1997/3 No.232

京都教区時報3月号

・回心

・隠れキリシタンの信仰(一)

・殉教者に学ぶ

・二十一世紀の福音宣教に向かって(3)

・聖書講座から

・あんてな



回心

「かいしん」という言葉は、神の正しい信仰へ心を向ける場合、「回心」と書き、悪い心を改める場合、「改心」と書きます。
 「回心」は、仏教用語では、「えしん」と読み、邪心を改めて仏の正道に帰依することを意味しています。

 ところで、昔から覚悟を決めることを、「ほぞを固める」と言い、後悔することを、「ほぞをかむ」と言います。「ほぞ」は「へそ」の意味で、身体の中心にあるところから、いろんな言い回しに使われてきました。

 外にあるものを求めるのではなく、自分の中心にあるものに心を向けて見ましょう。何か大切なものが見つかるかもしれません。心を回して、自分の中心になにがあるかを見つめる期間としてこの四旬節を過しましょう。悪い心を改めるだけでなく、心を回して、自分の中心にある神に目を向けることが大切です。

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隠れキリシタンの信仰(一)

 三俣俊二

 昨年11月7日、唐崎メリノールハウスで開催された京都教区司祭全体集会で三俣俊二氏の講演がありました。演題は「隠れキリシタンの信仰」です。生月島の隠れキリシタンを主題としての講演でしたが、教区全体にとって示唆に富んだ講演内容でしたので、氏に依頼してその時の講演要旨を頂きました。以下四回に分けて掲載致します。)

 先日講演依頼のありました折には、あの迫害下、一人の司牧する司祭のないまま信仰を守り続け、そして今もって教会から離れたまま、なおかつ彼ら独自の形で信仰を保っている、いわゆる隠れキリシタンのことを学ぶのは、現在京都教区の司牧に携わる者にとって意味があるのではないかとの声が司祭の中から出ているので、そのような要望に沿っての話が聞きたいとのことでした。そのようなことで、私の個人的な体験を通じて考えたことをお話してみたいと思います。

●堺目地区の決断


 長崎県平戸島の離島生月(いきつき)島は隠れキリシタンの里として有名で、私もこれまで数多く調査に訪れていますが、たまたま1983年に訪れたときには、大きな変化が起きていました。堺目(さかいめ)という隠れキリシタンの集落での出来事です。
 この集落の焼山(やけやま)と呼ばれる場所に、三つの宿(宿というのは隠れキリシタン組織の呼称で、数十世帯からなる一種の小教区のようなもの。その上に爺役という司教にあたる役が存在する。)が共同で一つの御堂を建て、三宿それぞれの御神体を持ち寄って祭ろうということなのだそうです。というのは、地区の会議の決定では、各宿の御番主(ごばんぬし)(御神体の番をする役で一種の主任司祭のようなもの)が御神体を自宅に祭るのは、御番主という役職上のことであって、個人としてではないのだから、この際、それをはっきりさせようということになったらしいのです。当時、上宿(うわやど)の御番主は末永武雄氏、中宿(なかやど)の御番主は橋本菊蔵氏、下宿(したやど)の御番主は鳥山泰隆氏でした。鳥山家保管の御神体は、長径約十一センチあまりの無原罪の聖母メダリヨン(草津市矢橋で発見されたものと同形のもので、当時私はそれを研究調査していた)でした。鳥山氏は、当初からこのような提案に個人的には反対でしたが、しかし、あくまで審議機関の決議に基づいて出された決論だということ
で、最終的にはそれに従ったのです。御神体をいよいよ御堂に移す日にも、彼は溢れる涙をこらえることが出来ませんでした。
 ところが、昨年2月鳥山氏を訪れてみると、事態には大きな変化が生じていました。上宿の御番主末永武雄氏も中宿の御番主橋本菊蔵氏も他界し、それぞれの宿には後継者がいないということで、結局は両宿の面倒を下宿の鳥山氏にまとめて見て欲しいということになったのだそうです。
 この一部始終をつぶさに見て、私は非常に感動しました。
 まず第一に、下宿御番主の鳥山氏は、自分の家の納戸神として長らく祭ってきた御神体である聖母マリアのメダリヨンを、そのまま自分が保管していくことを強硬に主張すれば、それも仕方ないものとして容認されたと思われる状況の中で、先に述べたように、最終的には組織の決定に従ったということです。個人的な意向より、組織としての全体の意向を尊重しようとする考えがはっきり打ち出されています。
 次に、堺目集落のなかでの、上宿、中宿の動きです。後継者がないという行き詰まった状態で、両宿の人は、組織をそのまま自然消滅させることもせず、また御堂建設時の多額の出費の自己負担分の返還を求めるわけでもなく、自分たちには後継者がいないので、宿の面倒を下宿で一緒にまとめて見て欲しいと、御堂も、持ち寄ったご神体も、すべて含めて、鳥山さんに一切を託したのです。組織の消滅も分裂もなく救われたことになります。ここで、私はなぜ生月の隠れキリシタンの人々が、これまで迫害に耐え生き延びてきたかの疑問に対する一つの答えを見い出したように思いました。

●組織の大切さ


 各地における潜伏キリシタンの歴史を見るならば、組織を持たない集団が、短期間に崩壊していった経過をつぶさにうかがうことができます。迫害下に個人レベルで信仰を守ろうとしても、せいぜい御絵や御像その他の信心用品を地中や壁の中、屋根裏などに隠匿する程度にとどまり、本当の信仰はすぐに失われてしまいます。
 浦上キリシタンの例においても事態は同様です。中野郷の孫右衛門と七郎左衛門とは、各々ひそかに信仰を守っていましたが、このままでは信仰が駄目になってしまうと思い、漁の場で互いに信仰を打ち明け、力を合わせて地下組織を作りました。帳方、水方、聞役などの役職を決め、一糸乱れぬ組織によって村中が一枚岩となり、これが代々受け継がれて、二百五十年後のキリシタンの復活に結びついたのでした。
 信仰は、個人レベルの問題ではなく、信仰共同体を形成することによって育っていくものです。薪は一本では燃え続けないというわけです。信仰共同体は、正しい組織作りによって、確固としたものになり、成長していきます。
 最初に述べたように、生月の場合にも、爺役のもとに各御番主があり、整然とした組織が確立されていました。この組織が迫害下の信仰を守ったのでした。そして、組織を守っていくことがどれほど大切であるかを、長い受難の歴史の中で、この人々は体験的に知っているのだと思います。

●活動を振り返る


 現在のカトリック教会については、どうでしょうか。
 すべての小教区が、司教の統率下、その意向に従って、速やかにかつ正確に対応して活動しているかどうかを振り返って見ることが必要でしょう。
 修道会が司教の許可のもとに教区内に作った学校、病院、施設についても、もはや修道会で維持できなくなった場合の処置については、二つに一つ、すなわちすっかり解散して白紙にもどしてから手を引くか、実質的な経営人事権を司教が掌握できる形にした上で教区に移管するかのどちらかでありましょう。
 今、隠れキリシタンの集落の多くは、過疎化、あるいは役職後継者の不足ないしは欠如という問題で、滅亡の危機に立たされていますが、その中でも何とか生き延びていこうとするこの堺目地区の隠れキリシタンの人々の動向には、多々学ぶべきものがあるように思われます。

(5月号につづく)

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殉教者に学ぶ

 亀岡教会 A・Y

 亀岡・園部教会の二十一世紀に向かっての福音宣教計画の昨年のテーマは「先人を思い起こし、私達の信仰生活を反省しよう」でした。そして、具体的実行として「日本二十六聖人にちなんだ巡礼・講演会の実施」が決められ、その計画の一つに森司教(東京大司教区)の講演会を実施しました。テーマは「殉教」でした。その時の感想を以下に掲載致します。

●殉教を見つめる


 「殉教について、今まで描いていたイメージをくずしてしまうかも知れません……」。講話の初めのこの言葉は、聞く側の私たちをいきなり捕えてしまいました。そして充分に刺激を私たちに与えながら話は佳境へと……。秀吉がキリシタン弾圧に到る前、準備周到であった事。四つからなる詰問状に、充分な回答を示せなかった当時の神父達。一部キリシタン信徒による寺院破壊。これらの話は、初めて知る事ばかりでした。「日本二十六聖人」の事件を、このような切り口で語られ感じ取れたのは意外でした。不勉強から来るその新鮮さに驚かされ、知らずにいたことの恥ずかしさを覚えました。殉教を見つめるには、弾圧する側の事情をよく知ること。又、弾圧される人が何故それを受け入れ、信仰を保てたのかを探ること。キリストのすがたを見ること。このほか、多くの教えのうちに導かれ、実りある体験をできたことは感謝にたえません。
 実は私たち兼任司牧共同体では、以前から森司教の講話を毎週聞いているのです。主日ミサの冒頭、当日の「みことば」を解りやすく、しかし、切り口するどく、テープを通して解説して下さっています。今回いわば旧知の方に再会出来るような喜びを私たちが感じたのは当然でした。そのような訳で、当日の講演に、私たちが時を忘れ、心から聞き入ったことは言うまでもありません。

●記念行事の感動


 「日本二十六聖人」の多くの記念行事は、聖人の霊性をして、私たち共同体にとって大きな糧となり、又、活力を受けたと思っています。私は「日本二十六聖人」のことをはとんど知らなかった事に気付かされました。今回の記念行事は、そのような私にとっても画期的なことでした。おかげで信仰の故郷に帰れた想いです。記念ミサにも参加し、特に二十六本のあのローソクが光を放った時の、ゆえもなき感動は忘れられないで
しょう。
 さて、二千年は間近です。私たち共同体では、その大聖年に向けて教皇様の指針にそうべく、さらにがんばる事と思います。

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二十一世紀の福音宣教に向かって(3)

登美ヶ丘教会(奈良地区)


◆1996年のテーマ
回心をする


▼待降節黙想会のことばを実行する。
子どもや家族の人の思いを大切にする。


◆1997年のテーマ
自分の信仰を確かにする
▼あなたの信仰とはの質問にいつでも答えられる準備をする。
・日々の生活の中で信仰はどう生きているのか、分かち合いする。
・カトリック要理や聖書の勉強をする。
・集まりには「召命の祈り」を唱える。


◆1998年のテーマ
教会をもっと身近なものにする
▼わたしたちは教会共同体の一員だという自覚を持つ。
・教会をもっと身近なものにしたい。生活の場に教会があるように。
・活気ある典礼を工夫する。
・自分の教会、よその教会を巡礼し、他の教会の人と交流する。


◆1999年のテーマ
小さな人々の隣人になる
▼熱年者へのボランティア活動に積極的に参加する。
・毎日の反省と償い、赦しの秘跡を積極的に受ける。
・人の痛みを分かち合える人間になるように努力する。
・熱年者をいたわり合うグループを作る。


◆2000年のテーマ
心から主を愛する
▼家庭でもっと祈ろう。ロザリオの祈りをもっと祈る。
・聖体訪問をする。

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聖書講座から

聖書委員会主催の昨年の聖書講座のテーマは「聖書の物語・たとえ話にみる神のメッセージ」でした。よく知られている物語やたとえ話の中に思いもかけない深いメッセージが発見できて、受講者の方々に喜んでいただけました。今回は特に、教会学校担当の方々に子どもたちに伝えるものを汲み取っていただき、参考になったようです。参加者の感想文を紹介いたします。
 尚、今年のテーマは「イエスとは誰かー聖書が語るイエスの姿」です。案内は四月号に掲載します。

神のメッセージ
奈良教会 C・A

 『わたしは口を開いてたとえを用い、天地創造の時から隠されていたことを告げる。』(マタイ十三章三十五節)
 「人間に期待されていることは唯一つ、イエス・キリストを見ようとしたことで、善行ではない。」
 「たとえの全部全部は、わたくしたちの現実だ。自分が見えてくることが決定的である。自分ひとりではどうしようもないとの自分の限界の認識、これが渇き欠乏として自分のなかにひびいてくるから、見えてくることが決定的である。」
 以上のことばは講師の方々が、たとえの本質的意味あいについて端的にお示しになったことばである。
 かねてから、私にとって福音のたとえは核心にとどくことのできない、あるもどかしさをもつはなしであった。
 この度、たとえと自分との関係のもち方に本質的なずれがあったことを気付かせて頂いた。何時の場合もそうなのだけれど、福音の本質的な関係とは、神の眺めのなかに自分を位置づけて見る、神に照らして頂く場にそっと自分を置くことなのだと思う。イエスのひびきに共鳴してゆくことなのだと思う。
 『良い土の中の種の場合は、正しい、良い心をもってみことばを聞き、これを固く保ち、辛抱して実を結ぶ人々のことである。』(ルカ八章十五節)
 このたとえについて講師の方が、「根底からひびいてくるものを受けとれないと、たとえは厳しいはなしになる」」とお話しくださったように、たとえから、イエスのひびきが聴きとれないと倫理的、道徳的に受けとめて、自己嫌悪におちいったり、現実的自己認識に欠ける受けとめ方をしてしまうおそれがあるんではないだろうか。
 ひとりの人間のなかには、道ばた、岩地、いばら、そして良い土として育つべく、イエス御自身がたえまなく私たちのうちにいて、耕してくださっている、育ててくださっている土を中核に、円的な層が形成されている内的現実が在るのだと思う。十字架の御前に立って自分のいたらなさ、みじめさに打ち砕かれ、砕け散った自分の現実をかかえながら、それでも種を植えられた土として、自分のなかの核にいて、良い土として育つことを祈ってくださっているイエス、耕してくださっているイエス。そのイエスに賭けて生きてゆきたい。
 また、育てて頂く、その時を深く味わい、育ててくださる為に、たえまなく新たに来てくださるイエスを待ち望みたい。
 更に願わくは、自分のなかに隠れておられるイエスを、そっと人々にお運びするひとでありたい。
 そういうことを深みにおいて、思いめぐらせて頂くこの日頃である。

神の愛
大津教会 H・H

 創世記から始まり、人間の罪の深さ、神の愛、各時代の背景、社会、生活などを知っていくうちに、なぜか自分がその時々に生きているような感じを受けた事がありました。それだけ、聖書の言葉一つ一つが、今も送られている神からのメッセージなのかもしれません。
 各主人公の姿もなぜか、自分自身の生き方考え方に似ている所もあり、話を聞きながら、日々の生活を振り返る事もありました。
 そんな中で、各講座の終わりに必ず感じた事は、さまざな、神の姿、キリストの姿に出会えていたという事です。そして、私達と共に今も生きていてくださる愛を感じました。
 この出会いの場は、大変貴重なものとして私の心の力と光になったような気がします。
 聖書を深く味わう事によって、神の愛と計らいを知る事が出来るという事をわからせていただきました。

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三重『青年のつどい』の後で

 去る1月14日〜15日に津研宗館で『三重青年のつどい』が行われました。14日は夜の7時から始まり自己紹介ゲーム遊びなどをして、後は、雑談を楽しみました。15日は朝食で始まり、『わかちあい』、『ピクニック』、御ミサをしました。『わかちあい』のテーマは、前日の雑談のときに決めたのですが、『優しい神様』でした。そして御ミサでの福音、説教の話は『放蕩息子』の話でした。部分参加でも歓迎と呼び掛けたところ、部分参加者が十一名、全参加が八名でした。その数とみんなの性格はすごく家庭的な雰囲気をかもしだし、それはこの合宿を実りある集いとしてくれました。ここで参加者の感想を書きます。
あゆみ「お昼、お弁当を持って観に行った海、寒かったけど、心の中は二日間の、みんなとのおしゃべりで十分温まっていました」。
哲「青年会の横断的な組織があることを知らなかった。新しい出会いがありとても楽しかった」。
陽子「ゲーム遊びで童心に却っておもしろかった。新しい人達もどんどん入れる場作りを目指そう」。
Sr高木「いろんな人に出会えました。みんな忙しそうなのが少し残念でした」。
竜吉「もっと若者が前にでるべきだ!!三重の青年もこれを機に活気付けていこう!」
弥生「私はほんの3、4時間しか参加できませんでしたが、三重の青年会も97年からは発展していくと感じました」。
加奈「教会の青年たちが集まる機会をもっと作りたい」。
進栄「みんなの普段考えていること、悩みとか聞けて自分にとっても参考になったし、自分自身勇気付けられた」。
喜大「ネリグ神父様を囲んで『やさしい神様』を語りあえたのが良かった」。
ネリグ神父「明るい青年グループだった。いろんな教会から集まって、でも自由に話し合える感じで、大変雰囲気が良かった。みんなと一緒にミサを捧げたことも良かった。また、いろんな面白いことをしましょう!!」
順子「みんなに逢えて嬉しかった。また、みんなに逢えるのを楽しみにしています」。
(四日市教会 N・I)


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