カトリック京都司教座聖堂  「都の聖母」小聖堂


 1549年聖フランシスコ・ザビエルによって日本にキリストのみことばの種が蒔かれてその種は成長し、1597年長崎西坂の丘で殉教した26人は日本のカトリック教会の初穂となった。1862年日本においてはキリシタン禁令の時代、教皇ピオ9世により26殉教者が聖人の位にあげられた。その頃、フランス東部ジュラ県ディーニャ村サン・クロード司教区所属のレオン・ロバン神父は、日本の殉教者の記録を読み深く感激して日本人の改宗のための祈祷会を起こし、日本に福音を説くために教皇から派遣される司教および宣教師が入国できるように祈る運動を始めた。

 同神父はザヴィエルが聖母に奉献した聖堂を京都に建てたいと望んでいたことを知り、1864年ザヴィエルが日本に携えて来たと伝えられる聖母の画像にちなんで六体のブロンズの聖母像をローマで鋳造させ、翌1865年教皇ピオ9世から祝別を受け、「都の聖母」と命名した。その中の一体が、「京都に一日も早く宣教師が入れる日の来るように、市街を見おろす丘の一つに埋めて下さい」というロバン神父の手紙が添えられ、すでに日本に入国していたパリミッション会の宣教師にもとに届けられた。1873年同会ヴィグルー神父によって「都の聖母」像は市内を見おろす東山将軍塚に埋められたが、6年後1879年京都に赴任したヴィリオン神父によって掘り出され、1890年京都で最初に献堂された河原町教会に安置された。

 この度、世界中の人びとの祈りと愛が込められ140年の歴史を持つこの「都の聖母」に捧げる小聖堂が誕生した。日本文化とキリシタンの歴史が息づく京都にあって「都の聖母」像を囲む3枚のエッチングガラスには、26聖人殉教者の信仰の輝きを示す26の星と、民族・言語・習慣を越え福音が宣教されたことを象徴して大海の波が描かれ、その中に「都の聖母」の祈り『ああ、土に埋もれたまま日本のために祈り給いし聖母よ、我らのために祈り給え』が刻まれている。また、「都の聖母」の背面で小聖堂を暖かく包んでいる和紙の光り壁にも、26本の光線が26聖人のシンボルとして施されている。光り壁から左右に流れる壁は、珪藻土を塗りはけ目で仕上げた土壁である。和紙と土壁とエッチングガラスで織りなす空間のハーモニーは、過去・現在・未来へと受け継がれる信仰の喜びを表現している。高く掲げられた十字架像、白大理石と桜材でデザインされた主の食卓である祭壇と神のことばが伝えられる聖書朗読台、そして扇形に配置された会衆席によって、目に見える形で神の民が一つに集い感謝と賛美を捧げるにふさわしい祈りの場となっている。「都の聖母」 に守られここに集い祈るとき、先人達を宣教に駆り立てた聖霊に信頼し、21世紀を共に生きる人々に喜びのメッセージを伝えていく力が与えられることを信じ希望する。

 2004年9月29日 カトリック京都司教区

(基本設計・エッチングガラスデザイン:師イエズス修道女会シスター北爪、和紙アート:堀木エリ子&アソシエイツ)