1995/8 No.213

京都教区時報8月号

・夜回り・日回りからの声

・ネパール発、信州、バングラ、そして、京都

・宣教司牧評議会報告

・「開かれた教会づくり」の流れのなかで(つづき)

・京都市東九条特別養護老人ホーム<のぞみの園>開所

・四日市サレジオ志願院開院

・あんてな



夜回り・日回りからの声

  

 “夜回り”“日回り”で出会う人達は、今回の震災によってだけでなく様々な理由で家や仕事、家族など“以前の生活”を失ってしまい、“とりあえず”路上や公園で野宿をせざるを得ない。
 ところが、“野宿をしている”というだけで世間の目や、行政の対応は冷たい。一人一人の話を聞いてみると、それぞれが抱えている問題やその背景は深くて重い。

 出会って話を聞くだけ聞いて、『あぁ、そうですか。それは大変やったねぇ。ほなサイナラー。』といって立ち去るわけにはいかない。『ほなワシラに何ができんねん。』と問いつつ、とりあえず一人一人の抱えている問題を聞くことからはじめています。

 はじめは、食糧など救援物資を届けることがメインでしたが、今、彼等に必要なのは最低限の健康と住む家と仕事であって『快適な野宿生活』ではないと思っています。“夜回り”をしなくても良い神戸(世の中)になるために…。

(日回り・夜回り班 M・Y)
中山手救援本部発行「新生紀 vol.4」より転載

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ネパール発、信州、バングラ、そして、京都

  河原町教会・Y・S

 アジアとの最初の出会いは、大学4年の時に加入した”キリスト者医科連盟=JCMA”の集会でで、岩村昇氏(JOCS派遣の公衆衛生医。ネパールで20年間働かれた)の講演を聴いたことに始まります。当時、医学部や看護学部の学生の多くは、A・シュバイツァーのアフリカでの医療奉仕に傾倒して、この道を選んだという時代で、私もその一人でした。美しいヒマラヤのスライドと岩村氏独特の歯切れのよいアジテーションに多くの学生はまきこまれて、早速”ネパール研究会”が発足。見学旅行と称して続々ネパールへ。当時、看護婦の初任給が3万円弱。一ドル360円。割引航空券の全くなかった時代でした。御多聞にもれず私も資格(看・保・助・教)を揃え終わった段階で借金して迄ネパールへ。しかし、そこで見たのは、山中のやせた土地での常に生と死が向い合う、きびしい生活の現実でした。マラリア、コレラ、赤痢、結核、火傷、転落事故、土地争い、水争い、カースト制度・・。半年後に帰国した私は、実地訓練のために信州の山村の役場で、保健婦として働きました。

 この村での3年間に、祖国日本の農村の知られざる一面を垣間見ました。経済大国の繁栄をじっと底辺で支えているのは、こうした零細な農村の労働力であることを。製糸工場の職工として、満蒙開拓団員として、太平洋戦争の最前線で。各々の場面の生き証人達は、今尚、子供や孫を都会に送り出して、自らはさみしい老後をすごしている。そんなことがわかってきたある日、正式にJOCSからバングラデシュに派遣されることになり、ベンガルの南部の低温地帯へ。村の世話好きのおばさん達に、簡単にできる病気の治療や予防のてだてを教えたり、家族計画指導や予防注射等を、村の診療所に駐在する看護さんといっしょにやりながら、足かけ五年をすごしました。その間、別の民間団体・シャプラニールの駐在員をとして、近くの農村に住みこんだ青年と結婚。妊娠九ヶ月で帰国して、私の青春時代の10年をかけた夢は、いったん終了しました。帰国後、夫は大阪YMCAの国際理解講座などのプログラムを担当していましたが、知識も資格も中途半端なのを感じてか、大学院に進み、以後、アジアと開発をテーマに仕事を続けています。私はといえば、”一時”というつもりで、三人の子育てと大姑の介護に5年を過し、その後、京都市南区保健所にパートの保健婦として復帰。八年がすぎました。

 一昨年2月、突然「お宅は洛西ニュータウンの近くですね」と見ず知らずのシスターから電話を頂きました。きけば、ヴェトナムから10年前にボートピープルとして日本に来た娘さんが、今年高校を卒業して、ニュータウン内の歯科衛生士の学校をパスしたが、今だに住まいがみつからない。できたら下宿させてくれないかとのこと。突然のことで即答できず、2週間の猶予を頂いたが、その3日後に、ニュータウン内の知り合いから電話で同じ内容の依頼があった。歯科衛生士の学校は我家から歩いて七分。三人の子供達は、「お姉ちゃん?20才?いいんじゃない」というし、断る理由は一つもなく、当時、夫はインドに行って留守だったため、「とりあえず夏休みまでは」とお引き受けして結局、卒業する迄の2年間、ほぼ家族の一員として過ごしました。3年前から家の半分のスペースを、京都YWCAの洛西センターとして皆さんに解放しているのですが、彼女の卒業式の前夜、ここの常連の親子が集まって、”戦時下ヴェトナムの写真展と放談会&送別会”を開催。写真家と、ヴェトナム戦争兵役経験者のアメリカ人の友人も加わって、にぎやかな会となりました。彼女の生い立ち、戦後のヴェトナムを何故脱出してきたか、親と離れての脱出行、日本での生活、学校での経験など、語りながら思わず涙ぐむ彼女に、私達も思わずもらい泣きしながら、戦争のもとらす悲惨さと共に、真の平和を作り出すためには、この日本自体が生まれかわる必要を、しみじみ感じたひとときでした。
 彼女は今、神奈川県に住むおばさんの家にすみ、病院の歯科衛生士として自立の一歩を踏み出しました。

*JOCS=日本キリスト教海外医療協力会の略称。アジアの国々に対する戦争責任から発展して、現在は”分かち合い、支え合い”をキーワードに、35年間医療従事者を送り続けているエキュメニカルなNGO。

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宣教司牧評議会報告

 (6月10〜11日)

 前会期3年間の主な取り組みは、教区が「よりよき福音宣教共同体となるために」(適正配置)という問題でした。この問題をより深く考えるために「アンケート調査」を行い、この調査について司教からの諮問を受け、その分析と解説書の作成を行いました。この作業が一段落し、司教からの評議員の新しい任命を受け(任期3年間)、新メンバーで宣教司牧評議会がスタートすることになりました。

***議事***

1)定例報告
@資料委員会Aアジア交流委員会
B平和への歩みC青年センター

2)補助金審査委員の選出
  任期切れにともない、5名の方々に新しくお願いしました。
  
3)分かち合い
  前回の臨時宣教司牧評議会での分かち合いを引き継いで、今回も教会の現状についての分かち合いが行われました。
 4つのグループに分かれて行われ、テーマは各グループに一任されました。主な意見は以下の通りです。

●若者の教会離れについて

*世代により盛り上がりの波があるが、次の世代を育成することが大切。また、青年層に教会内で役割を持たせ、信徒・司祭がこぞって協力する。(小教区内、小教区を越えた活動の場の提供)
*何かの目的のために集まることの前に、原点としての信仰にまず戻る必要がある。
*信仰と日常生活、地域・職場と教会との隔たりを感じている。
*青年センターの活動内容、必要性についてあまり知られていないようである。
*いじめ、育児などの相談室や、育児に追われる若い夫婦の会を設置すればどうか。
*ミサを楽しく祝うためにミサの意味を学ぶ会を設置し、若者が喜んで集まるようなミサの形式を考える。
*子供に「ミサに行け」と言っても説得するのは難しく、親として手つかずの状態もある。
*青年の信仰教育だけでなく、親の再教育も必要ではないか。
*青年の教会離れを検討するプロジェクトを設定する必要がある。

●共同宣教司牧・司祭と信徒の関係、共同体について

*共同宣教司牧実施に当たり、信徒側への説明が不十分だったのではないか。
*司祭の減少という理由だけではなく、初代教会を模範とした信仰の原点の見直し、信徒の協力体制作りが、共同宣教司牧には必要ではないか。
*「司祭が宣教する」のではなく、信徒一人一人が福音宣教者とならねばならない。
*司祭、信徒がともに歩む時期に来ている。コミュニケーションを大切にしながら、信徒と司祭の協力の在り方、具体的な役割分担を考える必要がある。
*「暖かい教会」を作ることから宣教活動へと歩むことが大切。
*教会は心のよりどころであってほしいが、忙しい場になっている。教会共同体がどんな場になっているのか、ふりかえることが必要である。
*教会共同体が、転入する人たちの本当の受け皿となり、共同体内で、信頼関係を持ち続けているのだろうか。
*共同体作りは一人一人の地道な関わりと努力が必要である。

●京都教区アンケート解説書の活用について

*小教区、各活動のリーダー的立場にある人たちが、その内容をまず理解しないと、浸透をはかることが難しいのではないか。
*解説書の内容全体ではなく、まずその小教区、団体が必要としている事柄を取り上げたほうが、理解しやすいのではないか。

●信仰の原点の見直し

*一生の課題として、信仰の喜びを見つけることが大切であろう。
*黙想、観想は、現代において大切であるが、個人での霊性の向上は難しい。共に祈る共同体が必要である。
*教会の活動は、どこからその力を得るのかを振りかえる必要がある。

●教区内訪問団の提案

*司教に小教区の現状を見ていただく機会をつくってもらいたい。


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「開かれた教会づくり」の流れのなかで(つづき)

 *裁く共同体から

 「裁く共同体ではなく、特に弱い立場に置かれている人々を温かく受け入れる共同体に成長したいと思います。」(『ともに喜びをもって生きよう』より)

*掟や教義を中心にしたとらえ方から

 「信仰を、掟や教義を中心としたとらえ方から、『生きること、しかもともに喜びをもって生きること』を中心にしたとらえ方に転換したいと思います。以上のような姿勢の転換によって、現代の日本の社会で、人々の苦しみを、個人としても、共同体としても敏感に受けとめ、それらの根源となっている問題解決のために取り組みましょう。」(『ともに喜びをもって生きよう』より)

3.『ともに歩む教会』へ

*信徒、司祭、修道者、司教がともに歩む教会

 「福音宣教推進の目的のもとに、開かれた教会づくりを課題として、信徒、司祭、司教、修道者が一つのテーブルを囲み、互いの尊敬と信頼の中に心を開いて、体験を分かち合い、新しい光を求めました。それは、日本の教会の私たち一人ひとりにとって初めての体験であり、私たちは、そこにこれからの日本の教会の確かな希望を見いだしました。」(第一回全国会議、参加者「宣言」文より)
 「そのためには、信徒、司祭、修道者、司教が、それぞれに固有の役割を明確にしながら協力していかねばなりません。」(『ともに喜びをもって生きよう』より)
 「教会内(信徒、司祭、修道者、司教たち)の協力態勢を確立する。それぞれの役割と召命を明確にしながら、互いに分かち合い、対話、交流する。」(第一回全国会議答申「柱3提案4」より)
 「それぞれの役割をもって、互いに励まし合い、助け合い、そこに喜びを見いだしましょう。」(『ともに喜びをもって生きよう』より)

4.『分かち合う共同体』へ

 「私たちは、だれかがだれかを一方的に育てるのではなく、仲間同士互いに分かち合うことによって信仰が育つのだという確信にいたりました。」(第一回全国会議答申「柱3提案1」より)
 「日常の生活を営む中で、家庭人、職業人としても、キリスト者としても、問題や悩みが生じます。これからは、職場で、小教区で、家庭で、地域で、あるいは職能別に、世代別に『分かち合いの場を設ける』こと、あるいはさらに明確に『グループをつくる』ことが必要です。」(同上)
 「この務めを果たすにあたって、わたしたち一人ひとりの信者は、『共感・共有』ということを大切にしたいものです。わたしたちがイエス・キリストにならい、日々出会う人々、とくに弱い立場におかれている人々の苦しみや痛みに共感し、それを担い、それを信者の交わりのなかで、キリストの十字架とともに神にささげながら、言葉と生活によってキリストの生き方を宣言するとき、わたしたちは、愛のおきてを実行しているといえるでしょう。」(『家庭と宣教』より)
 「言葉による分かち合いにとどまらず、物や時間やお金などを含めて自分自身の痛みを伴う生き方を分かち合う、このような生き方が福音宣教の重要な柱として定着していくことが大切であり、さらに『福音宣教』と『分かち合い』との関係をより明確にしていくことが求められています。」(第二回全国会議答申「展望」より)
 「典礼を単なる義務の対象、遵守すべき儀式ではなく、いつも私たちとともにいてくださる神と交わり、ともに生きる喜びを体験し、分かつ場にしていかねばなりません。」(『ともに喜びをもって生きよう』より)

5.『社会とともに歩む教会』へ

*人々にキリストの喜びを伝える

 「私たちカトリック青年は、神の民の一員として、私たちに与えられたタレントを用い、『開かれた教会づくり』のため、皆さんとともに福音の光のもとに歩み、キリストの喜びを伝える者となります。」(第一回全国会議「青年代表宣言」文より)
 「人々の営みに積極的に誠実な関心を寄せ、そこに生きる人々の魂の飢えと渇きに共感し、特にさまぎまな状況の中で苦しみあえぐ人々と労苦を分かちながら、共に歩みたいと思います。さらに、アジアおよび全世界の、善意をもって働くすべての人々と手をつなぎ、人間の尊厳を守り、真の幸せを実現することに貢献できる教会を育てていくよう励みます。」(第一回全国会議、参加者「宣言」文より)

*弱い立頓にある人々とともにある教会

 「現在、社会的に弱い立場におかれている人々を受け入れる教会の態勢は不十分であり、また環境や社会構造にも働きかけることなしには根本的な解決にならないからです。」(第一回全国会議答申「柱1提案4」より)
 「差別や抑圧に苦しむ人々との具体的な交わりは、キリスト者および教会の成熟をもたらすものです。」(第一回全国会議答申「柱1提案2」より)
 「離婚者、再婚者(教会法上の重婚者)に対して、司牧や教会法などあらゆる面での対応を総合的に再検討し、福音の教えにかなった解決を見いだす。」(第一回全国会議答申「特別提案」より)
 「(いろいろな理由で)苦しむ人々を、裁いたり、疎外したり、なおざりにしたりせず、仲間としての分かち合いに積極的に迎え入れ、彼らとともに問題の解決を見いだす努力をすべきです。」(第一回全国会議答申「柱2提案1」より)

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京都市東九条特別養護老人ホーム<のぞみの園>開所

7月より、京都市が建設し、カトリック京都司教区カリタス会が運営する公設民営の、京都市東九条特別養護老人ホーム(のぞみの園)が開所しました。カトリックの教会が希望の家を通して地域へ奉仕してきた歴史が評価され、京都市から運営を委託され引き受けることになりました。特別養護老人ホーム「神の園」の副園長であった大和郡山教会の信徒・江口さんが施設長です。
 この施設の特色は、都市型老人ホームで、市営住宅(シルバーハウジング)を併設していることです。日本では全国でもまれな施設です。2階〜6階には、30戸の高齢者向け住宅、49戸の一般向け市営住宅があります。ここには、政令指定都市では5ヶ所にしかいないという生活指導員(ライフ・サポーター・アドバイザー)が配置されています。
 1階には、特別養護老人ホーム、老人デイサービスセンター、在宅介護支援センターがあります。

 特別養護老人ホームは、六十五才以上の高齢者で、身体上又は精神上著しい障害があるために常時介護を必要とし、かつ、居宅において生活できない方が対象で、50床あります。さらに、ショートステイのために6床あります。
TEL 075(662)3961

 老人デイサービスセンターは、在宅の寝たきり状態等にあるお年寄りに、日常生活を送るのに必要な訓練や入浴サービス等を行います。月曜日〜金曜日に、一日15人に対応します。利用回数は原則として週1回です。
TEL 075(662)3962

 在宅介護支援センターは、在宅の寝たきりや痴ほうの方々の介護に関する相談を、24時間体制で専門の職員等が対応します。
TEL 075(662)3971

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四日市サレジオ志願院開院

この4月にエスコラピオス四日市修道院の中に開設された、四日市サレジオ志願院通信「四日市だより」2号の記事より抜粋掲載します。

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  開院式
      高一 T・I
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 6月10日、土曜日、僕らの四日市サレジオ志願院は、開院式によって新たなスタートを切ることになりました。ミサ後のパーティーでは田中司教様のあいさつや溝部院長のお話しを聞きました。このお話しで僕ら志願生を“たった五人かそれとも五人もか”との僕らの初めての印象をどうとらえるかをお話しになりました。この時、僕は今まで自分たちを小人数のたった五人だけに強調しまいがちであったことに気付きました。でも、僕ら五人の存在がどれだけ大切にされているのか、そして神様がついていらっしゃることを深く悟ることができました。
 僕らはすばらしい基にならなっくてはならない。それは自分たちがこの志願院最初の存在であるからなのだと思いました。

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  祈り
      高一 T・B
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 考えてみると、この四日市サレジオ志願院に来て、多くの祈りをしています。こういった祈りをしていて、いやだなと思ったことはありません。むしろ、祈りをしたいという気持ちが多いのかもしれません。僕がそう思うのは、祈りをすることによって毎日の生活が楽しくなっているからかも知れません。しかし、これからの生活は楽しいことばかりではありません。苦しいことやきついことがあります、その時には祈りが支えになると確信しています。

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  勉強について
      中一 M・I
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 僕がここに来てから今まできつかったことは起床と勉強です。勉強の仕方は、ひとつの部屋に全員が集まって、同じ時間に勉強し、一人スタッフの神父様か先生がつきます。だからここでは、“寝る”や“なまける”などの悪いことはできません(寝るは例外もあります?)。それに決められた時間内に勉強を終わらせておかないと、貴重な睡眠時間を減らしてガンバラなくてはいけなくなります。だから、日頃の勉強はおこたることができません。

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  遊びなど
   中一 A・T・A
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 毎日のように、スポーツの時間にはサッカーをします。とはいっても、あんな大人数でやるようなものではなく、輪を作って適当に次から次へパスをするゲームなどや、一人オニを決めそのオニにボールをとられないようにパスするゲーム、また近くにある河原にいって、「P・K」やパス練習、来ている人数を二つに割ってチームを組んで試合のようなものをしています。

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  食事と掃除
      高一 K・T
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 掃除は朝食を食べた後にします。つきに一回掃除場所を決めてその区域を掃除します。掃除は主にトイレ、風呂、聖堂、ゴミ捨てなどをします。特に風呂とトイレはとてもきついけど一生懸命がんばって掃除します。
 前田さんが住み込みで食事の世話を、島田さんがパートで洗濯と掃除をしてくださってます。

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教会離れ(?)の若い人、「ただ何となく」でもいいから、教会へ行こうヨ。

 最近、若い人の教会離れということをよく耳にします。実際、若い人がいない教会というよりも来ない教会が多いように思います。そういった中で、教会へ毎週行っている人や、何らかの活動に参加している若い人達で、「自分はどうして日曜日に教会へ行っているのだろうか」ということについて語り合いました。
 日曜日に教会へ行く理由は様々で、「ミサを受けるために」というよりも、「子どもの頃からの習慣で、日曜日は教会へ行くもの」という幼児洗礼の人の独特のこたえや、「教会へ行けば、誰かに会えるから」という、人と会って話などをすることが目的という人などが多くいました。また、「週に一度ミサに行ってお祈りするため」という人もいました。
 このように様々な理由がでましたが、別にどういった理由で教会へ行ってもいいと思います。ただ何となくであっても、友達と話がしたいからであっても、教会へ行っていることに変わりないのです。そうやって教会へ行くことによって、神様を感じることもできるし、神様について考えることもできると思います。
 教会は祈るための場所だといわれますが、祈るためだけの場所ではないと思います。だけど、教会へ行っている理由が「祈り」じゃなくても、結局は神様のもとに集まって来ているということに変わりがないのだから、祈りということが理由の中に全くないわけではないと思います。
 だから、「ただ何となく」であっても教会へ行こうと思う気持ちの中には、「神様」ということが含まれているのではないでしょうか。(西舞鶴教会 C・M)

 

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