交流記録 4

京都から済州へ 2007. 5.17 〜  5.19

日 程 感想文 スナップ集

感想文

◎ 済州島巡礼の旅に参加して   登美が丘教会 大久保良子
  
 5月17日・第1日目の「めぐみの丘」での「聖母の夜」のミサに与かり、先ずびっくりしました事は、なんと大勢の信者の皆さんが参加されていたことでした。
 夜9時からのミサに何千人もの信者さんが集い、司教様はじめ多くの神父様の素晴らしいミサに自分も与かることが出来ましたことは、私の信仰生活の中で、これほど感激と喜びを味わったのは初めてでした。
 今まで味わったことのない神様との出会いで体がふるえ、その後、感激の涙があふれてきました。
 十字架の道行きもとてもリアルで、何度も胸が痛んだことを今も思い出します。
 聖地巡りをしながら、先人のさまざまな苦しみの土台の上に、今日の私達の信仰が守られていることを強く感じました。
 済州の信者の皆様の心からの花いっぱいの歓迎にも心打たれ、皆んな兄弟であるということを実感させて頂き感謝の気持ちでいっぱいです。
 今回の旅は、未信者の主人に神様との出会いの場を与えて戴きたいと願って参加させて頂きましたのですが、主人が全てのミサで手を合わせて祈っている姿を見て、本当に嬉しく、神様に心から感謝しています。本当に大きなお恵みを戴いた事に心より感謝しています。


◎ 済州巡礼の旅に寄せて   大久保啓介
  
 当初、家内から誘いがあり、暫く考えさせて貰いました。信者でもない者がどうしてその旅行に参加できるのかと、自問自答しました。しかしこんなことは肩肘はらなくてもいいのではないかと思うようになりました。
 済州到着後バス移動が始まり、何故か大塚司教様の斜め後ろに座ることになり、私にすれば緊張の連続かと思いましたが、飾らない姿を拝見して却って偉大な人だなあと感心したような次第です。
 深夜に亘る恵みの丘の荘厳な儀式に始まり、道行の途中にはルルドの泉の聖なるミサに接し、私のような者でも何かを感じることが出来ました。
 その後、2週間程経って、又司教様にお目にかかれる機会があって、奈良に堅信式に来られるとかで、いそいそと出掛けました。お逢いして初めてのお言葉に「お疲れになりませんでしたか」の一言をいただき、また、感無量。
 こんな素晴らしいご縁をいただき有難うございました。

 
◎ 第2回済州教区巡礼の旅に参加して   交流部  金子 直司(衣笠教会)
   
 今回の旅は2泊3日という短いものでしたが、「感動と感謝にあふれる旅」となりました。
 最初に訪れた司教館では、姜司教様から済州島におけるカトリックの歴史についてお話いただき、多くの殉教、受難を経て現在の平安を為し得られたこと。そして平和の島となった済州島に今、海軍基地が建設されるという話がもちあがり、建設中止を訴え神父様方がハンストに入られるという現在の苦難、問題についてもお話いただきました。
 また、3,000人を超える信徒の方が一同に会した「聖母の夜」のミサでは、その荘厳さに、熱烈な歓迎と真摯な質問をうけた翰林教会の訪問では、韓国・済州島のカトリック教会、信徒の皆さんの熱意とそのパワーに圧倒され通しでした。
 その熱さとは対象的に前夜あれだけの人が集まったのが信じられないくらいきれいに掃き清められた恵みの丘で朝の静けさの中、小鳥のさえずりを聞きながら心静かに「十字架の道行き」を行うこともできました。
 いずれも忘れがたい、素晴らしい旅の思い出となっています。


◎ 済州教区訪問   登美ヶ丘教会 清住 愛子 
   
済州島に到着後最初に司教館を訪問、姜司教様から心からの歓迎を受け、次に黄蛇坪墓地を訪ねました。ここには約900人の信者が葬られているとのことで、綺麗に管理されており、殉教者に対する崇敬の念の深さに感銘を受けました。日本でも188殉教者の列福を願う運動をしていますが、どうか列福が叶いますようにと祈りました。
恵みの丘での「聖母の夜」の行事、夜九時から始まるミサとロザリオの祈りとルルドでの式など、3時間を超える行事に数千人の信者さん達が集まりました。人数だけでも驚きなのに、強風の中全く動じず熱心に祈る姿や素晴らしい聖歌の声に心の底から揺り動かされました。
短い旅でしたが、敬虔な信者さん達の姿に触れ、お話を伺うことができ、これからの私の信仰生活の上で大きな喜びと導きを頂きました。実りの多かった旅に感謝。


◎ 済州島の旅   清住 秀夫
  
   団員の皆さんの真摯な信仰態度に感銘。

   島の石の多さ、風の強さに驚嘆。

   料理の辛さに、仰天(しかし美味)

   現地の方々の温かいもてなしに感激。

   3日間の素晴らしい旅に感謝。


◎ 聖地を巡る旅に参加して   登美ヶ丘教会 山口冨美子

 今回の巡礼の最大の行事、恵みの丘での「聖母の夜」の感動は一際大きかったです。
多勢の参列者のなか、私達の席は(強風には少し驚きましたが)特等席でミサに与かることが出来ました。済州教区の方のご配慮に感謝です。
ミサ後ロザリオを唱えながらルルドに向い、洞窟での祈り。この夜の事は終生忘れられない思い出の一頁となりました。 
 翌日の「十字架の道行」も、青空のもと緑の木々に囲まれ素晴らしいの一言。
温かい出迎えを受けた翰林教会での信徒の方との交流では、俄仕込みのハングルでは仲々うまく話すことが出来ず、少し後悔しました。
 三日間天候にも恵まれ、感動の旅に参加させていただき、感謝です。


◎ 平和の島 済州    登美ヶ丘教会 國分 美子
  
 巡礼二日目の夕食は、見事なサンセットが眺められる会場に招かれた。広間に
「世界平和済州保塁」と書かれた大きな掲額に、この済州島の方々が平和を強く願っておられると思った。
恵みの丘での「聖母の夜」のミサの説教でも、姜司教様は海軍基地を設置しようと望んでいる動きにカトリック教会の立場で断固反対すべきだと説かれたとのこと。
 そのため、司祭団の一部の神父様は、ハンガーストライキに入られたそうだ。
信徒の宣教によって始まった韓国の信仰の歴史は150年と短いが、多くの殉教者の血が流され、受け継がれている。
韓国最初の司祭 金大建神父様が、上海で叙階され、帰国途中に西海で嵐に遭遇し、漂着された龍水里口に建てられた記念館の見学に向うバスの車窓から眺めた素晴らしい海岸線のパノラマの中に、銃を持った兵士の姿と粗末な番小屋をみたとき、「平和を守る」重大さを思い、複雑な感慨を覚えた。


◎ チェジュ教区巡礼に参加して   河原町教会 平竹 洋子
   
 韓国でオリンピックが開催された年に私は、観光旅行で韓国へ行きました。この旅が、秀吉の朝鮮出兵に始まる過去の過ちを現実的に知る機会となって、心に重く残り、もう二度と韓国へ観光旅行には行かないと思ってきました。それが京都教区とチェジュ教区が、姉妹教区となって交流することになり、私の考え方は消極的過ぎると気付き、償いの気持ちもあって参加しました。
 チェジュでは、訪問する先々で姜司教様、信徒の方々があたたかく盛大に歓待してくださって、ほんとうにありがたいと思いました。恵みの丘での三千人を超える「聖母の夜」のミサ、ロザリオの祈りで信徒が生き生きとミサに与り、奉仕している姿が大変印象的で、つい私たちと比較してしまいました。
 翰林教会のミサ、交流会は日曜日でなかったのに、男性信徒の参加が多かったのは驚きでした。質問も活発で翰林教会の現状の一端を伺うことができました。その時、大阪に住んでいたことがあるといわれた方がいて、私はつい強制連行のことを思って複雑な気持ちでした。私は交流に参加しても言葉の問題もあって、何の役にも立ちませんでしたが、多くを学ばせて頂き参加してよかったと感謝しています。
 交流によって、互いの理解も深くなりますし、京都教区もこれから長く交流を続けて、ほんとうの姉妹教区になれるように努めなければと思います。韓国へ行かなくても、東九条、のぞみの園など身近なところに、交流のチャンスはありますので、小さいことからでも心がけるようにしたいと思います。


◎ 第2回交流部済州道聖地巡礼に参加して   日生中央教会 水野 智江
   
 私は8年くらい前から韓国の信者の方々と関わらせて頂いており、両国間の歴史を少し学ぶことができました。私の年代より上の方、特に日本語がわかる年代のかたには、幼少時から日本に対しては,辛く許せない、という感情を持っていらっしゃるのではないかと思います。毎日普通に使っていた母国語を禁止されたことをとりましても、想像を絶する苦難だったと思います。信仰の深さは、そこからも理解できると思っております。
 今回、翰林教会で交流会(分かち合い)があるとのことで、少し懸念というか不安を持って行きました。信徒さんとのこういう交流は初めてです。会場で翰林教会の方々の年代を見まして始めは怖さを少し感じました。まだなにも話せないほどの韓国語でも使いたいと思ったのはそこにもありました。
 でも、もうそのことに触れず、交流の喜びを表すような発言と、前向きの意見ばかりでしたし、あの温かい食卓の準備を見た時、私自身の恥ずかしさを知るとともに、見事に信仰の中に生きていらっしゃる温かさを心から感じました。その時に、あの素晴らしい「聖母の夜」の行事を完成させていらっしゃる済州道のみごとな信仰がわかりました。あの島流しの刑場だった済州道をここまですばらしい「平和の島」に変わらせた信仰に、私も続きたいと願う気持ちでいっぱいになりました。
 もし反対の立場だったら、日本人は韓国に対してこんなに許せるか?と思います。
私の韓国巡礼はもう6回目になりましたが、かわらない信仰の強さを見せて頂いて帰る事だけはいつも同じです。そして今回は夫も参加させて頂き、私たち二人に大きな恵みもいただきました。


◎ 第2回済州道巡礼団に参加して   水野 浩二

 済州道は日本から見れば短時間で手軽に行ける所という程度の知識しかありませんでした。私にとってカトリックの巡礼に参加するのは昨年の奄美大島訪問に続く、2回目の経験で、不安といえば「言葉」と「体調」でしたので、信者の方々の旅行のメインの「聖母の夜」は3時間と時間も長く、山上湖を一廻り歩くとのことで、体調によっては「黙想の家」で過ごせば良いと思っていました。
 「聖母の夜」のミサが終了し「ロザリオの祈り」に出発しようとしたときに、夫(ぷ)神父様が駆け寄り、「最前列に、京都で会った貴殿が参加されている事がわかりました」といって握手を求めてこられました。何か異国の地でなく、国内で久し振りで知人に会った様な気がしましたが、その時は19日(土)の翰林教会での交流会、中央教会でも迎えていただき、見送っていただくことになるとは、知りませんでした。
 思えば、昨年京都に助祭として勉強にこられていた時に、ひと時を一緒に過ごしたのみでしたが、よく覚えていて下さった。このできごとは、私に「一期一会」の句を思い出させ、その意義を実感させることになりました。この時から巡礼参加への不安はすべて消えていました。
 一つ残念に思われたのが、「聖母の夜」の日は風が非常に強く、「ロザリオの祈り」で、手にしたローソクの灯が何度点けても消えてしまったことで、参加者が手に手に持つローソク全てに点灯されていれば、どんなに荘厳な祈りの光景になっただろうと想像すると残念でなりません。
 最後に、未信者の私ですが、何の違和感を抱くことなく過ごせたことを感謝しています。


◎ 西院教会   徳久 栄子
 
  世界的な観光地、自然の神秘さの中、すべて見るものが目新しい風景に見えました。済州島は「三無の島」「三多の島」と呼ばれる。「三無」は泥棒・乞食・門構えがないこと、「三多」は風・石・女。風が強く、掘っても掘っても石、そして女性が強いとのこと。歴史のいっぱい詰まっている島だと思いました。トルハルバンという石で出来たおじいさんの像、信楽焼きのたぬきを思い出しました。
三墓所、恵みの丘は、ただただ驚きでいっぱいでした。黙想の家に帰って静かだったのが、時間が経つにつれて人の気配、胸躍らせて「聖母の夜」行事に参加。
   荘厳な御ミサの中、激しい風にも誰ひとり立つことなく、最後までマリア様に見守られて御ミサが終わり、ロザリオの祈りに参加。周囲に圧倒されてついていくのが精一杯。やっとルルドについた時、マリア様を見た時、胸はいっぱいでした。たくさんの花束に囲まれ、三人の牧童の一人聖ベルナデッタを思い出しました。あまりお祈り出来なかったのに、たくさんの恵みに感謝でいっぱいです。
    十字架の道行き、等身大の大きな像、自分も一緒。その中にいる。感無量の道行  
   きでした。また、ルルドで静かに御ミサに与かれた事、今も心に残ります。これを機会に少しでも布教に役立てればと思っています。


◎ 済州巡礼に寄せて   西院教会 安本 美子
   
 この度の巡礼の旅に、初めて母を連れて参加させて頂きました。五月晴れの爽やかな済州で、行く所多くの温かい歓迎に、嬉しさや照れくささに思わず胸が熱く涙が溢れそうになりました。
 年齢87歳、不安もありましたが運は天にお任せ。躊躇しているより思い切って参加して良かった。母の喜びがありました。
 聖母の夜の素晴らしさ。良い体験になりました。百聞は一見に如かず、母も一生懸命歩きました。信仰の強さがこんなにも頼もしくさせるんですネ。
 とっさに覚えた韓国語の挨拶も、姜司教様の前に立った途端、頭真っ白全部忘れ、思わずトチッテしまいました。本当に色々と楽しい思い出ばかりです。
 殉教者の厚い信仰に悟り気付かされ、活かされている事に感謝し、活かされている自分を日常に活かすことが出来るよう、努力してまいりたいと思います。