降誕二〇〇〇年記念大会』は、会場を埋め尽くす一七〇〇名余の方々を迎えて始まり、主を賛美する聖歌と、テーマ「いのちの輝きをみつめて」の柏木哲夫氏(淀川キリスト教病院・名誉ホスピス長)の講演が行われ、神の祝福のもと、大盛会のうちに終えることが出来ました。
 この企画がスタートしたのは一九九八年の朝祷会からで、その年の十二月に第一回目の準備会が開催され、二年間にわたり奈良県下のプロテスタント教会の方々と共にエキュメニカルを目指して取り組まれました。
 今回は、キリスト教会一致とともに記念すべきキリスト降誕二〇〇〇年の福音宣教をテーマに、信徒と共に未信者の方々への呼びかけにも重きを置いて準備することになりました。そのために、内容は親しみやすい聖歌や教会音楽を中心とした部分と、新しい明日を予感される講演を組み合わされた内容としました。また、すべての歌と講演内容は手話通訳され、車椅子で来られた方にもバリアフリーとなるように配慮されました。





 聖歌隊は奈良県下九〇余のすべてのキリスト教会に呼び掛け、二三〇名の方の参加をえて、半年にわたる練習が行われました。(この聖歌隊は、今回で解散することの無いように、奈良県キリスト教連合会の聖歌隊「ならジュビリー」として継続するように準備が行われています。)


 この記念大会はカトリック教会、聖公会、日本基督教団、ルーテル教会、そして、福音派の教会や単立のキリスト教会など、多くの方々の協力と奉仕、献金、そして、祈りのお陰で一致して働くことが出来ました。


 しかし、わたしたちは毎年一月のキリスト教一致祈祷週間を中心にエキュメニカルのための祈りと行動を続けていますが、残念なことですが今でも一部のプロテスタント教会には、カトリック教会との同席を拒まれる声が有ることを忘れてはいけないと思います。(今回の実行委員会の席上でもそのことが話されました。)

 しかし、この記念大会を通じて行われた交流と、共に働く事で生まれた協力の心と信頼関係が、これからのキリスト教会の一致と、奈良県下の新しい福音宣教の第一歩となるように、祈りと共に努力を忘れないようにしたいと思います。
 大会のためにご協力と奉仕、献金、そしてお祈りいただいた方々に御礼を申し上げます。


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聖書講座シリーズ「旅する神の民」9/13、14 

―メシアの旅― 大島 力 牧師

 「メシアへの旅」という題を与えられ、次の二つのことを考えました。一つは、私たちがどのように旅をしたらメシアと出会えるか、ということ。もう一つは、旧約聖書からイエス以前の時代の人々がどのようなメシアへの旅をしたのか、ということです。
 旧約聖書の人々がメシアを待ち望んでいたのはあきらかですが、その旅の出発点はイザヤ書ではないかと思います。メシアというのは「油を注がれた者」と言う意味でヘブライ語でマシーアハという言葉からでてきたものです。油というのは新約聖書では聖霊の油といわれ、聖霊をあらわします。しかし、マシーアハの時代では本物の油です。例えば、ダビデが王様になる時、サムエルが油を注ぎます。また王だけではなく、大祭司も油を注がれます。それによって皆から認められるのです。ですから立派な王であれば国を救う、祭司であれば神の民を生き生きとさせるというように、人々を救う者、民族を救う者をメシアと呼ぶようになりました。これが、メシアの意味です。さらに、メシアをギリシャ語で訳しますと「クリストス」となり、油を注がれた者という意味で、ここからキリストという言葉がでてくるわけです。ですからメシアすなわちキリストと考えられたわけです。イエス・キリストというのは名前ではなく、「二000年前に生きてガリラヤ地方で伝道して、最後エルサレムで十字架にかかったあのイエスこそメシア、キリストである」という告白で、大事な言葉であり、キリスト教会の根本であると思います。

 イザヤ書七章十四を見てください。この箇所はメシアへの旅の本格的な出発点の一つです。これは「インマヌエルという事実である」ということが書かれています。インマヌエルとは「神我らと共に」という言葉で、イザヤはいろいろなことで動揺する時、本当の支えとなるのは「神我らと共にいます」ということをここで言おうとしました。イザヤ書はメシア預言を非常に大事なものとしています。そして、新約聖書のマタイ一章二二は、イザヤ書七章十四を引用して「神我らと共に」という預言が実現したのはイエスであると言っています。第二のメシア預言といわれる箇所がイザヤ九章一〜五です。また、第三のメシア預言がイザヤ十一章一です。ここでは、人間は確かに進歩していくが、その延長線上に救いがあるのではなく、人間の歴史というのは、裁きがあってはじめて本当の救いがあるということが書かれています。そして、断絶をへて新約聖書の時代にイエス・キリストが生まれると語っています。

 旧約聖書には二つのメシアについてのイメージがあります。一つはダビデのような権力や武力をもって平和をもたらすイメージです。もう一つは新約聖書に受け継がれたイメージで、イザヤ五三章五を見てください。「彼のうけた傷によって癒された」という告白があります。特にイザヤ五三章の最後に、「多くの人の過ちをおい、そむいた人のために執りなしたのはこの人であった」という言葉が書かれています。これこそ新約聖書に受け継がれたメシアのイメージです。そして、イエスが十字架にかけられる意味を理解するための決定的な箇所であり、それがメシアへの旅の到達点に導きます。ペトロの手紙第一、二章二二〜二四ではっきりとしたメシアの受け止め方が分かります。なぜなら「彼のうけた傷によってあなた方は癒された」と書かれています。このように旧約聖書の影響がみられ、イエスの十字架と救いの深い意味が受け止められ、まさにキリスト教会がイザヤ五三章からイエスの十字架を理解したと考えられます。

 最後に、私たちは過去にさかのぼるような形でメシアとしてのイエスを見てきましたが、私はイザヤ五三章、十字架のイエスの痛みと苦しみを思う時、「あれは、私の痛みと苦しみをイエスがあそこで背負ってくれている」そういうふうに告白せざるをえない気持ちになります。それは、イエスが私のところに来てくださったということ、これが福音の大きな意味ではないかと思うからです。 メシアへの旅という中で、ありのままの、私の所まで来て「あなたの痛みと苦しみを負う」と言ってくださるところが聖書のすばらしいところだと私は思います。

 私が今日お話するに当たって一つの言葉が思い出されます。それは「約束の地に入るために砂漠を通って行かなければならない」と言う言葉です。このことを一つのテーマとしてこれからお話します。

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『今年20周年を迎えたカトリック青年アジア体験学習』

 【二十年の歩み】

 今年で二十年にわたるカトリック青年アジア体験学習に携わったメンバーは、全国に約三百名いると思われます。そのうち、約二百名が関西出身で、残り百名は全国各地から参加してくれた方々です。一人一人の参加者が感じたこと、得たものは違うでしょうが、人生を豊かにしてくれるものを多く発見したことでしょう。

  はじめに、このカトリック青年アジア体験学習は、松本三郎師の提案で始まりました。松本師自身がフィリピンで九ヶ月間過ごし、いろいろな人や文化に出会い、その違いや豊かさを通して、みな兄弟として助け合うことができると強く実感し、フィリピンから帰って、この素晴らしい体験を一人でも多くの青年たちと分かち合いたいと思い、普通の観光旅行と違って、本当に生きている人と触れ合う機会をつくってあげたいと考え、体験学習ツアーを計画しました。

  京都カトリック青年センター(西院カトリック会館二階)が出来た時から、このカトリック青年アジア体験学習の事務局はそこに移りました。毎年八月後半(約十四日間)、平均して十名から十五名の青年参加者がフィリピン・ルソン島のインファンタという町に旅立ちます。プログラムの主な内容は現地の若者達との交流、五日間のホームステイ、農業試験場の見学、有機栽培農業や地域の発展の為の計画などの講話、フィリピンの歴史、文化も紹介されます。

  二十年間にわたって日本の青年たちはインファンタの人々との触れ合いや出会いを通じて、自分自身を深く見つめ直し、価値観を変え、人生そのものを変えるほどの刺激を受けてきました。 中心は青年たち(フィリピン人と日本人)の交流ですが、協力者として私達は場合によっては具体的な援助も送ってきました。例えば、この二十年の間にウォーカソンの募金を四回送り、地域の発展や青年リーダー養成のためのプロジェクト、また、台風や大きな火事などの災害の時などにも協力しました。


・インファンタの町の風景・歓迎するホームステイ先の家族。 
体験学習のメンバーたちが毎年5日間、村の人たちの家に歓迎されてホームステイをします。

【三百名のメンバーより】
  ◆私が体験学習に参加したのは、1985年と86年です。今の私にとって体験学習の一番の思い出は、フランシス神父様の講話の中の「日本はアジアの中の黄金の頂を持つ山です。」という言葉です。体験学習から帰ってアジアの国々に対して何かしなければならないと強い衝動に駆られたのですが、何をしてよいか分からずに、何もしないままでした。94年に妻が体験学習に参加しました。帰国後彼女も何かしたいと考えたらしく、すぐにボランティアショップのボランティアになりました。
  一歩を踏み出さなければ何もできないと分かりました。今は税理士になり、アジアへの支援活動をするNGOに対し専門家として関わっていきたいと考えています。(Y.T.)


  ◆インファンタで、私は物にあふれた日本で生活しているのに、毎日の食べ物も必死で獲得しながら生きている人々、そんな貧しい人々が神様を全面的に信頼して生きていることを目のあたりにし、私はショックでした。

  そのショックの結果はすぐには出なかったけれど、今現在の私は、あのショックをうけた時から生きる道が変えられた私です。そして、そんな私の生活の中の様々な出会いは、神様の見えない力によって与えられているということも気付かされました。(E.T.)

  ◆既に社会人として参加した私は、多大な影響は受けたが現在も変わらず日々暮らしている。ただ、自分の気の持ちようは、かなり変わった。いや、「変えなければ」という事に気付いた。それは『いつも笑顔で居る』ということ。仕事以外、どんな時もそうありたい。笑顔から入るのが、コミュニケーションの第一歩に相応しい。体験学習を通して、勇気付けられた私は、笑顔で居られるように努めているのである。(M.S.)

  ◆この体験は、私にとって、幼稚園の先生という立場での判断の基準にもなっていたと思います。フィリピンで出会った子ども達のようにもっとのびのびと自由に、そして、たくさんの事を経験して欲しいと、日々保育していました。又、フィリピンから日本という国を見た事で、日本の良さ、日本人としての誇りなど、もっと自分の国を見つめ考え、そしてやはり、それを子ども達に伝えなければならないと考えるようになりました。

   今年、再びOBツアーで感じた事は、一二年前と比べると、生活の中の電化が進み、電話や、コンピューターも導入されてきたインファンタ、これからの体験学習や交流の方法、又、援助などの事も、改めて考えていかなければ…と、よく話し合いました。(K.F.)
                      

  ・今年の8月11日〜15日、20周年を記念するOBツアーが行われた。大自然の中での感謝の祭儀。司式はフランシス・ルカス神父。共同司式は森田神父。フランシス師は、この体験学習の当初からプログラムを組んで、毎年共同体発展グループと一緒に私たちメンバーを温かく迎えてくださる。
  ・『インファンタ 日本とフィリピンの青年たち1980〜2000』と題し、体験学習20周年をお祝いするメンバーで、今年の8月にOBグループと第20回の参加者が歓迎された。



 【新しい歩み】
   二十年を記念して今年の夏に行なわれたOBツアーの中で、参加者はこの活動の将来を積極的に考えて、新しい関わり合い、役割をもちたくなりました。
  新たな連絡方法として、インターネットにホームページを開き、情報交換を行なう取り組みを始めました。また、インファンタとの情報交換や、来年からのOBツアーの企画なども検討しています。 豊かな経験をもっている三百名以上の若者達は何と貴重な人的資源でしょう。みんなで力を合わせれば素晴らしい可能性が出てくることでしょう。
  また、フィリピン人と日本人の両親から生まれた子どもたちが参加できる体験学習ツアーの企画、将来、自分たちの子どもが参加できるインファンタツアーの企画、そして、他のアジア諸国の人々との交流を推進する活動など、可能性がたくさん考えられています。 収穫は多く、そして、働き手も多いのです(担当司祭オヘール)。
  


 
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京都教区における共同宣教司牧の現状



「なぜ共同宣教司牧なのか」 森田直樹 

 今になって分かりかけてきたことは、「よりよき福音宣教共同体」になるために、司祭と信徒・修道者が手探りで「新しい教会のあり方」を模索する動きこそが「共同宣教司牧」であって、何か決まった一つのパターンを実行することが「共同宣教司牧」ではない、ということのようです。また、一部の困難さだけを増幅させて「共同宣教司牧」全体を否定する動きにも注意しなければなりません。困難も多くありますが、次のような実りがあるのも事実なのです。

 少しずつ実りが

 共同宣教司牧になって「いろんな神父さんの説教が聴けるようになった」という声が聞かれるようになりました。また、教会のバザーでお互いに協力し合うようになったり、地区内での話合いや合同役員会も増えてきました。「私と神様だけの信仰」のあり方に、同じ信仰をもった兄弟姉妹がいる周りの教会への関心が少しづつ加わってきています。

 小教区の壁を超えて、合同で学びの時を持つ場合もあります。例えば、小教区への出前の養成コースをお願いしたり、キリスト論・教会論の勉強会を一つの教会だけで行なうのではなく、周りの小教区にも呼びかけたり、入門講座のできる信徒の養成を共同で行ったり、祈りのコースを共同で開催したりとさまざまです。
 同時に、各小教区では司祭・修道者・信徒からなる「病人訪問グループ」が発足したり、共同体の主日の祝いとしての「集会祭儀」の実施や学習会などが行われ始めていますし、毎年四百名を越える集会司式者・聖体奉仕者が任命されています。年に一回の「聖体奉仕者学習会」には百名を越える参加者があり、聖体奉仕者として病人さんを訪問することを通して、奉仕者自身が大きな恵みに気づかされる、という体験を喜びをもって分かち合ってくださる方々もいます。

 司祭にとっては、今まで一つでよかった担当小教区が複数に増えるので、いくつもの「引き出し」を頭の中に作らねばなりませんが、司祭同士また修道者・信徒も含めた司牧チームのミーティングを通して、互いに支えあい、知恵を出し合って共同宣教司牧を実践しています。

 奈良県南部ブロック共同宣教司牧(西大和・大和八木・大和高田・御所)では、司牧チームが次のようなビジョン宣言をしています。

●わたしたちは、各小教区の信徒たちが、特に役員会や祈りのグループを通して自己刷新のため、また「奉仕するキリスト共同体」を作る方法を見つけるために、わたしたちと一致協力して働く教会を目指しています。

●わたしたちは、共に学ぶことによって、この「奉仕するキリスト共同体」が少しずつ作られるように、信徒が皆心を新たにして、キリストを証することをもできるよう目指しています。

●わたしたちは、各小教区の信徒が他の三つの小教区の人々と緊密な交わりを保ちつつ、それぞれのもつ豊かな才能を分かち合い、「心と思いを一つにする」共同体づくりのために、お互いに助け合うことを希望しています。

 そして、このビジョン宣言の具体化として、十六項目からなる司牧計画を発表しています。この中には、共同宣教司牧地区内での説教・講話の共通テーマ、具体的な病人さんの訪問のやり方や「祈りのグループ」への呼びかけ、四教会合同の「祈りの一日」の計画、共同祈願を互いに分かち合うこと、月に一回の反省と評価を行なうことなどが明言されています。

 このような現状の中で、現在、京都教区では、「教区カトリック協議会」を通して、共同宣教司牧をさらに推進していくため、そして幾つかの小教区と共同での教会活動・運営を進めていくためにも、共通の教会運営規約作りを始めています。これは教区内の全小教区の運営規約を一つに統一することではなく、また教区内の全小教区に、その運営のための共通の組織を要求するものでもありません。それぞれの共同宣教司牧の特徴を生かしながら、各小教区の独自性も生かして、お互いに共に奉仕するための「共通の約東事」を決めていく作業なのです。さらに「共同宣教司牧」を通して、少しずつ信徒の間にも福音宣教への使命の自覚と共同責任を担う意識が深まってきていると思います。

これからに向けて

共同宣教司牧が推進される中で、京都教区では昨年と今年、「小教区統合」が行われました。昨年は亀岡と園部の小教区が「丹波教会」として統合され、「一小教区、二聖堂」という形が初めてとられました。この小教区は、一人の司祭が両教会を長年「兼任司牧」していたこともあり、小教区を越えた関わりが続けられた結果の統合でした。現在では、役員会の統合、会計の一本化がなされ、主日のミサを含めて教会行事を合同で行っています。
 今年三月には「尾鷲教会」が松阪教会に統合されました。小規模の小教区ゆえ、維持・管理が不可能になったためです。この統合に際しては、大きなトピツクがありました。建物としての教会がなくなったために、近隣のプロテスタントの教会に葬儀の際の会場の借用をお願いしたところ、「主のみ栄えを表すことになる」と快諾いただいたのです。「尾鷲教会」の土地建物はなくなりましたが、教派を超えた協力関係の中に教会の新しい姿を今後模索していくことでしょう。

 「教会」というと、「定住している司祭」「教会の聖堂と信徒会館」「小教区固有の会計」と考えている人たちには、このような京都教区の動きが理解できないかもしれません。でも、時代は移り、信徒は移動し、現代社会は刻々と動いています。教会の中で「変えてはいけないもの」をはっきりさせながら、現在、大胆にその姿を変えていく勇気が求められているのではないでしょうか。教会がその本来の使命である「福音宣教」をするために、時には組織や建物や財産をも捨てていくことが求められているような気がします。
 「共同宣教司牧」は必ずしも小教区の統合を目的とするのではありませんが、共に一つになって協カしあう姿の中から、また「福音宣教」という教会の本来の使命を優先させるところから、小教区の統合も将来の一つの可能性として存在しつづけると考えられます。
 この小教区統合は教会が密集している都市部と、一つの都市に一つの教会しかない地方とでは意味合いが大変異なると思います。移動が容易な都市部の教会が結果的に統合されたとしても、共同宣教司牧は単に「スーパー小教区」を作るだけのものであってはいけません。共同宣教司牧は信徒同士、小教区同士、司祭と信徒・奉献生活者といった「共同体性」の霊性のもとに、一人ひとりに与えられた神様からの賜物を見つけあい、育てあい、生かし合うことが不可欠だからです。

 最後に、共同宣教司牧を進める上での注意点は、形式や方法論だけで進めるのではなく、信徒一人ひとりの養成、霊性とも深く関わっていることを忘れてはならないということです。「共同宣教司牧」の推進のためには、司祭・修道者・信徒それぞれが、真の意味で成熟した信仰者となり、神から一人ひとりに与えられている賜物を生かすことが求められているからです。

 キリストは弟子を二人ずつ福音宣教に派遣されたこと(一人ではない!)、信徒一人ひとりがお互いに「おまえはいらない」と言えない大切な「キリストのからだ(である教会の一員)」という聖書のことばからとらえ直してみれば、「共同宣教司牧」の推進は、単に組織の変更や方法論だけでなく、私たち一人ひとりが自分自身の信仰や信仰生活のあり方、教会のあり方を見つめ直し、神様によってより成長させていただく機会なのだ、と考えられないでしょうか。新しい千年期に向かって、私たちは子孫にどのような信仰を伝え、どのような教会を残していくのでしょうか。

※『福音宣教』誌十月号に掲載された内容を、本人と発行元の了解を得て、十一月号、十二月号の二回に分けて転載しました。>                     

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お知らせ

<今月の大聖年指定行事

◆京都北部地区
「大聖年シンボルリレー完結記念大会」―感謝で祝う千秋楽ミサー
日 時 3日(日)10時〜15時
場 所 日星高等学校
テーマ 隣人の声を聞き、感謝の内に共に祈ろう
内 容 大聖年シンボル引継ぎ・記念ミサ、アジア体験学習ツアーレポート、
滞日外国人との意見交換「シンボルリレーに参加して」の発表
◆京都南部地区北ブロック
「みんなでクリスマスを祝おう」
日 時 16日(土) 午後
場 所 加茂川 〜 三条河原町教会周辺
内 容 野宿をよぎなくされている人々と、彼らが来やすいところで、
周辺の人々も巻き込んで「たのしいクリスマスをしよう」

福音センターから
◆聖書深読
 聖書(翌日の主日のミサの福音)を共に読み、書き写しながら神の自分へのメッセージを聴き、自己の内面にも聞き入り、分かち合うことによって他人に聴く聖書深読
 場所 西院カトリック会館 12月9日 奥村一郎師、1月13日 奥村一郎師、2月3日 中川博道師、3月3日 中川博道師、4月21日 北村善朗師
 何れも土曜日 10時〜16時 毎回2千円(昼食代を含む)聖書・筆記用具持参のこと。
申込み・問合せ 福音センター 電話075ー822―7123 申込みは10日前までに 主催 聖書委員会・福音センター

青年センターから 
◆「東ティモールに水牛を送る会」2001年度水牛絵葉書カレンダー完成 一部800円 最寄りの教会か、送る会TEL/FAX077―592―2141まで。
会員を募集しています。東ティモールの惨状を知り、水牛と友に希望を送ろうと1990年から活動を続けています。
一口1000円 基金は現地に送られ、水牛の購入資金に充てられ、その水牛は現地のNGOを通して、人々の生活に生かされます。
入会問合せ 075―822―7288(河原田)、077―592―2141(高橋)

教区委員会から
◆典礼委員会 教会の祈りと聖体賛美式 第一日曜日17時30分河原町教会、第三土曜日16時30分衣笠カルメル修道会
◆部落問題委員会・正義と平和京都協議会 9日(土)学習会


奈良地区から
◆大和八木教会黙想会10日(日) 奥村一郎師
◆奈良教会▼黙想会9日(土) 中川博道師▼街頭募金15日(金)〜17日(日) 近鉄奈良駅前付近
  ◆御所教会黙想会9日(土)、10日(日) 吉田師
◆大和高田教会▼街頭募金3日(日) 近鉄高田市駅前 ▼キャロリング23日(金) 近鉄高田市駅前

京都南部地区から
◆河原町教会 「クリスマス市民の集い」19時半
◆西陣教会 ▼信睦二金会 第二金曜日 10時 西陣教会 クリスマス会
◆京都カトリック混声合唱団 練習日 2日(土)19時 河原町会館6階、10日(日)14時、河原町教会地下ホール 練習後クリスマスパーティ グレゴリオ聖歌、ミサ曲、モテット、日本語聖歌など唱っています。どうぞお越し下さい。
◆京都キリシタン研究会 黙想会 10日(日)14時〜16時 河原町会館6階ホール
◆カナの会 結婚相談室開設・例会 3日(日)13時受付、13時半〜15時 河原町会館6階ホール
◆在世フランシスコ会 京都兄弟会 17日(日)13時半 フランシスコの家
◆聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ会▼河原町協議会3日(日)▼京都中央理事会17日(日)いずれも13時30分、河原町教会
◆子羊会 10日(日)クリスマスパーティ
◆糠みその会 14日(木)19時45分、九条教会
◆コーロチェレステ 練習日 今年は14日(木)で終わりです。10時〜12時河原町教会地下ホール
◆レジオ・マリエコミチウム 3日(日)13時 河原町会館6階 
◆京都カルメル会修道院 巡礼指定地の大聖年行事 14日(木)13時半講演会「十字架の聖ヨハネ」講師 奥村一郎師 ミサ15時
  ◆聖母教育文化センター 聖書講座 第3期12月分 8日、15日、22日 9時半〜10時半 場所 聖母女学院藤の森学舎本館2階会議室 申込み電話075(641)0507
◆「インドへ友愛の手を!」チャリティーコンサートZ 3日(日)14時 場所 京都府立府民ホール「アルティ」
 ブラームス歌曲、ベートーベン ヴァイオリンソナタ他
 出演者 ソプラノ東朝子、ヴァイオリン橋本寿子、ピアノ犬伏純子
 入場料3000円 問合せTEL/FAX075―781―2049あずままで
  ◆「一万匹の蟻運動」基金報告 累計26、926、992円 加入者860名(10月16日現在)

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良書紹介

私たちの信仰生活に、潤いと希望を与える、分かりやすい良書を紹介します。詩編について、福音宣教について、ゆるしについて、それぞれ一冊づつ選びました(編集者)。

★詩編をより理解するために
高橋重幸(トラピスト司祭)著
『詩編を祈る』
サンパウロ1978
 詩編の祈りは、二十世紀の乗り物のようなスマートなところはないかもしれないが、強力なSL(蒸気機関車)のように、今日も、私たちを神に向けて引っぱってくれる。それは、詩編が人間の作った祈りではなく、神によって与えられた「神ご自身のことば」、すなわち、「永遠に続き」(イザヤ40・8)、「生きて力がある」(ヘブライ4・12)神のことばにほかならないからである。したがって、私たちが詩編を使って祈るとき、他の祈りとは質的にことなる祈りをしている、と言えるのではないだろうか(本文より引用)。千五百円。

★福音宣教について、もう一度見直してみませんか
佐々木博(仙台教区司祭)著
『人とのかかわりの中で(信徒による福音宣教)』
女子パウロ会 1986
 京都教区は、教区をあげて各共同体が「宣教型の教会共同体」になることを目指しています。「福音宣教」と言われ始めた頃に、なぜそれが必要なのか、どうしてそうするのか、信徒に何ができるのか、などについての指針が各方面から論じられました。本書は、信徒による福音宣教についての数少ない著書の中でも、初心を思い起こすのに値するものです。一人でも、グループでも、共同体でも読むことができる内容になっています。二十一世紀を目前にして、再読することをおすすめします。九百八十円。

★回心の一助に
幸田和生(東京教区司祭)著
『ゆるしの力』
女子パウロ会 1995
 戦後半世紀、これまでにもまして、罪とか、おわびとか、補償とか、そんなことばが、社会を飛び交う。だが、本当の、関係回復のため、何かの思いが欠けてはいないか。一人ひとりの心に、真の安らぎをもたらすものが……(帯書きより)。本書では、二千年前にイエスが人々に告げたゆるしとは何だったのかをもう一度問い直してみようと思いました。人と人、民族と民族とが断ち切られ、理解し合えない痛みを感じている現代世界の中で、すべての人との和解と共生への道を模索するわたしたちにとって大切なメッセージがそこにはあると信じます(あとがきより)。税込み千円。

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大塚司教の12月のスケジュール

1日 (金) 大阪管区司教会議(玉造)11時〜16時
3日(日)京都北部大聖年行事「聖体大会」(日星高校)
4日 (月) 〜5日(火) 東京カトリック神学院新築校舎落成式
5日 (火) 〜6日(水) 社会司教委員会 社会問題勉強会
7日(木)正平協運営委員会 10時
8日(金)〜9日(土)女性国際戦犯法廷参加
10日(日)エスコラピオス修道会日本宣教五十周年記念司教ミサ(四日市教会)
13日 (水) 東京カトリック神学院会議 9時
13日 (水) 機構改革委員会 14時
14日 (木) 司教常任委員会 10時 14日(木)正平協事務局 16時
14日(木)日韓関係史勉強会 18時
16日 (土) 京都南地区北ブロック大聖年行事「みんなでクリスマスを祝おう」午後
17日 (日) 聖誕2000年市民クリスマス in Kyoto 17時
18日(月)〜19日(火)大阪管区事務局長会議
19日 (火) ノートルダム・クリスマスの集い 14時
21日(木)司教顧問会 10時
24日(日)市民クリスマス(河原町)19時30分 24日(日)主の降誕深夜ミサ(河原町)23時30分 25日(月)主の降誕ミサ(河原町)10時30分 28日 (木) 〜30日(土) ミレニアム韓国巡礼 31日 (日) 2000年大みそかの祈り

◆編集部より
  お知らせに載せたい情報は、2月号は12月18日、3月号は1月15日までに、京都教区事務所内「京都教区時報宛」にお願いします。

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LOOK AT ME in 京都北部
『嫌なこと全部忘れよう!』をテーマに9月30日〜10月1日にかけて、宮津市大江山バンガロー村にて開催されました。今回は、京都北部での開催ということで、高校生達が主体となってプログラムを企画しました。コンセプトとしては、参加者であろうと、スタッフであろうと、高校生であろうと、皆同じ。自分の寝るところは、自分で作る。もちろん、夕食も然りです。そして、夕食の献立はカレーだったのですが、それぞれが、何か一品カレーの材料を持ち寄り、その持ち寄った材料の中でカレーを作るというものでした。皆がひとつになって、作り、それを皆で分かち合って食べたのでした。そして、夜は、それぞれ自分の嫌なことについて、分かち合いをしました。翌日のミサでは、大江山の大自然の中で、自分自身の中にある「嫌なトコロ」についてみつめ直し、そんな自分にイエスが語りかけられる呼びかけに耳を傾けること、そして、その呼びかけを胸に皆がそれぞれの日常へと派遣されたのでした。

 京都北部の高校生の声
 

◇今まで、“高校生”という立場でいろんな集まりに参加してきましたが、しかし今回は、“スタッフ”という今までとは少し違う立場で参加してみて、一つ一つの企画をゼロから考える。この事がこんなに大変だとは思いませんでした。
◇ミサの中で、自分の嫌なトコロを書いた紙を燃やした時、神父さんに「あなたの信仰が、あなたを救った。さぁ、安心していきなさい。」と言われ、すごく穏やかな気持になれました。自分がちょっとはマシな人間になったような気がしました。
◇分かち合いの中で、今何について分かち合っているのか、その意図をつかんで話しをすることの難しさに気づきました。それと同時に、分かち合いの中で自分がよく分かったような気がします。 ◇ミサの中で、福音を聞いた後に自分の嫌なトコロについて紙に書くということを通して、自分をみつめ直すことができ、とてもよかったです。

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