1998/4 No.245

京都教区時報4月号

・信仰の秘跡である洗礼

・神学生の記事

あんてな


信仰の秘跡である洗礼

 洗礼は、神のいのちにあずからせる新約の最初の秘跡である。この秘跡を受けて永遠のいのちを得るように、キリストはあらゆる人に呼びかけ、のちに使徒たちに「行って万民に教え、父と子と聖霊のみ名に入れる洗礼を授けなさい」と命じて、この秘跡を福音とともにご自分の教会にゆだねられた。

 したがって洗礼は何よりもまず、わたしたちが聖霊に照らされて、キリストの福音にこたえるようになる信仰の秘跡である。そのため教会は、洗礼志願者、受洗する幼児の親、代父母が、まことの信仰を生活に表わすよう励ます。入信する人が信仰の恵みにこたえて新しい生活を始め、すでに受洗した人が信仰生活を深めるように導くことを、教会は古くからもっとも大切なつとめと自覚してきた。

 洗礼は、わたしたちを教会に入れる秘跡であり、わたしちは洗礼を通して、聖霊による神のすまい、王的祭司、聖なる民族となる。洗礼はまた、聖霊を注がれたすべての人を結ぶ一致のきずなである。


(入信の秘跡の緒言より)

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神学生の記事

神学校と神学生


奥村豊(伏見教会出身神学生)

 神学校というと、信徒の皆さんには漠然としたイメージしか思い浮かばないかもしれません。ですから、現在の神学校の制度を簡単にご紹介いたします。
 正式な名称は「東京カトリック神学院」。学年の設定は、哲学科二年、神学科四年の計六年。初年度の哲学科一年生は栃木県那須のガリラヤの家で過ごします。哲学科二年以降は東京練馬にある神学院で過ごします。いずれも養成担当の神父様、他の教区の神学生たちとの共同生活です。神学科二年時には朗読奉仕者、神学科三年時には祭壇奉仕者の選任を受けることになっています。わたしは今年神学科一年に上るのですが、この時には助祭・司祭候補者としての認定を受け、ローマに神学生として登録されます。そして、本格的に神学の勉強が始まります。
 さて、少し本質的なこともお話ししなくてはならないでしょう。
 我々の神学校の養成の柱は四つあります。知的養成、霊的養成、人格的あるいは人間的養成、そして司牧的養成です。我々が司祭を志して入学してきたとき、ひとりひとりの頭の中、心の内にはそれぞれの司祭像があります。おそらくそのどれもがとても素晴らしい像であるはずです。ある人は知的な面に憧れを持ち、ある人は霊的な面に憧れを持ち、という具合になっているようです。これは、司祭に対する願望とも重なるかもしれません。霊的な雰囲気の人が最高!やっぱり人間として成熟していることが一番だわ!そんな感覚で。しかしながら、どれも大切であるけれど、それだけですべてではないともいえるのではないでしょうか。また同時にどれもすべて身につけるということもかなり困難であるともいえる。
 わが神学校の養成指針の四つの柱をすべて満たすようなことはほとんど人間業では不可能でしょう。しかしながら、長所を伸ばし短所を鍛えるということは昔から言われていることでとっても大切なことだと思います。あの方により頼むしかないのでしょう。あなたの望んでおられる私とはいかなるものでしょうか。そのように私をしてください。そのように努力します。
 一神学生はこのように考え、また悩んでもいます。また、病気休学中お世話になった方々、お祈り頂いた方々に心から御礼申し上げます。

恵みは周囲の人にも


小山太郎(西院教会出身神学生)

 ガリラヤの家の生活と光星学園の園生、神学生仲間との関わりを通して、自分の内面を深く見つめ直し、自分の知らなかった面を発見出来たこと、再確認出来たことは、本当に大きな実りでした。この一年の初年度養成で頂いた様々な内なる恵みと皆さんが私達のためにお祈り下さったことを感謝いたします。
 さて、私事で恐縮ですが、私の両親は信者ではなく、私が神学校に入ることに大反対でした。今でも帰省すると「結婚するのもいいぞ」と言います。何回か復活祭と降誕祭のミサに来てくれて、教会の青年達と親しくなってくれました。楽しいことが大好きな父は、彼らを呼ぶため自分で電話を掛けて私の誕生日を祝ってくれたこともある程です。
 去年の十二月二十四日には両親と弟が夜の降誕ミサに来てくれました。沢山のちぴっ子を「皆私の孫!」と言って嬉しそうに抱き上げていたという父は、信者さんとも随分親しくさせてもらい、とても感激していました。「あの教会の雰囲気はとても良い。あの教会なら太郎が神学校へ行きたいと言うのも分かる」と言ってくれました。一年前は大反対だった父が、今では理解してくれるようになつたのです。また今年の一月、スペイン人の私の友人の御両親が京都に来られた時、観光案内をして共に大変楽しい時を過ごさせて貰ったようです。父は「お前が洗礼を受けて神学校に入ったお陰で、こんなにも沢山の人と出会えて、教会に子供が沢山出来て、素晴らしい思い出が出来た。お前とお前の神様に感謝しているぞ」と言ってくれたのです。両親はとっても大きな喜びと力を私に与えてくれました。私達が信じている方は、私達の周囲の人にも多くの恵みを与えて下さる方なのです。
 この春から東京の大神学校での生活が始まります。お祈り下さった多くの方々に心から御礼申し上げると共に、今年も神様の愛のために働けるようお祈りをお願い致します。


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私にできること
大和八木教会 N・S

 私は、2月16日から21日までの六日間、WCRP(世界宗教者平和会議)の日韓青年交流会に参加してきました。この六日間、韓国・日本のさまざまな宗教をもった青年と、朝・昼・夜を共にしました。私の家にホームステイにきたり、一緒に料理を作ったり、比叡山・延歴寺に行って座禅をしたりと、6日間という短い期間で、さまざまなプログラムが行われました。
 中でも私にとって一番印象に残ったのは、在日韓国人の方のお話をうかがったことです。
 現在の日本の社会において、在日韓国人の方がおかれている立場や状況など、はっきり言って私はなにも知りませんでした。TVや新聞などで見たり聞いたりしたことはありましたが、私にとっては単なる知識として知っていただけのことであって、「ああ、かわいそうだな」という程度でしかありませんでした。でも、実際にお話をうかがって、すごいショックをうけました。自分を恥ずかしく思いました。私は日本人である前にひとりの人間です。日本人も韓国人も在日韓国人もみんな人間です。みんな人間としての最低限の権利をもって生きています。それが現在の日本の社会において実現されてないことに対して、すごく恥ずかしく思い、また怒りを感じました。
 現状を知った今、私にできることは何だろうかと考えました。過ぎてしまったことは取り戻すことはできませんが、これからに向けて、私にできることが何かあるのではないかと思います。何ができるかわかりません。何をしたらよいかわかりません。
 でも、WCRPに参加して、私の中に小さ火がついた様に思います。

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