1995/6 No.211

京都教区時報6月号

・冬が終わって・・・

・「共同宣教司牧」での一年

・バングラデシュの感想

・小教区制度とその共同体のあり方の見直しについて

・侍者合宿から 

・あんてな



冬が終わって・・・

 疲れきった心を少しでもやわらげてあげたい。そんな思いを込めて贈られた、色とりどりの花々。被災地の子供たちは、せっせとそれを手作りの花びんに分けながら、最高の笑顔を見せてくれました。

 いろんな人々が、それぞれの形で行っている支援活動。その成果は、目には見えにくいものです。しかし、復興が成しとげられた時、みんなの笑顔となって表われることでしょう。

 長い冬が終わり、今では被災地の至るところで花が咲いています。それは被災された方々にとって、神様からのすばらしいプレゼントだったことでしょう。

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「共同宣教司牧」での一年

 大津教会信徒 T・N

 昨年4月から、大津・唐崎・安曇川の三小教区並びに、滋賀働く人の家を共同司牧地域とされて、西野師、福岡師、エミリオ師の三司祭が着任され、かつ各小教区に主任司祭は置かず、三司祭の責任者として西野師が当たられることを知らされた。
 その時正直言って、確かに三小教区と一カトリック施設の四ケ所を三司祭が担当されることで、「共同宣教司牧」と言うことに違いは無いが、三司祭がおられるのに何故この三小教区に配置され、一施設はどなたかが兼務されれば良いのではなかろうかと思ったことでした。
 「共同宣教司牧」での大津教会における信仰生活・教会活動には、それ迄のものとの違いが形の上にも心の中にも感じられ、多くの信徒がとまどう姿もあった。
 今年になって、「共同宣教司牧」についてカトリック新聞等で論ぜられるようになってきている。また京都教区でも、教区時報やその他の方法で、認識を求めておられるが、昨年私どもの小教区に実施される段階ではこうした事前説明が全くなかったと思う。

 そして、認識不足・心情不安定の状態で昨年は経過しつつ、この状態を脱却するべく司祭・修道者・信徒が相寄って、一度「共同宣教司牧」というものを分析してみようではないかと言うこととなった。これをカトリック滋賀県連合会へ提案したところ、任意の集まりで連合会が支援する形をとる懇談会を、今年2月11日(祝)「琵琶湖いこいの村」で開催した。
 当日司祭4名(ネリグ師、エギ師、エミリオ師、森田師[当時、津教会])、信徒26名(大津11名、唐崎8名、安曇川1名、草津2名、彦根2名、長浜2名)が出席。

 話しの叩き台として、大津教会婦人部が話し合った「共同司牧」(宣教の字句は承知してなかった)についての要約を紹介する。

一、共同司牧の目的、趣旨をはっきり伝えて欲しい。
二、小教区主任司祭制度が良い。(ミサ担当が日曜ごとに変わるのは、相談事などに継続性が持てない心配がある。)
三、教会管理・運営面で信徒の協力体勢が充分発揮できるまでの準備期間が欲しい。

 以上により、6〜8人のグループ別討議をした結果、次のようにまとめた。

(a)共同宣教司牧の必要性の根本は、司祭数の減少化にあることの理解に立っても、何故今「共同司牧」なのか、信徒側に切迫感がない。今後この方式を推進するべきとするなれば、事前説明と実施該当小教区間の相互理解を得られるように配慮して欲しい。
(b)「共同宣教司牧」に当たる司祭としては、単に司祭たちの説教台の交換だけでなく司祭各人の持ち味、得意分野をより多くの人と分かち合っていく大きな広がりへの発展が「共同宣教司牧」の一つの主旨であるだろうし、将来的に司祭たちが共同生活をすることが望ましい。
(c)「共同宣教司牧」は司祭の役割を見直すきっかけであると思う。すでに「共同宣教司牧」のもとにある小教区の信徒は何をしなければならないか、今までの司祭に頼りきった信徒の姿勢は改めなければならないだろう。それだけに司祭、修道者、信徒の情報交換が必要である。

 なお、教区への要望として、信徒の役割をどの位求めているのかを示して欲しい。

[追記]なお、今年4月から福岡師が、滋賀働く人の家とともに、共同宣教司牧から分けられた。


[参考資料](カトリック新聞四月九日号展望の記事より転載)
「共同宣教司牧とは」
     上智大学神学部教授・岩島忠彦

 現状

 これまでの共同宣教司牧の試みが与える印象は必ずしもかんばしくない。いくばくかの利点は見いだされるものの、司祭は複数の仲間と一緒になって責任を分け合い、場合によっては共住生活をすることにあまり慣れていない。信徒の側では、教会に行っても司祭がいないとか、毎日曜日違った司祭が来るといった経験が積み重なって、「だれでもいいから、うちの神父様がほしい」といった声となる。つまり、司祭の方でも信徒の方でも、共同司牧というものに対するある種の戸惑いが感じられるのである。
 なぜこうまでして、と思う。共同司牧という発想は、司祭不足という問題がきっかけとなって出てきたものであることは否めない。司祭不足といっても、日本における信徒数に対する司祭数の比率は、伝統的カトリック諸国のそれと比べてずっと高い。かつて宣教師たちが多くの教会を建てていったが、その数を司祭がまかないきれないということである。そこで比較的近隣の幾つかの教会を一人ないし二、三人の司祭で司牧するという考えが出てくるわけである。しかし、こうした試みの中で、それが単なる場あたり的な手当てではなく、交わりとしての教会の本質に根ざした方向性なのではないかという認識が徐々に生じてきた。その認識は、「共同司牧」が「共同宣教司牧」という言葉に言い換えられてきていることにも表わされている。

 だれの「共同」か?

 そこでの「共同」は、単に司祭間の共労を指すだけではない。信徒同士、信徒と司祭の共同をも意味する。例えば、教会の行事や運営、さらには根本的な方向性などに関して、司祭が一方的に信徒に命令するのではなく、最初から一緒になって求め、進め、実現していく姿勢を指す。教会相互の共同も意味する。人や物の交流がひんぱんになった現代、各種の活動グループ、奉仕グループ、祈りの集いなど、いつも自分の教会だけにこもって行うものでもなかろう。小教区以外のミッションスクールやカトリック事業体との共同、地域社会や市民運動体との共同。共同宣教司牧という言葉には、こうしたさまざまな要素が込められており、むしろ教会の基本的姿勢の転換を示しているのである。司祭も、こうした流れの中で流動的にかかわっていくわけである。
 考えは結構だが、できるのか。現実が示す難点は数多い。目の前の困難は忍耐をもって一つひとつ克服していくしかない。自分の教会で可能と思える一つのことだけでも始めてみるのがよい。進むべき方向に対して棹(さお)さすことは、何物をも生まない。

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バングラデシュの感想

 西院教会 T・K

 インドの東隣に位置するバングラデシュ、気温は30度前後、面積と人口は、九州と日本のそれに値する。10日間の間に現地の神父様に連れられて訪ねた場所は、小、中、高校、修道院、孤児院、職業技術訓練所、親類や信者さんの家庭、教会、村落、神学校と数知れず。ほとんどが関係の所でしたが、人々はみな親切で、ホスピタリティー(歓待心)に富んでいます。行く先々で現地の人から心のこもったもてなしを受け、歌や踊り、食事と歓迎して下さいます。貧しさを嘆くよりも仲間と共に楽しい事や嬉しくなるような事を作り出そうという気持ちがあふれています。だから人々の笑顔が本当に明るいのです。それはキリストが生きている人の顔でした。日本を発つ前に聞いた言葉を実感しました。「生活は貧しいけれど、心はとても豊かだ」。世の中のあらゆるしがらみの中で忘れかけているものを思い出したような気がします。見ず知らずの「ジャパニ」なのに、ぎゅっと僕の体に抱きついて喜ぶ子供。親の愛情を知らなくて淋しいのに、にもかかわらずあんなに生き生きとした笑顔で迎えてくれる子供。何百というキリストに僕は出会いました。
 こんなに離れた所に、こんなによくして下さる人がいるということにとても嬉しくなって涙が出てしまいました。行ってみないとわからないけど、本当にいい国です。皆に行って欲しいし、僕ももう一度バングラに行きたいと思います。バングラデシュで出会った人と日本で無事を祈って下さっていた人、そしてこんな素晴らしいお恵みを下さった神様に心から感謝します。ありがとうございます。

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小教区制度とその共同体のあり方の見直しについて

 制度を考えるチームによる司教団への答申が、1994年12月の臨時司教総会に提出されました。これについての資料が、小冊子「明日に開く〜開かれた教会づくりをめざして〜」にまとめられています。その一部を紹介します。

提言

 第一回福音宣教推進全国会議が目指した「社会に開かれた教会」「社会とともに歩む教会」となるように、わたしたちは「小教区制度とその共同体のあり方」に関して、以下のような提言をいたします。

1、司祭の間の話し合いの促進と共通理解の育成

 この課題に関して、これまで小教区の責任を担わされてきた司祭の間で、十分な話し合いが行われてきたとはいえません。この課題に関して何よりも先に司祭たちの共通認識・理解が必要です。最近、このテーマのもとにいくつかの教区で司祭の研修会が行われたり、共同司牧をテーマに大阪管区の司祭たちが研修を行ったという報告が、私たちのところに届いています。それはたいへん望ましいことですが、それはまだ一部の教区、一部の教会管区のことであり、この課題に応えていくためには、明確な自覚のもとに各教区での司祭同士の話し合いの促進が求められます。司祭たちが責任をもってこの課題に取り組むことができるような公式な場の設定も求められます。司祭評議会の充実などもその一つの道ではないかと思われます。これらのことのためには、司教たちのイニシアティブは欠くことのできないものです。

2、信徒を対象とした啓発運動

 信徒を対象としたアンケート調査に見られるように、信徒たちの宣教意識はまだまだ薄く、小教区制度の見直しについても問題意識が低い今の現状のなかで、信徒の理解と協力を得るための働きかけが必要です。信徒たちの理解と協力がなければ、当初の目的を達成できないどころか、無用な混乱を引き起こしてしまう恐れもあります。
 いくつかの教区では、第一回全国会議の後、その精神にそった共同体づくりのために、信徒を対象とした分かち合いや研修会が行われたり、あるいは小教区共同体の責任の一端を担う信徒たち(たとえば、教会委員、教会運営委員等)を対象とした養成講座が企画・実施されているという報告もありますが、それはまだ、限られたごく一部の教区でしかなく、各教区でのよりいっそうの自覚と努力が求められます。

3、司祭と信徒の役割の再検討

 司祭の減少のため、一小教区に一司祭を任命できないときのことを念頭において、司祭の役割と信徒の役割について再検討を重ねることも必要です。これまで司祭が担当していたことのなかで、本来は信徒の役割であるもの、また司祭のほうがより望ましいが信徒でも可能なものなどを点検し、各教区レベルでの司祭や信徒たちを対象とした勉強会や研修会等がぜひ必要です。
 すでに海外のいくつかの教区では、大胆な試みがなされているという報告があります。ドイツのケルン教区では、基本的に四つの小教区をブロックとし、それを司祭、終身助祭、そのために養成された一般信徒(二〜三名)がチームを組んで、宣教司牧の責任を背負っています。そこではあらためて司祭の固有の職務が見直されるようになっています。また、中南米のいくつかの教区では、小教区の運営・活動の全責任がシスターや信徒に全面的にゆだねられているところもあります。

4、近隣の小教区の司祭・信徒間の協力の促進

 すぐさま小教区制度の統廃合を含めた見直しを論ずる前に、現状の小教区制度のなかで、具体的に協力できること(すべきこと)が多々あります。近隣の小教区の司祭・信徒間で話し合うならば、すぐにでも実行可能なことがたくさん見つかるはずです。私たちが主催したさまざまな集いで、各現場から報告されたものには次のようなものがあります。
◇月に一度程度のミサの説教壇の交換 ◇合同回心式 ◇黙想会 ◇結婚講座 ◇合同講演会 ◇種々の社会福祉活動や助け合い運動の連携 ◇バザー
 これらの工夫は、それぞれの小教区の限界を補うことにもなります。
 さらにはまた、小教区制度の統廃合に向けた意識を育てることにもつながると思われます。

5、共同宣教司牧の導入

 日本の社会に開かれた教会共同体を促進するために、また地域を越えて多様化していく社会と信徒のニーズに対応するためにも、「共同宣教司牧」を次のような形で理解いたします。
一、複数の小教区を複数の司祭が連携して担当する。そのなかの一人が代表になる。
二、複数の小教区の宣教司牧を、司祭・助祭・特別に任命された信徒・シスター等が担当する。
三、小教区の壁を越えた課題や対象に、たとえば青少年や滞日外国人等を対象にした宣教司牧に、複数の司祭・信徒・シスターたちがチームとしてかかわる。
 残念なことに、多くの司祭、信徒、修道者はチームを組んで働くことに慣れておらず、いくつかの共同宣教司牧の試みは当初の目的を果たすことができなかったという報告もあります。
 共同司牧のためには、それに携わるメンバーの養成が求められます。メンバーが共同宣教司牧に関する共通理解を互いに深め、互いの連携を強め、チームワークを整え、率直な話し合いにもとづいて状況を分析して正確に課題を把握し、そのうえで企画・実践し、実践後はそのことについて評価と反省を加え、さらに前向きに取り組んでいけるようなトレーニングや養成がぜひ必要です。

6、さまざまな分野での実践的な連携と協力

 社会のニーズに対応していくために、たとえば教区司祭・宣教司祭・修道会司祭の連携プレー、司祭と信徒との連携プレー、教区と諸事業体との協力など、積極的に推進していくことが求められます。
 難民問題や滞日外国人労働者が直面する諸問題等に対して、小教区の信徒や司祭、さらには男女修道会、カトリック病院、福祉施設がきめ細やかに協力し、互いに補い合って協力しています。それは多くの市民グループや地域から高く評価されています。今後の課題としては、さらに地域における教育問題、高齢者問題等の分野においても、その連携プレーの充実が求められます。

7、善意の人々との協力・連携

 第二バチカン公会議は、教会外の人々との対話を訴え、信条の違いを越えてすべての善意ある人々との協力を呼びかけ、世界に開かれた教会共同体の具現を求めました。そしてそれは、「開かれた教会づくり」というテーマを掲げた第一回全国会議によって引き継がれました。小教区共同体にはそれぞれ地域において、宗教の有無・信条の違いを越えて互いの良心に信頼し、善意をもって生きようとする人々との協力と連携を深めていく責任があります。
 すでに多くの教区では、草の根レベルの善意ある人々やNGO諸団体あるいは公共団体(区や市町村)と手を取り合って、積極的に地域社会に奉仕する小教区が多くなってきています。小教区が、こうした人々や団体の絆の要になっているいくつかのケースも報告されています。

8、活き活きとした典礼

 すでに指摘したように、全国会議が開かれた教会づくりのモデルとして掲げたものは、神であるにもかかわらず、人々の叫びに耳を傾け、人々を救うために人となられたキリストです。こうしたキリストと堅く結ばれ活かされていくためには、祈りと典礼への参与が不可欠です。祈りと典礼によって小教区共同体が活かされていくことが求められます。
 小教区には、世界に開かれた教会となっていくよう、典礼と祈りから力と光を汲み取ることが求められますが、そのためにも祈りと典礼の活力ある刷新と見直しが求められます。

9、教区に「制度見直し」を推進するチームの設置あるいは担当者の任命

 第一回全国会議が指摘した課題は、各教区がすでに直面しているものであり、この課題に対応できるチームあるいは担当者を任命し、教区として組織的・計画的に取り組んでいくことが求められます。

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侍者合宿から 

 去る3月28日から30日まで、小学4〜6年(新学年)を対象にした侍者合宿が、ヴィアトール宗研館で行われ、最終日には河原町教会で聖香油ミサの侍者の奉仕をしました。今回は46名と例年よりかなり多い参加でした。
 合宿に参加した子供たちの感想を掲載します。

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  おもしろかったよ
    K・O(宮津教会)
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 この合宿に来てとてもよかったと思う。色々な友達が出来たし、サッカーをしたりしてとてもおもしろかったです。
 侍者のことでも、しらなかった物の名前などがよく分かったし、色々なことが分かったのでとてもいい合宿だったと思う。
 せいこう油ミサでは、役ももらえてとてもうれしかったです。

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  暑かったけど…
    T・K(草津教会)
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 おむろ八十八ケ所の遠足、八十八ケ所目に来たとき、すごくつかれていました。暑かったです。
 侍者練習があったけれど、サッカーはたのしかったです。本番でうまくできたのはうれしかったので来年もできるだけ行きたいです。これからも侍者をがんばりたいです。

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  友だちができたよ
    Y・M(桂教会)
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 ぼくは、この合宿に来て、よかったと思います。なぜかと言うと、友だちもできたし、いい思いでができて、一番楽しかったことは、えん足の山のぼりです。お寺を、八十八こ見て、すごく暑かってしんどかったけど、すごくたのしかった。ほかに、カルメル修道会に行っていろんなことを、おしえてくれた。それから、聖香油のミサで、しきょう様や、ほかのしんぷ様たちとミサができてよかった。練習もして楽しかったし、ほんとうに来てよかった。

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  きんちょうしたけれど
    M・I(河原町教会)
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 ぼくは侍者合宿に行き、いろいろな思いでが作れました。一番心に残ったのが遠足です。みんなで山登りをしたことです。きゅうな坂を登ってつかれました。
 侍者練習の時、こうろうや、ふねとかをもつ練習した。河原町教会で聖香油ミサの本番をしました。みんなが見ている前で座って、とてもきんちょうしました。でも、うまくできたのでよかったです。来年もまた侍者合宿に行きたいです。

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中学生会春の合宿報告

 去る4月1日から3日の日程で、奈良は高の原野外礼拝センターに於きまして、95年度中学生会春の合宿を行いました。
 京都教区全域のこの春から中学一年生になる人に、各教会を通して参加を募り、今回は約20名程の中学生が参加してくれました。京都市内、滋賀、奈良を中心に、遠くは丹後からも数名参加してくれて、企画したリーダーの側からすればとてもうれしく思います。
 春の合宿は、「新しい出会い」をテーマの一つにおいて、ビデオを見た後に中学生自身が感じたことを班ごとにわかれて、分かち合いをすることが主な活動です。今回は「風の谷のナウシカ」を見て話し合いました。中学生の視点は様々あります。ある班は自然は大切であるということを、またある班は人と人との信頼関係が大切であるということを話し合い、みんなの前で発表しました。私達では気付かない点が指摘されることもあり、感心させられることが多く、リーダーとして側で見ていて、本当に楽しいです。
 先程も書きましたように「新しい出会い」が一つの大きなテーマになっています。今回新中学一年生として来てくれた人達は新しい世界へと入っていくわけですが、おそらく不安でいっぱいであると思います。この合宿で、少しでもそのような不安がなくなる助けになればと思います。
 「中学生」という時期は非常に不安定です。「受験戦争」というものに支配され、勉強のみが全てを決定するという風潮があります。本来はそうではないはずです。この合宿ではそのような心を自分達で気付き、それを育んでいく。そんな目標があります。中学三年生ともなれば受験が目の前という意識があるとは思いますが、そんな時こそこの合宿で心をリフレッシュする必要があると思います。この点御理解いただき、これからの合宿にも多くの参加者が集まってくれれば幸いです。(M・K)

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