1997/2 No.231

京都教区時報2月号

・御子の年

・教区の経済状態を知ってください

・二十一世紀の福音宣教に向かって(2)

・教会と家庭


御子の年

 教皇ヨハネ・パウロ二世は、使徒的書簡「紀元二千年の到来」の中で、1997年をイエス・キリストを中心とした準備の年と定め、キリストをめぐる熟考にささげるよう求めておられます。

 『この年の間、キリストが本当はどのようなかたであるのかを認識するために、「神のことばに満ちた典礼により、あるいは信心をもって朗読することにより、あるいはそのためにふさわしい講座やその他の方法によって」、キリスト者は、心を新たにして聖書に返るべきです。』(40番)。

 さらに、『救いの秘義を秘跡的に見えるようにするという責務は、この年、キリスト教的な生き方の基礎である洗礼についての理解の刷新へと導きます。』(41番)。

 四百年前の2月5日に、長崎の西坂で殉教した日本二十六聖人のことを思いながら、私たちが受けた洗礼を思い起こし、現代社会の中で、目に見える救いのしるしとなれるようにこの一年を過しましょう。

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教区の経済状態を知ってください

京都教区司教 ライムンド田中健一

1、日本二十六聖人殉教四百年祭in京都への謝辞


 教区祝典「日本二十六聖人殉教四百年祭in京都」を祝い、殉教者の模範に倣い、その取次ぎを願って、わたくしたち京都教区民は二十一世紀の福音宣教に向かっての準備をスタートしました。私は、この教区祝典を通して、信徒・修道者・司祭の皆さんの京都教区に対する多大なる協力の精神と熱意を強く感じ、京都司教区の神の民を導く牧者としての教区長の使命の重大さを、新ためて痛感致しました。
 この紙面を借りて、皆様のご協力に深く感謝申し上げます。特に京都府南部の推進委員会と、その二百名にもおよぶスタッフの方々の準備、当日の裏方の仕事は、大変なご苦労だったと思います。本当にありがとうございました。
 さて今回私は、経済問題に関するこの書簡を通じて、現在の京都教区の緊急課題である経済問題についての教区民の理解と協力をお願いしたいと思います。

2、教会を支える経済的援助の意味と義務


 まず、この機会に司教として皆様に、すべてのキリスト信者が行う教会への経済的援助の意味と義務について申し述べたいと思います。
 洗礼をうけてキリストの教会に参加したすべての信者は、それぞれ固有の立場と任務に応じて、キリストの体の建設に協働するよう招かれており、すべての信者はキリストから託された使命を教会がふさわしく果たしていけるように尽力する義務があります(第二バチカン公会議教会憲章第32項。信徒使徒職に関する教令第10項)

 私たちのカトリック教会というものは、世界の全教会も、部分教会としての教区も、又その中の小数区教会も、信者の献金・維持費等の経済的援助を受けて、神のみ旨にむけて福音宣教の使命を果たすことができます。ですから、私たち京都教区に属する信者は、自己の教会や教区の維持や活動のためばかりではなく、ローマ教皇庁などが統轄する世界規模の活動にも積極的に参加しなければなりません。教会法では、「キリスト信者は、教会が神の礼拝、使徒職及び愛の業、並びに奉仕者の生活の正当な維持に必要なものを援助するために教会の要請に応ずる義務を有する」とあります(第222条1)。

 そのためには、すべての信者が、祈りや活動奉仕で教会を支える他に、物質的・経済的支援による参加が不可欠であり、主にミサ中の献金、ミサを依頼した場合のミサ奉納金、教会維持献金、その他の献金、自由な寄付などの方法で、その義務を果たすよう招かれています。この信者の義務を常に喚起するのは、教区司教の務めです(教会法1261条)。

 特に教会維持献金は、各小教区の管理維持、及び宣教活動全般に必要な財源であり、小数区に所属し、収入のある信徒なら、必ず納付しなければなりません。献金である限り「一人ひとりの気持ちを尊重したい」というのが、カトリック教会の姿勢ですが、納入額の基準は、およそ収入の3%です。あくまでも目安ですので、それぞれの事情にあわせて納入額を各員で自由に決定します。したがって、司祭は納入額について、信徒の方が過度に心配したり、また遠慮したりすることのないように配慮しなければなりません。

3、京都教区の現在の経済状態


 今年の5月の教区時報でお知らせした1995年度の教区会計の決算を見ればお分かりのように、京都教区の経済状態は、けっして健全とは言えません。
 1995年度の収支差損30、879、453円は、教区本部の預金を取り崩して補填しました。今年度も当初予算では、収支差損66、520、000円の赤字予算で、七月に行なった補正予算においても、47、444、000円の預金の取り崩しによる補填が必要です。このような経常収支が仮に続けば、教区の流動資産は五・六年で無くなってしまいます(九五年末の「貸借対照表」を参照。教区の全財産のうち、土地建物の資産を除いての流動資産は210、333、775円です)。

4、当面の取り得る解決策


 このような逼迫した経済状態のなかで、私は教会法で設置を義務付けている「教区経済問題評議会」を、今年の九月二十日に発足させ、早急に取り組むべき解決策を諮問しました。まず取り組むべきは、教区本部事務局の運営面での経済節減であり、今後の一層の努力はもちろんのことですが、さらに以下の点が提案され、十月の司教顧問会で了承しました。
 まず、年約五千万円の赤字を減らす具体策として、以下のものがあります。
(1)小数区納付金(A)の賦課率の現行10%を、来年度から15%に引き上げていただく。
 因みに他教区でも(例えば東京教区)既に15%の賦課率のところがあります。
(2)修道会納付金を新設する。納付額は、修道会に自主的に決めていただく。また、修道院の家毎に、教区本部よりの郵送料として年二万円を納付していただく。
(3)教区本部の送料・人件費節約のため全数区内にFAX導入を検討する。
(4)収益部門の内、各小教区運営の駐車湯の収益に対し、新たにその15%を教区本部に納付していただく。
 さらに私は、宗教法人一部改正に伴い、その適切な対応のために、小教区経理処理を改正し、1997年度から実施する「小数区経理処理概要」を作成することと、教区の財産目録を早急に作成するよう、教区会計に指示いたしました。

5、主に向かつての熱烈な祈り


 以上、現在の教区の財政状況を率直にご説明いたしました。ご理解いただけたかと思います。私といたしましても、教区としての最善の経理努力を尽くすよう指導いたしますが、財政再建の解決策を実現するための教区民の皆さんのご協力を、よろしくお願いしたいと思います。来るべき大聖年の準備と実施に、必要な助けと光を主に向かって熱烈に祈りなさいとヨハネ・パウロ二世教皇が呼び掛けておられます。私たち京都教区民も、これからの時代にそくした福音宣教にふさわしい教会共同体に成長できますように、経済の問題に対しても教会共同体の上に、主の恵みと導きを願いたいと思います。


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二十一世紀の福音宣教に向かって(2)

草津教会(滋賀地区)


◆1996年のテーマ
小教区の自己を見つめる
▼青年と高校生のコーヒーハウスを毎月第四日曜日開く。
・堅信準備講座。
・ペルー人の祈りの集い(毎週水曜日の晩)。


◆1997年のテーマ
隣人とのコミュニケーション
▼外国人共同体とのかかわり(ミサの際、外国語の聖歌を歌う)。
・病者への聖体奉仕者向きのセミナー。
・中1のための堅信準備講座。
・中学生のためのエンカウンター。


◆1998年のテーマ
聖霊についての理解
▼復活祭から聖霊降臨まで7回の聖霊セミナー。


◆1999年のテーマ
秘跡について
▼本格的な神学者によるセミナー。


◆2000年のテーマ
充実した典礼
▼草津教会の聖歌を作る(年間、待降節、四旬節)。

北白川教会(京都南地区)


◆1996年のテーマ
キリストの受肉
▼人となりたもう神について私たちはふりかえる。
・カトリックの歴史を学び将来の役割をしる。


◆1997年のテーマ
福音について
▼我々キリストの死と復活がもつ意味について私たちはふりかえる。


◆1998年のテーマ
隣人のために
▼社会における教会の役割について私たちはふりかえる。


◆1999年のテーマ
神への賛美
▼小教区ができることについて私たちはふりかえる。


◆2000年のテーマ
宣教
▼神とともに生きる喜びについて宣べ伝えたい。

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教会と家庭

唐崎教会 S・T

 西暦二千年を迎えるにあたって、五ケ年計画の一環として、1996年度のカトリック唐崎教会における信徒の取り組みとして、「教会と家庭」というテーマで、11月17日に、ノートルダム教育修道女会のシスターレジナ樺山をお迎えして、家庭においての信仰体験談をお話していただきました。

 まず、シスターから私たち参加者のそれぞれの家族の中でのカトリック信者・未信者の状況を把握され少しずつ私たちの心を開かせてくださり、とても和やかな雰囲気の内にお話を進められ魅了されたひとときを過ごすことが出来ました。

●一人一人が神様からの賜物


 私なりにシスターのお話を通して感じたことは、家庭の中での両親の役割が子供たちやその家族にとって大きく影響することは当然だと思っておりましたが、家族の一人一人が神様からの賜物とは、若い頃はとても思えなかったし、相手にいろんなことを要求したり、自分の理想を押しつけたり、不満をぶつけて苦しんだり、悩んでみたり、子育て中には神様と会話が出来ていなかったりと、振り返ってみるとどれも今は懐かしい思い出となり、曲がりくねっていてもすべて神様のご計画のものであったのかと感じさせられました。

 シスターのお母さまの自由な心、寛大な心、感謝の心でご家族に接しておられたこと等、このことは常に神様と対話なさっていてご家族と教会の関わりを喜びのうちに生きてこられたこと、各自の気質・性格の違いを受け止め、認め合うこと、そうした生活を通して何を優先してゆくかを考え・指針とされていたことがとても心に響いて印象的でした。

 ありのままを受け入れる、満足する、これは簡単なようでとても難しいことだと思いますし、そうしようとする努力が足りなかった自分を気づかせてもらいました。自分を知るということは自分を受け入れること、先ず自分自身に喜びを持って生きることが出来れば家族や友人知人そして自分の周りのすべての人達にも優しく喜びをもつて接することが出来るのではないかと思います。
 また、目の前の人にこのことが出来ているか否かだと思いますが、なかなか難しいことでもあると思います。

 基本は家庭の中にあると思っておりますが、そのことがやがて教会・社会の中へと繋がってゆくものだと思います。
 私の二人の息子達も小学生時代は、私達親と一緒に教会に行って御ミサにあずかつておりましたが、成人になつた今は本人たちの自由意志に任せて、御ミサにあずかることも強要してはいないし、それぞれの判断に任せておりますが、各々が神様との関係であり、神様を通して各々が日々成長してゆくことを気づかせて項くことが出来ました。

●神様から愛を頂いている


 また、シスターのお話を通して神様と私達との関係や、神様との対話が出来ているのだろうか常に振り返ってみることが大切であることを痛感いたしました。更に、神様との関係は一人一人異なると思いますが、それぞれに分け隔てなく神様からの愛を頂いているのだと思うと不思議に勇気が沸いてくるように思えて来ます。

 そして「教会と家庭」というテーマから家庭におけるそれぞれの役割について考えてみますと、「家庭とは家族の一人一人にとって憩いと安らぎの場、共に生活している喜びの場」でありたいし、自由な雰囲気が漂っていればと思います。人を本当の幸せにしてくれるのは「愛」だと思います。

 しかし、「愛」には責任も伴いますし、私達が難しいという相手を祈りのうちに幸せにできたら素晴らしいと思います。
 自分の周りの人達に目を注いで、病気の人、貧しい人、孤独な人、いろんな苦しみを持って悩んでいる人達に、祈りと温かい心で手を差しのべることが出来れば、結局は自分自身の心の幸せに繋がっていくことを気づかせて頂くことが出来て心から感謝しております。


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