殉教聖地

済州島の殉教聖地を紹介します。


1 観徳亭(クワンドクチョン)

ここは村の集会所でしたが、この広場で四・三事件に関係した700人や、事件との関係を疑われた人達170人が公開処刑された所です。
 1901年済州島において、過酷な税の取り立てによって私腹を肥やす役人たちのために、生活できなくなった人々が、悪政に抗して立ち上がったとき、その悪役人に抗議しなかったカトリック信者も、同類だと見られて襲撃され、7百人以上の信者が殉教するという事件が起こったのです。


2 黄蛇坪(ファン・サーピョン)墓地

この墓地は1901年に造られ、観徳亭で殉教した700人と、別に処刑された242人のカトリック信徒を加えた約900人が葬られています。この中にはフランス人の司教一人と司祭三人も含まれています。 また、この横にある別の墓地は今もカトリック信徒の墓地として使われています。







3 マリア・鄭蘭柱(チョン・ナンジュ)の墓

マリア・鄭蘭柱は黄嗣永(ファン・サヨン)の妻で夫の処刑後、二才になる男の子、黄敬憲(ファン・ギョンホン)と一緒にソウルから済州島(チェジュド)に送られること(島流し)になりましたが、二才の幼児が済州島に流されることは死を意味します。それをかわいそうに思った船頭が途中の島に幼児を置いて鄭蘭柱だけを済州島に送りました。鄭蘭柱の島での生活はカトリックの信仰に満ちたもので、それを見た多くの村の人々は非常に驚き、感銘を受けて鄭蘭柱と同じ信仰を持つようになり37年後鄭蘭柱が亡くなりますと墓を造って弔いました。その後、途中の島に残された幼児は立派に成長したそうです。それから黄敬憲は黄(ファン)氏の族で彼の育った島は呉(オ)氏の族であるため、呉氏と黄氏の間での結婚はしないと言う「いい言い伝え」が残っています。