1997/5 No.234

京都教区時報5月号

・大塚喜直被選司教が次期教区長に

・隠れキリシタンの信仰(二)

・「京都司教区カトリック協議会」発足準備に向けて

・日常レベルからの出発

・ブックレットの案内 

・あんてな

・二十一世紀の福音宣教に向かって(4)



大塚喜直被選司教が次期教区長に

  

4月1日に、教皇ヨハネ・パウロ二世は、田中司教の健康上の理由による教区長引退を受理され、後任の京都司教区長・司教に、パウロ大塚喜直神父を任命されました。司教叙階式は6月15日(日)午後1時30分から、洛星中高等学校大講堂で行われます。

  

大塚喜直被選司教の略歴

1954年10月7日京都で誕生
1964年12月8日受洗
1967年5月14日受堅
1970年4月名古屋教区聖ヨハネ小神学校入学
1978年3月同志社大学卒業
1978年4月東京カトリック神学院入学
1984年3月上智大学大学院神学研究科終了(神学修士)
1984年3月20日司祭叙階
1984年4月衣笠教会助任
1987年3月ローマ留学
ローマ教皇庁立ウルバノ大学で教会法博士取得後、1992年帰国
1993年4月伏見・桃山・八幡教会共同宣教司牧担当および教区本部事務局副主任
1996年4月教区本部事務局長

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隠れキリシタンの信仰(二)

 三俣俊二

 さて、これまで生月島の隠れキリシタンの活力の源泉を、どちらかと云えば世俗的な側面、つまり組織の力という面から見てきたわけですが、一方、信仰的な立場から見るならば、オラショ(祈り)を何よりも大切にしてきた姿勢の中に求めることが出来るように思われます。

●オラショとの出会い


 十年程前のことです。私はすでに述べたように、鳥山家に伝わった御神体、無原罪の聖母メダリヨンを調査していました。御神体を見せてくださるというので、朝早く御堂に出掛けると、正装して鳥山氏がやってこられました。御神体を取り出す前、つまり神様にお出まし願う前に、オラショを唱えなければなりません。静かな御堂の中で鳥山氏と二人だけ。私は、小声で、そしてやや早口で唱える鳥山氏のオラショに耳を傾けていましたが、心は感動に震え、目には涙が溢れてきました。四百年近くも前、明日は国外に追放され、あるいは殉教に赴く神父たちが、残していかなければならない信徒たちの前途を案じ気遣いながら、どれほど真剣にオラショを教え残していった事でしょう。そのオラショが、信徒によって代々伝えられ、今このようにして私の耳に届いているのです。
 文字通り御神体の「拝観」を終わって、再びもとの場所に納めることになりました。鳥山氏は「キリアメマリア」「キリエレンツ」「御体まき」などのオラショを唱え、さらに「本日は聖母女学院短期大学の三俣先生がお見えになったので、わざわざお出まし頂いてお煩わせし、まことに申し訳けありません。」というお詫びのオラショをされて、無事格納の運びとなったわけです。
 平常、決して他人に見せない納戸神を外に出すこと、あるいは他人に見せること、すなわち御神体に「お出まし」頂くことについて、田北耕也教授は『昭和時代の潜伏キリシタン』の中で1931年の調査の報告として、事前にはエレンモンジャ(異教徒)に見せますからお咎めがございませんようにと祈り、また拝観が終わってから、もう一度お詫びの祈祷をすると記されていますが、半世紀以上たった現在、なお同じ習慣が伝承されているのを知ったわけでした。

●生月のオラショ


 さて、これが私とオラショとの体験的な関わりの始まりだったのですが、これ以後オラショをただ単に興味ある事実というだけで客観的に見ることが出来なくなりました。再三現地を訪れては、より主体的な関わりを持つ結果となったのです。
 生月に伝わるオラショは、各地区毎に多少異なりますが、同一地区内では、すでに述べたように、一人の爺役、各御番主という組織のもとで統一されていて差異はありません。男子のみが、声を出して、かなり早口で共唱または単唱します。全座を唱えるのに約一時間、通常は半座と称し後半を省略して唱えます。オラショ全座は次の祈りから成り立っています。口伝えに継承されるうちに、かなり転訛が生じ、とくにラテン語の祈りは、すぐには理解できないほどに変わってきています。()内に説明を加えておきます。

 ◆神寄せ(集会のはじめの祈り)◆でうすぱいてろ(三位一体の神への祈り)◆万事かないたもう(告白の祈り)◆うらうら(聖母の連祷)◆天にまします(主祷文)◆がらっさ(天使祝詞)◆けれんど(使徒信経)◆あわれみのおん母(サルヴェ・レジナ)◆十のまだめんと(天主の十戒)◆さんたえけれじゃのまだめんと(公教会の掟)◆根本七悪(七つの悪徳)◆七つの善(七つの徳目)◆さんたえけれじゃのさからめんと(七つの秘蹟)◆慈悲の所作(十四の慈悲)◆べらべらんつらんさ(真福八端)◆万事かないたもう(告白の祈りの再出)◆みぜれめん(ミゼレレ・メイ)◆御からだまき(キリストの埋葬)◆きりやれんず(キリエ・エレイソン)◆ぱちりのちり(パーテル・ノステル) ◆あめまりあ (アヴェ・マリア)◆いにてすぺりんと(エミッテ・スピリトゥム)◆十五くだり(ロザリオの玄義)◆敬いて申す(受難の祈り)◆十一ヶ条(キリシタンの教義)◆らおだて(ラウダーテ)◆なじょう(ヌンク・ディミッティス)◆ま
にへか(マグニフィカット)◆べれんつす(ベネディクトゥス)◆ぐるりよざ(オー・グローリオーザ)◆たっときは八日の七夜の(聖体の賛美)◆ぱらいぞのひらき(天国を望んで)

●オラショの伝承


 全部唱えるのに一時間余かかるオラショを、しかもかなりの部分は全く意味の分からないラテン語で暗唱するということは、容易な事ではありません。悲しみ節(四旬節)だけがオラショ伝授の期間でした。外に見張りをたてて、教える方と、教えられる方とが、頭から一つの布団を被って、秘密が漏れないようにして伝えたと云われます。
 ところで、生月の場合、先にも述べたように、オラショを教えられるのは男子だけ、それも中年になった男子の役職候補者だけでした。女性に教えると秘密が漏洩すると考えられたようですが、(失礼)、私は、これが生月のキリシタンにとって、非常に不利な条件を生み出してしまったように思います。つまり、彼等が今もって、教会に復帰できない理由の一つはそこにあるということです。

●浦上キリシタンでは


 1865年パリ外国宣教会の宣教師たちが大浦に天主堂を建てたとき、天主堂にやってきて、真っ先に「ワレラノムネ、アナタノムネトオナジ」と信仰を告白したのは、浦上の女性イザベリナ・ゆりでした。口が軽いといえばその通り、軽率といえば、あまりにも軽率だったかも知れません。もし相手を間違っていたら、それこそ大変でした。しかし、幸いにして、相手は本当の司祭、プティジャン神父でした。その結果、急速に、それまで潜伏していた信者たちの教会復帰が始まったのです。
 ところで、これは偶然ではありません。「今は悲しみ節です。あなた様も悲しみ節をお守りになりますか?」「サンタ・マリアのご像は何処?」「本当だ。御子ジェスさまを抱いていらっしゃる。」などの彼女の言葉に、彼女が基本的な教義に通じていたことが分かります。つまり、浦上では女性にも、子どもにもオラショを教え、教義を授けていたのです。だからこそ、彼女はプチジャン神父が七代待ちに待ったパーテル(神父)様であり、この教会こそ自分たちの先祖が信仰を戴いた真のエケレ
ジャ(教会)であることを、即座に見抜くことが出来たのでした。

●黒崎の隠れキリシタン


 女性にもキリシタンの教義やオラショを教えるかどうかは、地区によってまちまちです。
 原爆の折の学徒殉難の記録を見てみますと、長崎純心高女四年の下川カナエさんは下黒崎の隠れキリシタンの出身でしたが、学徒動員中の工場で被爆し、息絶え絶えに我が家に辿りつき、死の直前、母の懐で、母から「カナエ、祈りを知っているね?」と聞かれて、「 サンチリージマ を知ってる。」と答え、母に促されて「サンチリージマ チリーダーテイ タットキヨーカノシチヤノサカラメントーサメタッタマエタテマツル アーメン」(至聖なる三位一体 サンクティッシマ・トゥリニダーデ》と聖体の秘蹟《エウカリスティアのサカラメント》とに対する尊崇の祈りが一緒になったもの)と息も付かずに三回唱えたと記録されています。これによって、当時黒崎の潜伏キリシタンたちは、女性は勿論、子どもにもオラショを教えていたことが分かります。

●共に祈る


 浦上キリシタンのほぼ全部が教会に復帰し、黒崎キリシタンの約半分が教会に復帰しましたが、生月キリシタンの大多数が復帰せず今もって「離れ」のままであるというこの違いについて、私はここに原因があると見ています。
 生月の場合、役職者の家庭でさえも、父親しかオラショを知らないということは、家族揃っての祈りが出来ないということです。
 さらに、最近役職者の寄合いに主人が仕事のため、出席出来ないことが多くなってきているとのことですが、その場合、奥さんが代わりに出席するのです。しかし奥さんたちはオラショを知らないので、ただ座って聞いているだけしか出来ない。そんなわけで集会の雰囲気も次第に活気のないものになっていると聞きました。
 いつでも家族揃って祈ることが出来る習慣があって、はじめて信仰のある家庭が育ち、すべての人が共に祈ることの出来る環境の中に、活気のある教会が生まれてくるのだということを、生月キリシタンの現在の苦悩の中に、教訓的に学びとることが出来るように思います。

(つづく)

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「京都司教区カトリック協議会」発足準備に向けて

 この文章は、3月30日に、前教区長・田中健一司教によって発表されたものです。今後は、6月15日に叙階される次期教区長・大塚喜直被選司教によって、継続して発足準備が進められていくことになります。

京都司教区の信徒・修道者・司祭の皆さん、
 主イエス・キリストのご復活を心からお祝い申し上げます。皆さん方は、それぞれの思いを活かしながら主のご復活を迎え、今年も新たな歩みを始められたことと思います。
 昨年末から今年にかけて、日本二十六聖人殉教四百年祭を終え、四百年前の出来事に思いをはせながら、現代社会の真っ只中に生きる私たちが現代における殉教とはいかなるものかを考える機会をいただくことができました。
 そしてまた二十世紀末の私たち、特に、キリスト者が少数であるこの日本に於いて、自分たちの子ども、また孫に何を伝え何を残していくかを真剣に考える機会をも与えていただきました。
 目立った外圧の少ないこの日本の社会に於いて、私たちキリスト者一人ひとりが今一度立ち止まり、社会の考え方に流されてはいないだろうか、イエスのお望みをどれほど日々の生活の中で大切にし、自ら生きようとしているのだろうか、そしてイエスの心や思いをどのように周りの人々に伝えようとしているのかを見直すことが緊急の課題となっていると考えます。

●イエスについて学び合う


 今年は、教皇様が呼びかけておられる二千年を大聖年とする準備の「御子」の年であり、イエスの思いを、歩みを、生き方を、それぞれの場で探し求める大切な年でもあります。どうかそれぞれの小教区で、それぞれのグループで互いに学び合い、分かち合って下さい。
 そして皆さん方の学び合い、分かち合いを是非京都司教区全体にまで広げ、共有できることを願っています。このことを通して、生き生きとした信仰の喜びを私たち一人ひとりが持ち、二十一世紀に向けての飛躍ができることを願っています。

●司教区のあり方を考える


 そのためには信徒の皆さん方も、司祭と協力して小教区の枠を大きく越えて京都司教区、ひいては日本の教会へと大きく視野を拡げ、これからの福音宣教のあり方、また教会共同体のあり方や司教区のあり方について真剣に考えてくださることが不可欠であります。
 確かに視野を拡げるためには、一人ひとりに非常な努力をお願いしなければならないでしょう。自分の属している小教区共同体のことを考えるだけでも大変ですのに、他の小教区共同体、他のグループのことを考慮に入れて福音宣教のこと、京都司教区のことを考えるのですから、努力も大変で時間もかかるかも知れません。しかし是非それを実行して頂きたいのです。そして教会の種々の役を持っている人にまかせるのではなく、どの信者も例外なく実行していただきたいのです。
 現代の殉教を考え、殉教に生きる第一歩として、皆さん方が神から戴いておられるそれぞれのタレントを神に奉献し、福音宣教に活かし、イエスが望まれる神の国の完成に向けて一つの体となって歩み始めようではありませんか。

●地区協議会の発足と充実


 このような意味を込めて、昨年から各地区でカトリック協議会が発足しつゝあります。
今後、各地区のカトリック協議会の充実をはかってくださると共に、互いに連帯し、より広く、より深くイエスのお望みを実現するために『京都司教区カトリック協議会』の必要性を痛感しております。
 宣教司牧評議会も改組に取り組んでいます。経済問題評議会も動き始めました。

●教区協議会発足の準備


 皆さん方一人ひとりの努力によって、「御子の年」である今年中に「京都司教区カトリック協議会」の発足の準備を終え、「聖霊の年」である来年からは具体的な動きが始まることを願っています。
 終わりに、司教としての祝福を皆さん方におくります。
 主のご復活の主日に

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日常レベルからの出発

フランシスコ・ザベリオ Y・H

 「カトリック地球環境を考える会」として、今年2月23日に京都教区内で50名程の方が集まることができました。先ずこのことに単純に感謝したいと思います。二回目の集まりは4月27日となっていますので、この文章を読んで戴ける頃にはもう済んでいることになりますが、大勢の方に集まって戴ければと思います。
 さて、「環境問題」というと、難しく自分には無関係なことと思って居られる方がまだまだ多いと思いますが、この認識構造を改める必要を感じて居ります。これは環境問題を扱う人々のグループが、日常レベルを無視し先行しすぎている点に問題があると思いますが、考える素材に対し敏感になっている点を認めなければならないと思います。そこで、私たちの集まりでは、日常レベルの視点から出発し、多くの方の環境問題と付き合う入り口になれればと思います。

●COP3とは


 ところで今年12月に開催される「COP3」という国際会議のこと、御存知の方も多いと思いますが、この会議を受け「気候フォーラム」という環境問題と取り組むグループやNGOの全国レベルのネットワークができています。カトリックも運営委員として参加しています。カトリックとしては、正義と平和協議会からの参加となっています。私も運営委員会に参加してきましたが、問題点を感じない訳には参りませんでした。COP3の中心課題は、温暖化問題とどう具体的に取り組むかということで、実効力のある議定書の採択という一点にかかっています。温暖化の原因は、化石燃料の消費を森林伐採に拠る大気中の二酸化炭素濃度上昇が先ず指摘されます。

●主張の違い


 産業革命以後急速に濃度は高くなってきています。つまり産業の発展に応じて濃度は上がります。現在先進国提案に対し、途上国は猛烈に反発しています。理由は自国の産業発展の保護のためです。先進国と途上国を一律に規制すれば、南北問題は更に深刻な格差を拡げることになります。一方、島嶼(とうしょ)連合は、気温上昇に拠る南極やグリーランドの氷床融解で海面上昇を引き起こし、島が水没するというので、かなりきつい規制をすべきと主張しています。日本はというと、ニクソン大統領時代のオイルショック以来規制があり、産業の対応もあり、先進国中低い水準にあり、積極的な主張はしていません。こんな状況の中で、気候フォーラムは、政府に対し基本主張をぶつけようとしています。

●健康のために


 こんな背景を一応知って戴いた上で、我々が日々暮しの中で何ができるかという点をきちんと考えなければいけないと思います。
 考える一つのヒントは「省エネ」だと思います。「省エネ」というと「不便」と思われるでしょうが、これは大きな落とし穴が仕掛けられています。説明は省きますが、原発問題を考えていた時に、「省エネ」=「健康」との確信を得ました。健康に留意し乍ら、環境と共生できる世界の創造に貢献できる生き方は、私たち信仰者としての在り方ではないでしょうか。先ず、日常レベルから始めたいと思います。

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ブックレットの案内

 「地球温暖化とはー温暖化防止条約第3回締約国会議(COP3)と市民の役割ー」発行=気候フォーラム。五百円
 気候フォーラム設立の集いの資料として作成したブックレット。学校や企業内などで温暖化を語るための教材として、また初めてこの問題に触れる人のための地球温暖化と気候変動枠組み条約締約国会議(COP3)に関しての入門書。
内容例=地球温暖化に関してその影響・兆候・原因、また南北問題や食糧問題との関係。
温暖化防止条約に関する説明(小規模島嶼国の提案、ベルリンマンデート等)。
日本政府のポジションなど。
詳細=気候フォーラム事務局(京都市中京区高倉通四条上ル高倉ビル3階)
TEL075(254)1011
FAX075(254)1012
(気候フォーラム通信第2号より)


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奈良の青年をよろしく
H・S(八木教会)

 去る2月15日、16日に郡山教会において、青年センター運営委員会が行われました。奈良、京都、滋賀、三重の各教会から多数の参加がありました。私自身、青年の奈良県担当でありながら、ほとんど委員会に参加せず、青年の活動も何らしていない状態でした。しかし、他の青年の委員の皆さんに呼びかけられて参加してみると、とても楽しいひとときを過ごすことができました。
 青年センターでも、奈良県の活動が薄いので、奈良県を中心に活動をすすめていく予定です。しかし、現在奈良県には青年会という組織がなく、青年センタ
ーのような活動拠点もないので、なかなか青年が集まりません。青年が集まらない理由として、
◆奈良県内での活動がほとんどない。又は、企画されていないため、青年が集まる機会がないこと。
◆各小教区内においての活動はあるが、教会と教会のつながりが、薄くなりつつあるということ。
◆現在の奈良県の青年が全体的に高齢化しつつあり、将来の青年たる中高生が青年の集いに参加しづらいこと。などが挙げられます。
 またこれらの理由の根低には、青年層の全体的な教会離れが考えられます。私自身も日々の生活の忙しさにかまけて、教会活動を怠っていましたが…。
 私には、これといって何が出来るという訳ではありませんが、これから頑張るつもりですので宜しくお願いします。

 お知らせ!!

 6月21日、22日に奈良の登美が丘教会で、京都教区青年のつどい『LOOK AT MEin 奈良』が開かれます。京都教区の青年たちが一致団結し、教区を盛り上げるのがこのつどいのねらいです。ライブをしたり、テニスしたり、話をしましょう!とにかく集まれ!!
詳細は青年センターまで 075(822)6246

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二十一世紀の福音宣教に向かって(4)

四日市教会(三重地区)
◆1996年のテーマ
殉教者の信仰を模倣し、己の信仰を高める
◆1997年のテーマ
マリアを通してキリストへの信仰を高める
▼悪魔の誘惑に打ち勝った(ルカ四章)キリストのように、世俗的な社会に打ち勝つ。
・家庭での祈りを習慣づける。
・説教・聖書研究・要理を通してキリストを知り、キリストへの愛
を深める。
・黙想会のテーマを「キリストのとりなし」とし、キリスト者の使命を確認する。
・キリストにおいて共同体の一致を深める。
・創立五十周年にあたるので、福音宣教の新たなスタートとする。
・講師を招いて講演会をひらき、話し合いをする。
弱い人、貧しい人を大切にする。
◆1998年のテーマ
聖霊の働きを理解し、教会内の組織のありかたを見直す
◆1999年のテーマ
御父を愛するように隣人を愛する
◆2000年のテーマ
聖体の秘跡により自己を聖化する

高野教会(京都南部地区)
◆1996年のテーマ
殉教者の証し
▼日本二十六聖人に学ぶ。
・日本二十六聖人殉教四百年記念行事への参加。
・聖人伝からの学び。
◆1997年のテーマ
キリストを知り、倣い、伝える
▼聖書に親しみ、生活に生かす。
・典礼聖書の集いへの参加。
◆1998年のテーマ
聖霊との交わり
▼秘跡の恵みに与る。
・謙遜、祈り、犠牲による共同体の一致。
・近隣教会との一致。
◆1999年のテーマ
神の愛と隣人への愛
▼神の現存と生活の一致。
・病人、障害者、高齢者、外国人との関わり。
◆2000年のテーマ
喜びと感謝
▼社会の中(近所・学校・職場)での使徒職・祝賀行事・巡礼への参加

 

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