1997/9No.238

京都教区時報9月号

・祈り

・京都北部カトリック協議会大会

・二十一世紀の福音宣教に向かって・奈良教会のとり組

・あなたは神の子

・シンシアさん、スザンナさんを日本にお招きして

・あんてな

・一日巡礼〜大和郡山教会と雲幻寺〜



祈り

テレーズよ
 何を見つめているのですか
 永遠なる神の愛を


テレーズよ
 何を思っているのですか
テレーズよ
 何を感じているのですか
 憐れみにあふれる神の愛を


テレーズよ
 何を祈っているのですか
 神のみ旨が行われることを
テレーズよ
 何をしているのですか
 神の愛に己を委ねきること


テレーズよ
 あなたの手に何を結んでいるのですか
 神への祈りと愛を結んでおります


(帰天百周年によせて)

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京都北部カトリック協議会大会

去る6月8日(日)、カトリック協議会に組織変更されて初めての大会が開催された。当日は、京都北部の11の教会から、司祭、修道者、施設関係者、信徒約240名が参集し、暁星女子高等学校(宮津市)を会場に、午前の合同ミサ、講話、午後の「分かち合い」と小教区を越えた出会いの喜びと、霊的な高まりの中に、二千年を迎える準備として充実した内容の大会であった。
 協議会の助言司祭であるロジェ神父の講話「イエスとの出会い」は、ルカ福音書のザアカイとイエスとの出会いから始まり、過去35年間の福音宣教の中で、神父様と出会った人達が、どのようにしてイエスと出会って行ったかを、具体的な実例をもってお話になった。講話後のアンケート、100通近い中に……「一層、御父を身近に感じた。」「現在に一番ふさわしい信仰を悟らされた。」等、参加者一同が深い感銘の中に、福音宣教に大きな活力を受けた講話であった。
 午後は、協議会発足の経過と意義、京都北部の小教区の福音宣教の現状と今後の課題等を会長より問題提起し、司祭、修道者、信徒を交えた分科会で「分かち合い」を行った。(会長 T・I)

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二十一世紀の福音宣教に向かって・奈良教会のとり組

   

昨年秋、二十一世紀の福音宣教に向かって五ヶ年計画を作成しました。
 奈良教会での1996年のテーマは“二十六聖人に学ぶ”でした。実行したこととして
(1)10月13日、当教会信徒でキリシタン研究をされている藤井貞次氏の講演を聞き、勉強会を行いました。
(2)11月23日、京都教区として行われた日本二十六聖人殉教四百年祭に、奈良教会では88名の信徒が参加しました。記念講演を聞き、殉教者の信仰深さを学びました。
(3)第一年目のしめくくりとして、12月7日8日の黙想会は、茨木神父様に日本二十六聖人の人柄や、神へ仕える信仰心などを聞き、黙想し、祈り、そして取り次ぎをお願いしました。
 第二年目の今年のテーマは“キリストとの出合い”です。これまで実行して来たこと、進行中のことについて報告いたします。
 キリストとの出合いには日々の霊操はかかせないものです。
 当教会主任司祭松本秀友師の指導の下に、キリスト者の生活における祈り、「祈りとは何か」を最初に第一回から九回にわたって、日曜日のミサの中でお話を聞き、祈り方を学びながら実践して来ました。
 また、日曜日のミサ以外の日に、
「聖書による黙想、こう祈ったらどうか」と題して、聖書を通しての祈り方のヒントを教えていただきました。
 この会に全員があずかることは不可能でしたが、参加された人たちの影響が少しづつ広がって行くのではないかと思っております。
 五ヶ年計画の大きな柱の一つとして、私たちは「信徒間の交わりを深める」ことにしております。
 奈良教会では、22地区に分けて各地区から一名の委員を選出して、毎月一回役員主催の合同委員会を開いています。
 この会での問題点は、地区集会が理想通りに行われていないことです。そこで役員会では先ず今年は地区の実態を調べることから始めてみようということにしました。
 そのための方法として、アンケートをもとにして、役員会でまとめ、10月か11月の合同委員会に結果を報告し、今後どのようにしたら全信徒の交わりを深めることができるかを検討することにしております。
 他の教会の話を聞きますと、どこの教会も名簿上だけの信徒で、つながりがない方が多数だということです。私たちの教会も同じ悩みを持っております。その意味でも、このアンケート結果を突破口にして、いきいきとした教会作りを目ざそうとしているところです。

責・T・N)


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あなたは神の子

村上透磨

 聖書講座シリーズ「イエスとは誰?」の講演要旨です。

●「人の子」と「神の子」の称号


 真実が真実として伝わるためには、時宣に適ったものでなければならない様です。聞く人の耳と心によって左右されるからです。
 神の「コト」神の心、神の計画を伝え実現される方としてキリストは、そのコトをいつも考えておられました。キリストはそのため、ご自分を表わすために「人の子」と「神の子」という称号も上手に使いわけられた様です。この二つの称号に夫々二面性があります。
 「人の子」という称号に、単なる人間である「私」ととってくれる人もあります。しかし他方、この称号は、栄光を帯びる黙示的メシア、とも捉えられます。
 はじめ「私」をあらわす人の子という言葉をしきりに使われた主は、終り頃になると黙示的メシアとして語ります。それに「苦しむ神の僕」としての人の子という称号が加わるのです。
 「神の子」という称号にも、二面性があり、それ自体、神性と結びついた称号の様に思われますが、これが、神の民や義人を表わす言葉でもありました。
 この二つの称号は、メシアを表わす、最も基本的なものではありますが、それを啓示される時、注意深く使いわけておられる事に注目しておきたいと思います。
(二つの称号については、三省堂の聖書思想辞典を参照)

●マルコ福音書の主題


 神の子キリストについての教えは、マルコ福音書の主題になっています(序文1・1参照)ので、マルコを見ながら、この啓示に心を開いて見ることにしましょう。
 Jドロルム「マルコス福音書の読み方」(中央出版)の中、「ドラマの展開による読み方(66頁)」を見ていただきましょう。
 そこで注目すべきこと
一、「愛する子」との御父の宣言は二度表われる(1・11、9・7)。しかし聞いた者は洗者ヨハネと三人の弟子(誤解の心配はない)。
二、神の子である宣言は、裁判の席でイエスご自身の口から(14・61〜64、15・39)(もう誤解されぬ)。
三、マルコのクライマックスであるペトロの信仰宣言(8・29〜30)。
四、非常におもしろいことは、ペトロの信仰告白前に、イエスをしきりに「神の子」とあばこうとするのは、悪霊たち(1・24、2・11、5・7等)。彼らがそう叫ぶのは、彼らですらイエスを神の子と認めざるを得なかったのではなく、イエスの宣教を混乱させ、その計画を乱すためだったのです。もしその事を認めたら、人々の期待取りの政治的メシアに堕落させていたことでしょう。
 ここに一つの大切なことがあります。真の信仰告白は、時期と信仰にかなった適当適切なものでなければならないと言うことです。キリストは、その真理を告白する時と人を賢明に見極め、真実を語ることを求められたのです。

●マルコ福音書の構造


 構造を見ていると、更に非常におもしろい事に気付きます。
 ペトロの信仰告白を中心にして前半と後半が分かれます。
 前半ではたとえと奇跡によって御自分が何者か、即ち神の子である事を示されます(少なくともペトロには)。
 後半になると奇跡は少なくなり、預言と神の僕の生き方が中心になり、頂点に、イエス最後の最大の出来事、受難と死と復活が語られます。その事を弟子達は理解できず、お前は悪魔だとこっぴどくペトロが叱られるはめになります(8・31〜33)。

●神の子イエス


 キリストが何者であるか、その問いに答えねばなりませんが、それはキリストの教えをよく聞きとり御業をよく見、その姿によく触れて、キリストとの出会いを深める、又その出会いの恵みを与えて下さる事なしに、正しい信仰告白は出来ないのです。そのためにどうしたらよいか、考えてみて下さい。
 キリストは何者であるか。
 例えば奇跡の集録(4・45〜5・43)はイエスこそ神の子であることを示し、私達に信仰告白を迫ります。
 イエスが神の子であることは、マルコがよく語っていますが、それは全体の構造を分析してみると、よく分かります。
 マシア著「聖書を聞いて」(あかし書房)が参考になります。特に37頁から。

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シンシアさん、スザンナさんを日本にお招きして

 去る5月20日から6月2日の十五日間、バングラデシュよりシンシアさんとスザンナさんが来日されました。シンシアさんはYWCAで活動しておられ、スザンナさんは山岳地域の教育指導者をされており、これまで六回にわたるアジア交流委員会からの派遣メンバーは、毎回バングラデシュでこのお二人に大変お世話になっています。
 今回、私がお二人に再会したのは5月25日、村上神父様がミサの終わりに紹介された時でした。日頃の生活にまぎれて忘れかけていたバングラデシュでの生活が鮮やかに思い出されました。五年前にあたたかく迎えていただいた時と全く変わらないお二人の笑顔を見て胸が詰まる思いでした。

 この日のミサの後、アジア交流委員会のミーティングでメンバーとお二人の意見交換を行いました。まず各回の派遣メンバーが、現地での出来事やバングラデシュへの思いを伝えました。皆、最初は戸惑いや不安があったものの、実際に現地へ行き、バングラデシュの人々との交流を深め、日本では体験できない生活や風習に接することにより本当に良い体験をしたと感じ、またバングラデシュを訪問する前の自分と考え方が変わったり、大きく生活が変化した者もいるといったような成果を発表しました。また、バングラデシュには行っていない委員会のメンバーも、今までの活動を通してバングラデシュへ親しみを感じていることを伝えました。

 このような事を伝えると、お二人とも本当に喜んで、これからも交流を是非続けていきたいとおっしゃってくださいました。お二人の話から、バングラデシュの情勢がまだまだ不安定で、慢性的な経済状態の悪化といったいろいろな問題をかかえていることを聞き、これからは単なる交流だけでなく、小さな事でもよいのでバングラデシュのためになるような活動を見つけて、おこなっていくことが、アジア交流委員会をはじめ私達信者の課題ではないかと思いました。
 今回、お二人は委員会のメンバー及び教区の信者の方々の協力により、京都、奈良、滋賀、兵庫を見て、日本の生活を体験され大変満足されたようでした。今まで日本からの訪問がほとんどでしたが、来日してもらえたことで、教区の人々と交流もでき、一層バングラデシュとのつながりが強くなれたと思います。今回のお二人の来日を機会に、皆がもっと身近にバングラデシュを感じながら、ころからも一層深い交流を続けて行きたいと思いました。(T・K)

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ソフトボール大会に参加しよう

 まだまだ残暑がきびしいですが、若者の皆さん、元気に過していますか?秋と言えば皆さんは何を連想されますか?読書の秋、食欲の秋、運動の秋など、いろいろありますが、皆さんはどんな秋が好きですか?
 青年センターでは、10月下旬に、草津市ふれあい体育館に隣接の広場(予定)で、ソフトボール大会を予定しています。参加については、チーム・個人どちらでも構いません。また、応援のみの参加でもOKです。
 日頃運動不足のあなた、ストレスを汗にかえて思いっきり発散したいあなたの参加を待っています。どしどし申し込んで下さい。
 大会のあと、交流会を予定しています。ソフトボールを通して知り合った仲間との友情をあたためるのに、いい機会ではないでしょうか。
◎申し込み・問い合わせ先
〒604ー8855
京都市中京区壬生淵田町26
西院カトリック会館内
TEL075(822)6246
FAX075(812)6685

 

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一日巡礼〜大和郡山教会と雲幻寺〜

 聖霊降臨祭の5月18日、身近にある殉教地を巡礼しました。約十五名位の参加者で、まず大和郡山教会内で、三俣先生よりこの地に流配された浦上キリシタンについて説明していただき、教会敷地内にある切支丹墓碑とキリシタンが収容されていた雲幻寺を訪ねました。
 1870年、浦上の約三千名の村民が全国二十二藩に流配され、そのうち八十六名がここ大和郡山に送致されたのです。厳寒の一月下旬に雲幻寺に収容され、そこでは不自由ない生活を体験するのですが、それも束の間、他の所に移され、絶食、夜具なし、厳寒の中での重労働という非常な苦しみを生きたのでした。
 徳川幕府は倒れ、新政府明治に入るのですが、時の権力者達の中に、攘夷論者(外国、外国人を排斥する考え方)が多く、キリスト教弾圧に乗り出し、県外追放することになります。
 三俣先生のご案内で外から雲幻寺を眺め、「あのあたりに収容されていた」とリアルな説明、又、殉教者達の墓碑が最近まであった墓地の中まで入れていただき、その場で説明をお聞きしました。1969年からこの墓碑は大和郡山教会に移されている訳です。墓碑には、殉教者六名の名が刻まれています。
 殉教者とは無抵抗のうちに信仰の為に命を失った人と説明して下さいました。“無抵抗”とは、命を捧げることに他なりません。進んで十字架を荷った主イエス、又、この人達に教えを説いた宣教者達の日々の生き方が、この人達の心に刻まれていたことでしょう。
 遠くない百三十年前の出来事であり、身近な大和郡山の地から信仰の先人達は「信教の自由」の中にありながら、時の権力者達と全く異なる巧みな方法で、信仰のぜい弱化を迫る社会環境にある私達の為に祈って下さっていることを信じ、帰途につきました。一日同伴して下さった三俣先生、ミサを共に捧げて下さった柳本神父様、暖かいもてなしをして下さった大和郡山教会の婦人会の方々に、すべてに感謝!!
(信仰教育委員会 Sr安達)

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