1997/8 No.237

京都教区時報8月号

・どうかゆるし合ってください、そして平和を手にしてください

・パウロ大塚喜直司教叙階式

・日本二十六聖人を賛えるオラトリオ

・心の交流ーカリタス・プリモリエの訪問看護プロジェクトに参加して

・あんてな

・'97ファミリーデーin奈良



どうかゆるし合ってください、そして平和を手にしてください

  

 まず第一に、平和を求める心からの願いこそが、平和を妨げるあらゆる障害を取り除くという、断固とした決意とならなければなりません。この点で、さまざまな宗教が過去にしばしば行ってきたように、戦争への反対を表明し、その結果として起こる危険にも勇敢に直面していくことによって、重要な貢献をすることができます。

 同様に、この件について、政府と国際共同体の任務も、必要不可欠なものであることに変わりはありません。政治の不確実性に耐え得るしっかりとした組織の確立を通して、平和の構築に貢献するのは、政府や国際共同体なのです。たとえば国連は近年、その創設の理念に忠実に従い、平和の維持および回復のために、これまで以上に広範囲な責任を取るようになってきています。

 ゆるしは、決して真理の探究を妨げることなく、実際に真理を必要としています。犯された悪は悪として認識されなければならず、可能な限り正されなければなりません。


(教皇ヨハネ・パウロ二世、今年の世界平和の日メッセージより)

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パウロ大塚喜直司教叙階式

6月15日、洛星中学・高等学校講堂にて、パウロ大塚喜直司教の叙階式がありました。当日の大塚新司教と田中司教のあいさつ、青年たちの歓迎のことばを掲載します。

大塚新司教のあいさつ

 京都教区の信徒の皆さん、今日この会場に参列出来なかった多くの信徒の皆さん、そして、日本中で私のために今日祈って下さっているすべての方々に感謝の言葉を述べます。ありがとうございました。
 私は田中司教様の後を継いで、京都教区の教区長としての任務を神様の導きと助けによってはたして参ります。今この叙階を受けて新しい司教職の一歩を踏み出すにあたり、準備のために黙想した聖書の言葉を私の今の気持ちとしたいと思います。それは、ヨハネの福音書の4章に、イエズス様がサマリアの女の人と話した後で、弟子達にこうおっしゃいました。まだ刈り入れには四カ月もあるのに、イエズス様は弟子達に、もう畑は刈り入れを待って黄ばんでいるとある畑をさしておっしゃいました。「目をあげて畑を見なさい。ことわざの通り、一人は種を蒔き、一人は刈り取る」。イエズス様は弟子達に「あなたがたが自分で苦労しなかったものを刈り取らせるために、私はあなたがたを遣わすのだ」とおっしゃいました。苦労したのは他の人々であり、あなたがたは彼らの苦労の成果を受け継いでいる。

 今年は日本二十六聖人四百年祭を祝い、この日本の地に信仰の種が蒔かれ、そして、この聖人達、先輩達の蒔かれた種を、私達は今その実りとして受け、又、京都教区としては明治以来の宣教の中で、多くの修道士や宣教師の皆さん、又、教区になってからは、パトリック・バーン初代教区長様、故パウロ古屋義之司教様、そして田中司教様が蒔かれた種も、私は私の司教職の間に刈り取らせてもらうのかも知れません。しかし又、次ぎの世代のために、皆さんと一緒に福音の種を蒔きたいと思います。本当に種を蒔かれる神様のその協力者として、共に二千年を迎える教会の中で、この務めを果たしていきたいと思います。どうぞ未熟な私ですが、皆さんのお祈りに支えられて、この尊い務めを果たすことができるようにお願いし、今日のご挨拶と致します。本当にありがとうございました。

田中司教のあいさつ

 今日はカトリック京都司教区にとって喜びと、恵みの時であると思います。今日は私に代って、新しく実行力のある、若くて、聡明で、賢慮に富む、パウロ大塚喜直司教様が誕生して、この教区をリードして下さることになりました。とても私からは、おめでとうございますとは言いにくいですが、ごくろうさまという気持ちで一杯であります。
 私の過去二十年を振り返りますと、なにも知らないよそ者が、京の都にのぼって参りまして、小教区、修道院、学校、施設等約二百近くを訪問するだけで、一年半かかりました。でも、教区民の皆様がいつも私を暖かく受け入れて下さり、理解、協力、支援を賜わりましたことを、心から感謝したいと思います。
 心に残る思い出としては、教区ビジョン作り、第一回福音宣教推進全国会議、俗に言うNICE1、小さなことでは、お墓の整理や、キリシタン史の研究・推進、大きいことでは、諸宗教との交流・協力・対話などを思い起こします。
 新司教様はそのモットーに、「みながひとつになるように」という聖句を選ばれました。主の隅の親石として、みなが愛し合い、学び合い、刷新されて、一致協力した福音宣教共同体を築いていかれることを心より祈念しております。
 私もまだ足腰が立つように思いますので、新司教様のおじゃまにならない範囲で、前京都司教としてできることはお手伝いを致したく思っております。
 司教様方、司祭・修道者・信徒の皆様、本当にありがとうございました。

青年たちの歓迎のことば
唐崎教会 M・S
西院教会 A・W
河原町教会 Y・S

 大塚司教様、司教叙階おめでとうございます。今日私達は京都教区からの各地区、三重県、奈良県、滋賀県、そして京都府から一つに集まりました。又、司祭様方も日本の各地区から集まって下さいました。今日のミサでは、国の違いや、年齢の違いなど、様々な違いを乗り越えて私達兄弟姉妹が集まり、心を一つにして祈ることができたと思います。
 この春高校を卒業した私達は、三人とも別々の道を歩んでいますが、いろんな機会に仲間達に会えることをとてもうれしく思います。司教様がお選びになった「みながひとつになるように」という言葉通り、司教様を中心に、私達が本当に一つになっていきたいと思います。そして、過去に縛られず、私達一人一人が本当に生かされ、お互いを大切にできる教会にしていきたいです。
 又、洗礼の恵みを私達が深く自覚し、喜びの知らせ、福音を、回りの人達や社会の中で、告げ知らせていきたいと思います。大塚司教様、これからよろしくお願いします。

   

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日本二十六聖人を賛えるオラトリオ

   去る5月5日、宇治教会、京都カトリック混声合唱団、小教区聖歌隊有志による、日本二十六聖人を賛えるオラトリオを河原町教会で上演致しました。約560名の皆様と共に殉教四百年をお祝いする事が出来ました。
 宇治教会はでは、毎年2月5日の殉教者の記念日に、7年前より聖人を偲び、私共の信仰生活をかえりみるいい機会として、オラトリオをやっています。これは宇治教会の信徒である坂本多恵子さんが作詞をし、韓国から京都韓国高校の音楽教師として派遣されて来られて、当時宇治教会の信徒であった明権植(ミョン・クオンシュク)先生が作曲して下さり、最初はミニオラトリオからはじめ、一年毎に充実させ、明先生が四年間滞日しておられる間に、「殉教」、「聖トマス小崎の手紙の歌」、「聖ペトロ・バプチスタの祈り」、「禁教令の布告」、「西坂への道」、「日本二十六聖殉教者」、「聖ルドビコ茨木の祈り」、「棄教した妻を想う祈り」、「聖ヨハネ草庵の祈り」、「聖パウロ三木の祈り」、「アヴェ・マリア」、「サン・フェリッペ号の歌」、「ハンセン氏病患者の歌」を作曲し、完成させて下さいました。
 当日会場では、聖人への祈りが一体となり、全員が感動の渦の中に吹き込まれました。宇治教会主任司祭ブライス西村神父は、50年前アメリカに於いて神学生の頃、はじめて聖人の話を耳にし感動したと挨拶され、自らバプチスタ神父役を毎年かって出ておられます。
 当日の二十六本の十字架は、大塚新司教様がアドバイスして下さり、宇治教会の数人の大工さんが、数日かかって作製して下さいました。十字架の聖人の名前は実行委員のSさんが一日がかりで書き込まれました。又、わらじは別注であんで頂きました。
 当日感想をお願いしたアンケートには、「ねむっていた信仰心がゆさぶり起される思いがいたしました」、「久しぶりに涙にむせびました」、「自分の信仰をかえりみる事が出来た」等の意見が多数寄せられました。
 宇治教会の出演者の感想は、「生きていて良かった」、「出演者の二十六人に向かって手をあわせて下さっていた人をみて、じーんと熱きものがこみ上げてきた」等でした。
 混声合唱団の方の感想は、「初めて音譜を渡され、練習しはじめたとき、感動して声が出なかった。当日は精一杯がんばりました」、「二十六人が十字架をもってゆっくり入場して来る姿をみてジーンときた。感動でした」、「歌った者が感動し、これ以上の事はないですね」等でした。
 このオラトリオを通して、四百年前の聖人の信仰がふつふつと湧き出て、私達の心をもえたたせる聖霊の導きがあった事に感謝いたします。そして、京の都から出発した聖人の跡をしのび、長崎の西坂刑場にて信仰の証しをされた日を想い、このオラトリオが少しでも信仰生活の小さな助けとなりましたならば望外の喜びでございます。
 尚、長崎の日本二十六聖人記念館への寄付金は45万円となりました。ご協力ありがとうございました。当日のビデオテープは一本千円です。申込は0774(21)2891宇治教会。

(文責 A・S)

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心の交流ーカリタス・プリモリエの訪問看護プロジェクトに参加して

 今年の6月号の6頁に、ソ連の老人事情をお知らせしました。今回はカリタス・プリモリエの訪問看護活動(一人暮らしで病気の老人を助ける活動)に参加しておられる看護士、ボランティアの感想文を紹介します。この感想文を話し合いの材料につかってみてください。(情報提供者・M・M)

とても辛い気持ちになります
    マジュキン・エブゲネー

 一人暮らしの年金生活者は殆どが障害を持っており、肢体の一部が麻痺している人、盲目の人、血栓性静脈炎などの病気にかかっている人です。これらの障害のために外出することが出来ないので、食料や薬品などの物質的援助だけでなく、話し相手になって精神的な支援をすることが必要なのです。しかし、このような心の交流の後で、私はしょんぼりするほどその人が気の毒になって、とても辛い気持ちになります。
 自分の年金でアパート代と電気代を支払ってしまえば、パンしか買えないわけですから、薬どころか、栄養価の充分な食料にもお金が足りないのです。だからこそ、カリタスの与える援助が是非とも必要なのです。
 この援助無しでは老人の暮らしは苦しくなり、生きながらえることさえ難しくなると思っています。

活動は理解されにくい
        ウソークユリア

 私は昨年9月からこの活動に参加しています。ここで働いているうちに、一人暮らしの年金生活者には、このようなボランティアが必要であると分かりました。
 児童教育手当(ロシアでは出産すると様々な形式で16歳になるまで手当が貰える)を政府から受け取ったのは、昨年8月が最後です。
 この人達が最も必要としている薬は値段が高すぎて手が出せなくなっており、薬局はソ連時代にはあった無料配布クーポン制度を中止してしまいました。こんな状況のなかで私たちの活動のような、無料で薬と食料を配るということは理解されにくく(なにか下心があるのではないかと疑う為)何度も老人のところに足を運び、話しをして、納得してもらわなければなりません。
 訪問看護で手渡される無料の薬は、とても強力にこの人達の助けになっています。

孤独はとてもおそろしい
     ポタペンコ・エレーナ

 一人暮らしのお年寄りの人達が必要としているのは、医療援助だけでなく、何よりも私達の心遣いと共感、この人達の問題に対する理解が大切です。私が訪問する時、ドアを開けていつでも笑顔で私を迎えいれてくれます。そして、「こんにちは」と挨拶をすると、ほどんどの人が目に涙を浮かべているのです。
 私にはよくわかります。この人達が孤独のためにとても苦しんでいること、友人が必要不可欠なことが。そばにいてくれる人なら誰でも。その人とおしゃべりをし、昔のことを思い出すことができて、あるいは今起きている問題に一緒に悩んでくれることを望んでいます。だって孤独はとてもおそろしいことだから。
 私はこのプログラムで働き始めたばかりだけれども、たくさんの孤独で不幸なお年寄りのそばで、何かしらの助けが出来ることを幸せに感じる自分に気づいています。私がこの人達のところへ行けば行くほど、私はこの人達の方へ強く引っ張られるのです。この人達のところで良いことが起きれば、そのとき私の心にも良いことと喜びがあるのです。

薬より、優しい言葉
       コレマギンポリス

 医学部学生の私にっとては、カリタスでの仕事は、医療活動に慣れる実践になります。ここでの私の患者達は自分達のことや身の上を案じてくれる人がいることを喜んでいます。様々な薬より、優しい言葉で治療する方がずっと効果的なのです。
 老人にとって、他の人との交流は気持ちを好転させるようです。現在のロシアは老人と病人には辛い状況だから。

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LOOK AT ME in 奈良に参加して

 6月21日、22日とLOOK AT MEを楽しませていただいて、本当によかったです。
 私達兄弟も、運営委員会に何回か参加できて、お陰で、京都の皆様とも、とても仲良くなれて嬉しい限りです。
 22日のコンサートでは、みんなノリにノッていて、しかも、汗にまみれて脂ギッシュだったので、少しひるみましたが、負けじと、のってのってのりまくってやりました。暑かった…。
 数年前までは、他の教会と、そんなに交流がなかった津教会だけど、今では、こんなにさかんに交流できて、なんて素敵なの!?と言いたい感じなのです。今の私は。
 ところで、21日会場へ到着したとき、「せんだ・みつお・ナハナハゲーム(本当の名前は定かではない。byむじんくん)」をして、もりあがっていました。それから「007ゲーム」とか「パーマなんとか」とか「社長・部長・課長ゲーム」とかに広がり、かなり楽しませてもらって…。学校で流行らせようと思っています。コンセプトは「静かなブーム」。
 そんな感じの2日間でしたが、教会同士の交流ってスバラシイ!!と、ますます感じちゃったりなんかして。神様のお導きというやつでしょうか。
LOOK AT ME第3回も、またできたら嬉しいな、と。そしたら、ソロで西城秀樹のヤングマンを歌ってもりあがらせたい…(もり下がる可能性大)。
 中学生会の夏合宿も津に決定したそうで、ますます交流が深まって、いいなあ…。わーい、地元だ地元。冬合宿では、始めはなじめなさそうで不安だったけど、みんな気さくでよかった。夏合宿では、「この子って、こんなコやったん?」と、思われるほど、ハジけてみたいですね。うふふ。

(津教会 M・A)

 

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'97ファミリーデーin奈良

 6月1日(日)、高の原・カトリック野外礼拝センターで、司祭、修道者、信徒の交流と親睦を目的に「ファミリーデー」と名付けた行事を実施しました。主催は奈良カトリック協議会です。
 昨年は、「O157」の影響で会場の礼拝センターが利用できなくなったため、中止しましたが、1995年までは「マリスト・ファミリーデー」の名称で続いており、今回からはより広い交流の場となることを願って「ファミリーデー」と改称しました。
 会場に近い、二、三の京都県下の教会にも案内のポスターなどを送り、また、滞日外国人の方々の参加を願って、英語、スペイン話の案内ポスターも作成しました。今、わたしたちのまわりには、日本人カトリック信者よりも多くの滞日外国人カトリック信者が住んでいると考えられるからです。
 当日は、天候に恵まれて約300人ほどの方々の参加があり、ミサ会場はその熱気で汗ばむほどとなりました。会場に隣接する特別養護老人ホーム「サンタマリア」からも信者のお年寄りの方の参加もありました。
 ミサ後は、親睦のための交流会(パーティー)が続きました。焼き肉の七輪から立ち上る煙を囲んで談笑、生ビールのコップを片手に情報交換、焼きそばを待つ行列のなかでの自己紹介など、普段合うことが出来ない同士が気軽に話し合い、分かち合うことができたと思います。小さい子ども達のゲームコーナーもありました。
 来年はもっと多くの方が参加され、さまざまな人の輪が広がることを願っております。

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