1996/8 No.225

京都教区時報8月号

・安土セミナリヨと三木パウロ

・近くて遠い隣国で

・知ってますか?丹波マンガン記念館

・『司教の小数区訪問』趣意書

・教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的書簡・紀元2000年の到来」要旨

・あんてな



安土セミナリヨと三木パウロ

 1580年5月オルガンチノ神父が信長から土地を下付されて開校したセミナリヨ(神学校)は、日本近代教育の幕あけにふさわしい充実した教育内容と、三階建の豪華壮麗な大建築とで、遠く諸外国にも知られていた。

このセミナリヨもやがて本能寺の変に続く動乱のために焼失し、安土にあったのは僅か2ヵ年余に過ぎなかったが、その間日本の精神的指導者となるべき幾多の優秀な人材が育成された。

阿波の士族三木半太夫の子、三木パウロもその一人である。彼は1564年頃生まれ、幼少時に受洗、セミナリヨ卒業後1586年イエズス会に入り、布教活動に献身した。しかし1596年12月秀吉のキリシタン弾圧にともなって大阪で逮捕され、翌年1月他の25名の信者とともに陸路九州へ護送されて、2月5日長崎西坂の丘で殉教した。

1962年法王ピオ9世は彼ら26人の遺徳を讃えて全員を聖人の位にあげた。
(「安土セミナリヨと三木パウロ」の碑より転載)

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近くて遠い隣国で

聖母カテキスタ会 井村浩子

 近くて遠い国と言われることの多い大韓民国の首都ソウルに住んで13年が経ちました。街を歩いている人の顔を見ると、日本人なのか区別がつきません。それほど外見は似ていますが、文化・習慣・考え方・礼儀等はやはり外国です。

 私は韓国について、また日韓関係について、何も知らないままこちらに来ました。その後いろんな機会に、見たり聞いたりして、少しずつ分かるようになりました。
 タクシーの運転手さんから聞いた話のいくつかを紹介しましょう。

●韓国語を使うと罰された


 ある時は、自分の父親は日本からの独立を目指し、独立運動をしていた。捕まって拷問を受けたり、逃亡生活をしたりで結婚が遅れ、自分は長男だが、父親が五十歳近い時の子供だという話を聞きました。

 また、日帝時代の小学校で、禁じられていた韓国語を使ったのが見つかり、罰として一週間掃除当番をさせられた等、あまり良い話を聞かなかった頃、一人の運転手さんが、ホッとする話をしてくれました。自分達が小学校四年の時、日本が戦争に負け、韓国が自由になったが、その後出会った先生も含め、一番心に残っているのは、二年の時担任だった日本人の先生だ。本当に優しくて良い先生だったとのことです。このような良い思い出を残された先生も居ました。

●何をしたのか知る必要がある


 最近乗ったタクシーは、日本で6年間働いたという運転手さんでした。彼は、日本人は働き者で、正直で、約束を守る等とほめてくれましたが、なんとなく居心地の悪い思いでした。日本が韓国を植民地にした当時、強国が弱国を自分達のものにするのが、世界の動きだったのだから、強い日本が弱い韓国を支配するようになったのはしょうがない。もし韓国が強い立場にあったら、反対に日本を植民地にしていただろう。だから自分達はそれを認めなければならない。また、支配を受けた自分達は、日本から何をされたかよく知っている。日本人も我々に何をしたのか、知る必要があるのではないか、というのが彼の意見でした。
 私もそう思うと返事をしましたが、あまりにも知らないこと、気付かないまま過ごしていることが多いのではないかと反省しました。

●ハルモニ達の抗議


 その一つとして、元従軍慰安婦の問題があります。今はハルモニ(おばあさん)となられた方達が、毎水曜日の正午に日本大使館の前に集まり、抗議デモを行っています。
 「従軍慰安婦の為の民間基金による慰労金」とか、「女性の為のアジア平和国民基金からの見舞金」などのニュースが入ったりしますが、ハルモニ達の望んでいるのは、正式の謝罪や賠償金、又は補償金であって、慰労金や見舞金ではありません。
 最近はカトリック・プロテスタント・仏教・女性団体等が抗議デモに協力しており、昨年の12月からは修道会も行動を共にするようになりました。また大使館前だけだったデモも、今は抗議の後約1キロ程の道を、「民間基金反対」、「日本政府は正式に謝罪しろ」等と叫びながら行進しています。先日のデモでは、100人近い参加者の中で、修道服姿のシスター達が目を引いていました。
 関西空港からソウルまで、飛行機で一時間と少しの、本当に近い隣国なのです。
 2002年のサッカー・ワールド・カップ大会が、日韓共同開催と決まった今、独立運動家を父に持つ運転手さんの言葉が思い出されます。それは、「過去にはいろんなことがあった。しかし、それにいつまでもこだわっているようでは発展がない。助け合える隣国となるため、お互い努力しなければ!!」

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知ってますか?丹波マンガン記念館

小山教会青年 N・S

 緑が豊かで、吹いてくる風も爽やか…京都にこんな記念館があるとは知らなかった。『丹波マンガン記念館』最初は一体どのような所でどんな記念館なのだろうかと思ったが、到着してみると、山の緑に囲まれた、のどかで落ちついた感じの記念館。車でも気軽に行けるので、休日に家族ぐるみで行けるし、学校・教会等の遠足・ハイキングなどで行っても面白いと思う。

●マンガンとは


 「マンガン」というのは鉱石のことで、広く知られているように「マンガン電池」とか、ビールやジュースの「アルミ缶」にも塗られてたり、鉄とマンガンを混ぜると良質の鉄鋼ができ、戦中戦後軍需産業に多く利用された。丹波マンガンは、約2億年前に海底に沈澱し、地形の変動により地表に現れ、現在の鉱山になった。丹波には、最盛期には約300ヶ所にも及ぶ鉱山があった。そのなかでも、当鉱山は丹波随一の鉱山だったそうだ。

●採掘の様子


 丹波マンガン記念館では、当時の坑内がそのままの形で残っていて、当時の採掘現場、採掘の様子、どのようにしてマンガン鉱を探しあて、どのように採掘していたかを肌で感じることができる。坑内は、全長300メートル、所要時間は20〜30分、坑内の温度は、年中不変で10〜12度程度で、私が行った時は、とても暑い日だったが、坑内は天然のクーラーといった感じで、とても快適に見学することができた。坑内には随所にマネキンの人形が当時の採掘風景を演じていて、リアル感を与えてくれる。その他にも「飯場」、「ベタ車」など、当時の鉱山の様子をよりいっそう私達に感じさせてくれる。また、記念館内では、マンガン採掘に携わった人々の写真、採掘の際、実際に使われた道具類、北海道から沖縄までの、様々な地方から集められたマンガン標本が展示されている。

●危険で苛酷な仕事


 私が訪れた時は、記念館の方が、坑内から記念館まで丁寧に説明して下さり、当時のマンガン鉱、採掘の様子などとてもよく理解することができた。また説明の中で、マンガン採掘という危険で苛酷な仕事には、在日朝鮮人の方々や、被差別部落の方々が多く携わり、毎日とても厳しい生活を強いられていたこと、また岩を発破するときに多量の粉塵を吸ったことにより塵肺になり、それが職業病として正しく認められるようになるまでに長い年月がかかったことなどを話して下さった。この丹波マンガン記念館は、私費経営の困難をのりこえて、今まで歩んできた歴史を世間に伝えようとしている。皆様もぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。

 観覧時間は、午前10時半〜午後5時まで。休館日は、毎週火曜日。冬期休館が12月15〜2月28日まで。入坑料金、大人(一般)800円、学生(小・中学生)500円、小人(3歳以上)300円。なお、30人以上の場合100円引き。無料駐車場アリ。乗用車で約100台。大型バス通行可。
 交通は、JRバス京都鶴ケ岡線下中駅下車東へ徒歩10分。自動車・国道162号線下中交差点を東へ。
問合せ
TEL0771(54)0046
FAX0771(54)0234


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『司教の小数区訪問』趣意書

 京都教区司教 ライムンド田中健一

 6月15日〜16日に開かれました京都教区宣教司牧評議会において、司教の小教区訪問の実施方法が決定し、田中司教より6月17日付けで趣意書が発表されましたのでここに紹介致します。

 二十一世紀を目前にして、第二バチカン公会議の精神を生きる私たちは、全世界の教会と心を合わせて、その節目を祝う準備をしています。
 京都教区でも、各小教区がよりよい福音宣教共同体となるための取組みや、教区内の組織の見直しなどをすすめています。
 今秋11月に行われる「日本二十六聖人殉教四百年祭in京都」においては、二十一世紀の福音宣教に向かって、新たにスタートいたします。
 このたび、京都教区宣教司牧評態会で、「司教の小数区訪問」の提案がなされました。
 従来から、堅信式やその他の機会に小数区を訪問して参りましたが、今後、私の都合のつく範囲で、皆様ともっと自由な雰囲気で出会う機会を持ちたいと考えております。
 しかし、小教区訪問と言いましても、全小教区を短期間で訪問することは物理的にも不可能です。従って、いくつかの小数区合同という形で訪問するとか、その他いろいろな機会を利用させていただきたく思います。
 できますならば、今年の10月ごろから、少しずつ訪問を始めたいと計画しています。
 皆様方のご理解とご協力をよろしくお願いいたします。

    ***記***
一、目的
 紀元二千年を迎えるに当たって、教区長と信徒の自由な雰囲気の交わりの場をつくる。

二、内容
 話合いの内容は特定しない(以下のポイントを参考にしていただいても良い)。
1、小教区共同体やグループが「よりよい宣教共同体」になるために。
・二千年を迎えるに当たって、どんな準備をしていくか。
・一人一人、また共同体の特徴やタレントをどのように発揮していくか。
・いろいろな困難を、どのように乗り越える事ができるか。
2、これからの教会をどのように考えていくか。
・将来、どんな教会になればいいか。
・何を大切にこれから歩んでいくか。
3、司祭や修道者の召し出しの増加は、どうすれぼ可能か。
・家庭の中での信仰のありかたをどう考えるか。(NICE2との関連で)
4、「日々新たになる」ことを望まれる神のお望みを、どのようにとらえるか。
・自分自身の信仰のあり方をどのように見直すか。(NICE1との関連)
・福音宣教に向けて、自分のタレントをどのように活かしていくか。
5、その他
・「(司牧評1991年)アンケート解説書」や「二〇XX年」(1994年11月の教区時報に掲載)なども話合いの材料にすることもできます。

三、形式
 各地方や各小数区の現状に合わせて自由に計画することができます。
 例えば……
・一つのテーマについて司教と信徒が話し合う
・「井戸端会議」のように、気楽に司教と信徒が分かち合う
・平日の夜に有志が集まって司教と交わる
*小教区訪問の進行については、各小数区におまかせします。

四、計画の進め方
 各小数区からの申し込みがあった時点で、計画を始めます。
 希望する小数区は、日・時・形式を決め、申し込み書をあらかじめ宣教司牧評議会事務局(在、教区事務所)に提出します。

五、説明会
 この『司教の小数区訪問』について、各地区のカトリック協議会でも、説明させていただきます。

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教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的書簡・紀元2000年の到来」要旨

一、紀元2000年の聖年の意味
 旧約の律法のヨベルの年(50年目の安息、自由、解放の年)を教会でも取り入れ、1300年から聖年として制定された。キリスト誕生2000年にこのゆるしと和解、回心の年を全人類にとっても意味のあるものとして祝う。

二、大聖年の準備と祝典
 教皇の勧め=反省、回心、祈りと学びによる準備
 すでに第二バチカン公会議で準備されてきた=新しい福音宣教
→最良の準備は公会議の教えを個人と教会の生活に適用すること

◆第一段階(1994〜1996年)


普遍教会における反省と行動の時
主旨・
1、事前準備
2、2000年大聖年の意味を理解する
内容・大聖年準備特別委員会による推進
強調点・悔い改めと和解
反省点・
1、教会の分裂、不一致
2、教会の不寛容、暴力の黙認
3、現代の影(宗教的無関心、生命の軽視、倫理面での混乱など)
*殉教者のあかしに支えられながら歩む

◆第二段階(1997〜1999年)


三位一体に向けられた準備
▼第1年(1997年)
キリストを中心とした準備の年
強調点・回心、祈り、連帯
方法・キリストの教えを学ぶ
1、ルカ4章を深める=福音宣教者であるキリスト
2、聖母マリアの役割を知る
3、キリストヘの信仰
4、洗礼への理解と刷新

▼第2年(1998年)
聖霊を中心とした準備の年
強調点・教会が一致の霊である聖霊の導きに身をゆだねる
方法・公会議、特に教会憲章を学ぶ
聖霊の理解のために・
1、聖霊の働きを理解し、刷新する。堅信や秘跡に働く聖霊への理解。
2、福音宣教の中心は聖霊である。
3、希望の価値を再認識する。
4、希望のしるし
イ、一般社会における希望のしるし(和解、平和と正義への欲求など)
ロ、教会の希望のしるし(信徒の役割の評価、教会一致の姿勢な
めざして
ど)

▼第3年(1999年)
父である神を中心にした準備の年
強調点・
1、神と隣人への愛と実桟
2、貧しい人、社会から見捨てられた人とのかかわり
3、世界の正義と平和への関与
4、ゆるしの秘跡の再認識;神のもとに帰る
方法・
1、世俗主義への挑戦;文明の危機を愛によって乗り越える
2、宗教間の対話
イ、ユダヤ教、イスラム教との歴史的な会合の開催
口、他の世界宗教の指導者との会合の開催
ハ、宗教の混合などの誤解を招かないよう注意が必要

◆祝典への取り組み(2000年)
・各地での大聖年の祝典=神に栄光を帰するため
・ローマでの国際聖年大会

三、おわりに
イエスと共にたえず歩みつづける

紀元2000年をめざして5ヶ年計画を作りましょう

 6月号で掲載しました呼び掛けに従って、すでに各地区、各小教区、各団体で、「二十一世紀の福音宣教に向かって」という内容で話し合いが進められていることと思います。
 しかし、一方でどのように進めたらいいかわからないという方もおられます。そこで、司教協議会大聖年準備特別委員会の作成したパンフレットのまとめを掲載致します。
 これを参考にしながら、自分たちで取り組めそうな5ヶ年計画を作成しましょう。司祭評議会への提出期限は9月末です。

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若者達よ!いざ、埼玉へ!

 ジャパン・ユース・デイ(以下JYD)という言葉を、一度は耳にされたかと思います。初めて聞いたという方も、ぜひ、興味を持って、読んでください。
 JYDとは、今年の九月に埼玉で開かれる『カトリック全国青年のつどい』です。東京教区の青年が今回は中心となり、また、東京以外の各地の青年達も、この大きなイベントを成功させるために、がんばっています。
 JYDの合言葉は、『出会い』です。様々なところからやってきた、様々な人達が、その様々なかたちのまま出会うことで、つながっていけることをJYDは、助けてくれるのです。全国の若者たちが、一つの所に集まる。でもみんなを一つの方向へと引っ張っていこうとしないのがJYDの特徴なのです。私たちは、様々なままで出会い、それぞれの形を尊重した上で、つながってゆけるのです。
 また、JYDクラブというかたちをとって、日頃からの青年たちの活動を大切にしています。JYDクラブとは、全国の青年たちのいろいろな活動をクラブとして、JYDの事務局に登録します。登録されたクラブは、お互い情報交換でき、それぞれの活動内容を、他の青年たちにアピールすることができるのです。
 京都教区もこの、JYDクラブに三つのクラブを登録しました。歴史観光サークル”スヌーピー”、テニスクラブ”WOODSTOCK TENNIS CLUB”そして、お風呂クラブです。歴史観光のクラブは、全国にメンバーを広げ、それぞれの土地の歴史や、観光ガイドには載っていないスポットを、情報交換できるようなクラブを目指しています。テニスクラブは、初心者、経験者関係なく楽しくテニスできるクラブです。そして、お風呂クラブは、全国の銭湯や、温泉を入り歩くという『湯に行く』なクラブです。(担当司祭は、もちろん!)
 今、これらのクラブのメンバーも募集中です。日々の活動を通して、交流を深め、そして9月のJYDにみんなで参加しましょう。

(JYD京都E.O)

 

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