1994/2 No.195

京都教区時報2月号

・宣教司牧評議会の歩み

・聖書講演会

・イエズス会司祭叙階

・歩いて募金 第4回ウォーカソン三重

・NICE2長崎全国会議に参加して

・長崎への道

・あんてな

・新しい団員の参加を!


宣教司牧評議会の歩み

1994年5月、修女連から京都数区ビジョンの推進と教区の発展のために、仮称「司牧評議会」の設置が司教に提案された。
 同月司祭評議会に於いて、設立準備会を作ることを司教に答申し、9月に設立準備会が発足した。
 翌1995年1月19〜20日に、第1回「京都教区宣教司牧評議会」が開催された。その中で、評議会の役割と性格が話し合われ、同年6月の第2回評議合では、NICEの基本方針と教区ビジョンの関わりについてと、教区創立50周年の取り組みについて検討された。
 尚、4日には、NICE1を京都で開催受諾の答申を司教に手渡した。また補助金審査委員会の役割を司祭評議会から引き継ぐことに決まった。
 以上のことと平行して、各組織がかかえている問題を提出してもらい、それを整理して取り組み始めた。
 それを1987年6月の臨時評議会に於いて「三課題」に絞り込み、同年11月に開かれたNICE1と教区創立50周年に於いて出された種々の課題も含めて討議し、司教に答申して来た。青少年問題は1989年初め青年センターの設立やアジア交流委員会の設置となり、またパイプのつまりについては教区事務所から各小数区などへの連絡の中に「信徒会長宛」も同封してもらう形で動き始めた。
 1990年からは、「よりよき宣教共同体となるために」(適正配置)の検討に入り、1991年には「教区の現状調査」と、それに基づく「意識アンケート」を実施し、「アンケート統計表」と翌1992年に「アンケート解説書」を印刷発行して来た。
 1993年12月の評議会は、もう一度初心に戻って、NICE2・福音宣教・教区の将来について、評議員の忌憚のない意見を交換する形で開催された。


(文責・西野)

〔注〕
*宣教司牧評議会の性格
 司教の諮問機関
(評議会として、司教への提言も可能)
(各種委員会の上部団体ではない)
(小教区等からの提 言・苦情は司教顧問会が窓口になっている)
*宣教司牧評議会の開催
 教会法では、司教の召集時のみ開催となっているが、京都教区では、年2回の定例会議という形をとっている。
*宣教司牧評議会の名杯
 教会法では、「司牧評議会」となっているが、京都数区では、「宣教司牧評議会」という名称となっている。

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聖書講演会

(聖書講演会「使徒行録における教会と福音宣教の意味」に参加してA・コレーン師の話の中から)

 まず、生活から出発すること。毎日の生活を通してキリストを知る事。キリストのメッセージを生きる事が大切。開かれた教会共同体になってまわりに起こっている事に関心を持って、どうかかわってその人の痛みの中に入っていくのか。私達の教会共同体のビジョンは教会中心なのか、あるいは社会、苦しみの現実の中に生きる派遣されるものになっているのか。
 使徒6章〜15章を通して、再び現実からの出発。それによる福音宣教の変化。聖書は読む事ではなく、自分達の生活の中に、本当に救いと解放を求める人々、苫しんでいる人の方に自分達の心と動きが出て行く事。もしいい共同作だと思っても、それが私達の生活、福音宣教の中に実現されなければ閉じこもった共同体である。人とのかかわり、現実とのかかわりの中に何が大事かを見つめ、分かち合いと聖書のみことばを通して、生活を照らしていくものであれば、望んでいなかった、あるいは困る事態が起こっても、その中で大事な発見がある事に気付いたならば、福音宣教は本物に向かって行くのではないか。使徒8章26〜46。使徒10章1〜48を通して、人生の意味を奪われている人、苦しみの意味を求めている人、福音宣教の目的は目の前にいる人を聞いてあげる事から始まる。そして、人の同伴者になる事。
 1959年開かれたバチカン公会議は、2500人の司教の体験から始まった。6年前京都でNICEがあった。その課題は現実から、それぞれの生活の体験から出発する。御ミサは生活を持っていくものである。以上が神父様の体験、信徒の体験を例にあげながら話してくださった一部です。
 現実から出発する事はイエスの歩みでもあったと、イエスの姿を思い浮かべ、福音の生き方はいつの時代でも新しいものではないかと感じました。

(九条敢会 T・H)


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イエズス会司祭叙階


(松村信也師  9月18日、聖イブナチオ教会で、三重県亀山教会出身のイ工ズス会神学生松村信也師が司禁に叙階されました。皆様、新司祭のためにお祈りください。)

愛の奉仕者として

 信也さん、ご家族の皆様、司祭叙階おめでとうごぎいます。信也さんに接した人は皆、明るく行動的で、親しみやすい人柄に加えて、素敵な笑顔での対応に魅かれるのではないでしょうか。
 神学校5年目の春、お母さんに届けられたアルバムを見せていただきました。手作りのアルバムで昨夏以降の生活が一目でわかる説明書き、それにおりづる、おし花、花もよう、聖書のことばが添えられ心あたたまるアルバムでした。「野に咲く花は、のびのびと天にそびえています」という言葉からは、彼がいかに神様に心を開き、信頼し、深く祈る人であるかが伝わってきます。
 司祭の道を歩まれる信也さん。これからも今まで同様親しみやすい信也神父様でいてください。そして、叙階式で話された「神の霊に自分を委ね、ザビエルの精神である福音宣教に捧げます」を大切にして神様と人々をつなぐ掛け橋になってください。
(亀山教会 K・K)

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歩いて募金 第4回ウォーカソン三重

 三重県カトリック信徒連絡協議会(主催)と福音宣教推進三重の集い(実行委員会)は、11月3日津市内で、家族を失って、苦しみさまようペルーの子供達のためにウォーカソンを行った。午前9時30分津教会に県下7教会から約90人が参加した。

 聖書朗読、祈り、ジャクソン神父(津教会)の励ましの言葉に続いて、ペルーの子供達のために働くガリティー神父(メリノール宣教会)からペルーの現状と、この募金活動に村する感謝の言葉があり、聖歌「キリストと共に」を歌って、午前10時30分募金の目約を明記した描断幕を先頭に、各教会で準備したプラカードを掲げて出発。車椅子の神父、70歳以上と思われる手押し車を押す婦人、両親や祖父母に手を引かれて歩く幼児、ブラジルやボリビアなどの滞日外国人を交えた集団は祝日で賑わう商店街を経て、中間点の阿漕浦ヨットハーバーにたどり着く。ポイントで確認印を貰うために差し出す幼児の姿が印象的だった。

 海岸の公園でお弁当を開き、小グループの輪ができて和やかな雰囲気がただよう中で、各教会が創意工夫を凝らしたプラカードのコンクールが行われ、午後1時再び行進に移り、閑静な住宅街や商店街を通り、歩きながら子供のこと、孫のこと、料理の作り方など日常生活の分かち合いをしながら、全長約8キロの道程を全員が歩き通し、ゴールの津教会に到着、祈りと感謝のうちに午後2時30分解散した。

 募金は生活苦のため、親を失い、あるいは捨てられて家族をなくしたペルーの子供達のために全力を注いで働くペルー在住のベルナルド・P・バーン神父(メリノール宣教会)のもとに送られる。

ウォーカソンに参加して一歩一歩に思いをこめて
(Y・H)

 今年で親子3人、4回目の参加です。今回は次男の通う幼稚園がゴールでインターナショナルフェスタの開催もあり、次男が3人の中では、すごくはりきって歩きました。たくさんのスポンサーも見つけることができ責任重大です。
 昨年、世界で起きた戦争は20余りあったと聞きます。戦争というものの経験はありませんが一番の犠牲は女性、子供です。特に子供たちは発育における大切な時期を戦争などにより栄養が取れず病気に倒れることも少なくありません。私たちは現在たくさんのものにあふれている生活を送っています。日本人人口全部が今後7年間洋服を買わなくてもよい状態です。

 その様な私たちが、地球のどこかで飢えや寒さに困っている人たちのことを知らないではすまされないのです。
 直接その人たちに何かをすることは出来ないにしても、毎日の生活の中で出来ること、そういう意味で参加したウォーカソン。一歩一歩その人たちの苦しみや痛みを考えつつ歩けたのは大変よかったと思います。
 子供たちも楽しく歩きながら、自然に自分たちより小さい人たちのために何かできるという自信がもてた様です。

 神さまがくださったこの身体を惜し気もなく与えられる人になって欲しい。その足で因っている人のところに歩みより、その手で哀しんでいる人がいたら抱いて、その口で口論している人がいたら和解をもたらしてくれたらと祈りの内に今年のウォーカソンも終わりました。ゴールでのフェスタも楽しく何か一つの事を成し遂げたせいでしょうか、子供たちの顔は疲れを感しさせない明るいものでした。神に感謝。


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NICE2長崎全国会議に参加して

世代を越えて分かち合い
(登美ヶ丘教会 M・Y)

 たくさんの人と出会い、分かち合うことができ充実した4日間を過ごせました。
 長崎で感じたこと考えさせられたことは多いのですが、なかでも「分かち合い」については、考える機会がよくありました。
 NICE2では「分かち合い」が重要視されていたので、長崎での会議でも、分団会という形で「分かち合い」がされました。今まで教会や学校・職場などで同世代の人と分かち合うことはあっても、違う世代、特に自分より上の世代の人と分かち合うことは無かったので、分団会で、メンバーと顔を合わせた時、年令差(私以外は皆さん四十六才以上)に戸惑いを感じました。しかし、分かち合うにつれ、素直な自分の意見が受け入れられると、積極的に発言できるようになりました。

 その時に、「分かち合い」の壁は、世代や職業などの違いでできるのではなく、分かち合う人、ー人ひとりの心によってできるのだと感じ、お互い相手を受け入れる気持ちがあれば、共感・共有のある「分かち合い」ができると思いました。
 今回色々な形で「分かち合い」をすることで、信者としての自分を振り返り、今までに無く、神様の存在を感じることができたように思います。

祈りの輪に支えられて
(ノートルダム教育修道女会 Sr山田アイ子)

 長崎空港に着いた私達を待っていたのは送迎バスに私達を案内してくださる人達と、そしてアナウンサーとカメラマンでした。このインタビューから解放され、おしゃべりに時間を忘れている間に長崎の会場に着きました。
 バスを降りて会場に向う私達を美しい笑顔で迎えてくださったのは長崎教区の婦人の方達でした。

 この4日間、長崎教区の31教会から600名以上の婦人の方達が奉仕してくださいました。
 食堂でも、コーヒーブレイクの時も、そして会場を移動する時も、必要な所に必ず数名の方達がニコニコしながら立っておられ、道案内をしてくださり、その行き届いた配慮に感心し頭がさがりました。

 開催のミサは浦上天主堂で行われ、司教と司祭を合わせて190名位の荘厳な共同司式ミサで、参加している信徒数は、各教区代表者、長崎教区の信徒、修道者を合わせると2000名位の人達が一つになって祈っている姿に、私はすごくパワーを感じました。
 会場には全国から霊的花束がどんどん送られて来て、全国の皆さんが私達とNICEに参加しておられるのを感じました。皆様方の祈りに支えられて、私達は司教、司祭、修道者、信徒が同し立場で「家庭」と言うテーマに基づいて真剣に話し合い、そして聴くことが出来ました。私達参加者は皆様方のお祈りに支えられていることを強く感じました。

人を裁くのではなく
(草津教会信徒 K・O)

 「家庭」、私たちには身近に感じられる課題でNICE2の幕は開けられました。
 家庭の現実を知るため、各小数区では「分かち合い」という形で始められましたが、分かち合いを継続して行くうちに「分かち合いアレルギー」「本音がでない」と課題のむずかしさをひしひしと感じて、代表者のー人として不安な気持ちで全国会議に赴きましたが、会議は全体会と分団会(6、8名グループ)で行われました。

 全体会での各小数区の報告を聴き、日本の家庭は社会の波に押し流されて、教会から遠く離れただよっている現状にふれ、分団会の人たちとは、心を開いて分かち合えない家庭の現状北に共感し、一人ひとりが人を裁くのではなく、共に考え、たたかい、祈り、聖霊の働きによって家庭の助けになる教会共同体をと4日間祈り、分かち合いを重ねました。
 長崎での全国会議は終わりましたが、私たちの信仰共同体づくりは終わったのではありません。
 神の国をめざして、これからも実りある「分かち人合い」を続けて行きたいものです。

神がいて、愛がある
(JOC青年 A・N)

 今回、NICE2に参加出来た幸運を感謝しています。
 私は幼児洗礼で、家族皆が信者
というごく普通の、しかし、信仰的には恵まれた家庭の中で生活してきました。小さい時から、要理の勉強、教会での話などで、よく耳にした言葉が「聖家族」という言葉でした。幼い時の私にとっては、聖家族から導き出される「家庭」とは、「両親がいて、兄弟がいて、神様がいて愛がある」という小さな意味での家庭観しかありませんでした。けれども、実際寮生活や、実社会で働いていく中で、「家庭」を常識的な小さな枠にとじこめてはいけないのではないかと思いはじめました。

 私は、故郷を離れて住み込みで働いていたので、離郷青年の辛さというものを知っているつもりです。教会に行っても話し相手がいなければ、さっさと帰って寝る。ちょっと話し相手が出来そうな人がいれば、かまって欲しくて、話に夢中になることがありました。心から話す相手が欲しかったのです。友達になりたかったし、そして、ものすごく淋しかったのです。その頃の自分を思い出すと、教会自体が大きな家庭にならなければいけないんしゃないかと思いました。「神がいて、愛がある」大きな家庭を信者皆が、それぞれが作り上げていくことが大切ではないかと、NICE2に参加して、孤独だったあの頃を思い出しながら考えました。そして、辛い思いをしながらも、今は同し様に淋しい思いを味わっている青年達を、自分自身が教会から時々遠ざかることによって、見捨てたり、見逃したりしているのではないかと反省しています。

26聖人に見守られながら
(津教会信徒 Y・S)

 今から396年前の忘れる事の出来ない史実の回想。みぞれ交じりの寒い北風は容赦なくぬかるみに足を捕られ、石に躓き喘ぐ彼らに降りつけ、その雪に滑り、よろめき、履きつけない特に6人の外国人宣教師の草履は素足に食い込み、皮膚は裂け血潮に染まった雪道は京都から長崎へと、まさに死の行進1ヵ月の日本26聖人物語(津殉教史調べ)何故こうまで苛酷に。

 申す迄もなく禁令に動じない信者への「見せしめ」と一筋縄ではゆかないとみた長崎の神の子らへの改宗が狙い。ではその強者どもの嗣業の地でのNICE2は。
 あの日京都で「共に喜びをもって生きよう」の灯火は6年の歳月を経て多くの殉教者の見守る長崎で開催となる。

NICEが問いかけるもの
(マリスト会司祭 パトリック・オヘール)

 浦上大聖堂の中で、天井迄ひびく2000人の歌声、神を賛美し、聖霊の導きを祈り求めていた姿。日本の教会が聖霊によって引っ張られていて、その招きに答えていることを思い感動した。私は参加していたといいながら、それは10月21日から24日迄の会議の事だけですが、NICEそのものは聖霊による刷新運動だと解って、会議に参加するよりも、その運動に属しているという事を確認した。

 NICE1の動きに乗りおくれていた私でしたから、長崎会議で司祭たちが時々NICEに余り協力的ではないという事を聞いても、裁く事が出来ないと思った。今回代表のー人に選ばれて、色々と調べたり、たずねたりしながら、田中司教や柳本神父の説明の言葉によって助けられた。

 NICEそのものは運動だという事。今回こそ、多くの信徒の方は生活と信仰の遊離を乗り越えるために、実生活の中で共感と共有を探り、聴く事や分かち合う事の大切さについて、新しい洞察を持ち始めている。
 信徒も聖職者も司祭も、皆がより正直に通じ合える共同体を作るために努力している事がわかった。実践的な信仰、社会の福音的でない価値観に問いかける勇気を出そうとしている共同体、そして積極的に社会や文化の中で働いておられる神の霊を見い出すために、吟味識別する事もNICE運軌を支える霊性のもとだという事に気づいた。

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長崎への道

メリノール会 シスター・モーレン・ミテン

◇殉教の道
 1597年、日本でキリシタン禁止令が布かれていた時、信仰を貫くために26人のキリシタンが捕らわれ死刑の宣告を甘んじて受けました。京都で捕らえられた26人は、辱めのために片耳を切り取られ、京の街を引きづられ、長崎までの長い道のりを、真冬の真只中歩かせられたのでした。そして、同年2月5日、長崎の丘の上ではりつけになったのです。1862年にローマで列聖され、日本26聖人と呼ばれています。

 今から約20年前、1974年、神戸の六甲学院の音楽の先生が、26聖人の伝記を読み、深く感激し、京都から長崎までの同し道を歩き、殉教者を偲ばうと決心しました。この本田周司先生が「長崎への巡礼」を始めました。そして、キリスト教、その他の宗教から参加があり、数多い人々が殉教者の歩いた道をたどり、歩く難しさと、ある時には苦痛を味わいながら、恵みを体験したのです。

◇ロザリオを繰りながら
 私はウィチタの聖ヨゼフ会のシスター・クレメンチアに、この長崎巡礼を紹介されました。歩くことに自信はありませんでしたが、日本26聖人に対して深い信心をいだいていたので、殉教者の生涯について黙想するために、巡礼に参加することにしました。

 私のグループは全員37訂名で、日本各地から集まっていました。全行程は千キロメートルで、年に7・8回地域により異なりましたが、毎回何約20キロメートルから30キロメートル歩きました。そしてその都度、前回歩き終わったところが起点となったのです。可能な限り、殉教者が歩いた同じ道を歩き、4年後の1992年2月2日に、千キロメートルを完歩することができました。リーダーの方は、険しい道では私共を導き、常に皆を励まし、支えてくださいました。同行巡礼者は、皆、それぞれの信仰にみちたすばらしい方々だったと感謝しております。道中、私共は食物を分け合い、同し部屋に休みました。歩きながら、ロザリオを繰り、「イエズスの射祷」を唱え、殉教者の強い信仰と、業績を黙想しました。今から思いおこすと、すばらしいお恵みの時だったと感しざるを得ません。

◇旅する教会
 巡礼することは、信仰生活の一つのかざりではなく、その中心になると信じます。真剣な努力からくるお恵みは私共の中に残り、信仰生活の支えとなるようです。殉教者に祈り、その生涯を黙想することによって、自己を捧げるとか、忠実というような「旅する教会」に全く重要な徳の意味が、理解できるようになると思います。
 現代の日本は、すっかり消費主義社会になり、人々の関心は物をもつこと、少しでも安楽な生活へと向けられています。物質万能主義は、人々の精神を窒息させてしまうでしょう。殉教者の歩んだ道に、自分の生活を照らし合わせる機会をもつと、私共は一体何を優先すべきか考え直させてくれます。これはすばらしいお恵みでしょう。

◇ゆるぎない信仰にならう
 今、日本での宣教は難しく、消極的になってしまうことも多いようです。その中でも、26聖人の忍苦の精神は、一つのインスピレーションとなって、人々をキリストに導くのではないでしょうか。26殉教者の中、2、3人の外国人宣教師の他は、皆日本人でした。むごい拷問や死にもかかわらず、この人々は神への忠実さにより、日本の教会の歴史の始めに、栄光ある頁を綴りました。すべての日本人と、日本に働く宣教者は、殉教者を誇りとし、彼らの勇気とゆるがない信仰にならい、また、26聖人の取り次ぎを願うことができるでしょう。

  聖なる日本の殉教者よ
  神のみ国が
  この国に来ますように
  そして、
  私共のために
  お祈りください。

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──青少年担当司祭からひとこと──
「教会の宝探し」
三重県青少年担当 森田直樹

*5月に三重県に赴仕してから、はや半年。ようやく何人か青年たちとコンタクトが取れ始めたというのが現状です。
*主任司祭のやさしさに甘えて、津・久居教会では、『ゆうれい神父』として生活しています。ゆうれいは「足」さえあれば、どこにでも現れますので、お声がかかるのを待っています。
*ところで、「青年の教会離れ」が叫ばれている昨今、「三重県青少年担当」という肩書きをいただきましたが、何をすればよいのか迷っているのが、正直な気持ちです。
*教会に青年たちが来ないのは、教会に魅力がないためなのか、それとも、、青年たちの日常生活に、教会が入り込めないためなのか、と考えますが、はっきり言えるのは、忙しい毎日を青少年は過ごしている、ということです。
*教会に来られなければ、こちらから「出張」しようか、などとも考えています。
*教会には、多くの宝物があると思います。ただ、音楽や映像など多くの刺激に囲まれている青少年にとっては、ちょっととっつきにくいかもしれませんが。
*皆鞘さんと一緒に、「教会の宝探し」ができればいいな、と思っています。
*活動は、司祭が企画して運営するものではありません。皆朽さんが主役です。何かの活動を始める時に、お手伝いしたり、肋言するのが私どもの役割です。
*できるだけ「客器寄せパンダ」に徹するつもりですので、楽しい企画をお待ちしています。

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新しい団員の参加を!

京都カトリック混声合唱団


 南信協フェスティバルの時に各小教区から集まって歌った聖歌隊を核にして作られた私たちの合唱団は創立以来、叙階式や献堂式記念ミサなどの各種教区行事を中心に、合同聖歌隊の一員として、また時には単独でいくつかの教会で御ミサの聖歌を歌耽ってきました。
 また行事のための練習と合わせて、私けたちに残された大きな遺産であるラテン語によるミサ曲やアヴエ・マリアを中心とするモテット類を練習して、1992年11月にチャリティ・コンサートを開き、パイプ・オルガンの演奏と共に皆様に聞いていただき、チケット収益50万円を聖マリア養護学校の施設充実のために寄付することができました。
 コンサート後、行事参加と共に基礎的な練習を積み重ねてきましたが、今回新たに今年11月にフォーレのレクィエムを中心にした第2回チャリティ・コンサートを開く予定をたて練習を始めています。そのコンサートのためにももっと団員を多くしたいと考えています。歌の好きな方ならどなたでも大歓迎です。どうか振るってご参加ください。
 練習は通常、第2日曜日の午後2時から4時半までと、第4土曜日午後7時から9時までの月2回です。練習場所はいずれも河原町教会やカトリック会館をお借りしています。
 お尋ねになりたいことがあれば、各教会の合唱団員までご連絡ください。

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