1995/7 No.212

京都教区時報7月号

・連帯

・紀元二千年の到来を迎えるにあたって

・『開かれた教会づくり』の流れのなかで

・カスパルを考える

・母の日 ガラシア祭

・CBSカトリックスカウト京都支部「第15回宗教トレーニングキャンプ」報告

・7月8月 キャンプ情報

・あんてな 



連帯

  

 希望の家の地域のあるグループの人達は、カンパを集め、鷹取教会の近くの須磨区役所前で、焼肉の炊き出しを何回か行なっています。

 又、別のグループは、以前から交流のある姉妹グループと一緒に、長田区でフェスティバルをしました。
 いつも現場の声を聞き、話しが来てから出かけています。こちらの勝手で動かないようにしています。

 今年の希望の家のテーマは「連帯」です。近い京都と神戸、隣りの教区ですから、何か出来る計画を立てていきます。

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紀元二千年の到来を迎えるにあたって

京都教区司教 ライムンド田中健一

●大安息年を前に

 教皇様は先日、使徒的書簡『紀元二千年の到来』を発表され、全世界の教会に向けて、全人類が救い主キリストと出会って二千年の節目を盛大に祝うようにとの呼びかけをなさいました。日本の教会、またその一員である私ども京都教区の教会も、全世界の教会の流れに沿うことが必要であろうと思います。
 教皇様の意向に従って、1997年は「御子の年」、1998年は「聖霊の年」、1999年は「御父の年」と定められ、教会は二千年を迎える準備をいたします。突然、この節目を迎えるのではなく、十分な準備をもって大安息年を迎えることが肝要であります。
●日本の教会の取り組み

 さて、日本の教会においては、その前年の1999年に日本人がキリストの教えと出会って450年を迎えます。この聖フランシスコ・ザビエルの鹿児島上陸450年祭を全国的な行事として祝うことを、日本の司教団は考えております。 
 また、1997年には、日本の教会の初穂となった日本二十六聖人の殉教四百年を迎えます。兎角、殉教の地、長崎が注目されますが、この聖人たちは、京都から殉教の歩みをはじめたのであります。近畿地方の出身者が数多くいらっしゃることに、私どもは誇りを持ちつつ、信仰の先輩方に続かねばならないと思います。
 私どもは殉教者という信仰の先輩方を決して忘れることがあってはなりません。現代の社会において、殉教の意味と福音宣教、そして、イエス・キリストの十字架と復活の姿を、よくよく黙想しなければならないと思います。

●将来の教会を考えて

 ところで、行事の面から紀元二千年を迎える準備をすると同時に、私どもは日常生活の中で、それぞれの福音宣教共同体の中で、この大安息年を迎える準備をしなければならないと思います。
 皆さんもよくご存じのことと思いますが、京都教区では、一教会一神父という形態はもはや許されない、神はお望みにならない、という岐路に立たされております。司祭たちは年々年を取り、新しい司祭も今後五年間は誕生いたしません。10年後、20年後の教会のあり方を、私どもは真剣に考えなければならないと思います。
 殉教者たちが生命をかけて守り抜いた信仰、そして信仰共同体を、私どもも生命をかけて守り、育てていくように招かれているのではないか、と思います。

●共同宣教司牧へのご協力を

 先に、私は、専任司牧ではなく、共同宣教司牧へと皆さんの理解と、そしてご協力をお願いいたしました。(『教区時報』1993年6月号)
 改めて、皆さんに共同宣教司牧について、皆さんの理解とご協力をお願いしたいと思います。
 共同宣教司牧は、いまだ決まった形がありません。言い換えれば、これから、皆さんと修道者、司祭、そして司教が、共に一つになって、交流を密にしながら作り上げていくものであります。司祭だけでは共同宣教司牧はできないと思います。
 この難しい現代社会において、司祭の役割も多岐にわたり、専門化しております。一人の司祭が、あれも、これもと役割を果たすのにも限界がきております。
一人一人の司祭の専門を生かしながら、信徒の皆さんの協力とともに、より豊かな宣教共同体に成長するために、将来の教会のために、共同宣教司牧は不可欠であると思います。
 京都教区では、西院・桂共同宣教司牧、伏見・桃山八幡共同宣教司牧、そして、大津・唐崎・安曇川共同宣教司牧と三つの共同宣教司牧チ−ムがありますが、十分な説明がないまま、信徒の皆さんを混乱させてしまったことを心苦しく思います。この三つの共同宣教司牧チ−ムの皆さんには、お詫びと共に、今後、改めて、共同宣教司牧のために、理解と協力をお願いしたいと思います。
 また、教区内の教会の中には、共同宣教司牧がすぐには難しい教会もあるかと思います。そのような教会では、兼任司牧や、信徒の皆さんの間の交流をすすめながら、将来的には共同宣教司牧へと歩んでいただきたいと思います。
 新しいものを生み出すために、苦しみや痛みが増えるかもしれません。しかし、殉教者と共に、殉教者の心で、愛の心で、苦難を乗り越えていただきたいと思います。

●殉教者と共に祈りつつ

 教会の使命というものはミサだけではありません。福音を宣べ伝えること、教理を教えること、愛の実行に励むこと、神の国のよきしるしになることだと思います。殉教者たちが生命をかけて守ったこの教会を、この信仰を、私どもも生命をかけて守っていくことができるように、殉教者の取り次ぎを求めたいと思います。苦難、困難を乗り越えて、二十一世紀の教会を、共に作り上げていく時が来ているのだと思います。
 「愛することは美しい。しかし苦しみつつ愛することはさらに美しい」

1995年6月29日
聖ペトロ・聖パウロの祝日に

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『開かれた教会づくり』の流れのなかで

 第一回全国会議のテーマは「開かれた教会づくり」でした。制度を考えるチームによる司教団への答申もこのテーマに対する回答の一つです。

1.『キリストをモデルとした教会』

 「人となられたキリスト」が「開かれた教会」のモデルになっていることに注目したいと思います。第一回全国会議の参加者の宣言文のなかに次のような表現がありました。
 「神であるにもかかわらず、兄弟の一人となられたキリストにならい、全ての人に開かれ、全ての人の憩い、力、希望となる信仰共同体を育てるよう努めたいと思います。」(参加者「宣言」文より)
 ここに人々の叫び、苦しみに耳を傾け、救いと希望を与えるために人々のなかに飛び込んでこられたキリストのように、日本の教会も、現実社会のなかに飛び込んでいかなければならない、という思いを汲み取ることができます。

2.『転換』

 「人々の一人となられたキリスト」の神秘に視点をおいて、全国会議は教会共同体全体に反省を促し、具体的な刷新を呼びかけます。そのためのキーワードが「転換」です。それは、個人の信仰のあり方から制度のあり方まで非常に多岐の分野にわたります。
 「私たち司教をはじめとして、神の民全てが、教会の姿勢や信仰のあり方を見直し、思い切った転換を図らなければならないという結論に達しました。」(『ともに喜びをもって生きよう』より)

*内向きの姿勢から

 「ともすると内向きに閉ざされがちであった私たちの姿勢を真剣に反省し、……」(第一回全国会議参加者「宣言」文より)
 「私たちカトリック青年は、第一回福音宣教推進全国会議に出席し、自己の信仰を見直す機会を与えられました。そこで青年の意識が内向きであり、同じ神の民でありながら、青年は青年として、心が閉ざされていたことを反省します。」(第一回全国会議「青年代表宣言」文より)
 「信者中心の内向きの教会から、ともに社会に奉仕する外向きの教会に変えなければなりませんが、まずそれは、地域社会との交流、参加から始まります。発想の転換と実際の行動が大切です。」(同上)

*信者のためだけの共同体から

 「教区、小教区を、そこに属する信者のためだけの共同体から、その地域に住む全ての人々とともに福音的に生きようとする共同体に変えなければなりません。」(『ともに喜びをもって生きよう』より)
 「教会〈小教区)を会員制のクラブのように信者だけがメンバーと考える発想を転換したいと思います。地域内に住む全ての人、訪れてくる全ての人は神に愛された人、信者はこの人々が福音的に生きることができるよう奉仕する人々です。」(第一回全国会議答申「柱3提案1」より)

(つづく)

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カスパルを考える


カスパル事務局 J・Y(富雄教会)

 数年前河原町教会で、何の催しだったか、今いくら思い出そうとしても思い出せないのですが、聖堂の入り口の処で、ある本を買いました。内容をほとんど知らないまま、しかし何か子どもの人権についての事例が書いてある事はその題名から明らかでした。読んでいくうちに、頭がくらくらして字が読めなくなりました。それはアジアの児童買春(かいしゆん)を紹介する本だったのです。数ページ読んだあと、家の本棚に入れるのが嫌で、教会の図書の棚にそっと隠すように入れました。ニ度と読みたくないと思ったのが正直な気持ちでした。あまりにおぞましく、あまりに私の知らない世界だったのです。それから数ヵ月後、奈良の正平協に近藤美津枝さん(大阪・池田教会所属)と云う初老の女性がエクパットキャンペーンについての講演に来られました。主任司祭の強い勧めがあって、嫌々、半分不貞腐れて聞きに行ったのが、きっかけでした。失礼ながらお世辞にも決して巧いとは云えない彼女の、とつとつとした話し振りは「真実」だけが持っている思わず耳をそばだてて聞き入ってしまう不思議な魅力がありました。無関心を装ってこの問題を自分の意識の中から消してしまったら、いつか大好きなイエズスさまの前に立ったとき「私はお前を知らない」と言われるぞ!耳の側をすっと何かが通り過ぎたような気配を感じたのです。

*カスパルとは

 カスパルとはキリストが誕生された時、乳香を捧げた博士がカスパルでした。Campaing to Stop the Protitution of Asan children and to Protect their Rightsの頭文字から取られています。児童買春(子ども売買春)とは、16才以下の(16才を含む)子どもに対して行なった性的虐待を指して云います。人間としての尊厳による性の正しい知識の確立が出来ていない16才以下に対する性行為の合意は成立しません。ましてや、幼児に対しての性行為は虐待以外の何ものでもなく日本の従来の法律でも12才以下(12才も含む)に対しての性行為は全面的に犯罪としています。カスパルではこれを更に16才まで引き上げ外国における犯罪でも、国内における犯罪と同等に日本の法律によって裁かれることをめざしています。つい最近東京の小児科医がフィリピンで、10数名の幼児を相手に、如何わしい写真等を撮つて地元の警察に捕まりましたが数万円の罰金を支払い釈放され日本に送り返されました。日本では何の咎めもなく今も医者として何喰わぬ顔でぬくぬくと暮らしています。(すでにカスパルでは独自の売春禁止法案を顧問の津田玄児弁護士から大脇雅子議員に手渡している)。

*愛を行なう

 カスパルには17才以上の売買春なら許されると云う考えは全くありません。性を売買する事は本人であれ搾取であれ、神に対する挑戦的な犯罪です。しかし売春以外生きてゆく事の出来ない女性については援助の対象とみなしています。貧しさ故に、このような環境に置かれる事を余儀なくされる人々を目の前にして沈黙したり無関心でいることは自分の存在自体を否定すること、引いては神の存在すら認めない事にならないでしようか? 以上の事をより多くの方にご理解を頂きたい、特に今中学生、今高校の男子に深い知識を得て頂きたいのです。博士カスパルは自分の国の一番大切な物を主に捧げました.私達が主に捧げることの出来る一番価値のあるもの、それは自分の利益を完全に捨てて相手に捧げる愛ではないでしようか。


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母の日 ガラシア祭

今年も聖母の月、母の日の5月14日、京都府北部の峰山、網野、丹後大宮が主催し、宮津ブロックでガラシア祭が行われた。
 前日来の雨のため、味土野への登り口にある地元、野間集落センター内の広間が会場とされたが、捧げられるミサにおいては、参集した二百名近くの讃美の歌が、全く一つとなって、その儘、高く高く天上に昇ってゆくのを感じた。

 雨に光る若葉が美しい。十時前から、宮津ブロック六教会から、それぞれ教会旗を抱え、また、西舞鶴、東舞鶴から、車をつらね、マイクロバスでぞくぞくと到着、東京からレデンプトール会ジラール管区長様も駆けつけられて、十時半、十字架を先頭に五名の司祭入堂、早速ロザリオの祈り、栄えの玄義を口語体で祈り、十一時から記念ミサ、共同祈願は六教会から捧げた。ミサの最後に一人一人の母に按手して祝福が与えられた。

 昼食は、ところ狭しと互に歓談、交歓し、午後は宮津教会による全員参加の遊戯で肩をほぐし、歌声、詩吟など各教会の出し物に拍手のうちに午後三時、全員でアヴェ・マリアを斉唱して会を閉じた。
 ガラシアの丘に、のびのびと若葉風を嗅ぐ事は出来なかったが、限られた屋内にあって、また一層の親睦の輪に恵まれた一日であった。


(文責 A)

●細川ガラシア夫人略年表

1563年 誕生(父・明智光秀)
1578年 細川忠興と結婚
1582年 本能寺の変
      織田信長自害
      明智光秀死亡
1583年 味土野幽閉
1584年 帰館
1587年 受洗
      キリスト教禁教令
1596年 日本二十六聖人殉教
1600年 没
      関ヶ原の戦い

三浦綾子著「細川ガラシャ夫人」主婦の友社発行に付けられた略年表を参考にしました。


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CBSカトリックスカウト京都支部「第15回宗教トレーニングキャンプ」報告

琵琶湖を一望出来る皇子山の国立大津ユースホステルセンターでは52名のカトリック・スカウトが集まり、一九九五年度宗教トレーニング・キャンプが開催されました。杉下CBS京都教区支部長はじめ35名の指導者奉仕スタッフも一緒に参加し、(テーマ)と(スカウトのおきて)との関連性など導入の部分でアドバイスしたり、スカウトたちの信仰心を高めるための意見交換しやすい雰囲気づくりをしました。

今回のテーマは「あなたたちを友と呼ぶ」(ヨハネ・15・12〜17)でシスター・イメルダの(私にとって信仰とは・愛について)、青年海外協力隊・松田氏の(なぜ私は旅立ったのか参加動機・現地での活動)、西野・バルデス両神父様には聖書の中のテーマ部分を説明して頂きました。

 第3日目は愛を実行している人(マザー・テレサのビデオ視聴)、エミリオ神父様から私たちのミサ(ミサの説明)等、そして2名のスカウトが名誉あるキリス卜教章を取得したことも含め、中味の濃い宗教トレーニングキャンプでした。天候に恵まれ自然の中で、楽しく・集中し・自分を表現したスカウトたちの春休み、この体験の成果が学校・社会で家族のなかで確かなものとなりますよう、主のお導きを祈り解散しました。
          ガールスカウト奈良県第1団団委員長 T・M(CBS活動部副部長)

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7月8月 キャンプ情報

7月8月のキャンプ情報

◎京都教区青少年委員会主催
▽アジア体験学習
日時・8月16日〜30日
対象・青年(未信者も可能)
行先・フィリピン・インファンタ
費用・約15万円
問合せ・075ー822ー6246青年センター
▽教区中学生広島体験学習
日時・8月3日〜6日
対象・中学生(未信者も可能)
宿泊先・広島市内の教会
引率者・エミリオ師
申込・各教会主任司祭へ
問合せ・0775ー26ー0461エミリオまで
▽教区高校生会夏の合宿
日時・8月11日〜13日
場所・園部教会
対象(未信者も可能)
引率者・森田師
問合せ・075ー381ー3268森田まで
▽教区中学生会夏の合宿
日時・8月17日〜19日
場所・御所教会
引率者・柳本昭師とリーダー
問合せ・075ー822ー6246青年センター

◎三重地区
▽亀山教会
7月に神言会侍者会に男児参加
8月に教会レクリェーション
▽津教会小学生合宿
日時・7月29日〜30日
場所・研宗館
対象・津教会主催ですが誰でも
▽四日市教会小・中学生練成会
日時・7月24日〜26日
▽青年レトルーノ
日時・8月
場所・三重県カトリック研宗館

◎奈良地区
▽大和郡山教会サマーキャンプ
日時・7月28日〜29日
場所・青山高原保健休養地
対象・日曜学校の子どもたち、およびその兄弟姉妹
テーマ・「自然の中に、神様の恵みをみつけよう」
▽登美ヶ丘教会夏期錬成会
日時・7月26日〜27日
場所・山陽路方面
対象・小学5年〜高校生
▽大和八木教会中高生キャンプ
日時・7月25日〜26日
場所・吉野キャンプ場

◎滋賀地区
▽青少年夏期錬成会
日時・8月18日〜20日
場所・メリノールハウス
対象・小学5年〜高校生
主催・カトリック滋賀県連合会
▽草津教会夏のキャンプ
日時・7月22日〜23日
場所・草津教会
対象・小学1年〜小学4年

◎京都北部地区
▽丹後6教会合同キャンプ
*小学生の部
日時・8月3日〜5日
場所・網野教会
*中高生の部
日時・7月30日〜8月1日
場所・未定

◎京都南部地区
▽第10回近隣小教区教会学校合同キャンプ
主催・近隣小教区教会学校教師会(伏見・桃山・八幡・宇治・田辺・精華)
日時・7月28日〜30日
場所・野外礼拝センター
テーマ・集まれ友だち神様の子
サブテーマ・みんなで祈ろうロザリオの輪
対象・幼児と小学生(未信者も可)
▽衣笠教会日曜学校キャンプ
日時・7月28日〜30日
場所・網野教会
▽高野教会日曜学校キャンプ
日時・8月7日〜8日
場所・高野教会
テーマ・「わたしはみんなのために何が出来るだろうか」
▽西院教会日曜学校キャンプ
日時・7月21日〜23日
場所・大阪府立青年の家(阪急水無瀬)
▽桂教会日曜学校キャンプ
日時・7月22日〜23日
場所・桂教会
▽九条教会夏期キャンプ
日時・8月1日〜2日
場所・九条教会、太陽ヶ丘プール
▽京都JOC(働く人の家)海水浴
8月5日〜6日 075ー672ー6569

◎日本カトリック研修センター
▽ヤング海外体験学習
日時・8月20日〜29日
訪問先・フィリピン
対象・青年信徒(高校生以上)
費用・16万円
問合せ・052ー831ー5037

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中学生広島体験学習のご案内

 また夏が近づいてきました。今年も八月上旬に広島を訪れ、平和について考えてみようと企画しています。マスコミでも話題となっていますように、今年はあの戦争が終わって50年目の夏が来ることになります。様々な特集が組まれたり、映画も制作されています。このように様々な人・場所で非常に関心が高まっています。
 しかし、関心が高まっているといえども、50年という月日は世代を交替させるほどの長さです。つまり、戦後生まれの人達の子供が大人になるというような長さです。
 この長い月日の中で、戦争というものがわからない、さらに、それを知った上で自分たちが何をどのようにすれば良いのかわからない状態にあると思います。戦争というものがもはや遠い昔の出来事であるように感じてしまうのが正直言えばあると思います。
 近年、「十五年戦争」を再認識しようとする動きがあります。しかしその反面、「戦争を起こしたのは自分達ではないから、責任をとる必要はない。」という意見も多くなっています。確かに戦後生まれの我々の意識の中にはこのような考え方があります。ただし、戦争責任が我々にないとしても、戦後責任というものまでも無責任に放棄することはできないはずです。
 戦後責任とは、戦争が原因となり今でも苦しんでいる人々の補償も含めて、今、我々が何をすれば戦争がなくなるのかということを考えていくのが務めではないでしょうか。このように考えると、現在避けて通られることの多い戦争関連の様々な事柄を正しく教育していかなければならないのではないでしょうか。このようなことは学校でも行う必要がありますが、家庭内でも行われるべきでしょう。また、いきなりそのような話はできないというのであれば、一度この合宿へ参加していただくことお勧めします。普段話題にしないようなことを友達と話し合うというような体験は、そんなに多くできることではなりません。このような意味でも、できるだけ多くの中学生が参加してくれることを望んでいます。詳しいことは各教会に案内を送付していますので、そちらを参照してください。(M・K)

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