交流記録 3

京都から済州へ 2006.10.19 〜 10.22

日 程 感想文 スナップ集

感想文

初めての巡礼

高田亮子(小山教会)

 今回の巡礼は、以前の私にとっては特に関心も無かった韓国でしたが、突然知った日本に沸き起こった韓流ブーム、韓国ドラマをキッカケに、いかに自分自身が韓国に対しての意識、知識の無い事を認識しました。
 そして、韓国旅行に行く事でますます関心が深まり韓国ドラマやニュース、関連の本から少しづつ日本と韓国の関係を知り得ているところから、済州島(チェジュド)との姉妹教区訪問と言う第一目的と歴史的にもとても重要な場所への見学が盛り込まれていた事で、是非参加をしたいと思いながら半分以上は単なる旅行気分で参加しました。
 巡礼と言う言葉も、日頃の信仰心が薄い状況が単なる旅行気分の楽しさでした。
 しかし、巡礼の準備の段階で、コリアンセンターのシスターマリアや他の方々から、巡礼の本当の意味、意気込みが伝わって来ました。
 そして、巡礼一目目の済州島(チェジュド)では、1899年に済州カトリック教会が創立されてから2年後に特権階級の人々や日本人により、カトリック信徒と民間人700余名が虐殺された観徳亭(カントクジョン)埋葬されている黄蛇坪(ファンサーピョン)を見学しましたが、現在のカトリック信徒の方々これらの場所をとてもきれいな場所にされている事が、殉教者への厚い思いであると感じました。
 また第1回の交流訪問ということで、とても厚い、厚いもてなしを受けました。その厚い想いは、困難な歴史を背負った分深い信仰なのかと考えます。
 その厚い想いの信仰そして暖かい笑顔が、私自身の信仰心の反省となっています。
 更に「ロザリオの祈りの夜」の行事での感動は言葉では言い表せません。私の言葉より皆さんには是非次回の巡礼をお勧めします。また機会があれば自分自身のために参加出来るように願っています。
 韓国ドラマの台詞に『今を一生懸命生きる』好きな言葉になっています。
 私にとってこれからも一生懸命生きる巡礼となりました。
 今回の巡礼を準備して頂いた皆さんに深く感謝致します。
チャンミ(賛美)イエス


済州巡礼の思い出

前川昌子(奈良教会)

 受洗40年の記念に巡礼に参加させていただくお恵みを得ました。済州教区カテドラルに着いて、チマチョゴリ姿のご婦人達や大勢のみなさんに迎えられた時、遠い昔にタイムスリップしたような不思議な感がしました。わたしたちの小さな巡礼団を暖かく歓迎していただき、夢の中にいるような心地がしました。
 3,500人も集った恵みの岡野外礼拝センターでの「聖母マリアロザリオの夜」、ミサでは明洞教区の青年達による無言劇が奉献され、また家庭で書かれたというマリア様への手紙が煙となって天に上りました。その後のろうそく行列では、
 ロザリオの祈りを唱えながら山上湖をひと回りしました。その勢いには、済州教区のみなさんのエネルギーが溢れていました。一つになった祈りの響き、湖岸に立つチマチョゴリ姿のご婦人達、水面ににじむ灯火がとても美しかったです。済州教区のみなさんの篤い信仰に触れ、日本の教会にもこのような信仰の恵みが与えられるよう祈らずにはおられません。


「巡礼に参加して印象深かったこと」

嶋谷 円(草津教会)

 済州島は韓国の南に位置する島で淡路島の3倍ほどの大きさである。済州の司教座教会へ一行が着くと平日にもかかわらず、多くの方が私たちを拍手で迎えてくださった。お御堂へつながる階段にもチマチョゴリを着た方が並んで出迎えておられた。言葉が通じなくてもその温かい心が伝わってきた。夕食のときはテーブルに一人ずつ通訳ができる人が座ってくださり、楽しい時間を過ごすことができた。
 夜、恵みの小山にて「聖母マリア・ロザリオの夜」に参加した。祭壇を囲んで円形に何千人もの人がいた。司教様は日本語で説教を印刷して私たちのために準備してくださった。殉教のことと平和についてであった。同じ民族、同じ言葉を話す人たちが北と南に別れて、中には家族を引き離された人もいる。北では食べるのに苦しんでいる人がいる一方で核実験をし、平和を脅かしている。いつもテレビを通してしか知らない現実がすぐ近くにあり、切実な間題に感じられた。ミサの後、十字架の道行きを行った。暗闇の池のまわりを手に持ったろうそくの光が美しく照らし、池に映っていた。みんなで祈る大きなエネルギーを感じた。言葉が違っても心を一つにして祈ることができ、マリア様を通して天に届くように感じた。
 ソウルでは切頭山など殉教地を訪問した。この地にも多くの悲しい歴史がある。現地を訪れて苦労の上に信仰を築いた人たちの強い心が私たちに励ましを与えて下さっているような気がした。弱い自分だが頂いた信仰を大切にしたいということ、祈りの大切さを感じた旅であった。
 近くて遠いと言われる韓国と日本。行ってみると本当に近いことがわかる。近年多くの交流がなされるようになったが、知らないことが多く、課題もある。今後多くの交流がなされ、互いに信仰を深めあうことができればすばらしいと思った。


「恵みの丘」での目覚め

シスター黒木紗耶子(交流部)

 海に囲まれた穏やかで平和なチェジュ島。リゾート地とはいえ、いまだに汚染・破壊されていない美しい自然環境、清々しい空気、一面に広がるみかん畑、ひょっこり出会う愛矯ある島の守護神トルハルバン石像、あちこちに点在する前世紀名残の茅葺の家。日本のどこかの田園風景にも似た郷愁を誘う島の雰囲気に不思議な安らぎを覚えてしまう。
 出発前入手した「韓国カトリック教会史」を通して知った身震いする程の迫害と受難の歴史に恐れおののきつつ、緊張のうちに島に足を踏み入れた私の胸の疼きは、いつしか昔の知己に再会した時のあの喜びの鼓動に変わっていた。聖職者を始め信徒の方々との出会いによって、言葉の通じないもどかしさを忘れるほどの親近感で結ばれたからだろう。心和む数時間を過ごした私たちは、いよいよクライマックスを迎えようとしていた。
 21時、チェジュ教区信徒の祈りの根拠地といわれる「三墓所恵みの小山」には、既に3千人を遥かに超える信徒の姿があり私たちも粛然とする。入祭の大合唱が夜の闇を貫いてどこまでも響く中を、若々しい司祭団と姜司教の入場と共に「聖母マリア・ロザリオの祈り」式典開幕。最前列に座を占める私たちも、三方をあの熱意溢れる美しい歌声と祈りに囲まれ、吸い込まれるように一つになって聖母マリアヘの賛美に加わった。福音朗読(お告げの箇所)に続き、姜司教様のお話。穏やかな口調の中にも力強く、現在韓国が直面している北朝鮮との間題を信徒の前に繰り広げられた。韓国民の深い悲哀を一身に担ったような苦衷の披瀝の感がした。その一語一語は静寂の丘にこだましながら、一人ひとりの胸深く染み入る。
 「…全く出口の見えない閉鎖回路を抜け出すために、頼ることの出来る避難所は神お一人です。今読まれた福音の中で天使がマリアに言われた言葉だけが希望を与えてくれます。『神には不可能なことはない』。不可能なことを可能にしてくださる神様にマリアと共に寄りすがりましょう…」このあと、度重なる世界の戦争や内戦によって苦しんだ多くの人々が、聖母のロザリオの祈りによって慰められ、救いの手が差し伸べられたことを諄々と語られ、非常に深刻な状況に直面しているこの半島の平和、世界の平和のため、今こそ神の慈しみを求め、この地に真の平和が訪れる日までロザリオを手放さないようにと結ぱれた。
 ミサに続いてロザリオの行列。湖さながらの池の水面に映える揺らめくろうそくの炎は、幽玄の世界を醸し出す。瞬間私は、地上を離れて遊泳中? 益々情熱的なアヴェマリアの歌声とロザリオの祈りが韓国語であること、エネルギッシュな速歩の群に先を越されていく悔しさで現実に引き戻されたようだった。
 ミサと行列の中で捧げられた熱心な祈りと心底から迸る歌声は、チェジュ島を越えてどこまでも響いたであろう。恐らく北朝鮮にも屈けとの熱い願いと共に。私は、一つの国が分断された朝鮮半島の人々の存在の奥底にある苦悩と悲しみを、この時ほど痛感したことはなかった(実は、翌日板門店を訪れ、恐怖と緊張の中でもその感を深くしたのであった)。同時に、彼らの奥深い祈りと神への信頼に満ちた明るい歌声の、明快な答えを得たようにも思った。この式典の中で私は、彼らの苦悩を分かち合える隣人なのだと深い感動を覚えたのだった。もう一度訪れたい!