1998/5 No.246

京都教区時報5月号

・堅信の秘跡

・田中司教が語るエピソード(2)

あんてな


堅信の秘跡

◆信仰宣言


 洗礼の時の約束を新たにして信仰宣言を行います。堅信は洗礼を完成させる秘跡だからです。


◆按手と塗油

 司教は、一人ひとりに按手しながら額に聖香油を塗り、「父のたまものである聖霊のしるしを受けなさい。」と言って堅信の秘跡を授けます。
 按手は、聖霊がお下りになるように祈る動作であり、塗油は、霊を注がれることを表しています。イエスご自身が、救いの使命のために聖霊の塗油を受けた方、すなわちキリストです。わたしたちも聖霊を受けるしるしとして聖香油が塗られます。

 こうして、約束された助け主、真理の霊が御父からのたまものとして与えられ、わたしたちは、三位一体のいのちにいっそう深く結ばれてキリストのあかしびととなり、そのからだである教会を建てる者となるのです。


(堅信式のしおりより)

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田中司教が語るエピソード(2)

▼1981年2月に教皇訪日がありましたね。この時のことをお聞かせ下さい。


◆そうですね。教皇訪日ということで、前年(1980年)の9月から準備会を設けて用意しました。私は諸宗教の担当をしていますから、諸宗教の方々に教皇様の接見のご案内をもってそれぞれ回ったり、その他にもいろいろのことで忙しかったですね。そして、翌年2月23日教皇様が来られました。諸宗教の方々には次の日の午前中早い時間に会われたのですが、その時「最澄」の言葉を引用して挨拶されたのは皆、ビックリでした。改めてご自分達の教えについて考えられることになったとのことです。この後も教皇様は非公式とはいえ日本を代表する多くの方に会われ過密スケジュールをこなされました。

▼心に残っていると思いますが本当に流暢な日本語でしたね。


◆そうです。全てのスピーチを日本語でされ、それも本当に流暢な日本語でしたよ。「戦争は人間の仕業です。戦争は・・・」という有名なことばがありますがそれを翌日幼稚園の子どもがまねしたくらいですから。そしてね、これをきっかけに日本語で説教しなかった教皇大使が日本語でするようになったんですよ。
 これはアピールとは関係ないですが、広島では教皇様といっしょに食事をする機会がありました。その時、「あなたは何処の司教ですか」と聞かれ「京都です」と言うと「京都のことは天皇からも聞きよく知っています」と言って下さってうれしかったですね。他にも名古屋については、ご自分がトヨタ車に乗られているからご存じでした。そして、広島も慌ただしく動きまわりその日のうちに最終訪問地、長崎に移動しました。

▼2月26日長崎大雪だったそうですが。


◆すごい吹雪でその中で殉教者のミサを松山球場で行ないました。球場は一面真っ白でした。だから、特に五島から来た人たちだったのですが船で泊まり疲れと寒さで500人位が倒れ救急車で病院に運ばれました。教皇様も洗礼式もあったので手がかじかみながらでしたよ。側にお湯を用意はしていましたが大変な日になりました。しかし、寒さの中で長時間に及ぶミサでしたが教皇様は寒さを吹き飛ばす熱意でミサを行なわれました。熱意ということならシスター達もすごかったですね。東京でもそうでしたが、長崎でも日頃おとなしいシスター達の熱狂ぶりはすごかったですよ。信者さん達をはねのけてました。それから、五島の人たちですが、彼らは黒船でパパ様がやって来るということを信じていたのでだから彼らも船で来たのです。そして、この時何人かの隠れキリシタンの人が出てきました。

 教皇様はその日の夜9時に長崎からアンカレッジ経由で帰られたのですが、振り返ってみますと、教皇様の訪日は対外的にも大きなアピールになりました。マスコミもそれまではプロテスタント用語が主だったのが、カトリック用語を使うようになったり、私自身も小さい頃はカトリックの信者だということでいじめられたりしましたから、教皇様の訪日で初めて福音宣教の自由さを感じました。


(つづく)文責・編集部


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出会いを求めて
青年センター専従者 M・T

 春は出会いと別れの季節とよくいわれます。私も、この4月から青年センターの仕事をさせていただくことになり、これからの出会いを楽しみにしています。
 皆様始めまして、青年センターの専従者です。なにしろ右も左も分からない私ですが、充実した一年間にしたいと考えています。皆様御指導御鞭撻の程宜しくお願い致します。
 私が青年センターや専従者の存在を知ったのは、約2年前、地元三重県の教会の青年部活動に参加するようになり、LOOK AT MEで他府県の青年達の活発さに触発され、『あみぃ〜ご』なるものを結成していた頃です。
 それまで、他府県どころか、同じ県内の他教会の青年達とですら、ほとんど交流のなかった私にとって、青年センターは新鮮なものでした。只、三重県は遠いという内外からの思いがあり、何か隔たりがあるように感じ、もう少し近付けないだろうかと大それたことを考え、専従者をさせて頂きたいとお願いしました。自分でもナント生意気な、思い上がった考えだろうと思うのですが、何かきっかけになればと思っています。
 今年青年センターは10周年を迎え、賑やかな1年となりそうです。一つの節目となるこの年に専従者になったもの何かの縁でしょうか。1年後、自分がどんな想いで振り返るのか楽しみにしたいと思っています。

 

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