1995/2 No.207

京都教区時報2月号

・分かち合いの共同体

・京都教区アンケート解説書(1)

・宣教司牧評議会報告

・聖書講座から

・「尊厳死」宣言書の取り組み

・あんてな


分かち合いの共同体

 20xx年にむけての京都教区の取り組みのための一試案で、信徒養成の具体的な方法の一つに、「待降節、四旬節の黙想会の替わりに、養成コースを組み入れる」というのがあります。

 昨年の11月13日に、大津・唐崎・安曇川の共同司牧の教会を対象に、福音センターの所長であるる柳本師を招いて大津教会で分かち合いを取り入れた黙想会が行われました。又、12月4日の大和八木教会の黙想会でも、同じ内容で行われました。

 信徒使徒職養成コースは、今まで各小教区より派遣された人が対象で行われてきましたが、せっかく養成を受けても、共同体が受け入れる態勢がないと生かしきれないでいました。こうしたことが起こらないように、共同体全体がよりよき宣教共同体となるために養成される必要があります。そのために共同体の分かち合いが必要不可欠です。皆さんの各小教区やグループでも、共同体の分かち合いをしてみませんか。

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京都教区アンケート解説書(1)

設問1〜6を通して今後を見れば
*信徒の増加、特に若い信徒の増加がなければ、召し出しも考えられない。

(一)信徒側の課題

(1)家庭内での学び合いの必要性

一、家庭内での分かち合いを活発にする。
二、家庭内で司祭職(また修道生活)について、学び合う場をもつ。
(司祭に対する固定観念や過大評価をなくす。司祭職と司祭個人との混同。)。
三、召し出しという言葉を司祭(また修道者)になることに限定しないで、結婚することも、シングルで生活することも、神からの召し出しであることを明確にする。
四、家庭内で、子どもとともに、子どものための祈りをする。日常生活での素晴らしさや喜びを分かち合い、祈る。
 以上のことを実践した場合、「本人にまかせる」が本当に子どもの意志を尊重していることになると思う。

(2)社会の影響

一、家庭内外において、信仰の証しができるような雰囲気、たとえば遊びにおいても、相手を思いやる行いや言葉を大切にする。
二、「社会の影響」の内容を、もう一度具体的に調べてみる。
三、社会問題に、信徒すべてが深い関心をもってかかわる。
四、物質主義の影響の大きい現代社会の中で、信仰を育てる手立てを真剣に見直す。
五、一人っ子も増えている現在、受洗や召し出しについて親や親戚などとの関係の不安(先祖、墓、仏壇などについての疑問など)を取り除く。

(3)信仰の生涯教育

一、教会共同体の中での分かち合いを大切にする。
二、自分の信仰を育てるため、教会共同体や福音宣教のあり方を学ぶために、種々の錬成会や講演会や研修会などに積極的に参加する。また福音センターの資料も活用する。
三、福音が若者の心に響くようにするには、どうすればよいかを考える。たとえば、フィリピン、バングラディシュなどへの派遣、また今後その体験をどう活かしていくかの課題。
四、青少年の司牧に力を注ぐ。年齢に応じた信仰教育を確立する。特に若者の心に元気が出るような、参加しやすい研修会などを企画する。青年センターをより充実させるため、メンバーの養成、継続などを考え、設立時の趣旨に沿って見直す。

(二)修道者・司祭側の課題

(1)司祭の生活に対する不安解消の手立て

一、経済問題や老後の問題について、信徒側に説明する。
二、司祭に対するよくない噂や悪口は、特に若手司祭の働きを妨げるので避ける。
三、司祭の役割、信徒の役割をよく話し合い、協力できることを探し続ける。現代の司祭が何故忙しいのか、その原因を明確にする。

(2)司祭間の交流の促進

一、任された小教区のことだけでなく、教区全体のことも考えていく。小教区の壁を取り除く。
二、信徒に任せることを大切にしていく。
三、司祭間、特に教区付司祭間のより一層の交流をはかる。
四、共同司牧を実施する前に、信徒とともに学び、意味を明確にし、その実りを積極的に知らせる(このことは、司祭間だけの課題ではなく、信徒間の課題でもある)。
五、他教区の共同司牧の実施状況を調べてみる。

(三)司祭召命の増加を目指して

(1)侍者会の充実と若者への働きかけ

一、教区として、侍者会の相互交流や展望を明確にする。
二、司祭職への直接的なすすめや侍者のやり方を教えることも大切だが、キリスト者であることの喜びを噛みしめられるように、多くの人との出会い(遊びなどを通して)を大切にする。
三、司祭の生活、特に司祭職の魅力(喜び、苦しみなど)を具体的に若者に知らせていく。
四、若い司祭や神学生との交流の場(錬成会や合宿などを含めて)を増やし、司祭叙階式への参加を呼びかける。
五、祈りの大切さ(特に祈りは行動を伴うこと)を伝える手立てを考える。

(2)召命促進委員会の活動のPR

一、司祭や修道者への道(年齢のことや勉強のことなど)についてPRする。どうすれば司祭や修道者になれるのか分からない人もあるので。
二、召し出しのための「祈りの日」を決めて、教区全体で祈る。
三、召命促進委員会の活動を更に推進し、PRをもっと行う。
四、他の委員会やグループ(親交会など)との協力関係を更に推進する。たとえば、神学生のスポンサー制度(まだ設立されてない)など。
五、召命を生み出すような教会共同体のあるべき姿を、ともに探し続ける。どうすれば神によって活かされた教会共同体になれるのか。
六、日本の若者の現状や教区の現状を、今後も分析しながら、PRに努める。

(3)「一粒会」制度の充実

一、「一粒会だより」を発行して、神学校生活や神学生の紹介、また会計報告など、密度の濃いPRをする。
二、京都教区独自のポスターを掲示するなど、PRを種々の形で行う。

(四)その他

一、司祭と信徒は、何でも親しく話し合えることが大切である。ただ、親しさの中に互いに尊敬する心を保ち続ける。

設問7〜13を通して今後を見れば

(一)公会議・教区ビジョン・NICE

(1)お互いをありのままに受け入れ、理解し合えるような分かち合いを、世代を超えて持つ。
 青少年においては、同世代の人たち同志でするのもよい。
(2)福音の精神をもって自己刷新する。
(3)司祭の影響が強い現状では、先ず司祭が関心を持ち、信徒に伝える努力をしていく。

(二)聖書に親しむこと

(1)聖書使徒職委員会の活動を活発にする。
(2)聖書百週間・聖書深読会などを紹介する。
(3)家庭集会・グループで読む会を作る。
(4)聖書を家族や誰かと一緒に読むことの大切さについて理解を深める。以前、信徒は、誤った解釈をするおそれがあるとして、聖書(特に旧約聖書)を個人で読まないように指導されていた。

(三)祈り

(1)祈りの大切さは、いまさら言うまでもない。教会の一致のために、一人ひとりが大切にされ、主の恵みに共に活かされて生きていく不断の努力を支えていただけるよう、個人はもとより共同体で共に祈ることを大切にしたい。

(四)自己刷新

(1)自分がいただいているタレントを見出し、自分ができることに積極的に参加する。
(2)『教会は何もしてくれない』という声を聞くが、『私たち一人ひとりが教会である(=キリストのからだ)』ことを自覚する(コリント後書12章12〜26節を参照)。
(3)福音センター、研修センターなどの各種養成コースへ進んで参加し、そこで学んだことを自分一人に留めることなく、他の信徒に知らせ、分かち合うことにより、研修の成果の輪を拡げる。

(五)小教区へのかかわりと協力体制

(1)一つの小教区でできない行事などを、複数の小教区合同でする。青少年の少ない小教区では、近隣小教区でまとまって、若者の仲間作りをする。
(2)他の小教区のミサ・行事などに参加し、所属する小教区でその体験を活かす。
(3)学校5日制の進展に伴って、児童・生徒に対する小教区としての受け入れ体制を考える。
(4)今まである教会行事を、「開かれた教会(=社会の福音化)」という観点から、もう一度見直していくことも大切である。
(5)小教区、超小教区で実行可能なことについて、具体的方法を考え、実行する。例えば、滞日外国人労働者の受け入れ体制など。
(6)教区内外の信徒の会の連携を密にし、情報交換、協力体制を確立していく。
 尚、どれぐらいの人数になるか分からないが、小教区行事に「参加が困難」、「できるだけ関わらないようにしている」と回答された人たちの気持ちに思いを馳せることも大切である。

(つづく)

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宣教司牧評議会報告

今期3年間の主な取り組みは、教区が「よりよき福音宣教共同体となるために」(適正配置)という問題でした。中でも、「アンケート調査」の分析とこの解説書を出す事に大変な努力を要しました。
 1991年10月、この問題に関するアンケートを依頼、2323名の方からの回答を頂きました。1992年3月に結果の報告「京都教区アンケート〜よりよき宣教共同体となる為に〜(適正配置)」を、そして、1993年6月に「京都教区アンケート解説書〜よりよき宣教共同体となるために」を出しました。この二つは各小教区及び修道会等に送付しています。
 このアンケート報告と解説書は、宣教共同体となるために必要な豊かな資料を提供しています。これと真剣に取り組んでいく事により、教会の使命である福音宣教と、共同体作りが促進されるでしょう。

(一) 解説書の活用について

 さて、こうして1981年に発表された京都教区ビジョン以来、その具体化としての三優先課題
(1)青少年の育成
(2)パイプのつまり
(3)適正配置の問題
についての司教への答申を一応終えた様に思えました。
 しかし、「パイプのつまり」について司教から出されていた、更なる諮問が残されていた事に気付きましたが、「パイプのつまり」の問題に逆戻りするのではなく、この解説書を活用し、話し合う事により、「パイプのつまり」(つまり、情報交換及び伝達、又、対話)を解消する事になるのではないか、との司教の指示がありました。そこで、この取り組みを次期の評議会に提案します。

 今回、以下の質問に答えるという形で話し合いを行ないました。
一、この解説書をどのように今後活用したいか。
二、私はこの様に活用した。
三、活用出来なかった。
四、その理由は。

 出された主な意見を報告します。

* まず、この解説書の存在さえ知らされていないのではないか。これこそパイプのつまりではないか。
* 確かに解説書は知られてはいないが、そこで語られている事は、種々の場で話し合われ、実行にも移されはじめている。そんな積極的なとらえ方も必要だと思われる。

 活用についての具体的な話し合いのまとめは次の通りです。
* 解説書は5年後、10年後の問題も示しているので、これと取り組む必要がある。そのため、その存在を知らせ、使い方も考えておくべきである。二十一世紀の教会を考えるのにもこの解説書は大いに役立つのではないか。
* 信仰養成が基礎になっていると思われる。養成が進めば、召命の問題にも光が見えてくるだろう。そのために考えるチーム、促進するチームを作ってはどうだろう。又、小教区でもこういった研究グループを作る事を考えてもらう。
* 情報が途中で途切れてしまうのを何とか考えたい。
* 大切なのは、これを活用する気になってもらうことなのだが・・・。
* 信者に問う必要があると言うが、教会を離れて、この情報から除外されている人々の意見を受けとめる方法を考えるべきだ。
* その中の問題を一つ一つ取り上げていく努力が今後必要である。

(二) 今後の教区の在り方について

* 発想の転換期に来ており、二十一世紀に向け準備を進める時期に来ている。新たな優先課題を考える時が来ている。
* 終身助祭制度の可能性、特別聖体奉仕者の養成の促進。
* 修道会、修道者の役割と、小教区における位置づけの見直しと協力。
* 教区時報204号に掲載の「20xx年にむけての京都教区の取り組みのための一試案」の活用と有効性。但し、司祭にもっと自信を持ってほしいとの印象を受けた。
* 若者の育成について。若者の気持ちを理解しているか。若者に教会内に居場所があるかを問う事が大切である。
* 信徒・司祭・修道者の合議機関を作る事を考えたい。

 以上、主な討議事項について報告します。

(文責・村上)

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聖書講座から

昨年5月から10月にかけて、「私の聖書の読み方」というテーマで、聖書使徒職委員会主催の聖書講座がありました。参加者の感想を掲載します。

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  聖書の読み方
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角度を変えて
        匿名希望 S・T

 今年のコースも大変よかった。私達普通の信者が中々入り込めない釜ヶ崎で、労働者の支援者・理解者として働いておられる本田神父様のお話には、強烈に訴えるものがあった。生き方そのものによりキリストを証ししなければならないという御自身の信念を、そのまま生きておられ、釜ヶ崎での「主の祈り」の一語一句まで労働者への理解が示されている。
 また、Sr石崎の考古学的読み方もとても面白かった。砂地にノアの洪水のあとの考古学的証明があるとは、聖書を読む時の視野が大きく広げられたように思った。
 自然界に目を向けながら、生物、いろんな生き物、地球を大切にすることも、西野神父様から貴重なお話を伺い、こういう聖書の読み方もあるのだなと思い、神父様方、シスター方のすごいお勉強には、本当に感心した。

新しい世界を読む
        K・I(河原町教会)

 やっとこの講座に参加出来るようになった、これが本当の気持ちでした。
 森田神父様のお話によって、ミサに与る時の気持ち、そして派遣の意味をはっきり教えていただきました。
 又、本田神父様のお話によって、学校、教会を通じても教えていただけなかった考え方におどろきを感じながらも、何か新しい世界が目の前に開けた様に感じました。
 神父様方一人一人、お説教と違い、のびのびと自分の考えをお話し下さったように感じました。

読み方十色
        匿名希望 Q子

 かつて、お説教にも不満を覚えていましたが、第一回導入で、村上神父から、気の合わない神父であっても、心を無にしてみことばを聞く時、聖霊が働いて下さって、神のみことばが聞けると聞いて、心が変りました。以来御ミサに与ることができることを心から感謝しています。今回聖書の読み方はそれこそ司祭十人十色、いろんな読み方があり、司祭の人柄がはっきり浮かび出て面白かったです。
 御受難会の来住(キシ)神父は、聖書は聖書を律法として読むのでなく、福音として読むことをわかりやすく話され、福音感覚が大切だと言われました。それに対して、終わりになって、本田神父様は釜ヶ崎に身をおいておられるので、そこからの叫びが伝わり理解はできたつもりですが、何か重いものが今も残り澱んでいます。
 今回も参加出来てとてもよかったです。

聖書週間・聖書講演会より

神を「知る」こと「愛する」こと
        T・S(伏見教会)

 昨年11月20日、河原町カトリック会館で、石川康輔神父様(サレジオ会)を講師にお迎えして、「第一コリント13章(愛の賛歌)を読む」と題して講演会が開催され、約50人が非常に学理的な内容で展開された論述と解説に、時間のたつのを忘れて熱心に耳を傾けさせて頂きました。
 まず導入においてアガペーと他の愛について触れられ、次に聖書を読む時には文脈の把握が重要であり、13章を的確に理解するためには、前の12章と後の14章にも眼を通すことが大切であると助言されました。
 そして、13章の愛の特質(二つが一組で、七組のパターンに集約される)について逐次説明されました。さらに、人間の成長につれて愛も成長しなければならず、私が人を愛する時には私の中に神が働いているとされたうえで、神を「知る」ことと「愛する」ことは同質のものであると結ばれました。


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「尊厳死」宣言書の取り組み

四日市教会信徒会(文責 S)

 昨今「尊厳死」「安楽死」についての人々の関心がとみに高くなりその報道も多いのは、人の命に直接係わる医学による治療延命技術が、私たちの生命の質と量を左右出来るまでに進歩したからと言えなくもないでしょう。私ども四日市教会では1993年秋頃から主任司祭にこの問題を提起され、1994年度の信徒役員会で約半年かけてこの問題について勉強して、この度「宣言書」を作り司教様の認可も受けました。
 内容の基本的な理念は末期の過剰で不釣り合いな治療を断り、苦痛を和らげる目的での鎮痛剤の使用を認め、かつ頂いた寿命を人為的に縮める「安楽死」を断ることなどにより、この世の生を必要以上に機械や装置に左右されずに、出来るだけ人間として自然な死を希望すると言うことです。
 心身共に健全な内にこの宣言書に署名捺印して司祭の信徒証明を受けた上で、その趣旨を家族にもよく説明しておき、必要な時がきたら自分か家族が医師に提示するようになっています。

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青年センターバレーボール大会
        河原町教会  K・I

 11月6日@、毎年恒例となったソフトボール大会に、今年も河原町教会から1チーム参加させてもらいました。あいにく雨天の為、グラウンドは使用できずソフトボールは中止になってしまい、室内でのバレーボール大会に変更されました。
 一部の現役学生を除いては、この数年来バレーボールなんて触った事もない者ばかりでしたので、心配されていましたが、これが以外にも好試合にもつれこむことになったのでした。激しいスピードの試合模様、なんといっても得点の半分はサービスエース(残りの半分はサーブミス)、試合時間の短いこと短いこと・・・・。
 とはいえ、ボールに慣れることにつれかなり長いラリー戦を楽しめるようになっていました。(が、アタックなどの決め手が無いので端目で見ていると、ボールに見事に踊らされていて、こっけいというか、じれったいというか・・・・)
 で、決勝、三つ巴戦の結果、うちのチームは準優勝にとどまり、惜しくも優勝を逃したのですが、体に残る疲労感が心地よく感じていました。
 なんといっても、他の教会の人達と交流する機会が少ないので、こういったイベントで真面目に遊ぶというのは、親睦も深めやすく、盛り上がりやすいので、大変楽しかったです。
P.S 後で聞いたところ、試合翌日、筋肉痛と打身で悩まされたものが数名出たという噂です。あしからず。

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